ビアズリー展@三菱一号館美術館
陽気で桜が咲き始めたところで
三菱一号館美術館のビアズリー展
へ。
サロメの挿絵の部屋
は撮影自由。
解説によると、ビアズリーの再評価が始まったのは1966年だったそうで、わたしが初めてビアズリーの作品の写真を目にしたのは、1970年か1971年辺り。かなり早い時期に、日本にもビアズリー再評価の流れが来ていたようだ。
それはたしかサロメの挿絵で、激しい衝撃を受けたのを覚えている。まだ小学生だった。
今回原画を見て、その
原画の小ささ
にも改めて驚いた。小さな画面に繊細な筆致で描き込んでいく手法。
最晩年近くに画風が変化するが、その画風が新たな展開を見せる前に、肺結核が悪化して亡くなる。享年25歲。
夭逝する芸術家に共通の
死に向かって突然変化し、その展開を見せぬまま作品が遺される
受け手にとっては
永遠の中断
がもの哀しい。
なお、
1862年(文久2年!!!)の第二回パリ万国博覧会の「日本」の展示
が契機となり
イギリスでは「アングロ=ジャパニーズ様式」が流行
したそうで、その様式の家具は、ビアズリーの作品にも描き込まれている。
展示では、アングロ=ジャパニーズ様式を代表する
家具や食器等
がいくつか並んでいた。
第二回パリ万国博覧会に出展したのは
徳川幕府・薩摩藩・佐賀藩
というのが、幕末の情勢を反映している。
20世紀初頭を舞台とするイギリスのドラマの
小道具
として、浮世絵や屏風が出てくるのは、この辺りの流行が原因だろう。
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