2022-04-26

梵巴蔵漢文大蔵経の平行句を探してくれるとんでもないデータベースで、日本語は参加できていない件

ちょっと必要があってPāli語の経典
 Majjhima Nikāya(漢訳の中阿含に相当)
を調べていたら、行き当たったのが
 梵巴蔵漢文大蔵経の平行句を吐き出してくれるデータベース
 Buddha Nexus
https://buddhanexus.net
だ。巴(Pāli)梵(Sanskṛt)蔵(Tibetan)中(Chinese)の大蔵経の文章を適当に入れると、ニューロネットを利用して
 梵巴蔵漢文大蔵経の平行句を即座に検索してくれる
のだ。便利すぎて、一瞬なにが起きたかと思った。その上
 既存の現代語訳
も用意している。

 

このように仏教学でオンライン検索が可能になるまでは、
 平行句探し
は、論文作成の作業ではかなりの時間を必要とするもので、梵巴蔵漢の四つの語学に堪能でないと難しかった。語学の実力が足りず、間違って、似ているけど違うフレーズを引用したりすると、学会やメールで、至極丁寧な言い方や書き方で、しかしながら中身は
 おまえはアホか
という強烈なお叱りをいただいても致し方なかった。
コンピュータが探してくる平行句なので、当然ながら
 結果をそのまま使うのではなく、一応、自力で吟味して使う
という昔と変わらない手順は必要だが
 探し出すための、時間が読めない作業の負担
はぐんと減った。いや〜、
 平行句があるなら、必ず提示せよ
ってのが、今の仏教学の水準ですね。

 

ところで
 現代語訳の部分
なのだが、非常に残念ながら
 日本語訳
は採用されていない。採用されていない理由は推測するしかないが
 著作権等の関連でデータが提供されていない
のだろうと思う。
ああ、もったいない。
せめて
 南伝大蔵経の日本語訳(初版は昭和10(1935)〜15(1940)年)
くらいは、提供できないのだろうか。日本の仏教学の成果がこうした世界的に利用されるだろうデータベースで何も貢献できないなんて、残念で仕方がない。

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2020-02-26

これからお彼岸だけど日本の寺院は大丈夫か? 7人が新型コロナウイルスに感染した香港の寺院でお経とトイレのカラン(蛇口の把手)からコロナウイルス陽性反応@2/25香港「明報」

これから日本はお彼岸を迎える。
東大寺のお水取り(修二会)は3月1日からだ。人も集まるし、局で聴聞する熱心な善男善女も多い。修二会を行ずる二月堂の局には、普段は経典が置かれていて、参拝者は自由に手に取り、お経を上げることが出来る。
ところが、香港では
 福慧精舎
というお寺で集団感染が発覚している。どこからウイルスが広まったのか。
昨夜の香港「明報」に、
 お寺備え付けのお経トイレのカラン(蛇口の把手部分)新型コロナウイルスが付着 していて、感染が拡がったという、ちょっと衝撃的なニュースが。ざっと訳す。

【武漢肺炎】「福慧精舍」佛堂洗手間水龍頭手柄 樣本病毒檢測陽性 (17:10)(【武漢肺炎】「福慧精舎」仏堂トイレのカランでウイルス検査陽性(17:10)) 香港衛生署衛生防護センター感染症部の張竹君主任によると、これまでに新型コロナウイルス肺炎確定診断例7例が北角(香港島)の「福慧精舎」仏堂と関係があり、また他の確定診断例2例は仏堂で感染した人の濃厚接触者であるという。センターの職員は今月23日に仏堂に行き、公共の場所と仏堂内で合わせて33個の環境検体(人からではなく、物から採取した検体)を採集したところ、公共の場所の検体はすべて新型コロナウイルスに対して陰性であった。仏堂では、お経の表面から採取した検体と、洗面所の蛇口の温水冷水カランから採取した検体2つが陽性だった。23日には徹底的に消毒を行い、約1週間後に衛生保護センターで検体を採取し、まだウイルスがあるかどうかを調べる。
衛生防護センターのホットラインは断続的に153人から仏堂に行ったという電話を受け、そのうちの22人はPCR検査を受け、残りの100人余りは経過観察を受ける必要があった。153人のうち7人に症状があり、そのうちの2人は新型コロナウイルス肺炎と確定診断されており、残りの5人は新規コロナウイルス検査で陰性だった。

 

これからお彼岸ですが、全国のお寺さん、これは大変、せっかくお参り頂いた方々の間に感染を拡げてはいけません。
 マスクやアルコールを入口に用意していますか
 トイレに石鹸・アルコールは置いてますか
 共用のタオルは感染源になりますよ、置くなら使い捨て紙タオル
 お経にもウイルスが着いてしまうようです、しばらくお経をお使い頂くのはやめた方がいいかもしれません
気をつけましょう。充分準備を整えた上で、御仏の慈悲を願いましょう。
個人的には二月堂が心配。山の上なので、トイレの水は冷たく、奨励されている「30秒すすぐ」なんて無理だし、水量が豊富とは言えないし。トイレは出るときが一番危ないんだけど、たぶん参拝者はそこまで気が回らないと思う。

 

 

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2017-02-02

荒行もいろいろ大変らしい件

宗教は、さまざまな儀礼を伴う。
中には
 荒行
と呼ばれる
 身に危険を及ぼす儀礼
もあるのだが、@yworks2000さんは実際に荒行で負傷した方に遭遇した、という。
@yworks2000さんのtweetより。


滝行が耳にダメージを与えるとは初めて知った。
ううむ、やっぱり
 火渡りで火傷することがある
のか。荒行も大変だな。

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2016-11-06

東京古典会 No.1096 宋版経は、『中阿含経』巻32「優婆離経」

東京古典会のオンライン目録を眺めていたら
 1096 宋版経
 沙門瞿曇受優婆離居士… 経名不明 首尾欠一巻
と書いてあるのに気が付いた。
 経名不明
というけど、そう難しくない。ググれば出てくる。実に一般的な経典で、大正新脩大藏經の第1冊目に収録されている
 No.26 『中阿含經』60卷 東晉 瞿曇僧伽提婆譯 第32卷「優婆離経」の真ん中近く
が該当箇所だ。

しかし、なんだって
 経名不明
にしたんだろう?
 
 

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2016-08-15

東大寺大仏殿の「算額」

今日8月15日は、
 東大寺萬燈供養会
だ。大仏殿の境内にずらっと供養や祈願のための燈籠を並べて、夜、明かりを点す。
大仏殿の正面では、
 観相窓
が開いて、大仏様のお顔を拝むことが出来る。
Img_0848

献燈したので、お参りしたのだが、大仏殿の中に
 算額
があるのに気が付いた。不空羂索如意輪観音様の脇に、
 3つの額
が掛かっていて、内2つが問題だ。
Img_0880
文字起こししてみた。


【算額】
算額とは、神社や寺院に奉納された和算の絵馬のことで、日本独自に広まった文化だと言われています。難問が多いですが、問題を解けた喜びを神仏に感謝する風習としても、学業成就の祈願につながるものとして親しまれてきました。

日本数学検定協会では、毎年1月23日を、「算額文化を広める日」と定め、問題を発表していきます。

平成二十八年 問題一
古来、大仏様を代表とする坐像は立像の半分にするように造られていました。
この情報をもとに、東大寺の大仏様が東海道五十三次を歩くとすると、始点となる日本橋から終点の三条大橋まで何日で行き着くことができるでしょうか?

公益財団法人 日本数学検定協会


Img_0879

問題二
ここ東大寺には、「華厳五十五所絵巻」の一部が現存しています。この絵巻では善財童子が文殊菩薩の勧めで多くの指導者を訪ね、最後に普賢菩薩のもとで悟りを開く様子が描かれています。この五十五所にちなみ、多面体の頂点を一所と見立てた、五十五所の頂点がある立体があるとします。この立体の体積が最少となるときの値を求めなさい。なお頂点と頂点を結ぶ辺の長さはすべて1とします。

公益財団法人 日本数学検定協会

さて、如何?

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2016-08-11

上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016.2 14040円 あるいは何故「漢文」は舐められるのか(追記あり)

大学の同級生が
 上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016
を贈ってくれた。多謝。正倉院展というと、きらびやかな工芸品よりも
 文書や仏典
に張り付いて眺めているわたしの好みに合わせてのことだ。まあ、正倉院展に出陳される仏典であれば、経題を見ないで、
 その場で読んで、どういう類の仏典のどの部分か当てるのを楽しみにしている
わたしも大抵なのだが。

総頁704頁に及ぶ巨冊だし、日本語で書かれた上代関連の文献は精査してあり、その点は非常に有益である。
何年もかけた研究会の成果で
 大変な労作
なのだけれども、一言で言えば
 甚だしく勿体ない
のだ。何が勿体ないかというと
 研究班に、中国学や中国仏教もしくはインド仏教のプロパーの研究者が含まれてない点
である。もし、
 中国学や中国仏教もしくはインド仏教のプロパーの研究者が含まれていた
ならば、本書は
 国内の古代史研究者のみならず、海外の仏教学・日本学・中国学の研究者を裨益する必携の書物
となっていただろう。学際的研究班を編成できなかったのは、大変に惜しいだけでなく、そうなっていれば、参加者にとっては
 出典調べや読解の苦労が半減
していたことは間違いない。

彼我の差は大きい。
たとえば
 岩波文庫 『高僧伝』
の共訳者である
 船山徹京大人文研教授
は、
 元々は印度学(仏教学専攻)の出身で、梵文で仏教論理学を研究していた研究者
である。京大の印度学では、梵語やPāli語、Tibet語等の古典文献は読むが、漢文は扱わなかった。漢文仏典は
 自助努力
で読むことになっていた。
船山教授は、その後、人文研に入り、みっちりと漢文の研鑽を積み、吉川忠夫先生と共に、岩波文庫の『高僧伝』の訳注を作った。吉川先生に直接伺ったところでは、あの詳細な注に
 船山教授の貢献は極めて大きい
とのことだった。

当時のカリキュラムでは、印度学で、2年間、学部で学ぶと
 漢訳仏典から元の梵文が透けて見える
ようになる。船山教授は、その上で
 漢文の仏教文献を読んでいる
のである。

上代の写経識語においても、同様に
 印度学と中国学の両方への目配りは欠かせない
のだが、残念ながら、本書の場合、
 漢語の用例は追っている
けれども、
 仏教用語に梵語等インドの言語による注がついてない
のである。漢訳では、一つの梵語に
 いくつも別な訳がついている場合
がある。こうした「差異」は
 元の梵語(なければやPāli語等)を示しておけば、混乱せずに済む
ので、仏教学の論文では、
 梵語に戻しておく
のが普通の手続だ。そうしたことが行われてないことからも
 印度学プロパーはいない
ことが分かる。
(追記 8/12 1:00
梵語に戻すというのは
 卒塔婆(skt. stūpa)
といったように
 注記しておく
ということだ。一々、全ての漢語を元の梵語にして、説明をせよ、ということではない。
もし、「梵語」に戻さないと何が起こるか。
漢訳仏典は、その訳出年代により
 古訳(鳩摩羅什〈skt. Kumārajīva 344-413〉以前の漢訳。)
 旧訳(鳩摩羅什以降、玄奘(600-664)以前の漢訳)
 新訳 唐・玄奘訳
に分けられる。新訳は、言語的に正確な飜訳を期したものだが、流麗さにおいては、鳩摩羅什訳には及ばないため、読誦には、今でも鳩摩羅什訳が使われていたりする。
例えば、般若経類で、最も古い漢訳は後漢の桓帝の建和元(147)年に首都洛陽に来たった支婁迦讖による
 『道行般若経』(大正蔵8、No. 224 訳出は霊帝の光和二(179)年)
であるが、梵本やその断片(1-2世紀)が見つかっており、唐の玄奘訳までに次のような異訳がある。
 呉・支謙訳『大明度経』
 前秦・曇摩蜱・竺佛念訳『摩訶般若鈔経』
 後秦・鳩摩羅什訳『小品般若波羅蜜経』
 唐・玄奘訳『大般若波羅蜜経・第四会』
 同『第五会』
これらの異訳経の中で、梵本に現れる
 māra(魔)
の訳語を比較すると
 弊魔 『道行般若経』
 弊邪 『大明度経』
 弊魔 『摩訶般若鈔経』
 悪魔 『小品般若波羅蜜経』
 悪魔 『大般若波羅蜜経・第四会』
 悪魔 『第五会』
となる。こうした「弊魔」「弊邪」「悪魔」いずれも
 māraの訳語
であり、個々の漢語をそれぞれ比較するだけでは、混乱に終わるだろう。中国語の初期の仏教用語の多くが訳語から生まれたものである以上、梵語の注記は、不要の混乱を避けるために行う。
(以上、
 中國宗教文獻研究國際シンポジウム報告書( 『佛典漢語 詞典』の構想 / 辛嶋靜志
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/65875/25/02Karashima.pdf
を参照のこと。)
(追記終わり)

この研究会に、中国学プロパーの研究者がいなかったことは、注釈のあちこちで触れられる
 出典調べの内容
で明かである。例えば、何の断りもなしに
 『書経』舜典
と書いてあると、やはりガッカリしてしまうのだ。現代の研究書であれば、何故、『偽古文尚書』の篇立てに従って出典を示したのか、一言書いておかねばなるまい。(ちなみに、先師尾崎雄二郎先生の『説文解字注』の学部・大学院共通演習で
 舜典
などと言おうモノなら、例え、その年初めて参加した3回生であろうとも許してもらえなかった。)
(追記 8/12 1:50
もし、『偽古文尚書』を使うのであれば、最初に
 五経の引用は『五経正義』に従う
と断っておけば良い。そのようなコメントなしで
 『書経』舜典
と書くと、日本の儒学経典受容史を知らない、一般的な中国儒学研究者である
 海外の研究者から無知を疑われる
ことになる。
追記終わり)
(追記 8/12 3:30
ところで「平成」だが、俗説によると、当時の竹下登首相はいたく「平成」を気に入っていたとかで、検討資料には「平成」が大きく書いてあり、他の候補とは扱いが違った、と伝えられている。
追記終わり)
(追記 8/12 11:30
『偽古文尚書』について。『集英社世界文学大事典』より。


中国,『尚書』(『書経』)のテクストの一種。58編。このテクストのうち,偽作の明らかな25編のみを『偽古文尚書』と呼ぶ場合もある。直接に現在のものにつながる『尚書』のテクストは東晋(とうしん)初年に出現した。そのテクストの大半の編は古い『今文(きんぶん)尚書』などを引き継いだものであったが,そのうちの25編は当時すでに失われていたものを古い引用文などによって補いつつ偽作したものであった。このテクストは,それまで序だけがのこり,本文が失われていた諸編が補われた,より完全なかたちをのこす『古文尚書』(古文とは,古い字体をいう)が新たに発見されたとして,公表された。(略)このテクストは『偽古文尚書』と呼ばれ,それに付けられていた孔安国の注も,漢代の孔安国のものではないとして,『偽孔伝』と呼ばれる。このテクストが唐代の『尚書正義』に採用されて,現行の『尚書』のテクストの基礎になったが,それに偽作の編が含まれていることについては,明清(みんしん)時期に閻若璩(えんじやくきよ)らによって最終的に確かめられた。
(小南一郎)

竹内照夫『四書五経 中国思想の形成と展開』東洋文庫 p.204上

『書経』も文献学的には多くの問題を持つ経書であり、近世以後の研究によると、漢代にまず今文書経が作られ、おくれて古文が発見されたが、古文の方が内容が多かった。しかし、漢朝の末から六朝の初期にかけて書経の原本は二種とも亡失され、そのころにたれかの再編集した古文テキストに従うものが、今に伝わる書経で、これには偽作的付加のあることが明瞭であって、正式には『偽古文尚書』とよばれているのである。

「舜典」について。
『孟子』萬章上
堯典曰、二十有八載放勛乃徂落、百姓如喪考妣、三年、四海遏密八音。
この『孟子』が「尭典」として引用する部分は、現行『尚書』では、「舜典」となっており、篇次が異なる。
(追記終わり)

中味は日本のものであっても
 漢文は元々は中国の文語文だ
という観点は必要だ。それも
 上代の漢文であれば、中国語との距離は今の日本語よりは余程近い
だろう。
 その漢文の作者に、漢文を教えたのは、「日本人とは限らない」
からだ。もちろん、日本の漢文には、
 和習
という問題も存在するけれども、それよりはまず
 正格の中国語文語文がきちんと読めるか
というところから始めるのが正攻法ではないのか。
 漢文訓読
とは、
 シンタックスの異なる中国語を日本語で読むための便法
であり、そもそも
 漢文は中国語であり、「外国語」だ
という意識がないと、思わぬ読み違いをしてしまう。少なくとも、上代の漢文を扱うのであれば、当時の日本の文化人の基礎教養の一つであり、木簡にもその名が出てくる
 『文選』
と、正倉院文書に書写や所蔵の記録が残っており、仏教関係者なら読んでいたと思われる
 『弘明集』
辺りを少し勉強しておいてから、読み始めても遅くはない。また、これも常識だが
 士大夫の中国語文語文(『文選』)と僧侶の中国語文語文(『弘明集』)とは性格が異なる
ので、片方のみで済ませるわけにも行かない。オーソドックスな中国語文語文はもちろん
 士大夫の漢文
である。僧侶の漢文は
 仏教梵語同様に「変格」の漢文
になる。
いくら上代の漢文であろうとも、
 書き手は、少なくともかなりの教養人
だから、
 識語を書いている人々の教養に追いつくという意識
がないと、
 見通しの悪い読み
になってしまうし、何より
 書き手への敬意を欠いている
のではないか。

『文選』や『弘明集』では
 駢文
にも立ち向かうことになる。実際、本書が扱う
 上代写経識語
には
 駢文
が用いられている箇所があるのだが、残念ながら
 駢文の構造に慣れていない
ようで、読み違えている部分がある。こうした辺りも
 中国学プロパーの研究者が参加していなかった
ために起こった躓きだろう。

もう、二十年近く
 古代史をやるのなら、中国語を習得して、それから漢文も中国語で勉強して欲しい。その方がわかりやすいし、いい教科書があるから。
と言っているのだが、大体は
 そんな面倒なことはイヤだ

 あくまで漢文で読めれば良い
と答える。それは、
 五経や『文選』等を当然の教養として勉強していた古代の書き手
よりも
 学力が劣る状態で「読む」
ことが、いかに不利であるかを自覚していないのではないか。

日本人は、明治まで
 教養人は漢文を習得
していた。もし、これまで中国語を習得していない、国史や国文を学んだり、研究している人々が
 漢文文献を扱う
予定があるならば、1日少しの時間でいい、いきなり『文選』は無理だし、独学は難しいから、高校の教科書にもその中の作品が採用されている
 唐宋八家文
辺りから少し選読するなりして、
 当時の日本人の中国語力に近づく努力
をして頂きたい。

しかし、
 勉誠出版
って
 日中文化交流史関連の出版
を手がけているんだけど、どうも
 中国学関連の校閲が甘い
ような気がしますね。それとも
 本書については、筆者達しか校閲に携わってない
のだろうか。そうだとすると、気の毒な話である。

おまけ。

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2016-08-05

何を今更Pāli語再履修

久しぶりにPāli語を纏めて読むことに。
読む文献はVinayaのMahāvaggaだから、あまり気合いを入れなくてもイイのだが、それにしても
 読み落とし
があるとイヤなので、ちょっと寄道して、足元を確実にすることに。

前にも書いたけど
 印度学の古典的辞書・文法書・教科書
は、とっくに著作権が切れているので、あちこちで拾うことが出来る。

もしかして
 Pāli語再履修
に興味のある向きもあるかも知れないので、いくつかのリンクを纏めておいておく。

Pāli語といえば、
 PTS(Pāli Text Society)
だけれども、PTSの
 The Pāli-English Dictionary
は、あちこちにPDF化されたものが落ちているし、
 オンライン辞書
にもなっている。

オンライン辞書
The Pāli-English Dictionary
PDFだが、ロシアのLirs.ruのものが綺麗だ。
The Pāli-English Dictionary

文法書もいろいろあるけど、まずはGeiger(独)の英訳。ドイツ語版は、archive.orgに入っている。
Wilhelm Geiger: A Pāli Grammar

リンク集。
Pāli語の原典・辞書・文法書のGoogle Bookリンク集
http://static.sirimangalo.org/pdf/
AndersenのA Pāli Reader with Notes and Glossary. Part1 & 2とか、Pāli仏典の各種原典(経部の長部・中部・相応部・増支部・小部とか論部・律部等)および英訳とか、各種文法書とか。

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2016-06-04

漢訳仏典を調べる(初心者編)

元々、仏教学専攻なのだが、京大の仏教学は
 印度学の1分野
なので、中国仏教や漢訳仏典は真っ正面からは扱われなかった。だから、
 漢訳仏典を調べるやり方
のは、
 自力更生
で身につけたのだけれども、
 専門外だと、仏典を調べるのが難しい
という話を聞いた。

現代は、
 Internetに大蔵経がアップロード
されているわけで、大蔵経内から
 文字列を探し当てる
のは、簡単になっている。しかし
 その文字列が記されている仏典の正体
とか
 その文字列がどういう意味合いで使われてきたか
とかいった
 基本的な部分
は、時間を掛けて身につけないと、せっかく探し当てた文字列を解釈できない。

仏典初心者のための良い教科書が、ネット上にある。東洋文庫の會谷佳光さんが作られた
2012年2月16日(木) 平成23年度アジア情報研修資料 財団法人 東洋文庫 「仏教典籍(漢文資料)の調べ方」(PDF)
だ。
 アジア情報研修の際に使われたテクスト
のようだが、簡潔に、
 仏教興起
から
 漢訳仏典の性格
を時代順に説き及び、もっとも力が籠もっているのが
 歴代大蔵経の紹介
である。専門家でも面倒な大蔵経の展開が、カラー図版を交えて、わかりやすく説明されている。

出典が仏典だと
 げ、仏典
とか思う方は、是非ご一読を。

わたしが、漢訳仏典を調べる方法を身につけたのは、ほとんど参考にはならないとは思うのだけれども、一応紹介すれば、
 大正蔵55巻目録部の『出三藏記集』から『貞元新定釋教目錄』までと費長房『歴代三寶紀』(大正蔵49)、大正蔵54巻事彙部下の『一切經音義』『續一切經音義』

 ともかく、端から端までめくる
というやり方だった。頭の中に文字列を
 画像的に記憶
する訳である。一度に大量にやると、すぐにイヤになるので、一日にめくる量を決めて3ヶ月くらいやっていた。たまたま、その時は、健康を害していて、とてもじゃないけれども
 まともな調べ物
をする体力がなかったのだが、
 ひたすら頁をめくる
のは可能だったので、情報が入らなくなって、頭が寝てしまわないように、ともかくめくった。
重症の活字中毒向け。

あとは、必要に応じて、
 大正大藏經索引
をめくった。オンラインデータベースのある現在では、書冊体の『大正大藏經索引』の出番はほとんどないし、あの索引は
 巻によって出来の善し悪しの差が大きい
ので有名で、そうそうお勧め出来ないけれども(律部の索引は、比較的マシ)、
 単なる羅列ではない索引
なので、初心者が漢訳仏典の組織を知るには悪くなかった。

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2015-05-26

超簡便な「仏教用語集.pdf」by 仏教書総目録刊行会

twitterとかFacebookとか、SNSを眺めていると、時々
 それはないだろう
という言葉の使い方を見かけることがある。語義を間違っていたり、使い方を誤っていたりする場合だ。そうした
 誤りを指摘する
のには、思いの外労力を要するもので、最近は、
 手近にある工具書で調べてから書く気がないのだから、そもそも語定義に興味がないのだろう
と放置することが多かった。

ただ、仏教用語については、web上でたまたま見かけるものが、勘違いだったり、誤用だったりするものが少なからずあって、
 最近の中学・高校では教えてないのか
と、頭を抱えることがあった。まさに家庭内での仏教の退潮畏るべし、だ。

学校でも家庭でも大人が教えてくれないから身につかないわけなのだが、じゃ、自学自習用の最低限の
 仏教用語集
って? 文責がついてないのが残念なんだが、
 仏教書総目録刊行会
が、ホームページに
 仏教用語集.pdf
を置いている。全部で22頁だが、簡にして要を得ている。

まずはこの辺りから始めるのが吉かなあ。

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2014-10-15

梵巴蔵漢初期仏典対照プロジェクト Online Sutta Correspondence Project

先日、学会発表で、阿含経典に言及した。
阿含経典というと、
 赤沼智善 『漢巴四部四阿含互照録』 1929
という大変な労作に基づいて、漢訳阿含とパーリ阿含の両方を比較対照する、というのが最初の手順である。(パーリ語を読まない人はどうしてるか知らない)ちなみに 『漢巴四部四阿含互照録』 は、先師梶山雄一先生が研究室に置いていたら、某書店が
 先生、ちょっと拝借してよろしいですか
と言って持っていって、その内、先生のご存知ない間に影印本を作った、という故事があり、あの温厚な梶山先生が珍しく大層ご立腹であった。

それもこれも
 紙の時代
のお話。

インターネット時代では
 衆知の結集
が、いともたやすく行われる。最近、阿含経典を使うことがなかったので、寡聞にして知らなかったのだが、
 Online Sutta Correspondence Project
という
 梵巴蔵漢初期仏典対照プロジェクト
が、各国のお坊さんを含むそんなに大人数じゃないグループで、2005年から行われている。
 サンスクリット、パーリ語、チベット語、中国語の各国語初期仏典

 対応関係が分かる
形で掲示されている。
凄い。ともかく凄い。印度学で、必ず問題となる
 平行句もチェック
されている。

もともと印度学は、電子テクストとは馴染みが早く、入力環境が劣悪だった頃から
 テクスト電子化の取り組み
が続いてきた。
その流れが、こうした形で現れている。

少なくとも
 漢訳阿含とパーリ阿含との対応関係
はもちろんのこと、
 梵本等があればそれもチェックできる
システムで、運営グループの諸師には頭が下がる。
特に、出土資料である
 梵本断片
に関して言えば、
 写真が公開されている断片にはリンク
 情報が公開されてない断片には詳しい書誌情報
が明記されている。
以前なら
 図書館に1-2週間籠もって調べていた
ことが、瞬時に解決するのだから、学界を裨益しているのは当然、
 在家出家の仏教徒の信仰にも資する
プロジェクトだ。

律だけ、ざっと見たところ、大きなベースが
 漢訳律は摩訶僧祇律(大衆部)と五分律(化地部)等
 梵本律(断片)は大衆部・説出世部・説一切有部・根本説一切有部等
だ。これに
 パーリ律と蔵律の広律
が加わる。

実際に検索を掛けてみると
 平行句が含まれる梵巴漢蔵すべての仏典がリンク
される。律で言えば、漢訳なら
 四分律・五分律・摩訶僧祇律・十誦律の四大広律
だけでなく
 個々の部派の波羅提木叉
や、あまりにもデカくなりすぎて一つの広律として訳しきれなかった
 義浄訳 根本説一切有部律群
が、ずらずら出てくる。もちろん、パーリ律・梵本断片等も一瞬にして分かる。

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