2012-04-17

『周礼』医師を読む

必要があって
 『周礼』医師
を読んでいるというか注を付けている。鄭玄注と賈公彦の疏でやってるんだけど、鄭注に
 孟子曰
として引かれている「書曰」が気に入らないな〜。賈公彦が偽孔伝でやるのは構わないとしてだ。鄭玄に偽孔伝を使うわけにはいかない。
偽孔伝だと
 説命
ですかそうですか。
この「書曰」の二文字が果たしていつ『孟子』本文に入ったのか、極めて気になる。(たぶん、どこかで議論があるだろうから、あとでゆっくり捜そう)もちろん、鄭玄が何を見たかが一番気になる。

で、薬の話が出てくるので、
 現物通し
で、生薬の写真やら解説やらも付けているんだが、こんなものを発見。
正倉院
正倉院のホームページにいつの間にやら
 宝物全検索機能
がついているではないか! 杉本さん、ありがとう!
当然ながら
 種々薬帳
に見える薬物等のカラー写真が掲載されていて、エライのは
 倉番とか寸法
も併記されていて、生薬なら
 今の何に相当するか
も記述されているところ。
 名前はこれだけど、同定できない
場合は、或案もついていてとてもエライ。

本当にこんな行き届いた制度が古代中国周の時代にあったかどうかは別として、少なくとも
 『周礼』医師は、古代中国における「医療福祉」に関する記述
なわけで、中国医学の医師、中医師を目指す、中国・香港・台湾の中医学生諸君は、医古文の授業で必ずこの輝かしい父祖の
 民に奉仕する医師について記述した『周礼』医師
を最初に読むことになっている。確かにこれを中医学を志す若者が読めば、奮起すること請合である。

日本では漢方医学だけでは医師免許が取れないので、
 『周礼』医師
は忘れ去られているけど、江戸医学館の心ある医師達はこの
 『周礼』医師
を、自らの医業の依って立つところとしてたみたいだよ。彼らの蔵書目録を繙くと
 『周礼』医師
の部分だけ、単行本として持っているのを目にすることがあるから。
 西洋から持ち込んだ「医療倫理」
もいいけど、たまにはアジアの「医療倫理」も勉強して欲しいものだが、残念ながら
 大学で医学生相手に「医療倫理」を教えている人の99%は五経を読みこなせるほどは漢文が読めない
と推察されるから、ムリだろうけどね。

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2012-03-28

特別講演会 馮錦榮香港大学教授「Galileo and Jesuit Science in 17th Century China」@3/27 人文研

中哲の先輩、馮錦榮香港大学教授の講演会が、昨日人文研で開かれた。
馮さんは、わたしが中文3回生の時の中哲のD1で、基本的に
 3回生/M1/D1
という組み合わせは、研究室でよく顔を合わせ、また、D1はM1の、M1は3回生の面倒を見る習慣だったので、結果的に3回生はD1とM1の先輩には特にお世話になる。わたしは、漢代の勉強をしていたので、中文と中哲と両方の授業に出ていた。で、調べ物等で中哲研究室には時々足を運んだ。その頃の中哲研究室は倫理学と一つの研究室を半分に区切って使っていて狭かったのだが、行くと、たいてい机の一つで、馮さんが勉強していた。馮さんの修論は、規定枚数50枚なのに
 本文50枚・注50枚・補論50枚
の150枚を、中国語で提出した、というので、有名だった。日本語と中国語では、圧縮率が違い、全文中国語で書くと、ほぼ1.6倍の内容になる。だから、馮さんの修論は、相当な分量なのだ。

馮さんの研究の特徴は
 それまで誰も気がつかなかった文献をアーカイブから拾い上げる卓越した能力
にある。昨日の講演は2本行われ、1本目は英語、2本目は中国語だったのだが、どちらの発表でも
 これまで誰も気がついてなかった文献
が大量に駆使されていた。いつもながらのことなのだが、凄い。文献を博捜するため、香港・中国・台湾はもちろんのこと、日本や欧米の各地の図書館に赴き、貴重書の中から、宝を掘り当てるのだ。最近は更に韓国も射程内だ。韓国ではいま漢字を自由に読み書きできる韓国人が激減しているので、中国・香港・台湾・日本の研究者は、漢文文献を調査するチャンスである。埋もれている文献がまだまだあるはずだ。
そして、今回は
 文献を博捜する能力が文物にも向けられた
ので、北京や台湾の故宮博物院にある
 天文観測機器
が、たくさん紹介された。康煕帝の天文観測機器はフランスに発注されたもので、パリの職人とその工房のサインが入っている。美しく機能的なそれらの天文観測機器を見るだけでも楽しいのだが、そうした機器の原理やガリレオとの関連が、イエズス会の活動を媒介として、見事に説明されるのを聞くと、明末清初の科学技術や科学知識の広がりが手に取るように見えてくるのだ。ラテン語で書かれた科学書が、中国のこうした天文観測機器や、漢訳された宇宙論に反映され、それらは後に韓国や日本にも及んでいるのを、馮さんが丁寧に解き明かしてくれた。

馮さんは、まだまだ論文の「ネタ」があるそうで、これから大量に明末清初の中国の科学史に関する論考を精力的に発表する予定である。とても楽しみだ。

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2012-03-26

杜甫の秦州詩を巡って

昨日は、桃の会。
桃の会は、京大名誉教授の小南一郎先生を囲む研究会で、半年に一度開かれ、先生のご発表と、受業生や受業生が担当している院生等が発表して、先生にコメントを頂くこぢんまりとした会だ。
 発表者と題目:
 西川ゆみ さん(奈良女子大学院生) 鮑照「蕪城賦」の表現
 鄭巍巍 さん(同志社大学院生) 明洪武年間鉄製大砲製造ブームの形成およびその形成要因について
 佐野誠子 さん(和光大学) 杜甫と濁酒
 小南一郎 先生 杜甫の秦州詩

小南先生の昨日のご発表は、杜詩を読む者なら誰でも気にかかる
 秦州詩の果たした役割
を鋭く解析したもので、従来の説とは異なり、実に刺激的だった。ご発表の内容は、おそらく
 中国文学報の近刊
に掲載されると思う。

佐野さんの発表は
 杜詩中に見える濁酒・濁醪という詩語
についての分析だったが、席上、1年先輩にあたる富山大の大野圭介さんが、
 杜甫の「羌村三首 其三」

 手中各有攜、傾榼濁復清。(手中各の攜ふる有り、榼を傾ければ濁復た清。)
をすっと引用したので
 おお、大野さん、凄い
と思ったのだったが、ふと手元にあった
 浦起龍『讀杜心解』
をめくって、なぜ、大野さんがその部分を覚えているのか、得心がいった。
大野さんは、かつて京大中文の学部ゼミで『讀杜心解』を扱ったとき
 羌村三首の担当
だったのである。それを思い出した。

三回生の年、なぜか興膳宏先生は、学部ゼミのテクストに『讀杜心解』を選ばれた。理由は分からない。一般に、杜詩を読むなら
 仇兆鰲『杜詩詳注』
を使うだろうけれども、どうしたわけか、ちょっとクセのある解釈の『讀杜心解』がテクストになった。吉川幸次郎先生は、これを学部の頃、一人で勉強されたそうだが、恐ろしい話である。実際、手強かった。

で、京大のゼミには
 イントロダクションはない
のである。
 いきなりテクストを読み始める
わけで、学部に上がったばかりで、右も左も分からないのに、いきなり『讀杜心解』の五古の詩を一つずつ担当することになった。そうなると、『讀杜心解』に当たり前のように出てくる
 弼曰、仇曰、朱曰、
等等の
 先行する杜詩の注釈を表す言葉
すら分からない状態で、ゼミに入ることになる。で、
 がっつり怒られる
ことになるわけだ。
 その「朱曰く」って何のこと?
と当然聞かれ、答えられないとなると、担当者の学力と意欲が疑われる次第となる。
冷僻字の多い杜詩だが、
 まず全部を中国音で読む
ところから、中文のゼミは始まる。必死で辞書を引く。対象がどの時代のテクストであろうと、中文のゼミなら
 まず中国音、それから文言であれば訓読の順
だ。訓読の仕方も習わない。見よう見まねで覚える。ま、ともかく
 身体で覚える
のが、京大の流儀だ。効率は悪いだろうけど
 人に教えて貰ったこと
は、身につかない。
 半泣きになりつつ、身体で覚えたこと
は、一生忘れない。

ゼミで調べが足りないのは
 本人の才能と努力が足りない
のであり、もし、答えに窮したり、詰問の激しさに臆して、間違って泣いたりすると、更にひどいことになった。
 泣いてるヒマがあるなら、その時間を準備に回せ
というのが鉄則なのだった。(ちなみに中文はまだ学生に優しい方で、印度学のゼミはもっと厳しく、泣く余裕さえ与えられなかった)今ならアカハラとか言われそうだけどね。基本的に
 才能も努力も「平等ではない」
というスタンスで教育が行われていた。
 出来ない奴は、自分で自分に見切りを付けろ
と言われているのと同じである。見切られないように、必死で勉強するしかない。

『讀杜心解』のゼミは二年続いた。その次に興膳先生が学部用に選ばれたのは
 黄遵憲『人境盧詩草』
で、銭仲聯の詳細な注の付いたテクストが出版されて間もなかった頃だ。この『人境盧詩草』がまた、読みにくいのである。

一方、
 中文の学部生は必ず『文選』を読む
ので、これは、川合康三先生が担当されていた。この年は
 古詩十九首
からだった。胡克家の覆宋本『李善注文選』(藝文印書館刊)を、今出川通りにある中文出版に買いに行くところから、準備は始まった。卒論が当代(日本で言う「現代」)だろうが何だろうが、ともかく
 『文選』は中文の基礎科目
である。

現代文は、この年、退官直前の先師清水茂先生が
 老舎の「柳屯的」
を読んで下さった。
 先秦から当代まですべての時代の中国語を読めるようになる
のが、中文・中哲の共通したアプローチだった。(最近はどうなっているか知らないけど)
清水茂先生は、間違いなく
 すべての時代の中国語が同じ強度で満遍なくお読みになれる先生
だった。あらゆる典故を駆使した
 清詩が自在に読める
ほぼ日本で唯一の先生だったと思う。詩作もされ、学生が詩の添削を御願いすると、気軽に添削をして下さっていた。

当時の京大文学部は
 年間授業数が12回
だった。だからこそ、あれだけ厳しいゼミでも身体が保ったのだろうと今にして思う。

杜詩研究は、京大中文のもう一つの伝統である。
小耳に挟んだのだが
 吉川幸次郎『杜甫詩注』の続編
を作る計画があるらしい。
吉川幸次郎先生の『杜甫詩注』の下調べを、若き日の小南一郎先生が担当されたそうで
 全然、時間が足りなかった
とおっしゃっていた。そして
 わたしも、吉川先生の『杜甫詩注』の原稿は見ているんですが、吉川先生は、その詩をどう読むかというのは、原稿には書いておられないんですよね
とにこやかに話されたのだった。

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2011-11-23

朝から『文選』

四時前に目が覚めて、『文選』の揚雄の作品を読んでいる。
読むと言っても、文学を捨てた男揚雄の文章が難解なのは、周知の通りで、そうそう簡単に読めるわけじゃない。いまやっているのは
 きちんと読むための下準備
で、『文選』李善注から注釈を集めている。『文選』の場合、
 同じ語についての語釈は繰り返さず、最初に出てきたものを指し示す決まり
なのだが、たまに該当するものがなかったりする。気持ち悪いな。
まあ、今ある李善注は六臣注を削った再生李善注だから、こうした
 誤り
は所々に残っている。

たまたま「東都賦」を引いてたら、
 諸夏、已見西都賦。其異篇再見者、並云已見某篇。他皆類此。
(諸夏、已に西都賦に見ゆ。其の異篇に再見する者は、並びに已に某篇に見ゆと云ふ。他 皆な此に類す。)
と書いてある個所に遭遇、つまりこれが上に書いた規則の明文である。

今読んでいる個所は
 高歩瀛『文選李注義疏』
では対応出来ない部分なので、まずは
 『文選』内で現物通し
をした後で、引用されている他書の現物を見、それらの書物に注釈がある場合は、更にその注釈を見、あとは各種古代字書や清代の各種コメント類を探す。やり方は三回生で卒論を準備していた頃と変わらない。違いがあるとすれば、三回生の頃は、『文選』や『漢書』等のテクストは自分で手で入れていたが、いまはデータベースが落ちていて、時間を大幅に短縮できる点だろう。

台湾・中央研究院のデータベースのおかげで、最初の作業は楽になったけど、そんなにオンラインデータベースを引ける環境ではないし、まだオープンアクセスのデータベースには出てない資料も使うので、半分以上は手作業になる。まあ、ゆっくりと、だな。

で、劉歆[音欠]の「移書讓太常博士書」にさっと目を通してたんだけど、こんなに筆が立つ奴だったのか、と改めて感心する。
どうも好きじゃなくてね。
三十年間、窓際おじさんとして宮中の秘書(朝廷の図書館)で黙々と書物を校訂し、その概要をまとめていたパパの劉向は好きなんだが、この息子の場合
 圖讖を信じ、自分が革命の盟主となろうとしてわざわざ「劉秀」と改名した大馬鹿者
である。秀は、後漢光武帝の諱であり、圖讖が正しいのだか、登極した光武帝の徹底した圖讖管理によってこの手のものだけが残っているのだか、まあ、たぶん後者なんだろうけど、劉歆[音欠]の場合は間抜けにも程がある。まあ、パパの劉向も若い頃は山っ気がありすぎて、手ひどい失敗をしているので
 似たもの親子
といえなくはないんだが、息子の方が遙かにタチが悪い。
その後、劉歆[音欠]たちが起こした騒ぎの巻き添えを食って、揚雄が天禄閣から身投げして大けがをすることになっちゃうのだが、揚雄の場合は、
 学者馬鹿
なだけなので、まだ同情の余地がある。

才が人並み以上に優れていて、さらに野心がありすぎるくらいあると、劉歆[音欠]のような仕儀になるのだと、『漢書』は1900年以上前から、教えてくれているのだ。
わたしが、学者が政治家になるのをよしとしないのは、劉歆[音欠]の生き方が嫌いだからに他ならない。

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2011-10-17

敦煌写本を眺める

いがわ・まことさんがtwitterで、


https://twitter.com/viewfromnowhere/status/125751603117572096

viewfromnowhere: しかし、P.2548わ とても きゅーてーしゃほんでわ なさそーだ(いけだせんせーわ 10さいくらいの こどもの じ、と おっしゃってた)。

と呟いてたので、
 国際敦煌プロジェクト: シルクロード オンライン
で、P.2548(ペリオ中国語敦煌写本番号2548)を確認したら、確かに
 子どもの字
である。ちなみにデータベースを引くときは、写本番号だけ入れると、ずらずら候補が出てくる。
文中「いけだせんせー」は、多分、池田温先生。
日本の古い木簡でもあまり見ないような下手くそな字で、まだまだ筆の使い方に習熟してないという運筆である。
モノは
 『論語集解』先進篇と顔淵篇
で、子どもが写すには適切な書物。『論語』は童蒙の教育の書である。

この国際敦煌プロジェクト(IDP)では、
 中国・英・仏・独・露・日・韓等各国の敦煌写本を順次データベース化して公開
している。コレクションによっては、まだデータベース化されてないものもあるけど、これだけずらずらと並んでいると、
 写本の勉強
には、この上なく楽。敦煌学の研究者だけでなく
 あらゆる写本(木簡等を含む)を扱う研究者、さらには漢字の書いてある文献を扱う研究者
におすすめ。日本なんて
 明治に入っても「写本文化」が根付いていた国
である。どの時代の写本を扱うにしても、敦煌写本を眺めることで、
 手書き文字に対するある種の眼力が養われる
のは、間違いない。それに
 古典
を学ぶのであれば、
 現物をできるだけ数多く見る
のは、足腰を鍛える意味でも大事だ。こればっかりは、一部の天才を除き、
 経験の絶対数
がモノを言う。例えば正倉院文書研究をやってる人は、当然
 敦煌写本も数多く見ておく
のが基本だろう。

いま普通に見ている
 古典籍の活字本の校訂の元となった資料
は、
 これら写本による書承の結果
であることは、結構忘れられがちだ。

現物へのアクセスが極端に制限されている場合、こうした
 上質の画像で比較対照できる
のは、実に有り難い。

正倉院文書や奈良〜平安の古写本も早くこんなデータベースが出来ればいいのに。

で。
今後は
 これまでに出た敦煌文書の釈文の再検討
も進むと思われる。
 一部の人間に独占されていた敦煌文書の美麗なカラー画像
が世界中に公開されたことで
 読み間違いや、貼り継ぎの解釈の誤り等
が、衆目に晒されることとなる。公開によって、一段と釈文が正確になるならば、これに過ぎる喜びはない。

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2011-10-14

高田時雄・尾崎雄二郎『小川環樹 中國語學講義』(映日叢書) 臨川書店 2011 3150円

先師小川環樹先生の講義録。いとおしむように、少しずつ読んでいる。
講義録は、先師尾崎雄二郎先生のノートに基づく。小川先生の口吻を片言隻句も書き漏らさないよう、周到かつ綿密に取られたノートがあった。そのノートを、高田時雄先生が今の世に送った。
講義にテープレコーダ等録音機を持ちこむなど、およそ難しかった時代、ペン書きで記されたと思われる尾崎先生のノートが、往時の名講義を伝えた。万年筆をお使いになったのだろうか。つけペンだと、恐らく、インクを足す時間が必要になるので、これほど詳細なノートを作るのは難しいのではないか。
元になったノートは4冊、収録された講義は4つ。
 中国小説史 1948年10月25日〜11月6日(集中講義)
 中国語方言学史 1949年11月5日〜16日(集中講義)
 語義沿革挙例 1950年9月20日〜1951年2月7日
 中国音韻史 1950年9月25日〜1951年4月18日
最初の二つは、小川先生がまだ東北大学におられた時期のもので、京大に集中講義に来られた時のものだ。後半の二つは、京大に着任された後のもので、それぞれ半期の講義である。

当時の中国学の水準から考えるに、これほど高度な内容を、細大漏らさず筆記された尾崎先生という極めて優秀な学生がその場にいたから、この講義は保存された。
実際問題、京大文学部の学部の授業というのは、今でも、学部生および大学院生向けとして開講されている場合がほとんどで、学部の講義と言っても、相当に高度な内容を含む。京大の文学部学生の誰もが経験するのだが
 3回生の頃のノートは間違いだらけ
で、先生方が板書されず、
 この分野を勉強する者なら常識
として、コメント抜きで仰る、人名や術語は、3回生にはちんぷんかんぷん、時には
 修士等学年が進んでから、間違いに気づく
などということもある。授業を受けながら、ある日
 あ、あの時の授業のあのtermは、こういう意味だったのか
と霧が晴れるように気がつくというわけなのだ。印度学ではこうした
 3年殺しのterm
が山ほどあった。元がSanskritだったり、漢訳仏典からの術語で特殊な読みだったりするから、教養から上がってきたばかりの3回生が太刀打ちできないのは、むべもない。

本書に収録された、小川先生のこれら四講義は、いずれも戦後まもなく、まだ出版事情のそれほどよくない時期のものである。今のように、簡単にコピーも取れない時代に、up-to-dateな内容を豊富に含む講義を筆記するためには、相当な知識がないと難しかった。

ほんの僅かな期間だけだったが、小川先生と尾崎先生の謦咳に接する機会があったのは、今にして思えば、幸せなことだった。
ページをめくる度に、これほどの講義を当時準備された小川先生、その講義が再現されるかのようなノートを取られた尾崎先生、この両先生の学問に対する厳しい姿勢に、背筋の伸びる心持ちがする。

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2011-10-10

九大図書館 濱一衛の中国演劇コレクション

中国語の勉強を始めた頃、劇迷(芝居マニア)の小笠原周さんが、中国の伝統劇の自主ゼミを開いていて、それに参加していた。最初に読み、聞いたのが、「楊家将」の一つ、京劇の
 四郎探母
で、漢族の対異民族観がよくわかる芝居である。しかし、内容はともかく、唱は聞かせ所が多く、すばらしい。1年足らずの間、いくつかの芝居のテープを聴き、中国の伝統劇について勉強した。以来、中国の伝統劇は好きだ。外国人向けの華やかな武功よりも、聞かせ所の多い演目を好む。

今回、九大では、日本中国学会の開催に合わせ、
 濱一衛と京劇展・濱文庫の中国演劇コレクション
の展示を図書館で開いた。検索すると、2008年にもこのテーマで展示が行われている。
 濱一衛と京劇展-濱文庫の中国演劇コレクション- 第50回附属図書館貴重文物展示
これが、実に得がたいものだった。

後に九大の中国文学研究室の教授となった濱一衛は、鈴木虎雄が教授を勤めていた京都帝国大学文学部支那語支那文学専攻を昭和八年に卒業した。濱の在学当時の昭和六(1931)年、助教授の倉石武四郎が中国留学から帰国、魯迅の小説を学部の講読の授業のテクストに用いるなど、中国文学研究の新たな道を開いた。濱は、その後、京都帝国大学派遣外務省文化事業部留学生として昭和九(1934)年〜十一(1936)年に北京に留学、劇迷であった濱は、せっせと芝居小屋に通う一方で、関連する資料を大量に集めた。それが、九大図書館の濱文庫に収められている。劇迷が寸暇を惜しんで集めた資料が面白くないわけがない。

今はなくなってしまった大小の芝居小屋の引き札、入場券や演劇・芸能関係の冊子類など、当時、北京にいなければ入手できなかった貴重な資料を始め、劇迷濱一衛の全てが詰まったコレクションの全貌を見渡せるよう、工夫して展示がなされている。会場内では、京劇のCDも掛かっていた。

先日、解放(中華人民共和国成立)直後の梅蘭芳の消息を伝える報告を、違う機会に聞いていただけに、解放以前の北京の演劇の様子を生き生きと伝える濱一衛コレクションには、別な感慨を抱いた。

ちなみに、濱一衛は、魯迅(本名は周樹人)の弟、周作人の家に下宿していた。

九大の『中国文学論集』第四号、濱一衛の退官記念号はこちら。
濱一衛先生退官記念号(PDF)

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第63回日本中国学会@九州大学 10/8-10/9(その2) 韓国に遺されていた元『至正條格』に記された元代の禁書目録

もう一つ、大変面白かったのが、二日目の特別講演。金文京先生の
  韓国の中国学研究の現状紹介
だが、
 韓国に眠っていた漢文資料
についての部分が実に興味深い。
これまで
 元は、比較的寛容な文化政策を行っていた
というのが通説で、
 禁書もそれほどなかった
と思われてきた。ところが
 実際には、占いの書物を中心に、明でも禁書にならなかったような書目が禁書となっている
ことが、韓国に残っていた
 至正條格
から、分かったのである。
金先生のレジュメによると、
 『至正條格』は、元代最後の法令集
で、韓国の個人蔵だったものが、韓国学中央研究院に寄託されていた。2002年に、同研究院の安承春研究員が発見し、2007年に金文京先生と金浩東氏・李介奭氏によって
 校注『至正條格』(影印篇・校注論文篇 韓国学中央研究院)
として出版された。『至正條格』の特色は、実際の法律運用例である
 断例の部分が残っている
ことで、その点だけを取っても貴重な資料である。
その断例の一つに、
 卷二 職制 二十一 隱藏玄象圖讚
として
 禁書五十種
が挙げられている。この中には
 開元占經
など、所謂「占いの書物」が大量に含まれていて、実際に講演の後に、金先生が見せて下さったのだけれども
 乙巳占等、見慣れた書目
が列挙されていた。これら占いの書目は
 明代には禁書に含まれてないものがある
ので、
 元は「禁書」が緩かったというこれまでの通説は誤り
であるとのことだ。

これは意外でしたね。

なお、金先生が手がけられた
 校注『至正條格』
は韓国では買えるみたいだけど、日本だとどうかな?

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第63回日本中国学会@九州大学 10/8-10/9 未発見の歐陽脩書簡の発掘

今回の圧巻は
 未発見の歐陽脩書簡集の発掘
だった。発表要旨。


3―7 歐陽脩の書簡九十六篇の発見について
東 英寿(九州大学)

  今日に伝わる歐陽脩(一〇〇七~一〇七二)の作品には、『詩本義』、『五代史記』(新五代史)、『太常因革礼』、『新唐書』、『崇文総目』等があり、これ以外の彼の詩文は全集『歐陽文忠公集』百五十三巻に収録されている。清代の歐陽衡が嘉慶二十四年(一八一九)に刊行した『歐陽文忠公全集』では、それまでの全集に含まれていなかった歐陽脩の散文七篇(唐順之『荊川稗編』に収められていた「本末論」、「時世論」、「豳問」、「魯問」、「序問」の五篇、及び「與黄謂」、「與李吉州」)を見つけ出し、あわせて収録している。
  南宋時代の慶元二年(一一九六)に、周必大によって歐陽脩の全集『歐陽文忠公集』百五十三巻が編纂されて以降、明・清時代から現代に至るまで全集は何度も刊行されているが、清代に歐陽衡が新たに七篇の作品を見つけたことを除けば、全集に収録されている詩文数に大きな変化はなかった。歐陽脩は千年以上前に生まれた人物であり、もはや一般には知られていない新たな作品が出てくる余地はないと思われていた。
  ところが、発表者は今日の歐陽脩の全集には全く収録されていない歐陽脩の書簡九十六篇を見つけ出すことができた。この九十六篇の発見には、南宋時代における『歐陽文忠公集』の編纂とその後の流伝状況が大きく関わっている。
  そこで、本発表では、南宋における『歐陽文忠公集』の編纂の経緯とその流伝状況を考察し、どのようにして九十六篇が今日に知られないままに伝わってきたのかということを明らかにしたい。その上で、これまで全く知られていなかった歐陽脩の書簡九十六篇を紹介したい。

これは
 日本に伝わる、旧金澤文庫本(現・天理大学所蔵)の『歐陽文忠公集』には、周必大の編纂以後に民間等から発掘されて新たに収められた歐陽脩の書簡が補刻される形で刊行
されたのだが、南宋末期以降の中国国内の混乱で
 1. 旧金澤文庫本と同刻の本は中国で失われ、それより以前に編纂された、より少ない書簡を収めた宋刻『歐陽文忠公集』が明の朝廷の図書館に遺された
 2. 仁宗が皇太子の頃、少部数を翻刻=明(永楽14 1420年)内府本。明内府本は現在佚書。明内府本はさらに弘治(5年 1492)重修本に継承され、現在通行する最善本とされる『歐陽文忠公集』に。
 3. 明の朝廷に遺されていた「宋時刻本」=現・(北京)国家図書館本
という経過を辿った。
このため、
 日本人が中国でその当時購入することが可能だったくらい、中国では流通していた筈の旧金澤文庫本が、孤本となって日本に残ってしまった
という話。で
 旧金澤文庫本に残っていた書簡部分は、当該本が国宝指定のため、なかなか調査が簡単にできず、「付加された書簡部分」が今日まで気づかれなかった
のである。

こんなことって、あるんだよね、という典型的な発見例。

東先生の発表では
 南宋では、個人の書簡を集めるのが流行した
とのことで、周必大が集めきれなかった歐陽脩の書簡が、全集編纂以後に少しずつ、各地の愛好家のコレクションから集められて、少なくとも二度、周必大編纂の全集に補刻されている。最初に補刻された宋刻の増訂版は明の内府に収められたこともあって中国に残ったのだが、二度目の補刻で金澤文庫に入った分は、南宋末以降の混乱で金澤文庫本との同刻本が失われ、忘れ去られたという次第。

東先生は、文献学的な例証を挙げて
 旧金澤文庫本に新たに補刻された歐陽脩の書簡が日本の偽刻でない
ことも明らかにされた。

というわけで、
 中国では大騒ぎ
で、とうとう
 新発見の96篇の歐陽脩書簡のみ、まず中国で発表
することになったとのお話だった。
10/5には
 新華社電
が中国を駆け巡った。こちらは繁体版。


日本發現96封未入全集的歐陽修書信
2011年10月05日 10:13:24

 新華網大阪10月5日專電 日本九州大學研究生院教授東英壽日前發現了中國北宋著名文學家歐陽修的96封書信。這些書信收録于奈良縣天理大學附屬圖書館館藏的《歐陽文忠公文集》内,未被編入明代定本全集。

 歐陽修全集編纂于其逝世後,1196年的第一版是木版印刷品。天理大學館藏的全集是13世紀鎌倉幕府所設“金澤文庫”為收藏而從中國採購的,已被指定為日本國寶級文物。

 這些書信多為歐陽修寫給北宋政治家王安石等友人的境遇之談、感謝函等。東英壽認為,此次發現的書信是再版時新増的。

 據共同社報道,東英壽為進行木版技術研究,對天理大學館藏全集、中國北京的國家圖書館館藏全集、日本宮内廳藏書進行了比較。三者此前被認為内容是相同的,但新發現的這些書信沒有收録在明代定本全集中。

 報道援引東英壽的話説:“時隔千年在日本新發現中國偉大人物的書信,著實令人驚喜。”

普通
 歐陽脩の未発見資料が今の時代に出てくる
とは思わない。
久々に、ぞくぞくするような凄い発見であり、素晴らしい学会発表を伺った。

でも、中国学会賞って若手奨励の賞だから、今回の発表はたぶん対象外になっちゃうんだよね。

おまけ。天理大学蔵の旧金澤文庫本『歐陽文忠公集』解題。
やまとの名品 欧陽文忠公集(PDF)

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『講座 道教』全六巻 雄山閣 1999〜2001

なぜか
 講座 道教 六冊揃

 一冊1200円
という破格値だったので、購入。いま届いたところ。
 書籍管理用スリップ
が、全冊に入っていて、書根に赤マジックで点がついているという変な本。当然、表紙カバーも帯も揃っている。

最近、この手の
 基礎教養本の値崩れ
が激しい。

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