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2018-08-28

江戸城 夏の正装は「裸足」

 城中で座布団なんてものは使わない。
という話を読んだのは何でだったか。
江戸幕府は
 武家の政権
というわけで、幕末に掛けても
 割と真面目に武を押し出す傾向
がある。
『徳川制度史料』より。


四月朔日 御城揃 五ツ時
(略)
御城中ハ勿論老中方ヘ囘勤其外式立候ノ時共、今日ヨリ九月八日迄ハ足袋不用候事、但若シ痛ミ所等有之足袋ヲ不用シテ不叶候節ハ、前廉ニ届出候事 夏足袋願ハ三月末ニ月番迄指出セバ附札ニテ相濟ムナリ。
尤モ長袴着用ノ時ハ足袋勝手次第ナリ、足ノ見得ザルニ因ル故ナラン、

というわけで
 旧暦の四月一日から九月八日までは正装では「足袋は穿かない」
ことになっていた。もし
 足が痛いなどの不都合があって足袋を穿く必要があれば、事前に月番に届け出て許可をえなくてはいけい
のだった。
 夏期は足袋は穿かない
というのが、武士の嗜みのようだが、大体時代劇というと
 官僚は特に季節構わず足袋を穿く
のが通例。
しかし
 足が見えないからじゃないかな
というコメントと合わせて、
 長袴を着けている時は、足袋を穿いても構わない
というのが面白い。
長袴というのは、
 浅野内匠頭 殿中松の廊下で刃傷に及ぶ
シーンで、みんなが穿いている、あの裾のうんと長い、重い儀式用の袴だ。ま、たしかに
 足は見えない
よね。

おまけ。日テレニュース24に上がっていた
 アニメでみる“忠臣蔵” 2分でわかる物語
http://www.news24.jp/articles/2017/12/14/07380512.html
松の廊下のシーンも収められている。

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2018-08-26

時代劇で徳川将軍御前の臣下の所作がほとんど大嘘な件

国会図書館デジタル化資料エラい。

必要があって、江戸幕府関連のことを調べているのだが、『德川制度史料』をブラウズしていたら
 将軍御前に直々に召された時の臣下の所作
について、
 勝海舟が一肌脱いだ
という記述を見つけた。


將軍夫(ソレ)ヘトノ御言葉之事
御用有之御前ニ召サレタル者、御座之間ノ前ニ着座平伏スレバ、將軍夫(ソレ)ヘト御言葉アリ、近ク夫ヘ進ミ出デヨト、特ニ座ヲ賜フモノナリ、此時當人ハ、只ダ身ヲ起シ、匍匐膝行「進マントシテ能ハザル狀ヲ爲シ」、身體ヲ少シク左右ニ蠢動スルノミニテ、元ノ座ニ在リテ御用ヲ辨ズ、是レヲ御前ニ於ケル古來ノ習禮ト爲ス
 晩近勝安房守義邦(海舟)御前ニ召サレタル時、此ノ御言葉ヲ拜シ、乃チ起(タ)チテ進ミ出デントス、大目付御側用人等大ニ驚キ「シツ、シツ」ト之ヲ制止ス、御用了ツテ後チ安房ヲ別室ニ呼出シ其異例ヲ責ム、其意蓋シ安房ヲ謹愼ニ處スルニ在り、安房却テ反問シテ曰ク、御上ヨリ夫ヘトノ御言葉アリ、近ク進ミ出デ國家ノ御大事ヲ言上セントスルニ之ヲ制止セラル、理由如何
今、天下累卵ノ危難ニ際セリ、此時ニ當リ、舊習禮ヲ墨守ス、私ハ德川幕府ノ御爲ニ深ク之ヲ悲シムト、大目付却テ究ス、自是之後、此ノ匍匐蠢動ノ舊習禮廢セラル (織田[和泉守]重信氏談 當時大目付タリ)

何か特段臣下に尋ねたい儀がある、と言うとき、将軍が臣下を呼び出す。
時代劇等では、将軍から
 それへ
と言われたら、
 ははっ
とか答えて、まず顔を上げ
 近う
とか言われると、
 今ひとつ側によって言上
したりするわけだが、
 実は勝海舟のこの進言が通る以前なら大嘘
ってことだね。
実際には
 それへ
と言われたら、
 身体は起こすけれども、その場で左右に少し身体をもじもじとさせる位
で、
 その場でそのまま、お答え申し上げる
のが
 作法
だった。

勝海舟が呼び出された時期は幕末、幕府は傾き、もう失地回復は難しいところまで来ている。無作法を咎めようとした大目付達を、海舟が
 お召しにより御前に伺い、「それへ」という将軍の御言葉に従って、お近くに進み出て、国家の一大事について言上申し上げようとするのを、制止なさる理由をお聞かせ下さい。
 今は国家存亡の危機にあるのに、そんな古くさい習慣を墨守するとは悲しいことでございます。
と、一喝して沙汰止みになったのだ。
それより以前では、
 直接将軍の前に進み出て言上する
というのは許されない暴挙であったわけで、現実には起こりえなかった。
ところが時代劇では、
 正しい幕府に於ける礼儀作法通り
に演出すると、
 絵面としてはつまらない
から、
 史実とは全く違う極「フランク」な君臣関係
が出てきてしまう訳ですな。

で。内々に話をと呼び出されたそんなに身分の高くない臣下が
 お人払いを
というのも、実は
 家茂以降に行われた
というのが、その後の記事に見える。


御人拂之事
後、世局旣ニ改リ、家茂公ノ時ニ至リテハ、御前御人拂ニテ、唯一人將軍ニ相對シテ、機密事ヲ親シク言上スルコト行ハル、松平大隅守信敏ノ如キモ御人拂ヲ申立テ時ニ意見ヲ言上セシコトアリト云フ、
他、要路ノ人亦固ヨリ此事アリ、是レヲ召出シト云フ 松平信敏氏談

で、この「お人払い」をしなくてはいけない密議が「要路の人に行われた」場合は
 召出
といって、これまた別にやり方があった。それはその後の記事に見える。しんどくなったので、翻字省略。
ただ
 お人払い
と言っても、言上が済んだら、老中の部屋に寄って、
 ただいま次のような事を言上申し上げました
と、内容をかいつまんで報告する必要があった。

江戸城は
 人人人で手厚く管理されている場
だから、そうそう
 将軍と秘密の話をサシでする
なんてことは出来なかったし、それが出来るとしても
 身分の壁があった
わけですね。

ま、時代劇なんていうのは
 庶民の夢を実現する架空の場
だから、
 史実通りじゃなくても全くOK
ではあるのだけどね。
それに
 実際に江戸城に配置されていた人員を再現
すると
 必要になる出演者の数が膨大になる
ので、
 かなり省略して演出している
ってことですね。要するに
 江戸城の官僚機構は今から見るとアホらしいほど冗長かつ豪勢に人を使っていた
って話。到底
 予算の限られた撮影現場では再現しようがない
わけだ。

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2018-08-16

旧軍将官だって統帥(軍隊の統率と指揮)で「必要な条件を満たしてやらないで要求し、あるいは干渉するのは愚劣であって統帥ではない。」と認識

戦後日本は
 旧軍の理不尽な竹槍精神主義からは脱却
したと思っていたのだが、最近は、
 精神一到 何事か成らざらん
と、間違った方向の精神主義で
 国家の貧困を隠蔽する
のが流行している。たとえばこれだ。
船田元衆院議員の8/13付メールマガジン「サマータイム制度の導入について」より。


コンピュータなどの時間設定の変更は、律儀で真面目な国民ならば十分乗り切れるはずだ。

アホか、俺たちを殺す積りか、とIT業界からは怒号と悲鳴が上がっている。
 21世紀に竹槍でコンピュータの時間管理切り替えが出来ると思っている
のかと。

ところで、
 悲惨な敗戦を経験した旧軍の将官
は、
 実戦経験に鑑み、竹槍精神主義の愚劣さを指弾
している。
戦後台湾で「白団」の外籍教官として軍を指導した日本旧軍将官達は次のような報告をしている。


民国40(1951年 昭和26年)年6月20日
陸軍第32師民国40年度第1期教育全般的訓練経過の概況報告
陸軍第32師 外籍教官室
(略)
統帥の要訣部下に戦勝条件を付与すると共に、部下の職責・人格を尊重して不当な干渉をしないことである。必要な条件を満たしてやらないで要求し、あるいは干渉するのは愚劣であって統帥ではない
(以下略)

1951年からすでに半世紀以上を経過した今
 日本の指導者層は、旧軍将校の反省すら知らず、ひたすら統帥の名を借りた愚劣に走っている
ということだろう。

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2018-08-15

「哲史文」の素養亡き技術第一主義は国を滅ぼす 及川古志郎海軍大将の戦時下(昭和18年 1943年)における反省

最近
 哲史文といった人文系の教育には意味が無い
という議論があって
 大学を高等職業訓練校に変貌させる案
がじわじわ進んでいる。

ところで、日本が先の大戦で、敗色が濃くなっていた昭和18年のこと、
 哲史文亡き技術教育に邁進した陸海軍の軍人教育への反省
が海軍大学校で行われていた。
実松 譲『海軍を斬る』図書出版社 1982年2月25日より


 戦況が悪化の一途をたどりつつあった昭和十八年のある日のこと、場所は目黒の海軍大学校(いまの国立予防衛生研究所)の一室である。聞き手は京都帝国大学の高山岩男教授(哲学)、同席していたのは東大教授の矢部貞治であった。海軍大学校校長・及川古志郎は、しずかに語り出した。
「日本は、米英両国を敵にまわして戦っている。こうした事態になった理由はいろいろあるだろうが、その主因の1つは、わが陸海軍の軍人教育は、もっぱら戦闘技術の習練と研究だった
 つまり"戦争屋"つくりに専念したことである。かれは言葉をついだ。
「すべての軍人にとって大事なのは、政治と軍事との正しい関係とはどういうことなのか、ということである。こうした教育をかえりみなかったことが、いけなかった」
 及川によれば、それが政治と軍事との間に葛藤をきたし、ついに破綻をきたした。
この禍根をふかく掘りさげて究明し、文武の統合の道を樹立しないかぎり、日本は救われない

この時、海軍大学校に呼ばれていた高山岩男は、次のように述べる。


哲学と兵学
元京都帝国大学教授 高山岩男
 昭和30年の秋だったと思うが旧知の及川古志郎大将が拙宅を尋ねて参られ、旧陸海軍の中堅だった10名ほどが集まって岡村寧次大将宅で研究会をやっているので、月に1回くらいそこで哲学の話をしてくれぬかというお頼みであった。
 実は及川大将とは対米開戦間もなく、海軍大学校長のとき講演を頼まれ、その後彼が兵理学と称したものの研究に協力して以来、大将の悲願を私は知っていたのである。
 それは明治以後発足した陸海軍人育成の学校教育戦闘技術の研究錬磨に全力を注ぎ、将帥に不可欠の「軍事と政治の調和統合」という大事なものを疎かにして来たこの欠陥を修正するのでなければ日本は救われぬ。そのため戦争哲学というかその種の「兵理学」を根本から哲学的に検討し、これを建設したいと悲願を吐露され、協力をもとめられた。
 私は明治維新を担当した武士たちをたたき上げた経学・史学・文学の三位一体を大将は現代風に復活したいと願っていると解し、難問中の難問で力はないが、協力を約し、海軍大学校で研究を始めた。その後戦局も苛烈となり、未完のまま敗戦を迎えて、放棄されていたわけである。
(以下略)

「偕行」平成5年3月号 「白団」物語より。

高山岩男のいう
 経学・史学・文学の三位一体

 哲史文
である。
及川古志郎が
 文武の統合の道
と言ったとき、
 文
として念頭にあったのが、この
 哲史文
だ。

第二次世界大戦中の出来事を自分の都合のよいように勝手に
 美化・簡略化
し、こうした戦中・戦後の
 真摯な反省
を知らず、顧みず、再び
 戦闘技術の研究錬磨に全力
を注ぐのと同じ形態の教育に移行しようとしている政府は
 先の大戦で命を失った数多の犠牲者への敬意を欠いている
としか、いいようがない。

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2018-08-14

Apple 京都 8/25 10:00 オープン

Appleのサイトにアクセスしたら、こんな画面に。Kt
 Apple 京都
 8/25(土) 10:00 オープン
だって。
 やっとか
という気がしますが。まあ、これでかなり便利にはなる。


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2018-08-11

odessaさんが逝った夏

odessaさんこと後藤修一さんが亡くなって初めてのコミケC94。
追悼のために、odessaさんの遺影とodessaさんの愛娘「まりちゃん」が
 C94 2日目(土)西よ46b「すーぱーがーるカンパニー」
 3日目(日)東二18b「TADはるな総研」
にて、友人知人の皆様の御出をお待ちしています。


odessaさんへの追悼tweetまとめ。
追悼 後藤修一さん
https://togetter.com/li/1251311

訃報が伝えられたのは、odessaさんが熱心に参加されていたSF大会の日だった。


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【お詫び】不正なリダイレクトについて

先ほどまで、拙blogで不正なリダイレクトが行われておりました。
原因を発見し、対処致しました。

せっかくおいで頂いたみなさまにはご迷惑をおかけいたしました。
お詫び申し上げます。

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