2018-01-11

筑波大学 平成31年3月で人文社会系消滅→「ビジネス科学」へ吸収を昨年12月に決定@Facebook(その2) 学長からのアナウンス@1/10→横国は平成29年度から「人間学部人間文化課程」を教育学部から切り離し「人間文化課程」は都市科学部・都市社会共生学科へ改組

2018-01-09 筑波大学 平成31年3月で人文社会系消滅→「ビジネス科学」へ吸収を昨年12月に決定@Facebook
http://www.tsukuba.ac.jp/news/n201801101926.html
の続報。
1/10付で筑波大学の学長から
 インターネット上の「人文社会科学系改革の噂」は事実無根
という声明が出ている。

筑波大学の公式サイトより。


本学の教育改革について
2018/01/10
本学では,開学以来の特色である「学際性」と「国際性」を両輪として,学生本位の視点に立って教育の質の向上を図るための教育システムの改革に取り組んでいます。詳細については現在検討中であり,今後,本学ホームページにおいて情報を掲載していく予定です。

なお,最近,インターネット上において,本学の人文社会系が他分野に吸収されるかのような情報が掲載されていましたが,そのような事実はありません。本学の教育改革の取組内容については,本学の公式な情報発信をご参照いただきますようお願いいたします。

平成30年1月10日
筑波大学長 永田恭介

というわけで
 全くの事実無根
というのだが、果たして
 人文科学なんて要らない
という
 政府の方針
に対して、天下の筑波大学が
 どのような「改革」
をするのか、見守っていきたい。

なお、
 人文社会科学系の学部・学科解体
と言うことで言えば、平成28年度で教育人間学部人間文化課程の学生募集を停止した
 横国の例
がある。
 理系の学部に人文系の学科を吸収する
形式が取られた。具体的には
 教育人間科学部から人間文化課程を切り離し、教育学部に改組
 人間学部の学科は平成29年度から都市科学部・都市社会共生学科へ改組
という形のようだ。

横浜国立大学教育人間学部人間文化課程のサイトより。


課程長からのメッセージ

室井 尚

皆さん

人間文化課程は今年の平成28年度入試で学生募集を停止します。

以前からお伝えしていますように、文科省から廃止を宣告されたからです。

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2018-01-09

筑波大学 平成31年3月で人文社会系消滅→「ビジネス科学」へ吸収を昨年12月に決定@Facebook

Facebookで木津宗詮さんが拡散を希望されていた記事です。

お読み頂けると分かるのですが
1. 旧東京高等師範→旧東京教育大学→現筑波大学と継承された人文社会科学系が消滅
2. 実利重視と思われる「ビジネス科学」へ人文社会系の全教員が吸収
ということは
3. 功利的視点から、「ビジネス科学」へ吸収された科目の検討がなされ、人文社会系教員の減員、科目の縮小・廃止がおおっぴらに行われる
てことですね。これは、文中にあるように
世にいう、国立大学文系消滅の始まりです。
に他なりませんな。

文中、注目されるのは


一橋大の坂元ひろ子によれば、同大学では科目の間引きが始まっているようで、彼女の「アジア思想史」の後ポストが埋まらないとのこと、東大の駒場からは私大にどんどん逃げているとのことです。

という下り。
人文系では、特色ある講座で有名な一橋大では後任ポストが埋まらず、
 利に敏い東大駒場
では
 教員が次第に転出
しているという。まあ、いつもながら東大さすがだよ東大。

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高齢研究者の「デジタルデバイド」問題

師匠と電話でお話しした。
最近は、加齢のため
 活字を読むのが面倒になる
とのこと。
こんな時は
 電子書籍で自由にフォントを拡大
すれば楽なのだが、恐らく、
 自宅にインターネット環境すらない
と思われる。
 ダウンロードして電子書籍・電子化された論文を読む
とか
 書籍や論文の必要な部分をスキャンして取り込む
とか
 21世紀の研究生活では普通になっている研究環境

 そもそも存在していない
ということになる。

この頃は、人文系の後任不補充が影響して、大学を退休されても
 第二のお勤めをしない
先生方が増えている。問題は
 こうした高齢の先生
には
 デジタルデバイドの状態に置かれていることがある
ことだ。

本務校に在勤中は、誰かが肩代わりしてやってくれていたのだろうが、退休後は自分でやらなくてはいけない。
孫でもいれば、手伝ってくれるかも知れないが、そうそう都合良く行くわけもない。

今、日本では
 モノになるのに、時間が掛かる教育
というのを
 ムダとして切り捨てる
ことが進んでいる。
 漢文の読解
なんて、その好例だ。
 日本語とはSyntaxの異なる言語である中国語を、日本語のSyntaxに乗せて「読む」システム

 漢文
である。何だか、
 中国語をやれば良さそう
に聞こえるのだが、
 現代中国語と「漢文」とされる文語文には懸隔がある
のは、
 現代日本人がいきなり『源氏物語』の原文を読めと言われてもムリ
なのを考えれば、理解出来るだろう。
 中国語文語文には文語文独自の文法・システムが存在
する。

高齢研究者の中には、漢文読解を始めとした
 長期間の鍛錬と習熟を必要とする専門分野の先生方
がいらっしゃる。その知識・経験は
 貴重なリソース
なのだが、そうした先生方は、概ね
 デジタルデバイドの状態
にあるので、退休後は
 社会にその知識・経験が還元されにくい
ことになってしまっている。

後任不補充で
 日本中の人文系講座が閉鎖
されていく中、インターネットやITを活用して
 高齢研究者の「叡智」を利用
する方法はないものか。
もちろん
 高齢研究者のComputer Literacy再教育
は必要だろうが、それよりは
 誰でもITやインターネットを使えるようにする補助システムの整備
の方が汎用性があるし、今後も役に立つ。

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2017-12-28

ピアノから遠ざかっている大人のあなたへ

忙しいのに、うっかり
 全音ピアノピース一覧
のサイトを見てしまう。
最近の全音は、一部の楽曲の動画を提供してるのだけど、気が付いたことが。
 NHKが番組でよく使う劇伴の「クラシック」って、全音のピアノピースで選ばれていて、しかも動画がついている曲が多い
ぞ。恐らくは、担当PDは子どもの頃ピアノをやっていて(NHKに入局する局員は、学歴から勘案して、ピアノ履修者の割合が多いだろう)、全音のピアノピースには
 発表会に併せて、数ヶ月練習した時の汗と涙と喜び/悲しみ
が詰まっているんじゃないかな。あるいは
 あんなに練習させられて!
という怨みか、それとも
 簡単だったよね
というちょっとした自慢かが。

全音のピアノピースのサイトの動画の更に一部は
 楽曲に併せて、楽譜が表示

されるので、見ていると
 あ、ここは赤で直された
とか
 いくら練習してもうまく弾けなかった
とか、ピアノに費やした子どもの頃の時間が走馬灯にように甦る。
忙しい時にはお勧めしないけど、閑な時に
 子どもの頃ピアノを習っていて、今は鍵盤から離れている大人のみなさん
は覗いてみて下さいね。

ところで。
これだけ
 ピアノ履修者
がいても、
 日本の大学では、音大へ進学しない限り、積極的にピアノを評価される
ことはない。
アメリカ辺りだと
 副科
として、音楽があって、ピアノの技術が優秀だと、それも卒業単位に繰り入れられるし、もちろん、レッスンや試験もある。
どうやったって
 芸術系実技科目は色物
という眼鏡で見ている日本では、そんなことはムリかもしれないけど、少なくとも
 保育士・幼稚園教諭養成課程
がある大学では、保育士・幼稚園教諭の免許取得のために、ピアノを練習するので
 ピアノ室
がある筈だ。
保育士・幼稚園教諭課程のピアノ室というと
 子どもの頃、ピアノを全然やらなかった人向け
という印象が強いけれども、
 大学の副科でピアノがあってもいい
んじゃないかな。

これから少子高齢化は進み、今は待機児童対策もあって募集人数の多い
 保育士・幼稚園教諭養成課程もやがては縮小
されることになるだろう。でも、募集停止のその前に
 音楽を副科として認める
ことにすれば、ピアノ室は利用が続き、大学の単位取得は自由度が増し、子どもの頃から積み上げた音楽の技術も生かすことができるだろう。普通の大学では
 スポーツ推薦
はあっても
 音楽推薦はない
のだけれども
 音楽も勉強も好きで能力が高い学生
というのは
 一定数存在
する。そうした
 今は見過ごしている能力を積極的に評価する
のが
 少子高齢化時代の大学の行き方
としては、必要だと思う。

何より
 音楽は世界共通の言語
だ。そんなに上手でなかったとしても、
 何か楽器を演奏
できれば、それだけでコミュニケーションは図れる。

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2017-12-12

アジ歴エラいっ! 地名・人名・出来事事典公開&事典データダウンロード

アジ歴、エラいぞ!!!!


アジ歴地名・人名・出来事事典
アジ歴のデータベースでキーワード検索をしてみたけれど、見たい資料がヒットしない...。
そんな経験はありませんか?
アジ歴が公開している資料は作成当時のままの文書なので、正しく検索するためには当時の用語で検索する必要があります。
そこで、探したい資料を検索するためのキーワードを選択できるコンテンツを作成しました。
「アジ歴地名・人名・出来事事典」を使って、あなたの見たい資料を探してみましょう!
(キーワードとなる基本語は、今後も随時追加していきます。)

というわけで、上記リンク先の3つある検索ボタン
Aji
から、探したい種別を選んで検索!というシステムだ。
そして、
 超エラい
のは、この検索ボタンの下の

全ての事典データ(Excelファイル)をダウンロードできます。

と書かれたダウンロード用ボタンがあることだ。
 Interactiveなネット利用
の真髄じゃないか!!!!

もし、現在の事典で足りないようなら、アジ歴にrequestも出せるだろう。それ以外にも、さまざまな使い道がありそうだ。

アジ歴、素敵なクリスマスプレゼントをありがとう!!!!

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2017-10-16

清・王念孫『讀書雜志』が「王念祖」になっている件@北京大学図書館/archive.org

必要があって
 高郵王氏父子の著作
を見なくちゃいけない。
こういうときは
 近年、北京大学図書館がコレクションに寄与
している
 archive.org
を覗くと、いいことがある。

果たして、あったのだけど、これ何だ?
20171016_140301
拡大
Bd
 王念祖
って誰よ?

登録する時に誰かがタイプミスしてそれっきりなんだろうけど
 王念孫
に直しておいて欲しいものだ。

archive.orgだけど、最近は
 素直に漢字で検索が通る
ようになっていて、超便利。

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2017-09-21

国立国語研究所が提供する日本語歴史コーパスに『万葉集』約10万語分の「奈良時代編Ⅰ万葉集」が加わる@9/29

これは画期的! 今から公開が待ち遠しい。
先ほど、国立国語研究所から来た告知メール。


このたび、国立国語研究所では『日本語歴史コーパス』(CHJ)の一部として、下記のデータ(ver.2017.9)をコーパス検索アプリケーション「中納言」上で公開します。

  「奈良時代編Ⅰ万葉集」(短単位データ 1.0 / 長単位データ 1.0)
  http://pj.ninjal.ac.jp/corpus_center/chj/nara.html

奈良時代編の第一弾として、日本最古の和歌集である『万葉集』約10万語分が加わりました。
あわせて、今回より、校訂本文と原文(万葉仮名)の両方の前後文脈(KWIC)が確認できるようになっています。ぜひ、お試しください。

なお、公開時期は、2017年9月29日18時以降 を予定しています。
この間、一時的にCHJ中納言が利用できなくなります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

何がうれしいと言って
 校訂本文原文(万葉仮名)の両方の前後文脈(KWIC)が確認できる
点だ。

従来の文学研究では
 比較的恣意的な語彙選択に基づく研究
が許されていた。簡単に言うと
 研究者が「気になった文字列」だけを抜き出して、論じる
というのが
 文学研究の論文
として成立していた。例えば
 『万葉集』に見える〜という語の用法について
なんて題名の論文がその類だ。

いまや
 コーパスがそうした研究の「不備」や「思い込み」を正す
時代だ。同じことは
 思想史や文学史
にも起きている。
 思想史や文学史を「編集」する側の好み
ではなく、原典資料の電子化によって
 どのような思想や文学が存在したか
を示せるようになってきている。

こうした状況下では、もちろん
 データベースを駆使する能力
は前提になるが、それ以上に
 文脈に沿って正確に読み込む能力
が必要だ。これまで電子化テクスト利用下の
 用例研究
が陥りがちだったのは、電子化の副産物とも言える
 大量の用例
を前にした読み手が
 個々の用例の緻密な読みを放棄
して持つに至る
 同じ文字列であれば一意に定まるといった「誤解」
で、
 きちんと読めば意味が異なっているのが理解出来る「同じ文字列」を同列に論じる瑕疵
が、少なからぬ論文で見られる。特に
 比較文学・比較思想の分野
では
 当該言語の習熟度の違い
によって、
 本来あり得ない「誤読」が論文の主眼になる
ことすらあった。例えば、日中で意味の異なる「鬼」などがそうだ。

こうした「誤解」を撃破するのが、コーパスを用いた研究だろう。
今後の進展を期待したい。

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中島長文校・伊藤令子補正『魯迅『古小説鈎沈』校本』(全780ページ、10.99 MB)のデータを公開@京都大学学術情報リポジトリ紅

魯迅が手がけた
 古小説鉤沈
は、類書などから
 散逸した隋以前の「古小説」を輯佚
したものだが、類書からの輯佚には底本の問題等が存在し、また、当時の魯迅の研究環境の問題もあり、必ずしも、文字が正しいとは限らない。
今回、京都府内に現在住んでいるか、府内の機関に所属している(伝統的な)中国学研究者対象の研究助成
 橋本循記念会研究助成
を平田昌司先生が代表者となって受け、中島長文先生、伊藤令子氏が手がけた
 魯迅『古小説鈎沈』校本(電子版)
が完成し、京都大学学術情報リポジトリ紅にアップされた。全部で780ページ、11MBほどの大作だ。
魯迅『古小説鈎沈』校本
斯界を裨益すること大である。改めてお三方に感謝を捧げたい。

目次を掲げておく。[]内の数字はページを表す。


目次:
『古小説鈎沈』校本序 [1]
附録(旧序 一・旧序 二) [7]
校例 [11]
『古小説鈎沈』主要校勘書目 [15]
目次 [21]
古小説鈎沈序 [25]
青史子 凡三條 [27]
裴子語林 原輯一八〇條 刪三條 新附一一條 凡一八八條 [30]
郭子 原輯八四條 刪二條 凡八二條 [101]
笑林 原輯二九條 新附一條 凡三〇條 [130]
俗説 原輯五十二條 新附一條 凡五十三條 [141]
殷芸小説 原輯一三六條 刪二條 新附二〇條 凡一五四條 [158]
水飾 [228]
列異傳 原輯五十條 新附五條 凡五五條 [232]
古異傳 凡一條 [260]
戴祚甄異傳 原輯一七條 新附二條 凡一九條 [261]
祖沖之述異記 原輯九〇條 新附三條 凡九三條 [270]
荀氏靈鬼志 原輯二四條 新附一條 凡二五條 [312]
祖台之志怪 凡一五條 [326]
孔氏志怪 凡一〇條 [335]
神怪錄 原輯二條 刪一條 凡一條 [342]
劉之遴神錄 凡三條 [343]
齊諧記 原輯一五條 刪一條 凡一五條 [345]
幽明錄 原輯二百六十五條 新附十一條 凡二百七十六條 [355]
謝氏鬼神列傳 凡一條 [498]
殖氏志怪記 凡二條 [499]
集靈記 凡一條 [500]
漢武故事 原輯五十三條 刪一條 新附十三條 凡六十五條 [501]
妬記 凡七條 [548]
異聞記 凡二條 [554]
玄中記 原輯七十條 新附二條 凡七十二條 [556]
陸氏異林 凡一條 [584]
曹毗志怪 原輯一條 新附一條 凡二條 [586]
郭季産集異記 原輯十一條 新附四條 凡十五條 [588]
王浮神異記 凡八條 [593]
續異記 凡十一條 [596]
錄異傳 凡二十七條 [601]
雜鬼神志怪 原輯二十條 新附二條 凡二十二條 [619]
祥異記 凡二條 [633]
宣驗記 原輯三十五條 新附一條 凡三十六條 [635]
冥祥記 原輯百三十一條及自序 新附三條 凡百三十四條 [655]
旌異記 原輯十一條 新附二條 凡十三條 [758]
後記 (平田昌司) [769]

おまけ。

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2017-09-17

色覚にトラブルのある学生/生徒に配慮して板書していますか? 文字に使っていいのは白と黄色、赤は枠で囲う時のみ→道教委の教員採用試験では「板書に白、黄、赤を使え」としてるらしいぞ 全然色覚にトラブルのある生徒に配慮がないじゃん

色覚にトラブルのある学生/生徒というのは、一定数存在する。一般には
 赤と緑が見えない、見えにくい
 青と黄が見えない、見えにくい
という形で知られている。小学校の同級生に赤緑の色覚が弱い子がいたのだが、
 机の位置を床にマークしたクレヨンが緑
で、掃除の度に、机をきちんと置けなくて困っていた。

こうした生徒のために、以前は
 初等教育の教員は、色覚にトラブルのある生徒がいる前提

 板書
を行うのが普通だったという。ところが、現在、学校で
 色覚検査
が行われなくなったのと並行して
 色覚にトラブルのある生徒への配慮
そのものも
 雲散霧消
しつつあるという。
@Pontamama12345さんのtweetより。




















色覚検査がないということは
 色覚にトラブルのある生徒がいない
ってことじゃないのだけれども
 配慮が出来ない教員が、指導主事クラスにも増えている
って、どんなことですかね、文科省。もう一度、
 色覚にトラブルのある生徒への配慮

 重ねて通達
した方がいいのでは?

ところで
 北海道教育委員会(道教委)の教員採用試験
では
 模擬授業
があるようなのだが、
 板書は白、黄、
書かないと
 合格し辛い
らしいぞ。
相変わらず
 少数派である、自分ではそのハンディを言い出しにくい生徒への配慮を著しく欠いてる
じゃん、道教委。

おまけ。国立遺伝学研究所に「色覚問題に関する指導の手引き  平成元年3月 文部省 (平成6年増刷版)」のhtml版がある。
板書をするすべての人は、ぜひご一読を。
色覚問題に関する指導の手引き  平成元年3月 文部省 (平成6年増刷版)

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2017-09-11

京都大学 バリアフリーシンポジウム2017@9/9-10

この週末、京都大学で
 バリアフリーシンポジウム2017
が開かれた。
B1


会場 京都大学 吉田キャンパス 北部構内 理学研究科6号館4階401号室
「創って、操って、奏でる「理のバリアフリー」
9月9日 土 13:00~17:00
※17:30 より情報交換会
9月10日 日 10:00~15:15
障害者差別解消法の施行により、各方面で「合理的配慮」が模索されて います。大学における障害学生支援の分野ではハード面、ソフト面の対応 が充実し、障害の有無に関係なく、「ともに学ぶ」インクルーシブな教育環 境が整備されてきました。 しかし、そもそも「合理的」とは何でしょうか。世間一般の“理”とは、健常者、 マジョリティによって創出されたものです。障害者、マイノリティはさまざま な場面で、否応なくこの “理” に合わせることが求められます。「合理的配慮」 が、“理” に合う/合わないという以前に、「合わせる」ことを一方的に強 いるなら、差別解消は絵に描いた餅で終わってしまうでしょう。
既存の “理” を疑い、頭だけではなく、身体を動かして、真理を探究す るのが京都大学の伝統です。本シンポジウムでは、「創る理」「操る理」「奏 でる理」の三部構成で、「理のバリアフリー」を具体化する方途を示します。 三つのセッションを通じて、真理に立脚する「合理的配慮」の指針を提示 できれば幸いです。

都合で、後半の9/10のみ参加した。9/10は

第二部:「理を操る」
全国には「障害」と日々向き合いながら、学問の道を模索 している若手研究者が多数存在します。健常者によって組み 立てられた “理” の中で、彼らが一定の成果を上げるためには、 人一倍の努力と工夫が必要なのは間違いないでしょう。同じ 研究をするに当たって、障害者は健常者以上の時間と労力が かかるのは厳然たる事実です。障害者はこの時間と労力を媒 介として、オリジナルの研究手法、「理を操る」術を磨いてい ます。既存の “理” を批判・超克する強さは、「障害」がある からこそ獲得できるのかもしれません。大学での学問研究にお いて、「障害」を取り除くためには公的支援、人的サポートも 重要でしょう。創理から操理へ、そして操理から創理へ。障 害学生支援の現場では、創理と操理の往還が間断なく繰り返 されているのです。第二部では障害当事者の若手研究者4名 に登壇していただきます。
コーディネーター:村田 淳(京都大学 学生総合支援センター 准教授)
発表者:木下 知威、後藤 睦、安井 絢子、ライラ・カセム
コメンテーター:熊谷 晋一郎(東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)



第三部:「理を奏でる」
創理と操理の反復により鍛えられた研究者は、さらに先に 進み、「理を奏でる」境地に至ります。これまでの学問体系に 対する異議申し立てをし、新たな “理” を打ち出した後には、 その新理に基づく社会を構築しなければなりません。第三部 では、研究と社会を架橋する多彩なワークショップの実践事 例などを紹介します。「大学が社会を変える」のスローガンの 下、第一部、第二部の議論を整理し、広い視野から「障害」 の意味を再検討するのが第三部の目標です。“理” を楽器に例 えるなら、楽器を創る人(制作者)、操る人(各楽器のプレー ヤー)、奏でる人(オーケストラ)がいます。オーケストラの 名演奏は楽器制作者の技術、複数のプレーヤーの実力に支え られているのは疑いないでしょう。三者の協働により「理のバ リアフリー」が達成されることを最後に確認します。
パネリスト:磯部 洋明(京都大学 大学院総合生存学館 准教授) 岩隈 美穂(京都大学 大学院医学研究科 准教授)
塩瀬 隆之(京都大学 総合博物館 准教授)

の2つのセッションがあり、第二部は
 障碍を持つ若手研究者4名が現状について発表
し、その内容に対し
 当事者研究
で名を馳せる東大の熊谷晋一郎准教授(CPで東大医学部を卒業、12年間小児科医として勤務、現在は東大先端研)がコメントを述べた。
第三部は、自らも車いすユーザの京大医学部の岩隈美穂准教授が障碍に関するお題を
 ほぼ無茶振りの形
で出して、磯部洋明と塩瀬隆之准教授が
 大喜利さながらに答える
という、スリリングな展開だった。
若手研究者4名は
 聴覚障碍2名 視覚障碍1名 車いすユーザ1名
といった布陣。実は
 聴覚障害者は「見えない障碍者」
になりがちで、自ら申し出ない限り
 聞こえていない
ことを理解して貰えない。自分の発表に手話通訳者を付けるのはもちろん、他人の話を聞くのにも手話通訳者は必要だが、
 手話通訳者の雇用の問題
がある。
 学問的内容を通訳できる手話通訳者
というのは限られており、
 東京
ならともかく、地方では、なかなか人材が見つからない。こうした状況で
 聴覚障碍のある研究者はどう今後の生活を見通していくか
ということなのだけれども、結構大変なことになるのは予想できる。まず
 聴覚障碍者を雇用する機関があるか
という問題が1つ。阪大には聴覚障碍のある教員がいるので、それが全学のモデルになるようなのだが、
 初めて聴覚障害者に接する機関
だと、行きとどいた対応が出来るかどうかは難しい。

以前、札幌でDPI(障害者インターナショナル)の世界大会が開かれた時も問題になったのだが
 聴覚障碍者が共に議論に参加する場を設ける
ことは、時に看過される。今回のシンポでは
 ・発言内容を字幕にする
 ・手話通訳
の両方の手段で、聴覚障碍のある参加者も、発表内容を知ることが出来た。これはかなり丁寧な対応で、
 研究者が参加する一般の学会や職場の会議
では、到底望めない。そうすると、聴覚障碍のある研究者は、仕事でも研究活動でも支障が出てしまう、ということになる。

もう一つ、こうした障碍関連シンポで置き去りにされるのが
 弱視者
だ。

続きを読む "京都大学 バリアフリーシンポジウム2017@9/9-10"

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