2009-11-13

杏雨書屋特別展示会・研究講演会@大阪

明日11/14は、武田製薬の誇る医学史・薬学史研究の拠点「杏雨書屋」の
 研究講演会
が開かれる日だ。合わせて現在、大阪十三にある杏雨書屋では
 敦煌出土の貴重書を含めた中世以前の本草書の展示
が行われている。
杏雨書屋からのアナウンス。


杏雨書屋特別展示会・研究講演会ご案内(PDF)

第 53 回特別展示会および第 24 回研究講演会を下記の要領にて開催いたし ますので、ご来場賜りたくご案内申しあげます。

第53回 特別展示会
テーマ:「和漢の本草書 ―中世以前の写本と刊本―」
日 時:2009年11月9日(月)~13日(金) 10:00~16:00
        14日(土) 10:00~17:00
場 所:大阪市淀川区十三本町2-17-85 武田科学振興財団 杏雨書屋 2階展示室
* 龍谷大学図書館ご所蔵の敦煌本『本草集注』、杏雨書屋所蔵の敦煌秘笈『新修本草』や 弘治本『本草品彙精要』などの秘籍をはじめ、多くの貴重書の展示を予定しておりま す。

第24回 研究講演会
日 時:2009年11月14日(土)13:00~15:00
場 所:大阪市北区中之島5-3-68
リーガロイヤルホテル 2F 山楽の間 TEL (06)6448-1121
演題・講師
I 敦煌と『新修本草』―なぜそこにあったのか
新潟大学人文社会教育科学系 助教 岩本 篤志 先生
II 敦煌本『本草集注』について
龍谷大学名誉教授 上山 大峻 先生

* 準備の都合がございますので、研究講演会ご出席希望の方は 11 月 12 日(木)までに TEL、FAX、葉書、E-mail などにてご連絡をお願いいたします。
T E L : 06-6300-6815
F A X : 06-6300-6034
E-mail: kyou@takeda-sci.or.jp
住 所 : 〒532-8686 大阪市淀川区十三本町 2-17-85
武田科学振興財団 杏雨書屋

以上

講演会の方はもう参加を締め切っているけど、展示は誰が行っても大丈夫。実に貴重な書物を目近に見られるチャンスだ。

今回、講演をされる岩本篤志さんは、ご自身のblog"Marginal Notes & Marginalia"で、展示の目玉について紹介されている。


新収 典籍逍遙 ほか ― 2009/11/05 18:36
(略)
ついに「敦煌秘笈」本が公開される。今回、展示される「敦煌秘笈」本は『新修本草』序例だけだが、蔵経洞から持ち出され、ほとんど人目にさらされないまま100年経過したコレクションの一端が公開される意義は大きい。李盛鐸旧蔵本を中心とし「最後の宝蔵」といわれたこの敦煌文書のコレクションがこれからの敦煌研究に与えるインパクトの大きさを確信している。

講演も展示も大変に楽しみ。

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2009-11-02

宋学が嫌い

何が嫌いと言って
 宋学
が一番嫌いだ。漢学はインド学の基本的手法と馴染みがよいので抵抗なく受け入れられるのだが、どうしても宋学は好きになれない。朱熹が嫌い、というのが大きい。

十数年ぶりに、宋学の勉強をしなくてはならなくなり、頭を抱えつつ、作業をこなしている。別にそこまで頑張らなくてもよい仕事なのだが、気になり出すと止まらない性格が災いしている。書庫にあった
 小島毅『宋学の形成と展開』創文社
をめくっていると
 五峯集
とか、邵雍とか二程全書とか、昔見たような書目とか、一度めくったことのあるフレーズとかがバラバラ出てくる。たしかに大学院のゼミで
 朱子語類
を読んでいたわけだから、この辺りは覚えてないといかんのだが、嫌いなモノはすぐに忘れるタチなので、昔の不勉強を今に悔いつつ、勉強のし直しをしているところだ。書庫には『宋元学案』も『明儒学案』も揃っているからな。

小島毅のこの本は
 宋学の祖が周敦頤で、周敦頤が『太極図説』を二程に授けたという伝説はウソである
ということが書いてあったりする。みんな
 朱熹の道統論にダマされてるんだ
という主張なのだが、まあな、朱熹だからな。

朱熹が嫌いといっても
 詩集伝
は嫌いではない。やっぱり
 朱子語類
に出てくる「朱子」が気に入らないのである。仏教の論理学の方法を使って、あれこれ言ってくるのが透けて見えるので、とてもじゃないけど好きになれないのだ。この
 気持ち悪さ
は、仏教を先にやってたから感じる気持ち悪さであって、たぶん大方の中国学研究者は気にならないだろう。

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2009-10-15

恩師から電話を頂く

はまりまくった論文の校正をようやく脱稿して、pdfで送ってほっと一息。
なぜか落ちていた『經典釋文序録疏證』のpdfから、『經典釋文』自序を翻字していたところ、携帯に電話。誰かしら、と思ったら、恩師であった。ひたすら恐縮。
退官(ではなくなったのだが、慣習上、つい退官と言ってしまう)を数年内に控えていて、
 今年は暇になるかと思ったら、全然
だそうで、去年より働かされているとの由。大学へ行くと書類が山をなして押し寄せてくるとかで、
 パソコンで毎日書類作ってるばっかり
だとのお話。文学部にはこうした雑用をこなす
 助手さん
という有り難い存在が以前はいたのだが、とっくに消え失せている。恩師が雑用に時間を費やしているかと思うと、ひたすらもったいないのだが、文科省はそこまで考えてはいないに違いない。有能な研究者が、雑用の山に押しつぶされるのは、日本の文科行政が
 エライ人ほどジェネラリストに
という、まるで研究者の有能さが
 事務処理能力の速度で決まる
ような誤ったシステムを温存して、なおかつ
 国立大学を独立行政法人に移管して「国家公務員を減らす」
という、はっきり言って
 国立大学に死ねと言っているのとあまり大差ないチキンレースを強いている
辺りに問題がある。文科省からすると
 金を稼げない学問は、伝統文化の範疇で処理
したいに違いない。
恩師は、中国の学界からも
 世界に僅かに残っている「伝統文化継承者」
と目されている研究者である。つまりは
 中国哲学の古典を縦横無尽に読みこなせる
ということであり、今や、いくら中国が孔子学院を世界中に建設しようとも、肝心の
 古典を古典として読むことの出来る研究者とそうした人材を育成する研究室は世界でも極限られたところにしかない
のである。そのお一人が恩師ということになる。そうした貴重な人材が、事務仕事に忙殺されるのだから、日本の文科省が
 いかに人材を大事にするという観点に欠けているか
が、分かろうというものだ。

ま、京大も京大で、建学の志を捨て、
 京大の柱の一つであった古典学を冷遇しつつある
わけで、恩師は、以前から
 これからの人達はどうなってしまうのかな
と前途を憂いておられた。

先日、職場で、ある先生に
 文学部なんて何の役に立つんですか
とか凄いことを言われたのだが、実学重視の大学出身だとそう思う人がいてもしょうがないのである。
京大文学部に入って一番驚いたことは、
 文学部の教官は、世界を相手に、堂堂と学問をしている
ということだった。入ったのが、当時「京都学派」と世界の印度学で喧伝されていた印度学の一講座だったことも、その印象を強めたは否めない。
同じ国立でも、北大辺りだと、やはり実学重視の学風があるから
 文学部なんて
という感じがあるけど、京大は
 文学部こそが学問の中心
と信じて疑っていなかった。入試成績でも
 医学部を含めた全学の入試トップが文学部へ入学
したりするのは、珍しいことではなかったのである。
ま、それも過去の話。

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2009-10-12

とんでもないところではまる

今月の頭に締切の論文なのだが、えらいことになってしまって頭を抱えている。
保存処理をしたら、釈読が変わったというので、初校のために手直しをしてるんだけど、
 なんでこんな音注なのか
で、悩んでいる。

で、回り回って
 段玉裁 周禮漢讀考
なんぞを引っ張り出す羽目に陥っている。ううむ、そこまでやる必要があるのか、という気はしないでもないのだが、気がついてしまったので、一応確認だけはしなくてはいけない。段さんは、該当箇所で
 杜子春は毛詩なんか使ってないから、たぶん三家詩がこうなってたんでしょ〜
と気楽にカマしてくれてるんだが、この気楽さがうらやましいぜ。

そもそも
 李富孫 詩經異文釋
をめくっちゃったのが、この悩みの発端である。普通、杜子春が一字をどう読んでるかなんて気にならないのだが、清儒おそるべし。当然、孫詒譲も『周禮正義』でぶつぶつ言ってるわけで、十数年ぶりに『段玉裁遺書』を書庫から持ってきたような気がする。最初は必死に『説文解字注』(こちらはさすがに手元に置いてあるが、『説文解字通訓定聲』は書庫)を捜していたのだが、いくら捜しても出てこないので、
 あ、これは『段玉裁遺書』だ
とやっと気がついたというわけ。清朝考証学から遠ざかること長きにわたったことを歎くのみである。普通は
 段さんが『周禮』でぶつぶつ言ってるなら、まず『周禮漢讀考』だろう
と一瞬で気がつかないといかんのである。ほんまアホやな。

しかし、陳喬樅はええ加減な奴やな。陳喬樅だけ読んでたら、何のことだかさっぱり分からなかった。

はまりついでに、段さんの『毛詩故訓傳定本小箋』『詩經小學』と『春秋左氏古經』もお呪い代わりにめくっておこうっと。

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2009-10-06

本を発掘する

商売道具の本なのだけれども、たぶん家の中にあるだけで1万冊近くあると思う。こうなると、亡くなられた尾崎雄二郎先生が常に仰っていた
 ここにあるのは分かっているが、どこにあるかが分からない
状態になる。
ここ1年以上捜しているのが
 三家詩注
なのだが、全然出てこない。最後に見かけたのは、机の下でだった筈なのだが、どこに行ってしまったのか。捨てることはないから、なくなっていないことは確かだが、肝心の時に出てこない。

ぶつぶつ言いながら、足元の本の山を少し整理したら
 唐大詔令集補編下
が半年ぶりくらいに見つかった。更に中国リプリントの
 唐代の詩人
 李白歌詩索引
 唐代の散文作品
も発掘できた。

持っている本の数に比して、収納スペースが少なすぎるので、
 腐海に沈む
のだけど、これ以上、ここの家が広くなることはないからなあ。さらに
 広韻
も発掘。2部持っているんだけど、普段用の『広韻』である。『広韻』が埋もれている時点で
 最近韻文を読んでない
のが丸わかりである。

しかしわたしの『三家詩注』はどこへ行ったのやら。韓詩を見なくちゃいかんのだが。
ううむ、これは点校本なんかで楽をせず、
 皇清経解・続皇清経解
を、手抜きナシで自力で読め、という神のお告げか?

あきらめて、書庫から三家詩持ってこようっと。

書庫も腐海の親戚みたいなもので、『皇清経解』『続皇清経解』を探すには、本棚の前にある箱をいくつか除けないと出てこない。間抜けなことに、この『皇清経解』『続皇清経解』の付録だった、
 目録
がどこかへ行ってしまった。薄い目録なので、腐海に沈むとあっという間に行方不明になる。
手始めに『続皇清経解』の「詩」を三冊引っ張ってきた。必要なところに付箋を付けて読み進むと、最後のところで
 自分で点を切っている三家詩関係のテクスト
を発見。この点を打ったのは、学部生の頃だったか、院に上がったばかりの頃だったか。その頃は今と違って真面目だったのね。もっとも今でも、点を切るための赤青鉛筆は、ちゃんと筆立てに差してあるし、時々使う。赤で点を切り、青で左側に傍線というスタイルだ。
この景印本は、研究室の先輩から買った台湾リプリントの『皇清経解』『続皇清経解』で、確か15万とかそんな値段で買ったような気がする。

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2009-09-09

中国の視覚障碍者用データベースには古典が満載

ググっていたら、中国の
 中国盲人数字図書館(簡体字)
というデータベースに逢着。視覚障碍者のために、古典を中心にデータベース化してるのだが、他のデータベースと共通のもの以外に、割に変な書物が置いてある。
 『太平御覽』
 『册府元龜』
 『本草綱目』
 『五雑俎』
 『朱子語類』
 『日知録』
 『傳習録』
 『資治通鑑』
 『續資治通鑑』
 『讀史方輿紀要』
 『唐律疏議』
 『貞觀政要』
 『朝野僉載』
『册府元龜』と『續資治通鑑』か。便利な世の中だな。

しかし、視覚障碍者用にこうしたデータベースを用意できる中国と
 視覚障碍者がこんなに気軽にアクセス出来る日本古典の一般公開データベースがない日本
とを比較すると、どっちが先進国なんだ、って話になる。たとえば、国文学資料館は、岩波の赤い大系と呼ばれる、
 古典文学大系のデータベース
を、
 研究者向け
には公開しているが、一般用ではない。
この中国のデータベースは
 画像でない
ところがミソで、
 読み上げソフトなどで(といっても、古典の冷僻字を中国の読み上げソフトが読めるかどうかは謎だけど)利用できるよう、テキストデータで公開されている
ところがエライ。画像で渡されると、テキストからの点訳ソフトとかを使っている、視覚障碍者は読めないからな。たとえば、東大史料編纂所は、大量の史料を公開しているけど、
 テキストデータではなく画像で提供
している。つまり
 画像を見て、手で入力するか、OCRに食わせて出力する手間がかかる
って話だ。

中国のこの視覚障碍者向けデータベースには
 中国国家図書館
が協力している。日本だと国会図書館が近いかな。

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2009-09-07

岩波新書・文庫の値崩れ@amazon

昔々、古本屋の商材の一つに
 絶版の岩波新書・文庫を高値で売る
というものがあった。
 あった
と書いても、今でも
 絶版
とか
 品切れ・再版未定
という白帯をつけて、店頭に並べている古色蒼然たる古本屋もあるのは確かだが、そうした古本屋はその内絶滅するだろう。

最近は
 安く、古い岩波新書・文庫を入手するにはamazon
である。amazonには、
 古本屋がたくさん出店している
のだが、
 1円で売る店
が出てくると、必ず追随する店が出てくる。特に
 昔は売れ筋だったけど、いまは不良在庫になっている岩波新書・文庫の古本
は、一度値段が下がり出すと、あっという間に、最安値帯に何点か、同じ本が並ぶことになる。古本屋にとってはある意味チキンレースだ。

家人の亡くなった父は、
 岩波ファン
という、古き良き教養人だった模様で、有隣堂のカバーの掛かった岩波新書・文庫が、まだ書架に並んでいる。
 岩波新書・文庫が出たら買う
という人達は、だいたい年齢層からすると75歳前後から上だろう。父も生きていたら89歳だ。研究者を志していた時期があったから、岩波の本には思い入れがあったようで、全集やシリーズもこまめに買っていた。
亡き父のような人達は、滅びつつある。

破格値で、岩波新書・文庫をamazonで買う度に、嬉しい反面、複雑な気分に陥る。
 版元品切れで古書価格をつり上げ、新版を出すときは、古書価格が暴落しない値付けで出すのが「岩波商法」
だったわけで、そうしたモデルが崩れた今も、
 同じシリーズや全集の二次・三次出版を繰り返す
昔と同じ商売をしているのを見ていると、
 岩波は、出版不況を乗り切れないのでは
と、危惧する。

岩波には、中学の同期生とか、大学の知人とか何人か就職したけど、彼女たちは一体どうしているだろう。まだ働いているんだろうか。

奈良女の近所に古本屋があるんだけど、ここも、
 昔と変わらない商売の仕方
をしてるので、その内、立ちゆかなくなるんじゃないかと心配している。
 岩波の古典大系・新古典大系の端本の値付けが高い
んだもん。1冊1000円前後で売っているところがある時代に、たぶんついて行ってない。ま、こうした古本屋を利用する人は
 ネットで本を買わない
ヒトなんだろうけど。

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2009-09-03

『医方類聚』人民衛生出版社版の端本を手に入れる

李氏朝鮮の時代に編纂された東アジア最大の医学全書が勅撰『医方類聚』全二六六巻である。あまりに大部であるがために、朝鮮古活字本はたった30部しか作られなかった。時を経た現在、朝鮮古活字本は、
 天下の孤本(世界中にただ一部しか残ってない書物)
として
 宮内庁書陵部
に所蔵されている。『医方類聚』については、真柳誠さんの紹介が詳しい。
 目で見る漢方史料館(56) 現存唯一無二の『医方類聚』初版 宮内庁書陵部に蔵せられる朝鮮古活字本  解説  真柳 誠
 目で見る漢方史料館(58) 喜多村直寛による『医方類聚』の復刊  解説 真柳 誠

現在、わたしたちが利用できるのは、真柳さんが紹介されている
 喜多村直寛の復刊
を元にした景印版や排印版である。で、真柳さんが
 出来が悪い
と断じられている
 人民衛生出版社版(全12冊)の端本
が、東方書店のバーゲンに出ていたので、頼んでみた。頼んだ理由はその価格にある。
 端本が1冊630円
だったのだ。2006年に同じ人民衛生出版社から重刊されているのは、もうちょっと高い。どうせ出来が悪い本なのだから、安いのでいいし、悪い本でも、当たりをつけるのには使える。ま、『四部備用』を自分で直しながら使うのと似ている。
あまり期待しないで、オンラインで購入手続きを取った。

現物は、昨日の朝、届いた。文化大革命後の中国では、それまで押さえつけられていた学術出版が陸続と世に現れた。恐らく、この『医方類聚』もそうした一つだろうと思う。
1980年代初頭の中国の書籍の例に漏れず、粗悪な紙に印刷されていて、精装本でありながら至極軽い造本である。表紙は青灰色の、この時代の書物を知っている人にはおなじみの装幀である。ところどころ、ページを裁断し損なってるので、ペーパーナイフで開けながら読む。
索引は2006年版しかなかったので、それを頼んだ。索引1冊で、端本5冊が買える値段である。

家には80年代のこの手の
 学術出版が許された勢いに乗って世に出た古典医学書
が、他にも何冊かある。その多くは初めて中国に行った89年に、町中の本屋を徘徊して手に入れたモノだ。簡体字横組で、造本も、本文校訂も今ひとつだ。
だが、そうした不十分な書籍が出版されたのには、文化大革命の爪痕が学術界に色濃く残っていたという、血で購われた事情がある。一応
 科学出版なら許してやる
という建前を最大限に生かしつつ、古典を出版する場合には、当局に睨まれないように本文をいじったり、削除したりした営みの表れだろうと理解している。
89年に古典医学書を買い求めたときは、科学史は趣味の一環で、コレクションの一つとして入手しただけだったのだが、ページ数に比して、泣きたいほど軽い本には、当時の中国の研究者達の良心と葛藤とが詰まっている。

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2009-08-30

興膳宏・川合康三『隋書經籍志詳攷』子部醫方

まさかとは思うんだけど、最後のチェックまで
 岡西為人『宋以前医籍考』
を、控えめに言うとほとんど、ぶっちゃけていうと全然参照してなかったような感じがするんだけど。もし、参照していたなら、ああいう訳註にはならない悪寒。
そこらにいたはずの科学史の人に聞かなかったのかなあ。

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2009-08-24

奈良大学図書館に行く

ほとんどの蔵書が
 開架
になっていて、一般市民も利用できる、
  奈良大学図書館
に行ってきた。
目的は『医方類聚』だったんだけど、なんと、探していた
 岡西為人『宋以前医籍考』のリプリント
が『医方類聚』の下に並んでいるではないか!

早速、必要な場所をコピーする。これで仕事がはかどるなあ。

大体、中国専門の学科がない奈良大学では、図書館B1の中国書籍の利用者は、ほとんどいないと思われるので、
 蔵書をせいぜい有効利用
することを心がけている。本は使われてこそ、意味があるからなあ。時々中国書を中心に本を探しに出かけるんだけど、B1の書架の間で、別な人に出会ったことがない。

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2009-08-23

Lester K. LITTLE ed. "Plague and the End of Antiquity: The Pandemic of 541–750" New York, Cambridge University Press, 2008

古代ヨーロッパに終焉をもたらし、中世を招いたとされる
 ユスティニアヌスのペスト
に関する論文集。

一昨日届いた。
これから読む。

国際シンポや共同研究の論文報告というと
 雑多な寄せ集め
という感が強いのが、日本の場合だけど、本書は企画から出版までじっくり時間を掛けており、
 共同研究成果報告のすばらしいサンプル
だ。このレベルの論文集が日本で今後出ることはあるのかなあ。

まだちらちら眺めているだけだけど、それだけでも十分面白い。

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コピーとスキャン

市立図書館から借りてきた本をスキャン。
片方は
 大日本仏教全書 興福寺叢書巻一
で、欲しいのは
 僧綱補任巻一
である。僧綱補任は本文もさることながら
 裏書
というのも収録されていて、本文の闕を補って余りある。
もう一つは、専門書で、必要な論文だけスキャンする。訓点が入った漢文が引用されているから、日本語OCRにかけると、訓点がゴミになるのよね。

僧綱補任は後処理の方が遙かに面倒なので、日本語OCRに掛ける気にならない。割注の入った文章を日本語OCRに掛けると、もう厭になるくらい手間が大変になる。薬方程度だったら気にならないけど、割注だけで1行分近くあると、もう手で入力した方が絶対に速い。

しかし、コピーするもスキャンするのも、時間は一緒。画像をプリントアウトしておしまいか、画像を情報として残すかの違いだけだ。
ブラウズする時の便は、また紙の方がある。
スキャン画像も読むのにはいいのだが、画面の大きさの制約なんかも受けちゃうし。

OCRで論文をガンガン食わせられる分野だと、あんまり困らないんだろうけど、
 日本語に漢文が混じる
というのは、一番日本語OCRが間抜けなアウトプットを出してくれるフォーマットである。

今使っている日本語OCRは複合機のおまけについてきた割には優秀で、漢文も白文なら、結構まともに読んでくれる。
WinReaderProも持ってるんだけど、こちらは漢文読ませると今一だからなあ。

夏の勉強で、ペスト関係の論文を読んでいるんだけど、
 Schweizerische Zeitschrift für Geschichte
掲載論文があって、一瞬図書館に行かないとと思ったが、ググったらwebでダウンロードできた。
いや〜、便利な時代になったもんだ。調べ物の最中に洋雑誌掲載論文が出てくると
 あ、図書館へ行かないと
という時代から
 ググれば出てくるかも
の時代になったわけで、ありがたい。PDFで流してくれていると、そのまま読めるし、プリントアウトも綺麗だ。

日本の学術雑誌に関しては、人文系は立ち後れていて、やっぱり
 あ、図書館へ行かないと
ということが多い。で、全巻揃ってないとか、欲しい号が抜けてるとか、そうしたアクシデントはつきもので、
 行ってみないと、全部見られるかどうか分からないギャンプル
なのである。雑誌論文検索で無駄足踏むのは、時間の無駄だと思うんだけどなあ。これだけ
 常勤職に就いてない研究者が溢れる
状態になっているのだから、寧ろ
 積極的にオンラインで雑誌論文が読める態勢
にしておかないと、「専業非常勤」や時限PDの人達は、時間のやりくりがつかず、結局
 論文を読めない状態で、研究する
という、手足をもがれたような悲惨な環境になってしまう。

日本でも閉じているってことは
 世界に対しても閉じている
ってことで、こうした
 認識不足から来る学術情報鎖国
が続くようでは、その内
 日本の学術雑誌掲載論文なんて読まなくても日本研究はできる
なんて事態になりかねない。二次資料だけで論文書いちゃう人がいるとか批難する前に、
 世界中から日本の学術論文にアクセスできる環境を整える
方が先じゃないかな。

そういう意味では中国や台湾のやってることは、凄い。ともかくも
 どんな田舎の小さい大学で出された紀要論文でもアクセスできる
からね。台湾に到っては
 国宝級重文級の書物でも、積極的にデジタルアーカイブに収めて、世界中から利用できるように心がけている
わけで、こうした辺りが
 文化は誰の物か
という意識の彼我の差を感じる。
 秘すれば花
というのは
 文献データについては当てはまらない
わけで、自国内の論文はもちろん、写本や刊本を囲い込んでいる日本は、実に閉鎖的だ。こうした内なる障壁を自覚的に取り除かない以上
 海外の日本研究者は激減
していくだろうし、もし、研究者が続くとしても
 日本のポップカルチャー以外にはあまり関心がない
ということになっていくだろう。日本文化の海外への紹介というと、常に
 漫画とアニメだけでいいのか
という問いかけがあるけど、現況は
 漫画とアニメくらいしか「国際的に公開してない」
というのが本当のところである。

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2009-08-19

肝心の所が読めない

9月の学会発表の準備をしている。
で、ネタである唐代の医学百科『外台秘要方』の宋版の景印本で元の文字を確認しようとしているんだけど
 肝心な所に限って、写真の文字が不鮮明で潰れていて読めない
のである。
底本は重文に指定されていて、静嘉堂文庫の所蔵である。いざとなったら静嘉堂文庫にお願いしに行かないといかんのじゃないか、という話は以前してたんだけど、夏の間は、本を傷める可能性があるのでムリ。それに宋版は、よい写真版さえあれば、直接見る必要なんてないのだ。
しかし、何だってこんな
 文字のにじんだ写真版
なんだろうな。もう一度写真を撮り直して再刊しないかしら。

こういう所、日本って割に遅れている。
中国大陸は政治的理由で、なかなか善本を見せてくれなかったりするのだが、日本はもっと閉鎖的かも。
3月に調査に行った台湾は
 デジタル画像に善本を落として、データベース化
してくれていて、実に良かった。このやり方だと、一度写真を撮れば、本は傷めずに内容を確認することができる。そりゃ、ある程度制約はあるけど、すくなくとも
 東洋医学善本叢書『宋版外台秘要方』
よりは1000倍マシである。大陸から、宋版を底本にした『外台秘要方』は出てるんだけど、簡体字横組で、文字が現物じゃない上に、排印の規則が必ずしも底本と合致してないようなので、やはり綺麗な写真版を見たい。
日本にある中国渡りの貴重な医学書なのに、実際に国内で手にできる写真版は、文字が読めない部分が少なくないなんて、皮肉以外の何者でもない。
もし、本当に版ズレなどがあって文字がにじんでいるのだとしても、いまならデジタル処理でそうした
 ゴミ
は除くことができるから、綺麗な文字に復元可能だ。
バチカンのアーカイブのデジタル化は、凸版印刷が手伝ってるんだけど、国内のこの手の貴重書のデジタル化は、どうなってるんだろうなあ。技術は国内にあるのに、それが国内で活かせないなら、実につまらない話になってしまう。

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2009-08-18

小林盛得 小池一行編『五十音引 僧綱補任 僧歴綜覧 増訂版』笠間書院

お坊さんや尼さんの名前が分かっていても、いつの人かわからない。とりわけ、僧尼名は似たような名前や同名の人が大量に存在する。そんなとき、中国仏教には
 陳垣『釈氏疑年録』
という古典的名著があり、仏教伝来から清・康熙朝途中くらいまでの歴代の僧尼の名前を年代順に羅列してある。もちろん、陳垣のこの書物が全面的に正しいわけではないのだが、
 当たりをつける
にはちょうどよいのである。この労作をコンピュータなどない時代に陳垣が個人的に成し遂げたというのが、中国の学者の地力の恐ろしさを伝えて余りある。てか、陳垣って『釈氏疑年録』だけじゃないからな。中国史を扱うのであれば、普通の人は
 『廿史朔閏表』
のお世話になったことが多いだろうし、あるいは
 『史諱挙例』
は、版本を読むときには必須である。敦煌に目が向いていれば
 『敦煌劫余録』
で、我が身を切られるような辛さを味わった日本人もいるだろう。あ、そういえばまた手元の『廿史朔閏表』がなくなってしまった。何回なくしているかわからないのだが、またどこかで買わなくちゃ。

さて、翻ってわが日本仏教なんだけど、これがまたわかりにくい。
やはり、古代仏教の僧名の当たりをつけるための資料として、昨年増訂版が出たのが
 小林盛得 小林一行『五十音引 僧綱補任 僧歴綜覧 増訂版』
だ。日本仏教史には闇いので、この書物が出版されてから半年以上経って気がついた。アマゾンに注文して、今日届いたところ。増訂版は
 究竟僧綱任
という資料の分を増やしてある。

載っているのは
 推古三十二年(624)〜元暦二年(1185)
までの分なので、この辺りの歴史を扱うすべての分野の研究者には必携の書物ではないかと思う。だいたい、この辺りの歴史絡みだと、仏教はちらちらと顔を出す。

手元に届いた分は、ii〜ivまでの印刷がとっても薄くて読みにくい。本文はなんともないんだけど、どうしてだろうね?

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2009-08-17

京大人文研と附属図書館に行く

井上光貞大先生の論文に依拠して表を作ったら、原論文に細かい間違いがあることが判明、穴を埋めるために、大正年間と昭和初期に発行された稀覯の雑誌を求めて、北白川の人文研(正式名称は東アジア人文情報学研究センター)図書室と附属図書館へ。今朝の三時頃、webcatで調べたら、京大には所蔵があるものの、部局によってどの号があるかが違うのを確認。今日は文学部と人環の図書館は夏休みで閉館中。勢い、人文研と附属の蔵書を漁る羽目に。
人文研の方の雑誌は、よほど売れたのか、昭和九年に第二版が発刊されているのだが、手に取ってみると
 たぶん誰もまだ複写を掛けてない状態
である。ほとんど開かれた形跡がない。当時の物価からすると、一円二十銭とかなりのお値段の豪華雑誌で和装本。モノクロの写真や図面が口絵として入っている。執筆陣も豪華。当時の一流の研究者が力の入った論文を寄せている。
ここでは、今時
 1枚30円コピー
をして貰う。セルフコピーなしだからしょうがないといえばしょうがないのだが。

ところで、
 人文研の図書室のロッカー
なんだけど、こんな鍵番号。
Key
わたしのは「棟」だったが、他も全部木部の漢字。いちびったロッカー番号やな〜。たぶん、高田時雄先生の趣味ではないかと睨んでいるんだが。出典は、敦煌の童蒙書ではないかと勝手に推理。全然違うかも。

図書室で図書閲覧するのはかなり久しぶり。壁は張り替えたのかなあ。天井が高いスパニッシュ・ロマネスク様式の建物で、こんな夏の日は、開け放した窓から吹き抜ける風が心地よい。
今日が長い夏期休暇明け初日だったようで、人が多い。中で一人、帰りに一人、知り合いに会い挨拶する。帰りに会った知り合いは清朝史の研究者だ。人文研に行かないと見られない資料が多いもんなあ。

だいたい1時間ほどで見たい資料はコピーが終わり、附属図書館へ。
理学部の植物園の横の坂を下り、農学部グラウンドへ行く道から今出川を南に渡り、昔は電算機センター(現・学術情報メディアセンター)だったコンクリートの四角い建物の横の小さい入り口から本部構内に入る。夏は日陰で涼しいんだよね。
昼ご飯は、工学部8号館地下の中央食堂で。
 生協夏の下品なメニュー
といえば
 唐揚げ冷麺にマヨネーズ添え
である。430円。
Lunch
迷わずマヨネーズを付けて貰う。
後は冷や奴。52円。

レシートには
 総カロリーと赤・黄・緑の栄養群の点数(1点80Kcal)
が打ち出されているのは相変わらず。
Lunch2
唐揚げ冷麺の恐ろしいところは、これだけでほぼ10点になってしまうところだ。
 1日20点の食事
を守ろうとすると、昼ご飯だけで半分行ってしまう。

附属図書館は、最近
 市民に開放
されているので、いろんな人が来ている模様。お年を召した方が多い。ここでは
 大正年間に刊行された仏教系の超マイナー雑誌2種
を書庫から出して貰う。片方は『日本古代中世人名辞典』(吉川弘文館)が、その人名について、依拠した論文を集録した号の表記が間違っていることを確認。なぜ間違ったかというと、この雑誌は合本の形で所蔵されているのだが、巻頭に付された索引の数字を読み間違ったらしい。元に当たれば、間違えないんだけど、索引を見ただけで片付けたっぽいな。
もう一つの雑誌は、厚い上に紙が薄いのでひやひやしながら複写。開き癖がついていて、わたしが複写した論文は過去から何人もの人が複写した模様。この論文の部分だけ、綴じ糸が少し伸びている。
昭和九年の論文を最後に、昭和40年まで、いま調べている(というか井上光貞大先生の落ち穂拾い)人物について画期的な論文が出てないようなんだけど、その昭和40年の論文は、人環か文学部にしか所蔵がないので、今日は間に合わない。なぜか奈良市立図書館が持っているので、明日にでも、歩いて15分の中央館で確認する予定。

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2009-08-03

論文受領通知

12月刊行予定の学術誌の依頼論文が受領されたというメールが来た。一瞬、締切を一ヶ月間違っていたかも、と焦ってた論文だが、一応セーフだったみたいで良かった。
問題は
 Mac→Windows
という環境違いでJIS第二水準外の文字入り原稿の校正をやりとりしなくてはいけないことで、以前別な学術誌に事務局の言うとおりWord形式で送ったら、すべてのJIS第二水準外が見事に抜けているという恐ろしい校正が送られてきて、目玉をひんむいたことがある。結局
 印刷屋さんと直接交渉
することでなんとかなった。てか、確かあのときは
 印刷屋さんもMac
だったんじゃなかったかなあ。今回はどうなるか知らないけど、頭が痛い事態は続きそう。原稿に
 古代の国字
というとんでもない文字が1文字あり、これだけは作字しなくてはいけない。
今回一応PDFで送ったんだけど、打ち出しを送って頂戴との話。
ちゃんと版下作って送った方がよかったかなあ。

引用した一次資料が、国史・国文だけでなく、中国哲学や中国医学の文献や仏典も混じっているから、本人以外が校正できないという、これまた嬉しくない原稿である。口頭発表のときはいつもながら
 会場が凍る
という状況に。そりゃ、会衆の内、国史と現場で掘っている考古の人達がほぼ半数ずつ、残りが国文などの専門という前でしゃべったわけで、いきなり『毛詩』とか毛伝とか鄭箋とかの区別から説明しなくてはいけない事態というのは、なかなか世の中ではないことなので、しょうがないだろうなあ。『経典釈文』序録の内容を論文に入れても良かったんだけど、そこは省略。

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2009-06-29

『根本説一切有部毘奈耶薬事』を読む

その昔、
 大正大蔵経をダウンロード
したのをHDDから発掘。場所はココ。不備があるけど、新字で全文検索掛けるならココ

で、
 根本説一切有部毘奈耶薬事
をJeditで保存形式を変えて、ぱらぱらと読む。翻訳は
 唐代の海の男・義浄
だぜ。義浄の旅行記『南海寄帰内法伝』の原文は
 http://www.cbeta.org/result/T54/T54n2125.htm
で。ただ、現物をいきなり読むのはしんどいだろうと思う。
現代語訳は法蔵館から
 現代語訳 南海寄帰内法伝―七世紀インド仏教僧伽の日常生活
出ている。

久しぶりにVinayaを読むと、パーリ律をすっかり忘れてるな〜。
正格のVinayaからすると評判の悪い根本説一切有部のVinayaだけど、別な観点から読むと甚だ面白い。

Vinayaは
 究極のマニュアル
で、
 電子レンジで猫を乾かす
クラスの無茶苦茶な「六群比丘(根本説一切有部律だと「六衆[艸+必]芻」)」が
 お前、普通それはやらんだろう
というありとあらゆるトンでもない掟破りをやらかすのを、お釈迦様がその都度根気よく
 次からはこうしろ
と律を制定していく物語として描く。『根本説一切有部薬事』を一巻と四分の一読んだだけでも
 お前それはないだろう
と、何度突っ込みを入れたことか。これはまだ薬事だからこの程度で済んでるわけで、婬戒が絡むと、根本説一切有部律でなくても、全条総突っ込み。人間の欲望というのは、なかなかに凄まじいのである。

 

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2009-05-12

『小右記』を読む

連休中、東大史料編纂所のサーバは電源を落としていたのか、アクセス出来ず難儀した。東大の先生方はどうだか知らないが、わたしにとってGWは勉強時間だった。ま、連休直前に近鉄で拾った悪性の風邪が未だに治らず、マスクをして電車に乗って咳をすると、周囲に厭がられる。インフルエンザではないので、その点は問題ないと言えばないのだが。そんな風邪を抱えていたわけで、当初の予定通りには勉強は進まなかった。

史料編纂所の何に用があったかと言えば
 大日本古記録
で、今は『小右記』に検索を掛けて必要な部分を読んでいる。
しかし、小学生の頃、中公『日本の歴史』の第五巻、土田直鎮『王朝の貴族』を読んだときは、自分が、『小右記』とか『御堂関白記』とか『中右記』などを読むなどとは思ってなかったのだが、人生というのは分からない。
土田先生の時代は、『小右記』を読むにしても、頁を一々めくってカードを取っていた時代だろうけど、今はデータベースで検索掛けるだけで、必要な部分がずらずら出てきちゃうんだもんなあ。
道長の死に様を読みながら、死にかかっていた頃の道長へ向けられた視線などもチェックする。
しかし、『御堂関白記』ってのは、確かに豪快と言えば豪快な文章だ。

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2009-04-30

湯浅邦弘『諸子百家 儒家・墨家・道家・法家・兵家』中公新書

戦国楚簡研究第一人者のお一人、湯浅邦弘教授の待望の一冊。
アマゾンで一時品切れだったけど、ようやく入手。もっともこれは初刷りなので、一部でバカ売れしているということのようだ。

戦国楚簡を文献学的にどう扱うかについては、さまざまな異論があり、何かとモメる部分でもあるのだが、湯浅教授は
 郭店楚簡・上博楚簡の双方を利用
して、新たな中国思想史の概観を示してみせる。

内容としては、高校〜大学初級くらい向けかな。
ただ、諸子百家という形で、なおかつ戦国楚簡との整合性を持たせながらの叙述になるので、扱われている思想家それぞれの思想の特徴が場合によっては薄くなる印象はぬぐえない。
大学教養程度の教科書に使えるかどうかというとちょっと微妙。メインのテクストではなく、参考文献として挙げるにはいいかも。

諸子百家のそれぞれのテクストの読みについては、これまた難しい問題があるので、一応、台湾中央研究院の 
十三經注疏
人文資料庫師生版1.1
などのデータベースで伝統的な読みを軽くチェックしつつ、繙くぐらいの注意深さは必要かと思う。

それと、ちょっと気になったのだが
 魯壁(p.5写真)
は保存されていたモノではなく
 中国的「復元」で再生されたもの
だ。あの魯壁を作っているときに孔府へ行って、工事現場を見てきてげんなりしていたある研究者から直接伺ったので、それは間違いないかと思う。

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2009-04-26

森鷗外『澁江抽齋』の基礎資料佐藤家蔵の「澁江家資料」が杏雨書屋に寄贈される

武田製薬の大阪工場敷地内にある
 杏雨書屋
は、医学史関連の資料を収蔵・出版する財団法人である。
このたび
 森鷗外の史伝『澁江抽齋』の基礎資料となる「澁江家資料」の寄贈
を受けて、特別展示会(昨日終了)と研究講演会(昨日)が開かれた。


杏雨書屋特別展示会・研究講演会ご案内

第52 回特別展示会および第23 回研究講演会を下記の要領にて開催いたしますので、ご来場賜りたくご案内申しあげます。森鷗外の小説でおなじみの渋江抽斎がテーマです。

第52 回 特別展示会
テーマ:「渋江抽斎資料展」
日 時:2009 年4 月20 日(月)~24 日(金) 10:00~16:00
25 日(土) 10:00~17:00
場 所:大阪市淀川区十三本町2-17-85
武田科学振興財団 杏雨書屋 2階展示室

第23 回 研究講演会
日 時:2009 年4 月25 日(土) 13:00~15:00
場 所:大阪市北区芝田1-1-35
新阪急ホテル 2F 紫の間

演題・講師
I「渋江抽斎と医学館」
二松学舎大学東アジア学術総合研究所
専任講師 町 泉寿郎 先生

II「弘前藩江戸定府医官渋江抽斎とその系譜」
弘前大学医学部 名誉教授 松木 明知 先生
(以下略)

町泉寿郎氏の講演は、
 寄贈された澁江家資料
に即したもので、
 幕末に多紀家の私塾「躋寿館」から幕府の直轄となった「医学館」の実際
についての分析が面白かった。なかでも
 孔子を祭る「釈奠」
を真似て
 神農氏を祭る行事が行われていた
など、医学館の日常が伺える話が興味深かった。抽齋は「医学館講書一件記録」に様々な日常の行事などを事細かに記録しているのだが、町氏は
 澁江抽齋は記憶力に優れていた
と指摘されていた。
恐らく、
 映像記憶能力があった
のではないかと思う。映像記憶能力があれば、実は、後から詳細に記録を綴ることは、それほど困難ではない。
神農氏の祭儀の供え物などの図解が添えられていたり、宴席の献立を事細かに憶えているのも、そうした能力の助けあってではないか、と思った。
もっとも、宴席の献立について言えば、この時期のこうした祭儀の直会などの献立は、割合に決まり切った物なので、バリエーションが豊かになりすぎている現代のわたしたちから見ると献立の一々を憶えているのは驚異のように思えるが、それは食生活の基盤が違うのである。
また、
 森鷗外が17歳の頃付いた漢学の師佐藤元萇は、澁江抽齋がコレラで急逝した後を襲って医学館の講師となった人物
という指摘で
 『澁江抽齋』では、鷗外は「武鑑の蔵書印で初めて抽齋を知ったと言っているが、本当は、17歳で漢学を習ったときから、その名を耳にしていたのではないか」
ということだった。これは中井義幸『鴎外留学始末』でも指摘されている。
鷗外が史伝を書き始めるのは、大正天皇の大嘗祭で応詔詩を上った以降のことなのだが、確かに、
 漢詩を再び作り始める
のが
 澁江抽齋に筆を進める契機
になったのだとしたら、そのトリガーとして、漢学の師が媒介になったということはあり得るだろう。
松木明知氏は、父子二代にわたる『澁江抽齋』研究者でもあり、若い頃から今は亡くなられた澁江家関係者や森於菟などに直接会いに行っているそうで、ご自身が
 鷗外史伝研究の一部
となっていると言っても過言ではない。

杏雨書屋の特別展示会図録は、今回も太っ腹で、カラー図版多数で大変有益。講演会の会場では、レジュメと一緒に配布された。

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2009-03-27

京大附属図書館に閲覧証を取りに行く

京大生というのは、世間一般には
 やや間抜けな人が多い
と思われているだろう。勉強はともかく、世事に疎い。

ところで、一昨年の秋なのだが、
 附属図書館に閲覧証の申請
を出した。卒業証明を出して貰って、次は取りに行くというところまでは行き着いたのだが、なぜか取りに行くのを忘れた。

さすがにexpireしてるだろうと覚悟を決めて、また卒業証明を持って、受付に行って聞いてみた。
すると、名前を聞かれ、リストを繰っていくではないか。
ほどなく、
 閲覧証
が目の前に。住所確認できる書類を提示して交付終了。これで、いつでも利用できるようになった。ありがとう、附属図書館。
あのリストとカードのしまわれ具合を見る限り、わたしのような
 間抜けな卒業生
は、他にもいるんだろうな。申請まではしたけど、取りに行くのを何年も忘れている人が。

文学部図書館の方は、顔パスというか、学生の頃お世話になった司書の方がまだ働いていたりするので、こちらの顔を見ただけで、書庫に入れるバッジをくれる。
 あの〜閲覧証なくしちゃったんですが
と、卒業証明を出すと
 ああ、うちはいらないんです
と、書類を渡されて、記入しておしまい。次回、閲覧証の再発行ということになった。
去年の夏に、いくつかの図書館の閲覧証の入ったカードケースをどこかで落としたまま、文学部図書館には来てないから、今日再発行というこれまた間抜けな話。
台湾での調査のまとめに必要な書籍が、文学部図書館に揃っていたので、3時間で閲覧とコピーを済ませた。文学部図書館のすぐ横にコピー機が3台置いてあるのだが、問題は
 コピーカードは相変わらず時計台下の生協でしか販売してない点
だ。寒い中を、生協まで行って3000円のコピーカードを購入。これで320枚コピーできる。この10分がもったいない。

文学部図書館横のコピー機は初めて使ったけど、やっと
 線装本はコピーできません
という表示がされるようになっていた。
あまり自慢できない話だけど、学部の頃は、明版までならコピーし放題だったもんなあ。
こないだ故宮博物院で展示されていた
 『列仙伝』の明版
と同じものを学部のゼミのレジュメに入れるためにコピーした覚えがある。故宮博物院の展示を見て
 これは見覚えがある
と思い出したのだった。もっとも、なぜか
 宋版
という触れ込みだったので、最初のところに
 宋版とか言ってるけど、どう見ても明版じゃないのか
と、誰か偉い先生の書き込みがある版本だった。そんな版本を3回生以上になると、自由に触ることが出来たのが、文学部図書館の凄いところだった。
だから、台湾でいくつか版本の展示を見ても、あまり感心する気にならなかったのは、ある意味
 非常に贅沢な教育の成果というか弊害
なのであった。
 この版なら、文学部にあるじゃん、学生の頃触ったことあるじゃん
なんてのが、麗々しく飾られていたりするんだから、京大の教育は罪深い。

台湾在住の友人も、日本にいる頃、善本を蔵することで有名な機関に一時期勤めてたので、やっぱり版本の展示を見ても
 明版ならあんまりねえ
だし、
 武英殿聚珍板といわれてもねえ
と、似たような反応だ。
贅沢な環境に一度身を置くと、人間、とことんダメになるという話。

ところで、文学部図書館も附属図書館も開館日が増え、閲覧室の開放時間も長くなり、勉強には適した環境になって、喜ばしい。附属は日曜も開いてるもんなあ。ちょっとした調べ物で、めんどくさいものを探すには、附属まで出てくれば、なんとかなりそうな気がしてきた。
なんせ
 昔は開いてなかった春休みにもしっかり週5日文学部図書館が開いてる
んだもん。その当時は、突然調べ物が必要になっても
 今日は閉館日
と、忸怩たる思いで、次の開館日まで待たされたりした。
 あそこにあの本があるのは分かっているのに
と、何度唇を噛んだか分からない。一昔前に流行ったマーフィーの法則ではないけど
 資料が必要なときには図書館は閉まっている
のであり
 コピーは、必要な頁を飛ばしてコピーする
のである。

国会図書館では、同じ書籍であっても、日本の出版物か中国の出版物かで、所蔵が違う。たとえば、中国伝統医学の基本中の基本図書である
 黄帝内経の類
は、日本の影印本は東京に、中国で刊行されたものなら関西にある。もう
 国会図書館では、中国医学の勉強はしないでくれ
と言ってるのと一緒。両方一遍に見ないと、仕事にならんやろ。
もっとも、利点もあって
 科研の報告書は関西館にもある
のだ。京大内部だと、科研の報告書は所蔵がバラバラで、気が狂いそうになるけど、その辺りは国会図書館は使える。
日曜は国会図書館は休み。附属が持ってる書物なら、さっさと附属に行こうっと。
富士川文庫は、附属に移っちゃったみたいだし。(昔は南部構内の図書館にあったんじゃなかったっけ)
それでも、薬学部図書館には、まだ和本の医薬関係古籍があるらしいので、その内、発掘しに行ってこよう。生薬の専門でもない限り、和本を見たいと思う研究者は、南部構内にはあんまりいないだろうと思う。この場合
 和本や唐本の漢文と変体仮名
が、理系研究者のリサーチ意欲を殺いでいる。

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2009-03-23

国立国家図書館善本室へ行く(その2)台湾の図書館のアクセシビリティはすばらしい

台湾の国立国家図書館善本室の凄いところは
 あっという間に請求した善本が出てくる
ところだ。真柳さんが
 5分で出てくる
と仰ってたけど、本当だった。
 外国人相手
でも5分で出てくるところが素晴らしい。というか
 世界中で善本の出てくるスピードが最速
ではないか、と思う。普通の図書でも5分で出てくる図書館は滅多にない。

さらに素晴らしいところは
 すべての善本が映像化されていて、コピー可能
ということだ。海外からも、図書館を通して1枚そんなに高くない値段で請求できる。もちろん、善本室内では
 コピーカードを買って、データベース上の画像を印刷
することが出来る。データベース上の画像にアクセスして、必要な頁を選び、印刷機の前にある端末にコピーカードを挿入すれば、印刷可能。コピーカードは3階で販売していて
 200元で220枚
 100元で110枚(だったかな、こっちは不確か)
コピー可能だ。善本室では画像印刷に使えるというわけだ。

帰国前の土曜日午前に、国立国家図書館善本室にまた足を運んだ。
国立国家図書館は、蒋介石を記念した中正紀念堂の真向かい。
Zyg

こちらが国立国家図書館。
Gtg

この日も、司書の方が親切に教えて下さり、
 明嘉靖本の初印本
の画像を一番に出してくれた。というか
 国立国家図書館善本室の端末のキーボードは注音字母表記
なのよ。うっかりして、注音字母を確認できるテーブルを持ってこなかったので、自分では入力がうまくいかない。

土曜日のせいか、何人かが端末で画像検索をして、印刷オーダーを掛けていたら
 突然レーザープリンタが不調に
なった。最初は紙切れした後に、印刷が出来なくなり、次に、急にすべての端末が落ちた。端末が落ちたとき、トイレに行ってたので、戻ってきたら画面が真っ暗。ちょうど昼時だったので、
 昼時は端末を使えないのかな
と、大陸ではよくあるパターンだと思い込んだら、本当に端末だけ電源が落ちたのだった。隣の親切な若者に
 あれ?停電?
と聞いたら、そうだという。しばらくして復活した。コピーカードが足りなくなりそうなので、3階に買い足しに行くと、今度は
 紙詰まりで印刷できない
ことに。
 十分以上修理に掛かるけど
と司書の方が仰り、やむなく時間切れ。
印刷した善本複写は、カウンターで数えて、
 個人利用以外は認めません
という赤いハンコを押してくれる。それでおしまい。全部を印刷できないのはもちろんなのだが、それ以外は、なにもうるさいことは言われない。
複写を数えて貰っている間に、修理のおにいさんがトナーを抱えて現れた。

あとで台湾在住の友人に紙詰まりで使えなくなったところまで話したら
 ああ、それ、トナー切れしてて、最初の段階でもう焼き付き始めてたんじゃないかな
と教えてくれた。ちなみに
 富士ゼロックスのレーザープリンタ
だった。

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2009-03-20

国立国家図書館善本室へ行く

故宮博物院図書文献館善本室での調査が長引き、今日の午後一までかかってしまった。
慌てて、国立国家図書館善本室に行く。善本が直接見られるのは金曜の四時半までだ。
善本室にはパソコンを持ち込める。

善本室のおねえさんに
 時間があまりないけどどうする?
と聞かれたのだが、尾崎雄二郎先生の
 本は見て、触らないとダメなんですよ
という教えを守って、短い時間で実物を見せて頂いた。
ただし、順番は
 重刊本→和刻本→原刻初印本
の順で出てきてしまい、一番見たかった原刻初印本を見る時間が一番短くなってしまった。まあ、しょうがない。さすがに明嘉靖本の初印本は綺麗な刷りだった。後刷りは、後刷りの特徴がよく出ていた。で、後刷りの方は、表紙が壊れまくっていた。明本は、表紙がボロボロになるというか、脆くなってしまっていて、開く度に崩れることがあるんだけど、その状態になっていた。原刻本の方が、まだ保存状態は良かった。

で、真柳さんの仰るように
 国家図書館の目録が間違っている
のを確認して帰ってきた。てか、直ってないのね、まだ。オンライン目録上では、明嘉靖本の『諸病源候論』原刻初印本と重刊本の区別がついてなくて、変な記述になっているのよね。原刻と重刊が同じ年に行われた、ということになってしまっている。
故宮博物院図書文献館善本室では、真柳さんのご指摘に従って、ばらばらになっていた『黄帝内経太素』の日本鈔本を一つに纏めたのを確認してきたけど。ただ、一番いい鈔本の扱いが今一で、楊守敬がその鈔本を写させた鈔本の方が、しっかり保存されている観があるのがちょっと残念。

明日はコンピュータ上で画像だけは確認できるそうなので、細かいところを詰める予定。

国立国家図書館って、中正紀念堂の真向かいなんだけど、中正紀念堂には寄らずに、善本室閉室と共に帰ってくる。

善本室では
 三国志展
をやっている、というか
 展示がちょっとだけあった
程度で、『三国志』と『三国志演義』関連の刊本が並んでいた。そう珍しい刊本ではなかったかも。明日もう一度確認してみる。
入り口に
 『三国志』の知識を試すテスト問題
が置いてあった。

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2009-03-16

故宮博物院図書文献館善本室が寒い件

今日から国家図書館に行こうと思ってたら、月曜は休み。
ということで、故宮博物院図書文献館善本室に先に行くことにする。

ホテルは台北駅からすぐのところ。MTR入り口近所にある7-11で
 悠游卡[カード]
を買う。香港だと八達、日本だとSuicaとかPasmoとかPitapaとかと同類。悠游卡[カード]の偉いところは
 自動的に運賃が割引になる点
だ。チャージは、あちこちで出来る。
MTR台北駅から故宮博物院の最寄り駅士林駅までは、そんなに掛からない。
もっとも、ここから先がちょっとボトルネックになっている。
 故宮博物院の真ん前につけるバス紅30
の乗り場案内が、手持ちのガイドで間違っていて、いくら待っても来なかったりするアクシデントにも見舞われる。停留所を逆方向(士林駅に戻ってくる方)に書いてあったんだもん。なおかつ
 故宮博物院最寄り駅
にも関わらず、士林駅での
 故宮博物院への案内
が、とっても控えめ。
紅30は、そんなに本数がないみたいなので、手前から出ている小公共汽車に乗った方が速かったかも。15分くらいロスしたので、諦めてタクシーに乗る。だいたい110元前後。300円ほどだから、値段を気にせず乗った方が精神衛生上いいかもしれない。言えば、領収書も発行してくれる。台北の運転手さん達は、いまのところ、大変礼儀正しい。中国で喧嘩腰でタクシーに乗ることを思えば、実に気楽に乗れる。中には、日本語を話せる運転手さんもいるようだ。
いつものように、海外に来て一回目の発票は忘れてしまう。帰りのタクシーの運転手さんが気を利かせて、
 領収書出しましょうか?
と言ってくれたので思い出した。次からは気をつけよう。
なお、
 空車
というランプをつけてうろうろしているタクシーは流しだから、手を挙げれば乗せてくれる。故宮博物院直近の帰りのバス乗り場前では、こうしたタクシーが時々通りかかるから、あまり本数がなさそうなバスを待つよりは、さっさとタクシーを捕まえて、士林駅まで行くことをオススメする。旅の時間は短い。

図書文献館は、故宮博物院の展示室からはちょっと離れたところにある。2回道を聞いて
 後ろにある
と言われた。思ったより、随分「後ろ」だった。

図書文献館を利用するには、
 パスポートと写真2枚
が必要になる。1枚は利用証に貼ってくれる。
また、善本室で善本を見るためには、事前に所属する機関の図書館から
 所蔵の問い合わせ
をしてもらい、許可を取らないとダメだ。これは真柳さんに教えて頂いた。

目の調子が悪い。目の調子が落ちると、目の代わりをしている耳もストレスのせいか、よく聞こえなくなる。そうなると、いよいよ中国語(台湾では國語)の聴力(聞き取り)が怪しくなる。情けないくらい、聞き取れない。言語回路が一部壊れてるのかも。で、たぶん帰る頃には、やっと少しまともになっているだろう。テレビなどは声調をはっきり言うので聞きやすいんだけど、普通の会話だと、ちょっと訛ったりする低く話される部分が特にダメだ。南方の訛りに慣れてないのがいけないのかも知れない。こっちはこっちで、若干パニくりながら話すから、余計へんな文章になる。
國語と北京語では言い回しが違ったりするところも、ちょこちょこあるように思う。
まだ、國語の声調に慣れてないのが大きいのかなあ。だといいんだけど。
ホントに耳が悪いのが実感されて、情けなくなってしまう。捲舌音が全然なくて、代置されている発音がわかんないことがある、というのがやっとわかった。それが人によって違うみたいなんだけど?

で、善本室では
 画像がある分は、善本室のパソコンから見せてくれるシステム
で、原本には触れないけど、オンラインの画像を
 一定量までなら、コピー(この場合印刷)可能
である。コピーは1枚3元。日本円で10円しない。大量に印刷している研究者がいらして、どなたかなと思ったら、東海大学の浅井紀先生のようだった。お顔を存じ上げないので、確認できないけど。

わたしの方は、古医書の日本鈔本の調査に来ているので、そんなにコピーは必要ない。中身は日本にある。必要なのは書誌情報を含む部分だから
 巻頭と巻首
があればいい。本当は封面もあるとなおよいのだが、今日は割愛した。
あとは、書き込みなどをチェック。書き込みがあれば、その部分もコピーして貰うつもりだ。今日は残念ながらなかった。
ただ、画像では不鮮明な部分もないことはないので、本当は原本が見られると一番有り難いのだが、それは欲張りというものだ。

画像が登録されてない善本については、
 実物を見る
ことになる。マスクと手袋を貸してくれるので、扱いに注意しながら善本を閲覧する。当然ながら
 インクの出る筆記具は使えない
ので、鉛筆を用意して行く。

閲覧時間は
 朝9:00-11:30
 午後14:00-16:30
で、閲覧受付は11:30-14:00の間も善本室のカウンターでしてくれる。今日は午後だけと時間が短かったので、2部2冊を片付けた。
しかし
 楊守敬は日本で一体何をやってたんだよ
という結果に。たった2冊を見ただけでも、楊守敬の日本での文献収集の変なところが見つかった。今度、幸田露伴の医学関係の文献を見なくてはいけないかもしれないので、楊守敬にはチェックを入れている。

以前、雲南大学の日本鈔本で見た蔵書印と同じと思われる物を、楊守敬の日本鈔本から見つけて、清末の日本鈔本の中国将来の過程に思いを致す。もちろん、楊守敬の蔵書印ではない。

ところで
 善本室は思いっきり寒い
のである。オーバーだけど、凍え死ぬかと思った。一応薄い上着を着て、他に2枚着ているんだけど、じわじわ冷えた。
台湾は暑い、と思っている、これから
 故宮博物院図書文献館善本室に訪書予定の研究者
に申し上げておきますが、
 善本室はとっても冷房が効いています
ので、午前と午後みっちり調査をすると、かなり身体が冷えると思われます。できれば、凍えないような工夫をして、おいで下さい。スーツなら、一番問題ないかも知れません。
善本室を利用されるなら、図書文献館で受付をして貰うときに、所属機関の学術刊行物を差し上げると、喜ばれるかも知れません。お試し下さい。

身体の芯まで冷えたので、帰ってきて、ちょっとボラれてるかな、と思いつつ、ホテルのレストランで、やや高い点心セットを頼んだら、
 小さい佛跳牆
Ftz
がコースに入っていた。「なんちゃって佛跳牆」だとは思うけど、冷え切った身体が温まり、人心地が付いた。

ところで、これが
 初めての故宮博物院
だというのに、善本室に籠もりきりで、全然本体の展示を見てないんですけど。帰るまでに、1回は展示が見られる時間が取れればいいなあ。もちろん
 まだ白菜も見てない
状態だ。

おまけ。点心コースの銀耳(白木耳)の甘煮。もとは清の宮廷料理。
Lz
きちんと蓮の実の芯が抜いてる。芯は苦いから銀の針で抜き取れ、とかいうのを、昔『隨園食単』で読んだような気がする。

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2008-12-08

漢籍電子文献資料庫@台湾中央研究院歴史語言研究所の旧バージョン削除→復活した模様

毎日のように使っている
 台湾中央研究院歴史語言研究所

 漢籍電子文献資料庫の旧バージョン
に、日曜日に突然アクセスできなくなり、ビックリした。
ごっそり、サーバからディレクトリが削除されていて、アクセスできない。

結局
 新バージョンに完全移行
したようだ。
 漢籍電子文献資料庫(現行版)

旧バージョンにあった文書がいくつかなくなっているような気がする。

続き。(12/12 3:00)
コメント欄でご教示いただいたので、アクセスしたら、
 旧バージョン
復活。ああ、びっくりした。
一体全体、どうなっているんだか。

姚際恒に用があったので、困っていたところだった。

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2008-11-28

いろんな角度でつっこみどころ満載の扶余出土「百済の618年出挙」木簡

新聞発表の考古学情報というのは、肝心な部分がオミットされていたりしていて、判りにくいのだが、この木簡の紀年が「百済の618年に当たる」というのが本当なら、
 いろんな角度でつっこみどころ満載
だ。

618年。
中国では、義寧二年五月戊午、隋恭帝の禅譲により、唐建国。
日本は推古二十六年。
朝鮮半島関係では、『日本書紀』巻二十二にこんな記述がある。


秋八月癸酉朔、高麗遣使貢方物。因以言、隋煬帝興卅萬衆攻我。返之爲我所破。故貢獻俘虜貞公、普通二人、及鼓吹弩抛石之類十物并土物駱駝一疋。

推古二十二年に犬上君御田鍬らが派遣された遣隋使の話をすれば、帰国した翌二十三年(615)ににこんな記事。


秋九月犬上君御田鍬、矢田部造至自大唐。百濟使則從犬上君而來朝

『日本書紀』では遣隋使が行った先は
 大唐
と書くお約束。で、帰ってきたとき、百済使と一緒だった。

以上のような史書の記述がある、という上で、下の記事を読むと、いろいろと考えなくてはいけないことがあることが出てくる。
11/25付朝日新聞より。


律令制は百済から学ぶ? 韓国で類似制度示す木簡出土

2008年11月25日3時2分

百済の都・扶余で見つかった出挙木簡(写真と釈読)

 古代の日本が中国をモデルに律令制度を整備する際に、朝鮮の百済(くだら)(4世紀半ば〜660年)が窓口の役割を果たした可能性を示す木簡が韓国で発見された。奈良〜平安時代の律令国家を支えた財政制度「出挙(すいこ)」と同様の仕組みが百済に存在し、記録の方法も日本と同じであることが分かった。

 百済の都だった扶余で、今年4月に木簡6点が発見された。周辺には役所が並んでいたと推定され、木簡の1点に税の収納を担当した役所の「外椋部」の名があった。木簡は長さ約30センチで「貸食記」と表題があり、618年のもの。日本は飛鳥時代で聖徳太子の時代に当たる。国立歴史民俗博物館の平川南館長(日本古代史)、早稲田大の李成市教授(朝鮮古代史)らが解読し、百済が国庫に持つ稲の種もみを運用した「出挙」の記録と判断した。

 出挙とは、作付けの季節や食料が不足する端境期に農民に種もみを貸し、収穫の秋に回収する制度で、中国では私的な貸借だった。中国をモデルに8世紀に整備されたとされる日本の律令制度では公的制度としても運用され、租庸調と並ぶ財源となった。私的な出挙の利子は上限が10割だが、公出挙では5割。地方の役所の運営、港や駅の維持、寺社の造営など、広範な行政や社会活動が公出挙の利子に依存し、貸し付けは次第に強制化したとされる。

 見つかった木簡から、百済にも公的出挙が存在し、利子が日本と同じ5割だったことも分かった。出挙を記録した木簡は、日本では7世紀末以降のものが出土しており、書式もよく似ている。(渡辺延志)

     ◇

 〈鈴木靖民国学院大教授(日本古代史)の話〉 古代の国づくりの知識は、遣隋使や遣唐使を通じて中国からもたらされたというイメージが強いが、中国とは国の規模も違い、そのまま導入するのは難しかったはずだ。百済はいち早く中国の制度や文化を取り入れ、当時の日本とも親しい関係にあった。今回見つかった木簡は、国の根幹にかかわる財政制度が百済から導入されたことを物語る。

この木簡の話で半年はいろいろ悩めそう。
こと「百済」が絡んでるとなると、上記記事のような、簡単な結論にはならないように思いますが。

新聞発表では、釈読の全文は上がっておらず、写真を見るだけでも、かなりの字数がある「百済618年出挙木簡」の全体像が分からない。

しかし、よりによって618年の木簡とはね。

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2008-11-25

植物画の楽しみ

授業で使う資料を探していると、最近は
 デジタルアーカイブで公開している貴重本
に当たることが多い。

今日は、美しい蘭の挿画で知られる、John Lindelyの
 Sertum orchidaceum: a wreath of the most beautiful orchidaceous flowers
を探していた。探してたのは、花の絵ではなく
 植物細胞の「核」の図
である。たしか、この書物の挿図は
 Ferdinand Lukas Bauer
の仕事じゃないのかな。
挿図は挿図で別なリストになっているので、めくっていくと、最後に
 蘭の核を描いた図
が見つかった。美しい彩色画で、元になった蘭本体の下に、顕微鏡で観察した細胞の絵が付属している。
リンクも貼ったけど、この貴重本を集めているアーカイブは
 Missouri Botanical Garden Library"のもので、
 Rare Books from the Missouri Botanical Garden Library"
である。
ミズーリ植物園(MBG)のホームページはこちら。チャンスがあったら、是非行ってみたい。その前に、まずはキューガーデンに行かなくちゃ。

植物園といえば、札幌では、北海道大学植物園のことを指す。札幌市民には馴染み深い行楽地で、子どもの頃には、よく連れて行かれた。映画『南極物語』の主人公にもなった、南極探検隊に置いて行かれた樺太犬タロは、帰国後、植物園で余生を送っていた。いまは剝製になってガラスケースに入っている模様。

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2008-11-22

高山緑茶と鳳梨酥(パイナップルケーキ)

西蔵とお茶の研究者だった友達が、仕事場のある台湾で
 近所のお茶屋が改装前の一掃セールでもの凄くお茶を安く売っている
というので、いくつか見繕って貰っていた。さすがにお茶の専門家なので、目が利く。そのお茶と一緒に
 もう使わないから

 『資治通鑑』(中華書局版)とその他の書籍
を送ってくれた。

高山茶を中心に数種類の茶葉、それと、
 これはおいしい
という、台中の
 鳳梨酥(パイナップルケーキ)
も入っていた。

Pc1

今日は、届いた茶葉から高山緑茶を選んだ。早速、錫の茶壺に入れ、残りは冷凍庫に。これで半年以上は、高山茶を楽しめそうだ。

書籍の方には
 『籌辧夷務始末(咸豐期)』全八冊(中華書局版)
も入っていた。他にもいろいろあるので、これからゆっくり確認する予定。いや楽しみ。

『資治通鑑』は1セット持っているけど、2セットあっても邪魔になる書籍ではない。
司馬光とは誕生日が一緒(といっても司馬光は旧暦だけど)なので、なんとなく親しみを持っている。司馬光の文章は面白みがあるわけではないけど、読んでいて疲れない。

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2008-10-14

文献をwebで拾う

昨日の晩から今朝早くにかけて、断続的に何をやっていたかと言えば
 『外台秘要方』をwebのデータベースから拾う作業
だった。
時間が掛かった理由は、40巻の『外台秘要方』を処方ごとに新たにページを立てているデータベースだったから。一括ダウンロードができないので、ちまちまとurlを手で入れながら1200ページ近い分を落とした。この『外台秘要方』は、出来がいいので、それだけ時間を掛ける甲斐があったというモノだ。

最初は、どういうurlの番号付けになっているか分からなかったんだけど、別ルートで、近接しているページを拾い、urlを比較して、urlとデータベース番号の違いを解読した。解読した、と言っても、そんなに大したことではなかった。ま、作ってる方も文系だろうし、あまり難しい命名法を使うと、自滅するもんね。
ただ、1200ページもあると、入力する方がページ番号を打ち間違ったりするわけで、間違ったり、ずれたりしているのを拾うがちょっと面倒だったかな。
結局1ページだけ拾えないんだけど、urlがどうなってるんだろ。
別ルートで拾えばいいので、取りあえず放置。
最初にこのデータベースに気がついたのが午後5時くらいで、ほぼ拾い上げたのが日付が変わるくらい。別な観点から補助的に拾ったのが夜中の2時くらいまで。

昔は『漢書』『史記』『文選』をEPSON 286-V STDで、手で入力してたんだから、そのことを考えると、これくらいの作業量なら、大したことはない。

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2008-10-04

犬も歩けば棒に当たる

朋友書店から、中華書局から出ている学術筆記叢刊の一冊
 清・鄒漢[員力]『読書偶識』
が届いた。コンタクト用の眼鏡を掛けてめくっていたら
 説文、嬰、頚飾。
という文章が目に入った。なるほどね。

首にできる腫れ物は「やまいだれに嬰」と書く。『日本霊異記』にも『医心方』にも、当然ながら先行する中国の種々の医学書にも記されている疾病である。
ズボラをしてきちんと文字を調べずにいたのだが、なるほど、『説文解字』の解釈に従えば、その通りだ。
「やまいだれに嬰」と書く腫れ物は、主に甲状腺腫だろうと考えられているのだが、
 嬰、首飾
というのであれば、喉の前面に大きな瘤を作るこの病を表す文字としてふさわしいわけだ。

せっかくなので、段玉裁『説文解字注』を繙いた。
 十二篇下 女部
の文字で『説文解字注』では
 嬰、繞也
と貝部の[貝貝]の説解によって本文を改めている、で、その後に
 从女[貝貝]、[貝貝]、貝連也、頚飾
と続く。ついでだから、六篇下貝部も開いてみると
 [貝貝]、頚飾也、从二貝
となっている。
「やまいだれの嬰」は、『説文解字』にも入っていて、これは七編下。説解は
 頚瘤也
だ。

中国人のこの手の筆記は、端から端まで熟読することは少ないのだけれども、たまにめくると、いろいろと教えられることがある。

これからは、病名を見たら、まず『説文解字』などの字書も調べないとな。

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2008-09-30

妙なところに『四庫全書総目提要』

最近、中国では古典籍が大量にデジタル化されて、CDになったり、あちこちにばらまかれたりしている。日本古典のデジタル化が大幅に遅れていることを考えると、世界への文化発信の意味では、彼我の差は大きい。
中国では、元々、個人がもの凄い馬力で、どうやって入れたのかわからん、という量のテクストを個人サイトにアップしてたりしてたんだけど、最近は人海戦術で大学などがデジタル化しちゃってるから、何が元データかよくわからない電子化テクストがあちこちに落ちている。
使う方が、ちゃんとした校訂本さえ持っていれば、電子化テクストを使うのは、問題ない。直して使えばいいだけだからだ。

で、なぜか、中国医学専門のサイトらしい
中医e百(簡体字)

『四庫全書総目提要』(簡体字)
が入っている。肝心の中国医学の古典籍の電子化テクストは大した量が入ってないのに、二十五史や『四庫全書総目提要』が置いてあるのがかなり謎。

他にも同様のサイトはあるんだけど、ここは登録不要で『四庫全書総目提要』を使えるので、感謝して落とす。
各巻ごとの目録はこちら。
『四庫全書総目提要』目録(簡体字)

「存目」提要で炸裂する悪口を読むのが堪らない。

『四庫全書』に収録されている書物の解題は、現代でも、『四庫全書総目提要』を土台にしてるのが多い。いま調べている書物についても、そういう類の解題が大量にあるのを確認。『四庫全書総目提要』の出来がいいのはわかるんだけど、なんだかな。
提要を読んで、あとは余嘉錫の『四庫提要弁証』とか、適宜情報を補いつつ、それ以外に分かっていることを書き足すのが、仕事といえば仕事だけど。

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2008-09-28

朝から一仕事

金曜日からめっきり秋めいている。
夏物を仕舞わないとな。去年は11月に沖縄で学会があったので、夏物をぐずぐずと出していたのだが、今年はそうした気遣いはない。

昨日は右肩のリハビリ2回目。担当制ではないので、その時々のリハビリの先生に掛かる。やり方もちょっとずつ違うみたいだ。かなり痛いところを徹底的にマッサージされる。頭に痛みが抜ける位の痛さ。
 コンピュータの使いすぎで右肩を痛めたんだと思うんですが
と説明すると
 肘は浮いてますか? できるだけ肘を固定してキーボードを打つようにして下さい
と言うことだった。椅子を高くする必要がある。
 普通の人の「肩が痛い」というのと逆方向が痛いので、肩をなるべく上げて、キーボードが打てるようにして下さい
だって。逆なのか。
お支払いは690円。ああ、こんな金額でリハビリをさせてくれる日本の医療制度はエライ。

病院帰りに、懸案の
 キーボードに噛ませる台
になりそうなものを発見。100円ショップのCD組み立てラックの部材の板が、ちょうどキーボードの台に合いそうな大きさ。2枚一組なので2セット買って、キーボードの下に積んでみたらばっちりだった。200円で台ができるなら安いモノだ。

リハビリに行くと、血行が変わるせいか、眠くなる。パソコンの前の椅子の上で寝てしまった。

目が覚めてからは、普段の3倍の密度で仕事。
涼しくなったのと、リハビリが効いて、肩の血の巡りが良くなっているのだろう。
PCで『四庫全書』の検索をして、Macで本文入力という迂遠なことをやっている。
どうも『四庫全書』のテクストをうまくMacに移せないんだよな。化けた分を直すより、手で入れた方が早いというのは、実はいろんな意味で不幸なんじゃないか。

今朝は昼寝分早起き。暗い内から、昨日椅子で寝てしまって干せなかった洗濯物を干す。

昨日の続きもガシガシを片付けて、本の発注など必要な手続きのメールを出す。
後は仕事の準備。データを仕込む。
例えば、こんなの。
東洋学術研究所 論文BOX
80年代の『東洋学術研究』は割と良かったんだよね。
季羨林の名前があるから、何かと思ったらこれ。97年の分。
『旅順博物館所蔵梵文法華経断簡』21世紀と『法華経』の精神(PDF)

朝8時にして、ちょっと疲れたので休憩。
今年は9月末から年末までたぶん過密スケジュール。今から飛ばしていると、後が恐い。体力温存のため、これから年末までの学会は、関西で開かれるのにだけ出る。

朝5時に事務宛に出したメールの返事が7時過ぎに来て、さすがにびっくり。事務の人、自宅でメールを引いてるんだろうけど、早起きですな。

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2008-09-12

ありがちな話

母さん、僕のあの『備急千金要方』、どうしたんでせうね?
ええ、夏、奈良から横浜へゆく前に、
部屋へ残したあの『備急千金要方』ですよ。

なぜ学会発表前になると、見ていた本が消えるのだ。

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2008-09-05

Vesalius: "De Humani Corporis Fabrica"1543@British Library

新学期の準備をしていて、
 Vesalius : "De Humani Corporis Fabrica"
の挿絵を捜す必要ができた。さて、どうしよう。
慶應が一冊持っているのはわかったが、画像は公開されてない。
ググってみたら、大英図書館(British Library)の"Turning the Pages"という画像データベースに、高画質版をShockWaveで公開しているのを発見した。
Turning the Pages: High quality version of Andreas Vesalius' De Humani Corporis Fabrica
英語の説明が付いていて、説明は音読もしてくれる。画像は付属のルーペ機能で拡大することもできる。
いやはや便利な世の中ですね。
これは初版の1543年版とのこと。

で、
 『不思議の国のアリス』のオリジナル本
Turning the Pages: High quality version of Alice's Adventures Underground
もあるぞ。こちらは指定すれば原文を朗読してくれるので、アリスの言語世界を堪能できる。子どもの頃、アリスの日本語翻訳がどうにもわけがわからなかったヒトは、是非。

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2008-08-20

北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部に行く

東京白金にある
 北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部と北里大学薬学部図書館
に調査に通っている。

都バス田87の北里研究所前で降りると、いきなり
 コッホ・北里神社
が。
Ktst1
コッホ・北里神社の縁起。

コッホ・北里神社社殿。
Ktst3
とても小さい、かわいいお社。

コッホ先生お手植えの月桂樹。
Ktst2

他にも、コッホが植えた木がこの辺りにある。

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2008-08-14

神奈川県立金沢文庫へ行く

家から歩いて15分のところにあるのが
神奈川県立金沢文庫
である。夏休みの課題の一つは
 金沢文庫の古文書調査
だ。古い目録(翻字つき)に載っている方は全点写真版になっている。新しい目録の分は、マイクロフィルムの目録でフィルムの請求をする仕組みだ。
いまはまず、古い目録を端からめくっているところだ。
 全数手当たり次第に眺める
という、極めて原始的な手法。ブツがあるのは分かっているので、その点は気が楽。

今日は、マイクロフィルムを製本したもののコピーを請求した。
見たところ、あまり残りのよくない古文書だが、時々面白そうなことが書いてあるので、使えるかも知れない。

その他は、翻字されている分を少々コピー。断片的な情報も、集めると意味が出てくる。

でもな〜、金沢文庫のある称名寺って真言律宗だから、もうちょっと残ってそうなもんだな〜。たぶん、マイクロ目録の方に、目指す資料のいくつかは眠っているだろう。

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2008-07-30

国立国会図書館関西館へ行く(その3)研究室で資料を見、北里研究所図書室の書目をコピーする

国立国会図書館関西館は、奈良から実はそれほどアクセスが悪くないことが分かってきた。
 JR奈良からみやこ路快速で木津→木津から学研都市線で祝園→祝園からバス
 近鉄奈良の京都市営地下鉄乗り入れ電車で新祝園まで直通→祝園からバス
のいずれのルートでも、駅前であまりバスを待たなくていいみたいだ。ちなみに、1時間に2本ある京都市営地下鉄乗り入れ電車は、竹田から先が各駅停車になるけど、急行なので、大和西大寺から新祝園の間で止まるのは高の原だけ。

さて、今日は急遽
 北里研究所の図書室の書目
を見るために行った。昨日、思い立って、北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部に電話を掛けたら、小曽戸洋先生ご本人がおいでになり、恐縮しながら、資料閲覧を願い出た。で、その時、書目についてお尋ねしたら
 一部が科研の報告書で出ています
とのことだった。
むむむ、科研の報告書だと、出回らないのも道理だ。大阪・十三にある武田製薬の杏雨書屋にあるのは確実なのだが、奈良から十三というのが、これまた行きにくいのだ。阪急との接続が悪い。
ふと思い立って、国立国会図書館関西館の蔵書検索を掛けたら、おお、関西館にあるじゃん!
これは助かった。
で、いくつか目星をつけて、閉架から出して貰ったら、次の三つの科研の報告書に、北里研究所図書室の書目があった。
 江戸時代医学・本草学資料の整理と研究
 江戸時代医学・本草学資料の整理と研究2
 21世紀の東洋医学教育の基盤整備
前二者が文庫に収められた和漢籍中心、一番最後のものの第三分冊の前半が
 洋装本の一部の目録
である。今日は取りあえず、洋装本の書目の2/3だけコピーしてきた。国立国会図書館関西館のセルフコピーはA3が一枚29円だったかな。しかし、いずれの科研報告書も、題名だけだと書目が含まれているかどうかわかんないもんなあ。三つめの報告書の分冊の題名なんて
 第3部 文献目録編
だもん。ここから
 北里研究所の書目が入っている
というのは、全く分からない。

今日はA4の分厚い科研報告書を山と積んで調べなくてはいけなかったので、
 研究室
を借りた。ここは、部屋が空いていて、国会図書館の蔵書を使って研究するなら、いつでも誰でも使える。国会図書館蔵書をより深く研究するための部屋なのである。
研究室だと電源もあるので、マシンも使えるし、蔵書検索用の端末も置いてある。端末はDELLだった。
 小さい研究室でいいですか
と聞かれて、どんなところかな、と思ったら、5-6人でゼミとかできそうな位広い部屋だった。ついでに言うと、設計した建築家の趣味で、無駄なくらいお洒落。ただし、室内では飮食禁止である。1回の申込で5回分まで予約できるが、今日は様子見ついでだったので、次回予約はせずに帰ってきた。
東京の国立国会図書館は忙しそうだけど、関西館はいつ行っても割と静かである。大量の資料を閲覧するときには、ブックトラックを貸してくれるので、ごろごろ押しながら、研究室まで運び、大きな机に資料を拡げ、横にMacBookを置いて、閲覧したい書目をチェックした。
大部の書籍を一気に閲覧するのには、研究室は実に都合がいい。
利用時間は閉館時間の18:00までだが、5分前までに退室する決まりだ。
電話予約はできない。
 

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2008-07-28

『医心方』を読む 『黄帝内経太素』を眺める

OCRに読ませている『医心方』に出てくる、『黄帝内経太素』の変な文章。『黄帝内経太素』といっても、今本では『黄帝内経素問』異法方宜論篇第十二に入っている部分。若干異同がある。


太素經云、黄帝問於岐伯曰、醫之治病也、一病而治各不同。皆愈何也。
岐伯曰、地勢使然。故東方之域、天地之法始生也。魚鹽之地、濱海傍水。其民食魚而嗜鹹。魚者使人熱中。鹽者勝血。故其民皆黒色疎理。故其病爲癰瘍。其治宜砭石。砭石者亦出東方來。

こんな調子で、東西南北中央の地域の特性と罹りやすい病気の種類、有効な治療法が上げられている。
『黄帝内經素問集注』とか『素問直解』『素問呉注評釈』などを読んでみたんだけど、あんまり釈然としない。何でこの配当じゃないといけないのか、というのがどうもわからない。
東の地域は海沿いで、魚を食べて塩辛い味を好むから、みんな色が黒くて、肌のきめが粗くて、よくできものに悩まされる。できものには石の針が効く、なんてことが上には書いてある。東が海、というのは中国の話だからだ。

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2008-07-27

OCR環境を整備する

暑すぎて、寝付けない。昼間はもっと作業能率が落ちる。
頭が回らない時は、校勘でもするに限る。

今使っているLet's note CF-W2は、年末に修理に出してHDDを換装したので、細かいところが整備できてない。それまで使っていた環境がゼロになったのだが、ユーティリティとか、ネット周りとかに手を入れてなかった。気がついたら、シェアウェアの秀丸が入ってないのだが、登録キーもHDD換装前の不調で飛ばしてしまった。
しょうがないので、フリーのエディタを落として、WinReaderPro9で『医心方』活字本を読ませた後、校正してみたのだが、キーアサインが手に馴染まないので、どうしても使い勝手が悪い。おまけにATOKが使い込んでない状態なので、変換スピードがもどかしい。
そこで、以前と同じように、共有ファイルにOCRで読み込んだテクストを落として、Macで見られるように設定した。
MacではJedit Xで作業をしている。マルチファイルの検索や置換が可能なので、仕事が早い。レ点など余計なものをさっさと削るのには適している。それに、unicodeを通すので、『医心方』みたいな変な漢字だらけのテクストをいじるのは楽だ。

いまOCRで読ませている『医心方』活字本は、テクストの出来が余り良くないので、どのみち、手元にある安政刊本(臺灣リプリント)で軽く直してから、半井家本・仁和寺本などできっちり校勘する予定。対校のために、見なきゃいけない他の宋版もあり、そこら辺の精度をどこまで上げるかが課題だ。
中国の医学書には、所謂「宋改」の問題がある。今手にできるテクストがどこまで遡れるかの壁が「宋改」なのだが、対校用の諸本が、宋改後のテクストだったりするので、難しい。リニアにいかないんだよね。
『医心方』のテクスト成立を探る上で、丹波康頼が何を見たかは、考えないといけないし。

ATOK用中国医学用語辞書は、東亜医学協会のサイトの以下から落とした。
ユニコード辞書(漢方用語)を使って論文作成を!!
Windows用にはATOK/MS-IME、Mac用にはATOK/ことえりの辞書が入っている。

今日はフジの27時間テレビをBGVにして、20頁ほど読み込ませた。校勘は2頁分。
 活字本をOCR読み取り→活字本で最初の校勘
まで。安政刊本や写本での校勘は、まず、たたき台の底本を作ってから。WinReaderPro9.0がびっくりするような漢字まで読んでくれていて、時々驚く。どういう推定エンジン使ってるんだろうな。
字の落ちているところや、読みにくい部分は、とりあえずは学苑出版社の『医心方校釈』で補う。

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2008-07-25

WinReaderPro 9.0に『医心方』活字本(訓点入り)を読ませてみる

うちにある日本語OCRシステムは
 Panasonic CF-W2+WinReaderPro v.9.0
という、今となってはちょっと古めかしいシステムだ。『医心方』の日本医学叢書活字本(訓点入り)の影印本が手に入ったので、どの程度、WinReaderPro 9.0が頑張ってくれるか、試してみた。
解像度はモノクロ 200dpiで読み取り。プレスキャンして原稿位置を直し、読み込ませてみる。
解析はあっという間に終わる。本当は、画像を見ながら、辞書を鍛えていくといいのだが、実はこの活字本の影印版は、元の活字本があまり綺麗に印刷できてなくて、文字が欠けてたりするので、辞書機能を使わずにそのままテキスト化して、手で直すことにした。1頁二段組みの3/4ほどを校正するのに、だいたい1時間半掛かった。というか
 訓点入りの漢文が初回なのに1時間半で校正できてしまう
のである。これは極めて優秀だ。日本医学叢書本は、所謂
 旧漢字のテクスト
だから、若干の読み取り間違いはしょうがないのだが、結構きちんと読んでいる。訓点もばっちり読み込んでいるから、それは削る。
多分、作業量としては200頁くらいを突っ込む予定なので(本当は全文行きたいところだが、取りあえず3月までの予定)一日1頁くらいのペースを守ることができれば、なんとかなりそうだ。ま、来年の6月くらいまで200頁が全部入っていればいいくらいの日程なので、できるところをちょっとずつやっていく、という感じですかね。
日本医学叢書活字本でたたき台用の底本を作って、あとは写本の影印版を見ながら、文字を直していく作業が続く。

対校用に『諸病源候論』も読み込んでみた。昼に、古本屋から届いたばかりの臺灣の国立中国医薬研究所出版のものである。これもちゃんと読めたから、とりあえずは何とかなりそう。こっちはまだ校正を掛けてないので
 読み込めた
というだけの話だけど。

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2008-07-23

中村璋八『日本陰陽道書の研究』(平成5年版)汲古書院

苦節3年、やっと入手。
中村璋八先生の『日本陰陽道書の研究』は、日本における陰陽五行説受容を考えるための基礎文献なのだが、なんせ、すでに古書扱いになっていて、見たら買わないといけない。
しかも、中村先生は律儀でいらっしゃるので、新しい版が出る度に、少しずつ手を入れていらっしゃると聞く。したがって、古書市場には、出版年の違う『日本陰陽道書の研究』が流通しているのだが、購入するのは一番新しい平成5年版でないといけない、というわけだ。平成5年版の前の版は、割と見かけるのだが、平成5年版はなかなか見なかった。見つけても、すでに売約済みだったりして、この3年間買えずにいた。
入手した本は、かなり開き癖がついていて、所々文字の誤りを直している。箱付きでほぼ原価で買ったから、よしとしよう。確かに、文字の誤りは散見するから、先人が直してくれているのはありがたい。それ以外は、綺麗に読まれている。

次は
 岡西為人『宋以前医籍考』
だな。臺灣リプリントが欲しいのだけど、これは流通が少ない上に、持ち主が亡くなりでもしない限り市場に出回らないので、更に厳しい話になりそうだ。
目が悪いので、古本屋巡りができない。勢い、カタログ勝負となるんだけど、どうも『宋以前医籍考』は欲しい人がたくさんいるらしくて、まず見かけない。
どっかでまたリプリントしないかな〜。
10年待った(といってもオンライン『四庫全書』には原文は入っているのだが)『建康実録』は最近入手した。
古書の入手は、それこそ出会いなので、のんびり待つしかないだろうな。

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2008-07-08

拝受 渡辺晃宏(代表)『推論機能を有する木簡など出土文字資料の文字自動認識システムの開発』(平成15-19年度科研費基盤(S)成果報告書・『奈良文化財研究所紀要2008』・市大樹「慶州月城垓字出土の四面墨書木簡」

著者の市大樹さんから頂く。ありがとうございました。
 ・渡辺晃宏(代表)『推論機能を有する木簡など出土文字資料の文字自動認識システムの開発』(平成15-19年度科研費基盤(S)成果報告書
は、奈文研が中心となって取り組んでいた、木簡釈読のためのデータベース解析研究についての分厚い報告書。全部で300ページを越える。
 ・『奈良文化財研究所紀要2008』
は、6月に出たばかりの奈文研紀要の新刊。冒頭にカラー口絵、前半が研究報告、後半が発掘報告。発掘報告の地図や測量図は二色刷りで見やすい。
・市大樹「慶州月城垓字出土の四面墨書木簡」(奈良文化財研究所・大韓民国国立文化財研究所『日韓文化財論集I』奈良文化財研究所学報77所収)
は、慶州の四面墨書木簡(149号木簡)を、日中の資料を援用して読みを確定し、木簡の性格を明らかにした論考。とても面白い。

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2008-06-25

本を入れ替える

極めてばかばかしい理由から、これまで書庫へのアクセスが悪く、本の入れ替えがスムーズに行ってなかった。
さすがに少し考えた。
論文が上がったところなので、校正が終わるまでは、資料は手元に置いておきたい。
ただ、次の論文がすぐ控えているので、そっちの準備もしなくてはならない。
ともかくも、隙間をやりくりして、必要な書物を手元に置き、しばらく見ないだろうものは書庫の奧に入れるという作業に手をつけた。

本棚が使いづらいと、勉強もはかどらない。いくらオンラインでいろんな資料が引けたり、PCに『四庫全書』を入れられる世の中だと言っても、当たりをつけるのと、そこから先を調べるのでは、ちょっとした懸隔がある。検索で同じ文字列が引っかかったからと言って、同じ意味とは限らない。

今の悩みは、辞書をどうするかだ。
書庫には大漢和・漢語大詞典・漢語大字典・望月佛教大辞典・仏書解説大辞典などがあって、こっちの部屋には日国もあるのだけれど、辞書を置いて引くスペースが足りない。漢語大詞典のCD-ROMはは、最近日本語Windowsでも動くようになったみたいで、その内、買わないと、なんだけど、今のところは手で引いている。もっともいま扱ってる文献は唐代以前のものが殆どで、分野も偏っているから、辞書が役に立たないことの方が多かったりもする。
書庫には辞書引き用テーブルがあったのだが、だいたいそういうものの上には、入る場所のない本が積み上がっていたりする。やっぱり、辞書引きテーブルの周囲を片付けるところから始めないとダメかな。
空の機嫌を伺いつつ、本の移動をしないとな。

さっきは、『黄氏逸書考』と『玉函山房輯佚書』を漁っていたのだが、久しぶりに開くものだから、かなり埃だらけになった。その下の棚にあった『大広益会玉篇』も抜き出してきた。残念ながら『原本玉篇残卷』には該当個所がない。
あとは『讀書雜志』『經傳釋詞』辺りも拾ってこないとなんだけど、厚くて大きい書物を置いておくのが難しい。昔の『読書雜志』だから、厚いくせに、電話帳同様の平装本なのだ。変な置き方をしておくと、本を毀すので、スペースを確保しないとな。
ちなみにこれは日本史の論文の準備のためである。何を書いてるかは内緒。

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2008-06-18

論文に追われる

学際的研究というと聞こえはいいけど、要は
 なんでも担当
ということだから、ツメに時間が掛かる。
前回ツメられなくて、迷惑を掛けた論文なのだが、やはり最後のツメのところで、座礁しそうになり危ない。とりあえずは危険は回避したのだが、見直すと、どんどん訳が分からなくなるという、有り難くないおまけ付きだ。
軸足をどこに置くかが問題。仏教文献をたくさん使うので、仏教に慣れてない人でも読めるようにしておかないとなあ。
CBETAの切り貼りして、梵本のチェック(自分でも一応訳したけど、訳文は先人のものをお借りする)をして、考古の論文も見て、って、一体何の論文なんだろう。
あとは気合いでまとめないとな。

日付が変わる前に、手を入れだしたら、こんな時間になっていた。ただ今午前5時45分。

なんだか痒いな、と思ったら、左腕を三箇所も蚊に刺されていた。

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2008-05-02

辞書を引く

Apteの梵英辞典を引きつつ、大乗経典を読むのは、かなり間違っているのだが、なぜかMonier-Williamsが行方不明になっているので致し方ない。Monier-WilliamsはRoth-Bohtlingkを縮約した英訳版だとか悪口を言われる辞書だけれども、辞書のボリュームの割には語彙数は多い。何でもかんでも入っている、というのが正しいのかも知れないが、仏典などと言う、正統なSanskritから見るとvulgar以外の何者でもない文献を読むのには便利だ。Edgertonは、当時知られていた仏典から語彙を拾いまくっているけど、依拠したテクストが、たまにマズイ奴があって、訳語に一考の余地があったりもする。卒論を書いてる頃、気がついたから、Edgertonをちょっと一生懸命引いた経験がある人間ならば、誰でも気づく問題だと思う。
ローマナイズされたテクストを、適宜切り(Sanskritはsandhiという音韻変化があり、音韻規則に従って、単語の切り分けと復元をするところから、テクストを読む作業が始まる)、語根を見る。語根を調べていると、耳元で、先生方が授業で必ず尋ねられた
 root(動詞語根)は?
という声がするような気がする。いまでもSanskritの単語を板書をするとき、学生が理解していてもしてなくても、rootを書くクセが残っている。いま勉強しているノートにも、やはり書いてしまう。
昔から辞書を引くのは早くないが、使い慣れた辞書がエライのは、手にするとちゃんと目当ての単語の近くで頁が開くところだ。いわゆる「手に馴染む」状態なのだが、電子辞書では、この感覚はないだろう。vulgarな文献を読んでいる以上、辞書のブラウズというのも大切な作業で、辞書に載ってないからといって、意味が分からないでは、進まない。どうせ相手はヘンテコな訛りのあるSanskritなので、周囲も見て、当たりをつけておく。
進まねえな、としばらく暗澹としていたのだが、よく考えたら、いま訳している経典は、全文訳すと、学部の卒論一本のネタになるわけだから(というのがわたしが在籍した頃の習慣で、4回生は、最低、なにか梵文の仏典を全部通して読み、それで論文を書くことになっていた)、この程度の速度でも問題ないのだ。こんなものを一晩で全部訳せたら、今頃、印度学の勉強を続けていただろう。そこまで才能がなかったから、別な専門を選んでいるわけで、それほど落ち込むこともなかったと気づいた。
ちなみに、卒論に勧められたのは、出来が悪かったので
 そうねえ、短いから、金剛般若経あたりはどうですか
という話だったのだが、結局、PaliのVinayaとちょっとだけPaliと梵文の経典をつまみ食いする形になった。卒論の試問が終わってから、まだ気になるところをせっせとカードに取っていたら
 なんだ、卒論書いた後の方が勉強してるじゃないか
と、散々先輩達に笑われた。卒論は3ヶ月かけて書いたが、体重が10kg落ちた。

夜中に梵英辞典を引いていると、先生方に心配ばかり掛けていた頃のことを思い出す。

おまけ。オンラインでもMonier-Williamsは引ける。
Cologne Digital Sanskrit Dictionaries
検索能力が上がっていて、使いやすくなっていた。
京都ハーバード方式(Harverd-Kyoto convention)のテーブルは以下に。
サンスクリット語の文字と発音(デーバナーガリー文字、梵字、ローマ字がき)

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2008-05-01

国会図書館関西館へ行く(その2)

国会図書館関西館のいいところは
 アジア情報室が充実している
ところだ。しかも空いている。辞書は各言語、大学の専門図書館並に置いてあるし、机は広いし、調べ物をするのは楽だ。だいたい、家にあるのは分かっているのだが、どこにあるのか分からない、Edgertonの"Buddhist Hybrid Sanskrit Grammar & Dictionary"(Grammarがないとabbreviationが分からないという欠陥がある)を探す時間があったら、さっさと国会図書館関西館に出かけた方が早い。お望みならば、Monier-WilliamsやApteの梵英辞典はもちろん、Roth-Bohtlingk の梵独辞典もある。もちろん、梵和もある。試しに上下二卷の梵漢辞典を引いたら、
 梵和辞典の丸パクリ
があって、あああああ、とため息をついた。ま、中国の辞書なんてそんなものだ。序文を読んでないから、わかんないんだけど、ひょっとしたら「梵和を中国語に訳しました」とか書いてあるのかも知れない。もし、書いてなかったら泥棒だ。
今時、国会図書館関西館まで出かけて、梵文仏典を読むような酔狂な人間はあまりいないから、ほぼ辞書は独占状態で仕事ができる。その点、大学だと学生や院生や先生が辞書を引くから、常に手元で見られる訳じゃない。あとは自分の実力だと怪しい部分を補うために、文法書は持っていかないとね。どうせ梵文仏典はvulgarなsanskritなので(悪口じゃなくて、だいたいどの文法書や辞書にもそのように書かれている)、やっぱりEdgertonのGrammarも覗いたりはするけど。(とはいえEdgertonだって古いものだから、アテにならないことも多い)横にPaliの辞書も並んでいるから、ついでに覗くと更に効果があるはず。
Sanskritから遠ざかってかなりの年月が経つのだけど、今読んでるのは経典だから、まだなんとかなる。論書だったらたぶんお手上げ。出来の悪い印度学の学生だったから、Sanskritが読めないのは今に始まったことではない。読める範囲は仏典の一部だけだ。Sanskritに関しては、学部生に毛が生えているかどうかすら謎のレベルだ。Paliの方がまだちょっとマシかな、な感じ。正統のSanskritからすると仏教文献はvulgarな言語のものばかり。中国語でも結局出土文物とか、写本に行ってるから、印度学の頃と指向性は変わってない。vulgarなものから、テクストを作り出した人達の声を聞き取るのが好きなのだ。

途中、気分転換にCNKIを検索して、いくつか論文をダウンロード、プリントアウトした。
今日ゲットした論文はこんな辺り。
 王鳳蘭 敦煌医学資料研究概況 2003/1 出土文献雑誌
 馬継興 全国各地出土的秦漢以前医薬文化資源(続一) 2002/4 中医文献雑誌
 馬継興 全国各地出土的秦漢以前医薬文化資源(続二) 2003/1 中医文献雑誌
 馬継興 全国各地出土的秦漢以前医薬文化資源(続三) 2003/2 中医文献雑誌
 馬継興 全国各地出土的秦漢以前医薬文化資源(続四) 2003/3 中医文献雑誌
 馬継興 全国各地出土的秦漢以前医薬文化資源(続完) 2003/4 中医文献雑誌
 馬継興 《桐君採薬録》的著者"桐君" 2005/2 中医文献雑誌
 馬継興 《桐君採薬録》考察 2005/3 中医文献雑誌
 彭馨 敦煌手抄医薬巻子文字弁認方法例釈 2007 8-3 長沙鉄道学院学報
一つ論文を検索すると
 お奨めの10点
とか
 関連する論文
とかがずらずら出てきて、便利。PDFをダウンロードして眺めて、気に入ったら、プリントアウトして1枚21円を支払うシステム。
問題は雑誌によってPDFの出来が良くないことで、せっかく印刷しても、何が書いてあるのか読みにくいのがある。

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2008-04-22

国立国会図書館関西館へ行く

東京の国立国会図書館には何度か行った。資料にすぐにたどり着けず、あまり良い思い出がない。

国立国会図書館関西館は、関西文化学術研究都市(愛称 けいはんな都市)にある。京都府相楽郡精華町という、たぶん京都府以外の人はあんまり知らないところだ。民間主導の学研都市というのが「けいはんな」の売りだったのだが、バブルがはじけ、関西の地盤沈下が進む中では、事業としてうまくいっているようには思えない。
もっとも、
 東京本館からあふれ出た蔵書を収蔵する
という目的には、この関西学研都市の国立国会図書館関西館は非常に向いている。広々とした立地で、まだ余裕はありそうだ。

国立国会図書館関西館は、すべての作業を電子化している。
入館時に住所・氏名・生年月日・電話を発行機に入力して、テンポラリの電子カードを受け取り、それを使って
 文献検索・電子ジャーナル印刷・閲覧用貸出(基本的に国立国会図書館は図書館の図書館という位置づけなので、本を外に借り出せるのは外部図書館)・複写申込(セルフコピー・即日コピーなど)
等々のサービスを行うのだ。書庫内蔵書閲覧の場合、本が出てきたかどうかは、端末からも確認できるし、館内にそのための表示ディスプレイもある。病院の薬待ちとよく似たシステムになっている。

この国立国会図書館関西館の特徴は
 アジア情報室
にある。なんと言っても、中国学の電子ジャーナルサービスである
 中国学術情報データベース (CNKI:China National Knowledge Infrastructure)
がフルで使えるのだ。京大でもCNKIは使えるのだが、残念ながら文系の文献のみに限定されていて、中国科学史などの論文は読むことはできない。今回は、中国医学の雑誌検索と論文のダウンロード、印刷が主目的だった。
さすがに平日の午後は空いていて、CNKI端末の前には人はいない。あっという間に目的の文献をダウンロードして、複写受付窓口で、1枚につき税込み21円を支払って受け取った。この間約10分。
次に、この間森ノ宮医療学園専門学校で見ることができなかった『日本医史学雑誌』の該当部分を探す。まず、貸出受付用端末で、必要な資料を検索、出庫依頼を端末で掛けると、約10分後に、カウンターに頼んだ資料が出てくる。これを複写するには、複写申込用端末で、必要事項を入力し、セルフコピーか図書館の人にやって貰うかを選ぶなどすると、複写申込用紙が出てくる。これに必要事項を書き入れて、複写カウンターに持っていくと、コピーできるのである。セルフコピーの方が安いけど、
 A4/B4は14.7円、A3は29.4円
となるので注意。A版にコピーを揃え、必ず拡大するので、A3でコピーしたらちょっと高く付いた。ま、必要な個所は短かったから良かったんだけど。
複写申込は17時までのよう。

何度も利用するのと、郵送でのコピー申込がインターネットでできるので、
 利用者登録
をした。申込用紙はサイトからダウンロードできるので、記入して持参した。他に身分を証明できるものが必要になる。即日カードが発行された。今日は混んでなかったので約15分で登録カードゲット。

また、関西館では
 東京本館や国際こども図書館の蔵書を関西館内で閲覧したり複写できるサービス
があるので、早速、東京本館にある仏教書を取り寄せた。閲覧できるのは3日間で、休館日は含まれない。複写は、セルフは不可で、図書館の人にやって貰うちょっと割高なコピーになる。資料到着は最短で申し込みした日の3日後だが、都合で後ろに延ばして貰える。

奈良からだと、JR奈良もしくは近鉄奈良から、JRなら祝園、近鉄なら新祝園下車。祝園駅の西側にバス停があり、「国会図書館前」で下りる。バスは大体1時間に5本前後あるのだが、問題は電車。イナカの電車ダイヤで、JRだと1時間に2本。

お腹が空いたら、館外に出ると、大通りを挟んだ向かいに
 くら寿司・サイゼリア・ジョイフルなどの安いファミレスとミニストップ
があるので、食事には困らないと思う。

館内の動線だが、あまりよろしくない。
中の人も
 ここは建築家の先生のご希望通りに建てたんで、ちょっとわたしたちでも使いにくいんですよ〜
と言っていた。いや〜、広いのはいいんだけど、これはないだろという配置で頭を抱える。
たぶん、光熱費も凄く掛かるんじゃないかと思いますね。綺麗な図書館なんだけどさ。メンテの費用がかなり必要だろうなあ。

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2008-04-21

杏雨書屋開館30周年記念展示会と講演会@4/19

よいものを見た。
武田製薬の中にある
 杏雨書屋開館30周年記念展示会
は昨日が最終日だった。

杏雨書屋入り口。
Kus1
建物の前には、杏を始めとする薬用植物が植えられている。

杏雨書屋の礎を築いた武田家第六代武田長兵衛生誕100年記念で植えられた杏。
Kus2
隣は、今年杏雨書屋開館30周年を記念して植えられたばかりの杏。

杏の根元にある標識。
Kus3
それを拡大したもの。
Kus5

最終日はよく晴れていた。
16:00終了なので、15時頃到着。
さすがに、15:30を過ぎると、他の観覧者はいなくなり、貸し切り状態になった。
心ゆくまで、単眼鏡を通して、
 国宝・唐鈔本『説文解字』木部残巻
を拝見した。調査のために唐鈔本『説文解字』を見せてもらえるほどエラくないので、次はいつ実見できるか分からない。木部のこの部分は、以前に読んだ個所だから、中味はなんとなく頭に入っているが、改めて唐鈔本の実物を目にすると、そのすばらしさに圧倒される。きりっとした細い線が、美しい。そして、ガラス越しに見る料紙の質感がすごい。わたしは現物至上主義ではないのだが、さすがに、『説文解字』研究者であるならば、一度はこの唐鈔本『説文解字』は実物を見ておいた方がいいだろうな、と思う。わたしは『説文解字』は読むけれども、専門じゃないから、そこまではしないけれども、こうした千載一遇の機会に拝見するだけでも幸せである。
漢代研究者としては、その下に展示されていた二点の国宝
 南宋刊本『毛詩正義』
 北宋刊本『史記集解』(単刻本)
など貴重な典籍をじっくりこの目で眺められたのが楽しかった。仏教関係では
 『性霊集』(重文)
 『聖徳太子伝暦』(重文)
 『薬種抄』(重文)
 『香要抄』(重文)
 『穀類抄』(重文)
 『香字抄』(重文)
などが出ていて、多分次はないだろうな、と思いながら、短い時間だが楽しく拝見した。
また
 『宝要抄』
には、最初に梵字で
 ratna(=宝)
と書いてあるのが、結構ツボにはまった。

本草関係では、原色で描かれた動植物の図が美しいものが、幾つも展示されていて、それだけでも、目の保養になった。

武田製薬は太っ腹で、この展示の図録を、カラー印刷で作り、観覧者に無料で配布していた。このカラー印刷がよくできていて、タダで貰ってきたのが、申し訳ないほどのカタログなのである。

前日、4/19には記念講演会が開かれた。

開会の挨拶をする吉川忠夫先生。
Yskw
この4月から杏雨書屋館長になられた由。

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2008-04-16

『日本医史学雑誌』を求めて

大阪の森ノ宮医療学園専門学校には
 日本医史学雑誌が全部揃っている
という話を聞いたので、行ってきた。

東洋医学の授業がある専門学校だから、たしかにオリエント出版の影印シリーズはそこらにあるし、あんまり込んでもいないので、図書室は使いやすいのだけれど、肝心の『日本医学史雑誌』は、
 森ノ宮医療専門学校にも森ノ宮医療大学にもありません
と司書兼務の方ににべもなく断られた。そもそも
 閉架の図書は外部の人間には閲覧不可
だそうだ。製本雑誌の閲覧が出来ないのじゃ、交通費を掛けて行く意味が半減してしまうな。うちからだと片道750円かかる。近鉄奈良から乗り換え1回で行けるのは便利なんだが。

森ノ宮医療学園専門学校は、夜間コースがあるおかげで、
 21:30まで図書室が開いている
というのが魅力ではあるんだが。

しょうがないので、意を決して、国立国会図書館関西館に行こうか。一応、『日本医史学雑誌』の所蔵は確認した。
国立国会図書館関西館は、非常に行きにくい場所にあるんだよな。
車がないと不便、という立地。車じゃなければバス。当然、免許を持ってないわたしはバスで行くしかない。

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2008-04-15

杏雨書屋開館30周年記念展示会 4/14-4/20

武田製薬が出資している
 武田科学振興財団

 杏雨書屋開館30周年記念展示会
を昨日から開いている。


杏雨書屋開館30周年記念展示会

期 間:2008 年 4 月14 日~4 月17 日 国宝、重要文化財はレプリカの展示
   4 月18 日~4 月20 日 国宝、重要文化財は実物の展示
場 所:杏雨書屋2 階展示室
開館時間:9 時~16 時
展 示:杏雨書屋の国宝、重要文化財
杏雨書屋所蔵の国宝3 点、重要文化財10 点を始め、歴史的に価値の高い所蔵物を一挙公開いたします。
〒532-8686 大阪市淀川区十三本町2-17-85
武田科学振興財団・杏雨書屋
杏雨書屋への行き方
TEL:06-6300-6815 FAX :06-6300-6034

杏雨書屋の所蔵する国宝・重要文化財のリストは次の通り。


主な収蔵品

[国 宝]
 説文解字木部残巻   1巻
 毛詩正義      17冊
 史記集解      11冊

[重要文化財]
 薬種抄      2巻
 香要抄       2巻
 穀類抄       1巻
 香字抄      1巻
 古文孝経      1巻
 春秋経伝集解    4巻
 遍照発揮性集   7巻
 聖徳太子伝暦    6冊
 春 記      3巻
 実躬卿記 51巻

というラインナップだ。
実に短い期間の展示なので、気合いを入れて是非。
見に行くなら、実物が展示される4/18-4/20がお奨め。今電話して確認したが
 雨天でも国宝の展示はある
そうだ。以前、恩師が雨の日に写本調査に行ったら『説文解字』を見られなかったと仰っていたが、展示だからか、大丈夫とのこと。

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2008-03-16

間違った訳注を直す手間

jun-jun1965さんの「猫を償うに猫をもってせよ」の記事
2008-03-16 三年酢?
から、飛んでくる方が多いので、上記記事にコメントを入れようと思ったら、コメントは受け付けない設定のようなので、こちらに書いておく。

間違った訳注がある場合、直す手間はもの凄くかかる。実に非生産的な作業だ。一部分が間違っているのであればよいのだが、槙佐知子訳『医心方』の間違っている部分はそんな生やさしい数ではない。
じゃ、どうするかというと、見ない、使わないということになる。
昨年夏の研究班で槙佐知子訳を見てみた理由は
 どの程度使えるかを検証してみる
という目的もあったと思うのだが、結論は、複数の研究者で行っている会読でも、これは直すのはしんどそうだ、ということだった。もちろん、槙佐知子訳の訳文には良い訳もあるのだが、中国文献学の基本的な部分がダメというのでは、わたしとしては使う気が失せるのである。
『医心方』は日本の書物だが、その中に引用されている医学書のほとんどは、中国・朝鮮半島から伝来したものであり、中国文献学の基本的な操作が必要である。そのための修練を積む必要があるのだが、そこがすっ飛ばされているのは、不思議で堪らない。学部三回生が半年〜1年間の実習で身につける技術であり、そうした技術を無視するという辺りに、不信感を抱く。もし、身につけたければ、中国古典学を扱っている大学で一年間聴講生として、そうした科目を履修すればいいのだ。特殊だが必要な技術は、自習ではなかなか身につかない。だいたい、中国学の三回生は、後から考えると顔から火が出るような間違いを山ほど犯して、一人前になっていく。

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2007-12-18

オンライン梵語辞典

いや、単にわたしが寝ぼけていただけなのですが。

英梵辞典を引かなくてはいけなくなったが、手持ちにない。
まさかな〜と思いながら、ググったら、世の中は便利だな。あるのよね。
Cologne Digital Sanskrit Dictionaries

ドイツ人エライ!
手元にあるMonier-WilliamsもApteもオンライン辞書になっている。
でも、なぜか梵英は、手で引いた方が早いので、使うのは英梵だけ。

このサイトが更にエライのは
 デジタイズされてないけど、PDFで辞書イメージを提供
している点だ。
その昔、高くて買えなかった
 Boehtlingk's Sanskrit-German Dictionary
があって、泣ける。どの印度学の研究室にも最低1セットは置いてある、あのデカい梵独辞典である。
もちろん、他にも
 Monier Williams Dictionary (pdf — img)
 Apte English-Sanskrit Dictionary (pdf — img)
 MacDonell Sanskrit-English Dictionary (img)
 Wilson Sanskrit-English Dictionary ( img)
と揃っているから、引こうと思えば、ちょっと時間は掛かるけど、イメージから辞書を引くことはできる。
Monier-WilliamsはBoehtlingkのパクリかつ簡約版だという話を昔聞いたけど、どうなんだろうな。
読んでいるのは、仏典なので、ほんとうはFranklin Edgertonの
 Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary
で引かないといけないんだけど、たぶん倉庫の中だ。BHSDもBHSGも持っているのに使えないとは情けないのだが、昔BHSDで今読んでる経典の語彙を引いたことがあって、その時は
 現物返し
というのを確認してるから、ま、なくてもあまり困らないとはいえる。ちなみにBHSDもBHSGも、インド製本のを持っていたので、紙が悪く、生協から研究室に持ってきて、机の上に置いておいたら、当時の助手さんに
 ああ、牛糞の臭いがする
なんて、指摘されたのを覚えている。軽いのだけが取り柄だ。
生協で注文したら、洋書は丸善通しで、全然卒論に間に合わなくて、提出してから届いた、腹立たしい思い出の残る辞書と文法書である。卒論のためには、辞書がなくてかわいそうに思ってくれた哲閲のおねえさんが、複数セットあったBHSDとBHSGを貸してくれた。

今回の件は、
 何でも書いてあって、今一信用できない辞書
などと揶揄されていたMonier-Williamsがあるから、なんとかなるって話で、別に校訂しているわけでもなく、パラレルなフレーズを拾ってるだけで、正確性はそれほど要求されてない。
もう何年もサンスクリットを読んでないから、横にWhitneyの"Sanskrit Grammar"を置いて、格変化や活用を確認しながら読まないといけないのが情けないけど、経典だから、そんなにとんでもない形が出てくる訳じゃないし、いいや。ちなみに、Whitneyの文法書の初版は
 1879年
だ。使っているのは第五版で、元はライプツィヒで1924年に出ている。当然、そんな高い本を使っているわけがなく、手元にあるのはインドリプリントで、Motilalから出ている分だ。確か、研究室で誰かがインドに本を注文するから、ついでにお願いして買った分だと思う。
なんでまたWhitneyなんか見てるかというと
 辻直四郎の『サンスクリット文法』
が、勉強部屋の腐海に沈んでしまったので、しょうがなく書庫から持ち出してきた。鎧さんの作ったIndexは見えるところにあるのに、本体がないという間抜けな状態だ。
あと、いま腐海に沈んでいて困っているのが
 高田真治・後藤基巳『易経』岩波文庫
だ。2セット買っておいた筈なんだけど、どっちも行方不明。

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2007-12-08

「日本に比べて文献史料が豊富な韓国」って古代に関しての話? 毎日新聞奈良支局の大森顕浩記者に是非お尋ねしたい

毎日新聞奈良支局が、こないだの木簡学会で取材に来てたようなんだけど、いつも古代史の記事を担当している大森顕浩記者が、こんなことを書いている。(毎日新聞奈良支局の古代史担当は、大森記者とあの「大淀病院産婦死亡事例」第一報を青木絵美記者と連名で書いた林由紀子記者)


鹿笛:先日開かれた木簡学会で… /奈良

 先日開かれた木簡学会で、韓国木簡学会の会長が講演した。韓国木簡学会は、今年1月の結成で、会員は約50人。韓国で確認されている木簡は約20カ所の遺跡から計300余点だ。

 日本に比べて文献史料が豊富な朝鮮半島で、木簡がもっと出ていてもいい気がする。韓国内では、木簡が少ないのは朝鮮半島の地質のためと悲観的な考えもあったという。しかし80年代の発掘調査の増大で木簡出土が続き、今後も各地の山城の発掘で出土が期待されている。

 「木簡を通じた日本、韓国、中国の文化交流を期待する」という会長の締めくくりの言葉に、会場から大きな拍手が上がっていたのもうなずける。(大森)

毎日新聞 2007年12月7日

あの〜
 三国時代以前の朝鮮古代史史料について「豊富」だというのなら間違い
だと思いますが。
朝鮮古代史研究の困難は、まさにこの
 古代の同時代文献史料が乏しい
ところに問題がある。
朝鮮古代史を記した『三国史記』『三国遺事』のいずれも、
 12-13世紀の成立
である。よほど
 『日本書紀』の朝鮮半島に関する記述の方が古い
のである。もっと言えば
 『源氏物語』の原撰時期(通説では1001年頃などといわれている 追記18:50 来年は「源氏物語千年紀」というイベントがあるが、その説では1008年の『紫式部日記』の記述を根拠に「源氏物語」の存在が確認されたとする)の方が『三国史記』や『三国遺事』より古い
のである。日本の史書で言えば
 『大鏡』の方が、1145年成立といわれる『三国史記』より古い
筈だ。
書いてある中身が古いということは、史料の成立が古いことを保証しない。そんなことが通用するなら
 いくらでも遡って偽史を作ることが出来る
ではないか。
だからこそ、朝鮮古代史の研究をする場合は
 『日本書紀』などの日本の文献や、当然ながら中国の史書を参考にして再構築しなければならない
んじゃないの?

いったい、古代の木簡を多く扱う木簡学会で、韓国木簡の出土年代に関しても、古代に属するものの話だったというのに、それを紹介する記事が指し示す
 文献史料が豊富
というのは、普通に考えて
 韓国で古代に書かれた朝鮮史の古代文献史料が豊富
と読むべきだと思うのだが、そう言い切る根拠はどこにあるのか知りたい。古代史に関して、新たに
 朝鮮半島の古代人の手になる確かな古代文献史料が出てきた
という話はわたしが勉強不足でまだ知らないので、是非、大森記者にはご教示いただきたい。

まあ、大森記者は、時々現場で見かけるけど、古代史の取材が気に入っているようには見えないからな〜。
今回の韓国木簡学会の設立が重要なのは
 文献史料が乏しく、従来知られなかった古代朝鮮史の記録が木簡の形である程度の数まとまって出土しており、それを利用して歴史の再構築ができる
という点に尽きる。そこをすっとばして
 文献史料が豊富
というのならば、最初から、韓国の先生の話をちゃんと聞いてなかったってことじゃないのか。会場で、わたしも同じ話を拝聴していたけど、そんな話じゃなかったはずだけどな。

それとも
 紋切り型の日韓友好を謳ったり、韓国のことをホメておけば、毎日新聞の主張とも合うし、井上支局長にもホメられる
とかという打算で書いた記事なのかしらね。これこそ、毎日新聞の大嫌いな
 歴史の歪曲
の筈なんですが。

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2007-12-04

論文を書く

木簡学会で、鈴木靖民先生に
 あなたの論文をこないだ書いた本に引用しましたよ
と声を掛けていただいた。自治体の道路工事に伴う緊急発掘で出てきた木簡についての論文で、埋文センターの出した報告書に掲載されているので、今となっては入手が難しいものなのだが、そうおっしゃっていただくと、実にありがたい。時々、コピーを求められることがあるのだけれども、さすがに筆者であるわたしの手元にも、抜き刷りの方は在庫が尽きてきた。報告書はほとんど残部がない。

今年の夏の酷暑で、すっかり内臓をやられてしまい、長い論文を書けなかった。
今回は今年末締切のものが一本あるので、鋭意準備中なのだが、風邪のせいで、なかなか文献を取りに行けない。内臓をやられると、こういうときに回復が遅くて困る。
奈文研と京大に行けば、だいたい用事が済むはずだが、週に何日も寝込んだりしている上に、学会シーズンだから、体力の配分が難しい。9月に1つ、11月に1つ、土日の木簡学会と、月に1回くらい学会に出ている。1回学会に行くと、消耗がひどくて、1週間は使い物にならない状態なので、結局、実働時間が限られる。ま〜、誰も助けてくれる訳じゃないので、泣いても喚いても、論文は書かなければならない。
案外、外でばたばたしてる方が、元気なんだけどな。
目眩は大分マシになった。
あとは気合いだな。

風邪が長引いて、肩と背中が重い。息も切れる。
売薬でごまかしてないで、病院に行かないと、いけませんかね、これは。
肺活量はある方なので、この二日ほど、ちょっと動くと息が切れるのには驚いた。咳が出ているわけでもないし、一体なんだろな。最近の風邪はいろんなタイプがあって、しかもタチが悪いらしいが。

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2007-12-02

木簡学会一日目@12/1

珍しく、木簡学会の発表が新聞で取り上げられている。
産経より。


和歌専用の長い木簡使用か 各地で出土の木簡を調査し判明 大阪市大教授が新説
2007.12.1 21:27

平城宮跡で出土した和歌の木簡。もとの長さは通常の数倍の長さだったと推察された=奈良市の奈良文化財研究所

 古代人は、通常よりも数倍長い専用木簡に和歌をしたため、儀式で朗々と詠み上げた-。そんな新説を、大阪市立大大学院の栄原(さかえはら)永遠男(とわお)教授(古代史)が1日、奈良市の奈良文化財研究所で始まった木簡学会の第29回研究集会で発表した。栄原教授は「歌会などで用いたのでは」と推察しており、独特の木簡の形態に迫る報告として注目される。
 栄原教授は、全国各地で出土した和歌が記された木簡を調査。荷札や役所の文書が記された一般的な木簡には十数センチ程度のものも多いのに対し、和歌が記された木簡は数倍長いものが目立った。
 「皮留久佐乃(はるくさの)皮斯米之刀斯(はじめのとし)」と記された難波宮跡(大阪市)出土の7世紀中ごろの木簡は、長さ18・5センチで途中で折れていた。栄原教授は、1首31文字が1行に書かれていたと仮定し、もとの木簡は文字部分だけで推定49センチ、余白を含めた全体はさらに長かったと推測している。
 また「目毛美須流…」で始まる平城宮跡(奈良市)出土の8世紀後半の木簡は長さ58・5センチだったが、同様にもとの木簡は文字部分だけで74センチだったと推測。裏には目盛りが残っており、物さしだったものが転用されたと考えられるという。こうした歌専用の木簡は「難波津の歌」が書かれたものなど約十点を確認。多くは通常の木簡の数倍の長さだったという。
 栄原教授は「フォーマルな場に長大な木簡を持っていき、唱和したり単独で読んだりしたのではないか」と推測。木簡学会に出席した犬飼隆・愛知県立大教授(言語学)は、この説について「公式の場で歌うために使われた専用木簡があったという指摘は画期的だ」と評価している。

実は、この新聞に写真が掲載されている木簡について、昨日、展示室で犬飼先生と議論をしていたところで、今日午後の質問タイムにまとめて質問の予定。ついでに資料も配付しようっと。(なんか最近、よく、木簡学会でボランティアで配付資料作ってるな)
栄原先生は、7月の「美夫君志会」(万葉集専門の名古屋の学会)で、この長い「和歌木簡」について発表されたが、昨日の発表では、更に発展した考察を述べられているというのが、「美夫君志会」に出席された犬飼先生から伺った話。栄原先生は、純粋に
 文物としての木簡
というアプローチ。
 和歌の中身は専門家にお願いします
ということだった。
犬飼先生は、万葉学者として、同時代の和歌という観点で考察されている。
ただ、この「物差し転用(というのが栄原説)木簡」については、記された和歌の内容、筆跡、物差しとの関係など、議論の余地がまだあるので、たぶん、今日の質疑応答タイムのメイン題目の一つになるのではないかと思う。
犬飼先生は、この「和歌木簡」について、すでに論文をお書きだとのことなので、刊行が待たれる。

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2007-11-28

湯浅邦弘『戦いの神』研文出版

なぜかamazonに在庫がない模様。
阪大中哲の湯浅邦弘先生の新刊。後書きを読むと
 博論出版時に割愛した部分に加筆したもの
ということだ。ジュンク堂の内容紹介から。


第1部は、中国古代の戦争神「蚩尤」像の変容を追いながら、古代中国における戦争観・平和観の特質について考究する。神話伝説資料を網羅的に検討するほか、新出資料の馬王堆漢墓帛書『十六経』も取り上げる。第2部では中国的文武観について、第3部は唐宋時代の主要兵書について考察。

ちょうど楽天のポイントが1000ポイントくらいあったので、楽天から購入。
まだ全部には目を通してないのだが
1. 蚩尤の形成と変容
2. 兵書の内容
に興味があったので、入手した。そもそも
 陰陽五行思想と兵書は切っても切れない関係
がある。『五行大義』を読んでいる以上、兵書にも目配りしておかないとね。あと
 蚩尤の形成と変容
は、文献学的に跡づけると、結構大変。そもそも、依拠すべき文献の出自(原撰は古い時代のモノでも、中国の書物故、いつの時代から改変されているかとか、気をつけないといけないことは多い)を睨みつつ、画像資料もある蚩尤をどう定義づけるかっていうのは、力業が必要。
卒論・修論でも、蚩尤のことは調べた(というか前漢の辞賦を読んでいれば、蚩尤は当然出てくる)けれども、諸説紛々として、定めがたいという印象がある。(その頃はインターネットだの電子化された『四庫全書』だのという便利なツールはなかったから、ひたすら本をめくって調べた)だいたい、
 各論併記
だもんな。
湯浅先生が、それらの資料をどう収束させて蚩尤像をまとめられたか、それをこれから拝読する予定。

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2007-11-18

風邪気味

気力が涌かない。こう言うときは、まず風邪の初期症状だ。

昨日、京都の研究会に出て行ったのだが、学会で
 調子が良ければ行きます
と宣言したとおり、半病人モードで出席。行くときは少し暑かったので汗をかき、会場がちょっと涼しかったので軽い寒気。6時過ぎに終わったとたんに、ダッシュして1時間弱で奈良まで戻ってきたけど、やっぱりヘタリ気味だ。
軽く汗を流してから、おとなしく寝ているのだが、風邪引くか、引かずになんとか保つかの間くらいの体調。
疲れも溜まっていること故、栄養を取って、休息するに如かず、か。

玲舫さんのレシピを援用して
木犀肉片
でも作るかな。身体を温めて、栄養を取るのが一番だろうな。
冷蔵庫には、木耳は戻して入れてある。あとは、青菜と豚肉の処理。ご飯も炊かなくちゃ。

年末までに1本論文提出が決まったので、そうそう寝込んでもいられない。風邪を引くと、目が使えなくなるので、仕事が止まるし、外に出られないと、本を探しに行けない。
論文を上げるとなると、文献の再チェックに京都や奈文研に出かけないといけないからなあ。ご近所の奈文研で大体済んでくれるといいのだけど、奈文研にある本は京大になかったり、その逆だったりして、結局、どちらにも行く必要がある。「文献と考古学的事実の突き合わせ」なんて、当たり前のことだと思ってたら、きっちり文献が揃ってることはなくて、半分くらいは学際的になっちゃうのは何故だろう。今回は扱う範囲が
 美術史(中国・日本)・庭園史(東アジア・インド)・考古学(東アジア・インド)・中国古典文献学・印度文献学(要梵文)・仏教学
の間なので、ピンポイントの文献がなかなかない。知り合いに助けていただかないと、入手困難な論文もあったりして、苦労する。
日本の中世以降の状況については、富山にいる絵巻物が専門の友達が助けてくれた。教養時代からの付き合い、L4の同級生だが、持つべきものはやはり友だ。ただ、教えてもらった書物が手元にないので、これまた探しに行かなくては。

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2007-08-05

槙佐知子訳『医心方』の問題点 「果敢な挑戦」ではあるが、学術論文にそのまま引用できない水準 出版元である筑摩書房の担当編集者は怠慢の極み

2007-07-31 虎なんていないのに@医心方巻十八
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/07/post_b529.html
で、毎年現代語訳が筑摩から出ている
 槙佐知子訳『医心方』
が、
 なぜ大学図書館に入ってないのか
と疑問を呈したが、昨日の『医心方』研究班で、槙佐知子訳の極一部を見る機会があり、内容の検討がなされ、その理由がだいたいわかった。
1. 槙氏が医学や中国学の専門家ではないために、訳注の付け方や写本の校訂の仕方が恣意的で、典拠不明の文言があり、細かい誤りが多い
2. 誤りが多いだけでなく、明らかに校正不足
3. 槙佐知子訳は、学術論文に於いては、そのまま引用してはいけない水準
こういうわけで
 高価な書籍だが、そのままでは到底使えない「専門書の現代語訳」
なのだ。もし、槙佐知子訳『医心方』を学術論文で使うのであれば
 自分で『医心方』原文に従って、補訂した上で使う
のが、正しい。
 現代語があるから便利
とばかりに、そのまま引用すると
 誤りの上に、誤りを重ねる
ことになるだろう。

しかし、
 筑摩は、編集業務において、手を抜いている
としか思えない。一体、編集者は何をしているのか。少なくとも
 中国学に造詣のある編集者が担当しているとは思えない
のである。だいたい
 『唐書芸分略』
などという杜撰きわまりない訳注がつくのを放置しているのは、怠慢以外の何者でもない。一体、
 編集者は校正チェックを入れているのか
と思う。ちょっと説明すると、『唐書』と呼ばれる史書は
 『旧唐書』と『新唐書』の二種類
あり、どちらも書籍に関する解説目録を持っているが名称が違う。
 『旧唐書』は「経籍志」
であり,
 『新唐書』は「芸文志」
である。また
 芸分略
という不思議な名称は、恐らく
 南宋・鄭樵の 『通志』の「芸文略」
と混同した物だろう。つまり
 『唐書芸分略』
などという書物は存在しないのである。これは
 国立大学の中国の古典を扱う学科であれば、三回生で習得する水準の文献学的知識
である。ちなみに
 新旧二種類の正史があるのは『唐書』と『五代史』
であり
 引用するときは『旧唐書』『新唐書』『旧五代史』『新五代史』と新旧の別を明らかにするのが最低のルール
だ。
薬物名においても、植物では典拠不明の和名が載っており、甚だしい場合は
 植物の科名が間違っている
場合すらある。たった10数頁をみただけだが、
 有毒植物を薬用植物と混同している例
もあるのだ。

『医心方』の個人訳というのは、尊い仕事ではあるのだが
 もし、間違った処方を世に出した場合、それを使用した人が中毒などの被害を受ける
ことは、考慮されているのだろうか。
最近は、
 エコの流行
もあり、
 伝統医学の見直し
の機運もある。それはいいのだが
 『医心方』の現代語訳で処方部分の植物名に明らかな誤りがあり、人体に有害な場合もある
とすると、これはダメだろう。

少なくとも、筑摩書房と筑摩の担当編集者は
 読んだ人が、訳注に従って、「有毒でない」と思われる処方を実験する
ということも考えてほしい。少数の専門家が使う書籍だから、そうした間違いは放置しても大丈夫とタカをくくっているのだとしたら
 出版社としての見識を疑う
のだ。
 公刊された以上、誰もがアクセスできる公共図書館には収蔵されている可能性がある
のだ。
今は夏休みだ。もし
 小〜高校生が夏休みの自由研究で、図書館で借りた槙佐知子訳『医心方』に従って、処方を実験する
なんてことがあって、それが
 比較的入手が容易な有毒植物(庭木になるような植物にも有毒植物はある)を、「薬用植物」と間違って「処方」しているものにトライする
と、死に至ることはないにせよ、いいことはないだろう。

出版社は、自らの出版物にもっと責任を持ってもらいたい。恐らく、槙佐知子訳『医心方』に関しては、膨大な正誤表が必要になると思う。

しかし、筑摩書房って
 吉川幸次郎全集
を出してる出版社なんだよな。比較的中国古典には強い出版社だったはずなのだ。
その筑摩でこのていたらく。
しかも
 筑摩から出ている、高価な学術書
だから、普通は
 信頼に足る、すばらしい内容
だと思うわけで、二重の意味でショックだった。
大丈夫か、筑摩。

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2007-08-01

産婦の脳出血@医心方巻二三

大淀病院産婦死亡事例は、出産中の産婦さんが脳内出血を起こし亡くなられた、不幸で稀な事例だった。合掌。

ところで、MRIもCTもなければ開頭手術もできない、平安時代、安倍晴明の活躍したのとほぼ同時代に成立した日本最古の医学書である丹波康頼『医心方』巻二三には
 出産の際に脳出血を起こした産婦さんの治療法
というのが載っている。(ちなみに『医心方』巻二一〜二四は、産婦人科に充てられている。)
こんなの。
 第二七 治産後中風口噤方(産後に中風となり口がきけなくなる症状の治療法)
この時代は脳出血という概念はないから、すべて
 中風=風に中(あた)る
ということになる。
産婦の脳出血は知られていたようで、以下中国の医書から
 小品方二条
 葛氏方一条
 千金方一条
 録験方一条
 僧深方一条
 博済方一条
 産経一条
と合計八つの治療法が引用列挙されている。治療法といっても、
 服薬による対症療法のみ
で、果たしてどれだけ効果があったのかはわからないけれども
 産後の脳出血
にこれだけ治療法があるということは、それだけ知られた症状だった、ということだ。

ちなみに、巻二五は小児科の巻だがここにも
 第五十 治小児口噤方
があり、脳出血もしくは脳性麻痺で口を開かない乳幼児の治療法が書かれている。書いてある処方は
 雀の糞を麻の実くらいのくらいに丸めた物を呑ませる
 鹿の角と大豆とを粉状にしたものを乳房に塗って呑ませる
というもので、効果はなさそうだけど。二つ目の処方は「乳房に塗る」ということだから、赤ちゃんの脳出血や脳性麻痺を想定しているのではないかと思う。

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2007-07-31

東北大学薬学部の漢方の講座がなくなっていた

NIIで引くと、日本の大学では、
 東北大学医学系
のみに収蔵されている
 中國中醫基礎醫學雑誌 2004/10
を探し求めているのだが、昨日は医学分館に
 ありません
と断られた。かくなる上は
 薬学部の図書館かな
と電話をしたら
 薬学部の漢方の講座は廃止されて先生もいなくなった
とのこと。げげっ、それで
 2005年までしか、中國中醫基礎醫學雜誌のNII登録予約
がないのか。
日本中の大学で、NIIで引っかかってくる限りにおいては、東北大学にしかない。
司書の方が親切で、
 可能な限り探してみます
と協力してくださるとのことで、ちょっとほっとした。
もし、東北大学でアウトだと、あとは
 中国医学史研究者の個人蔵書
を尋ね回るしかないんだけどな。どうしても必要な文献なので、ちょっと今は頭を抱えている状態。
どうか東北大学薬学部旧漢方講座の蔵書にありますように。

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虎なんていないのに@医心方巻十八

ひたすら『医心方』各巻の細目を手で入れている。手元にあるのは半井家の写本を江戸時代に翻刻したものの影印版だからOCRが使えない。 翻刻の詳しい話は森鴎外『澁江抽齋』を読んでくださいね。
ま、手で入れると覚えるからいいけど。
いま片付けた巻十八というのは
 いろんな動物や昆虫に咬まれたり刺されたりしたときの治療法
が載っている箇所。
日本に虎なんていないんだけど
 虎に咬まれたときの治療法
なんて項目がある。おい、丹波康頼、ちょっと聞きたいんだが、
 見栄で入れたのか?
あとヘンなのは
 蚯蚓に咬まれたときの治療法
とか
 井戸や古墓の毒に当たったときの治療法(井戸は分かるが墓の毒って、墓泥棒でもしてるのか?)
とか
 熊に咬まれたときの治療法
も、当然ある。いずれも遭遇したくない。
 蛇に巻き付かれたときの治療法
という、あまり考えたくない状況にも、きちんと対策がある。

この巻の前半は、刀傷や矢傷の治療法が列挙されているのだが
 刀傷を負って、エッチしたら、急に大量出血しちゃったときの治療法
なんて
 英雄色を好む
というか
 おい、ちょっと待て
というか、何とも不思議な状況の治療法も記されている。

まあ、古代の人たちの
 分類法
って、よくわからん基準だから、適宜突っ込みを入れながら入力していくことになる。ちなみに、この巻の最後は
 蠱毒を避ける方法
だ。蠱の呪いなんて、掛けられるとイヤですが。

論文が仕上がって暇になったら、こうした変な治療法を紹介していこうかな。
巻十八に関しては槙佐知子さんの現代語訳があるのだが、滅茶苦茶高価な上に、大学図書館には所蔵がない。筑摩が出してるんだけど、大学図書館が入れてないって事は、値段の問題なのか、訳の精度の問題なのか。NIIで引っかかってこないからなあ。国立国会図書館にはさすがにあるけど。
槙佐知子訳『医心方』は現在までに全30巻の内の23巻分が出ている。一冊18000円前後だから、全部揃えるとちょっと目がくらみますね。どうしても読みたければ、国公立図書館で入れてもらって読むのが吉かな。

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2007-07-29

そこらにある書物

いや〜、びっくりした。
 加藤純章『経量部の研究』1989 春秋社
って、
 そこらにある書物
だと思っていたら、京大には所蔵がなくてショック。なぜないかという理由は大体分かるが。予算執行が遅いので、買いそびれたというのがたぶん一番真実に近そうだ。
一番近場は、龍谷大学大宮図書館だけど
 禁帯出
なので、直接見に行かなくてはいけない。その前に
 身分証と資料利用依頼書
が必要だ。資料利用依頼書はどこから出してもらうのが一番早いかな。

普通のありふれた書物だと思っていたから、これには驚いた。大学の所蔵一覧を見ても、NIIで18件しか引っかからない。出身大学の東大にもないみたい(単にNIIに登録してないだけかも知れないけど)。ある意味凄い。
東大学内OPACを引いてみても、やっぱり『経量部の研究』はない。『大智度論』の科研報告書は収蔵されてるのに、これは一体何?
だって、『経量部の研究』って、東大で学位を取った後に、学位論文を出版したものじゃないの?
謎すぎる。

続き。
先輩に聞いたら
 あ〜、あれ、オレも持ってないんだ
とのこと。
 評判が良くて、あっという間に売り切れ。部数が少なかったみたいだし、再版してない。
頼むよ、春秋社。再版掛けてよ。
ある程度の年齢以上の研究者だと、たぶん著者から贈呈されているから、別段図書館になくてもいいや、というありがちなパターンで
 東大と京大に収蔵されてない
わけですな。89年だと、ちょうど
 昭和23年組
と呼ばれる
 旧制高校出身、旧制・新制大学ごちゃまぜ
の教官が退官した年で、89年春の図書購入時期はまだ混乱があったはず。この書籍は
 1989年2月20日
に出ているので、88年、すなわち昭和63年度分の図書予算を使い切った研究室が年度末購入を諦め、新年度の始まる4月以降に購入手続きを取ろうとしても、版元品切れ再版なしで売り切れていたんだろうな。
仏教論理学を研究するための基本図書なのに
 大学にあまり所蔵されてない
という、ちょっとかわいそうな書籍だ。

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2007-07-28

仕事の日々

夏休みは、仕事をやっつける時期だ。
その上、急に論文を書くことになり、準備に追われている。8月中には、別に一本書かなくてはいけない。
9月と11月には学会発表もある。

論文モードになると、昼夜がなくなる。逆転するのではなく、
 眠いときに寝て、起きたら作業を続け、適当に食事を取って、疲れたら眠る
というサイクルを一日に何回か繰り返す。
月曜日には、京都で調べ物をしなくてはいけないから、暑い中を出かけられる程度には体力を残しておかないとなあ。国会図書館関西館に同じ資料があれば、明日出かけよう。
と、思って調べたら、やっぱり国会図書館にはなかった。人文研まで行かないとダメなようだ。

お盆休みは図書館も閉まってしまうので、ちょっとだけ横浜に帰ろう。

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2007-07-27

古典学の衰亡

昨日は京都に出かけ、人文研で雑誌をコピーさせていただく。武田先生、お忙しいところをありがとうございました。
その後は文学部図書館に行き、卒業生用カードを作る。名前は
 文学部図書館
だが、電話すると
 文閲です
という答えが返ってくる。哲閲・史閲と三つが合体した形だが、代表名は文閲だ。
 すぐに書庫には入れます
というので、入ろうと思って、ふと見ると、日文研でお世話になった司書の方が文学部図書館に異動されていた。今年の4月からだとか。博論作成時には資料集めに尽力していただいたお一人である。

書庫に入って愕然とした。かつて
 支哲文(戦後は中哲文。史部の書籍はB分類で以前は史閲に置かれていた。現在でも本棚の場所が違う)
と言い習わされて、旧文閲の3階、書庫の扉を入って右側の大量にあった中国古典の書籍が、同じように書庫の扉のすぐ後ろに並んでいるのだが、明らかに
 最近、あまり図書を利用した形跡がない
のだ。つまり
 棚が死んでいる状態
なのである。京大文学部図書館の書庫に入ったことのある人なら知っているが、京大の中哲文は
 線装本が大量にある
のだ。世界で唯一と言っていい、
 聴講生以上の身分があれば、書庫で明代以降の貴重本でない刊本は普通にコピー閲覧できる図書館
なのである。それが明らかに最近触られた形跡がないのである。

理由はいくつかある。
1. 中国・台湾・香港でテクストの電子化が進み、直接、書物を手に取らなくても、調べ物が出来るようになった
2. 古典学を志す学生が減った
などだ。一番大きな理由は1だろう。
池田秀三先生のところにお伺いしたら、
 ぼくも最近はコンピュータの中のテクストを切り貼りしてるよ
と仰っていた。池田先生のような鴻儒がカットアンドペーストで十三経を利用されるのは、問題ないのだが、
 きちんと句読を打てない、学部生・修士レベルの院生が、他人の作った電子化テクストで論文を書く
のは、
 読解力がないまま、切り貼りするだけ
になるので、大いに問題がある。
要するに
 読めないままに、テクストを貼り付けて、分かったつもりになる
わけで、これは
 古典学の衰亡
以外の何者でもない。

池田先生は
 最近、経学が残っているのは世界で京大だけだというお墨付きをもらった
と、冗談交じりに仰っていた。確かに、
 漢代の礼制について議論する授業
を毎年開講して、学生が清代考証学と同じ手法でテクストを読むなんて悠長なことは、他大学では認められないだろう。今は
 国際化
とか
 いかにカネになるか
が、
 文系の学問の価値
を定めている、悪しき時代である。

特効薬というのは、毒薬である。その症状が出ているときにしか使えない。
いま、文系に
 カネになる、国際化する
という
 特効薬的な役割を求める
のは、もともと、
 養生術のように、穏やかな「効き目」
で命脈を保ってきた古典学に死をもたらすだけだろう。

古典学が失われるとき、それはたぶん遠くない。
古典学が失われるのは、人類の歴史上、初めてのことではないが、今回の衰亡は
 次の復活はないかもしれない
という漠然とした不安を起こさせる。

池田先生は
 修論までは手で書くようにせんと、あかんなあ
と仰っていた。わたしも同意見だ。ここまでテクストの電子化が進むと、先祖返りにはなるのだが、
 手書き
にしないと、身体で覚えない。
わたしが学部にいたころは、電子化なんてまだまだ先のことで、泣きながら全文を手で打つのが普通だった。それでも
 手で書いて覚えろ派
もいた。電子化を自分でする分には構わないが、他人の作ったテクストをそのまま持ってきて切り貼りするだけなら、全然勉強にはならない。そもそも
 テクストの中身を理解
できないだろう。
電子化テクストを使うなら、ある程度読めるようになってからじゃないと逆効果だ。

確かに電子化テクストは便利だが、本来の目的である
 テクストを読む行為
は、以前と同じように時間のかかる営みなのだ。

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2007-07-25

薄毛・禿を治す@医心方

夏休み集中
 『医心方』研究会
は、八月に2回ある予定。
巻四の頭からだというので、昔台湾で出た影印版を開くと、いきなり
 治髮令生長方第一(髪を生長させる治療法)
からだ。
以下
 治髪令光軟方第二(髪に光沢を持たせ、柔らかくする治療法)
 治髮令竪方第三(髪の根元をしっかりさせる治療法)
 治白髪令黒方第四(白髪を黒くする治療法)
 治鬢髮黄方第五(鬢の髪が黄ばむものの治療法)
 治鬢髮禿落方第六(鬢の髪が禿げて落ちる症状の治療法)
 治頭白禿方第七(皮膚が白くなる禿の治療法)
 治頭赤禿方第八(皮膚が赤くなる禿の治療法)
 治鬼舐頭方第九(鬼舐頭=円形脱毛症の治療法)
 治頭焼髪不生方第十(火傷してできた禿の治療法)
 治眉脱令生方第十一(眉が抜けたのを生やす治療法)
 治毛髪妄生方第十二(毛髪がやたらに生える症状の治療法)
と続く。
『医心方』の書かれた時代は、984年すなわち平安時代で、安倍晴明と同時代だ。当時は
 男性も髪を長く伸ばして、髷を結い、冠をかぶった時代
である。従って
 禿や薄毛、髪が伸びないと、大変困った
のだ。今より
 禿や薄毛に対する意識が強かった
と言っていいかもしれない。

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2007-07-24

夏休みの研究会

今日はこれから『春秋繁露』班。『五行大義』に比べれば、『春秋繁露』はまだ楽だ。
今日は「四祭篇」の予定。
『春秋繁露義證』とちょっと大きい『春秋繁露校釋』を持って京都へ。今日のおまけは『白虎通疏證』。後は重いからやめとこうっと。『春秋董氏學』くらいは持っていった方がイイのかな?と思ったら、『春秋董氏學』はどこかに埋もれている模様。ううむ、去年の夏だか冬だかに勉強しようと思って、書庫から出した後にどこかへやったな。これはしばらく出てこない悪寒。
最近、本を戻すのを忘れると、エライ目に遭う。

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2007-06-26

中文データベース「開放文学 古典小説」

次回の『五行大義』の予習をしながら、分かりにくい陰陽五行説の術語をググっていたら、こんなすごいサイトに遭遇。
 開放文学 古典小説
こちらは343部の中国古典小説(文言も古白話もある)がおさめられている。なぜかミラーサイトの方が2部多い345部。
 開放文学 ミラーサイト

ああ、世の中は便利になったもんだ。
『金瓶梅』はないけど、『西遊記』はあるは、パロディの『西遊補』はあるは、百二十回本の『水滸伝』はあるは、『三国志演義』(『三国演義』ではいっている)はあるは、『女仙外史』はあるは、三言二拍はあるは、なぜか『紅楼夢』はあるは、錚々たる筆記小説はあるは、まあ文学やってるヒトには、ありがたいサイト。一応、底本の話も出てくるし。中島敦が翻案した『人虎伝』もある。
 人虎傳(中文繁体字)
日本人が好きなところでは『剪燈新話』もある。
基本的には、手元に本を持って、落としたテクストを直して使うのであれば、問題なかろう。

早速『西京雑記』と『朝野僉載』を落とした。その内『東京夢華録』と『閲微草堂筆記』も落とそうっと。(どういう趣味だと言われそうだが)
あとは『三輔黄図』がどこかに落ちていれば、結構楽になるな。あ、これは『五行大義』と関係ないけど。

しかし、中国古典小説がこんなに簡単に手元で読める日が来るとは。
泣きながら、本を集めたのは過去の時代の話になるのね。古白話だと、自分で字を直して読むのがデフォルトだから、そんなにひどく間違ってなければ、結構使えるはずだ。

続き。結局、『世説新語』も落としてしまった。これは注がついてない、本文だけのバージョンだけどね。

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2007-06-25

典故に悩む

現在、身体上の制約で図書館に行けないものだから、典故を調べるのに支障がある。いくら中国が人海戦術で多くの書物をデジタル化しているからといって、人間の目による書冊体のブラウズは必要なのである。
『五行大義』で、いくつか悩む。『後漢書』には出てくるのだが、経書に関する記述なので、
 その前
がある筈だ。今回は
 ちょうどいいのがありませんでした
といって次回を期している。地の文ではないところなので、悩みは深い。前漢以前の諸子で出てくるといいんだけどな。
六朝期の書物は、残っているものもあれば、佚してしまったものもある。要するに、モザイクにもならないくらい、断片があちこちに散らばっているわけで、それのどれがオリジナルで、どれが更に遡れるものなのかを決めるのは、気合いと直感である。ともかくも、怪しいという匂いを感じたら、ひたすら探す。
蕭吉がそんなに文章家だとは思えないからな。絶対に
 基づくところがあった
と思われるフレーズを、一つ一つ潰していくのが、典故調べという作業だ。

それにしても、
 『五行大義』所引の柳世隆『亀経』
は謎が深いな。そもそも『新唐書』芸文志にある巻数と『南斉書』の伝に見える『亀経秘要』(もしくは『亀経』『秘要』だけど)の巻数が合わない。
『五行大義』で『亀経』とだけ言って引用されている書物を、そのまま
 柳世隆の『亀経』
と同定してイイかも謎だ。もういっぺん、ちゃんと調べないとなあ。
ここまでに出てきた
 柳世隆の『亀経』
も、ただの
 『亀経』
も、時代から言って、亀卜の書物であるとは考えにくく、では
 亀経という名を冠された書物の意味
をもう一度、洗い出さないといけない。

『新唐書』芸文志って、信用できるの?
そっちの方がだんだん心配になってきた。
もうちょっと時代は早いけど唐代(武周を含む)の経録を精査したことがあって、その時は
 定評ある経録でも間違いは結構ある
だった。目の前に現物がある大蔵経の著録でも、おやおやと思うような間違いだらけなのだ。
ましてや、戦乱の時代を隔てた『新唐書』の芸文志となると、どの程度現物を見てるのか、そこら辺からもう一度やらないとダメね。加えて、『亀経』なぞ、『新唐書』編纂の時代には、過去の遺物かも知れず、図書目録の中でも、一番粗略に扱われる類だ。『日本国見在書目録』もそうだけど、目録作成者やその目録を写した人たちが、その書目に関心がなければ、字は間違えるは、中身は取り違えるは、えらいことになる。
後世の人間は、失われた書物に関する断片的な情報をつなぎ合わせて、元の書物が一体どんなものであったのかを見るわけだけど、書目の方が間違ってると、基本情報の登録ミスみたいなもんだから、混乱する。
年金の加入記録と違って、1000年前の書目に記載漏れや字の間違いがあったって、現実に生きている誰かが不利益を被る訳じゃないのが、平和ではあるのだが。

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2007-06-12

中国古籍文化研究所編『中国古籍流通学の確立—流通する古籍・流通する文化』

早稲田のCOEプログラムの成果として出版された一つ。
慶應大学斯道文庫の高橋智さんの名前を目次で見つけたので、amazonで探すと、なぜか新本割引の分を発見したので、注文。
基本的には短い論文が集まっている。

まだ、全部読んでないけど、興味を持って通読したのは以下の二編。

高橋智 古籍流通の意義 善本と蔵書史
古屋昭弘 写本時代の書籍の流通と地域言語

高橋さんの論文は、終わりの方の人物年表が大変便利。
古屋氏の論文は、よく使われる書誌学関連の史書等の記載を手短にまとめていてこれも便利。

惜しむらくは、編集に時間が取れなかったのか、組版価格の問題なのか、表などであまり綺麗じゃないのが混じっている点だ。

しかし、早稲田、金があるな。これだけ厚い書誌学の専門書籍に、ぽんと出版助成を出してくれるのね。
書誌学というか、中国学の中心的な書誌学は刊本学だけど、
 文人の基礎教養
の一つで、特に大学では講義はないが、自分で勉強するものの一つだった。わたしの書誌学の先生は、今は亡き尾崎雄二郎先生と、現在は岐阜大にいる坂内栄夫さんだ。坂内さんには、書誌学の書籍をいろいろ教えていただいた。

久々に『書林清話』でも開いてみるかな〜。書誌学の書物の中では、わたしが一番好きな書物だ。

今気がついたけど、『中国思想史研究』の21号
 池田秀三 輯佚の難と校讐の難
は、手元にないかもしれん。あかんやん。中身を読まずに予想すると
 『読書雑志』などの問題点
が書いてあると思われ、なんだけど、違ったりして。
あとで中哲研究室に発注しなくては。池田先生、ごめんなさい。
しかし、京大中哲は、相変わらず開講している授業が充実してますね。このラインナップで学部二年・修士二年鍛えられると、相当足腰が強くなるなあ。
 2007年度の授業
京都にいたら、出席したい授業がいくつもある。

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2007-04-30

『論語』薮睨み 其一

宿痾の薮睨みにて隻眼半盲なるも、閑居のすさびに『論語』一書を繙かんとす。移山盧主人

というわけで、気が向いたときに、『論語』を取り上げる不定期シリーズ第一回。
昨日、大阪で全盲と弱視のご夫婦がホームから転落、全盲のご主人は右腕切断で重態、弱視の奥様は肩の骨折などで重傷を負われた。痛ましい事故だ。誰も助けられなかったのか。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070429i313.htm
どうか早く快復されますよう、心からお祈りする。

さて、今を去ること2500年ほど前の孔子の時代、当時の中国では、視覚障碍者にはいくつか仕事があり、立派に働いていた。今日は、そのことが出てくる一章を取り上げる。


師冕見。及階。子曰、階也。及席。子曰、席也。皆坐。子告之曰、某在斯、某在斯。師冕出。子張問曰、與師言之道與。子曰、然。固相師之道也。(衞靈公篇)

師冕(しべん) 見(まみ)ゆ。階に及ぶ。子曰く、階也(なり)。席に及ぶ。子曰く、席也。皆坐す。子これに告げて曰く、某 斯(ここ)に在り、某 斯に在り。師冕 出づ。子張 問ひて曰く、師と言ふの道與(か)。子曰く、然(しか)り。固(もと)より師を相(みちび)くの道也。

師冕が孔子に会いにやってきたときの話である。
師冕の「師」は楽師で「冕」が名である。当時、楽師は視覚障碍者が務めた。視覚障碍者には、介助者がついてお世話をした。
孔子達は客を迎える座敷の中にいる。師冕がやってくると、孔子は師冕を迎えに出る。
部屋に入るには、階段を上らなければならない。孔子は目の見えぬ師冕のために声をかける。「階段ですよ」
部屋に入ると、一人一人に敷物が敷いてある。孔子は師冕のために、「敷物ですよ」と声をかける。それまで室内で師冕を待っていた者たちは、師冕がやってくると同時に立ち上がり、師冕が座るまで待つ。立ち上がるのは、敬意を表するためである。師冕が座してから、他の者たちは席に着く。
席に着いた師冕に孔子は座中の者を紹介する。「だれそれはここにおります。だれそれはここにおります。」目の見えぬ師冕に、座中にある者の名前と座っている場所を説明する。
用が済み、師冕が帰った。
孔子の弟子子張は、視覚障碍者に対する作法を初めて見たので、師に尋ねる。「楽師と語るときの作法でしょうか。」
孔子は答える。「そうだ。もちろん楽師を介助する作法だ。」と。
「相」は「たすく」と読んでも同じ。今は馬融注の「相、導也」に従って読んでおく。
2500年前の中国には、視覚障碍者を介助する作法があった。現代でも通用する介助法である。
見えない人が見えないためにぶつかる危険から身を守り、見えないから理解できないことを、見える人が代わって説明する。見えないことで不利益を被って、視覚障碍者が恥じたり、不便に思わないように気を配る。それが視覚障碍者介助の基本だが、上記の章には、それが過不足なく示されている。
孔子は「仁」を説いたが、こうした介助の作法も「仁」の表れの一つだ。

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2006-12-13

考古学的事実と文献史学の間

最近、論文を書くために、先行論文に目を通している。一つ、大変すばらしい論文があって、唸った。論旨もはっきりしているし、展開もうなずける。これはいいや、と思って、さらに先行する論文を読んだら、先の論文とはまったく違う話になっている。
先に読んだ方は、文献史学の立場で書かれたものだった。同時代の文献を集めて、ある事象の変遷をたどっている。
後に読んだ方は、考古学の立場で書かれたものだ。先に読んだ論文が扱っている事象を、発掘調査の結果に基づいて、時代順に組み立てている。この論文はたいそう古いのだが、研究所の紀要論文なので、ひょっとすると後から書かれた文献史学の論文の筆者は、目を通してないのかもしれない、と思った。文献史学の立場で書かれたすごくよくできた論文なのだが、考古学的事実と齟齬する部分があるのは困るのだ。

考古学にしても、文献学にしても
 残っているのはごく一部
ということを常に念頭に置かねばならない。ある時代のある事象が文献と遺跡や遺物の双方に見つかるというのは実は幸運な例外で、文献には見えるがその後どうなったかわからないものもあれば、発掘して出てきたけれども、文献になんの明証のない遺跡や遺物もある。
現代は、
 文献史学と考古学が、割合に合致することがある
時代だ。文献史学ではこうだけど、考古学ではこう、といった両分野の齟齬が、少しずつ埋まっているところも出てきている。
しかし、不幸にして
 文献史学のヒトは現場に足を運ばないし、発掘報告書も読まない
 考古学のヒトは、文献を読むのが苦手
で、両者はなかなか歩み寄らなかったりするのだ。
その点、中国の歴史時代を掘っている考古学者はすごい。「考古」や「文物」などの雑誌をに掲載された論文を読むと、よくこんな記述を正史から見つけ出すものだ、と慨嘆することがたびたびある。考古だから文献が読めなくていい、などという甘えはないし、文献史学の成果も、きちんと考古学的論文に盛り込んでいく。中国の考古学者では、日本のように実際に現場を掘ることは少なく、発掘の指示だけして、現場は現場担当のプロに任せるので、考える時間がたくさんある、という違いもあるだろう。しかし、基本的に
 大学で読むべき史料が膨大にある
わけで、それを消化しつつ、自分の得意な時代を遺物や遺跡と文献の双方から読み込んでいくという姿勢が、最初からあるように思う。歴史記述に対する敬意と文献を博捜する能力は、大学でかなりびっちり仕込まれているのだろう。

もっとも、最近は
 なんでも電子化されている
ので、
 文献が読めない考古学者も多数いる
とは聞いているが、それでも、あの文献を渉猟する力は、日本人のとうてい及ぶところではない。眼力が違うのだ。
日本の歴史研究があのレベルにいくのはいつのことか。

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2006-12-11

日唐律令制比較研究の新段階〜天聖令をめぐって〜@12/8お茶の水女子大学

時々小雨がぱらつく中を、二度道に迷ったり、携帯電話を東京駅で落としたり、とトラブルに巻き込まれ、17:30開始の講演会についたのは約40分遲れだった。黄正建氏の話は佳境に入っていて、ちょうど
 日唐令比較
のあたりに差し掛かっていた。
黄正建 天一閣藏《天聖令(附唐令)》的発現与整理(中文/簡体字) 2006/11/20
http://www.chinanbsk.com/index.php?categoryid=38&p51_articleid=1096

お茶の水女子大の院生諸君はさすがにしつけが行き届いていて、遅れてくる参加者(新潟や滋賀など、ほかにも遠地からの参加者あり)一人一人をチェック、レジュメを手渡し、出たばかりの
 天一閣蔵明鈔本天聖令校証(附唐令復原研究)(全2册)
を見せてくれる。最近いろんな外部のシンポジウムとか講演会に行くけれども、その中でもお茶大の院生諸君の対応はピカイチだった。てか、他がひどすぎるのではないかと思うが。他大学の院生は、お茶大の諸君に比べると、腰が重いし、目配りが効かないしな。単に学力的な水準の違いだけでなく、普段の先生方のご指導の賜物かつ東京という土地の特殊性によるものだろう。女子大では、女子であることがアドバンテージにならないし、男子学生の手を借りるという抜け道はないから、一般に女子大の学生諸君は、共学の女子学生と比較すると、大変よく働く。
下冊を手に取ったが、釈文と復元と考証の部分で、ざっとみただけでもこれからいろいろと楽しめそうだと確信する。
天聖令は宋の令だから、唐令に準ずる部分もあるが、一部は宋代に改変されている。見つかっているのは全部ではなく
 田令・厩牧令・賦役令・倉庫令・関市令・捕亡令・医疾令・假寧令・獄官令・営繕令・喪葬令・雜令
の十二令で十巻四万字ほど。このうち、医疾令は35条中、唐代の他の資料に見えない条文が17条見えるという。
 程錦 唐代女醫選取之制考釋 以唐《醫疾令》“女醫”條為中心(中文/繁体字) 2006/11/10
http://theory.people.com.cn/BIG5/49157/49163/5023500.html

裏話としては
 昨年、北京のパワーランチで、東大の大津透先生が「天聖令はどうなりましたか?」と聞いたら、そのときの参加者がほぼ全員『天聖令』整理組の人たちで、今回の天聖令整理・出版を、これだけはやく日中で研究する契機になった
というのがおもしろかった。大津先生のチェックによると
 つぶさにみると誤字などもあるけれども、これだけの短期間でこんなに立派な本を出したのは敬服に値する
そうだ。誤字はしょうがないからな〜。
黄正建氏の講演でも
 文字の比定
について、多々言及されていたが、実際に写本をあつかった経験があれば
 盡と畫
などの「揺れ」はよく目にするところである。

天聖令明鈔本の謎は
 写本でしかも誤字・誤写が多い
ことで、
 おそらく元となったものが稿本ではないか
というあたりだな〜。一行の文字数を揃えるための衍字があるということからは、
 明鈔本の雑さ
を示すにしても、もとの写本も
 稿本にしても、かなり私的な性格で早い段階のものではないか
という推測が成り立つ。刊行直前の段階のものだったら、もっと整理されているはずだしなぁ。

ところで、黄正建氏のレジュメには
 新発見された吐魯番文書の僧尼籍文書
について、ちらっと書かれていたのだが、
 来年整理・出版予定
だそうだ。こちらも楽しみである。なんせ
 唐代の僧尼籍の現物
らしいからな〜。

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2006-12-08

天聖令の講演会@12/8 17:30-お茶の水大学

先日、朝日の文化面が大々的に取り上げ、週末の木簡学会の懇親会でもちょっとした話題になっていた、天一閣蔵天聖令の講演会が本日夕方、お茶の水大学で開かれる。
http://www.dc.ocha.ac.jp/ed-fwal/20061208.pdf

というわけで、上京の予定。
中国って、たまにこういう
 出物
があるからなあ。
ブツはツテを頼って入手依頼中だが、果たしてどうなるか。ダメだったら、別のツテで入手予定。

そうそう。こないだ『医心方』研究班でちょっと話題になったのが
 1974年に250部だけ発行された、北京図書館蔵『荀子』宋刊本影印本(大型線装本)
で、よく見ると、現行本とはかなり違うらしい。人文研には寄贈本があるのだが、部数が部数だけに、あまり出回ってないという話だ。時期も時期だしね。

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2006-11-24

OCRソフトWinReaderPro v.9.0エライ! 『雲笈七籤』が楽に入る

12月末締切の論文を書くために、
 『雲笈七籤』をWinReaderPro v.9.0でOCR認識
させたら、わりにまともだった。手で入れるよりは遙かにマシ。道教典籍なんて変態な漢字ばかりの中国語文献でも、結構認識している。ま、学習させないでそのまま入れてるけどね。
入れたのは
 道教典籍選刊『雲笈七籤』中華書局
だ。印刷が綺麗なので認識しやすいというのもあるだろうけどな。

WinReaderProは、今はバージョンが上がってるはずだけど、9.0でも十分使える。
ちなみに
 吉川忠夫編『中国古道教史研究』同朋舍
に収録されている論文も、バリバリOCR入力出来てしまった。エライ!よくあんな
 絶対に普通の日本語では使わない特殊な文字列
を、結構いい認識率で拾えるものだ。もちろん、手直しは必要だけど、
 直接手打ち
する悪夢を回避できて嬉しい。大体、道教とか東洋医学とか仏教とか日本古代史とかの論文を書くときに、何がイヤかって
 テクニカルタームの手打ち
がイヤ。ある程度、単語登録はしておくんだけど、わたしみたいに、いろんな範囲の文献を使う人間にとっては、
 単語登録するのもかったるい
のである。文献によって、使う漢字とか違うしな。
今回の論文は、他に日本の史書なども使うから、OCR大活躍だ。ま、電子化されてるテクストは出来るだけ拾って使うってことで、労力を軽減しないとな〜。

電子化で何が良くなったかっていえば、
 切り貼りの恐怖から逃れられるようになった
ことだろう。糊と鋏が必須だった時代に、こんな道教・仏教・史書など多岐にわたる文献から引用しまくる論文を書いていたら、ちょっと訂正しようとしたときに、絶対発狂していただろう。今なら一発コピーアンドペーストで済む。

システム構成は
 Let'note CF-W2+CanoScan LiDE80
で、認識後の文字訂正は、ネットワーク上で共有しているLet's noteのファイルをPowerMacG5で開き、TextEditで処理している。いまんところ、日本語内で文字コードは抑えてあるけど、文字抜けのない論文を書くために、GBから日本語の漢字表にない文字を拾って埋める予定。最後に正字で縦書き出力が求められてるけど、たぶん、GBはWord通るだろう。横書きでイイなら、そのままTextEditかJeditで印刷して出すんだけどな。

しかし、今回の論文の最初のアイデアを書いたドキュメントの作成日をみたら、去年の8月じゃん。一体、今まで何して怠けてたんだか。他にアイデアを書いて、資料を集めた論文のファイルが10個以上あるのは、単なる怠け者というしかあるまい。「未執筆」論文ファイルの数を数えると、とっても恐くなるのでやめた。たぶん、単行本三冊分はあると思う。

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2006-11-21

『医心方』を読む

『医心方』というと、すぐ
 房内

 エッチ方面
にばかり関心が行く人が多いのだが、元々は真面目な医学書だ。房内は一部だけで、残りはさまざまな医学的知識を当時の書物から集大成したのが、『医心方』の真価である。『医心方』が引用してくれた御陰で、散逸してしまった古代の医学書の一部を知ることが出来るのだ。
今研究班で読んでるのは、
 鍼灸のツボ
の部分。武田さんの主張は
 元は灸のツボだったモノが、馬王堆から出てきた文書から、鍼に一気に転換させられたのがわかる
ということなのだが、ちゃんと実証的に読んでる人がいない、とのこと。確かわが家に
 馬王堆の医学書
があったはずなんだけど? もいっぺん、ちゃんと読んでみようかな。

今日読んだところの謎は
1. 『新雕孫真人千金方』の方が古い、といわれてるのだが、なぜかかなり後世の手が入っている部分が多いと思われている『備急千金要方』と、今日読んだ部分は相似性が高い。『医心方』も何度か手が入っているだろうから、その時『備急千金要方』に合わせて本文校訂されている?
2. 『新雕孫真人千金方』と『備急千金要方』は同じ書物とは思えないほど、篇目が入れ替わってるのだが、今日やったところはほぼ同じ
3. 『鍼灸甲乙経』と『千金方』では、今日のテクストでは、『千金方』に近いのだが、『鍼灸甲乙経』の割注のある部分が大量に脱落していて、かつ『千金方』の割注が本文に取り入れられたりしている
4. 『千金方』は忌諱して「泉」に直されている「淵」がなぜか『医心方』では「淵」
ってあたりかな〜。訳分かりません。
一体、何を見て書いた、丹波康頼。

おまけ。真柳さん、ありがとう!今度飲みましょう!
  宋改を経ない『千金方』の古版本二種 解説 真柳 誠・小曽戸 洋
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper04/shiryoukan/me115.html

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2006-10-26

"HYMNS OF THE ATHARVA-VEDA" by MAURICE BLOOMFIELD

う〜ん、
 HYMNS OF THE ATHARVA-VEDA
TOGTHER WITH EXTRACTS FROM THE RITUAL BOOKS AND THE COMMENTARIES
TRANSLATED BY MAURICE BLOOMFIELD
Sacred Books of the East, volume 42
[1897]
が、スキャンされて、ネット上に落ちているとは!
http://www.sacred-texts.com/hin/av.htm
Googleがエライのか、英語のWikipediaのヒンドゥー教関連記事のリンクの張り方が凄いのか。

図書館で探し出して、コピーするしかない古い本を、こうして電子化してアップしてもらえると、大変ありがたい。てか、そこらにあんまり落ちてない本だし。(京大の印度学とか、民博の図書館を除く)電子化された方が、フォントが綺麗だからなあ。
卒論を書いてる頃に、読みふけった事を思い出す。薄い、印度学の専門書にしては、なんとなくかわいらしい装幀の本だった。中味もチャーミングなんだけどさ。

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2006-08-28

八世紀の日本人が見た中国典籍はなんだったのか

『日本書紀』には、中国の典籍から表現を借りている部分が幾つもある。一々、何を参考にしたとは書いてないから、その部分を探すのも、国文や国史の研究テーマの一つになっている。
現代なら
 盗作だの剽窃だの
と問題になるけれども、基本的に
 お手本に沿って作文
してるわけだから、オリジナリティは問題にならない。それよりも
 できるだけ典故を用いて文章を綴ることが名文の条件の一つ
だから、現代の文章観とは大いに異なる。

ところで、『日本書紀』で援用されている中国典籍は一体どういう性質で、どういうテクストなのか。そのことについては
 わからない
のが現状だ。現代は
 インターネットなどを利用して、電子化されたテクストの「同じ文字列探し」
が簡単にできてしまうから、
 『日本書紀』のこの部分は中国の史書のなになにと同じ
というのは、すぐに見つけられる。でも、
 『日本書紀』を書いた人間が見た本は何だったか
というと、これは分かってない。
 本当に膨大な史書から表現を見つけ出したのか
というと、そんなことは恐らくなくて
 文章を書く参考書(類書)を使って、表現を借りた
のだろう。そうすると
 現行テクストと合致する
 現行テクストは違う文字列が間に挟まっている
というのは、どういうことなのかを改めて考えなくてはいけない。出典探しで
 原典
にあたるのは鉄則ではあるが、『日本書紀』撰述の際、撰述した人物が見た書物が原典でないかもしれず、またいま
 原典
として流通している書物と、
 八世紀当時の写本の状態で流通している書物
には、文字の異同もあれば、テクストの中味も違うだろう。その当たりを発展させていくのが
 今後の「中国出典」探しの課題
だ。

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2006-07-27

日本考古学/古代史の中国文献扱いの「弱さ」

一昨日、『医心方』研究班に行った。前日、徹夜だったせいで、半分以上居眠りしていて、申し訳なかったのだが、その時、軽く話題になったのは
 なぜ、日本考古学/古代史の人達は、中国文献を扱うのに、あんなにいい加減なのか?
という話だった。

これまで藤原京や平城京などから出土している木簡には
 中国医学書からの引用
とされているものがいくつかあるのだが、その中には
 唐・孫思邈[しんにょう+貌]の『千金翼方』が出典
とされてるものがある。ところが、話は簡単ではない。『千金翼方』という書物自体が、唐代の早い時期に存在したかどうかすら怪しく、後に編集されてできた可能性がある書物なのだ。つまり、孫思邈[しんにょう+貌]の在世時には、到底
 存在したとは考えられない書物
なのだが、平気で、藤原京・平城京木簡の典故として用いられているのは、中国医学史研究の立場から言うと、おかしい、という話なのだった。慎重な研究者は
 宋代に『千金翼方』というのなら、間違いなく存在するけど、唐代の藤原京・平城京とかぶる時期には、無理だ
と考えている。

もう一つの問題は、
 『千金翼方』自体が、他の先行する処方の寄せ集め
という点である。つまり、『千金翼方』に出ているからといって、孫思邈[しんにょう+貌]の独創ではない。したがって、引用する際には
 『千金翼方』にも載っている処方
とは言えるが、
 『千金翼方』が出典
ということは出来ないわけなのだ。

確かに、『千金翼方』という書物は便利で、大抵の
 あるといいな、と思われるような処方が載っている
のだけれども、書物の性格があやふやで、唐代の孫思邈[しんにょう+貌]在世時には遡れない以上、藤原京・平城京木簡の典故として使うのは、
 文献学上は危険というより、アウト
なのである。とある大先生が、
 googleで検索したら確かにひっかかった
というようなことをちらっと書いておられたが、それではイケナイのだ。まずは
 その書物がいつ成立したか
をきちんと押さえてから、典故として用いるべきなのだ。だから、一番穏当なのは
 唐・孫思邈[しんにょう+貌]『千金翼方』にも同様の処方が見えるが、『千金翼方』がこの木簡に先行して成立していたとは言えないので、あくまで参考として言及する。
という引用態度だろう。
飛鳥・藤原・奈良時代の薬物の処方は、個々の処方が何らかの形で、朝鮮半島経由で伝わっていた、と見るのがよさそうだ。便利な書物があるからと言って、すぐに飛びつくのは、
 実用書である医学書の場合、危険
である。医学は実践の学問で、医学書は、伝写の過程で、いろんな編集や改変が何度もなされている場合が多い。特に、中国医学では、唐代以前と宋代以降は分けて考えなければならず、その当たりの基本的な認識を欠くと、医学史研究者から、厳しく批判される。
そのことを、一昨日よく学んだ。

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2006-07-16

「堅」が気になる

昨日は夏休み前最後の『五行大義』研究班。
どうも
 堅弱
と対立して出てくる
 堅
が気になる。

以下は勉強用のメモ。
『五行大義』巻二 論五行體雜


質弱者、則體相容。質堅者、則體不相容。金中無木、木中無金。金木以正相害故。水中無火、火中無水。兩法正相害故。亦水中無金、金中有水。木中亦有水、木中亦有火、石中亦有火。而水能生木、則木中有水。水生於金、金中有水。火生於木、木中有火。水復從金生、金中有水。水能生木。木中有火。火刻於金、那得石復有火。此是火性弱、故弱能入堅。而火中無金、是堅不能入弱。木生於水、木中含水。金能生水、金中含水。所以水中無金木者、金木在水中、不得言水體有金木。濕潤在木石中、木石便得有水義。此亦是弱能入堅、堅不能入弱。

『解脱道論』卷第八 大正32 No.1648
阿羅漢 優波底沙(ウパティッサ) 梁言 大光 造
梁・扶南三藏 僧伽婆羅(サンガバーラ)譯(梁天監十四 515年 訳出)
成立は1-2c
スリランカのウパティッサ作とされるが、不明。それ以前からのインド人の作か。
原典は南インドもしくはアンドラで、BHSで表され、その後スリランカに渡る。
Paliの『清浄道論』はこれを下敷きにしてほぼ同内容。

行門品之五
濕性是水界。熱性是火界。持性是地界。動性是風界。…於此四行有堅性是地界知之。有濕性是水界知之。有熱性是火界知之。有動性是風界知之。
…以二十行廣取地界。於此身髮毛爪齒皮肉筋脈骨髓腎心肝[月弗]脾胃大腸小腸胞屎腦。
以十二行廣取水界。此身有於膽唾膿血汗脂淚肪水唾涕涎尿。
以四行廣取火界。以是熱以是暖。以是溫以是平等消飲食噉嘗。此謂火界。
以六行廣取風界。向上風。向下風。依腹風。依背風。身分風。出入息風。
如是以四十二行見此身。

『大般涅槃經(南本)』卷第三十六 大正12 No.375
劉宋沙門慧嚴等依泥[シ亘]經加之

憍陳如品下
善男子。汝言五大有定堅性。我觀是性轉故不定。
善男子。酥蠟胡膠於汝法中名之為地。是地不定。或同於水。或同於地。故不得説自性故堅。
善男子。白鑞鉛錫銅鐵金銀。於汝法中名之為火。是火四性。流時水性。動時風性。熱時火性。堅時地性。云何説言定名火性。
善男子。水性名流。若水凍時不名為地故名水者。何因緣故波動之時不名為風。若動不名風。凍時亦應不名為水。若是二義從因緣者。何故説言一切諸法不從因緣。

上記経文に対する、梁代の議論。梁天監八(509)年成立か。
『大般涅槃經集解』卷第一 大正27 No.1763
皇帝(梁武帝)為靈味寺釋寶亮法師製義疏序。
 道生法師 僧亮法師 法瑤法師
 曇濟法師 僧宗法師 寶亮法師
 智秀法師 法智法師 法安法師
 曇准法師
此十法師經題序。今具載略標。序中要義。

善男子汝言五大有定堅性(至)故不得説自性故堅。 
 案。僧亮曰。此等有香。香屬地故也。
 寶亮曰。重破初證也。彼以蘇[葩-巴+(日/(句-口+匕))]為地。而有時同水。豈有自性耶。

善男子白臘鈆錫銅鐵金銀(至)云何説言定名火性。
 案。僧亮曰。此有明色。色屬火也。
 寶亮曰。火不定。以流時水性。動時風性。熱時火性。堅時地性。亦非自性也。

善男子水性名流若水凍時(至)從因緣見非無因緣。
 案。僧亮曰。是堅守性。故名為水。然流動性同。若動不失流守性。不名為為風耶。若動不名風以下。若濕多屬水。凍時堅多應屬地也。豈是從緣得名乎。
 寶亮曰。若凍時猶屬水者。波本因風而動。應名波為風若不名波為風。亦不應凍為水也。

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2006-05-21

細木数子の占いのネタ 隋・蕭吉『五行大義』を読む

昨日は今年度最初の『五行大義』研究班。で、中身は
 空亡
についてだ。これは
 かの和泉宗章の天中殺の理論的根拠
で、それを踏襲している
 細木数子の六星占術
でも使われている。

原文はコレ。
 『五行大義』巻二
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/onmyoudou/five/daigi05.htm
要するに
1. 十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を組み合わせると、十干の方が少ないから十二支が二個余る
2. 甲子から始めるシリーズ(1-10)では戌亥が余り、
   甲戌から始めるシリーズ(11-20)では申酉が余り、
   甲申から始めるシリーズ(21-30)では午未が余り
   甲午から始めるシリーズ(31-40)では辰巳が余り
   甲辰から始めるシリーズ(41-50)では寅卯が余り
   甲寅から始めるシリーズ(51-60)では子丑が余る。
3. それぞれのシリーズで、十干と組み合わせがない余る二つの支を「孤」とし、「空亡」という
4. 五行に配当すると、
 甲子シリーズ 戌(土)亥(水)→半空亡(水が半分ある)
 甲戌シリーズ 申(金)酉(金)→全空亡(金がない)
 甲申シリーズ 午(火)未(土)→半空亡(火が半分ある)
 甲午シリーズ 辰(土)巳(火)→半空亡(火が半分ある)
 甲辰シリーズ 寅(木)卯(木)→全空亡(木がない)
 甲寅シリーズ 子(水)丑(土)→半空亡(水が半分ある)
という次第。ちなみに、十二支を子を北、午を南にして円形に時計回りに配列するとわかりやすい。
Gogyo

五行配当は
 亥子 水
 寅卯 木
 巳午 火
 丑辰未戌 土
 申酉 金
であり、丑→辰→未→戌は90°ごとに土に配当されている。

で、孤となる支とペアになるのが
 虚
で、これは
 中央土の干、戊己と組み合わされて、元の位置から移動する支
のことだと『五行大義』は説明する。もう一度、孤と虚とを確認すると
 シリーズ/孤/虚
 甲子シリーズ/戌亥/辰巳
 甲戌シリーズ/申酉/寅卯
 甲申シリーズ/午未/子丑
 甲午シリーズ/辰巳/戌亥
 甲辰シリーズ/寅卯/申酉
 甲寅シリーズ/子丑/午未
となる。例えば、最近の生年で占いをするとすれば
 甲午シリーズ(1954-1963) 辰巳と戌亥が悪い
 甲辰シリーズ(1964-1973) 寅卯と申酉が悪い
 甲寅シリーズ(1974-1983) 子丑と午未が悪い
 甲子シリーズ(1984-1993) 戌亥と辰巳が悪い
などという大まかなことを言えたりするわけだ。実際に占いをする場合は
 生年月日と誕生時間
を使うわけだが、実はこの
 空亡の元になっている暦は旧暦
なので、
 新暦の生年月日は無意味
なのだ。だから、天中殺の和泉宗章は、占いがはずれたとき
 元になっている暦が間違っているのに気がついた
と言って、潔く、占いを止めたのである。

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2006-04-26

異民族の学と漢民族の学

印度学から中国学に移ったとき、一番気持ちが悪かったのは
 古い文献に書いてあることは疑ってはいけない
という、判断停止した態度だった。確か、南朝・梁の『経律異相』を勉強していて、歴代の経録調査をしているときに、聞かされた言葉だ。
 道安録を疑うと、中国仏教史が成り立たない
という文脈で聞いたのだと思う。
以後
 正史に書いてあることは正しい
とか、いろいろ変な決まりがある分野だというのを身を以て体験した。

印度学は、異民族の学なのでその点遠慮がない。もちろん、印度学にも
 インド人研究者
は存在して、その中には
 サンスクリット原典を丸暗記している
という人々もいて、彼らの多くは
 インド中華思想の持ち主
である。で、学会で
 インド中華思想に則った主張(たいていは質問の形式でなされる)
を聞かされて、そのたびに
 印度学が異民族の学でよかった
と胸をなで下ろすのである。

そういう観点からすれば、中国学というのは、
 漢民族の学
であって、
 夷狄はすっこんでろ!
という側面が今でもある。新儒教とでもいうのか、変な
 新しい民族主義的思想支配
をもくろんでるらしい中国では、その手の国際学会が開かれるんだけど、玉石混淆だ、という話を聞いた。
そういえば
 中国人に非ずんば、漢文は読めるわけない
と、今の中国人学生は思ってるらしい。嘘をつけ。京大の池田先生が、西安で
 学生が最初バカにしていた
というのを伺って、驚いた。そういうのを
 夜郎自大
というのだ。日本人より漢文の読めない中国人というのはたくさんいる。民族の問題ではなく
 学習の仕方
に問題があるのだ。

ま〜、このあたりの
 中華思想
を変えていかないと、中国の古典研究はどんどん先細りするだろうな。日本の古典研究は、風前の灯火だけれども。漢字を知らない連中を騙すには、漢字は神秘的アイテムだろうけどね。今、中国にある古典学って
 曲学阿世でなければ生き残れない
から、非常に気の毒ではあるんだけれども。そのあたりのフィルターを掛けて、論文を読まなければならない不幸は、いつになったら解消されるのだろう。

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清朝考証学と郭店・上博楚簡

諸子百家の話をするために、予習をしているのだが、
 郭店・上博楚簡の発見と分析
は、これまでの勉強をひっくり返す話なので、なかなか準備が大変だ。

京大中国学は、今はどうだか知らないけど、以前は
 清朝考証学
を基本としていた。
 文献として伝わっているモノで考える
立場で、更に言うなら
 失われた漢代のテクストを出来る限り復原する
というのが、その手法である。法るテクストは
 清朝考証学の厳密な校勘を経ているテクスト
で、それでも今尚
 テクストクリティック命
な日々。ともかく毎日
 一字一字の齟齬、誤謬を見つけ出し、真のテクストを再構成する
のが楽しみ。校勘は、
 ちまちまとした細部に神が宿る
わけで、丹念にやっていると、十日に一遍くらいとんでもないことに気がつく。そうなると実に幸せな気分になるのだが、端から見ていると、一体何が面白いのかさっぱりわからない。
 Philologyで出る脳内麻薬
というのは、他人には説明しにくい類のものである。

もっとも、中国学以前は
 印度学
をやってたので、これは
 清朝考証学よりも甚だしいテクストクリティックの世界
である。印度学のテクストクリティックに比べると、まだ中国学のテクストクリティックは甘い。甘くなる理由は
 印度学は異民族の学だが、中国学は漢民族の学だから
である。異民族はテクストに容赦しないが、漢民族は、
 祖先を重んじる
ので、その分遠慮がある。 日本人は、漢民族から見れば
 東夷
なので、さらに遠慮がある。

ところが、この美しき
 清朝考証学
を打ち破る資料が、墓の中から陸続と発見されている。最近、整理されて思想史でよく使うのは
 湖北省荊門市の郭店一号墓出土の郭店楚簡
と、
 出土地不明ながら、香港から上海博物館に売られた、おそらく郭店楚簡の残りである上博楚簡
だ。どちらも紀元前300年前後に竹簡に記された書物で、時代で言えば、孟子の活躍時期と重なる。
この竹簡の中に
 老子と儒学の書物が一緒になって入ってた
ので、話がひっくり返ってるわけだ。『史記』に書いてある
 老子説話
は、清朝考証学の疑古派では
 お話であって史実ではない
ということになっていた。つまり
 老子は孔子よりずっと後の人物、あるいは学派
ってところまで推し進められていたはずなのに、戦国時代の墓から、両方の書物が出てきちゃったんだから、
 疑古派のよりどころは崩れた
ということになる。

手元に『諸子百家 再発見』(岩波書店) があるが、これを読むと、清朝考証学の末裔達は、自らの地歩を根底から突き崩しかねない郭店・上博楚簡には戦々兢々としているのだとか。2004年の段階では
1. どうせニセモノ派
2. ホンモノだけど、それほど古くないよ派
3. ホンモノで紀元前300年頃の思想を伝えてるよ派
の三派に分かれてるんだそうだが、今はどうなっているのやら。
こないだ池田秀三先生にご飯をご馳走になったときは、楚簡の話は一つも出なかった。と言って、池田先生が、楚簡を無視してらっしゃる訳じゃないのだけれども。

尾崎雄二郎先生の『説文解字注』の授業では、
 科斗文字
の議論のあたりをちょうど聞いた。久方ぶりに『晋書』巻三六衛恒伝の「四体書勢」序を開いた。段玉裁は、科斗文字については、
 そんなものはねえ
な立場だったと思ったが、いざ楚簡が出てきてみると
 科斗文字=楚簡などに用いられる東方の文字=古文
ってことになるのかなあ。このあたり議論はまだ終わってないように思う。

書庫を調べてみたら、いつ買ったのか
 楚簡帛文字編 湖北教育出版社 1995
 出土文献与中国文学研究 北京広播学院出版社 2000
が手元にあった。最近、中国の出土文物については、ほったらかしだったけど、本だけは買っていた模様だ。
今は、師法に則るべき立場でもないので、時間を掛けて、楚簡を読み出そうか。倉卒に結論を出したり、論文を書いたりするつもりはないが、
 教科書がひっくりかえりつつある現状
をきちんと文献学的に見定めたい。

段玉裁も王国維も『古史弁』も、結構好きなんだけどね〜。

続き。
で、わたしが中国学を始めた頃に読んだ史書といえば呂思勉だったりするわけで、まあ、疑古派バリバリのテクストばっかり読んでたってことになる。疑古派の手法はそれなりに面白いんだけど、問題は
 出土文物が出てきたときにどうするか
という構えが出来てないところだな。
しかし、19世紀の最後の年1900年に、ヨーロッパ人にかっさらわれた
 敦煌文書の発見
の衝撃を考えると、ま、
 出土文物でそれまでの仮説がぶっ飛ぶ
というのは、あり得る話で、そうそう守株するのも賢明とは言えないだろう。確かに
 中国人はニセモノを作るのがウマイから、アレはダメ
という考えも成り立つけれども、こう毎年毎年湖北あたりから竹簡が出てくるようだと、それも説得力がない。東洋史では、真面目に竹簡文書に向き合ってるんだから、思想史だけが知らん振りするのも大人げない。単に
 自分たちの依って立つところが瓦解しそうだから無視
なのだとしたら
 天動説を墨守し、地動説を排撃したかの教会
を笑えはしないだろう。まあ
 『史記』をもう一度読み返す
には、いい機会だな。

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2006-03-22

漢訳仏典十講 (第四回)のお知らせ@4/8 奈良女子大 花祭りの土曜日はご近所の東大寺・興福寺で誕生仏に甘茶をかけてから行こう

奈良女子大21世紀COEのおくる公開講演会の予告が届いた。
いよいよ、「過去現在因果経」は佳境に入る。


連続講読会「漢訳仏典十講」第二期(第四回)
日時:2006年4月8日(土) 15:00〜18:00
場所:文学部南棟3階LL第2教室
講師:松尾良樹(文学部教授)
問い合せ先:COE研究室〈桑原〉
E-mail: coe-kodai@cc.nara-wu.ac.jp

◇第四回講読予定◇
第二期は釈迦の伝記を通読します。劉宋・求那跋陀羅訳『過去現在因果経』
(『大正蔵』3巻・T189)をテキストに用います。
第3回で、10〔競試武芸〕まで読みました。
今回は11〔灌頂太子〕12〔閻浮樹下静観〕13〔納妃〕14〔四門遊観〕を読みます。
立太子・結婚・そして東西南北の四門から出遊した太子が「生」「病」「老」「死」の
苦しみを知り、出家修道を決意するまでの物語です。

第五回は5月13日(土)を予定しています。
(資料は、『過去現在因果経』のテキストと『口語語彙索引』があります。
 桑原まで請求してください。)

主催:奈良女子大学古代学学術研究センター
奈良女子大学21世紀COEプログラム

Map
講義形式なので、当てられたりしないから、ご安心を。参加無料。今のところ、ふらっと来ても大丈夫。
お釈迦様の伝記「仏伝」の最初のクライマックスに話が行くところだ。併せて、奈良時代の写経
 『絵因果経』
も配布されるはずなので、
 奈良時代のステキな挿絵
を見ながら、青年釈迦の栄華と苦悩の物語を楽しめるはず。
なお、当日4/8は
 お釈迦様の誕生日=花祭り
なので、奈良女子大に寄る前に、すぐ近所の
 東大寺仏生会(大仏殿) 4月8日 8:00-(法要) 灌仏(8:40頃から15:30まで)
 興福寺仏生会(南円堂) 4月8日 9:00〜16:00
にもどうぞ。
 東大寺仏生会
http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/bussyoue.html
 興福寺仏生会
http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/03_tmpe/ma_sc04.html

これ以外のお寺でも、
 「天上天下唯我独尊」と言って天地を指さす誕生仏に甘茶をかけるイベント
を開催中。三条通のお寺でもやってたな、確か。で、たいていのところでは、甘茶の接待がある。

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2006-03-19

漢訳仏典十講(第二期)第三回@奈良女子大 松尾良樹教授 3/18 15:00-18:00

奈良女子大のCOEプログラムの贈る連続公開講座の一つ。今期は
 中天竺出身の求那跋陀羅が訳した『過去現在因果経』
を読む。釈迦の伝記である「仏伝」のかなり古い漢訳仏典だ。翻訳時期は、劉宋・文帝の子南譙王義宣の任地・荊州について行き、彼の地の新寺(もしくは辛寺)で翻訳されたものなので、元嘉二一〜三〇(444-453)年の間、すなわち五世紀の半ばと言うことになる。『宋書』によれば、倭の五王の一人、済が劉宋に使いを送った時期ですな。倭王済が、「安東将軍倭国王」の称号を得たのが、元嘉二〇(443)年だそうだからね。(『宋書』倭国伝)

講義形式で、出席者は、松尾先生の解釈を聞くスタイル。この講義の真骨頂は
 漢訳仏典には、どの程度の口語表現が含まれているか
をつぶさに知ることが出来る点に尽きる。現代中国語を学んだ人は、
 補語
と格闘した記憶があるだろう。その「補語」が、すでに漢訳仏典の古い段階から現れているのだ。実際、隋唐以前の僧尼の多くは、出自のはっきりしない、文章を司る家柄よりは遙かに低い階層から来ている。つまりは、文章を司る士大夫層のように、幼い頃から系統的な学習をしているわけではない。六朝までの仏典は、翻訳も文章も
 坊主の漢文
と悪口を言われるわけだけど、大方が正規の学問を経験してない僧尼の書いたもの、読みにくい理由は
 口語成分が多く含まれるから
なのだ。このあたりは、気にしないとわからないのだが、今までは、ほとんど無視されていた領域だ。
松尾先生は、この
 口語成分
を一つ一つ抜き出して、六朝〜隋唐の仏典を研究されている。
 中国語学的アプローチ
としては、正しい。
仏典、とりわけ
 漢訳仏典
の場合は、
 サンスクリットやプラークリットなどの原典のシンタックスと中国語のシンタックスの違い
を考えなければならない。特に、中国語にはない
 関係代名詞による構文
をどう処理しているかは、『過去現在因果経』の訳文からも伺える。『過去現在因果経』の原典は失われているが、仏伝の梵本やパーリのテクストは存在するので、ある程度の類推は可能だろう。

『過去現在因果経』は、今回の途中から
 奈良時代の写経『絵因果経』(画像リンクは奈良博の所蔵)
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/image/046_a.jpg
が存在する。『絵因果経』は、『過去現在因果経』に絵をつけた、絵巻物形式の写経である。上半分は経文の内容を挿絵にしたもの、下半分は経文である。この絵の部分がなかなかかわいい。昨日は
 提婆達多や難陀などが放り投げた象を、出家前の釈迦が城外に放り出し、自分で受け取って、象にケガをさせなかった
シーンが出色だった。いや〜、どう見ても、最近のイラストの象さんみたいなんだもん。奈良時代の人達が、ホンモノの象を見たことがあったとは思えないのだが、どう見ても
 子象
が、ひっくり返されたり、放り投げられたりしている。今の日本なら
 コマ割
という技法で、時の推移を漫画にあらわすことが出来るけど、奈良時代の『絵因果経』は
 同じ場面内で時の推移をあらわす
ので、よく見ると、結構笑える。
 中国の古い口語も勉強できて、『絵因果経』で笑える
一粒で二度おいしい講義が、この講義。しかも
 受講は無料、テクストもタダ
なので、興味のある人は是非。

次回は
 4/8 15:00-18:00 奈良女子大文学部南棟3F LL第2教室
に開催される。その次は5/13の予定。問い合わせ先は
 奈良女子大 COE研究室 桑原さん coe-kodai@cc.nara-wu.ac.jp

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