2012-03-23

曹操の魏国の都・鄴[業邑]の地から、中国建国以来最大数の2895片の仏像、埋められた状態で発見される@河北省

いや〜、これは凄すぎる。
 鄴[業邑]
というと、曹操は帝位にはついてないけど、
 曹操の魏国の「都」
で、銅雀台などがあったところ。官渡の戦いで袁紹を破った曹操は、袁紹の死後は息子の袁尚が守っていた鄴[業邑]を落とし、自らの拠点とした。いわゆる
 建安の文学
の舞台の一つだよね。

中国web電視台のニュースより。繁体字に直したけど、日本語にない漢字は、できるだけ日本の字体にしたので、ちょっと不統一。まったくない漢字は現物通し。


曹操發跡地鄴[業邑]城發現建國以來數量最多佛像 史無前例(圖)
發布時間:2012年03月20日 11:49

佛頭出土。本版供圖鄴[業邑]城考古隊

北齊佛教造像

發掘現場。

出土的彩繪佛造像。

  今年春節期間,中國社科院考古研究所與河北省文物研究所聯合組成的鄴[業邑]城考古隊,在鄴[業邑]城遺址東部,扒[手八]開5米厚的流沙層,發現了一處不規則的埋葬坑,内部驚現佛教造像近3000件(塊)。這是新中國成立以來出土遺物數量最多的佛教造像埋葬坑。(今年の春節時期に、中国社会科学院考古研究所と河北省文物研究所は合同で鄴[業邑]城考古隊を結成し、鄴[業邑]城遺跡東部にある、厚さ5mの砂の層を掘って開けたところ、不規則な形をした埋納坑を発見し、中から驚くことには3000件(塊)近くの仏像が現れた。これは新中国成立後に出土した遺物の数量では最多の仏像埋納坑である。)

  □發現

  佛像埋葬坑出土

  曹操墓—西高穴大墓,曾經引起全民考古關注。就在它的正西偏南,是曹操發跡的鄴[業邑]城,曹操與袁紹官渡之戰後居住於此,曹丕稱帝以後成為五都之一。(曹操の墓、つなわち西高穴大墓は、以前全住民に考古学的関心を引き起こした。その曹操の歯かのちょうど真西からやや南よりは、曹操が立身出世を遂げていった鄴[業邑]城で、袁紹との官渡の戦いの後に曹操がここに住み、曹丕が帝位に就いた後、五都の一つとなったのである。)

  2012年春節期間,在鄴[業邑]城遺址東部北呉莊,發現了一巨大的佛教造像埋葬坑。3月19日,中國社會科學院考古研究所通報了這項重要發現的最新進展。回憶這處佛教造像埋葬坑的發現,鄴[業邑]城考古隊隊長朱岩石博士仍含驚奇之色。(2012年の春節の時期、鄴[業邑]城遺跡東部の北呉荘で、仏像を埋めた巨大な穴が発見された。3月19日、中国社会科学院考古研究所は、この重要な発見の最新の進行状況を伝えた。この仏像埋納坑の発見を思い返してみると、鄴[業邑]城考古隊隊長朱岩石博士は、いまでも驚きを隠せない。)

  據介紹,這處埋葬坑位於已知東魏北齊都城鄴[業邑]城遺址東城墻東側約3公里,即鄴[業邑]城考古隊推測的東魏北齊鄴[病+坐]城外郭城内。朱岩石説,鄴[業邑]城考古隊近些年一直在苦苦找尋外郭城的蹤跡,不斷有重要考古發現。

  今年1月上旬,在北呉莊北漳[シ章]河灘沙地内,鄴[業邑]城考古隊注意到有一些不同尋常的跡象,比如發現一些漢白玉碎石,於是決定在此進行考古勘探。1月10日,考古人員發現了這個佛教造像埋葬坑。鋻於遺跡的重要性,很快便開始了搶救性發掘。(今年の1月上旬、北呉荘の北漳[シ章]河畔の砂地に、鄴[業邑]城考古隊は普通とは異なったいくつかの形跡があることに気がついた。たとえば、いくつかの漢代の白玉のかけらが見つかり、こうして、この場所で考古的な探索を続けることを決めた。1月10日に、発掘担当者がこの仏像埋納坑を発見した。遺跡の重要性に鑑み、緊急性発掘がすぐさま開始された。)

  有近3000件佛像

  當考古人員在現場進行了RTK高精度定位測量,使用全站儀布方,然後去除上部5米左右厚的流沙層時,“所有的人都傻了”,朱岩石説,出現在考古人員面前的,是一個邊長約3.3米、深1.5米左右的不規則方形土坑。從中發掘出土編號佛造像2895件(塊),造像碎片78個自封袋,達數千件。根據發掘過程中的粗略統計,有題記的超過百件,絶大多數是漢白玉造像,少數為青石造像。根據造像特徴、題記年代等初歩確認,這批佛造像時代主要是東魏北齊時期,另[口力]有個別北魏時期青石造像,亦見到個別唐代風格造像。(まず発掘担当者が現場でリアルタイム キネマティックGPSによる高精度な測量を行い、トータルステーション[測量機器の名前]を使用し、それから上部の5m前後ある砂の層を取り除いたとき、「そこにいた人はみなぽかんとした」と朱岩石は言う。発掘担当者の前に現れたのは、一辺がおよそ3.3mで深さ1.5m前後の不規則な四角形をした土坑だった。その中から、ナンバリングされた仏像は1895件(片)、仏像制作時に出た欠片がジップロック78袋分が発掘され、発掘されたものは数千件に達した。発掘途中のざっとした統計によれば、題記のある仏像は100件を超え、最も多かったのは漢代の白玉で作られた像で、青石で作られた像は少なかった。仏像の特徴や題記年代の初歩的な確認から見ると、これらの仏像の造像年代の中心は東魏から北斉の時代[534-577]で、他にいくつか北魏時代[386-534]の青石製の仏像があり、ほんのちょっとだが唐代の風格を持った仏像も見られる。)

 □價値

  佛像級別史無前例

  中國社會科學院考古研究所所長王巍表示,本次考古發現意義重大,堪稱新中國成立以來南北朝、隋朝、唐初時期重要考古發現之一。佛寺、佛像這樣級別的發現史無前例。

  王巍介紹,這次的考古發現的意義首先在於位置清晰準確,層位關係均有科學記録。這是目前所知建國以來出土遺物數量最多的佛教造像埋葬坑。本次鄴[業邑]城出土的這批佛造像反映了都城級別的佛教文化在當時的發展程度。

  其次,本次發現年代清楚,前後銜接。這批佛造像的時代跨越北魏、東魏、北齊和唐代,北魏晩期、東魏、北齊、唐代各時期紀年明確,時代前後銜接,為研究北朝晩期至隋唐時期鄴[業邑]城地區佛教造像的類型和題材提供了可靠的標本。

  同時,本次考古出土的佛造像工藝精湛,造型精美,色彩艷麗。中國社科院研究生院考古係教授、博士生導師楊泓介紹,這批佛像多為背屏式,另[口力]有部分單體圓雕的佛和菩薩像。很多造像保存有較好的彩繪和貼金痕跡。這些都充分顯示了北朝晩期鄴[業邑]城作為北方地區佛學中心和文化藝術中心的歴史地位。

 □安全保障

  將設置專門派出所

  為了確保文物安全,考古發掘期間大量公安幹警在現場設立警戒區並晝夜執勤,武裝特警負責押運出土文物入庫保存。

  鄴[業邑]城考古隊啓動了搶救發掘的緊急預案,除在現場的鄴[業邑]城考古隊研究人員和技師9人外,火速通過考古研究所抽調了研究人員、文物保護專家、考古技師10余人趕[走旱]赴現場參與相關工作。

  為妥善保管出土文物,當地政府特意撥出專款添置安裝遠紅外監測、視頻監測系統的安保設備,相關人員24小時巡邏。此外,還將在附近專門設立派出所,確保文物安全。

  □文物保護

  色彩保護成大難題
 本次出土的佛造像,除了部分無色外,很多都色彩艷麗。如何保護佛造像顔色成了一大難題。

  朱岩石隊長介紹,有關專家已選取最小的碎片,進行色彩等技術分析,以形成預案推廣運用。

  早在發掘時,在文保專家的現場指導下,出土佛像均進行三層包裝,以最大限度地保護文物表面色彩、貼金等裝飾不受損失。第一層宣紙包裝用於平衡濕度,第二層氣泡塑料薄膜包裝用以防摩擦碰[石並]撞,第三層塑料薄膜用以密封。

  據介紹,目前色彩保護、金箔裝飾的加固、近3000塊碎塊的拼[手并]接綴合這三項難題形成了一項艱巨的工程,經國家文物局和河北省文物局的指導,中國社科院考古研究所文化遺産保護中心正在針對這批文物的特性制訂詳細的保護方案,並將陸續實施。

  □待解之謎

  是否源自滅佛運動

  這批佛造像是什麼時間、由誰埋入地下的?這背後有怎樣的一段歴史?

  楊泓介紹,中國古代歴史上有滅佛運動和佛像痤[病+坐]埋制度。前者指的是因反對佛教,將佛像砸[石匝]碎,雜亂填埋。後者指的是佛教信徒為了做功徳,看到古代殘像就收集在一起規規矩矩地埋下,有的還在上面建塔。

  楊泓分析,從考古中發現,這些佛造像的擺放雜亂,可能屬滅佛而非痤[病+坐]埋。另[口力]外,我國史上有幾次著名的滅佛運動,其中北魏太武帝滅佛、北周武帝滅佛、唐武宗滅佛,統稱為“三武滅佛”。鋻於本次出土佛像中,發現了個別唐代風格的造像,楊泓推測這批佛像可能源於唐代滅佛運動。

  但這些零散的碎塊究竟有哪[口那]些不為人知的故事?埋藏坑與具體遺址或古代寺院遺址是否有關係?它對於東魏北齊鄴[業邑]城南城外郭城的探尋能夠[多句]提供怎樣的線索?還有待後期研究掲開謎底。(記者 張然)

ということで、気が向いたら、もう少し訳すかも。

一体誰が埋めたのか、何のために埋めたのかは、現時点で不明。
それにしても
 2895体というか片の「仏像」
って
 圧倒的な量
で驚く。記事にもあるように
 盗掘対策
を取ってるようだけど、土坑の大きさはそれほどでもないにせよ、もとの現場は結構広いようだから、たぶん、その内、いくつか盗まれる悪寒。

仏像は
 中心は東魏から北斉の時代[534-577]
 いくつか北魏時代[386-534]の青石製の仏像
 ごくわずかな唐代の風格を持った仏像
ってことなので、
 いっぺんに埋めたのなら、一番様式の新しい唐代以降に埋められた
ってことね。
謎なのは
 これだけの数の仏像をどこから持って来たのか
って辺り。
先ほど、Facebookで水口幹記さんと話してて
 会昌の廃仏(845前後)
ということもありかな、と。もっとも、唐代の風格がある、という仏像の形式が、会昌の廃仏以前のものでとどまってるかどうかがわからないので、とりあえず、ペンディングということで。会昌の廃仏については
 円仁『入唐求法巡礼行記』
が、その当時のリアルタイムの記録として詳しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012-03-09

角大師のお習字

角大師というとこれである。画像はWikiコモンズから拝借。
Ryogen1

正月三日に示寂したことから、
 元三大師
という呼び名の方がポピュラーな、比叡山中興の祖
 慈恵大師良源
である。

調べ物をしていて
 慈恵大師良源が写した「紺紙金泥長寿命経残本」
なるものが幕末にあったことになっていることがわかったんだけど、いまでもこれは残っているのかしら。真蹟かどうかは別として。

上の画像の左側が
 元三大師の中の人
なんだが、どうも
 角大師
と呼ばれる関係で
 右の方が「中の人」
と思われているフシがある。たしかに、左の方の「本当の中の人」が写経しててもそうファンキーではないけど
 角大師がお習字
してたら、それはそれで
 なかなかキュートなビジュアル
だ。誰かイラストにしてくれないかしら。
ちなみにこちらが「角大師」
Photo
こちらが「鬼大師」
Photo_2
である。
いずれも、比叡山に参詣したときに頂いてきた「角大師」「鬼大師」。このかわいらしさが、堪りません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-11-17

"citrAdvaitaprakACavAda"に関する比較的新しい日本語の論文

citrAdvaitaprakACavAda Citra-advaita-prakāśavāda
"多様不二一元論"という講義題目だったような記憶があるが、先師梶山雄一先生の1985年度の仏教学の学部・大学院共通の研究で読んだのが、このテクスト。正確な講義題目は1986年3月発行の『哲學研究』に書いてあるはずだ。
 白く光り輝くもの
って何だよ、と悪態をつきながら、授業の準備をしていたのだった。
手抜きと貧乏が災いしてMonier-Williamsしか引かないデキの悪い学生だったので、仏教後期論理学を読むには足らず、毎回、訳語に頭を悩ませていた。基本的にSanskritが不得意なので、仏典だろうが何だろうが、読めないことに変わりはなかった。

で、いま、たまたま別な研究班の準備をしていたら、今年の3月に、信州大学の護山真也さんが、信大の『人文科学論集 人間情報学科編』45に
 形象虚偽論と多様不二論(上)(PDF)
を発表しているのを見つけた。
まあ、なんていうのか懐かしい。
そうそう、このテクストには見覚えがある。
驚いたことに、上記論文に引用されるSanskritのテクスト原文をなぜか記憶している。
このテクストが読めなくて、寝言でSanskritをつぶやいていた時期があったので、さすがに脳の奥にまだしまわれているらしい。
ちなみに、上記論文に引かれる参考文献の筆者の半分は、梶山先生も含めて、顔と名前が一致する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-06-19

AXNで放映中のCSI: NYシーズン5第2話(通算第94話)が放送延期に 理由は被曝ネタだかららしい

CSI: NYの第五シーズンがAXNで始まった。それはいいのだが、今日
 次週予定の第94話は放映を延期して、第95話を放映します
という趣旨のテロップが流れた。はて?

どうやら、問題は
 被曝ネタ
だというあたりらしい。AXNのサイトで紹介されている第94話の内容は以下の通り。


第94話「死者の書」Page Turner

 セントラルパークで、人気バンド"マルーン5"の野外ライブが行われていた。熱狂したファンの喧嘩を警官が鎮圧していると、ボディーペイントをした1人の女性が倒れて死亡する。彼女の名前はライザ。警官が撃ったソフト弾が喉に命中し、気管を圧迫したことが死因かと思われた。しかし、検視でボディーペイントを落とすと、頬の赤い発疹や脱毛などの放射線汚染の症状が見られる。検視にあたっていたシドも倒れ、ICUの隔離病棟に運ばれてしまう。

 捜査官たちは、防護服に身を包み、ライザの遺体を調べる。すると、高い放射性濃度が検出され、急性放射線中毒が死因と判明。放射性物質は危険度の高いタリウムであることがわかる。まず、ボディーペイントアーティストが疑われ、スタジオが取り調べられるが、放射性物質は検出されない。

 その頃、2人目の被害者が見つかる。映画監督のダンテが映画祭中に倒れ、死体にはライザと同じ頬の発疹と脱毛が…。しかし、2人には接点がなかった。彼の宿泊していたホテルを調べると、ズボンの中の金属片から高い放射性濃度が検出される。衣服から汚染されたメモ書きも発見。金属片は書籍の盗難防止用のICタグであることがわかり、被害者の2人は同じ本に触れたのではないかと疑われた。図書館が調べられ、特別蔵書の『チベットの死者の書』から高い放射性濃度が検出される。2人がこの本を閲覧していたことが分かり、2人の前に閲覧していたプラムという男が容疑者として浮上。ダンテのメモ用紙に書かれていたのがプラムの住所であることもわかる。しかし、プラムの家からは何も検出されず、仏教徒のプラムが死生観をダンテに教授していただけだったことがわかる。

 ある弁護士の男が、以前に図書館で司書をしていた妻の死因も被曝だったのではないかと訴えてくる。遺体を掘り起こして調べたところ、やはりタリウムが検出されるが、ライザやダンテのように皮膚から被爆したのではなく、放射性物質を飲んで被爆していたことが判明。その頃一緒に働いていたワグナーが容疑者としてあがる。その男は家で自家製の原子炉を作っていた。しかし、男のラボからはタリウムは検出されなかった。結局、『死者の書』の付着していた赤色顔料が決め手となり、夫の犯行であったことがわかる。病気の妻の看病に疲れ、妻にタリウムを飲ませて殺害したのだ。その後、当局を訴えて賠償金をせしめるために、本にタリウムを塗り新たな被害者を作ったのだった。

 生死をさまよったシドは無事に回復し、仲間たちが病室にあつまり回復を祝う。

まあ、たしかに
 福島第一原発が落ち着かず、23日には、もんじゅ炉内に落下している炉内中継装置本体を引き抜くかも
という
 超微妙なご時世

 放射性物質による殺人事件
なんて、間が悪い。関西在住の人間にとって見ると
 もんじゅの引き抜きが失敗するとシャレにならない
わけで、これからしばらくは、福井で起きることに神経を尖らすことになる。なんせ
 もんじゅは「ナトリウム冷却」
なのだ。
 まかり間違って、水をぶっかけると、何が起きるか
は、中学の理科の実験で皆様よく御存知でしょう。

しかし、この分だと
 AXNでは第94話は当分放映できない可能性大
ですな。
てか、この第94話は、WOWOWで見た記憶があるんだけど、
 なんだってチベット『死者の書』を殺人の道具に使うのよ
と、気分を害した覚えがある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010-12-02

暗唱と書写 重偈について

メモ。
中国では初期の経典翻訳において、重偈の部分を「本体としてなかった」という問題。
本来は、頌偈の部分が最初期の仏典の骨子だったと思うのだが。

仏典は暗唱によって伝授されるのが、やがて書写に取って代わる(一部では暗唱による伝授は継続)、これは印度でのお話。暗唱が重視されるのは
 釈尊は、説法をされた
からで、暗唱によって
 如是我聞
が、再生産される。かつて釈尊の説教を聞いた弟子がおり、その仏典が口承によって伝えられることで、釈尊の説法の記憶が、その都度再現されることになる。

書写が重視されるようになると
 写経の功徳
が説かれるようになる。『法華経』はこの段階の成立。

単行経だった『法華経』普門品の問題。
普門品偈はあくまで「おまけ」なのか?

もし、翻訳初期にそうだったとしても、現況、日本では普門品全部ではなく、普門品偈を読誦する方が一般的になっている。
先祖返りというわけでもないだろうけど。

しかし、記憶の便を考えると、散文部分より、韻文部分の方が記憶しやすいと思われるのだが。

『法華経』自体が成立がややこしい上に、普門品はさらに話が込み入っている。

散文と韻文の先後関係の話では、荒牧典俊先生の
 中期韻文ウパニシャッドと散文ウパニシャッドの関係
を思い出す。

やっぱり、仏伝等の増広過程を考えても、散文部分が支配的というのは、納得しにくい議論。
たぶん、見ている時代と、中国語側から見るか、そうでないかの違いがあるのかも。

あとは布教の時にどうしたかだな。
中国では散文部分の方が受け入れられやすかったのか? それも疑義が残る。
唱導や梵唄などとも整合性が取れるかどうか、さらに考えないとなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010-05-29

連携がない

石井公成さんが、去年の道教学会で
 大山誠一説の逐次論破
を試みたとき、誰も質問をしなかった。道教学会だったから、ってこともあると思うが、たぶん
 個人攻撃に過ぎる
というのが、その時の参加者の偽らざる感想だったと思う。その時は、あまり生産的だとは思わなかったし、別な機会に日本古代史研究者に聞いてみると
 大山説は面白いけど、古代史研究者は誰も相手にしてないから、石井先生にはそれとなく教えてあげた方がいいんじゃないですか
という返事で、まあ、普通に文献を読んでいれば、そうなる話だから、それ以上突っ込まなかった。

で、石井さんが、
 聖徳太子研究の最前線
というblogを最近始められたのを知った。
最近の論文を読み込み、合わせて、その元となっている文献を精緻に読むことで反論する体裁で始まっている。
何回くらい続くかわからないけど、石井さんのblogは
 聖徳太子伝承の成り立ち
について知るためには、非常に有益だと思う。

個人攻撃ではつまらないけれども、それが出発点になって、新たな見地が開かれるならいいのではないかと思う。

もっとも、プロパーの古代史研究者がどこまでこの石井説につきあうのか、そっちも気にしてみたい。

てか、
 日本古代仏教史研究者と日本古代史研究者
って、連携が取れているのか取れてないかというと、
 取れてない
というのが本当のところのように思う。古代史研究者が
 『日本霊異記』を不用意に奈良時代の史料として使う
とか、まあ
 テクストクリティックをちゃんとしてから使えよ
とか思うことはよくあるわけで、こうした境界領域では、
 「お見合い」状態
が起きて、
 誰かやるからいいや
的な動きが起こる。巻末とか頭注についてる校勘くらい見ろよ。

てかさ〜、日本の古代史分野をやる人たちは、ちゃんと中国語ベースで漢文読んで論文書こうね、というのは、中国学の人たちはみんな思ってるわけで。もちろん
 テクストは校勘を見て、校勘については諸説を勘案してから、テクスト本文の読みを決めて読む
という作業までを含むのは大前提。

文献批判なしで史料使うって態度は、中国学からすると、
 あり得ない
ってことになるんだけど、その点、日本学は甘いよね。文献を読むにしても
 異本を見ない
って普通だし。印度学でそれをやったら瞬殺されるし、中国学でも、かなりの程度危ないんだけど。つか、中国では
 善本
にも、大抵、校勘はついてるよね。それが当たり前だし、テクストに対する
 敬意の表れ
でもある。

異本といえば、一番文献学的に凄かったのは、前にもちょっと書いたが
 梶山雄一先生の授業でたしかラトナーカラシャーンティを読んでいた時
だったかな。これは写本が良くなくて、公刊されているテクストも良くない。で、最後に
 コラプション
がある、というものだった。従って
 出来のよくないテクストを元に、本来の文章を復元しながら読む
という作業が必要なのであった。字義通り訳していけばいいというものではなく、
 ラトナーカラシャーンティの論理から行けば、ここはテクストは△△となっているけど、××に直して解釈した方がいい
という指摘をしながら、あの、そうでなくても読みにくい後期仏教論理学末期の論書を読むのである。その上、梶山先生も仰るように
 ラトナーカラシャーンティはそれほど賢くない
ので、自分で言ってることが、
 途中で論理的に辻褄があわなくなってくる
のだ。その
 ラトナーカラシャーンティ自身の誤解
も含めて、是非を判断しつつ、その都度コメントしながら読み込んでいくという、これはかなり面倒なテクストだった。
仏教学の授業は
 学部生からODあるいは他大学で就職しているOBまでやってくる
ので、サンスクリットの実力から行けば
 赤ん坊から先生クラス
までが受講生で
 梶山先生は、聳え立つヒマラヤの高峰に住まう神様クラス
になる。で、出来の悪いわたしも担当して、全くサンスクリットに向いてないことを実感させられたのだが、この授業が学期末に終わるときに
 このコラプションの部分を復元できるかな、とそれをやるつもりだったんですけどねえ
と梶山先生が仰った。受講生一同、そのレベルに達していなかったのは、梶山先生には申し訳のないことであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010-04-20

中国青海省玉樹県大地震 "Daily Telegraph"記者による現地からの写真→Twitterでは現地情報として少なくとも8000〜9000人の死者がいるとの推測→毎日新聞は「取材に入った中国人記者1人が高山病で死亡」記事

チベット人が多数住む高山で起きた青海省玉樹県大地震は、救援の困難さと地域の貧困、および
 漢語が通じない
ことなどが相まって、悲惨な状況である。漢語が通じないのは
 誇り高いチベット人が漢語習得を好まない
からである。

現地から、"Daily Telegraph"の上海駐在Malcolm Moore記者が写真を送って来ている。
http://www.flickr.com/photos/malcolmm

Malcom Moore記者の最新のblog記事。
Earthquake in China: this tragedy could quickly turn political

その中国語訳。(中文簡体字)毎日電報=Daily Telegraph
《毎日電報》記者:中国地震很快就会演変成政治討伐

Twitter上での青海省玉樹県大地震のハッシュタグは
 #qhdz
だ。

なお、Twitter上の投稿によると、中国当局の発表している
 死者の数
は、
 荼毘に付された遺体を数えてない
ので、犠牲者の葬儀を執り行い、荼毘に付している寺院関係者の言葉が正しいなら
 すでに震源地に近い結古鎮にある結古寺でこの3日で3400体以上の遺体を荼毘に付した
そうで、
 犠牲者は少なくとも8000〜9000人はいる
という。しかも
 結古鎮付近のいくつかの被災地には救助隊が全く来ていない
ので、犠牲者は更に増えるだろうと推測されている。震源地に近い地域に救助隊が入らない理由は
 中国当局はわざと実際の規模より玉樹県大地震の被害を小さく見積もっている
からだと、投稿者は言う。
Twitter上の情報は、中国当局の検閲を恐れてすぐに消えたりするので、随時保存を推奨。また、信頼性については各自で判断するよりほかない。

翻って、日本の報道。昨日の毎日新聞。


中国地震:中国人記者1人死亡 高山病の症状訴え

2010年4月19日 18時58分

 【西寧(中国青海省)米村耕一】中国青海省の地震で、現地対策本部は19日までに、被災地で取材していた中国人記者20人余りが高山病の症状を訴え、うち1人が死亡したことを明らかにした。地震による死者は19日午前8時(日本時間同9時)までに1944人、行方不明は216人になった。

 被災地は標高約3700メートルで、夜間の気温は氷点下になる。死亡した記者は現地入りして2日後、かぜを引いて肺水腫になり、甘粛省蘭州市の病院に運ばれ死亡した。所属メディア名など詳細は不明。高山病続発を受け、高地に不慣れな広東省、山東省の救援隊に撤退命令が出た。

 被災地には武装警察や軍兵士を主体とする救援隊員が1万人以上入っているが、中国では兵士の負傷や殉職者数は「士気を低下させる」として公表されないことが多く、高山病被害の実態は不明だ。

そりゃ、高地順応しないで現地に入り、風邪など引けば、結果は最悪のものとなるだろう。
問題は
 1人の記者の死
ではなく
 瓦礫に埋まったまま、放置されている多数のチベット人がいる
という事実だ。それとも毎日は
 記者が死ぬくらいだから、救援できなくてもイイ、みんな頑張ったんだ!
というつもりで、この記事を載せているのか?
 漢族(たぶん)1人の死はチベット人1万人近く(とチベット人は見積もっている)の死よりも重い
と?
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009-11-02

宋学が嫌い

何が嫌いと言って
 宋学
が一番嫌いだ。漢学はインド学の基本的手法と馴染みがよいので抵抗なく受け入れられるのだが、どうしても宋学は好きになれない。朱熹が嫌い、というのが大きい。

十数年ぶりに、宋学の勉強をしなくてはならなくなり、頭を抱えつつ、作業をこなしている。別にそこまで頑張らなくてもよい仕事なのだが、気になり出すと止まらない性格が災いしている。書庫にあった
 小島毅『宋学の形成と展開』創文社
をめくっていると
 五峯集
とか、邵雍とか二程全書とか、昔見たような書目とか、一度めくったことのあるフレーズとかがバラバラ出てくる。たしかに大学院のゼミで
 朱子語類
を読んでいたわけだから、この辺りは覚えてないといかんのだが、嫌いなモノはすぐに忘れるタチなので、昔の不勉強を今に悔いつつ、勉強のし直しをしているところだ。書庫には『宋元学案』も『明儒学案』も揃っているからな。

小島毅のこの本は
 宋学の祖が周敦頤で、周敦頤が『太極図説』を二程に授けたという伝説はウソである
ということが書いてあったりする。みんな
 朱熹の道統論にダマされてるんだ
という主張なのだが、まあな、朱熹だからな。

朱熹が嫌いといっても
 詩集伝
は嫌いではない。やっぱり
 朱子語類
に出てくる「朱子」が気に入らないのである。仏教の論理学の方法を使って、あれこれ言ってくるのが透けて見えるので、とてもじゃないけど好きになれないのだ。この
 気持ち悪さ
は、仏教を先にやってたから感じる気持ち悪さであって、たぶん大方の中国学研究者は気にならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009-10-04

先輩が管長になっていた

人文系でも、積極的に留学に行く学科とそうでない学科ではちょっと違うけど、わたしが最初に在籍した仏教学は、基本的に博士課程になると、海外のどこかに留学する人が多かった。印度学のある海外の大学というと、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカといった辺りで、名簿でD以上の先輩は、そもそも研究室で見掛けることは少なかった。留学に行かないにしても、修士までで、基本的な大学教育は終わってしまうのが、その頃の京大文学部のシステムだったので、D2以上の先輩は、D何年目でどこにいるとかいうのは、学部に上がったばかりの3回生にはさっぱり分からなかったし、なにしろ不良学生だったから、余計そうした事情には闇かった。
それでも、研究室名簿は、春にはもらっていて、その一番上、D3以上のところだったとおもうけど
 佐々木容道
という名前が書いてあった。研究室には他にも佐々木姓の先輩がいたので、もっぱら
 容道さん
と呼ばれていた。容道さんは、名前は聞くけど、姿を見掛けたことのない先輩のお一人であった。連絡先も京都市内ではなく、松江になっていた。

で、さっきネットサーフィンをしていたら、容道さんは、天龍寺で偉くなっていて、昨年
 天龍寺管長
になっていた。だから本当は「容道さん」などと呼ぶのは失礼千万なのだけど、ご寛恕頂きたい。
中外日報より。


天龍寺派管長に佐々木容道師家
2008年3月8日

臨済宗天龍寺派は六日、故・平田精耕管長の後任に佐々木容道天龍僧堂師家(54)が就任したことを発表した。大本山天龍寺第八十五世。天龍僧堂師家は引き続き兼ねる。就任は二月一日付。
佐々木新管長は昭和二十八年、松江市の妙心寺派道栄寺で出生。十歳で実父の佐々木皎岳和尚について得度し、広島大学に進学。佛通寺の青松軒藤井虎山師家(管長)に参禅した。同大学大学院修士課程を経て京都大学大学院に移り、初期唯識思想を研究。博士課程在籍中には故・柳田聖山教授らのもとで人文科学研究所、禅文化研究所の研究会などに参加した。
昭和五十九年に天龍寺専門道場に掛搭し、平田精耕師家のもとで修行。のち、平田師家の法を嗣いだ。
平成六年五月から天龍僧堂師家代参、同七年一月に天龍僧堂師家に就任した。道号は淞翁、室号は集瑞軒。
天龍寺派は宗制により、大本山天龍寺住職が管長に就き、派の代表役員には管長が就任することになっている。

上記記事に出てくる昨年1月に亡くなった平田精耕管長も、京大文学部哲学科のご出身だったが、仏教学専攻ではない。ドイツに留学されているのだが、たしか宗教学か、純哲か哲学史の第二か第三講座ではなかったか。やはり先年鬼籍に入られた梶山雄一先生に、学部3回生の頃、平田老師についてお尋ねしたら、面白い話をして下さった。仏教論理学の世界的権威で般若思想の根本「空」研究をなさっていた梶山先生と、平田老師の会話というのは、わたしのような平凡な学生には窺い知れない奥深いものがあったようだった。

東大の印度学に比べると、京大印度学は、宗派の看板を背負っている人がいなくて、講座の中ではそういう争いはなかった。研究室では商売の話はしないというのが礼儀だったのは、総本山・大本山だらけの京都での礼儀だったのだろうと思う。梶山先生は、3回生の頃のわたしに、
 その内、知っている顔が、宗派で偉くなるのを見るでしょう
と仰っていたのだが、確かに、そのお言葉通りになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009-08-18

小林盛得 小池一行編『五十音引 僧綱補任 僧歴綜覧 増訂版』笠間書院

お坊さんや尼さんの名前が分かっていても、いつの人かわからない。とりわけ、僧尼名は似たような名前や同名の人が大量に存在する。そんなとき、中国仏教には
 陳垣『釈氏疑年録』
という古典的名著があり、仏教伝来から清・康熙朝途中くらいまでの歴代の僧尼の名前を年代順に羅列してある。もちろん、陳垣のこの書物が全面的に正しいわけではないのだが、
 当たりをつける
にはちょうどよいのである。この労作をコンピュータなどない時代に陳垣が個人的に成し遂げたというのが、中国の学者の地力の恐ろしさを伝えて余りある。てか、陳垣って『釈氏疑年録』だけじゃないからな。中国史を扱うのであれば、普通の人は
 『廿史朔閏表』
のお世話になったことが多いだろうし、あるいは
 『史諱挙例』
は、版本を読むときには必須である。敦煌に目が向いていれば
 『敦煌劫余録』
で、我が身を切られるような辛さを味わった日本人もいるだろう。あ、そういえばまた手元の『廿史朔閏表』がなくなってしまった。何回なくしているかわからないのだが、またどこかで買わなくちゃ。

さて、翻ってわが日本仏教なんだけど、これがまたわかりにくい。
やはり、古代仏教の僧名の当たりをつけるための資料として、昨年増訂版が出たのが
 小林盛得 小林一行『五十音引 僧綱補任 僧歴綜覧 増訂版』
だ。日本仏教史には闇いので、この書物が出版されてから半年以上経って気がついた。アマゾンに注文して、今日届いたところ。増訂版は
 究竟僧綱任
という資料の分を増やしてある。

載っているのは
 推古三十二年(624)〜元暦二年(1185)
までの分なので、この辺りの歴史を扱うすべての分野の研究者には必携の書物ではないかと思う。だいたい、この辺りの歴史絡みだと、仏教はちらちらと顔を出す。

手元に届いた分は、ii〜ivまでの印刷がとっても薄くて読みにくい。本文はなんともないんだけど、どうしてだろうね?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧