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2017-12-12

アジ歴エラいっ! 地名・人名・出来事事典公開&事典データダウンロード

アジ歴、エラいぞ!!!!


アジ歴地名・人名・出来事事典
アジ歴のデータベースでキーワード検索をしてみたけれど、見たい資料がヒットしない...。
そんな経験はありませんか?
アジ歴が公開している資料は作成当時のままの文書なので、正しく検索するためには当時の用語で検索する必要があります。
そこで、探したい資料を検索するためのキーワードを選択できるコンテンツを作成しました。
「アジ歴地名・人名・出来事事典」を使って、あなたの見たい資料を探してみましょう!
(キーワードとなる基本語は、今後も随時追加していきます。)

というわけで、上記リンク先の3つある検索ボタン
Aji
から、探したい種別を選んで検索!というシステムだ。
そして、
 超エラい
のは、この検索ボタンの下の

全ての事典データ(Excelファイル)をダウンロードできます。

と書かれたダウンロード用ボタンがあることだ。
 Interactiveなネット利用
の真髄じゃないか!!!!

もし、現在の事典で足りないようなら、アジ歴にrequestも出せるだろう。それ以外にも、さまざまな使い道がありそうだ。

アジ歴、素敵なクリスマスプレゼントをありがとう!!!!

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すべての犬好きの人達へ

パグ漫画「めー語」の作者、@menglish222さんの動画。


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2017-12-11

アナザーストーリーズ 運命の分岐点「浅田真央 伝説のソチ五輪」(再)@BSプレミアム 12/11 18:00-19:00→タラソワの怒り「真央が金メダルを取れなかったのは悲劇。バンクーバー五輪で金メダルを取れなかったのは前日に散々練習を取材し、真央を休ませなかったTVクルーのせい」

気づくのが遅れて、15分過ぎたところで見始めたのだが、
 パート1 プルシェンコへのインタビュー
 パート2 ソチ五輪フィギュア女子金メダルのソトニコワへのインタビュー
 パート3 コーチにして振付師のタチアナ・タラソワへのインタビュー
の3部構成。何が凄いって
 ソトニコワとタラソワへのインタビュー内容がきっちり取れている
ところだ。


12月11日(月) 午後6時00分 アナザーストーリーズ 運命の分岐点「浅田真央 伝説のソチ五輪」
浅田真央が生涯最高得点を出した、ソチ五輪フリー。滑走終了とともに涙したその演技は、浅田自身最も強く記憶しているという。ショートプログラムの失敗からなぜ1日で立ち直ることが出来たのか?3年経った今も語り継がれる伝説の4分間。

今年引退したフィギュアスケート浅田真央が最も深く記憶に残った演技と語るソチ五輪フリー。あの伝説の演技の知られざる舞台裏!銀メダルに終わったバンクーバー五輪から4年、リベンジを誓ったソチ。だが初日のSPに失敗、16位と出遅れる。誰もが諦めた中、翌日のフリーで生涯最高得点をたたき出せたのはなぜだったのか?日本中が泣いた奇跡の演技の知られざるエピソードをあの皇帝プルシェンコらロシアの名選手たちが証言。(以下略)

ロシアが誇る
 ヘンタイにして天才のプルシェンコ
だけれども、フィギュアスケートの世界では
 並外れた才能を持つ選手同士が互いをリスペクトする文化
が存在する。男子ではプルシェンコがダントツで、羽生結弦選手の
 憧れの選手
であり、羽生選手はジュニア時代からしばらく
 プルシェンコの髪形を真似て、マッシュルームカット
にしていたのは有名だけれども、そのプルシェンコが浅田真央をリスペクトしている。
何故かと言えば
 男子は4回転ジャンプに挑まなくても金メダルを取れちゃったバンクーバー五輪という黒歴史
が背後にある。あのとき
 プルシェンコは満身創痍ながら、4回転ジャンプを跳び、浅田真央は、女子にそんなジャンプは不要と散々ISUやスケ連に「意地悪」されつつ、3Aを跳んだ
のである。
その後の競技の流れは
 男子は4回転ジャンプ必須
 女子は3-3のコンビネーションジャンプ必須
という
 技術重視の方向、しかし女子の3Aは相変わらずキビシイ採点
へ向かった。今現在は
 あまりにもジャンプ偏重
となって
 プルシェンコや浅田真央が磨いた「美しく滑る技術」はなおざりにされている
というのが、私の見るところだ。
 高度なジャンプと確かなスケーティング技術

 プルシェンコや浅田真央のフィギュアスケート
だった。それをこの番組は再確認させてくれた。

ソトニコワは、
 真央の御蔭で、要らぬプレッシャーから解放され、ソチ五輪に出られ、優勝もできた
と語った。ソチ五輪シーズンのGPシリーズ初戦の
 ロシア杯
で、優勝したのは浅田真央。ジャンプが得意だが、情感という点ではまだ及ばなかった若かったソトニコワは、それからすっかり萎縮してしまった。
 真央、コストナー、「見せられる選手」に負けるのでは
という思いが頭を離れず、スランプに陥り、熱狂する地元の応援を負担に感じて
 いっそスケートを辞めようか
とまで思い詰めたという。その時、彼女を救ったのは
 一緒にアイスショーに出て欲しい
という浅田真央からの申し出だった。名選手達が氷上で舞うそのアイスショーで、ソトニコワは自信を取り戻し、地元五輪で金メダルを獲得した。
ソチ五輪のエキシビションで、浅田真央と一緒になったソトニコワは、真央に抱きつき、
 私は勝ったけれども、あなたをリスペクトしている
と告げたという。それほど、浅田真央の
 ソチ五輪フリー「ラフマニノフのピアノ協奏曲2番」の演技
は、ソトニコワの魂を芯から揺さぶった。
寒冷地の人の常、表面的には
 クールに見える北国の人達

 魂はいつも熱い
のだ。

タチアナ・タラソワへのインタビューには更に度肝を抜かれた。

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2017-12-10

機械学習で描かせたASCIIアートが凄い件

現在、学会で渡米中という、佐藤大哲さんがtwitterで
 会場で見かけたポスターを紹介
されているのだが、内容は
 機械学習でASCIIアートを描かせてみる
というもの。
まずはその成果をご覧あれ。



こちらがポスターの全体像。


う〜ん、その昔
 コンピュータアート
というと
 人間がASCII文字を並べて「画像」を作る
どう考えても、人間にやらせるのは
 難儀なもの
だったのだが、機械学習って、こういうの得意そうだよね。

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茶道やろうぜ! 今中国で茶人はとっても尊敬されるらしいぞ@twitter

中国から茶が日本に齎され、遣唐使の廃止で一端は衰えた後、宋の禅寺の喫茶が栄西禅師によって日本に伝えられた以降、日中の文化を融合した、独自の喫茶のやり方が発達して行く。
やがて、それは現在の
 茶道
に繋がっていくのだが、21世紀、平成末年の今、
 華道も茶道も、新たに習う若い世代が減っている
のは確か。

ところで、現在
 中国では日本の「茶道」がよく知られており、茶人となれば、一目置かれる
そうで。
こちらは、中国留学の前に
 茶道を身につけた
という「黒色中国」さんのblogの11/24付記事
【中国人へのお土産】「日本茶道スターターキット」とは?
だ。
このblog記事への読者へ、twitterで黒色中国さんが、更に詳しいコメントをつけておられる。






おお、小習で尊敬して貰えるのかっ。
それなら
 お教室に通ってお免状を取るしても、そんなに経費は掛からない
ぞ。

結婚前に、それまで取ってなかった裏千家のお免状を纏めて出して貰わざるを得なかった叔母(真面目にお稽古しすぎて、奥の許しの手前まで行ってしまい、その後、付くことのできる先生がいなくて苦労していた)が
 小習
を終えておけば、
 お茶は大丈夫
だと、太鼓判を押していたから、
 黒色中国さんは立派な茶人
だ。

なお、
 お茶道具は、この5年ほどヤフオクで投げ売り状態
で、
 一応のお茶道具一揃いは、炉縁や釜、屏風も含めて安価に揃えられる状況
なので、
 これからお茶を始めるのなら、チャンス
かも。
オークションがお嫌いな先生もいらっしゃるので、その場合は
 親戚から道具を譲って貰いました
等と言っておきましょうね。
お茶席で着る和服も投げ売り状態。

なお
 1度でも手を通した和服

 並のものなら1枚1円
にしかならないとか。
お茶席で着るようなものは、わざわざ誂えたとしても、このクラスになってしまう。

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2017-12-05

羅繼祖「跋新修本草」

今となっては、最善本ではないので、再び刊行されることはないだろうけれども、1985年に上海古籍出版社から景印出版された
 森立之手鈔『新修本草』
には、この本を中国に持ち帰った
 羅振玉
の孫である
 羅繼祖の跋
がついている。当時としては丁寧な出版で、平装版だけど、景印は美しいし、朱書や朱印はちゃんと朱で印刷されている。
何故、羅振玉が森立之の手鈔本を持ち帰り、孫の繼祖が跋を書くことになったかは、本文を読むと分かるのだけど、現在はあまり注意されていない文章のように思うので、ここに転写する。
文字の誤りがあるかも知れないので、その点はご寛恕下さい。



《新修本草》影鈔本十卷(十冊) 先祖羅振玉於光緒辛丑(一九〇一)奉兩江、湖廣兩督赴日本視察教育時,得之於東京書肆。每卷後有森氏手跋。越七年,又由先祖題識於卷端。先祖比次去日,買到許多醫書。其中影寫和舊鈔,大都為森氏開萬冊府藏本,有些還有森氏題識。先祖對這些書都曾一一作跋。
 先祖見背,楹書零落,即《大雲書庫藏書題識》所著錄的也已多數易主。惟此《新修本草》殘本和明正統陝西官本《玉機微義》(亦爲森氏舊藏),仍保存在我手裏。一九七九年夏,我讀了吳德鐸同志《從<新修本草>看中日兩國的學術交流》一文(《中華文史論叢》一九七九年第二期),其中說到:
 「在羅振玉所寫這篇書錄(按指書端題識)中,有一個非常重要、値得中日兩國本草學、科學史和版本書志學者注意的問題……日本學術界影印他們所存的天平寫本時,只找到六卷,其它四卷(卷十三、卷十四、卷十六及卷二十)連同小島父子補輯、仿寫的卷三均不知去向。値得重視的是,羅振玉所得的十卷,不僅有這四卷,並且都是據仁和寺本傳寫的,它們恰好正是仁和寺本所藏在日本己亡佚的部分。……」
 呉文還訂正了先祖在題識中把「六」寫成「八」的筆誤。
 這部書從光緖辛丑到現在,在我家整整八十年未見天日,現在經有關方面的努力,由上海古籍出版社影印出版,爲中日兩國的本草工作研究者提供實物資料,實在使我感到欣慰。正如吳文所說,《新修本草》能引起中日兩國學術界普遍的重視,是和日本幾位醫學名家多紀、小島、森、澁江等的辛勤勞動、努力鑽研分不開,而他們的這種精神也是値得兩國人民學習和欽敬的。至於森氏此本與他本的異同,以及吳文指出的各點,需要專家們去深入研究,恕我不在這裏再贅一辭了。我的跋文,也只想明一下這部書能保存在我家直到今天的經過。
 又,先祖《敦煌本本草集注序錄跋》(《永豐鄕人稿》乙下)裏提到藏有一部日本醫家森約之校輯的本草集注手稿。森氏此書曾由我在先祖去世後讓給了日本黑田源次博士,至今可能還藏於遼寧醫科大學圖書館。這是森氏的一家之學,如能就原稿整理印行,也是兩國醫學界的盛事,很希望它能夠實現。
羅繼祖 一九八〇年九月七日於長春吉林大學宿舎之後書鈔閣

1980年代前半というと
 日中友好
は日中両国のスローガンであり、中国は日本からの円借款などで、近代化を推し進めていた時期である。
こうした時期にこんな形で、森立之手鈔『新修本草』が出版されていたことは、覚えておきたい。

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