2017-09-21

国立国語研究所が提供する日本語歴史コーパスに『万葉集』約10万語分の「奈良時代編Ⅰ万葉集」が加わる@9/29

これは画期的! 今から公開が待ち遠しい。
先ほど、国立国語研究所から来た告知メール。


このたび、国立国語研究所では『日本語歴史コーパス』(CHJ)の一部として、下記のデータ(ver.2017.9)をコーパス検索アプリケーション「中納言」上で公開します。

  「奈良時代編Ⅰ万葉集」(短単位データ 1.0 / 長単位データ 1.0)
  http://pj.ninjal.ac.jp/corpus_center/chj/nara.html

奈良時代編の第一弾として、日本最古の和歌集である『万葉集』約10万語分が加わりました。
あわせて、今回より、校訂本文と原文(万葉仮名)の両方の前後文脈(KWIC)が確認できるようになっています。ぜひ、お試しください。

なお、公開時期は、2017年9月29日18時以降 を予定しています。
この間、一時的にCHJ中納言が利用できなくなります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

何がうれしいと言って
 校訂本文原文(万葉仮名)の両方の前後文脈(KWIC)が確認できる
点だ。

従来の文学研究では
 比較的恣意的な語彙選択に基づく研究
が許されていた。簡単に言うと
 研究者が「気になった文字列」だけを抜き出して、論じる
というのが
 文学研究の論文
として成立していた。例えば
 『万葉集』に見える〜という語の用法について
なんて題名の論文がその類だ。

いまや
 コーパスがそうした研究の「不備」や「思い込み」を正す
時代だ。同じことは
 思想史や文学史
にも起きている。
 思想史や文学史を「編集」する側の好み
ではなく、原典資料の電子化によって
 どのような思想や文学が存在したか
を示せるようになってきている。

こうした状況下では、もちろん
 データベースを駆使する能力
は前提になるが、それ以上に
 文脈に沿って正確に読み込む能力
が必要だ。これまで電子化テクスト利用下の
 用例研究
が陥りがちだったのは、電子化の副産物とも言える
 大量の用例
を前にした読み手が
 個々の用例の緻密な読みを放棄
して持つに至る
 同じ文字列であれば一意に定まるといった「誤解」
で、
 きちんと読めば意味が異なっているのが理解出来る「同じ文字列」を同列に論じる瑕疵
が、少なからぬ論文で見られる。特に
 比較文学・比較思想の分野
では
 当該言語の習熟度の違い
によって、
 本来あり得ない「誤読」が論文の主眼になる
ことすらあった。例えば、日中で意味の異なる「鬼」などがそうだ。

こうした「誤解」を撃破するのが、コーパスを用いた研究だろう。
今後の進展を期待したい。

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2017-08-28

ドイツのパンは美味しい(その4)ドイツでは富は歴史と文化に奉仕する

今回、学会が開かれたのは、通称
 キール大学
と呼ばれる
 CAU(Christian-Albrechts-Universität zu Kiel)
で、
 クリスティアン・アルブレヒト大学キール
という校名が示すとおり、
 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公のクリスティアン・アルブレヒトが開いた大学
である。
創立は1665年。日本は寛文五年。四代将軍家綱の治世にあたる。アイザック・ニュートンが万有引力を発見し、フェルマーが死んだ年でもある。
戦前はナチスドイツにいち早く協力、1933年には強制的同一化政策に従い、多くの学生や教員が大学を逐われた。
戦前には5人、戦後には7人のノーベル賞受賞者を輩出している。
日本史と密接に関係のある人物では、リヒャルト・ゾルゲが卒業生である。

ノーベル賞受賞者の数だけでいえば、日本に、キール大学に匹敵する大学は存在しない。
しかも、このキールは、大都市ではなく、人口わずか24万人の港湾都市なのである。
これまで、最も人口が多くなった時期でも30万人を少し超える程度だった。

フィヨルドの南端に位置するキールは、天然の良港を擁し、バルト海の要衝である。キールと北欧を結ぶ大きな定期便のフェリーが港に姿を見せていた。
 北ドイツ
というよりも
 北欧への入口
という趣が深い。

近代において、キールは
 軍港
として発展した。第一次大戦、第二次大戦、いずれでもキール港は重要な役割を果たした。そのため、第二次世界大戦の後半には、徹底的な爆撃によって旧市街地は瓦礫と化した。
ドイツの街では、よく
 ドレスデンの復興
が知られているが、ここキールも同様に破壊され尽くした旧市街地を、戦後、瓦礫から復興したのである。知らないで通ると
 古い建物の建ち並ぶ旧市街地
が拡がっているが、これらはいずれも復元・再興された建物なのだ。

当然ながら、
 キール大学も大きな被害
を受けた。
しかし、いま、キール大学の古いキャンパス周辺には
 元々あった大学附属の博物館
が建ち並んでいる。もちろん、これらも戦後再び作り直されたものだ。今回は
 Medizin- und Pharmaziehistorische Sammlung(キール大学附属医薬史博物館 Brunswiker Str. 2, 24105 Kiel, Deutschland )
 Zoologisches Museum der CAU(キール大学附属動物学博物館 Hegewischstraße 3, 24105 Kiel, Deutschland )
 Kunsthalle zu Kiel(Düsternbrooker Weg 1, 24105 Kiel, Deutschland. 古代美術博物館を併設)
 Botanischer Garten Botanischer Garten Kiel der Christian-Albrechts-Universität zu Kiel(キール大学附属植物園 1665年の大学創立当時から計画される。現在は移転し規模を拡大)
を参観した。そこで痛切に感じたのは
 文化に対する投資の厚さ
である。

たとえば、植物園。自慢の温室はいくつかに区画され、それぞれの部屋は、温度と湿度とが厳密に管理され、植生にあった環境が再現されている。温室は維持管理に金の掛かる施設だが、それだけでなく、コレクションも充実している。
Bg3
俗に
 100年に1度だけ花が咲く
といわれてるアガベ。もちろん100年よりは短い期間で咲くのだが、花が咲くと本体は枯れてしまう。上の茶色いぽよぽよしたものが花。なんという幸運。
Bg1
キール大学附属植物園の誇る多肉植物コレクションの1部。デカいサボテン。
Bg2
これも多肉植物。多肉植物マニアが迷い込んだら、喜びの余り死ぬんじゃないかと思うような充実したコレクションが展開されている。
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オオオニバスと人の背丈より高い蓮。東大寺の大仏さんの前に金色の蓮が飾ってあるが、大きさは似たようなモノ。花が咲いた姿を是非見たかった。

温室内では、鳥や亀なども飼育されていた。

もちろん、温室外にも植物園は拡がっている。世界中から集められた植物が、大陸ごとに分けて植えられている。高山植物(北ドイツなら余裕で低地で高山植物が栽培できる。北海道でも可能)の庭もあれば、水生植物の庭、木本の庭などが展開されている。植物園全体に一体いくら掛けているんだろう!!!

植物園だけではない。
古代美術博物館は、
 かつて、古典研究のために19世紀に発掘したギリシャ・ローマの彫刻や壺
が並んでいるのだが
 一部は石膏のレプリカ
に代わっている。恐らくは
 第二次世界大戦の後半の爆撃
によってオリジナルが粉砕されたために、こうしたレプリカが元のように置かれているのだろう。たとえレプリカだったとしても、一見して
 ギリシャ・ローマの彫刻や壷絵の変遷を理解出来る展示
であり、キュレーターの腕が冴え渡る。
しかも、これらの展示物は
 キール大学の古典研究室が自前で発掘したもの
のようだ。
 ギリシア・ローマの発掘
って、それだけでも物凄く資金が必要なんだけれども、一体戦前のキール大学はどれほどこうした発掘を援助したのだろう。そして、これら考古学的成果は、単なる美術史的遺物なのではなく
 ギリシャ・ローマ研究
に用いられたのである。

後で詳しく書くけれども
 動物学博物館

 子どもを連れて行くと、たぶん動物学の虜になる展示
が犇めいていた。

歴史と文化を守るために、潤沢な予算が与えられている。
それがキール大学附属施設を見た感想である。

富は文化と歴史に奉仕する。

日本では
 文化や歴史は「富のアクセサリー扱い」
だが、ドイツでは
 文化や歴史の方が富より遥かに重要
なのだ。
そして、キール大学は、単に博物館が充実しているだけではない。先端的な研究も盛んに行われている。

人文系が消滅の危機にある日本と、歴史と文化を瓦礫から再興して維持するドイツ、かつて
 東西の経済大国
と謳われた2つの国は、21世紀になって、かくも大きな格差を見せている。

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2017-07-03

偽史の作られ方

パソコン草創期の人達は、まだ生きている。
インターネット草創期の人達もそうだ。
商業化以降の日本のインターネットの状況なんて、まだ「歴史」というのはほど遠い。
でも、着々と
 「商業化以降のインターネットの偽史」
は作られている。
理由は簡単だ。
1. 商業化以降のインターネットについて「書き手」が若い
2. 2ちゃんねる以前をそもそも「知らない」
3. 2ちゃんねる以前を知らなければ、商業化以降のインターネットの人の出入りの意味が分からない
4. 「書き手」が若い上に、それを「審査」するおじさん・おばさんの「ネット親和力」がそもそも低い
5. 両者が、インターネット商業化以降の作られた「偉人伝」を批判できないまま、鵜呑みにして「論文化」しているor「論文」を容認している
6. 結局、こうしたゴミみたいな「論文」だけが残る←今ココ
だ。
パブ記事と、そうでないものの区別がつかないまま、
 商業インターネット偉人伝

 論拠
として、論文が生産される。
わたしのように、古くからネットにいる人間は笑っていられるけれども、
 その内、わたしたちのようなネットの古代民は死に絶える
わけで、
 書かれた偽史が横行
するだろう。

いや、凄いんですよ、ほんとに。

ネットジャーナリズムが未熟なのもあるけれども、何より問題なのは
 すべてにおいて、専門的な書き手の数の絶対値が少ない
ことだ。
80-90年代の『月刊アスキー』の筆者程度の実力と見識があれば、まともなのだが、そういう人は
 学術論文などという金にもならない文章は書かない
からな。

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2017-01-29

「云云」と書いて何と読む? 余聞

現代日本語で
 云々
と書いてあったら
 うんぬん
と読むのだけれども、その話を聞いて思い出したのが
 『史記』封禪書
だ。
 封禅(ほうぜん)
とは、中国の帝王が行った
 とんでもなく大規模な祭祀
である。吉川忠夫先生による『世界大百科事典』の定義より。


中国の帝王がその政治上の成功を天地に報告するため,山東省の泰山で行った国家的祭典。〈封〉と〈禅〉は元来別個の由来をもつまつりであったと思われるが,山頂での天のまつりを封,山麓での地のまつりを禅とよび,両者をセットとして封禅の祭典が成立した。

もともとは、
 山頂で「封」、山麓で「禅」の祭
を行っていたのだが、その後両方を
 泰山で行う
ことになった。上記記事は次のように続く。

封禅説の成立は戦国末以後のことであって,それには方士が深くかかわっていたものと考えられる。史実として確認できる最初の封禅は秦の始皇帝28年(前219)に行われたそれであり,つづく漢の武帝の元封1年(前110)に行われたそれによって詳細が明らかとなる(略)その後,後漢の光武帝,唐の高宗や玄宗,宋の真宗たちも莫大な国費を投じて封禅を行った。

で、

泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説

という封禅を行うことが、
 中国皇帝の見果てぬ夢
となった。

で、
  『史記』封禪書
には、春秋時代の知恵者、斉の管仲が述べた
 過去の帝王が封禅の祭を行った山の名前
が列挙されている。管仲は、これまでに72人の帝王が封禅の儀式を行ったけれども
 名前を覚えているのは12
として、封禅を行った帝王と祭を行った山の名前を挙げていくのだが、


無懷氏封泰山、禪云云虙羲封泰山、禪云云神農封泰山、禪云云炎帝封泰山、禪云云、黃帝封泰山、禪亭亭。顓頊封泰山、禪云云帝俈封泰山、禪云云封泰山、禪云云封泰山、禪云云、禹封泰山、禪會稽。封泰山、禪云云、周成王封泰山、禪社首。

無懐氏以下9人の古の帝王が、
 云云山で禅の祭を行った
と言っている。
「云云」は、山の名としては
 うんうんさん
であって、
 うんぬんさん
ではないらしい。

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2016-11-28

TBSドラマ「JIN=仁」にも登場した 「日本近代化の原点」長崎市の「精得館」遺構を発掘抜きで破壊して建てられる小学校で教師は子ども達に過去と未来を教えられるのか 「精得館」遺構破壊の危機 せめて着工前に「緊急発掘」を!

TBSで人気を博したドラマ
 JIN=仁
の故地として紹介されている一つが
 長崎の精得館
である。


『精得館』(現・長崎県長崎市西小島1丁目7-1付近)
1857年(安政4年)、幕府から医学教授を依頼されたオランダ人医師・ポンペが設立した『医学伝習所』(松本良順らもここで学んだ)と、その後1861年(文久元年)に併設された養生所(病院)が統合され、1865年(慶応元年)に改称されたのが『精得館』である。それまでにも多くのオランダ人医師が来日し、個人的に医術を広めるというケースはあったが、幕府の組織として本格的に学校と病院が建立されたのはこれが初めてのこと。ポンペの帰国後は、同じくオランダ軍医のアントニウス・ボードウィンが医学所で教鞭を執っていた。
明治期になってからは『長崎府医学校病院』と改称され、現在の『長崎大学医学部』の前身となったとされる。

この解説で抜けているのは
 1. 精得館は、近世日本で初めてベッドサイド教育(入院患者による臨床教育)を行う、付属病院を併設した医学校として発足
 2. 精得館には、医学校・付属病院の他に、近代科学を教育する「分析窮理所」も併設された
という2点である。まさに
 日本近代化の原点の地
なのだ。
そして
 精得館は後に大阪に移転して、京大のルーツの1つである大阪舎密舍となった
のである。つまりは
 精得館は、医学や化学・物理を含む日本の近代高等教育の原点
であり
 今に続く日本の大学を胚胎した施設
だったのだ。精得館の分析窮理所に招かれたオランダの化学者
 ハラタマ(Koenraad Wolter Gratama 1831-88)
は、
 日本最初の理化学教師
であり、
 系統的に化学と物理を教えた
のだった。

さて、上のリンクを辿ると、現在「精得館」遺構は、長崎市立佐古小学校の中にある
20161128_60930
ことが分かる。

長崎でも
 少子化の進行で小学校の統合
が進んでいる。そのため
 佐古小学校も近隣の小学校と統合され、統合される新小学校校舎は佐古小学校跡地に建設
されることが決まった。問題は
 佐古小学校は、奇跡的に「精得館」遺構を保存して建っている点
である。

普通の自治体であれば
 佐古小学校の下に埋まっている「精得館」遺構の調査をしてから、新たに小学校を建設するか、あるいは他の土地に小学校を建設し、「精得館」跡を「近代化遺産」として整備
しようと考えるだろう。大抵の自治体では
 文化財は教育委員会が扱う
からだ。ところが
 長崎では「文化財は観光関連部署が扱う」
とかで
 精得館遺構に興味を持たない上に何の価値も見いださない
らしく、
 建設前の「緊急発掘」は行わない
のだという。いや、凄すぎて俄には信じられない。

わたしがこの事実を
 11月13日に大阪市立大学医学部で開かれた「日本医史学会関西支部」の学術大会
の席上
 長崎大学の相川忠臣先生のご発表
で初めて知った。
実を言うと、恥ずかしいことに
 「精得館」はもう跡形もなくなっているだろう
と勘違いをしていた。
長崎大学図書館の「日本古写真ボードインコレクション」には
 6152 星取山からの長崎港鳥瞰
という1枚のパノラマ写真が収められている。1864年、長崎の医学校に赴任したボードインが撮影させた写真である。この写真の右手に分析窮理所(右)・医学所(中)・養生所(左)が写っている。その部分を拡大する。
20161128_64155
 この全ての遺構
が、現在の佐古小学校の下に埋もれているのだが、相川忠臣先生のお話では
 精得館の外構の石垣も、奇跡的に保存されている
のだそうだ。
相川忠臣先生のスライドより。
Img_3147_2
これを見ると
 新小学校校舎は精得館遺構を破壊しないと建設できない
ことが分かる。そして
 緊急発掘の予定は全くない
というのだ。

この1、2ヶ月で
 精得館の遺構が完全に破壊されるかどうかが決まる
とのことだった。

遺構は、一度破壊されてしまえば、永遠に失われてしまう。

果たしてどうなのだろう。
 日本近代化の原点の地を碌な発掘もせず、永遠に破壊して建設される小学校で学ぶ子ども達
に、新小学校の教師達は
 胸を張って、過去と未来を教えることが出来る
のだろうか。

小学校を建て直すな、とは言わない。せめて
 精得館の遺構を緊急発掘して、日本近代化の原点の地を後世のために記録
して欲しい。そして
 新小学校で学ぶ子ども達

 自分達の学校が、現在の日本に繋がる近代教育胚胎の地に建っているという誇り
を持って欲しい。

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2016-10-18

滋賀県彦根市稲部遺跡から3世紀の大規模な鍛冶工房跡や大形建物跡みつかる 邪馬台国の時代の国の1つか

琵琶湖の東岸にある滋賀県彦根市の稲部遺跡から
 3世紀の大規模な鍛冶工房跡や大形建物跡
が見つかった。3世紀といえば、中国では後漢から三国時代、つまり
 邪馬台国の時代
にあたる。京都新聞より。


古墳前期の超大型建物跡出土 滋賀・彦根の遺跡、クニ中枢か

 滋賀県彦根市教育委員会は17日、同市稲部町と彦富町にまたがる稲部(いなべ)遺跡から、古墳時代前期前半の超大型建物と、弥生時代終末から古墳時代初頭の鍛冶工房群と思われる竪穴建物が出土したと発表した。祭祀(さいし)都市・政治都市としての面と、工業都市の面を併せ持つクニの中枢部と考えられ、「魏志倭人伝」に記述のある「三十国」の手掛かりとなるとの見方もある。同市教委は「ヤマト政権成立期に、近江の巨大勢力の存在を物語る大集落。日本のクニの成り立ちを考える上で重要」としている。
 超大型建物は南北16・2メートル、東西11・6メートル。柱穴は直径1・5メートル、柱の太さは同30~40センチとされる。面積が188平方メートルあり、古墳時代前期のものとしては邪馬台国の候補の一つとされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の238平方メートルに次ぐ国内屈指の規模という。北側に柵を伴っており、首長や豪族の居館の一部か、貴重な物を収めておく巨大な倉庫の可能性がある。

 鍛冶工房群は、弥生時代終末から古墳時代初頭にかけての竪穴建物で長さ3・5メートル~5・3メートルの方形。23棟から鉄片や鉄塊が大量に出土し、鉄製の矢尻も2点出土している。鉄片などの総量は約6キロに達し、国内でこれだけの鉄片が出土した例はなく、この時期では国内最大規模の鍛冶工房という。炉跡を示す面的な焼土は認められなかったが、台石や敲石(ハンマー)も出土しており、武器や工具などの鉄器生産を専業的に行っていた可能性が高い。

 鍛冶工房が稼働していた時期に、工房に隣接する独立棟持柱の大型建物も出土している。建物は、当時の最先端技術である鉄器の生産を管理するための、集落の中心的な施設だったと考えられるという。

 このほか、古墳時代前期前半の独立棟持柱建物それ以降の倉庫と見られる総柱建物も出土した。

 現場はJR稲枝駅の西北約300メートルの水田。22日午後1時半から現地説明会を開く。問い合わせは同市教委文化財課TEL0749(26)5833。

■稲部遺跡 弥生時代後期-古墳時代中期の大規模集落遺跡。旧愛知川流路の2河川に挟まれた微高地で、直径500メートル規模と推定される。これまでの調査で竪穴建物180棟以上、棟持柱建物2棟、青銅器の鋳造工房などが出土している。1981年から調査が始まり、第7次まで約7千平方メートルを発掘した。

【 2016年10月17日 23時00分 】

極めて大規模かつ生産活動が活発に行われていたことが推察できる鍛冶工房跡と、纏向遺跡の大形建物に次ぐ大きさの建物跡が見つかった。

現説の案内。彦根市教育委員会より。


平成28年度「稲部遺跡発掘調査現地説明会」の開催について
彦根市教育委員会では、市道芹橋彦富線・稲部本庄線道路改良工事に伴う発掘調査を実施しています。

平成25年度から実施された調査で発見されたのは、2世紀から4世紀(弥生時代後期中葉から古墳時代前期)の大規模な集落跡です。

稲部遺跡が最も栄えた時代は、3世紀前半、弥生時代から古墳時代へ移り変わる時代、つまり、邪馬台国と同じ時期にあたります。

中国の歴史書『三国志』『魏志倭人伝』には、このころ、倭(=日本)は、100くらいの国に分かれていたとあります。おそらく、稲部遺跡も、この国々の一つの中枢部だったと思われます。

稲部遺跡からは、180棟以上の竪穴建物に加え、王が居住するにふさわしい大型建物、独立棟持柱建物が発見され、当時、保持することが勢力に大きな影響を与えた鉄器の生産が行われた鍛冶工房群、青銅器の鋳造工房も発見されています。祭祀都市・政治都市であるうえ、工業都市でもあった稲部遺跡は、ヤマト政権成立期における近江の巨大勢力の存在を物語る大集落です。

現地説明会では、この「イナベのクニ」とでも呼ぶべき遺跡の内容と、近隣にそびえる国指定史跡荒神山古墳へのつながりについても、調査担当者がお話しします。彦根市が誇るべき、大遺跡の調査を体感できる貴重な機会です。ぜひ、ご参加ください!

開催日 平成28年10月22日(土)
午後1時30分から午後3時まで(小雨決行)
(中略)
備考
※現地の駐車可能台数には限りがございます。できるだけお乗り合わせの上、お越しください。
※公共交通機関を利用される場合には、JR稲枝駅で下車していただいて徒歩10分です。
※平成28年10月27日から平成29年3月24日の期間中、稲枝地区公民館において、「稲部遺跡群の発掘調査-邪馬台国時代の近江の巨大勢力-」として展示を行いますので、ぜひともご覧ください。

地図(駐車場・集合場所等)
Map3

22日に現説だが、時間が1時間半と短いのでご注意を。

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2016-09-02

直前告知 奈文研で明日奈良文化財研究所・英セインズベリー日本藝術研究所共同講演会

直前告知の形で
 奈文研から明日の講演会の案内
が来たので、転載しておく。
--
2015年12月22日、奈良文化財研究所は英国セインズベリー日本藝術研究所との 共同研究に関する協定を締結しました。協定は、日本考古学の国際的研究の推進事業 を共同して実施することを目的としたものです。この度、上記の協定締結後、国内初めての講演会を以下のとおり開催いたしますのでご案内差し上げます。
なお、直前のご案内になり、誠に申し訳ございませんが、是非とも足をお運びください。
よろしくお願いいたします。

【日 時】
平成28年9月3日(土) 14:00〜17:00
【場 所】
奈良市佐紀町 平城宮跡資料館 講堂
 (近鉄西大寺駅下車 東へ徒歩10分)
<専用駐車場はありません。公共交通機関でお越しください。>
【定 員】250名
【主 催】奈良文化財研究所・セインズベリー日本藝術研究所
【演題と講演者】
◎「加速化する日英の文化財交流」
  サイモン・ケイナー
  (セインズベリー日本藝術研究所 考古・文化遺産学センター長)
  Dr Simon Kaner (Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures)
 ◎「進化か革新か?考古科学が明かすユーラシア最古の冶金」
  ミルヤーナ・ラディヴォイェヴィッチ
  (ケンブリッジ大学 研究員)
  Dr Miljana Radivojevic (University of Cambridge)
  (通訳:庄田慎矢)
 ◎「土器に残された油脂の考古生化学〜日本・朝鮮半島・中国・ヨーロッパ、それぞれの新石器」
  庄田 慎矢(奈良文化財研究所 研究員)
  Dr Shinya Shoda (Nara National Research Institute for Cultural Properties)
事前申込み不要・入場無料
【お問い合わせ先】
奈良文化財研究所 都城発掘調査部 神野 恵
Tel 0742−30−6832(当番室長室)
--
申込不要なので、是非。

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2016-07-08

国立公文書館の英断 今年度から土曜開館・月曜閉館に変更(但し7/9(土)は休館)

先日、上京して都内で、と言っても多摩でだったが、開かれた研究会に参加した。
土曜日が空いてたので、どこかに調査に行きたかったのだが、貴重書を含む調査だと
 土曜日は利用出来ない機関が多い
のだ。さて、困ったな、と
 国立公文書館
のサイトを見たところ、何と
 今年度から、土曜日開館・月曜日休館に変更
されているではないか! もうこれは行くしかない。
なお、残念ながら、今週の土曜日7/9は臨時休館。館員の方が申し訳なさそうに、
 7/9休館
のお知らせを手渡していた。


閲覧室のご利用案内
■開館時間
午前9時15分から午後5時まで
ただし、閲覧室への入室は、午後4時30分まで

休館日
東京本館
 日曜日、月曜日及び祝日
 年末年始(12月28日から翌年の1月4日まで)
 その他法令により休日に定められた日

やたらと暑い日だったが、竹橋で地下鉄を降りて、毎日新聞東京本館の下に出、橋を渡って、国立公文書館を目指した。
入ってまず吃驚したのが、受付の変化だ。
確か、以前は
 受付の守衛さん
に断ってから、2階の閲覧室に行くシステムだったと思ったが、
 1階の受付に館員を配置
している。何がありがたいかといえば
 受付に館内のシステムを熟知している館員がいる
ことで
 国立公文書館がどういう機関で何が置いてあるかが分からないでやって来る人々

 迷わずに済む
点である。この改善だけでも
 国立公文書館、やる気じゃん
と分かる。受付の館員の方が
 今年から、土曜開館になりました!
とニコニコしながら仰る。随分、マン・マンインターフェイスが改善されたなあ。
土曜開館は、確かにありがたい措置だ。国立公文書館の利用者の結構な部分を占める
 大学関係の研究者

 土曜しか空いてないヒト
が増えているしな。そうなった理由の1つは、近年
 大学では半期15回の授業回数をクリアしなくてはいけない
ことになっていて、なおかつ
 月曜日は振替休日
になることが少なくないため
 授業日数が不足しそうな場合は、振替休日の月曜補講
ということが多い。一方で、
 休日休館が原則の国立公文書館
では、月曜が振替休日になると
 土日月は三日続けて休館
ってことになってしまっていたのよね。かくして
 利用したい研究者と利用して貰いたい国立公文書館の双方の日程的な「ミスマッチ」
が起きていたのは事実だ。いくら国立公文書館であったとしても
 利用者の減少
は、昨今の世知辛い御時世、
 機関の存続や、館員配置の問題に直結
するだろう。

久しぶりに来たので、利用者登録のやり方も変更されていた。新しい利用者カードを作って貰う。

国立公文書館の魅力は
 公開されている資料は、その場で撮影できる点
にある。かつて
 江戸城の紅葉山文庫や湯島の昌平坂学問所、江戸医学館等にあった蔵書の一部
が、国立公文書館の
 内閣文庫
に収められているのだが、普通書扱いなら、即日書庫から出して貰って、持って来たデジカメでばしばし写真を撮れちゃうのである。
また、江戸城の多門櫓に収められていた各種公文書を集めた
 多門櫓文書
は、
 生きた歴史の宝庫
である。これも、出して来て貰って
 ばしばし撮影できる
のだ。
1度に出庫してもらえる文書や書籍は5点。だいたい、出庫に30分程度かかるので、その時間も計算に入れて調査するのが原則だ。

4時過ぎに帰ろうとしていたら
 初めてやってきたおじさん
が、いきなり2階に来ちゃったらしく、1階の受付で手続するように言われていた。でも、
 5時で閲覧終了
なので、いくら何でも、4時到着はぎりぎり過ぎる気がするぞ。たぶん、
 出庫にどのくらい時間がかかるか
も、見当が付いてないんじゃないかな。

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2016-06-26

平成28年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の審査結果より医学史関連

科研の出版・データベース助成、平成28年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の審査結果が発表された。
 平成28年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の審査結果
この中から医学史関連のものを拾ってみた。医学史は、所謂「細目」がないので、応募時は智慧を絞らないといけない。


学術図書
16HP5140
東京大学大学院総合文化研究科 学術研究員 石垣 千秋
医療制度改革の比較政治 石垣 千秋
和 A5 448頁
(有)春風社
1,600,000円

16HP5274
帝京大学 薬学部 非常勤講師 木下 武司
和漢古典植物名精解 木下 武司 
和 A5 1088頁
(有)和泉書院
3,300,000円

重点データベース
15HP7007
近現代ハンセン病資料アーカイブス
委員長 森 修一
近現代ハンセン病資料アーカイブス
(略称)ARCHHDJP
1,600,000円
社会医学及び社会学

一般データベース
16HP8045
(略称)DDM
2,300,000円
近代医学の黎明デジタルアーカイブ作成委 員会
委員長 濵嶋 信之
近代医学の黎明デジタルアーカイブ
医学史及び医療史

さて、この内、期待が大きいのが
 帝京大学薬学部非常勤講師

 木下 武司氏
の巨冊
 和漢古典植物名精解
だ。なんとA5で1088頁。
しかし、受けた出版社は
 和泉書院
という、
 純人文系出版社
だ。こうした
 植物名等、一文字でも間違うと全く違うものを指すことになりかねない題材
については
 校正が命
果たして
 校正が行き届くかどうかが勝負
だ。がんばれ、和泉書院。

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2016-02-18

Twitterで #仲尼弟子72総選挙 開催中 #推し論語 も同時開催(加筆あり)

Twitterを眺めていたら
  #仲尼弟子72総選挙

  #推し論語
という
 中国古典クラスタハッシュタグ
を発見。

仲尼、すなわち孔子の弟子の内、主だった者達を
 七十二子
などと呼ぶけれども、その内
 一番人気の弟子を選ぶ
という趣向。


まだまだ投票は続いているので、
 この弟子をセンターに!!!
という熱い思いをお持ちの『論語』読みの皆さん、是非投票を。

#推し論語の中間集計。がうさんが纏めて下さった。



こちらも、まだ募集中なので、是非是非
 これこそオレの『論語』だ
と思われる『論語』の推薦を。

わたしの推し弟子は、「公冶長」篇と篇名にもなっている、
 子謂公冶長、可妻也。雖在縲紲之中、非其罪也。以其子妻之。
の公冶長(子長)、推し論語は、
 鄭注論語
ということで。

続き。(2/19 20:40)
 #推し論語
の方は、投票終了。tkucwnさんによって、こちらに纏められている。
あなたの #推し論語 は?

tkucwnさん、ありがとうございます。

一方、今度は
 #推し日本人中国学者故人縛り
という、かなり専門的なハッシュタグが登場。こちらは、これからかな。

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