2025-03-28

展覧会の図録が残念な解説になるのは何故なのか

今日から始まった、金沢文庫の

至高の宝蔵 称名寺の国宝開帳
を見に行く。
図録は
 綴じてない図録
で、斬新というか、管理が面倒。
見たかったのは
 文選集注
なのだが、解説がちょっと残念。中国学が専門じゃない書き手なのだろう。中国学の専門家なんてそこらにたくさんいるのだから、ちょっと聞けば簡単にもうちょっと良くなるのになあ。

 

『文選集注』の解説、途中から。
--
 (『文選』は)日本でも古くより難読の書として知られています。
 巻四七は、曹子建(一九二~二三二)の「贈徐幹」と「贈了儀」の二首の五言詩に対する注釈がみえます。曹子建は、魏の曹操(一五五~一二〇)の第三子で詩文を好みました。徐幹(一七一~二一七?)と丁儀も、曹子建とともに中央から退けられ、政治的不遇の人生を歩んだ人びとです。
 巻六二には、江文通(四四四〜五〇五)の「雑体詩三十首」のうち「劉太尉傷乱」などの五言詩に対する注が収録されています。「雑体」とは、一篇の中に様々な形式や内容の詩が含まれたもので、いずれも有名な詩を本歌取りしつつ、自らの心情を詠み込んだ詩となっています。
--
少なくとも清代までは、
 士大夫層(中国の文化・学問・政治を実質的に担っていた、高級実務官僚を輩出できる階層。科挙を受験していたのはこのクラス)
は、
 諱(いみな)=本名
 字(あざな)=呼び名
の二つの名前を持っていた。基本的には
 相手を諱で呼ぶのが許されるのは絶対的目上=尊属、上司(上司のトップは皇帝)、師(『論語』に弟子の諱が頻出するのは、孔子が弟子に呼びかけているシーンが多いから)
なので、基本的には
 字で呼ぶのは敬意を表す(同輩以下は大体字で呼ぶ)
 諱で呼ぶのは「非礼な呼び捨て」で、相手を軽蔑していることを表す。時と場合によっては、その場で殺されてもおかしくない。(たとえば正史『三国志』で「曹操」と誰かが言ってたら敵側の発言)
という使い分けをする。

 

「曹植」を諱でなく字で呼んで「曹子建」というなら「曹操」じゃなくてこちらも字で「曹孟徳」だろうし、そう書くと
 あれ、ちょっと具合悪い?
と気付くと思う。
「江文通」は「江淹」で、解説されている作品群は、普通は
 江淹雑体詩
と呼んでいる。
ところで『文選』では、作者の名が字で記されているのがほとんどだ。『文選』を読んだことがない場合、この「字で作者名を書くことがある」通則を知らないから、こんな書き方になったんだろうけど、なんだかな。
徐幹とか了儀は諱で出てくるし。諱と字が混在した書き方は、中国学の感覚だと、気持ちが悪い。
『文選』のゼミでは、受講生はまず、この
 字と諱の変換
を最初に覚えることになる。中国学では、作者名・著者名は普通は
 諱
でいうからね。
 白樂天は白居易
だ。
 
毎年、学生に
 『文選』で作者名が字で書かれていない作者を挙げなさい
という課題を出しているせいか、上記のような解説を目にしてしまうと
 ちゃんと諱を調べるのが面倒だったのかな
と見えちゃうのがアレだ。諱と字に関する説明を省いているので、こんな
 諱と字が混在する説明
になったんだろうな。

 

京大中文三回生の学部ゼミが、この
 「江淹雑体詩」三十首
だったが、前期だけで川合康三先生がハーバード燕京研究所の在外研究に行ってしまわれたので、途中で終わった。学部の基礎ゼミだし、李善注中心で解釈(さすがに李善注を読まないと怒られる)、たまに五臣注も見るくらいな緩い感じで読んだ。
 『文選集注』を読んでないの?
という厳しい指摘はされなかったように覚えている。
そもそも五臣注は
 科挙対策
と言われるような、通り一遍の解釈がほとんど。川合先生も、李善注がないとか、解釈が分かれるときくらいしか
 五臣はどうなの?
とは聞かれなかった。(授業で聞かれないから、五臣注を見なくていい、というわけではなく、そこはチェックしておくのが基本。)
なお、
 「江淹雑体詩」では、元になった作品の作者名を諱で書かず、官位などを付けて示す
ので、ゼミでうっかり
 阮歩兵
などと発表すると、一瞬で
 それ誰?
と突っ込まれる。もちろん、酒好きで、歩兵校尉の役所に酒があると聞きつけて、歩兵校尉となったといわれる阮籍のこと。
『世說新語』仁誕篇
步兵校尉缺。廚中有貯酒數百斛。阮籍乃求為歩兵校尉。(歩兵校尉に欠員が出た。役所の台所には酒が数百斛も貯蔵されていた。阮籍はそこで志願して歩兵校尉となった。)
 一斛=十斗=百升
で、
 阮籍の時代、三国時代の一升=0.202L
なので、
 一斛は20.2L
となる。時代は古いが、満城漢墓(前漢)から出てきた直方体の酒甕の容量は、計算すると最大で439Lなので、20斛くらいは平気で入る。すると
 歩兵校尉の役所にあった酒甕はもっと大型でずらりと並んでいた
かもしれない。酒飲みには天国だろう。

 

なお、
 『文選』が難読の書(だから注釈が作られた)
というのは、ちょっと変な説明で、実際は
 科挙の作文の教科書が『文選』だったから
たくさん注が作られた。

 『文選』を読むための注、じゃなくて、『文選』を使って文章を書くための注
なのである。

 夢は科挙に合格して高級官僚へ
であり、『文選』はそのための手段に過ぎない。

 

宋代になると、科挙の勉強では
 『文選』は文章問題で高得点を得るための基礎中の基礎
となる。南宋・陸游の『老學庵筆記』卷八には
 『文選』爛、秀才半。(『文選』を自家薬籠中の物とすれば、科挙には半分合格したようなものだ。)
という当時の流行語が出てくる。

 

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2025-03-27

ビアズリー展@三菱一号館美術館

陽気で桜が咲き始めたところで
 
三菱一号館美術館のビアズリー展
へ。

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 サロメの挿絵の部屋
は撮影自由。
解説によると、ビアズリーの再評価が始まったのは1966年だったそうで、わたしが初めてビアズリーの作品の写真を目にしたのは、1970年か1971年辺り。かなり早い時期に、日本にもビアズリー再評価の流れが来ていたようだ。
それはたしかサロメの挿絵で、激しい衝撃を受けたのを覚えている。まだ小学生だった。

 

今回原画を見て、その
 原画の小ささ
にも改めて驚いた。小さな画面に繊細な筆致で描き込んでいく手法。
最晩年近くに画風が変化するが、その画風が新たな展開を見せる前に、肺結核が悪化して亡くなる。享年25歲。
夭逝する芸術家に共通の
 死に向かって突然変化し、その展開を見せぬまま作品が遺される
受け手にとっては
 永遠の中断
がもの哀しい。

 

 

なお、
 1862年(文久2年!!!)の第二回パリ万国博覧会の「日本」の展示
が契機となり
 イギリスでは「アングロ=ジャパニーズ様式」が流行
したそうで、その様式の家具は、ビアズリーの作品にも描き込まれている。
展示では、アングロ=ジャパニーズ様式を代表する
 家具や食器等
がいくつか並んでいた。
第二回パリ万国博覧会に出展したのは
 徳川幕府・薩摩藩・佐賀藩
というのが、幕末の情勢を反映している。

Img_7037

20世紀初頭を舞台とするイギリスのドラマの
 小道具
として、浮世絵や屏風が出てくるのは、この辺りの流行が原因だろう。

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2022-03-03

国会図書館次世代デジタルライブラリーの「全文検索」機能を使ってみる

国会図書館のデジタルコレクションには、常々お世話になっているのだが、
 次世代デジタルライブラリーでは全文検索可能
次世代デジタルライブラリー
https://lab.ndl.go.jp/dl/ と知り、やってみた。

山田崇仁さんの労作「前漢前少帝の諱について」(『立命館東洋史學』40, 63-102, 2017)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006643068 は、
 そもそも不明だったため「某」と記されていた前漢前少帝の諱
が、印刷の加減で
 恭
と誤読され、そのまま
 少帝恭
に訛化し、ついには中国にも飛び火するさまをトレースした論文だが、これが
 次世代デジタルライブラリーの全文検索
では、一発(というか、実際には「少帝某」と「少帝恭」を検索するので二発だけど)で結果が得られる。全文検索畏るべし。

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2019-12-16

シベリア抑留者の持っていたアルバム、持ち主・関係者の方を探しています

早坂隆さん(@dig_nonfiction)が、twitterでシベリア抑留者が持っていたアルバムの持ち主・関係者の方を探していらっしゃいます。

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2019-04-02

令和異聞 毎日新聞の整理部、やっちゃったな 「1〜2世紀の『文選』にも」って梁(502〜557)・昭明太子撰『文選』のこと?

なんか凄いモノを見た。

令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現

https://mainichi.jp/articles/20190401/k00/00m/040/256000c 

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令和異聞 「令和」以外の候補は「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」@NHK

令和以外の候補について、NHKがすべてを特定。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870221000.html

新元号案 残る1つは「久化」 6案すべて判明

新元号の選定作業で、政府が示した6つの原案すべてが明らかになりました。新元号に決まった「令和」以外は、
▽「英弘(えいこう)」、
▽「久化(きゅうか)」、
▽「広至(こうし)」、
▽「万和(ばんな)」、
▽「万保(ばんぽう)」の5つの案でした。新元号の選定にあたって政府は、考案を委嘱した専門家から提出された候補名を、読みやすく、書きやすいなどの「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込み、1日、「元号に関する懇談会」などに6つの原案として示しました。

関係者によりますと、新元号に決まった「令和」以外の原案は、

▽「英弘」、
▽「久化」、
▽「広至」、
▽「万和」、
▽「万保」の5つの案でした。

「英弘」は日本の古典を、また「広至」は日本と中国の古典の両方を典拠、いわゆる出典にしているということです。

 

ええっと
 英弘→人名じゃんね。園田英弘先生、岡田英弘先生……。
 広至→同上、ヒロシっ!
 久化→すぐに字形から擬人化されそう
 万和→人和、地和、天和、ロンっ!!!
 万保→Oh! Mambo!!!!! Uh!
結果として一番マシだったのが
 令和
ってことですかい?

 

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令和異聞 朝日新聞年号担当(たぶん文化担当)記者の劣化が凄い件

朝日新聞もここまで来たか〜。

その感を否めないのは次の記事(有料公開)

令和典拠の万葉集序文、「中国の文章ふまえた」が定説

https://digital.asahi.com/articles/ASM4154Z4M41UTFK00Z.html?ref=tw_asahi

だ。

今回、わたしは当然ながら見てなかった(というか、普通中国学の専門家は引かない)のだが、

 大漢和

 令月

を引くと、

一、よい月。
[儀禮、士冠禮]令月吉日。
[張衡、歸田賦]仲春令月、時和氣清。
[孔子家語]頌曰、令月吉日、王始加元服。

とある。何故、国文学畑のヒトが、当然の出典の一つ晋・王羲之『蘭亭序』をすっ飛ばしていきなり後漢・張衡の『帰田賦』に行ったのかと思ったら

 『大漢和』を引いたから

だったのね〜。一つ賢くなりました。

ま、それはいいんだが、昨日の記事でも引いたように

 契沖の『万葉集代匠記』で、『蘭亭序』にも『帰田賦』にも言及

しているので、

 上に引用した朝日の「出典探し」記事

は、普通なら

 すでに契沖が『万葉集代匠記』で指摘しているように

とかいう言辞があってしかるべきなんですが、どうしてオミットしてるんですか、朝日新聞担当記者。

まさか

 契沖の『万葉集代匠記』は確認してない

とか、そういうオチじゃないでしょうな。

で、契沖の『万葉集代匠記』の件が抜けてるから、上記に引用した記事は

 それぞれの先生方の「個人的感想」に堕している

わけで、取材した先生方にも大変失礼な記事になっている。

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令和異聞 ラ行の文字は所謂「やまとことば」では語頭に立たないのが原則 ラ行がくるとしたら外来語からの借用語

さて、新元号は

 令和

に決まったのだが、

 日本出典

とか

 日本の伝統

とかが随分強調されているようだ。

出典『万葉集』で

 日本古来の〜

とかいう言辞があるようだけど決定的な問題は

 所謂「やまとことば」では、奈良時代においては、ラ行の文字は語頭に立たない原則

がある点だ。従って

 れいわ

と、ラ行で始まる言葉は

 出典が『万葉集』

だろうとなかろうと

 外来語を借用したものに間違いない

のである。ま、

 音の響きがいい

という意見が多いので、それでいいじゃんね。

ついでに言えば

 上代のやまとことばでは「濁音」も語頭に立たないのが原則

で、借用語が多くなるにつれて

 濁音が語頭に立つように変化していく

のだが、少なくとも

 『万葉集』の時代のやまとことばでは、ラ行も濁音も語頭に立たない

というのが国語史の常識であるとのことですよ。

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2019-04-01

新元号は「令和」出典は『万葉集』巻五「梅花謌卅二首并序」「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」→「令月」の出典は『儀礼』「風和」は晋・王羲之「蘭亭序」(さらに張衡「帰田賦」)

さて、新元号は
 令和
と決定。
出典は『万葉集』巻五「梅花謌卅二首序」で
 于時、初春月、気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
と菅官房長官が発表した。

さて

 出典は『万葉集』

 エヘン、日本古来の文学だよん

てことなんだけど、細かく見ていこう。

「令」を含む「令月」の出典は五経の一つ礼経の

 『儀礼』士冠礼

 令月吉日。

で、「和」を含む「風和」の出典は

 晋・王羲之「三日蘭亭詩序」の

 天朗気清、恵風和暢。
じゃないかな。てか

 「梅花謌卅二首并序」は漢文で書かれているので、必ず出典がある

わけで、元をざっと辿ったらこんな感じ。(12:05)


『万葉集』研究では

 「梅花謌卅二首序」は「蘭亭序」をなぞって書かれたもの

とされているので、特に不思議はない。(12:23)
さて、twitterでGEISTさんに教えて頂いたのだが、https://twitter.com/J_geiste/status/1112554095334825984

あと、契沖先生が張衡「帰田賦」の「於是仲春令月 時和気清」も出典じゃね?って言ってるな。こっちの方が「令」も「和」も入っててやばいw

とのこと。契沖『万葉集代匠記』の該当箇所Photo_1 を国会図書館デジタル化資料から拾ってきた。常用漢字に直しておきますね。

 于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香ハ、張衡帰田賦云、於是仲春令月,時気清。蘭亭記云、是日也、天朗気清、恵風和暢。

ま、契沖先生の昔から

 出典は中国の古典

と認識されていたのでありますね。国会図書館デジタル化資料『万葉集代匠記』の該当箇所が含まれている部分は以下に。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936703

NHKの報道はこちら。

新元号は「令和」 出典は「万葉集」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868721000.html?utm_int=news_contents_news-main_001

続き(13:39)

すぐやる日本人。令和ちゃん爆誕。

https://twitter.com/pivsixvu773/status/1112561632620638208

更に続き(13:44)

今回の元号案の撰進者は、『万葉集』「梅花歌」で学士院会員とくると、ご専門は『万葉集』じゃないけれど和歌研究の

 久保田淳先生
と予想。対抗は日本漢文研究の

 揖斐高先生

でどうかしら。
更に更に続き(15:11)

毎日は、学士院会員じゃない中西進先生を推す。学士院縛りだとダメなんだけど

 梅花歌三十二首研究

っていえば、中西進先生だもんな。中国学は

 池田温先生

ではないか、と推測している。

https://mainichi.jp/articles/20190401/k00/00m/010/116000c

更に更に更に続き(21:23)

『蘭亭序』以外の出典。後漢・張衡の「帰田賦」の画像。

Photo_2 

『文選』巻十五 張衡『帰田賦』

於是、仲春令月,時気清。
李善注、儀礼曰、令月吉日。鄭玄曰、也。

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「長進」とか、こっそりある文字を元号に入れる方法

あと8時間ほどで
 新元号
が発表される。

 

で、巷間噂されているのは
 首相が自分の名前から一字取る説
だ。
具体的には
 安倍晋三のどれかの文字が入る
と言うのだ。
さてね。そこまで露骨に出来るかね。

もっとも、
 こっそり自分の名前を入れちゃうやり方
というのもある。
一番簡単でバレにくいのは
 同義の文字を入れる方法
だ。

中国語では、古くから、文字の説明に別な文字を使っている。

 A、B也

という説明の仕方をする。そうすると
 似た意味の文字列
が出来上がり、それぞれの文字は、ある意味については
 類似のものとして扱う
ことができる。
例えば、後漢の劉煕の作った字書『釈名』には
 晋、進也
という訓が見える。もし
 晋
は使わなくても
 進
が入っていれば、こっそり自分の名前を入れることに大成功。
ついでに
 出身地の「長州」の「長」
も入れて
 MTSH以外の頭文字
にするなら
 長進(Choshin)
で行けるじゃん!!!

さてどうなりますかね。(4:35)

「安」の代用なら、例えば『爾雅』釈詁下には、「安」を含む者は
 訖、徽、妥、懐、安、按、替、戻、底、廃、尼、定、曷、遏、止也。
 予、寧、綏、康、柔、安也。
 妥、安、坐也。
 貉、暯、安、定也。
がある。元号は常用漢字の範囲で選ぶのだが、この内で常用漢字は、
 妥、懐、替、戻、底、廃、尼、定、止、予、寧、康、柔
だから、これらも安の代わりに使える。
「三」は、漢数字の偽造を防ぐ大字の「参」があるよね。
「倍」は、「ふやす」という意味と「そむく」という意味がある文字だ。ちょっと使いにくいかもね。

もうひとつ
 人名の漢字
というなら、首相のパパは
 安倍晋太郎
だった。郎はジェンダーが何かと問題になる現在は、使いにくいだろう。ただ
 太
はイケるね。(6:04)

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