今こそ杜甫を読もう
日本の隣国ロシアが、ウクライナに侵攻して2ヶ月が過ぎた。
コロナ禍も収まらない。
何か正しいこと、何か役に立つこと、何か誰かの力になれること、そうした
善いこと
をしようとしても、自分の力が及ばないかもしれない。
戦乱と混乱に身を翻弄された人物といえば
杜甫
だ。
世の役に立ちたい
と思い続けた男は、そのたび
時(時勢)
に裏切られ続けた。それでも、杜甫は
自分が授かった筆の力
を信じた。
住む場所を追われ、地位を失い、食べるものにも事欠くような日々。
いま起きているのとよく似た悲惨な状況のなかで、家族を守りながら、杜甫は詩を紡ぐ。
大学やメディアでは
コロナ禍下の新しい文学
とか、
メディアが激変した情報戦争の様相
とか、何か
わたしたちが今接している状況を「新しそうな看板を掛け替えること」で塗りつぶそう
とする人達がいる。広告屋と同じだ。
よく見直してほしい。歴史の中には、
今と同じような状況で悩み苦しみ、踏み潰され、あらがった人達
が大勢いる。
人間のすることは昔からそんなに変わらない。
大きな違いは
人間が簡単に大規模な「天災」を天の代わりに引き起こせるようになった、
ということだ。
災厄下、戦禍に対して人がどう振る舞えばいいのか
そのことは、これまで何千年も人間が対峙してきた課題だ。
杜甫の生涯もそうした時代だった。彼の詩の一文字一文字は
鳴くと血を吐くと伝えられる不如帰(ほととぎす)のその血の一滴
と同じだ。
杜甫を読もう。
わたしたちが必要としている標(しるべ)はごくごく近くにある。
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