2018-01-22

川合康三・富永一登・釜谷武志・和田英信・浅見洋二・緑川英樹訳注『文選』詩編(一)岩波文庫 2018年1月16日

満を持して
 『文選』詩編 現代語訳の岩波文庫本
の刊行が始まった。
訳注には
 川合康三(唐宋文学)
 富永一登((六朝文学)
 釜谷武志(漢代〜六朝文学)
 和田英信(中国古典詩全般と日本漢文)
 浅見洋二(唐宋文学)
 緑川英樹(唐宋文学)
の六氏が携わっているので、twitter上では早速
 「六人注文選」
なる愛称がついた。現在、『文選』の詩編を読むのには最適な六人の中国文学研究者が選ばれたと言って良いだろう。専門は必ずしも六朝文学ではないのが『文選』という書物の「あり方」を如実に示している。
川合康三先生の巻末「あとがき」によると、この『文選』詩編の刊行に当たっては、
 岩波の編集者も参加した上で、毎月一回、数年間かけて担当者が訳注を作成し、更に数年掛けて、訳文や注釈に手を入れて、一般の読者が読みやすい形にした
旨が書かれている。『文選』を読むためには、膨大な「下調べ」が必要だ。その
 水面下の水鳥の水掻き
の部分は、本文からは窺い知れないほど、徹底的に手が入っている。

『文選』を大学の中国文学専攻の学部演習で読む場合の標準的なやり方は次の通りだ。
1. 中国音を調べ、まず中国音で通読する(大学によっては省略されるかも知れない)
2. 伝統的な「漢文訓読」で訓点(返り点と送り仮名)を付す
3. 韻文(詩は韻文)の場合は、押韻の箇所を指摘し、韻の種類を『廣韻』で調べる
4. 典拠のある語を調べて説明し、意味を述べる(『文選』の場合は、李善注の中味を調べ、かつそれでも足りない部分を補う)(補注: 典拠はもちろん、原典にあたる。すでに佚書になっている場合は、その旨も指摘する。出典『大漢和辞典』なんてことをやらかすと、その後、研究室内で信用を失う)
5. 全体を通釈する(通釈では、場合によっては五臣注や日本にのみ残る『文選集注』も参照して訳文を作成する。読みがたい語の場合は、日本の訓点を援用することがある。)
学部の授業では、大体、1首に1時間掛ける。
京大中文では
 3-4回生の必修科目
であり、
 古典文学志望だろうと、現代・当代文学志望だろうと、『文選』を読む
ことになっていた。わたしが3回生の時は、残念ながら、川合康三先生が、1年間の在外研究で、Harvard大学燕京研究所に出られたので、半年だけ巻三十一「江淹雜體詩三十首」を途中までやって終わった。わたしは「班婕妤 詠扇」を担当した。
岩波の
 『文選』詩編読解月例会
では、中国音で読んだかどうかはともかく、上記の手順で、まず担当者のレジュメがたたき台となり、一つ一つ訳語や注釈する語彙の取捨選択が行われたことと思われる。

ところで京大中文が
 『文選』必修
なのは、
 『文選』成立以降の中国文学が『文選』抜きでは成立しえなかった
からである。

中国の高等文官選抜試験である科挙では、詩文の才も試されるのだが、その基礎的な準備に『文選』は「デファクトスタンダード」の教科書として君臨した。唐宋以降の文学では、『文選』に典拠を持つ言葉が広く「文人間の常識」として用いられている。
 中国の文人
とは
 職業的作家
だけではなく、
 科挙をパスした秀才たち(=高級官僚試験の合格者の称である)
が含まれる。「秀才」彼らこそが
 世を動かす実利の世界で官界遊泳しつつ、新しい時代の文学の基準となる作品を生み出す役割も果たす
のである。
科挙合格には、『文選』内の語句を薬籠中のモノとするだけでは足りなくなるのが宋代後半で、川合康三先生は、「解説」で

つまり『文選』は一見さも文学らしい詩文を作るために必要な素材であったとともに、独自の文学を創ろうとする者にとっては克服すべき対象であったのだ。

と鋭く指摘している。この「解説」は『文選』を足掛とした中国文学史の端的な見取り図でもある。今後、大学の教養程度の中国文学史概説・漢文学概説等の講義では、必ず「参考文献」としてあげられることとなるだろう。
すでに訳稿は完成しており、今後逐次出版されることとなる。全六巻の刊行が待ち遠しい。
また、川合康三先生の「解説」では、昭明太子蕭統の序に関説されているのだが、
 漢文に馴染みの薄い一般読者
のためにも
 是非、二巻以降に「文選序」の訳注も入れて頂きたい
ものだ。

続きを読む "川合康三・富永一登・釜谷武志・和田英信・浅見洋二・緑川英樹訳注『文選』詩編(一)岩波文庫 2018年1月16日"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018-01-16

1/6に爆発炎上し漂流 日本の排他的水域内の奄美沖300kmで沈没 現在も炎上するパナマ船籍のタンカーの積荷軽質原油13万6000トン 流出量がシャレにならないらしい件

乗組員3人死亡29人絶望という。合掌。

事故が起きたのは6日のことだった。テレ朝より。


いまも燃えながら漂流 タンカー爆発で29人不明
1/15(月) 17:37配信
 乗組員の生存は絶望的か…。炎上しているのはタンカーだ。東シナ海で6日、パナマ船籍のタンカーがイランから韓国へ原油を運ぶ途中、香港の貨物船に衝突し、漂流後に爆発した。タンカーは約14万トンの原油を積んでいたという。事故から1週間以上が経った15日も奄美大島から西北西に約300キロの位置で燃え続けている。乗組員は、イラン人とバングラデシュ人の32人。そのうち3人が遺体で発見されたが、29人の行方が不明のまま。天候不良などにより救助は難航し、イラン当局の関係者は「生存者を見つけるのは絶望的だ」と話している。

このタンカーは記事にあるように、今も燃え続けている。
 奄美沖300km
というと
 日本の排他的水域内
だ。

問題は
 積んでいる原油が極めて大量
という点だ。AFPより。


中国沖タンカー事故、深刻影響の恐れ 前代未聞の油流出量との指摘も
2018年1月15日 20:10

【1月15日 AFP】中国沖で6日に貨物船と衝突・炎上し、14日に沈没したイラン企業所有の石油タンカー事故について、中国国営メディアは15日、現場海域で最大約130平方キロにわたって油が流出したと報じた。環境専門家らは、海洋生物に深刻な被害を与える恐れがあると警鐘を鳴らしている。
 事故ではタンカーの乗組員32人が行方不明となり、このうち3人が遺体となって発見された。
 中国の交通運輸省によると、タンカーから流出した油は現在も燃え続けているという。中国共産党機関紙の人民日報(People's Daily)は15日午後の時点で、現場を起点に長さ約18.5キロ、幅約7.4キロの範囲に油が広がっていると伝えた。
 沈没した同タンカーは、軽質原油13万6000トンを積載していた。
 米アラスカ州を拠点とする石油流出対策の専門家、リチャード・スタイナー(Richard Steiner)氏はAFPに対し、「1週間にわたって爆発・炎上が続いた船体の損傷を考慮すると、貨物倉や燃料油貯蔵タンクのうち無傷で残っているものはなく、従ってコンデンセート(超軽質原油)と燃料のすべてが流出したというのが私の推察だ」と語り、1回で海洋流出したコンデンセートの量としては史上最多と指摘している。
 仮に流出したのが積載量の20%だったとしても、1989年に発生したアラスカ沖で発生した石油タンカー「エクソン・バルディーズ(Exxon Valdez)号」の事故の際の原油流出量に匹敵する規模だという。
 スタイナー氏によると、過去に把握されているコンデンセートの海洋流出のほとんどは1トン未満であり、1000トン以上の流出事例は前代未聞だという。

なんかあんまり考えたくないような量が流出している/しつつあるようだ。

海保が対応しているとのことだが、
 長さ約18.5キロ、幅約7.4キロの範囲に油が広がっている
状況で、
 有効な海洋汚染対策
が取れるものなのか。海洋汚染事故という観点の報道があまりないので分かりにくいのだが、
 船がまだ燃えているという報道
ではなく
 流出した油による海洋汚染はどんな影響を及ぼし、どう事故の処理を行うのか
を、報道して貰いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-12-10

茶道やろうぜ! 今中国で茶人はとっても尊敬されるらしいぞ@twitter

中国から茶が日本に齎され、遣唐使の廃止で一端は衰えた後、宋の禅寺の喫茶が栄西禅師によって日本に伝えられた以降、日中の文化を融合した、独自の喫茶のやり方が発達して行く。
やがて、それは現在の
 茶道
に繋がっていくのだが、21世紀、平成末年の今、
 華道も茶道も、新たに習う若い世代が減っている
のは確か。

ところで、現在
 中国では日本の「茶道」がよく知られており、茶人となれば、一目置かれる
そうで。
こちらは、中国留学の前に
 茶道を身につけた
という「黒色中国」さんのblogの11/24付記事
【中国人へのお土産】「日本茶道スターターキット」とは?
だ。
このblog記事への読者へ、twitterで黒色中国さんが、更に詳しいコメントをつけておられる。






おお、小習で尊敬して貰えるのかっ。
それなら
 お教室に通ってお免状を取るしても、そんなに経費は掛からない
ぞ。

結婚前に、それまで取ってなかった裏千家のお免状を纏めて出して貰わざるを得なかった叔母(真面目にお稽古しすぎて、奥の許しの手前まで行ってしまい、その後、付くことのできる先生がいなくて苦労していた)が
 小習
を終えておけば、
 お茶は大丈夫
だと、太鼓判を押していたから、
 黒色中国さんは立派な茶人
だ。

なお、
 お茶道具は、この5年ほどヤフオクで投げ売り状態
で、
 一応のお茶道具一揃いは、炉縁や釜、屏風も含めて安価に揃えられる状況
なので、
 これからお茶を始めるのなら、チャンス
かも。
オークションがお嫌いな先生もいらっしゃるので、その場合は
 親戚から道具を譲って貰いました
等と言っておきましょうね。
お茶席で着る和服も投げ売り状態。

なお
 1度でも手を通した和服

 並のものなら1枚1円
にしかならないとか。
お茶席で着るようなものは、わざわざ誂えたとしても、このクラスになってしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-12-05

羅繼祖「跋新修本草」

今となっては、最善本ではないので、再び刊行されることはないだろうけれども、1985年に上海古籍出版社から景印出版された
 森立之手鈔『新修本草』
には、この本を中国に持ち帰った
 羅振玉
の孫である
 羅繼祖の跋
がついている。当時としては丁寧な出版で、平装版だけど、景印は美しいし、朱書や朱印はちゃんと朱で印刷されている。
何故、羅振玉が森立之の手鈔本を持ち帰り、孫の繼祖が跋を書くことになったかは、本文を読むと分かるのだけど、現在はあまり注意されていない文章のように思うので、ここに転写する。
文字の誤りがあるかも知れないので、その点はご寛恕下さい。



《新修本草》影鈔本十卷(十冊) 先祖羅振玉於光緒辛丑(一九〇一)奉兩江、湖廣兩督赴日本視察教育時,得之於東京書肆。每卷後有森氏手跋。越七年,又由先祖題識於卷端。先祖比次去日,買到許多醫書。其中影寫和舊鈔,大都為森氏開萬冊府藏本,有些還有森氏題識。先祖對這些書都曾一一作跋。
 先祖見背,楹書零落,即《大雲書庫藏書題識》所著錄的也已多數易主。惟此《新修本草》殘本和明正統陝西官本《玉機微義》(亦爲森氏舊藏),仍保存在我手裏。一九七九年夏,我讀了吳德鐸同志《從<新修本草>看中日兩國的學術交流》一文(《中華文史論叢》一九七九年第二期),其中說到:
 「在羅振玉所寫這篇書錄(按指書端題識)中,有一個非常重要、値得中日兩國本草學、科學史和版本書志學者注意的問題……日本學術界影印他們所存的天平寫本時,只找到六卷,其它四卷(卷十三、卷十四、卷十六及卷二十)連同小島父子補輯、仿寫的卷三均不知去向。値得重視的是,羅振玉所得的十卷,不僅有這四卷,並且都是據仁和寺本傳寫的,它們恰好正是仁和寺本所藏在日本己亡佚的部分。……」
 呉文還訂正了先祖在題識中把「六」寫成「八」的筆誤。
 這部書從光緖辛丑到現在,在我家整整八十年未見天日,現在經有關方面的努力,由上海古籍出版社影印出版,爲中日兩國的本草工作研究者提供實物資料,實在使我感到欣慰。正如吳文所說,《新修本草》能引起中日兩國學術界普遍的重視,是和日本幾位醫學名家多紀、小島、森、澁江等的辛勤勞動、努力鑽研分不開,而他們的這種精神也是値得兩國人民學習和欽敬的。至於森氏此本與他本的異同,以及吳文指出的各點,需要專家們去深入研究,恕我不在這裏再贅一辭了。我的跋文,也只想明一下這部書能保存在我家直到今天的經過。
 又,先祖《敦煌本本草集注序錄跋》(《永豐鄕人稿》乙下)裏提到藏有一部日本醫家森約之校輯的本草集注手稿。森氏此書曾由我在先祖去世後讓給了日本黑田源次博士,至今可能還藏於遼寧醫科大學圖書館。這是森氏的一家之學,如能就原稿整理印行,也是兩國醫學界的盛事,很希望它能夠實現。
羅繼祖 一九八〇年九月七日於長春吉林大學宿舎之後書鈔閣

1980年代前半というと
 日中友好
は日中両国のスローガンであり、中国は日本からの円借款などで、近代化を推し進めていた時期である。
こうした時期にこんな形で、森立之手鈔『新修本草』が出版されていたことは、覚えておきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-10-16

清・王念孫『讀書雜志』が「王念祖」になっている件@北京大学図書館/archive.org

必要があって
 高郵王氏父子の著作
を見なくちゃいけない。
こういうときは
 近年、北京大学図書館がコレクションに寄与
している
 archive.org
を覗くと、いいことがある。

果たして、あったのだけど、これ何だ?
20171016_140301
拡大
Bd
 王念祖
って誰よ?

登録する時に誰かがタイプミスしてそれっきりなんだろうけど
 王念孫
に直しておいて欲しいものだ。

archive.orgだけど、最近は
 素直に漢字で検索が通る
ようになっていて、超便利。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-09-24

Nスペ 総書記 遺(のこ)された声 日中国交 45年目の秘史@9/23 21:00-21:50(再放送は2017年9月28日(木)午前1時00分~1時49分=27日深夜)

1989年4月15日、「百花斉放・百家争鳴」路線を掲げた結果、中国共産党の「中共八大元老」ら保守派の巻き返しによって失脚した胡耀邦元総書記が亡くなった。これが天安門事件の起きるきっかけとなる。胡耀邦元総書記の掲げた「百花斉放・百家争鳴」のスローガンを掲げ、自由を求める民主化推進派の学生達を中心とするグループが、連日北京市内で民主化を求める集会を開く。この民主化を求める潮流は、一党独裁の中国共産党の存在意義を脅かすものであり、遂に首都北京に軍隊を投入、中国共産党による公の場での人民弾圧、6月4日の「(第二次)天安門事件」に至る。虐殺された犠牲者の遺体を引き取りに行くと逮捕されるために、家族や知人は、現場にも病院にも近づくことが出来なかったと伝えられている。
投入された人民解放軍には少なからぬ少数民族も含まれていた。北京語を理解出来ない少数民族を投入することで、効果的に戦略を進めようとしたのであろう。まだ事が起こっていなかった時、中央民族学院の少数民族の教員や学生が、北京市内に駐留している少数民族の兵士達への通訳を買って出て、侵攻を食い止めようとしたが、その努力は水泡に帰した。市民虐殺に手を貸した1人が、「中共八大元老」の1人でもある四川の楊尚昆で、その手兵と称された27軍が天安門事件の虐殺を行った軍隊の1つと言われている。

『白い巨塔』や『大地の子』で知られる山崎豊子は胡耀邦総書記在任時に3年に渡り、複数回、異例の長時間インタビューを許され、しかも録音も残すことが出来た。
山崎豊子の残したカセットテープを発掘、その中から、日中関係に関する重要な発言をピックアップした番組がこのNスペである。
80年代当時は、日本の首相と中国の総書記とは、何かあったらすぐに話せる関係だった。日本の援助によって、いまの中国の発展の基礎が築かれていたその時期だ。圧倒的な経済的な格差が、こうしたことを可能にしていた。中曽根康弘元首相の靖国参拝直後に、中国との調整が図られたこともその1つだ。(翌年は参拝していない)歴史教科書の記述についても、速やかに調整が図られた。
胡耀邦総書記が長老派に断罪されて「下台」した時に挙げられた「罪科」の1つが「日本の青少年3000人を中国に招待した」だった。菅直人もその時訪中した1人である。
 「日中関係をこれからの若者に委ねて、更に発展させたい」
という胡耀邦総書記の意向は、中国共産党の保守派にとっては、歓迎すべきものではなかった。この胡耀邦総書記の3000人招待時に総書記の傍で日本語通訳をしていたのが唐家璇(のちの外交部部長)。今回のNHKの番組では「胡耀邦に関することなら」と異例と言っていいほど大物達が取材に応じているのだが、唐家璇元国務委員もその1人。唐家璇は、「天安門事件が日中関係を決定的に変えた」と発言している。
なお、番組内では胡耀邦の「愛国主義が「誤国主義(自国の利益のみを追求し、他国を顧みない偏狭な愛国主義)」になってはいけない」という発言を繰り返し使用している。
すでに経済規模で中国に抜かれ、科学技術や教育水準でも後塵を拝しつつある日本と、「核心」習近平国家主席の中国が、かつて胡耀邦総書記の中国が目指していた日中関係に戻ることはないだろう。
しかし、今回のこのNスペ、中国では当然配信厳禁なのだろうな……。
中曽根元首相は、胡耀邦総書記の墓参を中国に打診したが一度も許されておらず、10年前に、供養のために90本の桜を贈り、墓の周りに植えて貰った。今回、胡耀邦の息子が来日して、中曽根元首相を訪問、墓に咲く桜の様子などを見せていた。不名誉な状況で亡くなった胡耀邦の子息もまた、父の名を大声では語れない日々が続いているという。

おまけ。

続きを読む "Nスペ 総書記 遺(のこ)された声 日中国交 45年目の秘史@9/23 21:00-21:50(再放送は2017年9月28日(木)午前1時00分~1時49分=27日深夜)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-01-29

「云云」と書いて何と読む? 余聞

現代日本語で
 云々
と書いてあったら
 うんぬん
と読むのだけれども、その話を聞いて思い出したのが
 『史記』封禪書
だ。
 封禅(ほうぜん)
とは、中国の帝王が行った
 とんでもなく大規模な祭祀
である。吉川忠夫先生による『世界大百科事典』の定義より。


中国の帝王がその政治上の成功を天地に報告するため,山東省の泰山で行った国家的祭典。〈封〉と〈禅〉は元来別個の由来をもつまつりであったと思われるが,山頂での天のまつりを封,山麓での地のまつりを禅とよび,両者をセットとして封禅の祭典が成立した。

もともとは、
 山頂で「封」、山麓で「禅」の祭
を行っていたのだが、その後両方を
 泰山で行う
ことになった。上記記事は次のように続く。

封禅説の成立は戦国末以後のことであって,それには方士が深くかかわっていたものと考えられる。史実として確認できる最初の封禅は秦の始皇帝28年(前219)に行われたそれであり,つづく漢の武帝の元封1年(前110)に行われたそれによって詳細が明らかとなる(略)その後,後漢の光武帝,唐の高宗や玄宗,宋の真宗たちも莫大な国費を投じて封禅を行った。

で、

泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説

という封禅を行うことが、
 中国皇帝の見果てぬ夢
となった。

で、
  『史記』封禪書
には、春秋時代の知恵者、斉の管仲が述べた
 過去の帝王が封禅の祭を行った山の名前
が列挙されている。管仲は、これまでに72人の帝王が封禅の儀式を行ったけれども
 名前を覚えているのは12
として、封禅を行った帝王と祭を行った山の名前を挙げていくのだが、


無懷氏封泰山、禪云云虙羲封泰山、禪云云神農封泰山、禪云云炎帝封泰山、禪云云、黃帝封泰山、禪亭亭。顓頊封泰山、禪云云帝俈封泰山、禪云云封泰山、禪云云封泰山、禪云云、禹封泰山、禪會稽。封泰山、禪云云、周成王封泰山、禪社首。

無懐氏以下9人の古の帝王が、
 云云山で禅の祭を行った
と言っている。
「云云」は、山の名としては
 うんうんさん
であって、
 うんぬんさん
ではないらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-11-12

日本道教学会第67回大会@本日 京都大学文学部 一般来聴者歓迎

本日開催なのだけれども、
 日本道教学会第67回大会

 京都大学文学部
で開かれる。
一般来聴者歓迎とのこと。大会参加費は1500円。
Photo

研究発表会場 京都大学文学研究科第三講義室

研究発表 9:30-15:00(昼休み 12:00-13:00)
特別講演 15:15-17:05

午前の部
9:30-10:00
姜生(四川大学)「張道陵以前儒生的道教」 司会 三浦 國雄(四川大学)
10:00-10:30
垣内 智之(大阪市立大学)「『大洞真経』の再検討」 司会 亀田 勝見(福井県立大学)
10:30-11:00
金 志玹(ソウル大学)「道教の傳經儀禮における臨壇三師について」 司会 小南 一郎(泉屋博古館)
11:00-11:30
坂内 榮夫(岐阜大学)「『莊子口義』と禪について」 司会 中西 久味(新潟大学名誉教授)
11:30-12:00
加藤 千恵(立教大学)「鉛汞小考」 司会 都築 晶子(龍谷大学名誉教授)
午後の部
13:00-13:30
野村 英登(二松学舎大学)「内丹と築壇―翁葆光の『悟真篇』解釈とその展開」 司会 横手 裕 (東京大学)
13:30-14:00
谷口 綾(日本体育大学)「元代の医家と儒医―龍谷大学所蔵『家伝日用本草』をてがかりとして」 司会 武田 時昌(京都大学)
14:00-14:30
頼 思妤(東京大学大学院)「「墨杘谷」から「雉衡山」へ―楊爾曾の道教系出版事業と明代女仙信仰」 司会 森 由利亜(早稲田大学)
14:30-15:00
松家 裕子(追手門学院大学)「新宝巻」にみえる信仰のありかた―孤魂と免災― 司会 土屋 昌明(専修大学)

特別講演(15:15-16:05)
黎 志添 (香港中文大学道教文化研究センター長)『太乙金華宗旨』の浄明起源問題 ― 清初常州における呂祖乩壇信仰と浄明派の関係から 講師紹介 金 志玹 (ソウル大学)
特別講演(16:15-17:05)
麥谷 邦夫(京都大学名誉教授)「三教論爭から見た道教」 講師紹介 神塚 淑子(名古屋大学)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-07-15

例文が笑える「日語流行口語宝典bot」 中国で日本語を学ぶ若者が「使いたい日本語」満載

twitterには、時々TLを眺めて和めるように
 ひと味違ったbot
を入れてあるのだが、語学系botの内では、
 日語流行口語宝典bot
が気に入っている。元になってるのは2005年に出版された
 流行口語宝典系列-日語流行口語宝典(カセット付)
で、著者の李成一氏は韓国人とのこと。

たとえばこんな調子だ。











とまあ、こんな調子。
当然ながら
 初級中国語教材
としても使えるわけで、そこら辺の初級中国語教材とはひと味違うところが良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-06-04

漢訳仏典を調べる(初心者編)

元々、仏教学専攻なのだが、京大の仏教学は
 印度学の1分野
なので、中国仏教や漢訳仏典は真っ正面からは扱われなかった。だから、
 漢訳仏典を調べるやり方
のは、
 自力更生
で身につけたのだけれども、
 専門外だと、仏典を調べるのが難しい
という話を聞いた。

現代は、
 Internetに大蔵経がアップロード
されているわけで、大蔵経内から
 文字列を探し当てる
のは、簡単になっている。しかし
 その文字列が記されている仏典の正体
とか
 その文字列がどういう意味合いで使われてきたか
とかいった
 基本的な部分
は、時間を掛けて身につけないと、せっかく探し当てた文字列を解釈できない。

仏典初心者のための良い教科書が、ネット上にある。東洋文庫の會谷佳光さんが作られた
2012年2月16日(木) 平成23年度アジア情報研修資料 財団法人 東洋文庫 「仏教典籍(漢文資料)の調べ方」(PDF)
だ。
 アジア情報研修の際に使われたテクスト
のようだが、簡潔に、
 仏教興起
から
 漢訳仏典の性格
を時代順に説き及び、もっとも力が籠もっているのが
 歴代大蔵経の紹介
である。専門家でも面倒な大蔵経の展開が、カラー図版を交えて、わかりやすく説明されている。

出典が仏典だと
 げ、仏典
とか思う方は、是非ご一読を。

わたしが、漢訳仏典を調べる方法を身につけたのは、ほとんど参考にはならないとは思うのだけれども、一応紹介すれば、
 大正蔵55巻目録部の『出三藏記集』から『貞元新定釋教目錄』までと費長房『歴代三寶紀』(大正蔵49)、大正蔵54巻事彙部下の『一切經音義』『續一切經音義』

 ともかく、端から端までめくる
というやり方だった。頭の中に文字列を
 画像的に記憶
する訳である。一度に大量にやると、すぐにイヤになるので、一日にめくる量を決めて3ヶ月くらいやっていた。たまたま、その時は、健康を害していて、とてもじゃないけれども
 まともな調べ物
をする体力がなかったのだが、
 ひたすら頁をめくる
のは可能だったので、情報が入らなくなって、頭が寝てしまわないように、ともかくめくった。
重症の活字中毒向け。

あとは、必要に応じて、
 大正大藏經索引
をめくった。オンラインデータベースのある現在では、書冊体の『大正大藏經索引』の出番はほとんどないし、あの索引は
 巻によって出来の善し悪しの差が大きい
ので有名で、そうそうお勧め出来ないけれども(律部の索引は、比較的マシ)、
 単なる羅列ではない索引
なので、初心者が漢訳仏典の組織を知るには悪くなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧