銀座きしやの畳紙
その昔、まだ祖母も叔母も元気だった頃、和箪笥にはたくさんの着物が入っていた。
祖母は、
値段を見ないで物を買う
という恐ろしい習慣のある人で、娘である叔母の着物を誂える時は、反物を肩に当てさせて、いいと思ったら、それに決めていた。
その頃の呉服屋の商売のやり方は
いいものを先に見せる
のが鉄則である。お客の懐具合を心積もりして
お客の予算を勘案した品物で一番いいもの
を、最初に見せる。呉服屋としても
長い付き合い
なのだから
顧客を毟り取るようなマネ
はしない。ただ、
一番いい物
は、大抵
予算よりちょっと上
なので、普通は
その次以降に見せられる「もう少しお手頃な品」
に行きついて
ああ、最初のがいいのだけど、ちょっと予算的にしんどいな
と思うことになるのだが、祖母は
いい
と思ったら、それでもう面倒なことは言わなかった。だから、どこに行っても
いい奥様
で通っていたし、決断が速いので買い物に時間は掛からなかった。ほとんど着物で通した人で、贔屓の呉服屋や小間物屋、履物屋も好みを心得ていた。前もって
明日何時に伺います
と電話を入れておくと、お店の方も、祖母の好みに合って、似合いそうな品を準備して待っている。
叔母の着物はそう簡単ではなかったが、お店が苦心して選んだ品を当てさせ、ちょっと鋭い眼差しで一瞥して、
これがいい。これにするわ。
と一転にこにこしている祖母の顔が今も思い出される。
和箪笥は
美しい着物
を見られる、たのしい魔法の筺のようなものなのだが、問題は
うっかりすると仕舞う時に畳紙の紐がはみ出てくる
点である。祖母や叔母が留守の間に、こっそり抽斗を開けて
わあ、このお着物綺麗!
なんて眺めて、弟と遊んでいたのだが、畳紙の紐がはみ出たままになってしまっていて、帰ってきた叔母に
またあんたたち、抽斗開けたの。ちゃんと仕舞いなさい!
と怒られる羽目になる。
そもそも
叔母や祖母の着物
は、その当時、札幌の三条会館にあった
銀座きしや
で誂えた物が多かった。ご存知の方はお分かりになるだろうけれども
銀座きしやの畳紙の紐
は
薄茶色の紙縒り紐
である。細く固い紙縒りの紐は、ともかく扱いが面倒で、抽斗の端からぴんぴんはみ出てくる。
叔母も子どもの頃は、和箪笥の抽斗からはみ出してくる畳紙の紐に悩まされたようなのだが、その当時は
とっても怖かった祖母
が、はみ出ている畳紙の紐を見て
亡くなったおかあさまはこういうのを大層嫌ってましたよ
と言ったもので、それ以来
畳紙の紐はきちんと仕舞う
ようになったそうだ。叔母はよく出来た人だったので、一度言われたことは二度注意されることはなかった。しかも曾祖母、祖母と二代続けて女系の我が家で
亡くなったおかあさま
は、
一番の権威
である。祖母が19歳の時に亡くなっているので
誰も生きている曾祖母に会ったことはない
のだが、祖母が
亡くなったおかあさま
というと、みんな黙った。後年、リビングのピアノの上に
帳場に座ったちょっとおたふく顔のおかみさんの博多人形
が置いてあったけれども、その人形の顔だちが
亡くなったおかあさまによく似ている
というので、祖母が気に入ってそこに置いたのだった。
この曾祖母に比べると、祖母もわたしもおっちょこちょいが過ぎるのだが、叔母はその点、曾祖母の美点を受け継いだようで、無作法なことはしなかった。どちらも隔世遺伝がなせるわざかも知れない。
ところで、バブル経済が破綻した後、呉服業界では倒産が相次ぐ時代がやってきた。
銀座きしやもその難を免れなかった。
2004年、銀座きしやは倒産、その後を山野愛子で知られる現在のヤマノホールディングスが譲り受けた。
だから、いまも「銀座きしや」の看板は上がっているが、それは以前のきしやとは別なものだ。
先日、ヤフオクを眺めていたら
銀座きしやの畳紙
に入った
シミだらけの夏帯
が出ていた。珍しい織り方の帯だったのと、きしやの畳紙の帯に
500円
という悲しい値段が付いていたので、手に入れた。果たして、その帯自体がほんとうに銀座きしやの品物だったかどうかは分からないが、ちょっと野趣のある変わった帯である。手入れをしようかどうか、でもこれだと手入れをしても大した甲斐はないかもと悩んだまま、夏が盛りになってしまった。
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コメント
きしやのたとう紙に500円払ったと思えばいいのではないでしょうか?懐かしい時代のお話ありがとうございます。
投稿: ますいかい | 2017-08-01 09:50