2023-05-28

音楽を手放す

最近、視力の低下は甚だしいのだが、相変わらず、脳は
 見えているように見る
画像処理にいそしんでいる。脳が視覚に対してどのくらいの領域をどの程度使っているのか、それはよくわからないけれど
 過度の負荷が掛かっている
のは否めない。
わたしの生活史で顕著な視力低下は、何度も起きているのだが、その度に視覚情報処理のために過度の負荷が生じ、それを補うために
 何かを手放す
ことでつじつまを合わせてきた。
最近は、とうとう
 音楽を手放す
ことになった。
自覚して手放すわけではない。それと意識せずに
 本当に音楽を聴かなくなった
のだ。たぶん
 音楽を楽しむ
のは、今起きている脳内の画像処理の過負荷と
 バッティング
するところがあるのだろう。
ただ、
 外国語を聞き取る
領域は、がんばって死守している。目の調子が悪くなると
 外国語の聞き取りに難が生じる
のは、海外調査の時に、何度も経験している。調査で短期間に目を酷使すると、最後は
 音が聞き取りにくくなる
のだが、その中でも
 外国語を聞き取る能力
がダメになりやすいのだ。
これを守るためには、
 行動制限
が一番効くので、最近は外出は必要最小限にとどめるように心がけている。

まあ、
 この視力で墨字が読める
こと自体、14歲の頃に
 眼科の常識ではほぼあり得ない
ことだと主治医や弱視学級の恩師が驚いていたので、文字を読み、外国語を聞く生活を続けるためには、健常者と同じことを同じようにするのは贅沢にも程があるというものだ。
そもそも
 文字を読む
ことが、
 最高の贅沢
である身体能力しかなかったのだから。健常者の研究者が、いきなり大学生の頃のわたしの視力になったら
 研究者の道を断念する
だろう。でも、それが始まりで、よく見えると言うことが理解出来なかったから、あまり深く考えずに、文字を読み、外国語を含む言葉を聞き、勉強を続けてきた。
他の人には
 目が悪いわたしが文字を読み続けるのは、まあ、喩えるなら、アルコール依存症になっても、酒を飲み続けるようなものですよ
と説明すると、なんとなくわかってもらえる。

今の状態は
 反射光は見にくいが、透過光ならOK
なので、パソコンやタブレット経由で拡大して文字を読むことが増えた。その点、現代の
 国会図書館デジタルコレクションの充実

 電子書籍出版
は、仕事の大きな助けとなっている。

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2023-05-27

「見えているよう」に脳は働く

最近、えらく疲れるな〜と思っていたのだが、
 視力が落ちているのに、脳が頑張りすぎている
のに気がついた。元々重度弱視なんだが、
 見えている状態

 脳が死守しようとしている
らしく、
 矛盾なく「見えている」ようにする
のが、大変みたいだ。

 

経年劣化による白内障なんだけど、ずいぶん前から主治医には
 かなり濁ってますね
とは言われてたのだが、全然感じていなかった。そもそもあんまり誤差がない程度の重度の弱視だ。
最近やっと
 あ、確かにこれは白内障かも
と光源とか明るい場所で気がつくようになった。
たぶん
 複視
があるせいだろう。一つの映像と「見えて」いるものが、
 複視による複数の映像を脳が編集
した結果らしく、あまり白内障による水晶体の濁りが気になってなかった模様。
複視自体は結構エグい。経過を考えると
 1. 外斜視手術1回目→術後、初めて眼帯を取ったら、エグい複視が生じていることが判明(5歲 札幌市立病院)
 2. その複視を「治療」するために2回の外斜視手術(5-6歲 札幌市立病院)
だったんだけど、今見えている複視の「角度」の1つは、最初の複視の
 廊下の平行する壁が2つではなく、4つで、廊下はV字に見える
が残っている模様。複視があると、自分の正確な位置がわからず危ないので、追加手術もしたし、脳は脳で5歲での手術失敗以降、なんとか複視を消そうと頑張ってきたのだが、ここ10年くらいは、見えている目(左)と見えてない目(右)の視力差がなくなってしまったので、複視大復活、という次第。
よく見える視力の人には邪魔でしかない複視だけど、重度の弱視だと
 白内障が気にならない
ことがあるのね、きっと。
症例研究はされてないと思われる。というか、わたしくらい重度の弱視で墨字(点字じゃない、ということですね)を普段大量に読む生活をしている視覚障碍者はほぼ皆無に近いので、1例報告になるかならないかだし、全然、ロービジョン研究に役立ちそうもないので、今後も
 複視のある重度視覚障碍者の白内障の進行
等という論文は出ないと思う。

 

ところで、わたしの外斜視手術前後のカルテがまだ残っていれば、だけど
 一時、視力がアップした
と記述されている筈。実は
 視力表を全部覚えてしまった
ため、視力表の文字は見えてないけど、指す場所で
 つ
とか
 に
とか言ってたわけですね。大体、小児眼科の斜視の子ども達は、毎回視力測定されるので、そんなもん、
 簡単に暗記
してしまうわけなんですよ。悪いおにいちゃんおねえちゃんが、後からささやいてくれたりもする。
というわけで
 プロの小児眼科の患児(学齢前で通院歴2年以上)
には
 ランドルト環のカードを使って視力測定
するのが最低でも必要。
小児眼科の待ち時間は、ほんと、今でも
 死ぬほど長い(病院に行くと1日まるまる潰れる)
ので、ヒマだから、視力表を暗記する時間なんてふんだんにあるのよね。

 

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2015-02-24

目の良いお父さんお母さんの子どもが「眼鏡が必要」といわれたらアクセスしてみるサイト"Eye Sim"

子どもの視力が良くないことが、入学前や学校の健康診断で判明する。
両親のどちらかが、眼鏡やコンタクトを使用していれば、すぐに眼科に連れて行って、検査をする。
ところが、両親のどちらも目が良い場合、
 子どもの視力が良くない
という事実が理解出来ない。
 眼鏡が必要です
と言われても、自分たちが眼鏡を必要としてないので
 こんな小さい子どもに眼鏡なんてかわいそう
とか
 その内治るだろうから高い眼鏡は作らない
とか、
 無理解からくる「ネグレクト」
が起きて仕舞うことが少なくない。それもこれも
 見えない状態が理解出来ない
からだ。

見えない状態を理解出来るサイトが、
 Eye Sim | The Eyesight Simulator(英文)
 http://www.eye-sim.com/
だ。
使い方は、GIGAZINEの今日付の記事
視力を入力するとその目に世界がどう映るのかが体験できる「Eye Sim」
に詳しく説明されている。

わたしが弱視と診断されてもう半世紀以上、その頃も、その10年後も、そして今も
 視力の良い保護者の無理解で、視力矯正が必要なのに放置されている幼児・児童・生徒
がいる。どうか、このサイトが
 視力の良くない子どもへの理解を拡大
してくれるよう、祈っている。

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2013-11-23

ボタンを付ける

キーボードばかり叩いていると、不器用な人はより不器用になるようだ。
もともと不器用だ。目が悪くても器用な人はたくさんいる。わたしの不器用は、小さい頃から始まって、今猶全く克服されていない。

久しぶりにボタン付けをしなくてはいけなくなった。
すぐに外す、和服の半襟はそれほど厳重に付けなくてもなんとかなる。
ボタンは力が掛かるから、なるべくきっちり、取れないように工夫しないと行けない。

しばらくボタン付けをする機会がなかったので、一揃い中身を揃えてあった裁縫箱が見つからない。
以前は三条通りに、ご高齢の女性が営んでいる、古き良き
 小間物屋
があり、竹尺や指貫などを買ったのだけれども、三条通りの舗道の拡幅に伴い、店そのものが消滅した。そのおばさまにお尋ねすれば
 どの裁縫には、どの番手の糸で、どの太さ・長さ・種類の針を使うか
を瞬時に教えて下さったのだが、最早そうした店は日本全国からも消えつつある。

しょうがないので、JR奈良駅の上にある100円ショップにいくと
 糸通しから、針、糸、メジャー、ボタンに安全ピン等全部揃ったソーイングセット
というのがある。当然ながら、
 100円とあまりにも安価な値付けの品物だから使えるものと使えないものが混在して入っている
わけだ。糸は見た感じ弱そうなので、下のスーパーで糸を探して、別に買った。針山はさすがについてないので、これは100円ショップで買う。あとは箱。桐の小さい印籠蓋の箱が100円ショップにあった。
 ぶちまける危険の少ない構造
なので、とりあえず、これにする。一応、針山も糸もボタンもソーイングセットも入った。

関門の第一は
 糸通し
だが、最近は糸通しの道具は、ホテルのアメニティの裁縫セットにも入っているくらいポピュラーになったので、問題ない。
ところで、この糸通しの道具を使っても、なかなか糸が通らないという不器用さなので悲しい。まず
 糸通しが針の穴に通らない
ところから始まるわけだ。で、次は
 糸通しに糸が通らない
のである。ま、片眼だし、見えてないから、しょうがない。気合いでなんとか糸を通す。

裁縫では
 針をなくさない
のが鉄則だ。糸を通したはいいが、針をそこらにぶちまけるのでは話にならない。片眼の悲しさ、見えない側の右側が利き手なので、よく右手で物を払ってしまう。
実際、針をぶちまけるくらいのドジはやりかねないので、ともかく、道具を揃えて、手元を明るくして、必要な空間を確保し、必要最低限のものだけにした机の上で、糸通しを始める。

まあ、こうした細かい仕事は、反復作業で体にたたき込むものだから、サボっていると、覿面、指が動かなくなりますな。自分の指先じゃないみたいな、情けなさだ。
 糸の端を捩る
という動作ができなくなっている。ダメじゃん。

ともかくも針に糸を通し、針山に刺しておく。

ボタン付けでありがちかつ悲しいのは
 付けたばかりのボタンが取れる
ことだ。概ね、ボタン付けの方法に問題があるから起きる。

この点については、NHKの「ためしてガッテン」で、以前、こんな検証をしていた。
達人に学ぶ! ガッテン流最強ボタン付け
要点は
 1. 玉結びは表に出す(表から刺す)
 2. 上から下へしっかり根巻きをする
 3. 根巻きに3方向から針を刺し、糸を切れば出来上がり
の3点。糸を2本取りにして、このやり方で付けてみた。

今のところ、問題ない。

ところで、近所に小間物屋がなく、急いでいたので100円ショップで対応してしまったのだが、やはり
 安いものはその場凌ぎにはいいが、日に日に不満が募ってくる
のである。
結局、小間物屋で揃えたかった物を、通販で買うことになった。
・穴糸(着る色が決まっていて、かつ、黒など一般的な色ではない)
・クローバーメリケン針6(ボタン付けにはよく使う針)
・オーソドックスなボタン各種(チノパンとワイシャツ用)
ボタンは、ボタンメーカーの日東ボタンの通販サイト
ボタン屋ドットコム
から水牛調や貝ボタン風の普通のボタンを買ってみた。視力が弱いと、
 店頭で細かい品物を選ぶ
のが難しいけど、通販なら、色味は実物とは若干異なるけど、画像は拡大できるし、急かされることがない。何より、多くの身障者が、大抵の店頭で感じている
 動作の不自由な自分が買い物をすることで、他の消費者に待って貰わなくてはならない負担感

 ない
のが一番だ。

子どもの頃は、みんなで使う裁縫箱とは別に
 ボタンの箱
というのがあって、服から取ったり、別に買ったりしたボタンがみっしり詰まっていたのだが、最近のような暮しだと、そんな心構えも忘れてしまっていた。ボタンの箱には、珍しい形のボタンがいくつかあって、貝ボタンやメタルボタンの中に紛れているのを見つけ出すのが楽しかった。

これも子どもの頃、今はなくなってしまった、近所にあった「たけやぶ」というパンから小間物から何でも売っていた店にお使いを頼まれて、買ったりした
 クローバーの針
を使うと、指貫なしでも、楽々と仕事ができるのだった。

そして、
 20年以上前に作った硝子レンズの超近用の裸眼用眼鏡
を発掘、
 格段に手元がよく見える
ことに気づいた。重いんだけどね。短時間の細かい作業なら、何とかなりそうだ。

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2011-02-08

視覚を制御する

子どもの頃、もの凄く不器用だった。今でも、相当不器用である。
不器用の原因の一つは、
 視覚が制御できてなかった
ことで、左右の目で見ているモノが違う
 複視
の状態だと、見ているモノが途中で入れ替わったりするから、手元がおぼつかない。斜視のリハビリに使う機械に
 黒い、交差した曲線の上を電気信号を発するペンでなぞって、外れるとアラームが鳴る訓練器具
があるんだけど、これが出来なかった。両眼視が獲得されていれば、間違いっこないのだが、複視があった上に、どうも右手の動きがおかしかったらしい。

それと、もう一つ、
 握りばさみしか与えられてなかった
のも、不器用に輪を掛けた。幼稚園に行く前の子どもだから、
 紙を切って遊ぶ
のは、毎日の楽しみなんだけど、握りばさみは子どもには扱いが難しい。柄に近い方の刃の角で、毎日のように親指に切り傷を作っていた。幼稚園に行ったら
 工作用の洋鋏
を与えられ、普通に使うようになったので、怪我はしなくなった。
以後
 適切な道具さえあれば、不器用でもなんとかなる
ということを肝に銘じた。アーミーナイフでなんとかするよりは、専用の道具を数揃える方が、わたしのように不器用な人間は、結局、楽だし、失敗しないで済む。
縫い物も好きだったけど、針で指先は穴だらけになっていた。これは手技がほとんどなので、起こりうるトラブルを回避できる適切な道具がない。編み物も同様である。反復して覚えていくしかない。

視覚の制御と、右手の制御は、わたしの場合は、ある程度連動していたのだろうと思う。
今でも、なにかあると、右手がひどく震えたりするから、子どもの頃は、外から見て分からない程度に、不随意に痙攣してたのではないかと思う。不器用だと笑われ、あるいは
 怠けている
と疑われ、
 やる気がないんでしょ
と叱られ、自分がいけないと思い込んでいたけど、結局、身体制御の問題だったんだろう、と今では思う。おおよそ、大人というものにとって
 子どもの病気や障碍
は、自分たちの健全さを著しく傷つけ、脅かすものだから、特に何か障碍がありそうな時には、多くの大人は、最初は
 見なかったこと
にしたがる。それが
 健常者の「弱さ」
なのだが、そのことは誰も指摘しない。

右手の痙攣は幸い軽かったようで、かなりの年月を掛けて、普通のヒトと見た目は変わらない程度に、手を動かせるようになった。今でもいくつかの動作はできない。たとえば、中学〜大学まで必修になる体育実技の中でいうと
 バスケットボールのドリブル

 バレーボールのオーバーハンドレシーブ
ができない。それと
 紐などを結んだり、ものを畳む
のが、大変にへたくそで、いまでもきちんとした、ほどけにくい蝶結びができない。紐結びのような手の動きが身につかないのは、片眼しか見えてなくて、立体視が出来ないのと、多少は関係があるのかも知れないけど。こういう運動は
 文字通り、手を取ってもらわないと覚えない
のである。
 見て覚えるということができない
のだ。
新しい運動を覚えるときは、ひどく時間がかかるが、その運動に必要な「回路」が頭の中にできてさえしまえば、それほど失敗はしなくなる。どこかで何か、他のヒトとは一つ以上余計な経路を挟んでいるのかどうか知らないけど、わたしに
 体の動き
を教えようとするヒトは、本当に苦労する。ヒトの何倍も掛けないと、体が覚えてくれないからで、大抵は根負けしてしまう。見た目、普通のヒトと変わらないから、わたしの
 飲み込みの悪さ
に、時間を掛けて教えてくれようとする親切な人たちが、絶望的な気分になるのは、致し方ないし、申し訳なく思っている。あるいは、体の動きが、立体ではなく、線でしかイメージできないからかも知れない。

たぶん、今も、わたしと似たような子ども達がいて、見た目は普通の子と変わらないのに、何か体を動かしてする、あらゆる作業の飲み込みが悪くて、
 愚図だののろまだの
と罵られたり、
 怠け者とか大人をバカにしてるとか
誤解されてるんじゃないかと思う。
その子達には悪気はないんです、とわたしから代わりに謝っておく。

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2010-07-23

大暑

暦の上でも、実際にも
 大暑
な今日。暑さは弱視の大敵である。
汗が目に入ると、それだけで視力がやられる。
高校回り(大学教員はリクルート活動もやる)をしたことがあって、その年も暑い夏で、かなり汗で視力を損ない、回復に時間が掛かった。

今年になってから、どうやら
 毛様体の動きが鈍い
ようで、眼精疲労が凄いことになってきた。視力は一昨年同様、
 いい方の左目が0.01で悪い方は「漢字で書く視力」
である。
両眼視力を足して0.02以下が社会的盲ということらしいんだけど、そのレベルはとっくの昔なわけで、
 医学的には文字が読めないはずなのに読めている状態
に、実はもう随分前からなっている。こういう状態は
 幼少時から弱視だった場合
には、そう珍しくはない。つか、
 凖盲で0.04未満〜0.02以上
らしいんだけど、自分が該当すると思ったことはないぞ。幸せなことなのかも知れないけど。

中途失明の人達は、幼少時から弱視だった場合と比較して、低視力への順応期間があまりなかったりするから、いろいろ大変だろうと思う。喪失感が凄いだろうなあ。
人並みに見えたことがないから、視力が失われたことについては、あんまり悲しいと思ったことはない。
そもそも、生まれてから一度も両眼視を獲得してないから、立体写真だの、3DTVとか言われても、全く関係ない。
ステレオの訓練は、斜視の手術の後、イヤになるほどやったけど、一度も立体視はできなかった。子供用のステレオの検査は、
 籠に小鳥を入れる
とか
 輪投げの輪を入れる
とか、カラーの楽しい絵が左右で違っているものを見せて、どの角度でステレオができるかどうか見るんだけど、一度も、籠の中に小鳥は入らなかったし、輪投げの輪もちゃんとささったことがない。あと、ステレオの検査には
 蜂の立体写真を見せて、羽を触らせる
というのもあったけど、立体に見えないとちゃんと結果が出ない。

結局、生まれてからずっと疑似ステレオの世界で生きているが、球技をやらない限りは、そう問題はない。

来月からは調査旅行に出かける。木簡を見たりする。
木簡を読むのは訓練が必要なんだけど、こっちの視力が落ちたから、せっかく獲得した技能を発揮できないのが残念だ。それでも、まだ見ればわかることはある。

弱視なのに、4歳の頃から文字を読むのに特化させちゃったから、ある意味、
 パラリンピックの義足のランナー
と似たところがある。小学生の頃は、日曜の朝は寝床で漢和辞典を読んだり、雨の日は電話帳を読んだりしていた。子どもの頃から二十歳までにインプットした文字の形態情報を頼りに、この視力でもまだ仕事を続けられるのは、幸せなことだな。

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2010-01-29

iPadで義務教育の教科書を 弱視や手に障碍のある生徒も同じ教科書を使える利点 iPadによい「日本語読み上げソフト」を

昨夜、1時間30分あまりにわたる、JobsのiPad keynote podcastを見た。Appleファンは、なんだかんだ言っても
 Jobsの卓越したプレゼン
を見たいのだと思う。1984年のMacintoshのプレゼンもそうだけど、
 世界で一番プレゼンの上手い男がJobs
だと思う。どうしたらスタイリッシュに、
 持ったら楽しくなると思えるハードやソフトを世界に公開する
か、ということに、Jobsは賭けてきたし、実際、そう思わせてきた。

Jobsのこれまでのkeynotesの一部はAppleがpodcastで配信している。
iTune storeでも無料で配信している。
一回見るだけでイイなら、Appleのサイトから見ればいいし、Jobsのプレゼンを保存しておきたいなら、iTunes storeから落とせばいい。1Gくらいあったけどね。

少なくとも、
 kindleはどうするよ
という出来だ。プレゼンの中でJobsはkindleを紹介し、電子出版の先駆者として讃えていたけど、ハードの出来としては、iPadの方が格段に上だ。もっとも
 ただのでかいiPod touchじゃん
というヒトもいるだろう。
 マルチタスクじゃないのがサイテー
と言ってるヒトもいる。ま、
 電子書見台
というのがiPadの一番の用途だから、横で辞書ぐらい引けた方がいいとは思うけどね。

ところで、このiPadに刺激されて、未来を見ている人達もたくさんいる。
古川亨さんは、
 iPad100本ノック(になるのか、まだ微妙だけど)のアイデア出し
をtwitterでずっとやっている。ここね。さっき見たときは
 iPadアプリ83
まで行った所だった。

音楽への応用では、こんな素晴らしいアイデアが。
PadScore(仮称)
plusaddさんのアイデアが現在#padscoreでいろいろつぶやかれている模様。

で。
わたしの考えた
 iPadの利用法
はずばり
 教科書の電子化
だ。特に
 弱視生徒のために、iPadを教科書のプラットフォームに採用
してほしい、と思う。わたしは幸いに近距離視力(30cmの距離からはかる)があるので、拡大教科書のお世話にならなくて済んだのだが、弱視の生徒たちの中には、近距離視力も低い子ども達がいる。彼らは、文字や図表を拡大して書き直した
 拡大教科書
のお世話になっている。
ただ、問題は
 拡大教科書は嵩張る
という点だ。物理的に拡大しているからそうなってしまう。

だったら、
 最初から電子化教科書を
と思う。拡大・縮小も、ページめくりも楽なのが電子教科書だ。
弱視の生徒たちだけでなく、手などの運動機能に障碍がある子ども達にも
 電子教科書
は、一つの回答になるだろう。そのままタッチしてページをめくるのが難しかったとしても、他のデバイスを併用することで、そうした子ども達も、自由に教科書を読むことが出来るようになる。

もう一つ、
 iPadに、よい、日本語読み上げソフト
が供給されることを望む。日本語読み上げは漢字の読み方が一意に定まらないために難しいのだが、もし、教科書に採用されるとするなら、
 正しく教科書を読めるソフト
でないと困ってしまう。
 電子教科書と正確な日本語読み上げソフト
は、日本の学校の風景を一変させてしまうかも知れない。障碍のある子に便利なデバイスは、健常な子ども達にとっても役に立つ。その内
 学校には、電子教科書
というのが常識になるかも知れない。重い教科書を登下校で持ち歩くのではなく、デバイスを必要な場所に置いて、その都度電子化教科書を開く、という形態になっていくのではないか。
電子教科書なら
 音声も画像も動画も入れられる
わけで、授業の楽しさは更に拡がるし、理解を深めるのにも役立つ。

Jobsの示した
 iPad最低価格$499
は、教育現場でiPadが教科書表示デバイスとして利用可能な価格提示だと思う。

文字の拡大可能な書籍、という観点からすると
 年を取ると活字を読むのが辛い高齢者
にとっても、iPadは福音だ。
 知的欲求が高いのに、身体的制限で読書を諦めている高齢者層の書籍販売の需要掘り起こし
をすることになる。果たして日本の出版社が、
 紙の書籍第一主義
から抜け出せるかどうか。5万円前後で、楽に読める本が出来るなら、たぶんこれからの高齢者はこの手のデバイスを買ってくれるはずだ。当然
 本(コンテンツ)も買ってくれる
だろう。

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2009-11-09

東大社研から科研の世論調査アンケートが来た件 世論調査の作られ方

郵便受けに大きな封筒が入ってると思ったら
 東大社研
の封筒で、中身は
 科研で世論調査するからアンケートに答えろ
という内容。依頼は丁寧だが、ちらっと眺めたら、聞いてる中身がどうも丁寧に答えれば答えるほどアホらしくなる内容である。
一般市民に、無作為抽出でクロネコメールで送っているようなんだが、研究者から見ると
 こんなアンケートで科研の業績になるの?
という内容。アンケートには答えてあげるという仏のような市民を除き、たいていの一般市民なら当然うんざりしそうな内容のアンケートである。てか、この設問のセンスのなさはなんだろう。

設問の多さは、健常者でもたぶんイヤになると思う。
で、
 視覚障碍者に普通の大きさの文字で、かつ大量の設問入りアンケートを送ってこない
ように。役所の書類を書くときに視覚障碍者がどれだけ呻吟してるか、たぶん送付した方は考えてもいないだろう。

たまに、市の調査なんかでも
 無作為に選んで
とか言って、
 普通の大きさの文字で、大量の設問入りアンケートを送付してくる
のであるが、一切答えないことにしている。というか
 決められた場所に、印を付ける
というのは、視覚障碍者が一番不得手な作業である。だいたい紙アンケートなんぞに答えると、その日は一日他の仕事が出来なくなるのだ。
 そんなに潤沢に視力が余っているわけではない
のに、送ってくる方は何も考えてないからな。

ちなみに
 東大社研のアンケートにはボールペンが1本
入っていたから、これが
 御礼
なんだろうな。

今回はたまたま
 視覚障碍のある研究者
に届いたのが不運ということで、わたしからの回収は諦めて頂戴。てか、視覚障碍がなくても、普通の研究者は回答しないだろうな。すごくバカにされたような気分になる設問が並んでるんだもん。

ボールペン1本もらって、答えなくてはいけない設問には
 前回の衆院選の投票行動
のほか
 現在の年収や職業
といったおなじみの項目のほかに、なんと吃驚、
 自分が生まれたときの両親の国籍が日本国籍かどうか
なんて質問がある。すげー微妙というか、無茶振りの設問。対面式のアンケートでやるべき設問じゃないのか。

てか
 ボールペン1本でこんな質問に答えて、親や自分のプライバシーを売り払う人間
がいるのかどうか、謎だけど。こうした
 親の国籍にまで関わるような微妙な設問が「科研のアンケートだから、誠意ある回答が得られる」
と信じてる段階で、たぶん、いろいろ間違っている悪寒。
 郵送してヒモがついてる時点
で、つまり
 東大社研のリストには回答者の住所と氏名がある
訳で、それに
 年齢とか性別とか年収とか「生まれたときの親の国籍」とかがリンクする恐れ
がある。整理番号ついてるしな。
もちろん
 悪用しません
とは断っているけど、科研のアンケート処理のプライバシーに関する配慮って、どの程度あるかなんて結局は分からない。
そして、このアンケートの依頼状の気味の悪い所は
 研究分担者の名前がない
点である。てか
 研究代表者
はいるんだけど、残りの大学関係者はみんな
 研究協力者
なのね。研究分担者をリストに入れて、アンケートの責任の所在を明らかにするのはまだ分かるような気がするが、
 研究協力者がアンケート依頼の責任者リストに入っている
って、普通ですか?初めて見たんだけど。研究協力者って、日本人院生でも留学生でもなれちゃうわけで、あんまり説得力を感じない。

で、「生まれたときの親の国籍」などという最も難しいプライバシーに関わる質問は失敗するんじゃないの?はっきり言うけど
 対面式で調査するべき項目を郵送アンケートで処理しようとしているのは手抜き
じゃないかと思う。ボールペン1本もらった程度で
 親はわたしが生まれたときは日本国籍をもってませんでした
なんて、わざわざ書く人っているのかなあ。対面式でも信頼できる結果が得られるかどうかは、結構難しいかも知れない設問である。

しかし、この信頼できる結果がでるかどうか謎なアンケートは統計処理されて報告書になる上に
 アンケート協力者に報告書を送ってくる
って話で、依頼している方は、
 ありがたく思え
と思っているのかも知れないが、普通のヒトは
 いらねえよ、そんな報告書
なんじゃないのか。科研の報告書をもらって嬉しいヒトって、その分野の研究者だけだろうし、その分野の研究者であったとしても、アンケート結果の報告書は貰ってもほとんど使い道がないでしょ。

いろんな意味で世間の一般的な「気持ち」とズレまくっているところが凄い。

で、このアンケートが報告書になった暁には、きっとどっかのマスコミが
 東大社研の調査で〜ということがわかった
とかいう提灯記事を書くに違いない。楽しみにしてるよ。東大社研だと朝日とか毎日辺りが食いつくのかね。

続き。(11/10 8:50)
社会調査を行う経済学研究者である畏友が教えてくれたのだが
 国籍に関わる設問など「入れると回収率が明らかに低下する質問は、どうしても必要でなければ入れない」
そうだ。アンケートを送付してきた研究者を、この友人は知らないそうで
 社会学の人かな〜?
と言っている。ま、
 回収率があからさまに悪くなる可能性の高い設問を平気で入れてくる
のだから、
 アンケート調査に慣れてない
か、
 アンケート調査をナメている
かのどちらかでしょう。

アンケート調査で肝要なのは
 信頼できるデータが取れる質問が設定されているか
と、郵送調査のように
 回答者に負担を強いる場合
には
 回答者がイヤにならないよう、質問の構成・デザインに配慮
することなんだけど、少なくとも
 質問の構成・デザインが投げやり
なアンケートであることは間違いない。研究費の使い方がダメなんじゃないかな〜。
 郵送調査でこれだけ金かけてるんだから、なんでも聞いてやろう
って感じの設計なんだもん。質問する順番も考え抜かれているとは言い難い。

依頼状にしても、研究協力者が並ぶ責任者リストにしても
 有効なアンケート調査を実施する困難
をどうやって乗り越えるかは
 トップに東大社研という名前があれば大丈夫
という
 変な過信
に支えられているだけのように見える。そもそも東大社研と言われても、一般社会のヒトはほとんど知らないって。研究者だって、分野が違えば、東大社研がどんなところか知らないというのにな。
世論調査の対象である「世間」から見られている自分が自閉的であることに自覚的でない状態で
 世論調査のアンケート
って、なんだか凄いよね。

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2009-09-09

中国の視覚障碍者用データベースには古典が満載

ググっていたら、中国の
 中国盲人数字図書館(簡体字)
というデータベースに逢着。視覚障碍者のために、古典を中心にデータベース化してるのだが、他のデータベースと共通のもの以外に、割に変な書物が置いてある。
 『太平御覽』
 『册府元龜』
 『本草綱目』
 『五雑俎』
 『朱子語類』
 『日知録』
 『傳習録』
 『資治通鑑』
 『續資治通鑑』
 『讀史方輿紀要』
 『唐律疏議』
 『貞觀政要』
 『朝野僉載』
『册府元龜』と『續資治通鑑』か。便利な世の中だな。

しかし、視覚障碍者用にこうしたデータベースを用意できる中国と
 視覚障碍者がこんなに気軽にアクセス出来る日本古典の一般公開データベースがない日本
とを比較すると、どっちが先進国なんだ、って話になる。たとえば、国文学資料館は、岩波の赤い大系と呼ばれる、
 古典文学大系のデータベース
を、
 研究者向け
には公開しているが、一般用ではない。
この中国のデータベースは
 画像でない
ところがミソで、
 読み上げソフトなどで(といっても、古典の冷僻字を中国の読み上げソフトが読めるかどうかは謎だけど)利用できるよう、テキストデータで公開されている
ところがエライ。画像で渡されると、テキストからの点訳ソフトとかを使っている、視覚障碍者は読めないからな。たとえば、東大史料編纂所は、大量の史料を公開しているけど、
 テキストデータではなく画像で提供
している。つまり
 画像を見て、手で入力するか、OCRに食わせて出力する手間がかかる
って話だ。

中国のこの視覚障碍者向けデータベースには
 中国国家図書館
が協力している。日本だと国会図書館が近いかな。

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2009-08-10

飛蚊症

2週間ほど前、特急で疲れ果てて寝ていたら、隣に人が来た。慌てて、荷物を持ち上げたときに、右手の親指で利き目の左目を突いてしまった。
幸い、外傷になるほどではなかったようなのだが、その後、変なことに気がついた。
虫がいる、と思って見ると、なにもいない。
どうも飛蚊症がひどくなったのか、黒いものが視界の真ん中に時々見えるようになってしまった。飛蚊症とは物心ついたときからのつきあいで、今更驚かないのだが、視野の真ん中に黒い塊が見えるのは、これまで経験がない。
飛蚊症ならしょうがないけど、一度網膜裂孔を焼いてもらっている左目なので、念のために稲葉眼科で診ていただいた。
今日は付き添いなしなので、散瞳は左目だけにしてくださった。眼底をチェック、その後眼圧も診てくださったが、大丈夫とのことでほっとする。日本人は低眼圧の緑内障が比較的多いけれども、いまの眼圧なら、さすがに緑内障はないだろう、とのこと。眼圧を器械で測れないので、麻酔を点眼して、手動で測っていただいた。

強度近視で網膜裂孔の既往症があるから、光凝固をしてもらった中学2年生以降は、できるだけ、目にものを当てないように、そうした危険が生じやすいスポーツをなるべくしないようにしている。具体的には、球技一般だ。中学高校の体育は休ませてもらえなかったので参加したけど、大学では養護クラスで過ごした。ハワイは好きだけど、決してゴルフをやろうとは思わない。それだけ気をつけていても、自分の指で目を突いてしまった。
片目しか見えてない上に、潜伏性眼振があるから、片目になるとほぼ目が使い物にならなくなってしまう。両目を開けて、なんとか眼振を押さえて暮らしている。片目を遮蔽しなくてはいけなくなるような病気にも罹らないように気をつけている。

帰りは左目が使えないので、どうしてもなにかを見なくてはいけないときは、左目を遮蔽して普段使ってない右目で見た。右目で見えているパースの軸は左目よりも10°程度水平方向にずれているので、慣れないんだけど、散瞳薬が効いている間は、全然ないよりはましだった。使ってない目で、眼振がひどいから、ほとんど見えている時間はないんだけど、物にぶつからないで済む程度の仕事はしてくれる。

梅田から帰る前に、隣の湖崎オプティカルで、眼鏡を調整してもらった。診察が終わって覗きに行くと、ちょうど小学3年生くらいかな、女の子が弱視鏡の調整をしてもらっているところだったので、遠慮して昼ご飯を先にした。子どもの弱視鏡の調整は、自分の経験から言っても時間が掛かるからね。
昼ご飯を終えてもう一度覗くと、誰も他にお客さんがいなかったので、今度は心おきなく調整をお願いする。
湖崎オプティカルに来る子ども達は、湖崎克先生の患者さん達だ。夏休みの今は、全国から弱視の子ども達が、少しでも見えるようになりたいと、湖崎クリニックに押し寄せてくる。
 ああ、あの子は北海道から来た子ですよ
と教えてくれたので
 札幌から通ってた昔のわたしといっしょだなあ。もっともわたしはまだ湖崎クリニックのできる前で、大阪小児保健センターだったけど
と答えた。名前を知らない北海道の女の子、自分の負担になりすぎない程度に頑張れ。あきらめちゃダメだけど、頑張りすぎるとこれまた辛いよ。でも小学校3年くらいだと、いい子は頑張り過ぎちゃうかも知れないな。

小学2年の時に初めて出会った湖崎先生は、それから随分経つのに、今も昔と変わらないようにお見受けする。
 湖崎先生、わたしが小学生の頃と変わらないのが凄いんだけど
と水を向けると
 いや、それでも結構年を取ったと思うことはありますよ。歩いてる姿なんか見ると
との返事。患者はだいたい向き合って座って目を診ていただくからなあ。
 でも、相変わらず口の方は厳しいようですよ
というので
 ええ? それは親が神経質すぎるか、患者の子ども達が何かいいかげんなことをしたときだけでしょ? わたしは一度も湖崎先生に怒られたことないよ。
と答えておいた。

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