2012-05-29

諜報活動の「トートロジー」

読売が抜いた、今朝の記事
中国書記官スパイ?松下政経塾にも…政官に人脈
なのだが、報道がとってもおマヌケ。
 接触した相手に諜報活動をしていると悟られないのが当然
なので、いくら中国大使館にコメントを求めても、返ってくる答えは、


「書記官のスパイ報道、根拠ない」中国大使館

 中国大使館報道官は29日、「(書記官は)中日経済交流と協力方面の仕事をしてきた。今年5月に任期満了で帰国した。いわゆるスパイ行為をしたとの報道は、全く根拠のないもの」とコメントした。
(2012年5月29日15時26分 読売新聞)

しかあり得ない。どこの世界に、自分の国の諜報員を
 そうです、あれはうちのスパイです
と認定する政府機関があるものか。従って、
 中国大使館に聞いたって、答えは得られない
のが当たり前。

更に
 任務も身分もバレないのが諜報員の基本中の基本
なわけだから、次の記事も大マヌケ。


「彼がスパイ…」驚き戸惑う松下政経塾同期ら

 警視庁公安部が在日中国大使館の1等書記官(45)に出頭要請していたことを受け、外交官として着任する前に付き合いがあった国会議員や松下政経塾関係者から驚きの声が上がった。
 書記官が1999年、海外インターンとして約半年間過ごした松下政経塾の同期だった森岡洋一郎衆院議員(民主)は29日、取材に応じ、「自分から積極的に動くような人ではなく、おとなしい印象しかない」と振り返り、「塾時代もその後も、何かの働きかけを受けたことはない」と話した。
 書記官は同塾で自己紹介の際、「日本の政治を勉強しに来た」と話していた。日本語は上手だったが、茶道研修の時は長時間の正座ができず困っていた様子だったという。
 インターン期間が終わった後は連絡を取っていなかったが、森岡氏が衆院議員になった後の2010年秋頃、書記官として森岡氏の事務所を訪れ、大使館での交歓会の招待状を置いていった。森岡氏は不在で、交歓会にも出席しなかったという。その後、都内の地下鉄の駅で偶然再会し、「久しぶり」と言葉を交わしたのが最後だという。
 森岡氏は「本当にスパイ活動をしていたのか、本人に聞いてみたい。公安当局には徹底的な捜査を望みたい」と話した。
(2012年5月29日15時54分 読売新聞)

んなもん
 誰がどう見ても「特務」
なんて奴が、諜報活動してるわけなかろう。

ま、件の書記官がスパイであろうがなかろうが、今後は日本に来るのは難しくなるだろうから、これで、どのみち日本での任務はおしまい。
問題は、ざっとググっただけでも
 この「書記官」が現在噂されている人物だとすれば、精力的に国内の大学や研究所、企業と活発な交流を持った
記録が、大量に拾えるので、
 それらの大学・研究所・企業が今度どう事態に対応するのか
ってことですな。あまりにも広範囲につきあいがあるから、もし、読売の報道通りだとすれば、大変そうだな〜。

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2012-04-30

書籍が盗難に遭う

28日の晩、北京から送って貰ったばかりの書籍の入った箱を、ちょっと目を離した隙に、盗まれてしまった。3箱の内、一番上の箱だけ盗んでいくというよくわからない盗難に遭った。

24冊でひとそろいの叢書の、かなり半端な端本になるので、もし、以下の書籍を今後オークションや古書店等で見かけられたら、教えて頂ければ幸いです。
 『海外回帰 中医古籍善本集粹』(中医古籍出版社)の17・20・21・23巻

警察にはすぐに届けた。

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2012-04-17

『周礼』医師を読む

必要があって
 『周礼』医師
を読んでいるというか注を付けている。鄭玄注と賈公彦の疏でやってるんだけど、鄭注に
 孟子曰
として引かれている「書曰」が気に入らないな〜。賈公彦が偽孔伝でやるのは構わないとしてだ。鄭玄に偽孔伝を使うわけにはいかない。
偽孔伝だと
 説命
ですかそうですか。
この「書曰」の二文字が果たしていつ『孟子』本文に入ったのか、極めて気になる。(たぶん、どこかで議論があるだろうから、あとでゆっくり捜そう)もちろん、鄭玄が何を見たかが一番気になる。

で、薬の話が出てくるので、
 現物通し
で、生薬の写真やら解説やらも付けているんだが、こんなものを発見。
正倉院
正倉院のホームページにいつの間にやら
 宝物全検索機能
がついているではないか! 杉本さん、ありがとう!
当然ながら
 種々薬帳
に見える薬物等のカラー写真が掲載されていて、エライのは
 倉番とか寸法
も併記されていて、生薬なら
 今の何に相当するか
も記述されているところ。
 名前はこれだけど、同定できない
場合は、或案もついていてとてもエライ。

本当にこんな行き届いた制度が古代中国周の時代にあったかどうかは別として、少なくとも
 『周礼』医師は、古代中国における「医療福祉」に関する記述
なわけで、中国医学の医師、中医師を目指す、中国・香港・台湾の中医学生諸君は、医古文の授業で必ずこの輝かしい父祖の
 民に奉仕する医師について記述した『周礼』医師
を最初に読むことになっている。確かにこれを中医学を志す若者が読めば、奮起すること請合である。

日本では漢方医学だけでは医師免許が取れないので、
 『周礼』医師
は忘れ去られているけど、江戸医学館の心ある医師達はこの
 『周礼』医師
を、自らの医業の依って立つところとしてたみたいだよ。彼らの蔵書目録を繙くと
 『周礼』医師
の部分だけ、単行本として持っているのを目にすることがあるから。
 西洋から持ち込んだ「医療倫理」
もいいけど、たまにはアジアの「医療倫理」も勉強して欲しいものだが、残念ながら
 大学で医学生相手に「医療倫理」を教えている人の99%は五経を読みこなせるほどは漢文が読めない
と推察されるから、ムリだろうけどね。

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2012-03-28

特別講演会 馮錦榮香港大学教授「Galileo and Jesuit Science in 17th Century China」@3/27 人文研

中哲の先輩、馮錦榮香港大学教授の講演会が、昨日人文研で開かれた。
馮さんは、わたしが中文3回生の時の中哲のD1で、基本的に
 3回生/M1/D1
という組み合わせは、研究室でよく顔を合わせ、また、D1はM1の、M1は3回生の面倒を見る習慣だったので、結果的に3回生はD1とM1の先輩には特にお世話になる。わたしは、漢代の勉強をしていたので、中文と中哲と両方の授業に出ていた。で、調べ物等で中哲研究室には時々足を運んだ。その頃の中哲研究室は倫理学と一つの研究室を半分に区切って使っていて狭かったのだが、行くと、たいてい机の一つで、馮さんが勉強していた。馮さんの修論は、規定枚数50枚なのに
 本文50枚・注50枚・補論50枚
の150枚を、中国語で提出した、というので、有名だった。日本語と中国語では、圧縮率が違い、全文中国語で書くと、ほぼ1.6倍の内容になる。だから、馮さんの修論は、相当な分量なのだ。

馮さんの研究の特徴は
 それまで誰も気がつかなかった文献をアーカイブから拾い上げる卓越した能力
にある。昨日の講演は2本行われ、1本目は英語、2本目は中国語だったのだが、どちらの発表でも
 これまで誰も気がついてなかった文献
が大量に駆使されていた。いつもながらのことなのだが、凄い。文献を博捜するため、香港・中国・台湾はもちろんのこと、日本や欧米の各地の図書館に赴き、貴重書の中から、宝を掘り当てるのだ。最近は更に韓国も射程内だ。韓国ではいま漢字を自由に読み書きできる韓国人が激減しているので、中国・香港・台湾・日本の研究者は、漢文文献を調査するチャンスである。埋もれている文献がまだまだあるはずだ。
そして、今回は
 文献を博捜する能力が文物にも向けられた
ので、北京や台湾の故宮博物院にある
 天文観測機器
が、たくさん紹介された。康煕帝の天文観測機器はフランスに発注されたもので、パリの職人とその工房のサインが入っている。美しく機能的なそれらの天文観測機器を見るだけでも楽しいのだが、そうした機器の原理やガリレオとの関連が、イエズス会の活動を媒介として、見事に説明されるのを聞くと、明末清初の科学技術や科学知識の広がりが手に取るように見えてくるのだ。ラテン語で書かれた科学書が、中国のこうした天文観測機器や、漢訳された宇宙論に反映され、それらは後に韓国や日本にも及んでいるのを、馮さんが丁寧に解き明かしてくれた。

馮さんは、まだまだ論文の「ネタ」があるそうで、これから大量に明末清初の中国の科学史に関する論考を精力的に発表する予定である。とても楽しみだ。

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2012-03-26

杜甫の秦州詩を巡って

昨日は、桃の会。
桃の会は、京大名誉教授の小南一郎先生を囲む研究会で、半年に一度開かれ、先生のご発表と、受業生や受業生が担当している院生等が発表して、先生にコメントを頂くこぢんまりとした会だ。
 発表者と題目:
 西川ゆみ さん(奈良女子大学院生) 鮑照「蕪城賦」の表現
 鄭巍巍 さん(同志社大学院生) 明洪武年間鉄製大砲製造ブームの形成およびその形成要因について
 佐野誠子 さん(和光大学) 杜甫と濁酒
 小南一郎 先生 杜甫の秦州詩

小南先生の昨日のご発表は、杜詩を読む者なら誰でも気にかかる
 秦州詩の果たした役割
を鋭く解析したもので、従来の説とは異なり、実に刺激的だった。ご発表の内容は、おそらく
 中国文学報の近刊
に掲載されると思う。

佐野さんの発表は
 杜詩中に見える濁酒・濁醪という詩語
についての分析だったが、席上、1年先輩にあたる富山大の大野圭介さんが、
 杜甫の「羌村三首 其三」

 手中各有攜、傾榼濁復清。(手中各の攜ふる有り、榼を傾ければ濁復た清。)
をすっと引用したので
 おお、大野さん、凄い
と思ったのだったが、ふと手元にあった
 浦起龍『讀杜心解』
をめくって、なぜ、大野さんがその部分を覚えているのか、得心がいった。
大野さんは、かつて京大中文の学部ゼミで『讀杜心解』を扱ったとき
 羌村三首の担当
だったのである。それを思い出した。

三回生の年、なぜか興膳宏先生は、学部ゼミのテクストに『讀杜心解』を選ばれた。理由は分からない。一般に、杜詩を読むなら
 仇兆鰲『杜詩詳注』
を使うだろうけれども、どうしたわけか、ちょっとクセのある解釈の『讀杜心解』がテクストになった。吉川幸次郎先生は、これを学部の頃、一人で勉強されたそうだが、恐ろしい話である。実際、手強かった。

で、京大のゼミには
 イントロダクションはない
のである。
 いきなりテクストを読み始める
わけで、学部に上がったばかりで、右も左も分からないのに、いきなり『讀杜心解』の五古の詩を一つずつ担当することになった。そうなると、『讀杜心解』に当たり前のように出てくる
 弼曰、仇曰、朱曰、
等等の
 先行する杜詩の注釈を表す言葉
すら分からない状態で、ゼミに入ることになる。で、
 がっつり怒られる
ことになるわけだ。
 その「朱曰く」って何のこと?
と当然聞かれ、答えられないとなると、担当者の学力と意欲が疑われる次第となる。
冷僻字の多い杜詩だが、
 まず全部を中国音で読む
ところから、中文のゼミは始まる。必死で辞書を引く。対象がどの時代のテクストであろうと、中文のゼミなら
 まず中国音、それから文言であれば訓読の順
だ。訓読の仕方も習わない。見よう見まねで覚える。ま、ともかく
 身体で覚える
のが、京大の流儀だ。効率は悪いだろうけど
 人に教えて貰ったこと
は、身につかない。
 半泣きになりつつ、身体で覚えたこと
は、一生忘れない。

ゼミで調べが足りないのは
 本人の才能と努力が足りない
のであり、もし、答えに窮したり、詰問の激しさに臆して、間違って泣いたりすると、更にひどいことになった。
 泣いてるヒマがあるなら、その時間を準備に回せ
というのが鉄則なのだった。(ちなみに中文はまだ学生に優しい方で、印度学のゼミはもっと厳しく、泣く余裕さえ与えられなかった)今ならアカハラとか言われそうだけどね。基本的に
 才能も努力も「平等ではない」
というスタンスで教育が行われていた。
 出来ない奴は、自分で自分に見切りを付けろ
と言われているのと同じである。見切られないように、必死で勉強するしかない。

『讀杜心解』のゼミは二年続いた。その次に興膳先生が学部用に選ばれたのは
 黄遵憲『人境盧詩草』
で、銭仲聯の詳細な注の付いたテクストが出版されて間もなかった頃だ。この『人境盧詩草』がまた、読みにくいのである。

一方、
 中文の学部生は必ず『文選』を読む
ので、これは、川合康三先生が担当されていた。この年は
 古詩十九首
からだった。胡克家の覆宋本『李善注文選』(藝文印書館刊)を、今出川通りにある中文出版に買いに行くところから、準備は始まった。卒論が当代(日本で言う「現代」)だろうが何だろうが、ともかく
 『文選』は中文の基礎科目
である。

現代文は、この年、退官直前の先師清水茂先生が
 老舎の「柳屯的」
を読んで下さった。
 先秦から当代まですべての時代の中国語を読めるようになる
のが、中文・中哲の共通したアプローチだった。(最近はどうなっているか知らないけど)
清水茂先生は、間違いなく
 すべての時代の中国語が同じ強度で満遍なくお読みになれる先生
だった。あらゆる典故を駆使した
 清詩が自在に読める
ほぼ日本で唯一の先生だったと思う。詩作もされ、学生が詩の添削を御願いすると、気軽に添削をして下さっていた。

当時の京大文学部は
 年間授業数が12回
だった。だからこそ、あれだけ厳しいゼミでも身体が保ったのだろうと今にして思う。

杜詩研究は、京大中文のもう一つの伝統である。
小耳に挟んだのだが
 吉川幸次郎『杜甫詩注』の続編
を作る計画があるらしい。
吉川幸次郎先生の『杜甫詩注』の下調べを、若き日の小南一郎先生が担当されたそうで
 全然、時間が足りなかった
とおっしゃっていた。そして
 わたしも、吉川先生の『杜甫詩注』の原稿は見ているんですが、吉川先生は、その詩をどう読むかというのは、原稿には書いておられないんですよね
とにこやかに話されたのだった。

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2012-03-23

曹操の魏国の都・鄴[業邑]の地から、中国建国以来最大数の2895片の仏像、埋められた状態で発見される@河北省

いや〜、これは凄すぎる。
 鄴[業邑]
というと、曹操は帝位にはついてないけど、
 曹操の魏国の「都」
で、銅雀台などがあったところ。官渡の戦いで袁紹を破った曹操は、袁紹の死後は息子の袁尚が守っていた鄴[業邑]を落とし、自らの拠点とした。いわゆる
 建安の文学
の舞台の一つだよね。

中国web電視台のニュースより。繁体字に直したけど、日本語にない漢字は、できるだけ日本の字体にしたので、ちょっと不統一。まったくない漢字は現物通し。


曹操發跡地鄴[業邑]城發現建國以來數量最多佛像 史無前例(圖)
發布時間:2012年03月20日 11:49

佛頭出土。本版供圖鄴[業邑]城考古隊

北齊佛教造像

發掘現場。

出土的彩繪佛造像。

  今年春節期間,中國社科院考古研究所與河北省文物研究所聯合組成的鄴[業邑]城考古隊,在鄴[業邑]城遺址東部,扒[手八]開5米厚的流沙層,發現了一處不規則的埋葬坑,内部驚現佛教造像近3000件(塊)。這是新中國成立以來出土遺物數量最多的佛教造像埋葬坑。(今年の春節時期に、中国社会科学院考古研究所と河北省文物研究所は合同で鄴[業邑]城考古隊を結成し、鄴[業邑]城遺跡東部にある、厚さ5mの砂の層を掘って開けたところ、不規則な形をした埋納坑を発見し、中から驚くことには3000件(塊)近くの仏像が現れた。これは新中国成立後に出土した遺物の数量では最多の仏像埋納坑である。)

  □發現

  佛像埋葬坑出土

  曹操墓—西高穴大墓,曾經引起全民考古關注。就在它的正西偏南,是曹操發跡的鄴[業邑]城,曹操與袁紹官渡之戰後居住於此,曹丕稱帝以後成為五都之一。(曹操の墓、つなわち西高穴大墓は、以前全住民に考古学的関心を引き起こした。その曹操の歯かのちょうど真西からやや南よりは、曹操が立身出世を遂げていった鄴[業邑]城で、袁紹との官渡の戦いの後に曹操がここに住み、曹丕が帝位に就いた後、五都の一つとなったのである。)

  2012年春節期間,在鄴[業邑]城遺址東部北呉莊,發現了一巨大的佛教造像埋葬坑。3月19日,中國社會科學院考古研究所通報了這項重要發現的最新進展。回憶這處佛教造像埋葬坑的發現,鄴[業邑]城考古隊隊長朱岩石博士仍含驚奇之色。(2012年の春節の時期、鄴[業邑]城遺跡東部の北呉荘で、仏像を埋めた巨大な穴が発見された。3月19日、中国社会科学院考古研究所は、この重要な発見の最新の進行状況を伝えた。この仏像埋納坑の発見を思い返してみると、鄴[業邑]城考古隊隊長朱岩石博士は、いまでも驚きを隠せない。)

  據介紹,這處埋葬坑位於已知東魏北齊都城鄴[業邑]城遺址東城墻東側約3公里,即鄴[業邑]城考古隊推測的東魏北齊鄴[病+坐]城外郭城内。朱岩石説,鄴[業邑]城考古隊近些年一直在苦苦找尋外郭城的蹤跡,不斷有重要考古發現。

  今年1月上旬,在北呉莊北漳[シ章]河灘沙地内,鄴[業邑]城考古隊注意到有一些不同尋常的跡象,比如發現一些漢白玉碎石,於是決定在此進行考古勘探。1月10日,考古人員發現了這個佛教造像埋葬坑。鋻於遺跡的重要性,很快便開始了搶救性發掘。(今年の1月上旬、北呉荘の北漳[シ章]河畔の砂地に、鄴[業邑]城考古隊は普通とは異なったいくつかの形跡があることに気がついた。たとえば、いくつかの漢代の白玉のかけらが見つかり、こうして、この場所で考古的な探索を続けることを決めた。1月10日に、発掘担当者がこの仏像埋納坑を発見した。遺跡の重要性に鑑み、緊急性発掘がすぐさま開始された。)

  有近3000件佛像

  當考古人員在現場進行了RTK高精度定位測量,使用全站儀布方,然後去除上部5米左右厚的流沙層時,“所有的人都傻了”,朱岩石説,出現在考古人員面前的,是一個邊長約3.3米、深1.5米左右的不規則方形土坑。從中發掘出土編號佛造像2895件(塊),造像碎片78個自封袋,達數千件。根據發掘過程中的粗略統計,有題記的超過百件,絶大多數是漢白玉造像,少數為青石造像。根據造像特徴、題記年代等初歩確認,這批佛造像時代主要是東魏北齊時期,另[口力]有個別北魏時期青石造像,亦見到個別唐代風格造像。(まず発掘担当者が現場でリアルタイム キネマティックGPSによる高精度な測量を行い、トータルステーション[測量機器の名前]を使用し、それから上部の5m前後ある砂の層を取り除いたとき、「そこにいた人はみなぽかんとした」と朱岩石は言う。発掘担当者の前に現れたのは、一辺がおよそ3.3mで深さ1.5m前後の不規則な四角形をした土坑だった。その中から、ナンバリングされた仏像は1895件(片)、仏像制作時に出た欠片がジップロック78袋分が発掘され、発掘されたものは数千件に達した。発掘途中のざっとした統計によれば、題記のある仏像は100件を超え、最も多かったのは漢代の白玉で作られた像で、青石で作られた像は少なかった。仏像の特徴や題記年代の初歩的な確認から見ると、これらの仏像の造像年代の中心は東魏から北斉の時代[534-577]で、他にいくつか北魏時代[386-534]の青石製の仏像があり、ほんのちょっとだが唐代の風格を持った仏像も見られる。)

 □價値

  佛像級別史無前例

  中國社會科學院考古研究所所長王巍表示,本次考古發現意義重大,堪稱新中國成立以來南北朝、隋朝、唐初時期重要考古發現之一。佛寺、佛像這樣級別的發現史無前例。

  王巍介紹,這次的考古發現的意義首先在於位置清晰準確,層位關係均有科學記録。這是目前所知建國以來出土遺物數量最多的佛教造像埋葬坑。本次鄴[業邑]城出土的這批佛造像反映了都城級別的佛教文化在當時的發展程度。

  其次,本次發現年代清楚,前後銜接。這批佛造像的時代跨越北魏、東魏、北齊和唐代,北魏晩期、東魏、北齊、唐代各時期紀年明確,時代前後銜接,為研究北朝晩期至隋唐時期鄴[業邑]城地區佛教造像的類型和題材提供了可靠的標本。

  同時,本次考古出土的佛造像工藝精湛,造型精美,色彩艷麗。中國社科院研究生院考古係教授、博士生導師楊泓介紹,這批佛像多為背屏式,另[口力]有部分單體圓雕的佛和菩薩像。很多造像保存有較好的彩繪和貼金痕跡。這些都充分顯示了北朝晩期鄴[業邑]城作為北方地區佛學中心和文化藝術中心的歴史地位。

 □安全保障

  將設置專門派出所

  為了確保文物安全,考古發掘期間大量公安幹警在現場設立警戒區並晝夜執勤,武裝特警負責押運出土文物入庫保存。

  鄴[業邑]城考古隊啓動了搶救發掘的緊急預案,除在現場的鄴[業邑]城考古隊研究人員和技師9人外,火速通過考古研究所抽調了研究人員、文物保護專家、考古技師10余人趕[走旱]赴現場參與相關工作。

  為妥善保管出土文物,當地政府特意撥出專款添置安裝遠紅外監測、視頻監測系統的安保設備,相關人員24小時巡邏。此外,還將在附近專門設立派出所,確保文物安全。

  □文物保護

  色彩保護成大難題
 本次出土的佛造像,除了部分無色外,很多都色彩艷麗。如何保護佛造像顔色成了一大難題。

  朱岩石隊長介紹,有關專家已選取最小的碎片,進行色彩等技術分析,以形成預案推廣運用。

  早在發掘時,在文保專家的現場指導下,出土佛像均進行三層包裝,以最大限度地保護文物表面色彩、貼金等裝飾不受損失。第一層宣紙包裝用於平衡濕度,第二層氣泡塑料薄膜包裝用以防摩擦碰[石並]撞,第三層塑料薄膜用以密封。

  據介紹,目前色彩保護、金箔裝飾的加固、近3000塊碎塊的拼[手并]接綴合這三項難題形成了一項艱巨的工程,經國家文物局和河北省文物局的指導,中國社科院考古研究所文化遺産保護中心正在針對這批文物的特性制訂詳細的保護方案,並將陸續實施。

  □待解之謎

  是否源自滅佛運動

  這批佛造像是什麼時間、由誰埋入地下的?這背後有怎樣的一段歴史?

  楊泓介紹,中國古代歴史上有滅佛運動和佛像痤[病+坐]埋制度。前者指的是因反對佛教,將佛像砸[石匝]碎,雜亂填埋。後者指的是佛教信徒為了做功徳,看到古代殘像就收集在一起規規矩矩地埋下,有的還在上面建塔。

  楊泓分析,從考古中發現,這些佛造像的擺放雜亂,可能屬滅佛而非痤[病+坐]埋。另[口力]外,我國史上有幾次著名的滅佛運動,其中北魏太武帝滅佛、北周武帝滅佛、唐武宗滅佛,統稱為“三武滅佛”。鋻於本次出土佛像中,發現了個別唐代風格的造像,楊泓推測這批佛像可能源於唐代滅佛運動。

  但這些零散的碎塊究竟有哪[口那]些不為人知的故事?埋藏坑與具體遺址或古代寺院遺址是否有關係?它對於東魏北齊鄴[業邑]城南城外郭城的探尋能夠[多句]提供怎樣的線索?還有待後期研究掲開謎底。(記者 張然)

ということで、気が向いたら、もう少し訳すかも。

一体誰が埋めたのか、何のために埋めたのかは、現時点で不明。
それにしても
 2895体というか片の「仏像」
って
 圧倒的な量
で驚く。記事にもあるように
 盗掘対策
を取ってるようだけど、土坑の大きさはそれほどでもないにせよ、もとの現場は結構広いようだから、たぶん、その内、いくつか盗まれる悪寒。

仏像は
 中心は東魏から北斉の時代[534-577]
 いくつか北魏時代[386-534]の青石製の仏像
 ごくわずかな唐代の風格を持った仏像
ってことなので、
 いっぺんに埋めたのなら、一番様式の新しい唐代以降に埋められた
ってことね。
謎なのは
 これだけの数の仏像をどこから持って来たのか
って辺り。
先ほど、Facebookで水口幹記さんと話してて
 会昌の廃仏(845前後)
ということもありかな、と。もっとも、唐代の風格がある、という仏像の形式が、会昌の廃仏以前のものでとどまってるかどうかがわからないので、とりあえず、ペンディングということで。会昌の廃仏については
 円仁『入唐求法巡礼行記』
が、その当時のリアルタイムの記録として詳しい。

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2012-02-09

中国で一昨年突然消息を絶った3人の歴史学者が非公開裁判で有罪に 原因の1つは「江沢民の実父は漢奸(売国奴)説」

この手のニュースは、いつも産経が早めに掲載してくれる。元は共同。


中国学者に懲役10年 江前主席実父の疑惑追及
2012.2.8 22:50

 香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターは8日、湖南省邵陽市の歴史学者、呂加平氏(70)ら3人が共産党や政府を批判する文章13編を発表したとして国家政権転覆扇動罪で懲役10年などの判決を受け、確定したと伝えた。呂氏は江沢民前国家主席の実父をめぐる経歴疑惑を追及。江前主席が日中戦争で活躍した江上青氏の養子となった経緯について「江前主席の実父が日本軍の協力者でその経歴を隠そうとしたためだ」と主張していた。
 センターなどによると、呂氏ら3人は2010年9月に中国当局に連行され、11年5月13日、北京第1中級人民法院(地裁)で有罪判決を受けた。弁護士は中国当局が指名し、二審は開かれないまま確定した。裁判は非公開で、家族にも拘束などの事実は知らされなかったという。(共同)

こういうときは香港メディア。明報の特報。


3史學家控顛覆罪 秘判重刑
2012-02-09

【明報專訊】内地3名異見歴史學家呂加平、金安迪、于鈞藝失蹤多時後,昨日證實分別以「顛覆國家政權罪」重判,其中呂、金2人已經收監。3人在2000年至2010年編寫多篇文章,批評高層領導人、一黨專政以及反貪腐不力。

相繼失蹤 最重囚10年
總部設在香港的中國人權民運信息中心消息指,3人從2010年9月相繼失蹤,近日于鈞藝獲得自由後,外界才首次確認,呂加平在去年5月被北京第一中級人民法院以「煽動顛覆國家政權罪」判監10年,金安迪、于鈞藝分別以同一罪名被判8年和3年徒刑,後者獲緩刑5年。判決書指3人編寫《共産黨一黨專政體制的由來》等13篇文章,「妄圖達到顛覆我國國家政權和社會主義制度的目的」,3人煽動顛覆國家政權罪成立,且「罪行重大」。

この記事によると、
・呂加平、金安迪、于鈞藝の3人の歴史学者は2010年9月相次いで失踪、家族も行方を知らなかった
・于鈞藝が最近自由になったので、何が起きたかわかった
・非公開裁判で呂加平は10年、金安迪は8年、于鈞藝は3年の懲役を言い渡される
・罪状は「国家政権の反覆を煽動した罪」
・呂加平、金安迪の2人は収監されている。
・于鈞藝は執行猶予5年がついた
・逮捕された原因は3人が2000〜2010年までに書いた論文「共産党一党独裁制度の由来」など13編の文章
・これらの論文には「我が国の国家政権と社会主義制度をみだりに転覆しようとする目的」があり、「罪状は重大」である。
とのこと。于鈞藝を釈放したのは
 世間に実情を知らせて「引き締めを計る」つもり?
なのかね。謎だ。

で、
 江沢民の実父は漢奸(売国奴)説
なんだけど、普通に知られている模様。昨年4/11付サーチナより。


江沢民前主席の“養父”江上青の生誕100年記念、盛大に=江蘇

2011/04/11(月) 17:01

  中国共産党浙江省委員会、同省揚州委員会は10日、江沢民前国家主席のおじで、中華人民共和国成立前に同省共産党の幹部を務めた江上青(1911年4月10日-1939年7月29日)の生誕100周年記念の座談会を開催した。江上青は中国で、父親を亡くした江沢民前主席の養父とされている。中国新聞社が報じた。
  中国共産党中央政治局委員で、政府内では国務委員を務める劉延東氏も座談会に出席し、「盛大に開催された」という。出席者は、江上青の一生を戦闘に捧げた輝ける功績を称え、革命精神と高貴な人徳の学習を呼びかけた。
  座談会では、江沢民前主席による「満江紅・江上青百年生誕祭」との題の、新作の詩も朗読された。同詩は11日付で人民日報が掲載した。

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◆解説◆
  江沢民前主席の実父、江世俊は日本の特務機関に協力していたとされる。早く死去したため、江上青が遺児である江沢民前主席を養ったという。ただし、江世俊は長男で江上青は六男であることから、中国の家族習慣からみて江上青と江沢民前主席が養子縁組をするのは異例であり、「対日協力者の息子」とのレッテルを薄めるため、共産党にとって大きな功績がある江上青の養子との形式にしたとの見方もある。
  中国側の説明では、江沢民前主席の実父である江世俊は、日本の傀儡(かいらい)政権である南京の汪兆銘政府の宣伝部副部長を務めていた。中華民国政府は、敵対していた汪兆銘政府の課長以上の職員を「漢姦(民族の裏切り者)」に指定し、中国共産党も同指定を踏襲(とうしゅう)しただけという。
  江上青は1937年に、匪賊(ひぞく)との戦いで死去した。(編集担当:如月隼人)

この記事の解説後半は、中国語のwikipediaとほぼ一緒なんだけど、一ヶ所違うのは
 実は江沢民の実父江世俊は1973年まで生きていた
ってことで、
 1939年に死亡した江上青の「家を継ぐ」ために江沢民を養子にした
ことになっている。上記記事だと
 江沢民の実父が死んだから叔父江上青が引き取った
ように書いてあるけど、話は逆。
しかし
 文革期まで「漢奸の江世俊が生きていた」
ってことになるわけだが、普通に考えて、
 なぜ73年に死亡したのか
と思うよね。73年というと、
 8月から批林批孔運動が始まった
わけで、いろんなものが槍玉に挙がった。
 ごく普通の「吊し上げ」による暴行
を受けなかったとしても、このとき、江世俊は78歳と高齢ではあった。

江世俊

江世俊(1895年-1973年),號冠千,江蘇揚州人,祖籍安徽徽州婺源縣(今屬江西省),曾任汪精衛政權宣傳部副部長兼社論委員會主任委員。前中國共產黨總書記兼國家主席江澤民的生父。他也是江石溪及其前妻的兒子之一。弟江世侯(=江上青)為中共革命烈士。

早年生活
出生在江家村,還在他幼年時期,就隨父親一起來到揚州,現在已經無法考證他啟蒙的私塾,但他的學業十分的優秀,因為他考上了當時由狀元張謇創立的兩淮中學堂。這是揚州第一所公立的西式正規中學,1927年改名為揚州中學。
江世俊同樣具有才氣,他熱愛寫作,通曉國文,畢業後,作為長子,可惜他不得不停止他寫作,去通明電力公司工作,以養家糊口,而與他同窗的另一位才子,卻成了中國現代文學史上的一位大文豪,他就是朱自清先生。江世俊在江世侯殉難後,把自己的兒子江澤民過繼給他,以承香火。

漢奸問題
在抗日戰爭期間,江世俊號稱「江冠千」,擔任金陵汪精衛政府宣傳部副部長兼社論委員會主任委員。按照國民政府《懲治漢奸條例》和中國共產黨以往慣例,偽軍科級以上公務員,就定為漢奸。 [1]
(以下略)

で、呂加平は2003年に、江沢民の「歴史問題」と公称の入党時期に対して疑問を呈している。
転載されているのはこちら。途中までしかないみたいだけど。
2003年3月30日 星期日 致胡錦濤!江澤民的歴史問題和入黨時間的幾大疑點 呂加平

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2012-01-30

中国 アフリカ連合(AU)本部ビル建設費2億ドルを援助 ついで今後3年間に6億元援助→追記あり

1990年代初頭、北京大学には
 アフリカからの留学生
の姿が少なくなかった。大抵は
 国際政治学
を学んでいたことになっているのだが、実際は、アフリカの有力者の子弟が「遊学」をしていたのであって、他の外国人留学生は、彼らが何を勉強しているのか、よく知らなかった。旧東欧からの留学生もいて、時にはキャビアを安値で捌いてくれたりした。
アフリカからの留学生は80年代には、中国のあちこちの大学にいた。
彼らはもう40代となり、たぶん、一部は国の中枢に近いところにいるだろう。

だからこそ、このニュースが成立する。時事より。


本部ビルに続き72億円援助=中国、AU連合に表明

 【北京時事】29日夜のアディスアベバ発新華社電によると、エチオピア訪問中の中国共産党序列第4位の賈慶林全国政治協商会議(政協)主席はアフリカ連合(AU)首脳会議開幕式で演説し、中国政府が今後3年間でAU側に6億元(約72億円)の無償援助を実施すると表明した。
 中国政府は、建設費2億ドル(約154億円)のAU本部ビルを提供。賈氏は28日の落成式で「中国政府・人民のアフリカ諸国・人民への貴重な贈り物だ」と強調。新華社電は20階建ての同ビルをわずか2年半で完成したことを「『中国のスピード』が人々を驚嘆させた」と紹介した。
 一方、世界第2の経済大国である中国はその資金力をてこに、資源が豊富なアフリカ諸国との関係強化を加速させているが、賈氏は演説で「中国とAUとの戦略対話メカニズムをさらに充実させたい」と宣言。「中国人民とアフリカ人民は良きパートナー・兄弟であり、その友好はキリマンジャロのように高くそびえ、長江や黄河のように勢いよく流れる」と述べ、団結や協力をさらに強める意向を示した。(2012/01/30-10:11)

いまの中国にとって
 2億ドル
とか
 6億元
は、あっさり出せる金額である。てか
 6億元
って、中国の汚職の金額からすると、まあ普通、村単位の汚職ですねって話で。最近のニュース。1/20付東京新聞より。


「汚職糾弾」省内飛び火 中国・広州「1カ月内に調査結果」

2012年1月20日 朝刊

 【広州(中国広東省)=今村太郎】中国広東省広州市望崗(ぼうこう)村の住民数千人が十七、十八の両日、村トップに当たる共産党村支部書記の汚職調査と更迭を求めるデモを同市庁舎前で行い、市当局は「一カ月以内に調査結果を出す」と確約した。住民が自治組織をつくって汚職を糾弾し、村幹部の更迭を勝ち取った同省陸豊市烏坎(うかん)村の動きが飛び火した格好だ。
 望崗村の住民らによると、共産党村支部書記は数年前から公有地の畑や山を勝手に親族企業に売却したほか、地下鉄駅の建設や周辺開発に伴う土地の立ち退き補償金などを着服し、私腹を肥やした。着服額は「少なくとも四億元(約五十億円)に上る」という。
 村の中心部には、書記が着服金で建てたとされる六階建ての革製品工場がそびえ、駐車場にポルシェやレクサスなど高級車が並ぶ。書記はほかに広州市中心部に別宅を所有しているという。村民の一人は「われわれは畑を奪われ、その補償もない。書記と親族企業だけ潤った」と憤る。
 住民は昨年八月と十一月にも市当局に調査を求めるデモを行ったが、公安当局に排除された。昨年末、烏坎村の住民が広東省政府に訴えて幹部の更迭に成功したことを知り、再度、大かがりなデモに踏み切ったという。
 広東省では烏坎村のケースを受け、省共産党委員会の朱明国・副書記が昨年末、省内の党幹部らに社会矛盾の解決を求める訓示を行っており、今回の広州市当局の対応もそれに従ったとみられる。望崗村の住民は「烏坎村の成功に勇気づけられた」と話しており、地方幹部の汚職を糾弾する動きが中国各地に広がる可能性がある。

というわけで、豊かな村では
 4億元の汚職
なんてことが実際起きてるわけで
 今後3年間に6億元支援
といっても、最近の中国の現状から見ると、たいした額ではないと思ってしまうよね。ちなみに、昨年5月に発表された
 汚職金額ランキング
は、更にとんでもない。レコードチャイナより。


汚職官僚ランキングが話題に、トップはなんと500億円の不正―中国
配信日時:2011年5月7日 23時16分

2011年5月6日、財新網が発表した中国汚職官僚ランキングが話題となっている。中国網が伝えた。

先日、李華森(リー・ホアセン)元山東省日照市出入境検験検疫局党組書記に無期懲役の一審判決が下された。約1億5800万元(約19億7500万円)の横領、収賄、乱用が認定された。天文学的な金額となったが、これでも歴代汚職官僚トップ10には入らないという。

不正金額歴代トップの汚職官僚は元中国銀行広東開平支店長の余振東(ユー・ジェンドン)。40億元(約500億円)もの金額を横領、乱用していた。以下、ずらりと汚職官僚が並ぶが、10位の元中国人民解放軍海軍副司令長官の王守業(ワン・ショウイエ)でも1億6000万元(約20億円)を収賄。李華森は200万元(約2500万円)差でトップ10圏外となった。(翻訳・編集/KT)

この記事の元になった
 億元貪官排行(億元汚職官僚ランキング)
の表を、大紀元が五位まで、文字化してくれている。(もとは画像)


1. 余振東,前中國銀行廣東開平支行行長。夥同許超凡、許國俊貪汚、挪[手那]用公款4.62億美元。判有期徒刑12年。
2. 黄清洲,原廣東省國際投資公司香港分公司副總經理,因貪汚、挪[手那]用公款13億港幣。案發潛逃泰國,於2003年10月押解回中國。
3. 陳滿雄、陳秋園夫婦,分別是原中山市實業發展總公司的經理和法定代表人。因挪[手那]用公款4.2億,陳滿雄判無期徒刑。陳秋園判有期徒刑14年。
4. 石雪,原海南華銀國際信託投資公司負責人,大連證券有限公司責任公司法定代表人、董事長。因貪汚公款2.6億元,挪[手那]用公款近1.2億元。判死刑,緩期二年執行。
5. 王寶森,北京市原副市長。貪汚公款25萬多元人民幣、2萬美元。挪[手那]用公款1億多元人民幣、2500多萬美金。自殺。

1位の余振東だと、AUビルをもう一棟建ててもおつりが来るくらいの汚職をしていたって話。

ということで、
 AUへの援助は、今の中国に取っては「端金」
であり、要は
 こうした「援助関係」を国際的に喧伝するメリット
のために、2億ドル出し、これから6億元援助するってことである。当然、
 見返り
はあるだろう。何より
 80年代から緊密に作り上げた「中枢部との信頼関係」
って奴が効く。

しかし、心配なんだけどなあ。
 新華社電は20階建ての同ビルをわずか2年半で完成したことを「『中国のスピード』が人々を驚嘆させた」と紹介
って言うんだけど、中国の突貫工事の中身をいろいろ聞いたり見たりしていると、
 工事に問題はないんだろうな
と、ドキドキするよね。

続き。(1/13 10:10)
SY1698さんから貴重なコメントを頂いたので再掲する。


中国とアフリカとの関係は、バンドン会議以来の腐れ縁とはいいませんが、1960年代からすでに大量の援助をアフリカに行なっていた事実がありますので、今さらながら驚くには値しません(タンザニア鉄道は中国の援助で建設されたことは有名です)。むしろ、このタイミングで何をしようとしているかが気になります。

SY1698さん、コメントありがとうございます。
なんで今時、ってことですが、園田義明さんが、今日付の次の記事を貼り付けて下さっています。
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2012/01/31/6313697
中国のアフリカでの権益拡大を「全アフリカの支持を受けて」行っていることにしたい、アリバイ作りでしょうかね。
アフリカへ行っている賈慶林は、29日はスーダンの大統領とも会ってます。

いろいろ生臭い話がこれからも出てくることでしょう。

当然、他国からの反発もすでに起きています。1/30付日テレニュース24より。


アフリカ連合本部ビル完成 中国が全額負担
< 2012年1月30日 8:57 >
(略)
 ロイター通信などは「石油、レアメタルといったアフリカの豊かな資源を狙った動き」と論評している。これに対し、中国の主要メディアは「我が国は資源のない国とも関係を強化している」などと反論している。

この辺り、詳しくないのですが、中国が狙うのはもちろん
 資源だけじゃない
でしょう。

日本のメディア報道だけだと全然わからないので、欧米と中国のメディアの報道を今後注目したいところです。

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2012-01-09

陳松長湖南大学岳麓書院副所長「岳麓秦簡『占夢書』的結構略談」小曾戸洋北里研究所東洋医学総合研究所・医史学研究部長「古医書の形態変遷―馬王堆から近世和刻本まで」@1/7 人文研武田班

横浜から新幹線で帰って、人文研武田班に直行。非常に意義深い、出土資料に関する報告を聞く。
 特別講演
 陳松長「岳麓秦簡《占夢書》的結構略説」
 小曾戸洋「古医書の形態変遷―馬王堆から近世和刻本まで」
がその題目。

まずは陳松長先生の講演から。
内容は、前半が
 香港から買い戻した「岳麓書院簡」について、および、同じ業者から出た「精華簡」「北大(北京大学)簡」との比較
後半が
 岳麓書院簡中の秦簡『占夢書』の文献学的位置づけ
について。
で、巷間よく言われる
 北大簡の「綺麗さ」
を確認することが出来た。「北大簡」は、入手後、すぐに釈読可能なほど
 綺麗な簡牘
であるのに比して、
 岳麓書院簡は、全体が黒ずんでいて、しばらく蒸留水に漬けておかないと、釈読できないほど汚れていた
のが、岳麓書院での作業を撮影した画像でよくわかった。なるほどね。ちなみに、しばらくの間、水に漬けておいた岳麓書院簡は、かなり簡牘の表面から渋が抜けて、文字が判別できるようになっていた。
入手時の岳麓書院簡は
 乾麺のような状態
で、非常に脆く、しかも、簡は竹を編んだと思われる箱に入っていて、その箱も腐爛していたので、そうしたものを取り除き、かつ一塊になってしまっている簡を、一枚一枚剥がすところから作業が始まっているとのこと。剥がす過程で、簡が割れたり、壊れたりするので、整理は相当にやっかいだ。なんせ、塊を水につけた段階で遊離しちゃうものがあるので、これは大変。岳麓書院簡は全部で
 八塊
あったとのこと。

北大簡は、
 簡を編んだ縄が一部残っている
ものがあったり、
 簡を入れている竹を編んだと思われる箱も、岳麓書院簡のものより残存状態がよい
のがわかった。
ちなみに
 北大秦簡は未発表
であり、今後の発表・刊行が待たれる。

岳麓秦簡『占夢書』には、驚くべき内容が含まれていた。中でも
 神の名前

 殤
があるのが注目される。『楚辞』九歌中、「國殤」は解釈が難しいものなのだが、出土文物からこうしたものが出てくる以上、更に考えねばなるまい。後で陳松長先生に『楚辞』と小南一郎先生の話をしたところ、非常に喜んでくださった。陳松長先生の発表では
 殤の名が包山楚簡に含まれる
ことも指摘されており、今後の一層の研究が俟たれる。

小曾戸洋先生の発表では、かつて人文研が出版した
 新発現中国科学史資料の研究・訳註篇
に掲載されいる
 『五十二病方』の釈読の誤り
を指摘された。すなわち、
 人文研の釈読は、その後中国で出版された『馬王堆漢墓帛書 肆』所載の『五十二病方』写真版と釈文を勘案してない憾みがあり、かつ帛書の「折りたたまれ方」を考慮に入れていない杜撰なもの
という内容である。小曾戸先生は5年ほど『五十二病方』の写真版とにらめっこして
 帛書の畳み方が、やや乱雑な畳み方であったのだが、出土後、整理するのに剥がす際、普通の順序で剥がしてしまったため、現状の写真版等の順序が、本来のテクストの順序とは大きく異なっている部分がある
のを発見されたとのことだった。それを実証するために、わざわざ『五十二病方』のテクストを帛書の形態に倣って並べたコピーを作って配られたので、班員が実際に畳んでみて、小曾戸説の正しさを実見することができた。
なお、小曾戸先生のみるところでは
 整理時に、「文字の書かれてない部分」を廃棄してしまっているのでは
とのこと。たしかに『五十二病方』の写真版に
 空白部がほとんどない
のは、おかしい。

新年早々、大変に興味深く、知的刺激に満ちた二報告を耳にすることが出来て、実にめでたい。

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2011-11-23

朝から『文選』

四時前に目が覚めて、『文選』の揚雄の作品を読んでいる。
読むと言っても、文学を捨てた男揚雄の文章が難解なのは、周知の通りで、そうそう簡単に読めるわけじゃない。いまやっているのは
 きちんと読むための下準備
で、『文選』李善注から注釈を集めている。『文選』の場合、
 同じ語についての語釈は繰り返さず、最初に出てきたものを指し示す決まり
なのだが、たまに該当するものがなかったりする。気持ち悪いな。
まあ、今ある李善注は六臣注を削った再生李善注だから、こうした
 誤り
は所々に残っている。

たまたま「東都賦」を引いてたら、
 諸夏、已見西都賦。其異篇再見者、並云已見某篇。他皆類此。
(諸夏、已に西都賦に見ゆ。其の異篇に再見する者は、並びに已に某篇に見ゆと云ふ。他 皆な此に類す。)
と書いてある個所に遭遇、つまりこれが上に書いた規則の明文である。

今読んでいる個所は
 高歩瀛『文選李注義疏』
では対応出来ない部分なので、まずは
 『文選』内で現物通し
をした後で、引用されている他書の現物を見、それらの書物に注釈がある場合は、更にその注釈を見、あとは各種古代字書や清代の各種コメント類を探す。やり方は三回生で卒論を準備していた頃と変わらない。違いがあるとすれば、三回生の頃は、『文選』や『漢書』等のテクストは自分で手で入れていたが、いまはデータベースが落ちていて、時間を大幅に短縮できる点だろう。

台湾・中央研究院のデータベースのおかげで、最初の作業は楽になったけど、そんなにオンラインデータベースを引ける環境ではないし、まだオープンアクセスのデータベースには出てない資料も使うので、半分以上は手作業になる。まあ、ゆっくりと、だな。

で、劉歆[音欠]の「移書讓太常博士書」にさっと目を通してたんだけど、こんなに筆が立つ奴だったのか、と改めて感心する。
どうも好きじゃなくてね。
三十年間、窓際おじさんとして宮中の秘書(朝廷の図書館)で黙々と書物を校訂し、その概要をまとめていたパパの劉向は好きなんだが、この息子の場合
 圖讖を信じ、自分が革命の盟主となろうとしてわざわざ「劉秀」と改名した大馬鹿者
である。秀は、後漢光武帝の諱であり、圖讖が正しいのだか、登極した光武帝の徹底した圖讖管理によってこの手のものだけが残っているのだか、まあ、たぶん後者なんだろうけど、劉歆[音欠]の場合は間抜けにも程がある。まあ、パパの劉向も若い頃は山っ気がありすぎて、手ひどい失敗をしているので
 似たもの親子
といえなくはないんだが、息子の方が遙かにタチが悪い。
その後、劉歆[音欠]たちが起こした騒ぎの巻き添えを食って、揚雄が天禄閣から身投げして大けがをすることになっちゃうのだが、揚雄の場合は、
 学者馬鹿
なだけなので、まだ同情の余地がある。

才が人並み以上に優れていて、さらに野心がありすぎるくらいあると、劉歆[音欠]のような仕儀になるのだと、『漢書』は1900年以上前から、教えてくれているのだ。
わたしが、学者が政治家になるのをよしとしないのは、劉歆[音欠]の生き方が嫌いだからに他ならない。

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