道坂昭廣『正倉院藏《王勃詩序》校勘』香港大學饒宗頤學術館 學術論文/報告系列(二十七)
日本では
文系学部廃止論
などが出て、
文系などゴミ
と思っている政治家がたくさんいることが分かった。
文系廃止に賛成の政治家諸賢
におかれましては、二度と人前で
『論語』を引用してエラそうにする
なんてことをしないようにお願いする。
あなたたちがゴミだと思っている文系の「宝」の一つが中国古典
だ。
ゴミを引用するなど、「恥ずかしい」
でしょうが。
科挙の国中国で「一国二制度」下、古典研究に気を吐いている香港大学には、いくつか古典研究の拠点があるけれども、
饒宗頤學術館
もその一つだ。台湾・香港そしてただいま
爆買い
で名を馳せている
中国大陸
であっても
古人の文化遺産である中国古典
は大事にされている。決して
研究者を根絶やしにするような暴挙
は行わない。中国の長い歴史の中で、本気で研究者を根絶やしにしようとしたのは
焚書・坑儒を行った秦始皇帝
くらいなものである。だから
文系ゴミ論者
は
秦始皇帝に並ぶ「英傑」
である。それぞれ
わたしは秦始皇帝に並ぶ、勝れた文化政策を主張しています
と大声で喧伝するがよかろう。
このところ、たぶん
文系ゴミ論者
には
そんな研究はゴミ
だと思われるだろう
日本古代の学術受容
について調べているのだが、
正倉院
には、現在中国に伝わっているのとは別系統の
唐代の詩人 王勃の詩集
が残っている。王勃は、初唐に属する人物だ。初唐とは、『日本大国語辞典(日国)』に拠ると、
中国の唐代(六一八〜九〇七)を四分した第一の時期の称。高祖武徳元年(六一八)から玄宗即位の前年(七一一)までを指し、先天元年(七一二)から永泰元年(七六五)までを盛唐、大暦元年(七六六)から宝暦二年(八二六)までを中唐、太和元年(八二七)から唐の滅亡(九〇七)までを晩唐と称するのに対する。特に唐詩の時代区分として用いられ、近体詩が沈佺期・宋之問などにより完成され、また、王勃、楊炯、盧照鄰、駱賓王、陳子昂などが出現した時代。
となってるんだが、玄宗即位は712年で動かないんだけど、初唐711年でおしまい説はあまり見たことがない。玄宗即位「前年」を現在の暦法に直すと、711年なのか712年なのか、はっきりしないので、日国では711年としているようだ。普通は、この辺りはぼかすんだけどね。玄宗が即位したのは
先天元年(712)八月四日(9月9日)
だ。今と暦法が違うから、こういう、齟齬が起きたというか、日国のこの項目を書いた人が、「前年なら1を引けばいい」と思っちゃったか、ま、そんなところ。ああ、びっくりした。
で、日国に出てくる
王勃、楊炯、盧照鄰、駱賓王の4人
が
初唐の四傑(しけつ)
で名高い詩人達である。4人とも、出世できず不遇だったが、
大凡そ 物 其の平を得ざれは則ち鳴る。(韓愈「送孟東野序」)
ってわけで、勝れた詩を残した。最初に名を呼ばれる
王勃の詩が最も優れている
という評価だ。
今風に紹介すると
王勃 冗談で檄文を書いたら高祖が激怒 父を訪ねてベトナムへ行く途中で溺死
楊炯 元神童 部下殺しの異名をもつ
盧照鄰 病気で退職 入水自殺
駱賓王 左遷に怒り官を棄て 則天武后への謀叛に加わるも失敗 行方知れず
という4人である。みなさんワイルドというかなんというかだ。
初唐と盛唐の区切りは、玄宗即位の前年で一致してるけど、その後の唐代の4区分は諸説あって、例えばこんな感じだ。
初唐 618-712
盛唐 712-762/765
中唐 762/766-835/840
晩唐 836/840-907
日本の奈良時代は、初唐の終わりから中唐に掛けて、ということになる。
で。
盛唐といえば、唐詩花盛りの最も充実した時期で、中学高校の国語で習う詩人で言えば
李白・杜甫・孟浩然・王維・高適・岑参・王之渙・王昌齢・王翰
などの詩人が、美しく厳しい規律の下に作られる近体詩(絶句・律詩)や豊かな詩想をさまざまに表現する古詩を残している。
しかしながら、
奈良時代の遣唐使
は
唐で最新流行の近体詩を学んで帰ってきた形跡がほとんどない
のである。当時の詩を編纂した日本最古の漢詩集『懐風藻』の詩の主なものは
その前の時代の六朝や初唐の詩に学んだ体裁
である。六朝の詩は、
宮廷内の宴会で詠まれた詩
が多く、平安時代の貴族の詠んだ歌と状況がやや似ている。融通無碍の唐詩ののびやかさには及ばない。
もっとも
近体詩を作れなかった
ということと
唐詩を読まなかった
ということは同値ではない。最新流行、盛唐の近体詩を集めた書物はまだなかったか、目に付かなかったかだが、
初唐の詩人の書物
は、ちゃんと買って帰って来た。それが、現在正倉院に残る
王勃詩序
の原本の筈だ。
わたしの仕事の一つは、木簡等に残った
習書(手習い)
を集めて、当時の文化状況を推測するのだが、木簡や正倉院文書にはどうも
初唐の四傑に学んだらしい形跡
を残すものがある。
初唐のワイルド4は奈良時代の宮中で結構人気者
だったみたいね。
で、アクセスのしにくい、正倉院の『王勃詩序』を研究、写本なので当然書き間違い等があるわけで、校勘を行ったのが、先輩の道坂昭廣さんだ。このお仕事をまとめたものが
『正倉院藏《王勃詩序》校勘』香港大學饒宗頤學術館 學術論文/報告系列(二十七)
である。この書籍をCiNiiで見ると、所蔵が2館しかなく、
どうしよう
と青くなったのだが、そこは
太っ腹の香港大學饒宗頤學術館
である。リポジトリで、全冊PDFとして入手可能だ。
學術論文/報告系列(二十七) 正倉院藏《王勃詩序》校勘
ただし、最初に
メールアドレスを登録
する必要がある。アドレスを登録すると、しばらくしてから
password
が送られてくるので、それ以後はリポジトリにアクセス可能だ。
ありがとう、香港大學饒宗頤學術館。
ほかにも、學術論文/報告系列として、興味深い論文が出版されているので、中国学研究者は当然のこと、
日本古代の仏教/説話研究者
広東13行等に興味のある研究者
等等は、是非アクセスを。
學術論文/報告系列
というわけで、道坂さん、ありがとうございます。大変助かりました。
| 固定リンク
« #保育園に落ちたの私だ ネットから自発的な市民の運動へ 気に入らないTVのキャスターの首を二つ三つ飛ばせてもネットのうねりは変わらない | トップページ | 上代文学会『上代文学』萬葉学会『萬葉』、発行から一定期間後にwebで公開 »
コメント