小皿の中の山水
毎日使っている小皿。いずれも染付で大きさは四寸と三寸。
関西では普段に
手塩皿
と呼び、内々では
おてしょ
とも言う。
ベロ藍の手塩皿は、結婚祝いに教養時代の同級生が贈ってくれた。
5枚あったのだが、よく使うので割れてしまい、もうこの1枚しか残っていない。見込には、松竹梅が描かれ、上下に山中で碁を打つ仙人が小さく描かれている。木樵が山中で童子が碁を打っているのを見ていたら、知らぬ間に長い時が経っていて、持って来た斧の柄が腐った(爛柯)という説話でお馴染みの光景だ。この小さな窓の中で永遠の時が流れている。
この手塩皿には、緑のものを載せると映えて、実に美味しそうに見える、得な皿だ。茹でたアスパラや、青菜のお浸しなどをちょんと載せている。
豆皿の三寸皿は、霊芝が描かれている。実に堅い焼きで、いくら乱暴に扱っても割れない。醤油皿にしたり、オリーブオイルを入れたり、餃子や雲呑を包むときには手水を入れ、もう片方には皮を載せる。
四寸の八角皿には、山水が描かれている。これにも何でも載せている。中華料理を作ったときは、取り皿になるし、お新香を取り分けるし、ちょっとした酒肴を盛ることもある。小さな薯蕷饅頭も載る。
絵付けの職人が、いい加減にさっと描いた山水だが、この雑な感じが日常の器に合う。小さな皿の向こうに、遠い山水が霞んで見える。
図らずも、食卓は、仙境を描いた皿が並んでいる。霊芝の豆皿と山水の八角皿はヤフオクで手に入れた。豆皿は端物だったし、変形の皿はあまり人気がないので、どちらもうんと廉かった。
昔の大量生産の雑器なのだが、人の手で一つ一つ作られたものなので、使いやすく、普段の用には申し分ない。そして、丈夫だ。
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