稀勢の里の満身創痍の優勝を手放しで賛美する大人に気をつけろ 「努力は無限だが、体力は有限だ」
相撲ファンは、この3日間気が気でなかったのではないか。
春場所の13日目、全勝の新横綱稀勢の里は、日馬富士との横綱対戦で左肩を負傷した。かなりのダメージで、通常ならば休場してもおかしくないような怪我に見えた。
しかし、休場すると、実現すれば、貴乃花以来22年振りという新横綱の優勝という快挙は消えてしまう。久々に誕生した日本出身の横綱ということで、稀勢の里には、大きな期待が寄せられている。出来るならば、このまま強行出場して優勝したいと稀勢の里が判断したとしても、それは責められない。
ただ、力士生命を左右するような怪我ではないのか、というの不安がわき上がる。チャンスは一生に一度だけ、二度と手にできない目の前の栄光に挑戦する道を取るか、それとも力士としての人生を長く続ける方を選ぶのか。稀勢の里は、前者を選んだ。
14日目は、相撲にならなかった。稀勢の里は満身創痍のまま、千秋楽を迎えた。本人の望む結果を得るのは難しいのでは、と考えた人は少なくなかっただろう。
14日目までで、1敗で大関照ノ富士が先行し、13日目14日目と連敗した稀勢の里は、星1つの差で追っていた。稀勢の里が優勝するためには、
本割と優勝決定戦で、照ノ富士に連勝
しなければならない。
千秋楽、中入り後のNHKの相撲解説は正面が元横綱北の富士、向こう正面が元小結舞の海、アナウンサーから水を向けられると、普段は軽快な解説が売り物の2人とも一様に口が重く、稀勢の里の体調を気遣い、これからの本割の一番が、あたかも公開私刑にも似た惨いものになるのではという憂慮がにじみ出ていた。
よせばいいのにNHKは、息子の相撲を観戦に訪れた稀勢の里のご両親をアップにした。どういう撮影意図だったのだ、副調整室。息子は横綱でも、家族は一般人だ。万全でない体調で大一番に臨む子どもを気遣う親の気持ちは、想像を絶する。もし、稀勢の里の相撲が思わしくなかったら、どうするのだ。まるでさらし者ではないか。こうした状況で、一般人をわざわざ2度もアップにする必要はない。全く以て映像の暴力だ。
さて、解説の2人と同様、震えるような気持ちで、千秋楽の稀勢の里対照ノ富士戦を見守ることにした。厳しい闘いになるだろう。ともかくも、この首尾を見届けよう。
場内のボルテージは否が応でも上がる。
ギリシャの昔、「パンと見世物」を庶民は要求した。その上はこうではなかったのかと疑われる、血の匂いを連想させるような、ある種異様な熱狂が支配している。
ところが、案に相違して、稀勢の里は勝った。立合が合わず、つっかけた様子では、正面から当たらない作戦のようだった。手の内を明かしてしまったので、同じことは出来ない。稀勢の里が圧倒的に不利と思われたが、土俵の土に塗れたのは照ノ富士の方だった。
こうして星は2敗同士の五分となり、優勝決定戦が行われることとなった。
1度の勝負だけでも辛いはずの稀勢の里が、決定戦を乗り切れるのか。なんとも言えない苦いものがこみ上げてくる。
決定戦でも、立合が合わない。またも、稀勢の里が手の内を明かした形になって、不利な状況となった。しかし、鬼神が取り憑いたのかと疑うような力で、稀勢の里が再び照ノ富士を土俵に降した。
まさに気合いの勝利。
稀勢の里は次のように語っている。NHKニュースより。
稀勢の里「1人だったらここまで相撲を取れなかった」 3月27日 4時27分 大相撲春場所で、新横綱として22年ぶりの優勝を果たした稀勢の里が、26日夜、大阪市内で開かれた田子ノ浦部屋の千秋楽祝賀会に出席し、「自分1人だったらここまで相撲を取れなかった」と、支えてくれた人たちへの感謝の思いを述べました。 稀勢の里は、26日の春場所千秋楽に左肩付近のけがをおして出場し、優勝争い単独トップに立っていた大関・照ノ富士に本割と優勝決定戦で続けて勝ち、2場所連続2回目の優勝を果たしました。 稀勢の里は26日夜、大阪市港区のホテルで行われた田子ノ浦部屋の千秋楽祝賀会に出席し、大勢の人たちの歓声と拍手に迎えられ、笑顔を見せました。 そして、壇上であいさつし、「皆さんのおかげで優勝することができました。けがをして情けない相撲を取ってしまいましたが、しっかり治して、また夏場所でいい報告ができるよう頑張っていきます」と力強く述べました。 報道陣の取材に応じた稀勢の里は、左肩付近のけがの状態について、「痛みはない。ほっといたら治ると思う」と述べるにとどめ、「けがをしたのは自分が悪いので、けがをしない体を作ることだと思う」と反省を口にしました。 けがをした翌日から強行出場したことについては、「いろんな人に駆けつけてもらって、治療してようやく相撲を取れる状態になった。たぶん自分1人だったらここまで相撲を取れなかったし、千秋楽の勝ちはなかったと思う。支えられたことに本当に感謝したい」と述べました。 そして、「力士である以上は、やれるんだったら土俵に上がる。それしかない。ほかになにもできることはない」と強行出場の理由を述べました。 さらに、新横綱として戦い抜いた15日間を振り返って、「一番一番、自分にはないような力も出た気がした」と話しました。 「15日間終えて今、なにがしたいですか」との問いには、「稽古ですかね」と笑って答えていました。
あらゆる手を尽くして、強行出場を敢行したのだという。勝利の美酒に酔う今は「痛くない」かも知れないが、こうした怪我は今後の養生が肝心だ。ともかくも、十分に休養を取って、治療に専念して欲しい。
さて、この
強行出場で栄誉ある優勝
なのだが、
もし、手放しで賛美する大人
がいたとしたら、警戒しなくてはいけない。あなたの上司、恋人がそうだったら、1度関係性を考え直した方がいいかもしれない。
プロである稀勢の里が強行出場を決めたその意志は、尊重しよう。
しかし、手放しで賛美する大人は、自分が怪我をしたわけではない。安全な場所から
感動した
さすがだ
などと言っているだけだ。そうした大人の中には、若者や家族に
結果の如何を問わず、無制限の自己犠牲を強いる
のを、不思議と思わない傾向をもつ人々がいる。そうした人には、
お前も、稀勢の里のように働け、オレに奉仕しろ
という気持ちがどこかに潜んでいる。
新横綱の優勝は記録にも記憶にも残るが、
誰かのために無制限の奉仕
をしても、自分の身を磨り減らすばかりだ。
高校の頃、担任であった田中登先生の口癖に
努力は無限だが、体力は有限だ
というのがあった。高校生くらいだと、
体力は無限だ
という幻想がある。自分は何でも出来ると思い込み、
実現不可能な目標に盲進
して、結局
何も出来ずに終わる
こともあるだろう。それがもし進路だったら、一生を棒に振ることさえある。例えば、
東大・京大に行きたい、医学部に行きたい
というのは勝手だが、いくら努力しても、合格点に達しなければ、進学は出来ない。
達成できない目標に対して無駄な努力をする
のでは、若者の貴重な時間を浪費することになってしまう。それを戒めた言葉だ。
稀勢の里の優勝を、安楽な場所から手放しで褒め称える大人は危ない。
他人の無限の努力を搾取
しようとしている恐れがあるからだ。
無謀に見える稀勢の里の強行出場だって
負傷の手当をしてくれた人達がいた
から出来たことだ。
全くのバックアップ態勢なしに、他人に無限の努力だけを求める大人
には、近づかないのが賢明だ。
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