2018-03-21

ノルウェーの首相、10月からのムンク展のPRに身体を張ってます!

清々しい!



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2018-02-23

甲胄が海外流出している件@twitter

最近のヤフオク!での
 和服や茶道関連の出品案件の廉さ
を見ていると
 甲胄が海外流出
していると言われても驚かない。

パリからの報告。
鎧甲冑製作所 佐藤さんのtweetより。





刀剣の1/10となると、極めて安価ですな、甲胄。
そりゃ、いくらでも流出しますって。

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2017-12-10

機械学習で描かせたASCIIアートが凄い件

現在、学会で渡米中という、佐藤大哲さんがtwitterで
 会場で見かけたポスターを紹介
されているのだが、内容は
 機械学習でASCIIアートを描かせてみる
というもの。
まずはその成果をご覧あれ。



こちらがポスターの全体像。


う〜ん、その昔
 コンピュータアート
というと
 人間がASCII文字を並べて「画像」を作る
どう考えても、人間にやらせるのは
 難儀なもの
だったのだが、機械学習って、こういうの得意そうだよね。

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2017-09-29

細見美術館こんどは「細見コレクション×RIMPOO 琳派ふやきの箱入りが新登場!12枚揃え」

京都は岡崎の
 細見美術館
なのだが、展示のセンスもステキなのだが、ミュージアムショップの
 ARTCUBE SHOP
の品揃えには端倪すべからずものがある。
残念ながら、去年で終売になってしまったのだが
 亀屋伊織製の水飴「附子」
という、押しも押されぬ老舗のエッジの効いた商品を扱っていたりするのだ。
さて、先ほどtwitterで発見。



むむむ、この魅力には抗いがたいヒトが少なくないのでは? インスタ映えするしね。

なお、上記の「琳派ふやき」を扱うかどうかは不明だが、一部商品については
 京都タカシマヤ店
でも買える。
 

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2016-04-26

伏見冲敬『草書をおぼえる本―草訣歌詳解』二玄社 1983.1→追記あり

中国学プロパーだと、
 書誌学は勢い版本学が中心
ということになる。そうすると
 普段見ている文字は、ほとんどが楷書
で、
 草書や篆書
が出てくると、大騒ぎをして
 『五體字類』
をひっくり返したりする。

ところで、
 筆の文字に慣れていない現代人
だけではなく
 清代の中国人

 草書
は、形や崩しを覚えないと使いこなせなかった。

そこで作られたのが
 草訣歌
だ。
 訣歌とか歌訣
というのは、いうなれば
 記憶のための語呂合わせの歌
で、いろいろな暗記物の訣歌があるのだけれども、
 草訣歌は草書の形を覚えるための語呂合わせ
である。これに、伏見冲敬さんが、日本語で解釈を加えたのが
 草書をおぼえる本―草訣歌詳解
というわけだ。

いや〜、これは、俗書であるだけに
 間違いやすい文字が集められて
いて、
 初学者向け
だ。たとえば、こんな風に、よく似た文字を並べて、口調よく説明している。Photo

草書を苦手とする人は、この書物で草書の稽古をすると、少しは
 草書が読みやすくなる
だろう。別に筆で書かなくても大丈夫。
 筆の運び
が分かればいいのだ。その点、上の図版のように
 手本の「手」は確か
だ。

活字・フォント世代にお勧め。

(追記 11:05)
同じ種類のものが
 iPad/iPhoneのアプリ
として無料で提供されている。
草訣百韻歌
画面が二分割されていて、
Img_0092
右頁にお手本、左頁に指でお習字できるようになっている。
(追記終わり)

なお、
 蔵書印などのハンコの字が読めない!
と泣いている人向けなのが、同じ著者による
 篆書が身につく本―篆書偏旁歌訣
だ。こちらは実際に篆書を交えて、字体を説明する。
Photo_2
 蔵書印が読めない
 落款が読めない
とお困りのご家庭には是非1冊。

あとは先に紹介した
 五體字類
があれば、なんとかなるかな。

蔵の中や天井裏から出てくるような、近世の文書を読む時はまた別で
 御家流
という書体対応の字書が必要になる。

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2016-04-11

伊藤若沖「六歌仙図」が面白い@愛知県美術館

現在、
 愛知県美術館
で開催されている
 コレクション展特集「木村定三コレクションによる生誕300年蕪村・若冲と江戸絵画」
なのだが、そこで展示されている
 伊藤若沖「六歌仙図」
について、愛知県美術館さんがtweetしている内容が面白い。








ということなんだけど
 無駄にロックバンド風にアレンジ
って、最高ですね、愛知県美術館。
 ロックのノリで行ける六歌仙図
って、さすがは若沖。

おまけ。
馬渕美帆「伊藤若冲筆:六歌仙圖」『国華』1402、2012、pp. 31-33
國華 第1402号 第118編 第1冊
美術研究誌『國華』は1冊4731円(税込)とお高いので、公共図書館等で御覧下さい。

新江京子「伊藤若冲の歌仙絵を読み解く」『美術史研究』50、2012、pp. 1-22
『美術史研究』は早稲田の雑誌。
『美術史研究』バックナンバー一覧

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2016-04-08

母は再び舞台に立つ NHK BS1 世界のドキュメンタリー「バレリーナ・マイコの物語」 4/8 0:00-0:50

たまたまBS1を付けていたら、始まったのが
 世界のドキュメンタリー「バレリーナ・マイコの物語」
だった。見て良かった。
番組内容の紹介。


バレリーナ・マイコの物語
2016年4月8日(金)午前0時00分~

ノルウェー国立バレエ団で東洋人初のプリンシパル(主役級のダンサー)となった日本人、西野麻衣子。妊娠・出産のブランクを乗り越え、再び舞台に復帰するまでの日々を追う。

15歳で英国の名門バレエ学校へ留学。ひたすらバレエに打ち込む人生を送ってきた麻衣子。そんな彼女はいま32歳となり、充実した日々の中で妊娠がわかり、キャリアとの両立に悩みながらも出産を決意する。ブランク後の復帰作に決まったのは大作「白鳥の湖」。育児、そして体格の変化を克服し、果たして麻衣子は無事に大役を果たすことができるのか?

原題:Maiko:Dancing Child
制作:SANT & USANT (ノルウェー 2015年)

「マイコは踊る子って意味よ」
と西野麻衣子は語る。海外で、特に白人の多い地域で生きていく東洋人の顔をした麻衣子。きつい顔立ちで、頬骨が高い。
プリマドンナになりたい。
娘の願いを叶えるため、両親は、家と車を売って、英国ロイヤルバレエスクールの学費を工面した。15歳のときだ。後戻りは出来ない。負け犬となって帰国なんてしない。麻衣子はそう思ったと言う。
たとえ、ロイヤルバレエスクールに留学できたとしても、その後の成功が約束されているとは限らない。しかし、麻衣子は研鑽を積み、19歳でノルウェー国立バレエ団に入団、25歳でプリンシパルに抜擢される。東洋人としては同バレエ団では初めてのことだった。
そして一昨年。充実したプリンシパルとしての活動の傍で、小さく囁く声がある。
 家族を持つのはどう?
Skypeで話す大阪の両親も、バレエ一筋だけではない行き方があるのでは、と控えめに言う。本音は「孫の顔が見たい」。

バレエに限らず、ダンサーは見た目の華麗さとは裏腹に重労働だ。体のあらゆる筋肉を鍛え直して、まるで重力が存在しないかのように、軽やかに踊ってみせる。その筋肉の一つ一つは、毎日たゆまぬ練習で鍛え、足りなければトレーニングをし、痛みがあればメンテナンスを受けて、常に理想的な状態を保つように培ってきたものだ。一朝一夕に手に入れられるものではないし、怠ければすぐに失われてしまう、ガラスのように脆いものだ。
麻衣子は32歳。女性ダンサーとしては、体力が少しずつ衰え始める時期である。
新しいシーズンの稽古に入ってほどなく、麻衣子は妊娠に気づいた。
 もし、授かったら、その時は産む
とは決めていたものの、バレエを始めてから、鍛え、チューニングしてきた自分の体が、未知の状態になってしまう。母親が子どもを産むために、人類がこの世に出現して以来続いてきた、動物としての様々な反応は、鍛え抜いたバレエダンサーの体を文字通り骨抜きにしていく。
妊娠を告げると、バレエ団の人々は、異口同音に笑顔で祝福した。
産むと決めた以上、麻衣子は行ってしまうのか、それとも戻ってくるのか。
麻衣子は、復帰を決意していた。
麻衣子の穴を埋めるべく、アメリカから、新しいダンサーが入団した。メリッサ。
メリッサは、麻衣子の出産前最後の舞台では、プリンシパルを務めた。
大きなお腹を抱えて踊る麻衣子がメリッサを見つめる視線には、複雑な思いがこめられている。

可愛い赤ちゃんが生まれる。
麻衣子もしばし、赤ちゃんに寄り添って過ごす。

次のシーズンの前に、麻衣子は、バレエ団の監督と相談する。
 復帰するなら、いつ準備を始めればいいの?
産後間もなく、厳しいトレーニングで、前の状態にまで戻そうとする日々が始まる。
幸い、夫は
 僕が育休を取るよ
と、麻衣子の復帰に協力してくれた。

赤ちゃんの世話もしながら、麻衣子は体を鍛え直す。
その麻衣子の一挙手一投足を、若いダンサー達が
 麻衣子がもし、前ほど踊れなくなっていたら、次はわたしが取って代わるのだ
と、燃えるような目で見つめている。誰かのピンチは誰かのチャンス、しかも、30歳を過ぎたプリンシパルが妊娠出産した。こんなチャンス、逃さずにはおかない。

麻衣子は、
 「白鳥の湖」で復帰したい
と訴えた。「白鳥の湖」は、難曲で、復帰したばかりの麻衣子には荷が重すぎると誰もが考えた。しかし、このバレエ団でプリンシパルになった時に踊ったのも「白鳥の湖」だった。どうしても、「白鳥の湖」でなくちゃ、ダメなんだ。麻衣子の願いが通った。
しかし、現実は厳しい。産後の体は、なかなか元のようには軽やかに踊ってくれない。
最後の舞台リハーサルで、「白鳥の湖」の中で最も難しいとされる
 黒鳥オディールの32回転のgrand fouette rond de jambe en tournant
が決まらない。途中で回れなくなってしまうのだ。途方に暮れている麻衣子に、仲間達が口々にアドバイスをする。果たして、麻衣子は踊りきれるのか。

復帰の舞台には、日本から両親を始めとする親類縁者も駆けつけた。かつて、生まれたばかりの麻衣子を置いて、スーツを着て仕事に出かけざるを得なかった母は、和服で娘の舞台を見ることにする。麻衣子のメイクと母の着付けのシーンが交互に映される。幼子を置いて仕事に向かった母を、麻衣子は、
 格好良かった
と、今でも誇りに思っているという。

舞台の幕が上がる。
麻衣子は、難曲「白鳥の湖」を踊りきってみせる。リハーサルではうまくいかなかった黒鳥オディールの32回転のgrand fouette rond de jambe en tournantも、大過なく終えた。

どのシーンが終わった後も、大きな拍手。
幕切れでは、更に大きくなった拍手や歓声が上がった。
バレエ団の人達も、口々に、復帰成功を祝う。
 奇蹟の舞台
がそこにはあった。

バレエのプリンシパルという、肉体的にも精神的にも厳しい条件下で、子どもを産む選択をし、産後すぐに復帰を遂げた西野麻衣子。こんな素晴らしいダンサーがいたとは。
 ポジティブに生きる
のが身上という麻衣子は、いい意味での
 大阪人
である。

淡々とした取材態度が好ましいドキュメンタリーである。

おまけ。
最近の西野麻衣子インタビュー。
バレリーナ・西野麻衣子さんインタビュー ノルウェーでは働く母が100% 産後も海外で活躍するバレリーナ・西野麻衣子が明かす育児事情
こちらは映画版の予告編。

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2016-03-27

京博のゆるキャラ「トラりん」 期待を裏切らない「京都風ゆるキャラ」は土日に出現

千年の都京都で、
 現代デザインの観点
で決定的にダメなものがいくつかある。その1つが
 キャラクター
だ。過去を振り返っても、1984年京都国体の
 未来くん
から始まり、京都市交通局の京ちゃん(市バスのキャラクター)・都くん(市営地下鉄のキャラクター)
Kotsu_character
3D化すると、「丸いぬりかべの親戚」の京都府のキャラクター、まゆまろ
Mayu
と、千年の雅のデザイン力はどこに吹っ飛んでいるのか、と思う造形が並ぶのだが、美の殿堂京博にも
 頭の痛いゆるキャラ
がいることに気づいた。昨年の
 琳派400年
を契機に、京博が所蔵する、思いっきり虎を愛教のある方向へデフォルメした
 尾形光琳「竹虎図」
をモチーフに
 とらリン
なるゆるキャラが
 京博公式キャラクター
になった。2Dは、元が光琳のおちゃらけた絵だからまあこんなものか、だけど、
 3Dの破壊力
が凄すぎる。土日に京博に出現するそうなので、是非確認を。
 庭園開放のお知らせだリン!
ちなみに、とらリンは語尾に「リン」をつけるのが口癖らしい。

泉下の尾形光琳も、苦笑してるんじゃないの。
名付け親は、京博館長。
(今の京博館長は、その当時「承平ちゃん」と呼ばれていた佐々木先生ではありませんか。)

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2016-03-18

「神奈川県教育委員会に対応して頂けることになりました」@twitter

前々記事で、
 文化財を神奈川県教育委員会に貸し出したら、傷んで返ってきた
と嘆いている@oginosuzuさんが、
 事態が進展した
として、元tweetを削除された。


ということなので、わたしも記事を一旦非公開にします。
どうか、良い方向に事態が進みますように。

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2016-02-17

鬼神の作か 粟生屋源右衛門「透彫葡萄棚香炉」

昨年、東京駅の東京ステーションギャラリーで開かれた
 交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開
で、驚くべき「やきもの」が展示された。
 粟生屋源右衛門 透彫葡萄棚香炉
だ。写真だけでは細かいところがわかりにくいが、上記解説によれば


竹の葡萄棚をリス、トンボ、カタツムリなどが彩る装飾性豊かなデザイン。エミール・ガレが活躍したアールヌーヴォーより半世紀も前に、日本でこのような陶磁が作られていた

という、時代も国境も超えた、まさに
 ぶっとんだ作品
である。この恐るべき香炉を作り出したのは
 粟生屋源右衛門のデザイン
とそれを
 陶磁器という、窯の火任せの不確かな工芸で実現
させた
 鬼神の作か
と疑われるような、
 究極の技術
だろう。この香炉が形になるまでに、陶土を捏ねて繊細な形を作り、組み合わせ、それを壊さないように焼き、釉薬を掛けてはまた焼き、組み立てるという長い過程で、どれだけの意に満たないものが壊されたか、考えるだけで身震いしてしまう。

いったん断絶した九谷焼は、江戸時代末期、再興九谷諸窯で再び花開くが、私財を投じて再興させた豪商・吉田屋の豊田伝右衛門の窯は吉田屋窯と呼ばれる。吉田屋窯で最高の腕前を誇ったのが粟生屋源右衛門(あおや・げんえもん 1789-1858)である。源右衛門は、若杉窯で学んだ後、再興九谷諸窯で腕を振るい、後自前の窯を築いた。
粟生屋源右衛門は、上の写真や動画にあるように
 本来、陶芸では試みられない、木工品を陶器で再現する
ことにも情熱を注いだ。東京ステーションギャラリーにも、他に
粟生屋源右衛門「山水図御茶棚」
が出陳されている。
九谷焼の地元石川美術館の所蔵品では
粟生屋源右衛門 作品一覧
 色絵桐鳳凰草花文高卓・色絵山水図卓
がそれに当たる。

陶土は焼けば歪む。切ったり、削ったりすれば、たやすく形が得られる木工とはそこが違う。不安定な陶土を、窯の火に委ねても、木工品と同様の自在な形を作るのは至難の業だ。さらに、やっと得られた素焼きの生地に、絢爛たる色を乗せてゆくのだ。
陶工の驕りが、二度と再現できない美を生んだ。
それを作った人も、世に伝えた人も、見る人も、実に恐ろしい。

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