ヤマザキマリ/とり・みき 『プリニウス』1〜3 新潮社
たとえば、岩波文庫に収められている、タキトゥス『年代記』やスエトニウス『ローマ皇帝伝』を繙く時、微かに、古代ローマが姿を現す時がある。わたしたちが知っている、整然としたローマの「遺跡」からは窺い知れない、ひどく猥雑で不潔で、しかしながら活気に溢れるローマがそこにはほの見える。
消毒されないローマ、すなわち、猥雑で不潔で活気に満ちたローマは、ポンペイやその周辺の遺跡からは、時々掘り出される。79年、Vesuviusの噴火によって、火山灰に埋もれた死の都ポンペイ。そこで大プリニウスことガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus)は命を落とした。
本書の1巻は、79年の噴火の最中の描写から始まる。プリニウスのその後の命運については後の展開に委ねられ、口頭記述係を果たす若いエウクレスがプリニウスと出会った数年前に話は溯っていく。
エウクレスの驚きを通して、わたしたちは、プリニウスの興味の広さ、知識の膨大さ、ローマ時代の怪しげな「智慧」に向き合うことになる。
同時に、ローマ人がこよなく愛した風呂、吐いては次の食事に取りかかる美食、機能的なローマの都市と家々の詳細な見取り図、そして何より猥雑で不潔で人々のざわめきに満ちたローマの街を見るのである。
それはひとえに、イタリアに画業で留学したヤマザキマリと、何よりローマを描くのが好きらしいとり・みきとの2人の漫画家の、想像を絶するきめ細やかな下調べと打ち合わせによるのだ。
労せずして、ローマを「目撃」できるわたしたちは、実に恵まれている。
プリニウスといえば、30年ほどまえには、一部好事家と澁澤龍彦のファンが知っているくらいで、表に出てくるような人物ではなかった。
プリニウスの主著『博物誌』37巻は、その記述内容の疎密や真偽が一定では なく、まさに「奇書」扱いだった。ちょっと洒落たこと、あるいはスノッブを気取りたいなら、『博物誌』から引用してみせるのが、大学生以上の「裏技」でもあった。(ラテン語が読めなくても、大学図書館にはヨーロッパ各国語版があるだろうから、適当なことは言えた。)
ヤマザキマリ/とり・みきの『プリニウス』は、ともすると偏奇と退けられがちな『博物誌』を、わかりやすい形で作品中に落とし込んでいる。2人の作者のプリニウスへの深い愛を感じる。
毎年1巻ずつしか出ないようで、今の感じだとあと2巻くらいかな。
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