全国一斉マークシート形式の大学入試試験は初回の第1回共通一次試験(1979.1.13-14)から寒かった→追記あり
今日明日は、センター試験だ。寒い1日になるというので、昨日からマスコミは大きく報道し、受験生は雪対策に余念がなかったことだろう。
受験生諸君の文運を祈る。
また、諸会場で試験を運営している先生方、職員の皆さまも恙なく業務を終えられますように。
しかし、
共通一次試験・センター試験に雪が降る
のは珍しいことではない。
マークシート形式で全国一斉に行われる国立大学の一次試験の初回、
第1回共通一次試験
は、1979年1月13〜14日に行われた。
この両日の天気を見よう。
表は、会場となった内、国立7大学(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州)の所在地の当日の天気と気温、対照データとして、1月の平年気温と1979年1月の気温を示したものだ。
雪が降った場合は、青で示した。
平年気温(1981-2010年の30年間の観測値の平均)を基準として、寒い場合は青で、温かい場合は赤で示した。
見ると分かるように、1979年は、札幌以外は、
温かい1月
だったのだが、
共通一次試験当日は全国いずれも1日の平均気温が平年未満
で
寒かった
のである。しかも
雪国の札幌、仙台以外でも、1日目は東京、2日目は名古屋・福岡で雪
が降っている。
初手からこんなものなのだ。
まあ、
日程の設定が間違っている
というのが、本当のところだろう。
一番雪が降りそうな時期に全国一斉に試験をしている
ってことですね。
ちなみに第1回共通一次試験の受験生は現役であれば
1960年度生まれ
なので、現在55〜56歳、普通に大学に就職していれば、概ね
教授クラス
だろう。
ついでに言っておくと、
共通一次試験世代はアホ
と、大学入試がすべて筆記試験で行われていた上の世代の先輩にバカにされていたのが、この世代である。
(追記 1/15 10:30)
共通一次世代がなぜバカにされたかと言えば
筆記で行われる二次試験の科目数や点数が、共通一次試験実施前より減った
からだ。東大は、共通一次試験の点数の比率は確か
1:9
くらいで、
足切のオマケ
くらいにしか使ってなかったけれども、社会や理科を二次試験で課さない代わりに、共通一次試験の点数を利用した大学も多かった。例えば京大がそうで
山川の資料集に小さい文字で書かれている内容が出る
などという噂があった
難問で知られた京大の日本史・世界史がなくなった
というだけでも、受験生にはかなりの
恩恵
があった。もっとも、京大の場合は、国語で
二次試験では漢文は課さない
と書いてあっても、
明治の漢文脈の文章は出る
ので、
漢文を棄てると、二次試験で実質1問まるまる落とす
仕組みになっていた。
ちなみに、第1回共通一次試験の問題は、公立の進学校レベルで
普通に勉強していれば、800点は取れる代物(当時は5教科7科目で1000点満点)
だった。大体、進学校レベルの受験生では
数学は満点(200点)が当たり前
だった。800点を取るには
残る英語(200点)・国語(200点)・理科(2科目・各100点)・社会(2科目・各100点)から600点を取ればイイ
のだから、余程壊滅的な苦手科目がない限り、そう難しい話ではなかった。
難問奇問を出さない
というのが、共通一次試験の1つの眼目だっただけに、実に標準的な問題が多かった。だからこそ、
共通一次試験世代はアホ
と、いわゆる難関大学・学部の先輩諸賢にバカにされたのであった。大学入試では
1点が合否を分ける
のだけれども、難関大学・学部の場合、
共通一次の点数では、ほとんど差が付かない
訳だ。そもそも、共通一次試験で足切を喰らう受験生は、二次試験を受けたとしても、まず合格しない。
しかも、共通一次試験の御蔭で、易しい問題で点数を稼いで、
理科や社会では二次の筆記試験がなかったり、英語・数学・国語でも共通一次試験の点数分「下駄を履かされている」
わけだから
大学独自の一発試験じゃないしね
という偏見は根強かったわけである。
更に言えば
マークシート形式
というのが、
アホ生産の元凶
と見られていた。共通一次試験の比率の高い難関大学へ行くには、
少なくとも860点以上は欲しい
わけで、
真の実力を問う
と考えられていた二次試験だけでなく、
標準的な問題が満遍なく出る5教科7科目の共通一次試験の準備
もしなくてはならない。これには、結構な時間が取られるのである。しかも、形式は
マークシート形式
だ。
自分で考えるのではなく、与えられた「答」から選ぶ
のは、
考える力を奪う
と、これはかなり
細長い目で生暖かく見られていた
のであった。
(追記終わり)
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コメント
昭和56年に共通一次試験を受験。56豪雪で試験場までかなり歩いた記憶がありますね。もちろん長靴。試験の時は、持参したスリッパを履いていた記憶があります。残念ながら国立大学には入学しませんでしたが(^^ゞ@金沢市
投稿: きく | 2017-01-14 18:36
当時、ほとんどの大学入試は筆記一発でした。東京大学だけが、一次入試~足切り~二次入試と、2回入試を行っていました。共通一次実施に伴い、東大の一次入試は終了。なもんで、共通一次は、国公立大学入試を東大方式に合わせたんだな、という印象を持ちました。
共通一次の結果だけで入試の合否を決めた国公立大学なんてありましたっけ?共通“一次”ですよ?二次試験(筆記)があったに決まってるじゃないですか。センター試験と混同してませんか?
先日、某中学での進路報告会での話「(某私立)○○大学の合格者が前年より増えていますが、これはセンター試験だけで合否が出るためです。進学者数はむしろ減少しています。」
投稿: ちょ | 2017-01-15 10:29
懐かしい。受験場は自宅近くの県立高校でした。都会ながら雪道を歩いて行きました。残念ながら翌年も受験することになりましたが。
投稿: 14206K | 2017-01-17 21:05