京都大学 バリアフリーシンポジウム2017@9/9-10
この週末、京都大学で
バリアフリーシンポジウム2017
が開かれた。
会場 京都大学 吉田キャンパス 北部構内 理学研究科6号館4階401号室
「創って、操って、奏でる「理のバリアフリー」
9月9日 土 13:00~17:00
※17:30 より情報交換会
9月10日 日 10:00~15:15
障害者差別解消法の施行により、各方面で「合理的配慮」が模索されて います。大学における障害学生支援の分野ではハード面、ソフト面の対応 が充実し、障害の有無に関係なく、「ともに学ぶ」インクルーシブな教育環 境が整備されてきました。 しかし、そもそも「合理的」とは何でしょうか。世間一般の“理”とは、健常者、 マジョリティによって創出されたものです。障害者、マイノリティはさまざま な場面で、否応なくこの “理” に合わせることが求められます。「合理的配慮」 が、“理” に合う/合わないという以前に、「合わせる」ことを一方的に強 いるなら、差別解消は絵に描いた餅で終わってしまうでしょう。
既存の “理” を疑い、頭だけではなく、身体を動かして、真理を探究す るのが京都大学の伝統です。本シンポジウムでは、「創る理」「操る理」「奏 でる理」の三部構成で、「理のバリアフリー」を具体化する方途を示します。 三つのセッションを通じて、真理に立脚する「合理的配慮」の指針を提示 できれば幸いです。
都合で、後半の9/10のみ参加した。9/10は
第二部:「理を操る」
全国には「障害」と日々向き合いながら、学問の道を模索 している若手研究者が多数存在します。健常者によって組み 立てられた “理” の中で、彼らが一定の成果を上げるためには、 人一倍の努力と工夫が必要なのは間違いないでしょう。同じ 研究をするに当たって、障害者は健常者以上の時間と労力が かかるのは厳然たる事実です。障害者はこの時間と労力を媒 介として、オリジナルの研究手法、「理を操る」術を磨いてい ます。既存の “理” を批判・超克する強さは、「障害」がある からこそ獲得できるのかもしれません。大学での学問研究にお いて、「障害」を取り除くためには公的支援、人的サポートも 重要でしょう。創理から操理へ、そして操理から創理へ。障 害学生支援の現場では、創理と操理の往還が間断なく繰り返 されているのです。第二部では障害当事者の若手研究者4名 に登壇していただきます。
コーディネーター:村田 淳(京都大学 学生総合支援センター 准教授)
発表者:木下 知威、後藤 睦、安井 絢子、ライラ・カセム
コメンテーター:熊谷 晋一郎(東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)
と
第三部:「理を奏でる」
創理と操理の反復により鍛えられた研究者は、さらに先に 進み、「理を奏でる」境地に至ります。これまでの学問体系に 対する異議申し立てをし、新たな “理” を打ち出した後には、 その新理に基づく社会を構築しなければなりません。第三部 では、研究と社会を架橋する多彩なワークショップの実践事 例などを紹介します。「大学が社会を変える」のスローガンの 下、第一部、第二部の議論を整理し、広い視野から「障害」 の意味を再検討するのが第三部の目標です。“理” を楽器に例 えるなら、楽器を創る人(制作者)、操る人(各楽器のプレー ヤー)、奏でる人(オーケストラ)がいます。オーケストラの 名演奏は楽器制作者の技術、複数のプレーヤーの実力に支え られているのは疑いないでしょう。三者の協働により「理のバ リアフリー」が達成されることを最後に確認します。
パネリスト:磯部 洋明(京都大学 大学院総合生存学館 准教授) 岩隈 美穂(京都大学 大学院医学研究科 准教授)
塩瀬 隆之(京都大学 総合博物館 准教授)
の2つのセッションがあり、第二部は
障碍を持つ若手研究者4名が現状について発表
し、その内容に対し
当事者研究
で名を馳せる東大の熊谷晋一郎准教授(CPで東大医学部を卒業、12年間小児科医として勤務、現在は東大先端研)がコメントを述べた。
第三部は、自らも車いすユーザの京大医学部の岩隈美穂准教授が障碍に関するお題を
ほぼ無茶振りの形
で出して、磯部洋明と塩瀬隆之准教授が
大喜利さながらに答える
という、スリリングな展開だった。
若手研究者4名は
聴覚障碍2名 視覚障碍1名 車いすユーザ1名
といった布陣。実は
聴覚障害者は「見えない障碍者」
になりがちで、自ら申し出ない限り
聞こえていない
ことを理解して貰えない。自分の発表に手話通訳者を付けるのはもちろん、他人の話を聞くのにも手話通訳者は必要だが、
手話通訳者の雇用の問題
がある。
学問的内容を通訳できる手話通訳者
というのは限られており、
東京
ならともかく、地方では、なかなか人材が見つからない。こうした状況で
聴覚障碍のある研究者はどう今後の生活を見通していくか
ということなのだけれども、結構大変なことになるのは予想できる。まず
聴覚障碍者を雇用する機関があるか
という問題が1つ。阪大には聴覚障碍のある教員がいるので、それが全学のモデルになるようなのだが、
初めて聴覚障害者に接する機関
だと、行きとどいた対応が出来るかどうかは難しい。
以前、札幌でDPI(障害者インターナショナル)の世界大会が開かれた時も問題になったのだが
聴覚障碍者が共に議論に参加する場を設ける
ことは、時に看過される。今回のシンポでは
・発言内容を字幕にする
・手話通訳
の両方の手段で、聴覚障碍のある参加者も、発表内容を知ることが出来た。これはかなり丁寧な対応で、
研究者が参加する一般の学会や職場の会議
では、到底望めない。そうすると、聴覚障碍のある研究者は、仕事でも研究活動でも支障が出てしまう、ということになる。
もう一つ、こうした障碍関連シンポで置き去りにされるのが
弱視者
だ。
今回は、事前に
電子テクストでの資料配付
をお願いしておいたので、シンポの1週間前までに事務局に届いた分は手元のMacBook Airで拡大して見ることが出来た。
それと、当日確認したところ、京大内の無線LANが利用できなかったので、MacBook Airとルータ代わりに使うiPhoneに
電源
を用意して頂いた。
車いすユーザの通行に支障のないように、養生のテープを貼ってケーブルを差し回してくれた。
何らかの配慮が必要な参加者のためには、そのために席を用意してあった。
今回は、京都大学 学生総合支援センター 障害学生支援ルームの村田淳准教授とスタッフの学生諸君がフルに活躍、障碍のある参加者が困らないよう、濃やかな配慮をして下さった。改めて感謝したい。
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