ドイツのパンは美味しい(その4)ドイツでは富は歴史と文化に奉仕する
今回、学会が開かれたのは、通称
キール大学
と呼ばれる
CAU(Christian-Albrechts-Universität zu Kiel)
で、
クリスティアン・アルブレヒト大学キール
という校名が示すとおり、
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公のクリスティアン・アルブレヒトが開いた大学
である。
創立は1665年。日本は寛文五年。四代将軍家綱の治世にあたる。アイザック・ニュートンが万有引力を発見し、フェルマーが死んだ年でもある。
戦前はナチスドイツにいち早く協力、1933年には強制的同一化政策に従い、多くの学生や教員が大学を逐われた。
戦前には5人、戦後には7人のノーベル賞受賞者を輩出している。
日本史と密接に関係のある人物では、リヒャルト・ゾルゲが卒業生である。
ノーベル賞受賞者の数だけでいえば、日本に、キール大学に匹敵する大学は存在しない。
しかも、このキールは、大都市ではなく、人口わずか24万人の港湾都市なのである。
これまで、最も人口が多くなった時期でも30万人を少し超える程度だった。
フィヨルドの南端に位置するキールは、天然の良港を擁し、バルト海の要衝である。キールと北欧を結ぶ大きな定期便のフェリーが港に姿を見せていた。
北ドイツ
というよりも
北欧への入口
という趣が深い。
近代において、キールは
軍港
として発展した。第一次大戦、第二次大戦、いずれでもキール港は重要な役割を果たした。そのため、第二次世界大戦の後半には、徹底的な爆撃によって旧市街地は瓦礫と化した。
ドイツの街では、よく
ドレスデンの復興
が知られているが、ここキールも同様に破壊され尽くした旧市街地を、戦後、瓦礫から復興したのである。知らないで通ると
古い建物の建ち並ぶ旧市街地
が拡がっているが、これらはいずれも復元・再興された建物なのだ。
当然ながら、
キール大学も大きな被害
を受けた。
しかし、いま、キール大学の古いキャンパス周辺には
元々あった大学附属の博物館
が建ち並んでいる。もちろん、これらも戦後再び作り直されたものだ。今回は
Medizin- und Pharmaziehistorische Sammlung(キール大学附属医薬史博物館 Brunswiker Str. 2, 24105 Kiel, Deutschland )
Zoologisches Museum der CAU(キール大学附属動物学博物館 Hegewischstraße 3, 24105 Kiel, Deutschland )
Kunsthalle zu Kiel(Düsternbrooker Weg 1, 24105 Kiel, Deutschland. 古代美術博物館を併設)
Botanischer Garten Botanischer Garten Kiel der Christian-Albrechts-Universität zu Kiel(キール大学附属植物園 1665年の大学創立当時から計画される。現在は移転し規模を拡大)
を参観した。そこで痛切に感じたのは
文化に対する投資の厚さ
である。
たとえば、植物園。自慢の温室はいくつかに区画され、それぞれの部屋は、温度と湿度とが厳密に管理され、植生にあった環境が再現されている。温室は維持管理に金の掛かる施設だが、それだけでなく、コレクションも充実している。
俗に
100年に1度だけ花が咲く
といわれてるアガベ。もちろん100年よりは短い期間で咲くのだが、花が咲くと本体は枯れてしまう。上の茶色いぽよぽよしたものが花。なんという幸運。
キール大学附属植物園の誇る多肉植物コレクションの1部。デカいサボテン。
これも多肉植物。多肉植物マニアが迷い込んだら、喜びの余り死ぬんじゃないかと思うような充実したコレクションが展開されている。
オオオニバスと人の背丈より高い蓮。東大寺の大仏さんの前に金色の蓮が飾ってあるが、大きさは似たようなモノ。花が咲いた姿を是非見たかった。
温室内では、鳥や亀なども飼育されていた。
もちろん、温室外にも植物園は拡がっている。世界中から集められた植物が、大陸ごとに分けて植えられている。高山植物(北ドイツなら余裕で低地で高山植物が栽培できる。北海道でも可能)の庭もあれば、水生植物の庭、木本の庭などが展開されている。植物園全体に一体いくら掛けているんだろう!!!
植物園だけではない。
古代美術博物館は、
かつて、古典研究のために19世紀に発掘したギリシャ・ローマの彫刻や壺
が並んでいるのだが
一部は石膏のレプリカ
に代わっている。恐らくは
第二次世界大戦の後半の爆撃
によってオリジナルが粉砕されたために、こうしたレプリカが元のように置かれているのだろう。たとえレプリカだったとしても、一見して
ギリシャ・ローマの彫刻や壷絵の変遷を理解出来る展示
であり、キュレーターの腕が冴え渡る。
しかも、これらの展示物は
キール大学の古典研究室が自前で発掘したもの
のようだ。
ギリシア・ローマの発掘
って、それだけでも物凄く資金が必要なんだけれども、一体戦前のキール大学はどれほどこうした発掘を援助したのだろう。そして、これら考古学的成果は、単なる美術史的遺物なのではなく
ギリシャ・ローマ研究
に用いられたのである。
後で詳しく書くけれども
動物学博物館
は
子どもを連れて行くと、たぶん動物学の虜になる展示
が犇めいていた。
歴史と文化を守るために、潤沢な予算が与えられている。
それがキール大学附属施設を見た感想である。
富は文化と歴史に奉仕する。
日本では
文化や歴史は「富のアクセサリー扱い」
だが、ドイツでは
文化や歴史の方が富より遥かに重要
なのだ。
そして、キール大学は、単に博物館が充実しているだけではない。先端的な研究も盛んに行われている。
人文系が消滅の危機にある日本と、歴史と文化を瓦礫から再興して維持するドイツ、かつて
東西の経済大国
と謳われた2つの国は、21世紀になって、かくも大きな格差を見せている。
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