日銀審議委員櫻井井眞氏の学歴が、日銀のサイトでは、日本語と英語で違う件(その2)修論はもっと凄かった!
かつて印度学では
短いが素晴らしい論文
というジャンルが確立していた。字数は極めて少ないのだが、学界を唸らせる内容が書かれていればOKというものだ。
それはさておき
「単位取得退学」を「博士課程修了」に日銀広報課が「盛った」
と評判の
新審議委員櫻井眞氏の修論がもっと凄い
らしい。
本日配信の週刊ポストの記事より。
日銀審議委員の修論はペラ4枚で「こんなの見たことない…」
2016.05.10 07:00(略)
その後、さらに東大で取材を続けると、経済学図書館に収蔵されていた、『ケインズ的経済成長の動学的性格』と題された櫻井氏の修士論文に行き当たった。1972年に提出されたものだ。驚いたのは、その薄さだ。
目次を含めて400字詰め原稿用紙にわずか「4枚」。本文は1258字しかない。他に参考文献リストが1枚ついているだけで付属資料もない。
アブスト(要旨)のみが収蔵されているのではないかと思われたが、経済学図書館に確認すると、これが修士論文のすべてだという。
同じ東大大学院(経済学研究科)出身者の修士論文と比べると違いは歴然だ。政府税調会長代理を務める神野直彦・東大名誉教授の修論(1978年提出)は原稿用紙231枚(約9万字)、財政制度等審議会委員の井堀利宏・政策研究大学院大学教授の修論(1976年提出)は同102枚(約4万字)。
元日銀副総裁(2008~2013年)の西村清彦・東大教授の修論(1977年提出)は、レポート用紙32枚(約1万6000字)と少なめだが、本文の他に、詳細な計算式やグラフが記載された大量の資料が添付されていた。長ければいいというものではないが、「ペラ4枚修論」は異例中の異例だろう。内容はどうか。財務省出身の小黒一正・法政大学経済学部教授(公共経済学、経済学博士)は、櫻井論文をあっという間に一読すると、「本当に本物ですか? こんな修士論文、見たことありません」と驚愕の声をあげた。
「内容は当時の経済学で示されていた課題を要約しているだけで、どこに筆者の独自の分析があるのかわからない。学部生が書いた簡単なレポートのレベルです。そもそも修士論文は冒頭で筆者の問題意識の提示があり、何に焦点をあてて分析するかの説明、先行研究の要約……といった具合に続くものですが、この論文は分量以前に、修士論文の作法にさえ則っていません。
私が指導教官なら通さない。東大がこんな論文で修士号を与えたこと自体、不思議でなりません。100人の経済学者が読めば、100人とも同じ指摘をすると思います」
と厳しく評価した。※週刊ポスト2016年5月20日号
不思議なこともあるモノですね。
京大や東大の経済学部は、多くの学科で卒論が課されないのだが、まさか、修論レベルで
レポート同様の内容でOK
ということが起きていたのか?
かつて、卒論や修論の体を成してないが
どうしても、卒業・修了させなくてはならない学生・院生
に対しては、
アリ卒・アリ修(アリバイ卒業、アリバイ修了の意味)
という悪しき習慣があった。しかしながら、櫻井眞氏の場合
修士課程を修了した後、博士課程に進学している
訳で
アリ修の対象ではない
のである。
それとも
学部は中央大学卒で、東大の大学院では「外部生」だった櫻井眞氏の場合、指導の仕方が異なっていた
のか?
謎だな〜、東大経済学研究科。
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