2008-10-04

犬も歩けば棒に当たる

朋友書店から、中華書局から出ている学術筆記叢刊の一冊
 清・鄒漢[員力]『読書偶識』
が届いた。コンタクト用の眼鏡を掛けてめくっていたら
 説文、嬰、頚飾。
という文章が目に入った。なるほどね。

首にできる腫れ物は「やまいだれに嬰」と書く。『日本霊異記』にも『医心方』にも、当然ながら先行する中国の種々の医学書にも記されている疾病である。
ズボラをしてきちんと文字を調べずにいたのだが、なるほど、『説文解字』の解釈に従えば、その通りだ。
「やまいだれに嬰」と書く腫れ物は、主に甲状腺腫だろうと考えられているのだが、
 嬰、首飾
というのであれば、喉の前面に大きな瘤を作るこの病を表す文字としてふさわしいわけだ。

せっかくなので、段玉裁『説文解字注』を繙いた。
 十二篇下 女部
の文字で『説文解字注』では
 嬰、繞也
と貝部の[貝貝]の説解によって本文を改めている、で、その後に
 从女[貝貝]、[貝貝]、貝連也、頚飾
と続く。ついでだから、六篇下貝部も開いてみると
 [貝貝]、頚飾也、从二貝
となっている。
「やまいだれの嬰」は、『説文解字』にも入っていて、これは七編下。説解は
 頚瘤也
だ。

中国人のこの手の筆記は、端から端まで熟読することは少ないのだけれども、たまにめくると、いろいろと教えられることがある。

これからは、病名を見たら、まず『説文解字』などの字書も調べないとな。

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2008-09-30

拝受 犬飼隆『木簡から探る和歌の起源』笠間書院

著者の犬飼隆先生から頂く。ありがとうございます。

いま、国語国文学と国史学のホットな話題
 歌木簡
について、最新の資料を駆使して書かれた「和歌誕生」を巡る論説。
先ほど届いたばかりなので、これからじっくり拝読いたします。

むむむ、やっぱり歌木簡の論文を書かないといけないな。
犬飼先生とは、徳島県の観音寺遺跡木簡を調査したときにご一緒した。
表記や音韻学、国語史の観点から、出土文物を扱われる国語学の専門家である。

出来たての書籍を送っていただいたようで、まだアマゾンには本書は掲載されていない(9/30 13:00現在)。
笠間書院のサイトから。


犬飼隆『木簡から探る和歌の起源 「難波津の歌」がうたわれ書かれた時代』(笠間書院)

Inukai

木簡から探る和歌の起源 
「難波津の歌」がうたわれ書かれた時代

犬飼隆著

ISBN978-4-305-70390-3 C0095
定価:本体1,900円(税別)
四六判・上製・カバー装・216頁

遙か古代、有名な「歌」だったにもかかわらず、歌集には縁がなく、それ以外のところで
盛んに出て来る「難波津の歌」。
この歌の出自を探ることで、和歌の起源が見えてくる。

文学の歴史を変える、スリリングな一冊!

2008.5.23に報道された、万葉歌と同じ歌を書いた木簡が発見されたことの、
本質的な意味もわかる本です。

【目次】
カラーグラビア●
滋賀県甲賀市史跡紫香楽宮跡(宮町遺跡)出土
「両面歌木簡」のカラー写真・赤外線写真・復元木簡(模型)の写真

プロローグ●
「うた」を素材にした「歌」が昇華して和歌となる

第一章●
難波宮跡から出土した「歌木簡」

第二章●
紫香楽宮跡から出土した「両面歌木簡」
 1.表裏に「難波津の歌」と「安積山の歌」が書かれた木簡
 2.「難波津の歌」と「安積山の歌」は「歌」の手本だった

第三章●
典礼の席でうたう「歌」  
 1.律令官人は職務として「歌」をつくり書いた
 2.中国の「楽府」と日本の「歌」

第四章●
出土物に書かれた「歌」たち
 1.出土した「難波津の歌」たち
 2.出土した「歌」たち「うた」たち

第五章●
観音寺遺跡から出土した「難波津の歌」木簡の価値

第六章●
「歌」の記録と和歌の表記
 1.「歌」をうたう場と記録
 2.漢字で「歌」を書くとき和歌を書くとき

第七章●
五重塔の天井に書かれた「難波津の歌」と和歌

第八章●
典礼の場から文学サロンへ、そして贈答歌へ

第九章●
「難波津の歌」の世界と『万葉集』の世界

後書

付録
・関連年表
・主な木簡出土地図
・著者名索引
・キーワード索引

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2008-09-23

佐々木俊尚『ブログ論壇の誕生』文春新書→商業出版や商用サイトが個人blogを引用しても連絡してこない件→追記あり

先日の『諸君!』の鼎談のときに
 『諸君!』の連載を纏めたものを文春新書で出す
と佐々木俊尚さんご本人から伺っていたのだが、発売されたので、珍しくbk1から買ってみた。(いつもはアマゾンか楽天)

内容は、ご本人の仰るとおり
 『諸君!』の「ネット論壇時評」のリライトが中心
だ。ただ、時系列に沿って並べてあるのではなく、章立てには工夫が見られる。
なかなか面白かった。
で、社会学なんかでネットを対象にしている研究で、佐々木さんより調べがたりなくて、更に何も知らない上のおじさん・おばさんをダマしている論文はあるな、と感じた。学生や院生に舐められてますな、文系大学人は。つか、今年のネット関連卒論・修論には、佐々木さんの著書の何冊かを下敷きにしてリライトした論文が多数出そうな悪寒。

問題は、「あとがき」にあるように
 本書ではさまざまなブログから、さまざまな文章を引用させていただいた。ひとつひとつのブログの書き手にご連絡を差し上げてないことについて、ご容赦いただければと思う。
という点だ。
佐々木さんは忙しいんだろうけど(凄い数の講演をこなしているらしい)、他人のblogをタダで見て原稿料を得ているんだから、最低でも、掲載月には、参照したblogにはメールで一言挨拶しておけばいいのに、と思う。
ちなみに拙blogが、なにかに引用されて挨拶が来たことは、ある美術雑誌から一度だけあるが、それ以外は、商業誌や商用サイトに引用されても、何も言ってよこしたことはない。ネットで飯を食ってる年月が長い日経BPやアスキーでもそうだ。
そういえば、昔日経BPが運営していた商用BBS「日経MIX」があった頃、『日経バイト』には日経MIXのログを紹介する頁が巻末の方にあって、そこに発言が掲載されると、些少な原稿料代わりのものが送られてきた(確か図書券だったかな)記憶がある。その頃に比べると、ネットは広大になり、発言は星の数ほど増えたが、ネット上の発言を引用して商用利用する側のモラルは地に墜ちた。せめて引用しましたくらいの連絡はよこせないのか、と、後から引用されていたことを人から教えてもらったり、飛んでくるサイトを逆引きして知って、いつも思う。メール一通書けば済む話だ。引用する手間を考えたら、メールを出すことくらい造作ないだろうに。

で、巻末に
 特別付録 佐々木俊尚が選んだ著名ブロガーリスト
というので200弱程のサイトがリストアップされてるんだけど、本来なら
 このリストに上がるブロガーに事前にまず断りを入れてから掲載するのがスジ
だと思うんだよね。拙blogもリスト上にあるが、佐々木さんからは何も聞いてない。今日、書物を開いて初めて知ったような次第だ。

というわけで、『諸君!』編集部、佐々木さんが自分で断りのメールを出せないくらい忙しいなら、担当編集者がちゃんと引用元の筆者に連絡をいれるクセを付けていただきたい。毎月、引用されるblogの量が100も200もあるわけではないんだから。
 タダだから、blogの文章はいくら使ってもイイ
と、天下の文藝春秋社が考えているんだったら、情けなさ過ぎますが。

続き。佐々木さんの連載とはちょっと違う話だが、blogを出版する場合、記事につけられたコメントをどうするのかという好例を「麻酔科医」先生からコメントで御教示いただいたので再掲する。


日々是よろずER診療—時間外診療に潜む「地雷」回避術   三輪書店 (2008/6/6)

ブログの内容を出版したものですが、
本が出版される前に、コメントを載せていいか、丁寧なお問い合わせを頂きました。
私のコメントはそれこそ、ほんの1行だったのですが。
膨大なコメント全てについて、同様に、コメントした方に問い合わせをされたようです。
ちゃんと医師のコメントであるか確認する意味もあったのかもしれませんが、ブログ同様、誠実な先生だなああと感じました。

「なんちゃって救急医」先生のblog「日々是よろずER診療」はわたしも愛読していて、
 いかに診断が難しいか
を具体的な症例に基づいて、最初は診断名を明かさずにコメント欄で医師の回答を求め、ある程度時間が経ってから、正解を出すというコンテンツが実に勉強になる。

「出典を明示する」そして「商業出版や商用利用の場合は、著作権者に連絡を取る」って普通のことだと思ってたんだけど、blogを利用した出版や商用サイトでは、どうもそうじゃないらしい。既存の出版メディアは、多分
 blogなんて「活字」より下の位
だと思ってるんじゃないかな。だから、商業出版や商用サイトでは、個人blogは勝手に引用してもいいし、引用しても連絡を寄越さないのが当たり前と考えているフシがあるのではないか。

この件については2004年くらいから何回も書いてる話だと思うけど、状況は変わりませんね。

(追記 9/24 16:39)(一部補正 9/30 13:50)
ところで、
 お前の所はヒトの記事や2ちゃんねるの引用や転載(9/30 13:50)ばっかりじゃん
という批判がくるのをある程度は予想した上で、上記の文章を書いたんだけど、ここで想定しているのは
 編集とそれによる感想の部分についてはどうなの
という話である。その辺りがグレーだといつも思っている。

編集作業のオリジナリティがコンテンツの主眼になるblog、たとえば、2ちゃんねるの「まとめサイト」というのはたくさんある。で、商用サイトと商業出版はそれすらパクっていたりする。「まとめサイト」には膨大なログの中から価値のあるスレッドを拾い集める「編集」という過程があるんだけど、そうした手間をそのまま頂いて、まるで自分がその記事を広大なネットの中から「発見」したような顔をしている商用サイトや商業出版があるわけだ。

わたしの本業は
 引用と編集のオリジナリティで成立する稼業
である。同じ書物をみんな引用するが、それをどう引用して組み合わせるかで、ご飯を食べていると言っても過言でない。
同じ引用まではみんな出来る。それをどう組み合わせて解釈するかが、わたしの業界でのオリジナリティだ。

これをblogの話に移すなら、その「組み合わせと解釈」が、ニュース系や掲示板まとめ系の非商用blogの生命線だろう。ただし、それらはその解釈に対価を求めているわけではない。
そうした資源をタダで使って、しかも自分が考えたような風に記事にしている商用サイトや商業出版がある。商用でない個人blogであれば、お互い様で済む話だが、
 情報は金で売る
のが原則の商用サイトや商業出版が同じことをするのは、どうなんだ、それは他人が「タダで提供」しているのをいいことに、自分が働いた振りをしてるだけではないのか、と思うのだ。
最近、
 コピペで卒論を書くのはけしからん
などと、マスコミは言うけど、じゃ、ネットの話を書くときに、果たして、マスコミはある事象に関する一々の発言を全部拾って、自分で編集し直した上で記事を書いてるんだろうか。まずそんなことは不可能に近いだろう。たぶん、そうした過程では、どこかの纏めサイトやblogを利用したりしてるはずだが、そのことに触れることはない。

「僻地の産科医」先生のblog「産科医療のこれから」は、毎日膨大な産婦人科周辺の情報をOCRなどを駆使して網羅しようとしている労作だ。医療記事を書こうとして、これを参照しているマスコミは結構あるんじゃないかと思うんだが、記事を書いた後に、ちゃんと「僻地の産科医」先生にお礼を言ってるのかな。
数多あるblogには、こうした労苦を無償で提供しているものがいくつもあるけれども、そうしたものであっても、「無償である」ことにいいことにして、単なる「踏み台」に使っている商用利用者があまりにも多いのではないか。
それで金を稼ぐつもりなら、タダで配布されているモノであればなおのこと、引用させてもらう時に一言断れよ。それは文筆で対価を得ている人間の最低限の礼儀じゃないの?

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2008-09-09

祝復刊!『雪の下の炎』パルデン・ギャツォ 著/檜垣嗣子 訳

復刊ドットコムから、
 『雪の下の炎』
の復刊が決まったというメールが来た。
こんな本です。


書名 雪の下の炎
著者名 パルデン・ギャツォ 著 / 檜垣嗣子 訳
発売 ブッキング
判型 四六判
頁数 272 頁
配送時期 10月下旬
在庫数 在庫あり
ご注文のタイミングにより品切れの場合がございますのでご了承ください
税込価格 2,625円[予価](本体2,500円+税)※予価の為、価格が変更する場合がございます。
関連リクエスト 雪の下の炎 (171票)

内容 "祈りと怒り、衝撃の自伝。

28歳のチベット僧はある日、身に覚えのない容疑で中国政府に逮捕、投獄される。それは、強制労働や飢餓そして残忍な拷問など、いつ終わるとも知れぬ、想像を絶するおぞましい日々の始まりであった……。

30年以上もの長きにわたる苛酷な獄中生活にもかかわらず、強靭な精神力により決して屈することのなかった著者の、苦難と忍耐の物語。

※本書は1998年に新潮社から刊行され、その後絶版となっていた同名作品の復刊です
※復刊にあたり、仕様が並製(ソフトカバー)に変更となります
※内容については変更ございません。


(著者紹介)
パルデンギャツォ
1933年生まれ。28歳のときに中国政府により逮捕。1992年、じつに31年間にもおよぶ獄中生活の後に釈放。同年、中国占領下のチベットより脱出。チベット亡命政権のあるインド北部ダラムサラを拠点に各国を訪問。国連人権委員会で証言を行うなど、チベットと世界の平和のために精力的な活動を続けている。

というわけで、一冊発注。

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来月号の"CREA"の特集は「30代で母になる!」

いや〜、とうとう"CREA"で
 30代で母になる!
ですよ。凄い世の中だ。
 30代出産の新常識
と銘打って、
 母子共に健康
であることしか考えてない感じの見出しが並ぶ。
30代といっても、人それぞれ。"CREA"がフィーチャーする
 モデルや女子アナの"アラサー出産"
は、
 おなじ30代ならわたしも大丈夫!
と、30代妊婦を錯覚させる「夢のお産&子育て」って感じだけど、ホントか。
ま、"CREA"を読んでいる層は、ある程度可処分所得も多く、教育程度も高い、という想定なんだろうけどな。
"CREA"らしいのは
 生んでも、産休明けには働く
という視点で編集されていることだが、気になるのは、こんな見出し。
 子連れで行ける三ツ星レストラン&旅行
ここに掲載された店やホテルは、その内、"CREA"系子連れが押し寄せそうな悪寒。そうなっちゃったら、
 オトナの休日派
は、敬遠するようになるだろうなあ。
高そうなレストランに行くつもりなら、雰囲気は大事だろう。
 子連れで行くより、ベビーシッターを頼んで夫婦で出かける
という方向に編集者の頭が行かないのが不思議。ワイン1本分あきらめれば、食事の間のベビーシッター代は出るんじゃないかと思うんだけど。ベビーシッター代も出ないくらい財政が逼迫してるんだったら、三つ星レストランなんて行かなきゃいいのに。どっちにしても、貧乏くさいよね。
大体、幾つの子どもを連れて行くつもりか知らないが、もし赤子を連れて行くという話なら、母親は、子どもの相手をしつつ豪華なお食事を取るという、まさに地獄のような状況になる。無理です。食べ物は食べた気にならないだろうし、子どもは泣いたりぐずったりするだろうし。
 連れていかない選択
を第一に考えないのは、編集者の「甘え」だろう。自分の子はなにをしてもカワイイのかも知れないけど、見知らぬよその子が、公共の場で泣き叫んでいても、カワイイか? それをまず考えないとね。このままだとたぶん単なる「迷惑な親」煽動記事になる。
"CREA"は、1着数十万のコートとかバッグとか載せてる雑誌なんだから、子どもの安楽さを第一にするなら
 安心して預けられるベビーシッター一覧(都内&名古屋とか大阪)
をつけた方が遙かにマシ。あと
 子連れで行ってもいい時期と場所と場合(大人としてのマナー)
をちゃんと教えるべきだろう。今見出しを見る限りでは
 子どもは親のアクセサリー
としか考えてないのじゃないのか。ということは
 病弱だったり障碍を持つ子どもは「いらない」
という考えと結びつかないのか。30代の妊娠では、そうしたことも考え合わせないといけない。
 お産が元で、自分の身体がトラブルを起こしたり、子どもの成長に問題があったときに、きちんと向き合える大人の女性
は、"CREA"の対象とする読者ではない、ということか? ファッションにうつつを抜かす30代が、そのまま「休みにはカワイイ子どもというアクセサリーを連れ歩く、働く格好いいママ」になることを推奨するような記事になるんじゃないかと、ドキドキしている。

どんな、ある意味「間違い」方をするのか、今から来月号が楽しみだ。

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2008-09-04

今月売りの『諸君!』10月号(文藝春秋社)の小特集「気分は共産主義」に佐々木俊尚さん、essaさんとの鼎談が掲載されました

先月、佐々木俊尚さんからメールを頂いて、佐々木さんと「アンカテ」のessaさんの3人で、blogについて鼎談をしました。今月売りの『諸君!』10月号の小特集
 気分は共産主義
に掲載されています。
本当はもっといろいろな話をしたのですが、紙幅の関係で、割愛された議論があります。
また、読者がネットに普段親しんでない層であることから、注釈的な内容が発言に多く含まれています。

佐々木さんは『諸君!』誌上で、「ネット論壇時評」を毎月連載しています。
最初、メールを頂いたときは
 なんでわたしに?
と不思議でしたが、右派論壇誌の呼び声高い『諸君!』に呼ばれるのも、ネタとしては面白いと思って、紀尾井町まで行ってきました。関テレ「あるある」問題ですっかり有名になった
 民放連
が入っているのと同じビルで、鼎談をしたのも何かの縁でしょう。

編集長によると、『諸君!』の読者層は
 ご高齢のおじさまが中心
だそうで、たぶん、それに近い年齢の両親や伯父叔母に読後感想を聞いたら
 難しい!
そうです。ネットをリアルにやってない人たちには、年齢を問わず、難しい話だったかも知れません。

ところで、『諸君!』編集部は
 電子入稿できない
という、今時珍しいところでした。なんでも
 手書きの原稿
が、いまでも幅を利かせているとか。91年に最初の入稿をしたときから電子入稿以外は経験のないわたしにとっては、驚きでした。
そういや、『諸君!』には何回か寄稿している師匠も今なお手書き原稿派だったなあ。

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2008-08-02

毎日コミュニケーションズが今回解散するAV出版子会社MCプレスの仕事を受けていたライターの悩み

今回の不祥事を受けて
 毎コミがエロDVD雑誌を出していた子会社「MCプレス」を解散
するのだが、困ったのは
 MCプレスの仕事を受けて、まだ原稿料その他が支払われていないライター
である。
【毎日コミ】子会社発行「エロ雑誌」で不適切な場所での撮影あった→廃刊と子会社の解散、関係者処分を発表スレッドより。


26 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 09:49:20.96 ID:KEQQhI5h0
俺フリーなんだけどさMCプレスの仕事して来月振込みがある予定なんだよ
それってどうなんの?

27 : 古馳(長屋):2008/08/01(金) 09:54:24.32 ID:adXSoecr0
>>26
おれはMC本体から仕事もらってる。
これ以上叩かれると困る。

35 : 共同通信(長屋):2008/08/01(金) 10:19:00.14 ID:3vM2KlZa0
>>26
こういう業界って圧力に弱いから、
振り込まれなかったら本社に電話してゴネろ
担当の行方を捜し出せ
心配なら今すぐ電話して振り込まれるかどうか確認しとけ
確認するだけで振り込まれない物が振り込まれるようになったりするからな
フリーで振り込みという言葉から推察するに、契約書なんてまず存在してないだろうから、
とにかく蛇のようにしつこく食らいつくしかない
完全弱小出版なら逃げ切られる可能性もあるが、
一応本体はデカイから何とかなる可能性99%
フリーはゴネなきゃ給料上がらないどころが代金すっぽかしすらされるからな

28 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 10:00:33.91 ID:KEQQhI5h0
つか解散って言ってるじゃん
叩かれるどころか、もうなくなるんだろ
ちゃんと金払われるのかな?
ここっていろいろ怪しいうわさがあったけど毎日新聞社内にオフィスがあるし、まあ平気かななんて思って仕事うけたらこのざま

34 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 10:18:05.41 ID:KEQQhI5h0
ここってそもそもトカゲのしっぽ的ポジションだったみたいだよな
毎日新聞社内に会社があっても形式的には名前が違う子会社だから、
金になるけど汚い仕事を全部ここに押し付けて、やばくなったら切り捨てるみたいな
それで毎日新聞社本体は汚れないっつーかなんつーか

まあいいやもう毎日系の仕事は絶対にやらない
やっぱカスっすねここ

36 : 共同通信(長屋):2008/08/01(金) 10:20:43.22 ID:3vM2KlZa0
>>34
毎日系の仕事をもうやらないならゴネてなんとかなる確率99.9%だな

38 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 10:26:12.03 ID:KEQQhI5h0
>>35-36
そうするわ
しばらくそれだけにかかりきりになった仕事で金額もデカいし、
ハイソウデスカで諦められないから
しかも言われたとおり契約書なんてない
この業界って口約束があたりまえだから怖いわ
ああああああーーーーーーくそ、むかつくーーーーーーーー!

41 : 古馳(長屋):2008/08/01(金) 10:30:03.19 ID:adXSoecr0
契約書無いってマジか?
MC本体はちゃんと契約書作ってやってくれるぞ。
ちゃんと支払い通知書も郵便で来る。

44 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 10:36:55.46 ID:KEQQhI5h0
>>41
契約書つくった?
俺口約束だけだったよ
ほかの出版社も本が完成したくらいのタイミングで後付けで契約かわす感じだし、仕事の種類で違うのか?
ギャラも最初に言ってくれるところはめったにないし

52 : 共同通信(長屋):2008/08/01(金) 10:44:38.17 ID:3vM2KlZa0
>>44
ギャラってのは大体同じくらいだから、言わなくてもいいだろって向こうは思ってんだよ
こっちはそんな事情なんか知らないから、
ギャラっていうのは最初に聞かないとダメよ

53 : 都楽(神奈川県):2008/08/01(金) 10:53:48.23 ID:KEQQhI5h0
仕事うけるときいろいろ調べたのに俺バカだまじで
新聞社内にオフィスがなければこんなとこハネたのに
ここの金が入らないと俺生活できないw

>>52
なるほどね、これからはそうするわ
馴れ合いで仕事依頼が来ることが多くて聞きにくいんだよな

なんか落ち込んだからナンパでもしてくるわ

55 : 力保美達(東京都):2008/08/01(金) 16:35:30.09 ID:u17SZVLB0
>>53
ナンパする前に早く電話しろって。
ここで文句ばっかり言う割には
自分で何とかしようとしてないじゃん。

59 : 七星(東京都):2008/08/01(金) 19:37:19.49 ID:M9KeBdcN0
>>55
ID:KEQQhI5h0だけど、担当者から連絡あった
なんていうか、企業様はそうやって不祥事を乗り切るんだなって解決方法
とりあえず金は払われるみたいだし、
これ以上叩かれてまた支払いの危機になると困るからあんま語らないけどw

というわけで、
 会社は解散するけど、ギャラは払ってくれる
そうだな、MCプレス。

で、MCプレスの「偽装解散」説はここでも話題に。


19 : 可尓必思(東京都):2008/08/01(金) 06:39:35.69 ID:J1oAS3do0
潰しても同じような子会社沢山つくってますから^^
従業員がアルバイトとかw

20 : 蘭博吉尼(北海道):2008/08/01(金) 06:49:19.89 ID:GV4cnyc00
社員は別の子会社に移動するだけです。

37 : 三得利公司(関東地方):2008/08/01(金) 10:23:22.72 ID:+RQIS1BH0
>代表取締役社長  中川 信行 報酬月額100% 3ヵ月(無報酬)
>常務取締役     奥野 一丸 報酬月額100% 1ヵ月(無報酬)

報酬10%カットとか聞くと生ぬるいと思うけど
100%カットは引くわ、しかも3ヶ月とか

40 : 希爾頓(東京都):2008/08/01(金) 10:28:30.30 ID:kTZpwW1j0
>>37
4ヵ月後に臨時ボーナスで3か月分振り込まれるんじゃね?
社長に昇進する奴も居る位斜め上な人事だし

56 : 尼康(アラバマ州):2008/08/01(金) 18:46:22.27 ID:E1BU7i6g0
>>40
その通りだよ。行き先も決まってるし。
誰が喋ったの?それともあんた関係者?

71 : 米楽(ネブラスカ州):2008/08/02(土) 00:20:38.71 ID:4Cji1FwiO
毎日「廃刊・解散するけど名前変わるだけで人も内容も同じだからw」

さて、どこまで本当なんだか。

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2008-07-30

国立国会図書館関西館へ行く(その3)研究室で資料を見、北里研究所図書室の書目をコピーする

国立国会図書館関西館は、奈良から実はそれほどアクセスが悪くないことが分かってきた。
 JR奈良からみやこ路快速で木津→木津から学研都市線で祝園→祝園からバス
 近鉄奈良の京都市営地下鉄乗り入れ電車で新祝園まで直通→祝園からバス
のいずれのルートでも、駅前であまりバスを待たなくていいみたいだ。ちなみに、1時間に2本ある京都市営地下鉄乗り入れ電車は、竹田から先が各駅停車になるけど、急行なので、大和西大寺から新祝園の間で止まるのは高の原だけ。

さて、今日は急遽
 北里研究所の図書室の書目
を見るために行った。昨日、思い立って、北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部に電話を掛けたら、小曽戸洋先生ご本人がおいでになり、恐縮しながら、資料閲覧を願い出た。で、その時、書目についてお尋ねしたら
 一部が科研の報告書で出ています
とのことだった。
むむむ、科研の報告書だと、出回らないのも道理だ。大阪・十三にある武田製薬の杏雨書屋にあるのは確実なのだが、奈良から十三というのが、これまた行きにくいのだ。阪急との接続が悪い。
ふと思い立って、国立国会図書館関西館の蔵書検索を掛けたら、おお、関西館にあるじゃん!
これは助かった。
で、いくつか目星をつけて、閉架から出して貰ったら、次の三つの科研の報告書に、北里研究所図書室の書目があった。
 江戸時代医学・本草学資料の整理と研究
 江戸時代医学・本草学資料の整理と研究2
 21世紀の東洋医学教育の基盤整備
前二者が文庫に収められた和漢籍中心、一番最後のものの第三分冊の前半が
 洋装本の一部の目録
である。今日は取りあえず、洋装本の書目の2/3だけコピーしてきた。国立国会図書館関西館のセルフコピーはA3が一枚29円だったかな。しかし、いずれの科研報告書も、題名だけだと書目が含まれているかどうかわかんないもんなあ。三つめの報告書の分冊の題名なんて
 第3部 文献目録編
だもん。ここから
 北里研究所の書目が入っている
というのは、全く分からない。

今日はA4の分厚い科研報告書を山と積んで調べなくてはいけなかったので、
 研究室
を借りた。ここは、部屋が空いていて、国会図書館の蔵書を使って研究するなら、いつでも誰でも使える。国会図書館蔵書をより深く研究するための部屋なのである。
研究室だと電源もあるので、マシンも使えるし、蔵書検索用の端末も置いてある。端末はDELLだった。
 小さい研究室でいいですか
と聞かれて、どんなところかな、と思ったら、5-6人でゼミとかできそうな位広い部屋だった。ついでに言うと、設計した建築家の趣味で、無駄なくらいお洒落。ただし、室内では飮食禁止である。1回の申込で5回分まで予約できるが、今日は様子見ついでだったので、次回予約はせずに帰ってきた。
東京の国立国会図書館は忙しそうだけど、関西館はいつ行っても割と静かである。大量の資料を閲覧するときには、ブックトラックを貸してくれるので、ごろごろ押しながら、研究室まで運び、大きな机に資料を拡げ、横にMacBookを置いて、閲覧したい書目をチェックした。
大部の書籍を一気に閲覧するのには、研究室は実に都合がいい。
利用時間は閉館時間の18:00までだが、5分前までに退室する決まりだ。
電話予約はできない。
 

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2008-07-29

除籍本

古本屋で本を買うと、時々
 図書館の除籍本
を手に入れることがある。除籍本というのは、もう蔵書として置いておく価値がないと、図書館に判断されて、売り払われてしまった書籍のことである。元図書館の蔵書であった印があちこちについている。
今までで一番悲しかったのは、関東の公立図書館の除籍本で
 ジョセフ・ニーダムの『中国の科学と文明』の和訳の揃い
を入手したときだった。この話を科学史関係者にしたら、みんな一様にショックを受けていた。更に悲しかったのは、その除籍本は、たぶん、結構な年月その公立図書館の蔵書だった筈なのに、ほとんど開かれた形跡がなかったことだ。要するに
 定評のある「いい本」だから購入したが、利用者がいなかった
から、除籍されちゃったってことなのだ。世界で認められている名著でも、こんな悲しい運命をたどるのだ。

最近は知らないけど、昔は北京工人体育館前で、よく図書館の除籍本を格安で売っていた。わたしたちのような、古典研究者には有り難い話で、中華書局の『二十四史』とか、一冊1元しない定価のついた、古い縦組繁体字の古典の排印本とかが並べられていた。当然ながら、汚い本ばかりなのだが、用があるのは中身だから、外側の汚れは気にしない。印刷がちゃんとしていて、ページが飛んでなければ、それでいいのである。

この頃は、中国の除籍本も海を渡る。昨日届いたのがまさにそれで、
 除籍本の『建康実録』
である。
 日本では、古典は高く売れる
と聞きつけた、耳ざとい誰かが、日本に売りに出したのか、それとも、中国の街中で日本人が見つけた除籍本が、国内を転々としているのか、それは分からない。

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古本屋のフリーメールアドレス

「日本の古本屋」で注文を出した古本屋から、返事が来ない。
実はその古本屋はフリーメールアドレスを連絡用に使っている。商売にフリーメールアドレスを使う時点で、かなりやる気のない古本屋なのだが、もう10日くらい過ぎているから、ひょっとしたら、メーラにspam扱いされて、落とされたのかも知れない。
あとでgmailで確認するしかないな〜。

しかし、商売の連絡にフリーメールアドレスを使う店って、それだけで信用がかなり落ちるような気がする。

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2008-07-28

『医心方』を読む 『黄帝内経太素』を眺める

OCRに読ませている『医心方』に出てくる、『黄帝内経太素』の変な文章。『黄帝内経太素』といっても、今本では『黄帝内経素問』異法方宜論篇第十二に入っている部分。若干異同がある。


太素經云、黄帝問於岐伯曰、醫之治病也、一病而治各不同。皆愈何也。
岐伯曰、地勢使然。故東方之域、天地之法始生也。魚鹽之地、濱海傍水。其民食魚而嗜鹹。魚者使人熱中。鹽者勝血。故其民皆黒色疎理。故其病爲癰瘍。其治宜砭石。砭石者亦出東方來。

こんな調子で、東西南北中央の地域の特性と罹りやすい病気の種類、有効な治療法が上げられている。
『黄帝内經素問集注』とか『素問直解』『素問呉注評釈』などを読んでみたんだけど、あんまり釈然としない。何でこの配当じゃないといけないのか、というのがどうもわからない。
東の地域は海沿いで、魚を食べて塩辛い味を好むから、みんな色が黒くて、肌のきめが粗くて、よくできものに悩まされる。できものには石の針が効く、なんてことが上には書いてある。東が海、というのは中国の話だからだ。

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2008-07-25

WinReaderPro 9.0に『医心方』活字本(訓点入り)を読ませてみる

うちにある日本語OCRシステムは
 Panasonic CF-W2+WinReaderPro v.9.0
という、今となってはちょっと古めかしいシステムだ。『医心方』の日本医学叢書活字本(訓点入り)の影印本が手に入ったので、どの程度、WinReaderPro 9.0が頑張ってくれるか、試してみた。
解像度はモノクロ 200dpiで読み取り。プレスキャンして原稿位置を直し、読み込ませてみる。
解析はあっという間に終わる。本当は、画像を見ながら、辞書を鍛えていくといいのだが、実はこの活字本の影印版は、元の活字本があまり綺麗に印刷できてなくて、文字が欠けてたりするので、辞書機能を使わずにそのままテキスト化して、手で直すことにした。1頁二段組みの3/4ほどを校正するのに、だいたい1時間半掛かった。というか
 訓点入りの漢文が初回なのに1時間半で校正できてしまう
のである。これは極めて優秀だ。日本医学叢書本は、所謂
 旧漢字のテクスト
だから、若干の読み取り間違いはしょうがないのだが、結構きちんと読んでいる。訓点もばっちり読み込んでいるから、それは削る。
多分、作業量としては200頁くらいを突っ込む予定なので(本当は全文行きたいところだが、取りあえず3月までの予定)一日1頁くらいのペースを守ることができれば、なんとかなりそうだ。ま、来年の6月くらいまで200頁が全部入っていればいいくらいの日程なので、できるところをちょっとずつやっていく、という感じですかね。
日本医学叢書活字本でたたき台用の底本を作って、あとは写本の影印版を見ながら、文字を直していく作業が続く。

対校用に『諸病源候論』も読み込んでみた。昼に、古本屋から届いたばかりの臺灣の国立中国医薬研究所出版のものである。これもちゃんと読めたから、とりあえずは何とかなりそう。こっちはまだ校正を掛けてないので
 読み込めた
というだけの話だけど。

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2008-07-23

中村璋八『日本陰陽道書の研究』(平成5年版)汲古書院

苦節3年、やっと入手。
中村璋八先生の『日本陰陽道書の研究』は、日本における陰陽五行説受容を考えるための基礎文献なのだが、なんせ、すでに古書扱いになっていて、見たら買わないといけない。
しかも、中村先生は律儀でいらっしゃるので、新しい版が出る度に、少しずつ手を入れていらっしゃると聞く。したがって、古書市場には、出版年の違う『日本陰陽道書の研究』が流通しているのだが、購入するのは一番新しい平成5年版でないといけない、というわけだ。平成5年版の前の版は、割と見かけるのだが、平成5年版はなかなか見なかった。見つけても、すでに売約済みだったりして、この3年間買えずにいた。
入手した本は、かなり開き癖がついていて、所々文字の誤りを直している。箱付きでほぼ原価で買ったから、よしとしよう。確かに、文字の誤りは散見するから、先人が直してくれているのはありがたい。それ以外は、綺麗に読まれている。

次は
 岡西為人『宋以前医籍考』
だな。臺灣リプリントが欲しいのだけど、これは流通が少ない上に、持ち主が亡くなりでもしない限り市場に出回らないので、更に厳しい話になりそうだ。
目が悪いので、古本屋巡りができない。勢い、カタログ勝負となるんだけど、どうも『宋以前医籍考』は欲しい人がたくさんいるらしくて、まず見かけない。
どっかでまたリプリントしないかな〜。
10年待った(といってもオンライン『四庫全書』には原文は入っているのだが)『建康実録』は最近入手した。
古書の入手は、それこそ出会いなので、のんびり待つしかないだろうな。

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2008-07-08

拝受 渡辺晃宏(代表)『推論機能を有する木簡など出土文字資料の文字自動認識システムの開発』(平成15-19年度科研費基盤(S)成果報告書・『奈良文化財研究所紀要2008』・市大樹「慶州月城垓字出土の四面墨書木簡」

著者の市大樹さんから頂く。ありがとうございました。
 ・渡辺晃宏(代表)『推論機能を有する木簡など出土文字資料の文字自動認識システムの開発』(平成15-19年度科研費基盤(S)成果報告書
は、奈文研が中心となって取り組んでいた、木簡釈読のためのデータベース解析研究についての分厚い報告書。全部で300ページを越える。
 ・『奈良文化財研究所紀要2008』
は、6月に出たばかりの奈文研紀要の新刊。冒頭にカラー口絵、前半が研究報告、後半が発掘報告。発掘報告の地図や測量図は二色刷りで見やすい。
・市大樹「慶州月城垓字出土の四面墨書木簡」(奈良文化財研究所・大韓民国国立文化財研究所『日韓文化財論集I』奈良文化財研究所学報77所収)
は、慶州の四面墨書木簡(149号木簡)を、日中の資料を援用して読みを確定し、木簡の性格を明らかにした論考。とても面白い。

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2008-06-25

本を入れ替える

極めてばかばかしい理由から、これまで書庫へのアクセスが悪く、本の入れ替えがスムーズに行ってなかった。
さすがに少し考えた。
論文が上がったところなので、校正が終わるまでは、資料は手元に置いておきたい。
ただ、次の論文がすぐ控えているので、そっちの準備もしなくてはならない。
ともかくも、隙間をやりくりして、必要な書物を手元に置き、しばらく見ないだろうものは書庫の奧に入れるという作業に手をつけた。

本棚が使いづらいと、勉強もはかどらない。いくらオンラインでいろんな資料が引けたり、PCに『四庫全書』を入れられる世の中だと言っても、当たりをつけるのと、そこから先を調べるのでは、ちょっとした懸隔がある。検索で同じ文字列が引っかかったからと言って、同じ意味とは限らない。

今の悩みは、辞書をどうするかだ。
書庫には大漢和・漢語大詞典・漢語大字典・望月佛教大辞典・仏書解説大辞典などがあって、こっちの部屋には日国もあるのだけれど、辞書を置いて引くスペースが足りない。漢語大詞典のCD-ROMはは、最近日本語Windowsでも動くようになったみたいで、その内、買わないと、なんだけど、今のところは手で引いている。もっともいま扱ってる文献は唐代以前のものが殆どで、分野も偏っているから、辞書が役に立たないことの方が多かったりもする。
書庫には辞書引き用テーブルがあったのだが、だいたいそういうものの上には、入る場所のない本が積み上がっていたりする。やっぱり、辞書引きテーブルの周囲を片付けるところから始めないとダメかな。
空の機嫌を伺いつつ、本の移動をしないとな。

さっきは、『黄氏逸書考』と『玉函山房輯佚書』を漁っていたのだが、久しぶりに開くものだから、かなり埃だらけになった。その下の棚にあった『大広益会玉篇』も抜き出してきた。残念ながら『原本玉篇残卷』には該当個所がない。
あとは『讀書雜志』『經傳釋詞』辺りも拾ってこないとなんだけど、厚くて大きい書物を置いておくのが難しい。昔の『読書雜志』だから、厚いくせに、電話帳同様の平装本なのだ。変な置き方をしておくと、本を毀すので、スペースを確保しないとな。
ちなみにこれは日本史の論文の準備のためである。何を書いてるかは内緒。

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2008-06-24

国立国会図書館にない本

理論上、日本の出版物は全部押さえている筈の国立国会図書館にない書物は、結構あると言われている。
一つ見つけた。
 月輪賢隆『仏典の批判的研究』百華苑 1971
京大文学部図書館に2冊もある書物がなぜか国立国会図書館のオンライン目録には載ってない。

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2008-06-16

古書を購う

古中先生からご教示いただいた。多謝。
兵庫県の「えちぜん書房」さんが現在2割引セール中。中国関係の古書を中心に扱っている本屋さんだ。
生野高原 えちぜん書房
セールは6月一杯。

注文したものメモ。まだ届いてないのもある。
書誌学関係。
 類書簡説
 類書流別(修訂本)
この辺りは「見たら買う」タイトル。書誌学の書物は、小さいスチールの本棚半分くらいはある。
 漢書芸文志序訳注
小さい本なので、便利。

出土文物関係。
 湖北地区楚墓分区研究
湖北の楚墓といえば「郭店楚簡」。本書は、郭店楚簡についてはほとんど記述がないが、湖北省の楚墓の分布と特徴、時代区分が簡潔にまとまっていた。
 漢帛書老子乙本
図版が欲しかったので。

これは名著。
 唐代進士行巻与文学
日本語訳もある。原著を買い漏らしていたので。

ひょっとしたら、どっかに同じ本が埋もれてるかも、だけど。
 王充年譜
年譜類は、関係するものは、できるだけ入手。

地方志類。
 西京雑記 −長安史蹟叢刊
 類編長安志
どちらも、地元での刊行だったと思う(未着)。地方志は地元編集のものだと、現在の状況などがわかって面白い。今でも、伝承が残ってたりする。

時々、眺めるのに便利かな。(未着)
 西域地名(増訂本)

中国医学関係。
 傷寒論
 注釈傷寒論

値付けは実に良心的。かつ
 送料込み
なので、注文するときにドキドキしなくていい。
メール便で届く。第一便は、丁寧に梱包されて届いた。状態も悪くなかったので満足。

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2008-05-26

新着『東洋學報』89-4/2008年3月

今日届いたところ。
興味がある論文が一篇あった。
・鈴木直美 里耶秦簡にみる秦の戸口把握ー同居・室人再考ー
これから読む。

鈴木氏の論文は、東洋史の王道、秦漢の簡牘から見る
 戸籍と法律論
だ。秦が中国を統一した後の、かつての楚の地から出土した秦簡に記された戸籍を読んで、戸籍がどのように編成され、連座がどの範囲まで及ぶかに着目して
 室人・同居
という法律中の家族の範囲を解析している。
いや〜、最近の出土文物に基づく、秦漢史の再検討って、凄いですね。鈴木氏の論文が扱っている
 里耶秦簡の報告書の出版は2007年
なのだ。出版された写真や釈文を元に、今から2200年以上前の中国の制度を読み解いていく。これが、日中で競争で行われているのだ。
面白かったのは
 五段に分けて記す戸籍の形式
で、これによって、「室人・同居」の区別が一目瞭然、という辺り。
また、天下を統一した秦が、東方六国の制度をどのように包摂していったか、という議論にも興味を引かれた。

思想史や文学で秦漢を扱う身としては、実に勉強になった。

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拝受 宇佐美文理(代表)『中国思想における美・氣・忌・死』平成17-19年度科研費基盤(A)研究成果報告書附篇 課題番号17202004

研究代表者の宇佐美さんから頂く。ありがとうございました。
・金志[玉玄] 氣の感染ー道教禁忌における排除の原理について
・閻淑珍 禁灸穴についてー六朝から唐代の醫學文獻を考察の對象として
・木島史雄 『世説新語』弔問逸話の精神史的文脈ー六朝時代における禮と樂ー
・加藤千惠 内景圖覺書
・宮崎順子 龍脈ー風水思想の大地觀ー
・村田みお 庭園の造營とそのテキスト化ー王世貞「弇山園記」をめぐって
・石立善 慶元黨禁と初期朱子學派の形声
・宇佐美文理 中國藝術における「精」

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2008-04-05

ネットで『源氏物語』現代語訳を読む

『源氏物語』の現代語訳といえば
 与謝野晶子
 谷崎潤一郎
 円地文子
 田辺聖子
 橋本治
 瀬戸内寂聴
といったラインナップが、作家の手によるものだ。この内、与謝野晶子のものは著作権が切れているので
 青空文庫
で全文を読むことができる。
ただ、与謝野晶子訳は、国文学の専門家の訳ではないし、ふるいものなので、間違いはある。

国文学者がwebで公開している『源氏物語』の本文・注釈・現代語訳としては、高千穂大学の渋谷栄一教授の研究がある。
 源氏物語の世界
手軽に『源氏物語』の現代語訳を読むには、与謝野晶子訳に加えて、まずは渋谷教授の研究をガイドとして、一通り読んでから、余力があれば、原文を丹念に読むのがいいかも。最近の高校はどの程度まで古文をやってるのか知らないけど、渋谷教授の注釈は丁寧なので、古語辞典を片手に、意味の通りにくいところを考えていくならば、素人が『源氏物語』を読む分には問題ないだろう。
もっとちゃんと読むつもりなら、それなりに準備して読まないといけないけど、国文学者じゃないんだから、気楽に読んでいいんじゃないのかな。だいたい本文校訂だって、まだ検討の余地ありまくりみたいだし。

他にもそうした動きはあるだろうが、渋谷教授のサイトによると、國學院大學が中心になって『源氏物語』のテクストクリティックをやっているそうだ。
源氏物語の本文資料の再検討と新提言のための共同研究「源氏物語の研究支援体制の組織化と本文関係資料の再検討及び新提言のための共同研究」平成19年度(2007年度) 基盤研究(A) 課題番号:19202009
昨年度から始まったばかりの研究なのだが、成果を期待したい。

わたしが国文に進まなかった理由は、先行論文が多すぎるからで、実際、同期で国文に進み、しかも『源氏物語』を専門にしていた人は、1本論文を発表する前に、先行論文調べに1ヶ月以上掛けていた。それでも見落としがあって、
 わたしの説を読んでないのか
というお叱りの手紙が来る、とかで、
 短大の紀要論文レベルになると、もう集めきれないから、その時はごめんなさいと謝る
んだと聞いた。それはまだCOEなどという
 大量の論文作成システム
がない頃だったから、今はもっと「先行論文」チェックは大変じゃないのかな、と同情している。

子どもの頃、雑誌『太陽』で連載していた舟橋聖一の『源氏物語』の現代語訳は、大量の注釈を入れつつ、解釈していく方式で、難しかったが面白かった。残念ながら完成を見ぬままに、舟橋聖一は亡くなってしまった。守屋多々志の挿絵と相まって、美しい『源氏物語』現代語訳だっただけに、残念だった。

昔から
 『源氏物語』全文読破
を目指す人はたくさんいるのだが、
 須磨帰り
という言葉があるそうで、だいたい第十二帖「須磨」で挫折するんだとか。その点、現代語訳なら、宇治十帖など、光源氏の死後の話は別としても、名前だけあって中味のない「雲隠」までは一気に読めるだろうから、「須磨帰り」の心配はない。

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2008-02-28

小村雪岱『日本橋檜物町』平凡社ライブラリー

版心が印刷されているこの書物は、元本は木版摺だったらしい。印刷に移すときに、平凡社がその体裁を残した。罫線にゆったりと活字が組んである。
挿絵と装幀で名を成し、舞台美術でも活躍した小村雪岱の絵を初めて見たのはいつだったろうか。わたしが記憶しているのは、たぶん、泉鏡花の書物の挿絵と装幀でだと思う。平凡社ライブラリーに収められた本書では、口絵に16ページを割き、小村雪岱の生涯の仕事が、一目で分かる構成になっている。
題名になった日本橋檜物町は、雪岱が暮らした町の名である。

泉鏡花の幻想の世界が、小村雪岱という才能を得て、書物の形に美しく花開いたのは、まさに奇蹟であったと言ってもいいだろう。口絵の8ページ目には、小村雪岱が手がけた泉鏡花の作品の単行本が、並んでいる。見返し、表紙の今はやや色褪せた様子からでも、当時の美しさが忍ばれる。実に手の込んだ、趣向を凝らした造本で、こんな書物を作る技術は、もはや日本からは滅びた。丸背の本をきちんと作れる安い工賃の職人がいないからだ。

鏡花も雪岱も生粋の江戸っ子ではないのだが、他国の人故に、却って、厳しく選び取られた江戸趣味の最上の部分が、そこに残っている。江戸好みの着物の粹は、はんなりとした色気を好む京好みの着物とは、まったく別物だ。関西の着物は「いつも春みたい」などと称されるが、お江戸の水に磨かれた粋は、背筋をぴんと伸ばして、きりっと着こなさないと、「なんて野暮ったい」と不平が聞こえそうな、切れ味の鋭い、凜とした勁さがある。
小村雪岱は、舞台美術家として、装置だけではなく、衣裳のデザインも手がけた総合舞台芸術家である。今では細分化されている舞台美術の職掌の、ほとんどの部分のデザインを考案し、指示を出した。その舞台装置も、芝居小屋によって舞台の大きさが違うのに、脚本のト書きには、四軒、軒を連ねてなんて無茶なことが書いてあるのを、その通りに再現するのである。現代ほど情報化されてない戦前の舞台で、作者のわがままを出来るだけ通して、その通りに建て込んで舞台を作る苦労を、小村雪岱は本書の中で語っているが、舞台は生き物、雪岱苦心の舞台装置も、資料としてはあまり残っていないのではないか。そして、その舞台を実際に見た人たちも、ほとんど死んでしまい、雪岱の舞台美術は、本書の随筆の中にしか残っていないものが多いのではないか。
近代日本の舞台美術家としては、伊藤熹朔がその最初の専門家だが、小村雪岱はそれに続く。本書に収められた戸板康二の文章によれば、小村雪岱が初めて舞台装置の図面を書いたのが大正十三年、それから徐々に舞台美術の仕事を担当するようになった。大正十五年新橋演舞場での「安土の春」の装置が評判となり、歌舞伎座の舞台装置を任されるようになる。戸板康二は小村雪岱の舞台装置の三絶(ベストスリー)を「春日局」「桐一葉」「一本刀土俵入り」としている。実際に舞台を見た戸板康二の文章からしか、その小村雪岱の舞台装置を想像するしかない。舞台装置は、役者が映えてこそのもので、演技を際だたせるための「装置」なのだから、残された図面だけでは、その装置の効果は決して分からないのだ。

小村雪岱の描く女達は、ちょっと春信めいた嫋々とした風情の女達だが、やはり近代の水を潜っている。それでも、まだ、着物が身近にあった時代の女達なのだ。
明治の末に生まれた祖母から、いろんな昔話を聞かされたわたしは、見たことはないが明治の中頃の様子を思い浮かべることができた。小村雪岱は祖母より20年年長で、本人も見てはいないのだが、幕末の江戸周辺のことを聞かされて育っただろう。小村雪岱にとって、絵や舞台の上に描く江戸は、わたしにとっての明治の如く、まだしも、地続きの近しい過去であっただろう。それは、当時の役者も、舞台を見る人たちも同様だったと思う。そうしたある意味幸福な「時代劇」「歌舞伎」の時代は、もはや残っていない。六代目歌右衛門の死とともに、往時の美しい舞台も見物も、記憶の彼方に消えていった。六代目歌右衛門は、大正6年生まれだが、『歌右衛門の六十年―ひとつの昭和歌舞伎史』で伝え聞いた舞台の話を生き生きと語っている。

昭和十五年、小村雪岱は浴室で倒れ、帰らぬ人となった。その後、東京は空襲で焼け果て、関東大震災にも耐えて残っていた江戸の名残は息絶えた。
その意味で、小村雪岱は、江戸を昭和に伝える幸せな人生を全うできたと思う。

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2008-02-20

教科書見本を発注する

漢文の授業は、自作プリントで行っているのだが、歴史好きの学生が、必ず読みたがる
 『三国志』
の漢文講読テクストが白帝社から出ることを關尾史郎先生のblogで知った。
拝受(08/02/19)三国志学会(監修)『漢文講読テキスト 三国志』,白帝社,2008年1月,4-89174-891-3

早速、白帝社のサイトを覗いてみた。


漢文講読テキスト 三国志

■ 『三国志』は、諸葛亮の「出師表」など日本人が最も好んで読んできた歴史書である。
■ 本書は、『三国志』を漢文訓読という伝統的な翻訳方法で読みながら、三国時代の歴史も分かるよう構成されている。
■ さらに、漢文を初めて学ぶ人のために、漢文訓読の語法解説も充実。
■ 学生が高い興味を示す『三国志』は、漢文講読テキストとして最適といえよう。
        ※解答例はご採用の先生にお渡しします。
◆編者:三国志学会 監修  石井仁・渡邉義浩・津田資久・伊藤晋太郎・田中靖彦 

◆ISBNコード : 978-4-89174-891-3
◆サイズ: A5判 200p.
◆本体価格:1700円

う〜ん、とりあえず見本を取り寄せてみるのが吉だな。
中国語の教科書は見本を請求していたけど、大学向け漢文の教科書って、あまりいいのがないので、見本を請求することすら思い浮かばなかった。
出来が良さそうだったら、後期のテクストに使うか。

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2008-02-17

トーマス・M・ディッシュ/朝倉久志訳『いさましいちびのトースター』『いさましいちびのトースター 火星へ行く』早川SF文庫

先週の日曜の朝、BBSの友達が、青くなっていた。
 オーブントースターのスイッチを入れたとたん、家中のブレーカーが落ちた
というのだ。しかも
 これからUPSをつなぐつもりだったサーバのディスクが飛んだ
上に
 つなぎ替えるために設定ファイルだけ書き換えてあった
という悲劇。おもわず
 いさましいちびのオーブントースター
と返事をしたら
 勇ましすぎる
と泣かれた。まさかオーブントースターで飛ぶとは、普段は考えないからなあ。

さて、『いさましいちびのトースター』シリーズの2作は、SFファンにはおなじみの、子どもが読んでおもしろく、大人が読んで考えさせられる作品である。いつ注文を掛けても、品切れで手元になかったのだけれども、上記のやりとりをした後に、アマゾンを覗いたら、2作ともあったので、早速入手した。
朝倉久志さんの訳は、こなれていて読みやすい。
『いさましいちびのトースター』は、森のそばの別荘にうち捨てられてしまったトースター・電気毛布・電気スタンド・掃除機・AMラジオが力を合わせて、だんなさまの都会のマンションに行き着く冒険を描いたファンタジーだ。「人間のために働くのが幸せ」な5つの電気製品は、最後に新しい女主人のもとに落ち着くことになる。
『いさましいちびのトースター 火星へ行く』では、アインシュタインが話の核を作る。アインシュタインが作った補聴器が、相対性理論や、アインシュタインが明らかにしなかった理論を駆使して、トースター達と火星旅行に出かけるのだ。補聴器のおかげで、人間達を皆殺しにしようと企てていた火星の電気製品の企みを知った電気製品達は、アインシュタインの理論を元に、火星へ飛び立つ。そして、殺人のために作られた電気製品達を説得して、平和をもたらし、地球に戻ってくるのである。
電気製品達は、人間の前では動いたり、しゃべったりしないので、こうした苦労や冒険は、ご主人には知られないまま、ひっそりと終わる。
冒険の後も、電気製品達は、「人間のために働く幸せ」な生活を続けるのである。

表紙見返しには、
 ディッシュ本人と愛用しているクロームメッキのトースター
の写真が載っている。アメリカの家庭で今も愛され、日本では60年代のたいていの家庭にあった、ポップアップトースターである。好みの加減に焼き上がると、ぽんとパンが飛び出す、あのトースターだ。
メカニズムが単純で、頑丈で、壊れにくいのが、ポップアップトースターの取り柄だ。
日本だと
 電気炊飯器
がポップアップトースターの位置に来るのだろうけれども、電気炊飯器はしょっちゅう新型が出るし、ポップアップトースターよりは壊れやすいから、ここまで愛着をもたれることもないだろう。
ディッシュの作品は80年と88年に書かれたものだが、その当時の日本は、トースターと言えば、オーブントースターが幅を利かせ、薄いかりかりのトーストが好きなヒトでもなければ、ポップアップトースターをわざわざ使うこともなかった。なにしろ、ディッシュの作品では
 マフィンを焼くのが苦手なトースター
という設定なのだが、日本では
 ポップアップトースターでは餅が焼けない
という欠点が問題になる。それに
 日本では厚切りふわふわのトースト
が好まれるから、普通のポップアップトースターでは焼けなかったりするのだ。
その点、オーブントースターは、小さいオーブンとして、いろんな調理ができるから、便利に使われている。ほとんどの厚さのトーストだけでなく、餅もグラタンもピザも、オーブントースターがあれば何とかなるからな。
『いさましいちびのトースター』は、毎朝かりかりに焼いた薄いトーストを食べる習慣と、クロームメッキでぴかぴか輝く
 アメリカの家電製品の黄金時代
があって、成立する物語だ。
『いさましいちびのトースター 火星へ行く』では
 ポピュラックス
というブランド名の家電製品が
 人間を敵と見なす
のだが、このPopuluxeという言葉は1987年に出版された
 Thomas Hine : Populuxe/the Look and Life of America in the '50s and '60S, from Tailfins and TV Dinners to Barbie Dolls and Fallout Shelters
から取られている。未読だが、ディッシュは序文で、トマス・ハインの同著を上げて、
 1954年から1964年までの美しい一時期、家庭電気器具の黄金時代をさした言葉
だと言及している。
このポピュラックス製品たちが人間を敵視するに至った理由は、
 計画的旧式化
だった。その部分を引用する。


ポピュラックス・ブランドの電気器具は、デザインがウルトラモダンな上に、他社の同じクラスの製品の半値で売り出される予定なのです。しかし、(ここからがずるがしこい広告代理店重役のアイデアですが)この電気製品は二年ほど使うとこわれてしまうので、新品に買いかえなくてはなりません。買いかえた新品も、また二年でこわれます。広告代理店の重役は、わざと普通よりも早くこわれるように設計することを〈計画的旧式化〉と呼んで、アメリカではすでに大成功しているが、ポピュラックス製品の場合は、二倍も早くこわれるから、二倍の利益が上がるはずだ、と説明しました。(p.115)

ソニータイマーですか、ディッシュ。
アメリカの家電製品って、コストコに並んでいるオスターのミキサーとか、ちょっとやそっとでは壊れそうもないようにみえるもんなあ。

ところで、先週の日曜日、オーブントースターに「つうこんのいちげき」を見舞われた友人は、無事システムが立ち上がり、最悪の事態は免れたようだった。

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2008-02-07

『佛教藝術』296/2008-1 毎日新聞社

定期購読している『佛藝』が朋友書店から届いた。
今号は、どれもちょっとずつ専門と引っかかる論文。
題目と斜め読みだけ記しておく。
・菩薩立像の身体比率からみた法隆寺金堂壁画 松原智美
法隆寺金堂壁画には藍本(手本)があったことは確かだが、その藍本が唐のいつの時代のものであったかを、頭部とそれ以外の部分の身体比率を画像から測定して、比較検討した労作。CGの援用が、藍本の年代比定に「印象批評」ではなく、数値的に使えるということを示したことでも画期的だ。
松原氏は、写真による身体比率測定が、あくまで歪みなどがあると断った上で
1. 金堂大壁の菩薩立像は唐・高宗期の藍本による
2. 3号壁の藍本は、大壁の藍本から菩薩像を抜き出して利用している
3. 3/4/7号壁の身体比率は、高宗初期のものではなく、高宗後期から末期の可能性
4. 大壁の藍本は遅くとも天智朝には将来された
5. 法隆寺金堂再建時に、大壁の藍本が利用されると共に、当時の趨勢であった高宗後期から末期の身体比率が3号壁などに援用されて菩薩像が描かれた
と推定している。なお、初唐のインド風の画像は、貞観年間末に玄奘や王玄策がもたらした大量のインドの文物の影響によるとする。
・鶴林寺太子堂内陣荘厳の意想 林温
鶴林寺太子堂内陣の絵画の意匠を細かく分析し、荘厳の意図と現在は失われている普賢菩薩像が本尊ではなかったかと述べる。
・院政期 興福寺にかかわる大仏師 根立研介
麻木脩平氏の根立論文への反論に対する再論。
・快慶及びその周辺作品にみる来迎形阿弥陀三尊像の成立と展開 大澤慶子
初期快慶の作を細部にわたって検証し、来迎三尊像の造形の新たな展開の背景を探る。

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2008-01-20

一次資料の魅力を引き出す難しさ 深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日記』文春新書

一次資料に基づいて書かれた歴史書は、これまでにも数多ある。これまでわたしが読んだものは、読んだ後に
 一次資料そのものを読みたい
と痛切な飢餓感を感じるものが多かった。

深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』はどうか。
残念ながら、一次資料の持つ魅力を存分に引き出せたと言えない。

原因はいくつかある。
一つは、
 時代背景を説明するために、一次資料の紹介部分を削った
ことだ。井関隆子の日記が書かれた天保11(1840)年1月1日から天保15年10月11日までの5年間が激動の時代であったことを説明するのに、かなりの紙幅を割いている。
二つは
 一次資料の現代語訳がぞんざい
という点だ。井関隆子の日記は文字も文章も流麗である。その
 一次資料のよさ
を現代語訳が生かし切っていない。
 文は人なり
という。井関隆子の魅力を伝えるためには、もっと現代語訳の部分に心を砕くべきであろう。

これは編集者の問題でもあるのだが、
 日記の体裁を破らず、時代背景を入れ込んで編集する
という手もあったはずだ。日記本文の分量が少なく、時代の流れが読めない編集になっており、短い本文に同じ資料が重複したりする不備のために、非常に浅薄な印象を受けるのは、『井関隆子日記』の資料としての価値を考えるならば、実に惜しい。

新書が矢継ぎ早に出ていて、編集者の力量が追いついてないというのを痛感させる出来である。

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