川端道喜『和菓子の京都』岩波新書新赤119(初版は1990年4月) 十五代川端道喜の遺言
先代十五代川端道喜、京都のヒトには
道喜さん
と親しまれていた川端道喜は、岩波新書の
和菓子の京都
の筆を1990年3月に置いてから、あっという間にこの世を去った。7月のことだった。訃報を聞いたとき、あまりに意外で、驚いた事を覚えている。
先代の道喜さんは、新聞社に勤めていた時期もあり、筆の立つ人で、
季刊 四季の味 鎌倉書房
に、ちょこちょこエッセイを書いていた。それが洒脱で、いかにも
京都人
らしい、酸いも甘いもかみ分けた粋人の、
甘いものの家業の家に生まれて、酒飲み
という内容で、その当時の京都の噂をも、うまい具合に描き出して、人を損なうことがなかった。
『和菓子の京都』は、
商売の歴史半分
道喜さんの思い半分
から出来上がっている一書である。
道喜さんが通い慣れた祇園町の描写から始まって、
道喜さんといえば、まずは粽
であり、次いで
初釜の「葩餅」の由来
を辿り、
宮中の御用を引き受けていた頃の年中行事で作っていた餅や菓子
に及び、
そもそも川端道喜家が宮中と縁を結んだ端緒
を溯る。
餡の炊きよう、餅皮の扱い、菓子の型など、戦争の砂糖の統制があった後、すっかり菓子屋から退いてしまった家の孫だが、いちいち腑に落ちる話だ。
最後の2章は
未来の京菓子への叱咤
の形を取ってはいるが、日本のあらゆる生業の人達への檄文である。
菓子屋には整備された家訓など不要、そんなものがあれば商売に差し支える
と喝破している道喜さんからすれば
伝統を守る
のは、
古を墨守するのではなく、絶えず競争に晒され、革新しながら進むこと
だ。その時
一番大事な物だけは守り切ることが肝要
なのだ。
明治になって、天皇が「東に行く」
まで、
川端道喜は350年にわたって、毎朝御所に「御朝の餅」を届け続けた
という。
道喜さんが世を去ってから、もう四半世紀になる。最近当たり前になってる
トレハロース入りの和菓子
を見て、道喜さんは何を考えるだろうか。
道喜さんの粽は、まだ先代が健在で、お店が上賀茂にあったころに頂いたことがある。
葩餅は、縁がないので、一度も口にしたことがない。
京都のお菓子というのは、そうしたものだ。もし、道喜さんと御縁があるのなら、その内、頂く機会もあるだろう。
食べる時間に一番おいしいように合わせて細心の注意を払って作られる道喜さんのお菓子
なのである。その心に背かぬようにしたいものだ。
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