2017-12-10

茶道やろうぜ! 今中国で茶人はとっても尊敬されるらしいぞ@twitter

中国から茶が日本に齎され、遣唐使の廃止で一端は衰えた後、宋の禅寺の喫茶が栄西禅師によって日本に伝えられた以降、日中の文化を融合した、独自の喫茶のやり方が発達して行く。
やがて、それは現在の
 茶道
に繋がっていくのだが、21世紀、平成末年の今、
 華道も茶道も、新たに習う若い世代が減っている
のは確か。

ところで、現在
 中国では日本の「茶道」がよく知られており、茶人となれば、一目置かれる
そうで。
こちらは、中国留学の前に
 茶道を身につけた
という「黒色中国」さんのblogの11/24付記事
【中国人へのお土産】「日本茶道スターターキット」とは?
だ。
このblog記事への読者へ、twitterで黒色中国さんが、更に詳しいコメントをつけておられる。






おお、小習で尊敬して貰えるのかっ。
それなら
 お教室に通ってお免状を取るしても、そんなに経費は掛からない
ぞ。

結婚前に、それまで取ってなかった裏千家のお免状を纏めて出して貰わざるを得なかった叔母(真面目にお稽古しすぎて、奥の許しの手前まで行ってしまい、その後、付くことのできる先生がいなくて苦労していた)が
 小習
を終えておけば、
 お茶は大丈夫
だと、太鼓判を押していたから、
 黒色中国さんは立派な茶人
だ。

なお、
 お茶道具は、この5年ほどヤフオクで投げ売り状態
で、
 一応のお茶道具一揃いは、炉縁や釜、屏風も含めて安価に揃えられる状況
なので、
 これからお茶を始めるのなら、チャンス
かも。
オークションがお嫌いな先生もいらっしゃるので、その場合は
 親戚から道具を譲って貰いました
等と言っておきましょうね。
お茶席で着る和服も投げ売り状態。

なお
 1度でも手を通した和服

 並のものなら1枚1円
にしかならないとか。
お茶席で着るようなものは、わざわざ誂えたとしても、このクラスになってしまう。

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2017-12-05

羅繼祖「跋新修本草」

今となっては、最善本ではないので、再び刊行されることはないだろうけれども、1985年に上海古籍出版社から景印出版された
 森立之手鈔『新修本草』
には、この本を中国に持ち帰った
 羅振玉
の孫である
 羅繼祖の跋
がついている。当時としては丁寧な出版で、平装版だけど、景印は美しいし、朱書や朱印はちゃんと朱で印刷されている。
何故、羅振玉が森立之の手鈔本を持ち帰り、孫の繼祖が跋を書くことになったかは、本文を読むと分かるのだけど、現在はあまり注意されていない文章のように思うので、ここに転写する。
文字の誤りがあるかも知れないので、その点はご寛恕下さい。



《新修本草》影鈔本十卷(十冊) 先祖羅振玉於光緒辛丑(一九〇一)奉兩江、湖廣兩督赴日本視察教育時,得之於東京書肆。每卷後有森氏手跋。越七年,又由先祖題識於卷端。先祖比次去日,買到許多醫書。其中影寫和舊鈔,大都為森氏開萬冊府藏本,有些還有森氏題識。先祖對這些書都曾一一作跋。
 先祖見背,楹書零落,即《大雲書庫藏書題識》所著錄的也已多數易主。惟此《新修本草》殘本和明正統陝西官本《玉機微義》(亦爲森氏舊藏),仍保存在我手裏。一九七九年夏,我讀了吳德鐸同志《從<新修本草>看中日兩國的學術交流》一文(《中華文史論叢》一九七九年第二期),其中說到:
 「在羅振玉所寫這篇書錄(按指書端題識)中,有一個非常重要、値得中日兩國本草學、科學史和版本書志學者注意的問題……日本學術界影印他們所存的天平寫本時,只找到六卷,其它四卷(卷十三、卷十四、卷十六及卷二十)連同小島父子補輯、仿寫的卷三均不知去向。値得重視的是,羅振玉所得的十卷,不僅有這四卷,並且都是據仁和寺本傳寫的,它們恰好正是仁和寺本所藏在日本己亡佚的部分。……」
 呉文還訂正了先祖在題識中把「六」寫成「八」的筆誤。
 這部書從光緖辛丑到現在,在我家整整八十年未見天日,現在經有關方面的努力,由上海古籍出版社影印出版,爲中日兩國的本草工作研究者提供實物資料,實在使我感到欣慰。正如吳文所說,《新修本草》能引起中日兩國學術界普遍的重視,是和日本幾位醫學名家多紀、小島、森、澁江等的辛勤勞動、努力鑽研分不開,而他們的這種精神也是値得兩國人民學習和欽敬的。至於森氏此本與他本的異同,以及吳文指出的各點,需要專家們去深入研究,恕我不在這裏再贅一辭了。我的跋文,也只想明一下這部書能保存在我家直到今天的經過。
 又,先祖《敦煌本本草集注序錄跋》(《永豐鄕人稿》乙下)裏提到藏有一部日本醫家森約之校輯的本草集注手稿。森氏此書曾由我在先祖去世後讓給了日本黑田源次博士,至今可能還藏於遼寧醫科大學圖書館。這是森氏的一家之學,如能就原稿整理印行,也是兩國醫學界的盛事,很希望它能夠實現。
羅繼祖 一九八〇年九月七日於長春吉林大學宿舎之後書鈔閣

1980年代前半というと
 日中友好
は日中両国のスローガンであり、中国は日本からの円借款などで、近代化を推し進めていた時期である。
こうした時期にこんな形で、森立之手鈔『新修本草』が出版されていたことは、覚えておきたい。

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2017-10-16

清・王念孫『讀書雜志』が「王念祖」になっている件@北京大学図書館/archive.org

必要があって
 高郵王氏父子の著作
を見なくちゃいけない。
こういうときは
 近年、北京大学図書館がコレクションに寄与
している
 archive.org
を覗くと、いいことがある。

果たして、あったのだけど、これ何だ?
20171016_140301
拡大
Bd
 王念祖
って誰よ?

登録する時に誰かがタイプミスしてそれっきりなんだろうけど
 王念孫
に直しておいて欲しいものだ。

archive.orgだけど、最近は
 素直に漢字で検索が通る
ようになっていて、超便利。

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2017-09-24

Nスペ 総書記 遺(のこ)された声 日中国交 45年目の秘史@9/23 21:00-21:50(再放送は2017年9月28日(木)午前1時00分~1時49分=27日深夜)

1989年4月15日、「百花斉放・百家争鳴」路線を掲げた結果、中国共産党の「中共八大元老」ら保守派の巻き返しによって失脚した胡耀邦元総書記が亡くなった。これが天安門事件の起きるきっかけとなる。胡耀邦元総書記の掲げた「百花斉放・百家争鳴」のスローガンを掲げ、自由を求める民主化推進派の学生達を中心とするグループが、連日北京市内で民主化を求める集会を開く。この民主化を求める潮流は、一党独裁の中国共産党の存在意義を脅かすものであり、遂に首都北京に軍隊を投入、中国共産党による公の場での人民弾圧、6月4日の「(第二次)天安門事件」に至る。虐殺された犠牲者の遺体を引き取りに行くと逮捕されるために、家族や知人は、現場にも病院にも近づくことが出来なかったと伝えられている。
投入された人民解放軍には少なからぬ少数民族も含まれていた。北京語を理解出来ない少数民族を投入することで、効果的に戦略を進めようとしたのであろう。まだ事が起こっていなかった時、中央民族学院の少数民族の教員や学生が、北京市内に駐留している少数民族の兵士達への通訳を買って出て、侵攻を食い止めようとしたが、その努力は水泡に帰した。市民虐殺に手を貸した1人が、「中共八大元老」の1人でもある四川の楊尚昆で、その手兵と称された27軍が天安門事件の虐殺を行った軍隊の1つと言われている。

『白い巨塔』や『大地の子』で知られる山崎豊子は胡耀邦総書記在任時に3年に渡り、複数回、異例の長時間インタビューを許され、しかも録音も残すことが出来た。
山崎豊子の残したカセットテープを発掘、その中から、日中関係に関する重要な発言をピックアップした番組がこのNスペである。
80年代当時は、日本の首相と中国の総書記とは、何かあったらすぐに話せる関係だった。日本の援助によって、いまの中国の発展の基礎が築かれていたその時期だ。圧倒的な経済的な格差が、こうしたことを可能にしていた。中曽根康弘元首相の靖国参拝直後に、中国との調整が図られたこともその1つだ。(翌年は参拝していない)歴史教科書の記述についても、速やかに調整が図られた。
胡耀邦総書記が長老派に断罪されて「下台」した時に挙げられた「罪科」の1つが「日本の青少年3000人を中国に招待した」だった。菅直人もその時訪中した1人である。
 「日中関係をこれからの若者に委ねて、更に発展させたい」
という胡耀邦総書記の意向は、中国共産党の保守派にとっては、歓迎すべきものではなかった。この胡耀邦総書記の3000人招待時に総書記の傍で日本語通訳をしていたのが唐家璇(のちの外交部部長)。今回のNHKの番組では「胡耀邦に関することなら」と異例と言っていいほど大物達が取材に応じているのだが、唐家璇元国務委員もその1人。唐家璇は、「天安門事件が日中関係を決定的に変えた」と発言している。
なお、番組内では胡耀邦の「愛国主義が「誤国主義(自国の利益のみを追求し、他国を顧みない偏狭な愛国主義)」になってはいけない」という発言を繰り返し使用している。
すでに経済規模で中国に抜かれ、科学技術や教育水準でも後塵を拝しつつある日本と、「核心」習近平国家主席の中国が、かつて胡耀邦総書記の中国が目指していた日中関係に戻ることはないだろう。
しかし、今回のこのNスペ、中国では当然配信厳禁なのだろうな……。
中曽根元首相は、胡耀邦総書記の墓参を中国に打診したが一度も許されておらず、10年前に、供養のために90本の桜を贈り、墓の周りに植えて貰った。今回、胡耀邦の息子が来日して、中曽根元首相を訪問、墓に咲く桜の様子などを見せていた。不名誉な状況で亡くなった胡耀邦の子息もまた、父の名を大声では語れない日々が続いているという。

おまけ。

続きを読む "Nスペ 総書記 遺(のこ)された声 日中国交 45年目の秘史@9/23 21:00-21:50(再放送は2017年9月28日(木)午前1時00分~1時49分=27日深夜)"

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2017-01-29

「云云」と書いて何と読む? 余聞

現代日本語で
 云々
と書いてあったら
 うんぬん
と読むのだけれども、その話を聞いて思い出したのが
 『史記』封禪書
だ。
 封禅(ほうぜん)
とは、中国の帝王が行った
 とんでもなく大規模な祭祀
である。吉川忠夫先生による『世界大百科事典』の定義より。


中国の帝王がその政治上の成功を天地に報告するため,山東省の泰山で行った国家的祭典。〈封〉と〈禅〉は元来別個の由来をもつまつりであったと思われるが,山頂での天のまつりを封,山麓での地のまつりを禅とよび,両者をセットとして封禅の祭典が成立した。

もともとは、
 山頂で「封」、山麓で「禅」の祭
を行っていたのだが、その後両方を
 泰山で行う
ことになった。上記記事は次のように続く。

封禅説の成立は戦国末以後のことであって,それには方士が深くかかわっていたものと考えられる。史実として確認できる最初の封禅は秦の始皇帝28年(前219)に行われたそれであり,つづく漢の武帝の元封1年(前110)に行われたそれによって詳細が明らかとなる(略)その後,後漢の光武帝,唐の高宗や玄宗,宋の真宗たちも莫大な国費を投じて封禅を行った。

で、

泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説

という封禅を行うことが、
 中国皇帝の見果てぬ夢
となった。

で、
  『史記』封禪書
には、春秋時代の知恵者、斉の管仲が述べた
 過去の帝王が封禅の祭を行った山の名前
が列挙されている。管仲は、これまでに72人の帝王が封禅の儀式を行ったけれども
 名前を覚えているのは12
として、封禅を行った帝王と祭を行った山の名前を挙げていくのだが、


無懷氏封泰山、禪云云虙羲封泰山、禪云云神農封泰山、禪云云炎帝封泰山、禪云云、黃帝封泰山、禪亭亭。顓頊封泰山、禪云云帝俈封泰山、禪云云封泰山、禪云云封泰山、禪云云、禹封泰山、禪會稽。封泰山、禪云云、周成王封泰山、禪社首。

無懐氏以下9人の古の帝王が、
 云云山で禅の祭を行った
と言っている。
「云云」は、山の名としては
 うんうんさん
であって、
 うんぬんさん
ではないらしい。

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2016-11-12

日本道教学会第67回大会@本日 京都大学文学部 一般来聴者歓迎

本日開催なのだけれども、
 日本道教学会第67回大会

 京都大学文学部
で開かれる。
一般来聴者歓迎とのこと。大会参加費は1500円。
Photo

研究発表会場 京都大学文学研究科第三講義室

研究発表 9:30-15:00(昼休み 12:00-13:00)
特別講演 15:15-17:05

午前の部
9:30-10:00
姜生(四川大学)「張道陵以前儒生的道教」 司会 三浦 國雄(四川大学)
10:00-10:30
垣内 智之(大阪市立大学)「『大洞真経』の再検討」 司会 亀田 勝見(福井県立大学)
10:30-11:00
金 志玹(ソウル大学)「道教の傳經儀禮における臨壇三師について」 司会 小南 一郎(泉屋博古館)
11:00-11:30
坂内 榮夫(岐阜大学)「『莊子口義』と禪について」 司会 中西 久味(新潟大学名誉教授)
11:30-12:00
加藤 千恵(立教大学)「鉛汞小考」 司会 都築 晶子(龍谷大学名誉教授)
午後の部
13:00-13:30
野村 英登(二松学舎大学)「内丹と築壇―翁葆光の『悟真篇』解釈とその展開」 司会 横手 裕 (東京大学)
13:30-14:00
谷口 綾(日本体育大学)「元代の医家と儒医―龍谷大学所蔵『家伝日用本草』をてがかりとして」 司会 武田 時昌(京都大学)
14:00-14:30
頼 思妤(東京大学大学院)「「墨杘谷」から「雉衡山」へ―楊爾曾の道教系出版事業と明代女仙信仰」 司会 森 由利亜(早稲田大学)
14:30-15:00
松家 裕子(追手門学院大学)「新宝巻」にみえる信仰のありかた―孤魂と免災― 司会 土屋 昌明(専修大学)

特別講演(15:15-16:05)
黎 志添 (香港中文大学道教文化研究センター長)『太乙金華宗旨』の浄明起源問題 ― 清初常州における呂祖乩壇信仰と浄明派の関係から 講師紹介 金 志玹 (ソウル大学)
特別講演(16:15-17:05)
麥谷 邦夫(京都大学名誉教授)「三教論爭から見た道教」 講師紹介 神塚 淑子(名古屋大学)

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2016-07-15

例文が笑える「日語流行口語宝典bot」 中国で日本語を学ぶ若者が「使いたい日本語」満載

twitterには、時々TLを眺めて和めるように
 ひと味違ったbot
を入れてあるのだが、語学系botの内では、
 日語流行口語宝典bot
が気に入っている。元になってるのは2005年に出版された
 流行口語宝典系列-日語流行口語宝典(カセット付)
で、著者の李成一氏は韓国人とのこと。

たとえばこんな調子だ。











とまあ、こんな調子。
当然ながら
 初級中国語教材
としても使えるわけで、そこら辺の初級中国語教材とはひと味違うところが良い。

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2016-06-04

漢訳仏典を調べる(初心者編)

元々、仏教学専攻なのだが、京大の仏教学は
 印度学の1分野
なので、中国仏教や漢訳仏典は真っ正面からは扱われなかった。だから、
 漢訳仏典を調べるやり方
のは、
 自力更生
で身につけたのだけれども、
 専門外だと、仏典を調べるのが難しい
という話を聞いた。

現代は、
 Internetに大蔵経がアップロード
されているわけで、大蔵経内から
 文字列を探し当てる
のは、簡単になっている。しかし
 その文字列が記されている仏典の正体
とか
 その文字列がどういう意味合いで使われてきたか
とかいった
 基本的な部分
は、時間を掛けて身につけないと、せっかく探し当てた文字列を解釈できない。

仏典初心者のための良い教科書が、ネット上にある。東洋文庫の會谷佳光さんが作られた
2012年2月16日(木) 平成23年度アジア情報研修資料 財団法人 東洋文庫 「仏教典籍(漢文資料)の調べ方」(PDF)
だ。
 アジア情報研修の際に使われたテクスト
のようだが、簡潔に、
 仏教興起
から
 漢訳仏典の性格
を時代順に説き及び、もっとも力が籠もっているのが
 歴代大蔵経の紹介
である。専門家でも面倒な大蔵経の展開が、カラー図版を交えて、わかりやすく説明されている。

出典が仏典だと
 げ、仏典
とか思う方は、是非ご一読を。

わたしが、漢訳仏典を調べる方法を身につけたのは、ほとんど参考にはならないとは思うのだけれども、一応紹介すれば、
 大正蔵55巻目録部の『出三藏記集』から『貞元新定釋教目錄』までと費長房『歴代三寶紀』(大正蔵49)、大正蔵54巻事彙部下の『一切經音義』『續一切經音義』

 ともかく、端から端までめくる
というやり方だった。頭の中に文字列を
 画像的に記憶
する訳である。一度に大量にやると、すぐにイヤになるので、一日にめくる量を決めて3ヶ月くらいやっていた。たまたま、その時は、健康を害していて、とてもじゃないけれども
 まともな調べ物
をする体力がなかったのだが、
 ひたすら頁をめくる
のは可能だったので、情報が入らなくなって、頭が寝てしまわないように、ともかくめくった。
重症の活字中毒向け。

あとは、必要に応じて、
 大正大藏經索引
をめくった。オンラインデータベースのある現在では、書冊体の『大正大藏經索引』の出番はほとんどないし、あの索引は
 巻によって出来の善し悪しの差が大きい
ので有名で、そうそうお勧め出来ないけれども(律部の索引は、比較的マシ)、
 単なる羅列ではない索引
なので、初心者が漢訳仏典の組織を知るには悪くなかった。

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6月4日がやって来た

今日は6月4日。
1989年のあの日から27年経った。
当時、アメリカにいた留学生が詠んだ詩。


元宵
東風拂面催桃
鷂鷹舒翅展程。
玉盤照海熱涙、
遊子登思故國。
休負生報國志、
有我勝萬金。
起直追振華夏、
且待神洲遍地春。

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2016-03-16

道坂昭廣『正倉院藏《王勃詩序》校勘』香港大學饒宗頤學術館 學術論文/報告系列(二十七)

日本では
 文系学部廃止論
などが出て、
 文系などゴミ
と思っている政治家がたくさんいることが分かった。
 文系廃止に賛成の政治家諸賢
におかれましては、二度と人前で
 『論語』を引用してエラそうにする
なんてことをしないようにお願いする。
 あなたたちがゴミだと思っている文系の「宝」の一つが中国古典
だ。
 ゴミを引用するなど、「恥ずかしい」
でしょうが。

科挙の国中国で「一国二制度」下、古典研究に気を吐いている香港大学には、いくつか古典研究の拠点があるけれども、
 饒宗頤學術館
もその一つだ。台湾・香港そしてただいま
 爆買い
で名を馳せている
 中国大陸
であっても
 古人の文化遺産である中国古典
は大事にされている。決して
 研究者を根絶やしにするような暴挙
は行わない。中国の長い歴史の中で、本気で研究者を根絶やしにしようとしたのは
 焚書・坑儒を行った秦始皇帝
くらいなものである。だから
 文系ゴミ論者

 秦始皇帝に並ぶ「英傑」
である。それぞれ
 わたしは秦始皇帝に並ぶ、勝れた文化政策を主張しています
と大声で喧伝するがよかろう。

このところ、たぶん
 文系ゴミ論者
には
 そんな研究はゴミ
だと思われるだろう
 日本古代の学術受容
について調べているのだが、
 正倉院
には、現在中国に伝わっているのとは別系統の
 唐代の詩人 王勃の詩集
が残っている。王勃は、初唐に属する人物だ。初唐とは、『日本大国語辞典(日国)』に拠ると、


 中国の唐代(六一八〜九〇七)を四分した第一の時期の称。高祖武徳元年(六一八)から玄宗即位の前年(七一一)までを指し、先天元年(七一二)から永泰元年(七六五)までを盛唐、大暦元年(七六六)から宝暦二年(八二六)までを中唐、太和元年(八二七)から唐の滅亡(九〇七)までを晩唐と称するのに対する。特に唐詩の時代区分として用いられ、近体詩が沈佺期・宋之問などにより完成され、また、王勃、楊炯、盧照鄰、駱賓王、陳子昂などが出現した時代。

となってるんだが、玄宗即位は712年で動かないんだけど、初唐711年でおしまい説はあまり見たことがない。玄宗即位「前年」を現在の暦法に直すと、711年なのか712年なのか、はっきりしないので、日国では711年としているようだ。普通は、この辺りはぼかすんだけどね。玄宗が即位したのは
 先天元年(712)八月四日(9月9日)
だ。今と暦法が違うから、こういう、齟齬が起きたというか、日国のこの項目を書いた人が、「前年なら1を引けばいい」と思っちゃったか、ま、そんなところ。ああ、びっくりした。
で、日国に出てくる
 王勃、楊炯、盧照鄰、駱賓王の4人

 初唐の四傑(しけつ)
で名高い詩人達である。4人とも、出世できず不遇だったが、
 大凡そ 物 其の平を得ざれは則ち鳴る。(韓愈「送孟東野序」)
ってわけで、勝れた詩を残した。最初に名を呼ばれる
 王勃の詩が最も優れている
という評価だ。
今風に紹介すると
 王勃 冗談で檄文を書いたら高祖が激怒 父を訪ねてベトナムへ行く途中で溺死
 楊炯 元神童 部下殺しの異名をもつ
 盧照鄰 病気で退職 入水自殺
 駱賓王 左遷に怒り官を棄て 則天武后への謀叛に加わるも失敗 行方知れず
という4人である。みなさんワイルドというかなんというかだ。

初唐と盛唐の区切りは、玄宗即位の前年で一致してるけど、その後の唐代の4区分は諸説あって、例えばこんな感じだ。
 初唐 618-712
 盛唐 712-762/765
 中唐 762/766-835/840
 晩唐 836/840-907
日本の奈良時代は、初唐の終わりから中唐に掛けて、ということになる。

で。
盛唐といえば、唐詩花盛りの最も充実した時期で、中学高校の国語で習う詩人で言えば
 李白・杜甫・孟浩然・王維・高適・岑参・王之渙・王昌齢・王翰
などの詩人が、美しく厳しい規律の下に作られる近体詩(絶句・律詩)や豊かな詩想をさまざまに表現する古詩を残している。
しかしながら、
 奈良時代の遣唐使

 唐で最新流行の近体詩を学んで帰ってきた形跡がほとんどない
のである。当時の詩を編纂した日本最古の漢詩集『懐風藻』の詩の主なものは
 その前の時代の六朝や初唐の詩に学んだ体裁
である。六朝の詩は、
 宮廷内の宴会で詠まれた詩
が多く、平安時代の貴族の詠んだ歌と状況がやや似ている。融通無碍の唐詩ののびやかさには及ばない。

もっとも
 近体詩を作れなかった
ということと
 唐詩を読まなかった
ということは同値ではない。最新流行、盛唐の近体詩を集めた書物はまだなかったか、目に付かなかったかだが、
 初唐の詩人の書物
は、ちゃんと買って帰って来た。それが、現在正倉院に残る
 王勃詩序
の原本の筈だ。
わたしの仕事の一つは、木簡等に残った
 習書(手習い)
を集めて、当時の文化状況を推測するのだが、木簡や正倉院文書にはどうも
 初唐の四傑に学んだらしい形跡
を残すものがある。
 初唐のワイルド4は奈良時代の宮中で結構人気者
だったみたいね。

で、アクセスのしにくい、正倉院の『王勃詩序』を研究、写本なので当然書き間違い等があるわけで、校勘を行ったのが、先輩の道坂昭廣さんだ。このお仕事をまとめたものが
 『正倉院藏《王勃詩序》校勘』香港大學饒宗頤學術館 學術論文/報告系列(二十七)
である。この書籍をCiNiiで見ると、所蔵が2館しかなく、
 どうしよう
と青くなったのだが、そこは
 太っ腹の香港大學饒宗頤學術館
である。リポジトリで、全冊PDFとして入手可能だ。
學術論文/報告系列(二十七) 正倉院藏《王勃詩序》校勘
ただし、最初に
 メールアドレスを登録
する必要がある。アドレスを登録すると、しばらくしてから
 password
が送られてくるので、それ以後はリポジトリにアクセス可能だ。
ありがとう、香港大學饒宗頤學術館。

ほかにも、學術論文/報告系列として、興味深い論文が出版されているので、中国学研究者は当然のこと、
 日本古代の仏教/説話研究者
 広東13行等に興味のある研究者
等等は、是非アクセスを。
學術論文/報告系列

というわけで、道坂さん、ありがとうございます。大変助かりました。

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