Nスペ 総書記 遺(のこ)された声 日中国交 45年目の秘史@9/23 21:00-21:50(再放送は2017年9月28日(木)午前1時00分~1時49分=27日深夜)
1989年4月15日、「百花斉放・百家争鳴」路線を掲げた結果、中国共産党の「中共八大元老」ら保守派の巻き返しによって失脚した胡耀邦元総書記が亡くなった。これが天安門事件の起きるきっかけとなる。胡耀邦元総書記の掲げた「百花斉放・百家争鳴」のスローガンを掲げ、自由を求める民主化推進派の学生達を中心とするグループが、連日北京市内で民主化を求める集会を開く。この民主化を求める潮流は、一党独裁の中国共産党の存在意義を脅かすものであり、遂に首都北京に軍隊を投入、中国共産党による公の場での人民弾圧、6月4日の「(第二次)天安門事件」に至る。虐殺された犠牲者の遺体を引き取りに行くと逮捕されるために、家族や知人は、現場にも病院にも近づくことが出来なかったと伝えられている。
投入された人民解放軍には少なからぬ少数民族も含まれていた。北京語を理解出来ない少数民族を投入することで、効果的に戦略を進めようとしたのであろう。まだ事が起こっていなかった時、中央民族学院の少数民族の教員や学生が、北京市内に駐留している少数民族の兵士達への通訳を買って出て、侵攻を食い止めようとしたが、その努力は水泡に帰した。市民虐殺に手を貸した1人が、「中共八大元老」の1人でもある四川の楊尚昆で、その手兵と称された27軍が天安門事件の虐殺を行った軍隊の1つと言われている。
『白い巨塔』や『大地の子』で知られる山崎豊子は胡耀邦総書記在任時に3年に渡り、複数回、異例の長時間インタビューを許され、しかも録音も残すことが出来た。
山崎豊子の残したカセットテープを発掘、その中から、日中関係に関する重要な発言をピックアップした番組がこのNスペである。
80年代当時は、日本の首相と中国の総書記とは、何かあったらすぐに話せる関係だった。日本の援助によって、いまの中国の発展の基礎が築かれていたその時期だ。圧倒的な経済的な格差が、こうしたことを可能にしていた。中曽根康弘元首相の靖国参拝直後に、中国との調整が図られたこともその1つだ。(翌年は参拝していない)歴史教科書の記述についても、速やかに調整が図られた。
胡耀邦総書記が長老派に断罪されて「下台」した時に挙げられた「罪科」の1つが「日本の青少年3000人を中国に招待した」だった。菅直人もその時訪中した1人である。
「日中関係をこれからの若者に委ねて、更に発展させたい」
という胡耀邦総書記の意向は、中国共産党の保守派にとっては、歓迎すべきものではなかった。この胡耀邦総書記の3000人招待時に総書記の傍で日本語通訳をしていたのが唐家璇(のちの外交部部長)。今回のNHKの番組では「胡耀邦に関することなら」と異例と言っていいほど大物達が取材に応じているのだが、唐家璇元国務委員もその1人。唐家璇は、「天安門事件が日中関係を決定的に変えた」と発言している。
なお、番組内では胡耀邦の「愛国主義が「誤国主義(自国の利益のみを追求し、他国を顧みない偏狭な愛国主義)」になってはいけない」という発言を繰り返し使用している。
すでに経済規模で中国に抜かれ、科学技術や教育水準でも後塵を拝しつつある日本と、「核心」習近平国家主席の中国が、かつて胡耀邦総書記の中国が目指していた日中関係に戻ることはないだろう。
しかし、今回のこのNスペ、中国では当然配信厳禁なのだろうな……。
中曽根元首相は、胡耀邦総書記の墓参を中国に打診したが一度も許されておらず、10年前に、供養のために90本の桜を贈り、墓の周りに植えて貰った。今回、胡耀邦の息子が来日して、中曽根元首相を訪問、墓に咲く桜の様子などを見せていた。不名誉な状況で亡くなった胡耀邦の子息もまた、父の名を大声では語れない日々が続いているという。
おまけ。
中共八大元老(第二次天安門事件当時)彼らの子女が所謂「太子党」で多くは巨万の富を築いている。
・鄧小平
・陳雲(息子陳元は現在中国人民政治協商会議(政協)全国委員会副主席)
・彭真(長女傅彦は現在北京富利公司代表取締役)
・薄一波(次男が失脚した元重慶市党委書記の薄熙来)
・楊尚昆
・李先念(娘の李小林は中国人民対外友好協会会長)
・鄧穎超(周恩来首相の妻)
・王震(息子の王軍はCITIC(中信集団)の元会長。中国にゴルフを広めた貢献者の1人)
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