時代劇で徳川将軍御前の臣下の所作がほとんど大嘘な件
国会図書館デジタル化資料エラい。
必要があって、江戸幕府関連のことを調べているのだが、『德川制度史料』をブラウズしていたら
将軍御前に直々に召された時の臣下の所作
について、
勝海舟が一肌脱いだ
という記述を見つけた。
將軍夫(ソレ)ヘトノ御言葉之事
御用有之御前ニ召サレタル者、御座之間ノ前ニ着座平伏スレバ、將軍夫(ソレ)ヘト御言葉アリ、近ク夫ヘ進ミ出デヨト、特ニ座ヲ賜フモノナリ、此時當人ハ、只ダ身ヲ起シ、匍匐膝行「進マントシテ能ハザル狀ヲ爲シ」、身體ヲ少シク左右ニ蠢動スルノミニテ、元ノ座ニ在リテ御用ヲ辨ズ、是レヲ御前ニ於ケル古來ノ習禮ト爲ス
晩近勝安房守義邦(海舟)御前ニ召サレタル時、此ノ御言葉ヲ拜シ、乃チ起(タ)チテ進ミ出デントス、大目付御側用人等大ニ驚キ「シツ、シツ」ト之ヲ制止ス、御用了ツテ後チ安房ヲ別室ニ呼出シ其異例ヲ責ム、其意蓋シ安房ヲ謹愼ニ處スルニ在り、安房却テ反問シテ曰ク、御上ヨリ夫ヘトノ御言葉アリ、近ク進ミ出デ國家ノ御大事ヲ言上セントスルニ之ヲ制止セラル、理由如何
今、天下累卵ノ危難ニ際セリ、此時ニ當リ、舊習禮ヲ墨守ス、私ハ德川幕府ノ御爲ニ深ク之ヲ悲シムト、大目付却テ究ス、自是之後、此ノ匍匐蠢動ノ舊習禮廢セラル (織田[和泉守]重信氏談 當時大目付タリ)
何か特段臣下に尋ねたい儀がある、と言うとき、将軍が臣下を呼び出す。
時代劇等では、将軍から
それへ
と言われたら、
ははっ
とか答えて、まず顔を上げ
近う
とか言われると、
今ひとつ側によって言上
したりするわけだが、
実は勝海舟のこの進言が通る以前なら大嘘
ってことだね。
実際には
それへ
と言われたら、
身体は起こすけれども、その場で左右に少し身体をもじもじとさせる位
で、
その場でそのまま、お答え申し上げる
のが
作法
だった。
勝海舟が呼び出された時期は幕末、幕府は傾き、もう失地回復は難しいところまで来ている。無作法を咎めようとした大目付達を、海舟が
お召しにより御前に伺い、「それへ」という将軍の御言葉に従って、お近くに進み出て、国家の一大事について言上申し上げようとするのを、制止なさる理由をお聞かせ下さい。
今は国家存亡の危機にあるのに、そんな古くさい習慣を墨守するとは悲しいことでございます。
と、一喝して沙汰止みになったのだ。
それより以前では、
直接将軍の前に進み出て言上する
というのは許されない暴挙であったわけで、現実には起こりえなかった。
ところが時代劇では、
正しい幕府に於ける礼儀作法通り
に演出すると、
絵面としてはつまらない
から、
史実とは全く違う極「フランク」な君臣関係
が出てきてしまう訳ですな。
で。内々に話をと呼び出されたそんなに身分の高くない臣下が
お人払いを
というのも、実は
家茂以降に行われた
というのが、その後の記事に見える。
御人拂之事
後、世局旣ニ改リ、家茂公ノ時ニ至リテハ、御前御人拂ニテ、唯一人將軍ニ相對シテ、機密事ヲ親シク言上スルコト行ハル、松平大隅守信敏ノ如キモ御人拂ヲ申立テ時ニ意見ヲ言上セシコトアリト云フ、
他、要路ノ人亦固ヨリ此事アリ、是レヲ召出シト云フ 松平信敏氏談
で、この「お人払い」をしなくてはいけない密議が「要路の人に行われた」場合は
召出
といって、これまた別にやり方があった。それはその後の記事に見える。しんどくなったので、翻字省略。
ただ
お人払い
と言っても、言上が済んだら、老中の部屋に寄って、
ただいま次のような事を言上申し上げました
と、内容をかいつまんで報告する必要があった。
江戸城は
人人人で手厚く管理されている場
だから、そうそう
将軍と秘密の話をサシでする
なんてことは出来なかったし、それが出来るとしても
身分の壁があった
わけですね。
ま、時代劇なんていうのは
庶民の夢を実現する架空の場
だから、
史実通りじゃなくても全くOK
ではあるのだけどね。
それに
実際に江戸城に配置されていた人員を再現
すると
必要になる出演者の数が膨大になる
ので、
かなり省略して演出している
ってことですね。要するに
江戸城の官僚機構は今から見るとアホらしいほど冗長かつ豪勢に人を使っていた
って話。到底
予算の限られた撮影現場では再現しようがない
わけだ。
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