2008-06-21

全盲のファッションデザイナーThanos Kyriakides

ブランドファッション通信経由。

元々全盲だったのではなく、途中で失明したファッションエディタが、個人ブランド
 Blind Adam
を立ち上げた。
http://www.thanoskyriakides.com/
一度、ご覧下さい。

視力を失ったからと言って、心に沸き上がるイメージも見えなくなるわけではない。それをファッションという形にして、Thanos Kyriakidesは、自分の才能を世に問うている。
全盲を言い訳にせず、ハンディを回避して、いかに自分の持っている才能を一番効果的に生かすかという実に難しい課題を、彼はやり遂げている。

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2008-05-25

大学の障碍学生支援@90年代以前

ネットサーフィンをしていたら、90年代まで大学は積極的に障碍学生支援を行ってこなかった、というような議論があることを知った。
少なくとも、京都大学ではそうではなかった。
遅くとも、70年代の終わりには、障碍学生受け入れのための全学的委員会があったと思われる。障碍学生の入学は、毎年、全学部にあるわけではないので、障碍学生の入学が決まった、あるいは入学してから学生に障碍があることがわかった場合、各学部の障碍学生関係の委員を務めている先生方が全学規模の会議を開いて、個々の学生を受け入れるための支援策を考えて下さっていた。
わたしがお世話になったのは、80年代に入ってからだが、教養の障碍学生受け入れ担当教官は、保健体育担当の、リハビリがご専門の一つだった熊本水頼先生だった。それまでにかなり障碍学生受け入れの実績があることを、熊本先生から伺った。文部省(当時)からは、各学部に、毎年度障碍学生のための経費が下りてくるのだが、それだけでは額が小さくてなにもできないので、全学でプールして、障碍学生が入学すると、その学部に重点的に配分するシステムだということだった。京大ではその当時は、2回生から学部配当授業があったので、同時に文学部に入った筋ジストロフィーのT君とわたしのために、文学部にエレベータが設置された。T君はその頃は体調が悪く、車椅子を使っていた。(T君は国史に行くと言ってたのだが、なぜか同じ印度学に進んだ。印度学の研究室は4階にあるので、エレベータは、実に役に立った。)
T君だけでなく、京大には、何年かに一度は、筋ジストロフィーの学生が入学してきていた。たぶん、今でもそうだろう。行動に制約のある学生のために、バリアフリーという言葉が一般化する前に、スロープやエレベータなどが準備された。筋ジストロフィーは、当時は、20代で亡くなる患者さんが少なくなかった。京大生にも、そういう悲しいことがあった。病状が悪化して、在学中に亡くなることもあったが、大学に通える限りは、大学側は勉学をサポートしていた。学ぶ意欲のある学生には、常に門戸を開き、出来るだけサポートする、というのが、当時の京大の全学的な姿勢だったと思う。
難聴の学生については、要約筆記をする学生をつけ、読唇術を利用する学生が入る場合には、教官(当時は教官)に
 口がはっきり見えるように授業をする
ように、教務から要請が来た。
弱視や全盲の学生については、それぞれ一番前の席を用意したり、学内に歩道をつくるなどの対策を取った。弱視の場合は、試験用紙を拡大してくれた。
学生の勉強にパソコンが必須になり始めた88年以降は、障碍学生が必要であることを申請すれば、パソコンを所属する研究室に貸与してくれた。
京大では、修士課程修了までは、サポート体制があった。
もっとも、博士課程以降は、自助努力になってしまったので、いま民博にいる廣瀬浩二郎さんは、大分苦労されてたのではないかと思う。廣瀬さんは全盲の研究者で、筑波大学付属高等盲学校という、
 高等盲学校中の超エリート校
で勉強して、京大に進学した。彼は荻窪から護国寺の高等盲まで1人で通っていたというお話を、母上から伺っている。凄い。
京大では、博士課程以上は、
 一人前の研究者
という扱いなので、いきなりサポートがなくなったのだった。
民博では、廣瀬さんを教員として受け入れてから、バリアフリーの度合いがぐんと進んだ、と聞いた。

80年代以前に大学に入学した障碍学生については、他大学では、同志社大学に全盲の英文学の研究者がいらっしゃった。同志社大学に入学したときから、サポートを受けておられたと思う。オプタコンで、英文のテクストを読んでおられたのを、ニュースで見掛けたことがある。

続き。
ところである公立大学で割と最近に起きた話を書いておく。
ある公立大学で、車椅子の学生が入学し、移動のために
 エレベータを設置して欲しい
という要望が本人からも、指導教官からも、所属する学部からも出た。その時、公立大学の事務職員(自治体から出向していると思われる)は
 どうせ4年経ったら、卒業するんでしょう? そんな学生のためにエレベータは必要ない
と言い切り、結局、その学生のためにエレベータは設置されなかった。
ところがそんなことがあってしばらくすると、今度は
 市民講座を開く棟にエレベータがいきなり設置
されたという。
 市民のためにエレベータを設置するのは有益だ
というのが、件の事務職員の見解で、自学の学生の福祉よりも、納税者の福祉を優先したわけである。要するに
 市民講座を受けに、○○○立大学に行ったが、教室に行くのにエレベータがない
と、自治体に投書されないように、先手を打ったと言うわけだ。障碍学生は1人しかいなかったが、市民講座にやってくる市民は100人単位だ。1人の声は自治体にはなかなか届かないが、100人の内、何人かが文句を言えば、当然その公立大学に
 なにやってるんだ
という叱咤が飛ぶ。
しかし、車椅子の学生が入学することは分かっていた訳なのだから、受け入れた以上、必要な設備を整えるのが、普通の大学である。組合の強い自治体職員の考えることは理解できない。普段組合活動で
 弱者救済
とか、スローガンを掲げている筈なんですがね。
 車椅子の学生は「救済すべき弱者」の数に入らない
らしいのだ。
世間では
 障碍者に優しい
と思われているある自治体の公立大学で実際に起きた出来事である。

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2008-05-15

高松塚古墳壁画見学会にはずれる

今日、高松塚古墳壁画見学会の当否を知らせるハガキが来た。
結果は落選。
どう考えても応募が殺到するのに
 先着順
ということだったからな〜。もし、先着順だったのなら、気がつくのが遅すぎたってことなんだろう。

次回公開がいつになるのか分からないけど、あと1年以内じゃないと、たぶんわたしの肉眼では見えなくなってしまう。薄暗いところでものを見る能力がこのところ急激に落ちている。
次回も、同じようなやり方で、見学者を選ぶのであれば、必ず見られるとは限らない。

ひょっとしたら、永遠に高松塚古墳壁画を肉眼で見られないかも知れない。視力の低下と、「当選待ち」の両天秤だから、難しい。
残念だ。

今回は、研究者対象の公開もないと聞いているし、古代史研究者で同じように落選しちゃったヒトはたくさんいるだろうな。
応募が殺到して、見学者募集は途中で打ち切られた。
iza!より。


高松塚壁画公開、応募殺到で締め切り
05/02 22:20更新

 奈良県明日香村の修復施設で31日~6月8日に一般公開される高松塚古墳の国宝壁画について、文化庁は2日、応募が殺到したため、当初予定の今月7日までの募集を急遽繰り上げ、2日で締め切ったと発表した。
 4500人の募集に対し、2日午前までに1万2350通の応募があったという。
 同庁は4月16日から募集を始め、往復はがきに2人まで応募できる方法で、希望日時に応じて先着順に受け付けた。
 しかし、担当事務局には同日から電話が殺到し、回線が少ないため電話が通じないこともしばしばあったという。
 同庁古墳壁画室は「予想以上に国民の関心が高い。年度内にも再び公開の機会を設けたい」としている。

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2008-05-01

目の悪い子どもは生まれてくるなと言うことか 「子どもが笑う」大阪の橋下徹知事、福祉切り捨ての実態 糖尿病などによる中途失明者や未熟児網膜症など視覚障碍のある乳幼児への援助など大幅切り捨て、削減

日本人の5.6人に1人は糖尿病予備軍だという。共同より。


糖尿病、成人5・6人に1人 国民健康・栄養調査

 国内の糖尿病患者と予備軍の総人数は2006年時点で約1870万人に上り、02年より250万人(15・4%)も増えたと推計されることが30日、厚生労働省の「2006年国民健康・栄養調査」で分かった。

 成人5・6人に1人となる計算で、年代別の人口に占める割合は、70歳以上が34・8%と最多。次いで60代の29・0%、50代23・0%、40代13・6%、30代4・1%、20代1・1%。

 増加原因について厚労省は「高齢化社会が急速に進んでいることが背景にあり、加えて国民の間で運動不足や高カロリーの食生活が広がっていることが大きな要因」(生活習慣病対策室)と分析している。

 調査は全国の約3600世帯を無作為に抽出。4296人の血液検査結果や調査票への回答を基に、成人全体の推計値を算出した。

 それによると、血液中のヘモグロビン濃度が6・1%以上で、「糖尿病が強く疑われる人」(患者)が約820万人、濃度が5・6%以上6・1%未満で「糖尿病の可能性を否定できない人」(予備軍)が約1050万人だった。


2008/04/30 16:48 【共同通信】

最近の統計によると、視覚障碍者として身障者手帳を交付された中途失明者の原因第二位は
 糖尿病網膜症
だという。2006年9月のDIABETES NEWS No.94より。


わが国における視覚障害の現状 東京女子医科大学糖尿病センター眼科 教授 北野滋彦

◆ 失明の原因疾患順位が変わった
 糖尿病網膜症は、糖尿病性腎症・神経障害とならび糖尿病の3大慢性合併症のひとつです。糖尿病性腎症はわが国における透析導入の原因疾患のトップであり、糖尿病網膜症は成人における失明の原因疾患のトップとされていました。
 ところが、最新の視覚障害実態調査では視覚障害の主原因疾患の第一位は緑内障であり、次いで糖尿病網膜症、網膜色素変性症、黄斑変性症、高度近視の順であったと報告されました。
 遂に、糖尿病網膜症は成人中途失明の原因疾患のトップの座を緑内障に譲ることとなりました。この結果が糖尿病に関わる我々に大きな驚きと感慨を与えたことは言うまでもありません。

◆ 従来の失明の原因疾患順位
 糖尿病網膜症がこれまで成人中途失明の原因疾患のトップであったという根拠は、1991年7月に当時の厚生省が発行した厚生の指標の「わが国における視覚障害の現況」という報告から得ていました。この研究では、昭和63年度に障害者手帳を新規に交付された18歳以上の視覚障害者15,893名のうち、8県の視覚障害者2,161名を対象に調査がされました。
 その結果、視覚障害の主たる原因の第一位は糖尿病網膜症で、推定障害者数は2,986名で全体の18.3%を占めていました。以下、白内障が2,549名15.6%、緑内障が2,360名14.5%、網膜色素変性症が1,991名12.2%、高度近視が1,749名10.7%、視神経・網脈絡膜萎縮が1,591名9.8%の順でした。

◆ どのような調査がなされたか
 その後、全国規模の調査は障害者のプライバシー保護の観点から15年間行われていませんでした。一方で、WHO と国際失明予防機構(IAPB)は世界の予防・治療可能な失明者を根絶することを目的として、1999年に VISION 2020 を立ち上げました。
 そこで、日本の視覚障害の実態に関する知見を得ることが求められました。厚生労働省難治性疾患克服研究事業「網膜脈絡膜・視神経萎縮症に関する研究」として実態調査が開始され、このたび平成17年度研究報告書としてまとまり、「わが国における視覚障害の現状」が発表されたわけです。
 今回の調査では、1991年の調査と同じように、最近1年間の視覚障害新規認定者2,034名(全国新規交付総数に対する抽出比率は12.4%)を対象に行われました。その結果、視覚障害の主原因疾患は、緑内障20.7%、糖尿病網膜症19.0%、網膜色素変性症13.7%、黄斑変性症9.1%、高度近視7.8%となり、前回の調査に比べて、緑内障、黄斑変性症が増加して、糖尿病網膜症は、推定障害者数は微増したものの、第一位の座を譲ったのです。

◆ 糖尿病センターにおける治療成績
 当センターにおける網膜症の治療成績では、網膜光凝固を必要とする網膜症の78%が鎮静化し、硝子体手術により78%で0.1以上、51%で0.5以上の矯正視力が得られるようになっています。
 糖尿病患者数は増加する一途にもかかわらず網膜症の治療成績が向上しているのは、内科と眼科の連携がより強固になり、眼科未受診の患者さんが減る一方で、網膜光凝固や硝子体手術などの糖尿病網膜症の治療法が確立して、失明を免れるケースが増えてきた結果ではないかと推測されます。

ということで、糖尿病網膜症は中途失明の原因第一位ではなくなったものの
 失明者数は増えている
という結果になっている。
家族の協力を得られて血糖値がコントロールできる場合はともかく、中高年で独身や単身赴任だと、なかなか食事療法がうまくいかず、厳しい状態に追い込まれる場合が少なくない。
これから、糖尿病網膜症による失明者はまだまだ激減するような状況ではないと思われるのだが、橋下徹知事は財政難を理由に
 視覚障碍者への福祉切り捨て
を断行しようとしている。参加しているMLで、大阪府視覚障害者福祉協会関係者から次のような訴えがあったので転載する。
なお、視覚障碍を持つ乳幼児への訓練に関わる事業も切り捨てられる予定で、最近、体重の軽い赤ちゃんが増えているのだが
 低出生体重児に起きやすい未熟児網膜症
に対しても、訓練の機会を失うことになるのではないかと憂える。なにが
 子どもが笑う大阪
だ。視覚障碍の子どもは、生まれてくるなと言うことか。


平成20年 5月

各位

署名ご協力のお願い

 別紙署名にありますとおり、今回の橋下知事の財政再建プログラム試案において、当協会が大阪府の委託、補助を受けている多くの事業の廃止、縮減が提案されています。
 現在、府において最終案の検討が行われており、たいへん緊迫した状況です。
 もし、このまま実施されれば協会は存続できなくなります。そこで協会として、職員とと
もに「視覚障害者福祉の存続を求める会」を立ち上げ、これら事業の存続を求める署名に取組むことになりました。

 みなさまに置かれましても一人でも多くの署名を集めてくださいますようなにとぞよろしくお願いいたします。

 つきましては、まことに勝手ではありますが、府の動きがたいへん早いことから、5月15日までに府視協に署名をお届けくださいますよう重ねてお願いします。


大阪府知事 橋下徹 様
視覚障害者福祉の存続を求める会
代表  井上 誠一

大阪府の視覚障害者福祉の存続を求める要望書

 大阪府視覚障害者福祉協会は、府内に居住する視覚障害者の自立と社会参加を目的に、視覚障害者自らが昭和39年に結成した団体です。現在は大阪府の委託・補助を受け、視覚障害者家庭訪問指導事業、生業指導事業、盲人福祉センターの運営、点字図書館事業など、視覚障害者福祉事業を幅広く展開しています。団体、職員、ボランティアが一体となってこれらの事業を推進してきましたが、いまだに「視覚障害者の完全な社会参加」は実現しておらず、今後いっそうの努力が求められています。
 ところが、貴職は、財政改革の名のもとに、今年度からこれらの事業の大部分を廃止または縮減しようとしています。もし今回の「改革試案」が実施されれば大阪府の視覚障害者福祉施策は壊滅的な状況に陥り、ノーマライゼーション社会の実現はおろか、視覚障害者の人間として生きる権利と自信を奪うこととなり、私どもは到底承服できません。
 私たちは、人生の途上でたまたま視覚に障害が発生したものの、生きがいをもって生活したいのです。それを根底から瓦解させる、今回の改革に対し強く反対し、下記のとおり貴職に要請いたします。

要 請 事 項
一、大阪府の視覚障害者福祉施策を存続してください。
視覚障害者福祉施策の主な事業
*「家庭訪問指導(中途失明者対象)事業」    
*「盲人福祉センター運営費」
*「障害者自立支援法移動支援サービスへの補助金」
*「視覚障害乳幼児療育事業」
*「生業(あんま・マッサージ・指圧・鍼・灸)指導事業」

氏 名

住   所                        印

募金
大阪市天王寺区生玉前町5-25大阪府盲人福祉センター 大阪府視覚障害者福祉協会気付け 
「視覚障害者福祉の存続を求める会」事務局   
電話06-6772-1766

上記主旨にご賛同いただける方は、どうか5/15までに上記「大阪府視覚障害者福祉協会」当てに署名をお送りいただけませんでしょうか。よろしくお願いします。

わたしは、子どもの頃、札幌から、大阪市立小児保健センターの眼科を年一回受診していた。現在、大阪府視覚障害者福祉協会に関わる人たちの中には、わたし同様、子どもの頃から低視力と戦ってきた人たちがいるだろう。小児保健センターの眼科で一緒に訓練した当時の子ども達もいるかも知れない。
子どもの頃から低視力であっても、見えない生活に慣れるのは大変なのだが、成人後の中途失明となると、その困難は更に増す。
要請事項を読む限り、
 視覚障碍のある子どもの早期訓練(これができるかできないかで、視力に障碍のある子どもの以後の人生が大きく変わる。早期訓練は絶対に必要だ)
 中途失明者への訪問事業(ライトハウスなどで訓練するだけでは、中途失明者は実生活に戻るのは難しい。生活は一人一人違うからだ。訪問事業はともすると絶望的になりがちな中途失明者の心のケアのためにも重要な事業である)
という、
 視覚障碍者のノーマライゼーションに大きく関わる事業
が切り捨てられるのは明白である。要するに
 視覚障碍者は「票」にならないし、「経済的効果も薄い」から切り捨てる
という態度だ。

これが
 弱者の味方とうそぶく橋下府政の正体
だと思うと、身震いする。

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2008-02-19

ACUVUE OASYS乱視用@Johnson & Johnson(その2)強い乱視度数のレンズは販売予定なし

ジョンソン&ジョンソンが新開発した、目が乾燥せず、酸素透過率が高く、見え方もよい
 ACUVUE OASYS乱視用
のトライアルレンズを入れて10日目。2週間用レンズなので、検診に大阪駅前第一ビルの稲葉眼科に行ってきた。

わたしの感想は
1. 装用感は、これまでのレンズで一番いい
2. 乱視度数が足りないのが不満
というもの。だって、乱視度数が、現段階で一番強くて
 -1.25
だ。前に常用していた
 ボシュロム メダリスト 66トーリック
でも、装用していたのは、一番強い度数の
 -2.75
で、それでも足りないというのに。どうもジョンソン&ジョンソンは
 度数の強い、出荷数の少ないレンズを作らない傾向
があるらしい。サイトを見ても
 ユーザには、あまり情報を提供しない姿勢
を感じる。
ボシュロムが
 製品のスペック
というページを設けて、
 ユーザにも基本的な情報を開示
しているのとは随分懸隔がある。なんていうか、ジョンソン&ジョンソンは
 ユーザは、余計なことは知らなくていいという「衆愚主義」
じゃないのかな。作っているレンズはいいレンズなんだが。
 コンタクトレンズは医療機器
なのだから、
 最低限の情報は開示するメーカ
の方が、信頼感は増す。ワンデイアキュビュー乱視用のスペックがわからなくて、結局
 コンタクトレンズ屋のサイトで販売されている度数を見て類推
したのだから、おかしな話だ。

で、-1.25だとちょっと辛いので、稲葉先生に
 昔、乱視用のレンズなんてない頃に、近視度数を上げて凌いだんですけど、その手は使えますか?
と相談した。で、
 両眼とも近視度数を-0.5ずつ上げる
という手を打って、
 あともう少ししたら出るという「もうちょっと乱視度数の高いレンズ」の発売
を待つことにした。でも、近視度数を-0.5上げたら、
 ACUVUE OASYS乱視用の近視度数の上限
だってのも、情けないというか、筋金入りの弱視だからしょうがないんだけどな。
それと、乱視軸度も、まだ出そろってないそうだ。わたしは180°で、180°用のレンズを載せているのだが、実際には
 ちょっと傾いて載っている
ので、
 160°のレンズが出ると、軸が合うね
というお話だった。というわけで
 10°単位で乱視軸度の違うレンズの発売
をも待っているのである。乱視軸が20°ずれてると、さすがにちょっと見え方が変。まだ何とか我慢は出来るけど。

弱視で、社会で働いている人は結構いる。
屈折異常で、わたしのように乱視入りソフトコンタクトである程度の矯正ができる人ならば、
 ジョンソン&ジョンソンのACUVUE OASYS 乱視用

 現段階でベストに近い選択
だと思う。

ジョンソン&ジョンソンにお願いがある。
せっかくこれほどすばらしいレンズを開発したのだから
 売れ筋の一般的な度数のロット
だけでなく
 見える手段を心から欲している視覚障碍者のため
にも、
 もうちょっと目が見えるようになり、もうちょっと見える時間を長くできるレンズ
を、すなわち
 あんまり売れない特殊な度数のロット
も是非出して欲しい。
このレンズのおかげで、助かる人はたくさんいると思うからだ。
そして、その結果、低視力に悩む人たちが、もっと能力を発揮し、仕事が出来るようになれば、すばらしいことではないだろうか。

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2007-08-11

新しい眼鏡

裸眼の上にかける近用の眼鏡を新しくした。前の眼鏡がフレームがガタガタになり、鼻のネジがダメになってきたので。ついでに50cm位の近さで一番見える調整をしてもらう。
夏バテと春から続く目眩で、やっとのことで稲葉眼科にたどり着いたのだが、ちょっと遅かった。無理をお願いして、処方していただく。その日を逃すと、次いつ梅田まで出てこられるかわからないし。
度数は乱視は変わらず、近視を少し上げたくらいだそうで、これだとほとんど見えてないに近い。まずテレビは見られない。手元の文字だけ見えればいいから、そのあたりはしょうがない。検眼をしてくれたおねえさんが
 こんなので見えるんですか?
と驚いていたが、その疑問は中学から言われ続けている。てか、20年ぶりに聞かれたような気がするぞ。
予定より1日早く出来たので、湖崎オプティカルの人が電話をくれたけど、気がついたのが遅かったので、ちゃんと横浜に送ってくれた。一応、こんなこともあるかとフレームは事前調整済み。今回は
 家でしか掛けないから
という理由で、一番安いレンズにする。PENTAXのレンズで1枚20000円弱。昔は
 めんどくさい処方の眼鏡レンズはHOYA
だったのだが、最近は
 特殊コーティング技術の発達
で、面倒な組み合わせレンズだと
 PENTAXかSEIKO
が評判がいいそうだ。
 レンズ専業
のところよりも
 精密機械とレンズを組み合わせて作っていた企業
の方が、
 コーティング技術の点では全然違う
というのを聞いて、驚いた。
わたしの使うようなめんどくさい処方のレンズでも、いまは
 オンラインで仕上がり時期がわかる
システムになっていて、便利。湖崎オプティカルは、弱視鏡を大量に発注するから、以前は
 工場に直接電話
だったんだけど、さすがに最近はもっと「技術向上」している。
弱視鏡は専門のところでつくらないと、レンズの手配が遅くなったりする。今回は休みを挟んで4日でできたので、3日以上工期が短縮されている。技術革新万歳。

今回は度数があがったのと、眼に要求される焦点位置が変わったので、まだ慣れない。1ヶ月はかかるかな〜。暑いし、あんまり根を詰めないことにする。
フレームもレンズも軽いので、その点は楽だ。目眩のひどいときに、寝転びながら仕事しても大丈夫なフレームを選んだつもりだけど、ちょっと華奢なんだよね、最近のフレームって。前の眼鏡は、多少の衝撃を受けても大丈夫なチタン枠で、丈夫さでは最高だったんだけど、同じシリーズはもうないらしい。

久しぶりに遠用眼鏡も出してきた。前の眼鏡だとテレビくらいは見られたんだけどね。
稲葉先生によると
 前に同じような度数の眼鏡を作っている
そうなので、古い眼鏡を掘り出すと、予備にはなるかも。もっともセルロイドのフレームのは、すっかりフレームがダメになってるから、見つかっても使えないなあ。たぶん、レンズの厚さも相当違う。

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2007-05-11

目眩

3月に右耳の中に帯状疱疹ができて以来、どうも目眩がする。一日、起きられないこともある。(活字が読めない位の目眩でも、ディスプレイは明るいので字は認識できる。そんなわけで、寝っ転がってMacBookのキーを叩く。)
MacBookの電源を昨日の朝、どこかで落としてしまい、梅田のヨドバシにもいかねばならなくなった。
梅田には主治医がいるが、目眩がひどくて、なかなか行けなかった。いまは介助してくれる人がいないので、単独で移動しなくてはならず、眼の調子の悪いときには、家から出られない。やっとこさ、懸案の稲葉眼科に行く。
わたしが関西にいる理由は稲葉眼科と湖崎眼科が梅田にあるからだ。両眼科は兄弟クリニックである。全国の弱視の子ども達が湖崎眼科に押し寄せるので、治療の余地のある子ども達のために湖崎先生を譲って、ある時期から稲葉先生にお世話になるようになった。小児弱視からの成人の弱視をメンテしてくださる、ありがたい先生である。だいたい、成人の弱視なんて、診療してもたいした点数にならないし、悪くならないように保存治療するのがメインだから、めざましい卓効があるわけでもなく、手間ばかり掛かり、一般的な診療をする眼科ではあまり好まれない。中学以降、札幌医大眼科や京大眼科などで、心ない暴言を吐かれて落ち込んだことは枚挙に遑がない。18歳を過ぎると、きちんと診てくださる弱視専門の眼科の先生を捜すのは、至難の業なのだが、梅田にはごく近所にお二人も熱心な先生がいらっしゃるのである。湖崎先生には小学校3年生から3年間、年に一度診ていただいた。札幌から大阪の小児保健センターへ通った。今でも、湖崎先生は精力的に小児弱視の子ども達を診ていらっしゃる。

弱視の場合、視力表は役に立たないから、Cの字の形をしたランドルト環を目の前に近づけて視力を計るのだが、ひょっとして今日は矯正視力を両眼足しても、かなりとんでもない数値だったかも。見えている左目がよく見えてないので、これはちょっとショック。
稲葉先生にいつも通り屈折や眼底、眼球表面などを診ていただくと、これは問題ないとのことで、やっぱり
 三叉神経に出ちゃった帯状疱疹の後遺症で目眩が続いている
という結論に。薬があるわけでもないので、秋くらいまでは、おとなしくしているよりなさそう。
これからイネ科の花粉が飛ぶので、一日で使い捨てるコンタクトレンズとアレルギー用の目薬各種と点鼻薬も一緒に出していただく。アレルギーがひどいときは2週間交換のトーリックは使えない。(角膜も水晶体もどっちも歪んでいて度数も結構な「えげつない乱視」だそうで、トーリックレンズだけでは矯正しきれないのだが、低視力なので、身体に楽なトーリックのみ使用で、できるだけ過ごしている。)一日使い捨てレンズに乱視の眼鏡をかける。(そんなわけで、老眼とは関係ない20代から、裸眼にかける遠距離用・近距離用とコンタクトの上から掛ける遠距離用・近距離用の四種類の眼鏡を持っている。冗談のような視力なのに、字だけは読めるという因果な眼である。要するに「人間OCR」ってところだ。)

今続いているのは、合わない眼鏡を掛けているような目眩なので、とても疲れる。視力が出なかったのは、眼精疲労が蓄積してるせいかなあ。両眼に潜伏性眼振があるのだが、疲れてくると、眼振を押さえられなくなるからなあ。

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2006-10-03

難民に眼鏡をプレゼント

札幌にある富士メガネの金井昭雄会長の名前をwebで見つけてビックリ。83年以来、各地の難民キャンプで視力を測定し、メガネを作ってプレゼントした功績が認められ、国連難民高等弁務官事務所から表彰されたのだという。
読売より。


難民に眼鏡贈呈、「ナンセン賞」受賞の金井氏が演説

 【ジュネーブ=渡辺覚】世界各地の難民に眼鏡を贈る活動を続け、日本人として初めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の「ナンセン賞」を受ける富士メガネ(本社・札幌)の金井昭雄会長(63)が2日、国連欧州本部のUNHCR執行委員会に招かれ、各国代表の前で演説した。


 授賞式は、同日夜(日本時間3日未明)行われる。

 金井会長は、社員とともに「視援隊」を組織し、1983年以来、タイやカンボジアなどの難民キャンプで、視力検査や眼鏡の寄贈活動を続けてきた。これまでに贈った眼鏡は、計約11万組にのぼる。

 演説で金井会長は、「視力の改善は、難民の視野や未来を広げると信じて活動を続けてきた」と強調。難民の自立や教育に役立つ支援の重要性を訴えた。

 同賞は、初代難民高等弁務官を務めたノルウェー人フリチョフ・ナンセンを記念して54年に創設。過去には、国境なき医師団などが受賞している。

(2006年10月2日21時56分 読売新聞)


おめでとうございます。いかにも金井会長らしい活動だなと思う。

わたしが眼鏡をかけ始めたのは幼稚園の年長組からだったが、6歳から19歳までの間に、札幌で作ったメガネのいくつかは、金井会長に調整して貰った。小児弱視のメガネは調整が難しく、三枚レンズを組み合わせた弱視用メガネは、いつもかなりの時間を掛けて、合わせて貰っていた。
いまでも、小児弱視のメガネ調整は、職人技で支えられている。
 2006-09-29 Panasonicの修理で「ログインパスワード」を聞かれる (その3) 「ログインできませんでした」
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/09/panasonic_3_628d.html

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2006-08-22

完全に治療できない、ということ

医療訴訟の起こる前提として、
1. 医師と患者・患者の家族との間で言葉が通じない
2. 医師と患者・患者の家族との間で共通の理解がもてていない
ということはあるだろう。言葉が通じない例は、たとえば
 交通事故でけがをした。いくら治療を受けても「完全に元通り」にならない
時に起こる。医者の治ったという判断と、患者の治ったという実感は常に隔たりがある。
共通の理解がもてない例は、たとえば
 ある手術をすれば、たいていの患者はそれで問題なくその症状が消えるが、残念ながらそうではない症例もある
ときだ。後者は、わたしが5歳〜6歳の間に三回受けた外斜視の手術でも起こった。

一度目の手術で、外斜視はあっさり解消されて、両眼視の訓練をする、というのが、その頃の小児眼科の標準的な治療だったと思う。今でもそうだが、小児眼科は殺人的に混む。6時間待ちは当たり前だ。1歳半から眼科に通い続け、手術は5歳ですることになった。今は子どもの斜視はもっと早くに手術を済ませるので、以前ほど、問題は起きにくくなっているだろうと思う。主治医はその当時、小児の斜視では権威と言われた先生だった。

ストレッチャーで手術室に運ばれると、麻酔の先生に
「りんごのにおいがするからね」
と言われたが、においを確認するまでもなく、あっという間に眠ってしまい、その後、なかなか目が覚めなかった。
麻酔から覚めた後は、副作用で何も食べられず、点滴を受ける日々が続いた。
やがて、眼帯が外され、見え方をチェックすることになった。
ところが、
 モノが二つに見える
のである。「複視」と呼ばれる症状だ。手術はうまくいかなかったのだ。
すぐに次の手術が行われた。しかし、思ったような成果が得られなかった。
いったん退院し、翌年、もう一度手術を受けた。やはりダメだった。

変な話なのだが、最初の手術前から、漠然と「治らないんだろうな」という予感めいたものがあった。五歳児の直感なんて、あてにはならないけれども、事態はその通りに推移した。

左目でモノを見る生活になったが、他にもいろいろな問題がある弱視なので、矯正視力は、どんどん落ちた。とはいえ、付いてるだけの右目がなくなると、もっと凄いことになるのだ。人間の身体は、良くできていると思う。

それから20年ほど経って、北大眼科に通っている頃、当時のカルテを取り寄せて見てくれた。
 どうしてこんな手術をしたのかわからない
とその時の主治医に言われた。右の眼球を動かす6本の筋肉のうち、3本が切断されていると聞いた。
 これは手術しても治らない例かも知れない
とも言われた。手術が済んで20年も経ってからセカンドオピニオンを聞いても、あまり意味はないのだが、この話で、悩みの種が増えた。

子どもの頃、一緒に同じ眼科に通っていた子どもでも、治る子どももいれば、斜視が元で廃用性弱視になる子どももいた。いまより手術の適用年齢が遅かったから、訓練しても両眼視できず、廃用性弱視になる子どもは多かったように思う。
廃用性弱視になると、眼科に通う子どもが減る。治らないからだ。ひどく混む眼科に通うのは、家族の負担も並大抵でない。治らないとなると、親の方が参ってしまうこともあるだろう。大抵の親は
 手術をすれば、普通の子どもと同じように見えるようになる
と信じているからだ。
その頃から近視も乱視もひどかったわたしは、ずっと眼科に通い続けた。毎年眼鏡の度が上がり、新しい眼鏡に慣れるまでに1カ月は吐き気や頭痛と闘い、成長期を過ごした。年に一度、数年間、札幌から大阪の湖崎克先生のところまで通ったこともあった。
小学校から弱視学級に籍があったらしいが、実際に顔を出すようになるのは、義務教育が終わって、弱視学級の対象でなくなってからだった。その頃、お世話になった長崎峻治先生は、先年亡くなられた。まだ普及してなかった拡大コピーをして貰うために、札幌市立日章中学校にあった弱視学級に時々行って、高校の字の小さなプリントを拡大して、見やすくした。
弱視学級にいた連中(リストは小学校の頃からちょっとずつ変わるけど、市の弱視検診などで顔見知りだったりする)も、高校に入るとだんだん消息がわからなくなった。治らないからだ。

治らず、悪くなることはあっても、良くなることがない場合、医療行為を中断するのも一つの選択かも知れない。だが、弱視の場合は、メンテナンスを続けないと確実に見えなくなっていく。視覚は脳の多くの部分を使っているそうだが、見ることを諦めると、見える範囲は狭まっていく。数年間、まともな眼科がなくて、ちゃんとした治療が受けられなくなったとき、本当にほとんど見えなくなったことがある。心理的な負担だけでも、弱視の場合は、簡単に「見える範囲」が狭まり「目が使える時間」が短くなる。京都市の左京区役所で暴言を吐かれたとき、一週間、目が見えなくなった。(大学に通ってる頃は、年に一回、左京区役所でのこの苦行が待っていた。一度暴言を吐かれた後は、その記憶が甦り、窓口に行くだけで、身体が震えてしまうのだ。なるべく、誰かに付き添って貰うようにしていたが、左京区に住んでいる頃は、本当に苦痛だった。札幌市の中央区役所もひどかった。そんなこんなで、役所嫌いになったのだが、西京区役所は大変親切だったので、この症状は収まった。奈良市役所は、一部を除いて、大変親切である。)

今でも眼科には定期的に通っている。半年に一度は眼底をチェックして貰い、コンタクトレンズと眼鏡で視力を補っている。視力が悪くなるのを少しでも抑え、なにか問題が起きたら、すぐに対処する。
こんな風に前向きに考えられるようになるまでに、かなり時間が掛かった。

生命に直接関わらない、弱視であっても、「治らない」ことに患者は葛藤する。
このあたりを「納得」するのには、時間が掛かるが、受け入れられない人もいるだろう。わたしの手術の失敗も、もし、それが最近のことだったら、わたしの両親はどうしただろうか、と思う。

叔母は血液内科に通っている。叔母の病気は「治らない」けれども「治療を続けなければならない」病気だ。
叔母には、何度も
 薬をのんだから、すぐ治る病気じゃなく、一生薬を飲み続けるのが必要
と説明した。放っておくと、薬をのまなくなってしまうからだ。叔母の飲んでいる薬には、勝手にやめるとダメなものが含まれている。
最近はようやく理解してくれるようになったけれども、こういう
 治療しても、めざましい効果が実感できず、薬の副作用が辛い
場合は、患者がくじけてしまうことがある。叔母は主治医が変わる(札幌医大に通ってるので、転勤などで主治医がよく変わる)のが不安で、変わる度に治療方針が違うのに戸惑っている。このあたりは、もう少し説明とか
申し送りがあるといいのかも知れないと患者の側は思うけれども、大学病院だと、説明してくれる先生の方が少ないかも知れないな。

医者の友達と話していると
 日本語の使い方が違う
ことに気づく。
 生命に関する見方が違う
と言い換えてもいいだろう。生活で一般に使われる日本語と、医者が医療の場で使う日本語には、意味内容に隔たりがあるのだ。このあたりの
 翻訳
が進まないと、医療訴訟は増え続けるだろうし、訴訟の多さに嫌気が差して、その診療科から去る医師は増えるだろう。

もう一つ。
 死を隠蔽し続ける風潮
にも、問題がある。要するに
 死はひとごと
になってしまっているのだ。そのためか、自分や自分の周りにいざ死が姿を現すと、受け止められない人がいる。

人間の話ではなく、馬の話だが、
 98年秋の天皇賞でサイレンススズカが脚を骨折した
時、明らかにこれから薬殺されるのに
 元気な姿を見せて欲しい
という方向で、競馬中継が続いていた。こうした
 間違った方向への誘導(エセヒューマニズムとも言える)
が続く限り、死に直面できない人間は減らないだろう。
生は必ず死によって終わる。その事実はいかんともしがたいのだが、なぜか軽視されている。
本来的には、そのために宗教があるのだけれども。

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完全に治療できない、ということ

医療訴訟の起こる前提として、
1. 医師と患者・患者の家族との間で言葉が通じない
2. 医師と患者・患者の家族との間で共通の理解がもてていない
ということはあるだろう。言葉が通じない例は、たとえば
 交通事故でけがをした。いくら治療を受けても「完全に元通り」にならない
時に起こる。医者の治ったという判断と、患者の治ったという実感は常に隔たりがある。
共通の理解がもてない例は、たとえば
 ある手術をすれば、たいていの患者はそれで問題なくその症状が消えるが、残念ながらそうではない症例もある
ときだ。後者は、わたしが5歳〜6歳の間に三回受けた外斜視の手術でも起こった。

一度目の手術で、外斜視はあっさり解消されて、両眼視の訓練をする、というのが、その頃の小児眼科の標準的な治療だったと思う。今でもそうだが、小児眼科は殺人的に混む。6時間待ちは当たり前だ。1歳半から眼科に通い続け、手術は5歳ですることになった。今は子どもの斜視はもっと早くに手術を済ませるので、以前ほど、問題は起きにくくなっているだろうと思う。主治医はその当時、小児の斜視では権威と言われた先生だった。

ストレッチャーで手術室に運ばれると、麻酔の先生に
「りんごのにおいがするからね」
と言われたが、においを確認するまでもなく、あっという間に眠ってしまい、その後、なかなか目が覚めなかった。
麻酔から覚めた後は、副作用で何も食べられず、点滴を受ける日々が続いた。
やがて、眼帯が外され、見え方をチェックすることになった。
ところが、
 モノが二つに見える
のである。「複視」と呼ばれる症状だ。手術はうまくいかなかったのだ。
すぐに次の手術が行われた。しかし、思ったような成果が得られなかった。
いったん退院し、翌年、もう一度手術を受けた。やはりダメだった。

変な話なのだが、最初の手術前から、漠然と「治らないんだろうな」という予感めいたものがあった。五歳児の直感なんて、あてにはならないけれども、事態はその通りに推移した。

左目でモノを見る生活になったが、他にもいろいろな問題がある弱視なので、矯正視力は、どんどん落ちた。とはいえ、付いてるだけの右目がなくなると、もっと凄いことになるのだ。人間の身体は、良くできていると思う。

それから20年ほど経って、北大眼科に通っている頃、当時のカルテを取り寄せて見てくれた。
 どうしてこんな手術をしたのかわからない
とその時の主治医に言われた。右の眼球を動かす6本の筋肉のうち、3本が切断されていると聞いた。
 これは手術しても治らない例かも知れない
とも言われた。手術が済んで20年も経ってからセカンドオピニオンを聞いても、あまり意味はないのだが、この話で、悩みの種が増えた。

子どもの頃、一緒に同じ眼科に通っていた子どもでも、治る子どももいれば、斜視が元で廃用性弱視になる子どももいた。いまより手術の適用年齢が遅かったから、訓練しても両眼視できず、廃用性弱視になる子どもは多かったように思う。
廃用性弱視になると、眼科に通う子どもが減る。治らないからだ。ひどく混む眼科に通うのは、家族の負担も並大抵でない。治らないとなると、親の方が参ってしまうこともあるだろう。大抵の親は
 手術をすれば、普通の子どもと同じように見えるようになる
と信じているからだ。
その頃から近視も乱視もひどかったわたしは、ずっと眼科に通い続けた。毎年眼鏡の度が上がり、新しい眼鏡に慣れるまでに1カ月は吐き気や頭痛と闘い、成長期を過ごした。年に一度、数年間、札幌から大阪の湖崎克先生のところまで通ったこともあった。
小学校から弱視学級に籍があったらしいが、実際に顔を出すようになるのは、義務教育が終わって、弱視学級の対象でなくなってからだった。その頃、お世話になった長崎峻治先生は、先年亡くなられた。まだ普及してなかった拡大コピーをして貰うために、札幌市立日章中学校にあった弱視学級に時々行って、高校の字の小さなプリントを拡大して、見やすくした。
弱視学級にいた連中(リストは小学校の頃からちょっとずつ変わるけど、市の弱視検診などで顔見知りだったりする)も、高校に入るとだんだん消息がわからなくなった。治らないからだ。

治らず、悪くなることはあっても、良くなることがない場合、医療行為を中断するのも一つの選択かも知れない。だが、弱視の場合は、メンテナンスを続けないと確実に見えなくなっていく。視覚は脳の多くの部分を使っているそうだが、見ることを諦めると、見える範囲は狭まっていく。数年間、まともな眼科がなくて、ちゃんとした治療が受けられなくなったとき、本当にほとんど見えなくなったことがある。心理的な負担だけでも、弱視の場合は、簡単に「見える範囲」が狭まり「目が使える時間」が短くなる。京都市の左京区役所で暴言を吐かれたとき、一週間、目が見えなくなった。(大学に通ってる頃は、年に一回、左京区役所でのこの苦行が待っていた。一度暴言を吐かれた後は、その記憶が甦り、窓口に行くだけで、身体が震えてしまうのだ。なるべく、誰かに付き添って貰うようにしていたが、左京区に住んでいる頃は、本当に苦痛だった。札幌市の中央区役所もひどかった。そんなこんなで、役所嫌いになったのだが、西京区役所は大変親切だったので、この症状は収まった。奈良市役所は、一部を除いて、大変親切である。)

今でも眼科には定期的に通っている。半年に一度は眼底をチェックして貰い、コンタクトレンズと眼鏡で視力を補っている。視力が悪くなるのを少しでも抑え、なにか問題が起きたら、すぐに対処する。
こんな風に前向きに考えられるようになるまでに、かなり時間が掛かった。

生命に直接関わらない、弱視であっても、「治らない」ことに患者は葛藤する。
このあたりを「納得」するのには、時間が掛かるが、受け入れられない人もいるだろう。わたしの手術の失敗も、もし、それが最近のことだったら、わたしの両親はどうしただろうか、と思う。

叔母は血液内科に通っている。叔母の病気は「治らない」けれども「治療を続けなければならない」病気だ。
叔母には、何度も
 薬をのんだから、すぐ治る病気じゃなく、一生薬を飲み続けるのが必要
と説明した。放っておくと、薬をのまなくなってしまうからだ。叔母の飲んでいる薬には、勝手にやめるとダメなものが含まれている。
最近はようやく理解してくれるようになったけれども、こういう
 治療しても、めざましい効果が実感できず、薬の副作用が辛い
場合は、患者がくじけてしまうことがある。叔母は主治医が変わる(札幌医大に通ってるので、転勤などで主治医がよく変わる)のが不安で、変わる度に治療方針が違うのに戸惑っている。このあたりは、もう少し説明とか
申し送りがあるといいのかも知れないと患者の側は思うけれども、大学病院だと、説明してくれる先生の方が少ないかも知れないな。

医者の友達と話していると
 日本語の使い方が違う
ことに気づく。
 生命に関する見方が違う
と言い換えてもいいだろう。生活で一般に使われる日本語と、医者が医療の場で使う日本語には、意味内容に隔たりがあるのだ。このあたりの
 翻訳
が進まないと、医療訴訟は増え続けるだろうし、訴訟の多さに嫌気が差して、その診療科から去る医師は増えるだろう。

もう一つ。
 死を隠蔽し続ける風潮
にも、問題がある。要するに
 死はひとごと
になってしまっているのだ。そのためか、自分や自分の周りにいざ死が姿を現すと、受け止められない人がいる。

人間の話ではなく、馬の話だが、
 98年秋の天皇賞でサイレンススズカが脚を骨折した
時、明らかにこれから薬殺されるのに
 元気な姿を見せて欲しい
という方向で、競馬中継が続いていた。こうした
 間違った方向への誘導(エセヒューマニズムとも言える)
が続く限り、死に直面できない人間は減らないだろう。
生は必ず死によって終わる。その事実はいかんともしがたいのだが、なぜか軽視されている。
本来的には、そのために宗教があるのだけれども。

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2006-01-30

飛蚊症と後部硝子体剥離と網膜剥離と小児弱視

物心付いたときから、飛蚊症だ。なので、
 急に目の中にゴミが飛ぶようになった
と悩む人の気持ちが分からない。気がついたら、目の中には何かが必ずあったので、それがない状態がわからないのだ。
土曜日の夜に、右目の視野の上端に、違和感を覚えた。なにか黒いモノが見えるような気がする。いつもの飛蚊症とは違う。
中学二年のときに、強度近視で網膜裂孔になったときとちょっと似ているので、月曜日を待って、
 稲葉眼科
http://ganka.com/
に掛かることにした。ここは、梅田の真ん中にある眼科で、かつ
 小児弱視からオトナになった患者
も診てくれる。わたしは一歳半から眼科にずっと通っているのだが、京都に戻ってからは、かつて大阪小児保健センターで所長をされていた小児弱視・斜視の神様
 湖崎克先生
http://www.kozaki-ganka.jp/doctor/text_masaru1.html
の病院
 湖崎眼科
http://www.kozaki-ganka.jp/top/index.html
の大阪アクティ分院に通っていた。湖崎先生とは、小学二年以来のおつきあいである。初めて診ていただいた時も
 おじさん
だったが、いまでも同じようにおじさんなのが凄い。稲葉眼科は、湖崎眼科とは姉妹クリニックという関係になる。

今でも湖崎克先生は診療をされているらしく、診療日にはわたしの子どもの頃同様、日本中から、小児弱視の子ども達と保護者が待合室に溢れていることだろう。わたしの両親も、札幌からわざわざ大阪までわたしを受診させに連れてきた。湖崎先生の予約は、なかなか取れなくて、それから数年間、一年に一度、大阪に通って、目を診ていただいた。京大に入ってからは、京大病院の眼科が弱視のフォローができなくてひどかったので嫌気が差し、日本中からやってくる子どもとその保護者で一杯の湖崎眼科に足を向けるようになった。湖崎眼科の凄いところは、湖崎先生のみたてももちろんなのだけれども、
 視能訓練士のおねえさんたちの腕が粒ぞろい
だ、ということにある。小児弱視の視力検査は大変なのだが、子ども相手に
 正確な矯正度数を測る
のは、更に難しい。これを、どの視能訓練士のおねえさんもできるのが、この眼科の底力だと思う。そして、稲葉眼科の隣にある
 湖崎オプティカル
http://www.axe.co.jp/kozaki/
で、眼鏡を注文すると、どんなに難しいレンズの組み合わせでも、たいてい一週間以内にできあがってくる。わたしのように、普通の眼鏡屋で注文すると、まずレンズのオーダーが大変、というヒトには、弱視レンズの太いパイプがある湖崎オプティカルはありがたい。いや、ほんと、眼鏡の処方箋見ると、笑っちゃうもん。で、
 フィッティングが難しい小児弱視の眼鏡の調整
に慣れてるから、オトナのフィッティングは、ほぼ一発でできる。一つ難があるとすれば、
 眼鏡量販店のように安いわけでも、フレームの種類が豊富なわけでもない
ところかな。弱視用の眼鏡は、レンズの厚さや視野などの制約があるから、あまりおしゃれなフレームは使えないのはしょうがない。ともかくも
 ばっちり合う弱視用眼鏡を手早く作ってくれる
だけでも、凄いことだと感謝している。ガラスで作るととんでもない重さになるレンズが、プラスチックで薄く軽く出来ちゃう、というのも嬉しい。てか、普通の眼鏡屋だと、
 分厚く見えない、弱視用の複合レンズ
を考えてくれないもんなあ。単純な強度近視ならともかく。今愛用してるのは
 レンズはプラスチックで、掛けたまま寝ちゃっても、ちょっとやそっとでフレームが変形しない、チタン枠の近用眼鏡
だ。現在、眼鏡は「裸眼に近用・遠用」「コンタクトの上に近用・遠用」の四種類を使っている。

小児弱視の待合時間は、今も昔も長いだろうと思うのだが、昨今の少子化でどうなったのだろう。大阪小児保健センターは、少子化のあおりを受け、すでに大阪市立の他の医療機関に統廃合されてしまった。ちなみに、小児弱視の受診は、一日掛かるのが普通だ。
かつての大阪小児保健センター眼科や現在の湖崎眼科のように、日本中から患者さんがやってくるところは予約診療で、予約した時間に行くのだけれど、待ち時間は長い。待ってる間、子ども達はすることがないので、いろんな暇つぶしを考え出す。最初にやるのは、視力表の暗記である。わたしも小学校に上がる前に、日本の眼科で標準的に使われている視力表を全部暗記してしまった。小児弱視の子ども達は、たいてい視力表が頭に入ってるので、視力検査をしているオトナが信頼できない人間だと、平気でウソの視力を出す。めんどくさいときは、0.4-1.0くらいまでの間で答えることが多い。本当の視力は、もちろん0.1未満である。小児弱視の検眼は、患者である子どもの信頼を得られないと、正確な視力は測れないのだ。弱視の子ども達は、小児弱視の専門外来に流れ着くまでに、あちこちの眼科で散々ひどい目に遭ってきてるから、オトナとの駆け引きに長けている。その点でも、患者の子ども達の信頼を得ている湖崎眼科は、奇蹟的なクリニックである。
わたしの場合は、すでに小児弱視でもなく、劇的に視力が低下する段階も終わり、湖崎先生の診察時間に割り込むのは、他の弱視の子ども達に悪いので、姉妹クリニックの稲葉眼科でメンテナンスをしている。小児弱視からオトナになっても眼科通いをする人は、たぶん少ない。それは
 弱視の診療は金にならない
ので、冷淡な扱いをされることが多く、それより以上に、医師が全然弱視に理解を示さないので、イヤな思いをするために病院通いをするメリットが見いだせなくなるからだ。そういう意味では、稲葉眼科は、弱視のメンテナンスをしてくださるので、オトナになった小児弱視の患者には、ありがたいクリニックだ。

稲葉先生に、症状を話すと、散瞳して眼底を診ましょう、ということになった。この散瞳も、一歳半の頃から誇張ではなく、数百回はやってる筈だが、何年経っても、散瞳薬の効きが悪い。今日もミドリンを三度点眼した。
結果は、
 後部硝子体剥離
で、ラッキーなことに、後部硝子体剥離につきものとなりがちな
 網膜剥離などの悪い合併症はない
ということだった。後部硝子体剥離は、年齢を重ねれば、誰でも起きるものなのだが、硝子体が網膜とくっついているのが剥がれるので、剥がれ方によっては
 網膜に大きなダメージ
を与えてしまう。飛蚊症も悪化する。
 後部硝子体剥離
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10A50100.html
もし、網膜剥離を起こしたら、一刻も早く手術をしなくてはならない。

わたしの場合、「えげつない」強度近視の割には、網膜が丈夫なのが取り柄だ。今日も、眼底をチェックしてくださった稲葉先生に
 じゃ、次は特に問題が起きない限り、半年後に眼底検査
と告げられた。
 

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