大学図書館が閉館すると
たまにお世話になる古書店
河野書店さんのblog
を眺めていたら、気になる記述が。5/31付記事
暑い日の話題
の次のパラグラフ。
さて、この暑い日に、古書会館では10トントラック3台という大量の本が運び込まれ、月曜日の中央市会に出品するための、仕分け作業が行われているはずです。
最近増えている「超大口」も、ここに極まったというところでしょうか。何しろ北海道の某大学図書館が閉館され、その蔵書が丸ごと、という話です。
1冊平均500gとすれば、1トンで2千冊。30トンなら6万冊。問題はそのうち、どれくらいが商品として生かせるものかという点。
背にラベルが貼られていたり、扉に印があったりという、昔ながらの図書館本ばかりであれば、輸送費と、人件費を出すことすら危ぶまれます。
ええええええ。それは一体どの大学の図書館の話なんだ。寡聞にして知らなかった。
うちの蔵書も2万冊を超えたところから数えてないので、何冊あるか分からないけれども、遅くてもあと20年ほどすると整理を始めなくてはいけない。個人蔵書でもそうなのだから、大学の図書館となると、整理にはたいへんな手間が掛かる。
大学図書館の場合、大学を作るときに
設置基準
というのがあり、最低限どのくらいの図書が必要か等は、大学設置基準で決められている。そこそこ歴史のある大学なら、その基本図書の上に、更に蔵書が積み上がっているはずだ。
問題は
大学図書館の蔵書が「古書市場で値が付くタイプか否か」という点
だ。よほど古い大学でない限り、大抵は
学生の学習や教員の研究をサポートする目的
で購入された一般書や参考図書、専門書の類である。
もう20年ほどになるのだが
かつては「良書」として挙って買い求められた単著やシリーズ物
が
図書館除籍本
として、古書市場に出回るようになっている。たとえば手元にある、和訳の
ニーダム『中国の科学と文明』(シリーズ物)
は、ある大学の除籍本だ。
高等教育機関である筈の大学でも
定評ある教養書を持ちきれなくなっている
状況だったのが、とうとう
図書館まるごと閉鎖
なのだ。
専門書の場合は
初版・版切れ・重版なし
が、ほぼ原則で、いかなる良書と言えども、一度買い漏らすと、入手が難しくなったりする。
昨日、たまたま、「史学雑誌」例年の企画
2007年の学界展望
を読んでいて、ちょっと興味を引かれた書物があったのだが
すでに版切れ・重版なし
になっていた。10年も経たない内に専門書は一般書店からは姿を消してしまうことが多い。専門によっては、1年以内に入手困難になる。
そうした
需要がある書物
であれば、古書店も引き取る。
大学図書館の蔵書で問題となるのは
一般書・教科書・参考書の類
で、これは余程のことがない限り、値が付かないんじゃないかな。
岩波の講座物でも、アマゾンを見れば
人気のない巻は1円で取引されている
のが現状だ。
端本
は、まず売れないだろうし、よく使われていれば、傷んでいるからこれも売れないだろう。
あとは
文学書
だ。これも
普通の文学書
であれば、値が付きにくい。幸田文・青木玉クラスでも、アマゾンで心胆を寒からしめる値付けで並んでいるのだ。大学図書館には大抵備え付けられている
全集ものは場所ふさぎ扱い
だしな。
大学の図書館といえば
永遠に蔵書を増やし続けている
というイメージがあるけれども、
21世紀の大学図書館は閉館することもある
のだ。
大学図書館によっては
碩学が晩年に寄贈したコレクション
があったりするのだけれども、もし、そういう図書館が閉館となると、古書店主は欣喜雀躍するかも知れないが
貴重なコレクションは散逸する
羽目になる。
そうそう、河野書店さんのblogには
前田愛の蔵書
の話も記されていた。6/17付の記事だ。
見逃してばかり
(略)
前回の洋書会に出ていた口の中に、前田愛さんの旧蔵書があったのです。市の翌日でしたか、たまたま会う用のあった同業がその荷主で、彼から聞いて分かりました。
(略)
前田さんといえば、ご専門は国文学。その方が良くもこれだけ、と思われるほど大量の英文学術書です。それも状態からわかるように、かなり読まれたご様子の。
敬服しつつも、ジレンマに捉われました。名著、必読書の類は、ほぼ線引き、ツカレ。逆に、手つかずで比較的きれいな本は、読む必要を感じられなかった本ということになります。どれを、どう活かすか。
苦心の仕分けも、結局すべて自分で買い戻す形になり、最終的に約8割ほどは、市場で廃棄処分にいたしました。
(以下略)
碩学が手元に置いて、研鑽し、書き入れのある書物は
手沢本
という。わたしの専門の一つは
江戸医学館に在籍した幕府医官の手沢本の調査
だ。碩学の書き入れは、さまざまな貴重な情報をもたらす。
しかし、哀れなことに、現代の碩学前田愛の手沢本は
古書としては「汚れ、傷んだ書物」
として扱われ、
大量の英文書が廃棄本として消えていった
のである。
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