2017-10-17

旧版『アリストテレス全集』が破格値な件

アリストテレスといえば
 万学の祖
と称されるわけで、毎年、必ずどこかで扱うことになるのだが、思い立って
 旧版『アリストテレス全集』岩波書店
を手元に置くことにした。まあ、どこの大学図書館にも普通に置いてある書物なのだけど、手元にあった方が何かと便利だ。
ところで、
 旧版
と書くわけは
 新版
があるからで、旧版と同様、岩波書店から
 若い読者に読みやすいこなれた訳の新版『アリストテレス全集』
が出ている。
 これまでの古典学の成果
も盛り込まれているので、そっちを買ってもいいのだが
 過去の論文や書籍との術語の摺り合わせ
の問題があるので、古い方にした。

で。
わたしが良く使うのは
 動物学上下(7/8巻)
 動物運動論・動物進行論・動物発生論(9巻)
なんだけど、amazonで買うととっても廉い。今回は「日本の古本屋」とヤフオクと眺めて、一番安価なところから購入したのだが
 1冊300〜600円程度
で買えてしまうわけだ。

その昔、
 高くて買えなかった『アリストテレス全集』
が、こんなにあっさり、破格値で入手できてしまうのは、うれしいような悲しいような。
古本価格がここまで崩壊してるのは
 新版が出た
上に
 「大きな物語」崩壊後の世界
では
 読者層が限られる
からだろう。

面白いんだけどね、アリストテレス。
さすがにギリシャ語で読む元気はないので、それは後回し。

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2017-10-16

清・王念孫『讀書雜志』が「王念祖」になっている件@北京大学図書館/archive.org

必要があって
 高郵王氏父子の著作
を見なくちゃいけない。
こういうときは
 近年、北京大学図書館がコレクションに寄与
している
 archive.org
を覗くと、いいことがある。

果たして、あったのだけど、これ何だ?
20171016_140301
拡大
Bd
 王念祖
って誰よ?

登録する時に誰かがタイプミスしてそれっきりなんだろうけど
 王念孫
に直しておいて欲しいものだ。

archive.orgだけど、最近は
 素直に漢字で検索が通る
ようになっていて、超便利。

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2017-01-29

「云云」と書いて何と読む? 余聞

現代日本語で
 云々
と書いてあったら
 うんぬん
と読むのだけれども、その話を聞いて思い出したのが
 『史記』封禪書
だ。
 封禅(ほうぜん)
とは、中国の帝王が行った
 とんでもなく大規模な祭祀
である。吉川忠夫先生による『世界大百科事典』の定義より。


中国の帝王がその政治上の成功を天地に報告するため,山東省の泰山で行った国家的祭典。〈封〉と〈禅〉は元来別個の由来をもつまつりであったと思われるが,山頂での天のまつりを封,山麓での地のまつりを禅とよび,両者をセットとして封禅の祭典が成立した。

もともとは、
 山頂で「封」、山麓で「禅」の祭
を行っていたのだが、その後両方を
 泰山で行う
ことになった。上記記事は次のように続く。

封禅説の成立は戦国末以後のことであって,それには方士が深くかかわっていたものと考えられる。史実として確認できる最初の封禅は秦の始皇帝28年(前219)に行われたそれであり,つづく漢の武帝の元封1年(前110)に行われたそれによって詳細が明らかとなる(略)その後,後漢の光武帝,唐の高宗や玄宗,宋の真宗たちも莫大な国費を投じて封禅を行った。

で、

泰山において政治上の成功の報告を行うとともに不死登仙を求めるところの封禅の説

という封禅を行うことが、
 中国皇帝の見果てぬ夢
となった。

で、
  『史記』封禪書
には、春秋時代の知恵者、斉の管仲が述べた
 過去の帝王が封禅の祭を行った山の名前
が列挙されている。管仲は、これまでに72人の帝王が封禅の儀式を行ったけれども
 名前を覚えているのは12
として、封禅を行った帝王と祭を行った山の名前を挙げていくのだが、


無懷氏封泰山、禪云云虙羲封泰山、禪云云神農封泰山、禪云云炎帝封泰山、禪云云、黃帝封泰山、禪亭亭。顓頊封泰山、禪云云帝俈封泰山、禪云云封泰山、禪云云封泰山、禪云云、禹封泰山、禪會稽。封泰山、禪云云、周成王封泰山、禪社首。

無懐氏以下9人の古の帝王が、
 云云山で禅の祭を行った
と言っている。
「云云」は、山の名としては
 うんうんさん
であって、
 うんぬんさん
ではないらしい。

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2016-11-28

早稲田大学文学部蔵書印付の顧頡剛等編『古史辨』が除籍されてヤフオクに出品されている件

ヤフオクを見て、驚いた。
一昔前なら、
 中国学をやるなら、普通に手許に置いてめくる書籍
として、院生以上なら割と持っていたと思う
 顧頡剛等編『古史辨』

 早稲田大学文学部の印が書底に押してある除籍本
が出ている。
20161128_52207
20161128_52154
背のラベルが読めないのだけど、
 重複本として処分
された雰囲気だ。

家にも1セットあるけど、購入当時は結構高価な書物だった。

近年、『古史辨』のような中国学の古典的書籍、中国国内のほぼ全ての新刊を含む出版物は愚か、
 日本で最近出版された学術図書
に関しても、
 中国で海賊PDFが蔓延している
のは、周知の事実だろう。国内の新刊については、たぶん、日本にいる留学生等が中心になって、せっせと
 自炊した書籍をネットにアップしている
のだろうと思っている。最近は大学図書館では
 ペーパーレスのコピー推奨
というわけで
 紙に印刷せず、USBにそのままスキャンした画像を取り込む
こともできるから、それを適当に加工してアップするわけだ。

そんなことがまかり通っているためか、数年前に京大文学部図書館に行ったら
 最近は中国古典の書籍は、学生さんがあまり利用しないんですよ
と司書の方が仰っていた。まあ
 手許にある端末をネットに繫げば、現物のコピーが入手できる環境
になってしまっているので
 わざわざ図書館に行って、紙の書籍を確認する必要がない
ってことなんだろうね。確かに、書庫の漢籍は手を触れられた頻度が減っているように感じた。開かない書籍は、天に埃が溜まるから、なんとなく煤けて見える。

恐らく、『古史辨』が除籍になった理由の一つは
 利用頻度が低い
ためだろう。

しかし、ヤフオクに出回るとはね。

知り合いの国立大学の先生何人かは
 重複本は廃棄する方針
という図書館のやり方に業を煮やし、
 廃棄前に「重要な典籍を救出」する
ように心がけられているという。

今から10年以上前だけど、古書店経由で、ある国立大学図書館の除籍本を入手したことがある。
 ジョセフ・ニーダム『中国の科学と文明』日本語訳の既刊分
だった。
 大学図書館から、科学史の基本図書であるニーダムの『中国の科学と文明』が除籍された
ことに驚いた。
同時に、日本での科学史の扱いの低さも感じた。

しかし、
 ネットにあるから、読まれるか
といえば、そういう訳でもないだろう。
 積ん読本は背文字が見える
が、
 ダウンロードした電子文献は、ファイルを開かない限り、落としたことさえ忘れてしまう危険性大
だからな。

かくして、古典的名著は利用頻度が落ち、あちこちの図書館から除籍されてヤフオクに出回り、ダウンロードされた電子文献は、一度利用された後は忘れ去られる。
古典的名著は、こうして書庫から駆逐され、現物を手に取れない状況が続けば、最後には存在すら念頭に上らなくなるだろう。

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2016-11-12

日本道教学会第67回大会@本日 京都大学文学部 一般来聴者歓迎

本日開催なのだけれども、
 日本道教学会第67回大会

 京都大学文学部
で開かれる。
一般来聴者歓迎とのこと。大会参加費は1500円。
Photo

研究発表会場 京都大学文学研究科第三講義室

研究発表 9:30-15:00(昼休み 12:00-13:00)
特別講演 15:15-17:05

午前の部
9:30-10:00
姜生(四川大学)「張道陵以前儒生的道教」 司会 三浦 國雄(四川大学)
10:00-10:30
垣内 智之(大阪市立大学)「『大洞真経』の再検討」 司会 亀田 勝見(福井県立大学)
10:30-11:00
金 志玹(ソウル大学)「道教の傳經儀禮における臨壇三師について」 司会 小南 一郎(泉屋博古館)
11:00-11:30
坂内 榮夫(岐阜大学)「『莊子口義』と禪について」 司会 中西 久味(新潟大学名誉教授)
11:30-12:00
加藤 千恵(立教大学)「鉛汞小考」 司会 都築 晶子(龍谷大学名誉教授)
午後の部
13:00-13:30
野村 英登(二松学舎大学)「内丹と築壇―翁葆光の『悟真篇』解釈とその展開」 司会 横手 裕 (東京大学)
13:30-14:00
谷口 綾(日本体育大学)「元代の医家と儒医―龍谷大学所蔵『家伝日用本草』をてがかりとして」 司会 武田 時昌(京都大学)
14:00-14:30
頼 思妤(東京大学大学院)「「墨杘谷」から「雉衡山」へ―楊爾曾の道教系出版事業と明代女仙信仰」 司会 森 由利亜(早稲田大学)
14:30-15:00
松家 裕子(追手門学院大学)「新宝巻」にみえる信仰のありかた―孤魂と免災― 司会 土屋 昌明(専修大学)

特別講演(15:15-16:05)
黎 志添 (香港中文大学道教文化研究センター長)『太乙金華宗旨』の浄明起源問題 ― 清初常州における呂祖乩壇信仰と浄明派の関係から 講師紹介 金 志玹 (ソウル大学)
特別講演(16:15-17:05)
麥谷 邦夫(京都大学名誉教授)「三教論爭から見た道教」 講師紹介 神塚 淑子(名古屋大学)

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2016-11-06

東京古典会 No.1096 宋版経は、『中阿含経』巻32「優婆離経」

東京古典会のオンライン目録を眺めていたら
 1096 宋版経
 沙門瞿曇受優婆離居士… 経名不明 首尾欠一巻
と書いてあるのに気が付いた。
 経名不明
というけど、そう難しくない。ググれば出てくる。実に一般的な経典で、大正新脩大藏經の第1冊目に収録されている
 No.26 『中阿含經』60卷 東晉 瞿曇僧伽提婆譯 第32卷「優婆離経」の真ん中近く
が該当箇所だ。

しかし、なんだって
 経名不明
にしたんだろう?
 
 

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2016-08-11

上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016.2 14040円 あるいは何故「漢文」は舐められるのか(追記あり)

大学の同級生が
 上代文献を読む会『上代写経識語注釈』勉誠出版 2016
を贈ってくれた。多謝。正倉院展というと、きらびやかな工芸品よりも
 文書や仏典
に張り付いて眺めているわたしの好みに合わせてのことだ。まあ、正倉院展に出陳される仏典であれば、経題を見ないで、
 その場で読んで、どういう類の仏典のどの部分か当てるのを楽しみにしている
わたしも大抵なのだが。

総頁704頁に及ぶ巨冊だし、日本語で書かれた上代関連の文献は精査してあり、その点は非常に有益である。
何年もかけた研究会の成果で
 大変な労作
なのだけれども、一言で言えば
 甚だしく勿体ない
のだ。何が勿体ないかというと
 研究班に、中国学や中国仏教もしくはインド仏教のプロパーの研究者が含まれてない点
である。もし、
 中国学や中国仏教もしくはインド仏教のプロパーの研究者が含まれていた
ならば、本書は
 国内の古代史研究者のみならず、海外の仏教学・日本学・中国学の研究者を裨益する必携の書物
となっていただろう。学際的研究班を編成できなかったのは、大変に惜しいだけでなく、そうなっていれば、参加者にとっては
 出典調べや読解の苦労が半減
していたことは間違いない。

彼我の差は大きい。
たとえば
 岩波文庫 『高僧伝』
の共訳者である
 船山徹京大人文研教授
は、
 元々は印度学(仏教学専攻)の出身で、梵文で仏教論理学を研究していた研究者
である。京大の印度学では、梵語やPāli語、Tibet語等の古典文献は読むが、漢文は扱わなかった。漢文仏典は
 自助努力
で読むことになっていた。
船山教授は、その後、人文研に入り、みっちりと漢文の研鑽を積み、吉川忠夫先生と共に、岩波文庫の『高僧伝』の訳注を作った。吉川先生に直接伺ったところでは、あの詳細な注に
 船山教授の貢献は極めて大きい
とのことだった。

当時のカリキュラムでは、印度学で、2年間、学部で学ぶと
 漢訳仏典から元の梵文が透けて見える
ようになる。船山教授は、その上で
 漢文の仏教文献を読んでいる
のである。

上代の写経識語においても、同様に
 印度学と中国学の両方への目配りは欠かせない
のだが、残念ながら、本書の場合、
 漢語の用例は追っている
けれども、
 仏教用語に梵語等インドの言語による注がついてない
のである。漢訳では、一つの梵語に
 いくつも別な訳がついている場合
がある。こうした「差異」は
 元の梵語(なければやPāli語等)を示しておけば、混乱せずに済む
ので、仏教学の論文では、
 梵語に戻しておく
のが普通の手続だ。そうしたことが行われてないことからも
 印度学プロパーはいない
ことが分かる。
(追記 8/12 1:00
梵語に戻すというのは
 卒塔婆(skt. stūpa)
といったように
 注記しておく
ということだ。一々、全ての漢語を元の梵語にして、説明をせよ、ということではない。
もし、「梵語」に戻さないと何が起こるか。
漢訳仏典は、その訳出年代により
 古訳(鳩摩羅什〈skt. Kumārajīva 344-413〉以前の漢訳。)
 旧訳(鳩摩羅什以降、玄奘(600-664)以前の漢訳)
 新訳 唐・玄奘訳
に分けられる。新訳は、言語的に正確な飜訳を期したものだが、流麗さにおいては、鳩摩羅什訳には及ばないため、読誦には、今でも鳩摩羅什訳が使われていたりする。
例えば、般若経類で、最も古い漢訳は後漢の桓帝の建和元(147)年に首都洛陽に来たった支婁迦讖による
 『道行般若経』(大正蔵8、No. 224 訳出は霊帝の光和二(179)年)
であるが、梵本やその断片(1-2世紀)が見つかっており、唐の玄奘訳までに次のような異訳がある。
 呉・支謙訳『大明度経』
 前秦・曇摩蜱・竺佛念訳『摩訶般若鈔経』
 後秦・鳩摩羅什訳『小品般若波羅蜜経』
 唐・玄奘訳『大般若波羅蜜経・第四会』
 同『第五会』
これらの異訳経の中で、梵本に現れる
 māra(魔)
の訳語を比較すると
 弊魔 『道行般若経』
 弊邪 『大明度経』
 弊魔 『摩訶般若鈔経』
 悪魔 『小品般若波羅蜜経』
 悪魔 『大般若波羅蜜経・第四会』
 悪魔 『第五会』
となる。こうした「弊魔」「弊邪」「悪魔」いずれも
 māraの訳語
であり、個々の漢語をそれぞれ比較するだけでは、混乱に終わるだろう。中国語の初期の仏教用語の多くが訳語から生まれたものである以上、梵語の注記は、不要の混乱を避けるために行う。
(以上、
 中國宗教文獻研究國際シンポジウム報告書( 『佛典漢語 詞典』の構想 / 辛嶋靜志
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/65875/25/02Karashima.pdf
を参照のこと。)
(追記終わり)

この研究会に、中国学プロパーの研究者がいなかったことは、注釈のあちこちで触れられる
 出典調べの内容
で明かである。例えば、何の断りもなしに
 『書経』舜典
と書いてあると、やはりガッカリしてしまうのだ。現代の研究書であれば、何故、『偽古文尚書』の篇立てに従って出典を示したのか、一言書いておかねばなるまい。(ちなみに、先師尾崎雄二郎先生の『説文解字注』の学部・大学院共通演習で
 舜典
などと言おうモノなら、例え、その年初めて参加した3回生であろうとも許してもらえなかった。)
(追記 8/12 1:50
もし、『偽古文尚書』を使うのであれば、最初に
 五経の引用は『五経正義』に従う
と断っておけば良い。そのようなコメントなしで
 『書経』舜典
と書くと、日本の儒学経典受容史を知らない、一般的な中国儒学研究者である
 海外の研究者から無知を疑われる
ことになる。
追記終わり)
(追記 8/12 3:30
ところで「平成」だが、俗説によると、当時の竹下登首相はいたく「平成」を気に入っていたとかで、検討資料には「平成」が大きく書いてあり、他の候補とは扱いが違った、と伝えられている。
追記終わり)
(追記 8/12 11:30
『偽古文尚書』について。『集英社世界文学大事典』より。


中国,『尚書』(『書経』)のテクストの一種。58編。このテクストのうち,偽作の明らかな25編のみを『偽古文尚書』と呼ぶ場合もある。直接に現在のものにつながる『尚書』のテクストは東晋(とうしん)初年に出現した。そのテクストの大半の編は古い『今文(きんぶん)尚書』などを引き継いだものであったが,そのうちの25編は当時すでに失われていたものを古い引用文などによって補いつつ偽作したものであった。このテクストは,それまで序だけがのこり,本文が失われていた諸編が補われた,より完全なかたちをのこす『古文尚書』(古文とは,古い字体をいう)が新たに発見されたとして,公表された。(略)このテクストは『偽古文尚書』と呼ばれ,それに付けられていた孔安国の注も,漢代の孔安国のものではないとして,『偽孔伝』と呼ばれる。このテクストが唐代の『尚書正義』に採用されて,現行の『尚書』のテクストの基礎になったが,それに偽作の編が含まれていることについては,明清(みんしん)時期に閻若璩(えんじやくきよ)らによって最終的に確かめられた。
(小南一郎)

竹内照夫『四書五経 中国思想の形成と展開』東洋文庫 p.204上

『書経』も文献学的には多くの問題を持つ経書であり、近世以後の研究によると、漢代にまず今文書経が作られ、おくれて古文が発見されたが、古文の方が内容が多かった。しかし、漢朝の末から六朝の初期にかけて書経の原本は二種とも亡失され、そのころにたれかの再編集した古文テキストに従うものが、今に伝わる書経で、これには偽作的付加のあることが明瞭であって、正式には『偽古文尚書』とよばれているのである。

「舜典」について。
『孟子』萬章上
堯典曰、二十有八載放勛乃徂落、百姓如喪考妣、三年、四海遏密八音。
この『孟子』が「尭典」として引用する部分は、現行『尚書』では、「舜典」となっており、篇次が異なる。
(追記終わり)

中味は日本のものであっても
 漢文は元々は中国の文語文だ
という観点は必要だ。それも
 上代の漢文であれば、中国語との距離は今の日本語よりは余程近い
だろう。
 その漢文の作者に、漢文を教えたのは、「日本人とは限らない」
からだ。もちろん、日本の漢文には、
 和習
という問題も存在するけれども、それよりはまず
 正格の中国語文語文がきちんと読めるか
というところから始めるのが正攻法ではないのか。
 漢文訓読
とは、
 シンタックスの異なる中国語を日本語で読むための便法
であり、そもそも
 漢文は中国語であり、「外国語」だ
という意識がないと、思わぬ読み違いをしてしまう。少なくとも、上代の漢文を扱うのであれば、当時の日本の文化人の基礎教養の一つであり、木簡にもその名が出てくる
 『文選』
と、正倉院文書に書写や所蔵の記録が残っており、仏教関係者なら読んでいたと思われる
 『弘明集』
辺りを少し勉強しておいてから、読み始めても遅くはない。また、これも常識だが
 士大夫の中国語文語文(『文選』)と僧侶の中国語文語文(『弘明集』)とは性格が異なる
ので、片方のみで済ませるわけにも行かない。オーソドックスな中国語文語文はもちろん
 士大夫の漢文
である。僧侶の漢文は
 仏教梵語同様に「変格」の漢文
になる。
いくら上代の漢文であろうとも、
 書き手は、少なくともかなりの教養人
だから、
 識語を書いている人々の教養に追いつくという意識
がないと、
 見通しの悪い読み
になってしまうし、何より
 書き手への敬意を欠いている
のではないか。

『文選』や『弘明集』では
 駢文
にも立ち向かうことになる。実際、本書が扱う
 上代写経識語
には
 駢文
が用いられている箇所があるのだが、残念ながら
 駢文の構造に慣れていない
ようで、読み違えている部分がある。こうした辺りも
 中国学プロパーの研究者が参加していなかった
ために起こった躓きだろう。

もう、二十年近く
 古代史をやるのなら、中国語を習得して、それから漢文も中国語で勉強して欲しい。その方がわかりやすいし、いい教科書があるから。
と言っているのだが、大体は
 そんな面倒なことはイヤだ

 あくまで漢文で読めれば良い
と答える。それは、
 五経や『文選』等を当然の教養として勉強していた古代の書き手
よりも
 学力が劣る状態で「読む」
ことが、いかに不利であるかを自覚していないのではないか。

日本人は、明治まで
 教養人は漢文を習得
していた。もし、これまで中国語を習得していない、国史や国文を学んだり、研究している人々が
 漢文文献を扱う
予定があるならば、1日少しの時間でいい、いきなり『文選』は無理だし、独学は難しいから、高校の教科書にもその中の作品が採用されている
 唐宋八家文
辺りから少し選読するなりして、
 当時の日本人の中国語力に近づく努力
をして頂きたい。

しかし、
 勉誠出版
って
 日中文化交流史関連の出版
を手がけているんだけど、どうも
 中国学関連の校閲が甘い
ような気がしますね。それとも
 本書については、筆者達しか校閲に携わってない
のだろうか。そうだとすると、気の毒な話である。

おまけ。

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2016-08-05

何を今更Pāli語再履修

久しぶりにPāli語を纏めて読むことに。
読む文献はVinayaのMahāvaggaだから、あまり気合いを入れなくてもイイのだが、それにしても
 読み落とし
があるとイヤなので、ちょっと寄道して、足元を確実にすることに。

前にも書いたけど
 印度学の古典的辞書・文法書・教科書
は、とっくに著作権が切れているので、あちこちで拾うことが出来る。

もしかして
 Pāli語再履修
に興味のある向きもあるかも知れないので、いくつかのリンクを纏めておいておく。

Pāli語といえば、
 PTS(Pāli Text Society)
だけれども、PTSの
 The Pāli-English Dictionary
は、あちこちにPDF化されたものが落ちているし、
 オンライン辞書
にもなっている。

オンライン辞書
The Pāli-English Dictionary
PDFだが、ロシアのLirs.ruのものが綺麗だ。
The Pāli-English Dictionary

文法書もいろいろあるけど、まずはGeiger(独)の英訳。ドイツ語版は、archive.orgに入っている。
Wilhelm Geiger: A Pāli Grammar

リンク集。
Pāli語の原典・辞書・文法書のGoogle Bookリンク集
http://static.sirimangalo.org/pdf/
AndersenのA Pāli Reader with Notes and Glossary. Part1 & 2とか、Pāli仏典の各種原典(経部の長部・中部・相応部・増支部・小部とか論部・律部等)および英訳とか、各種文法書とか。

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2016-06-28

国文研の「岩波古典大系データベース」公開方法を変更 機関からの接続に限定して再公開@6/24

一時期、公開を中断して、大変に不便だった国文研の
 日本古典文学大系本文データベース
だが、6/24から
 アクセス可能な範囲を限定して公開
している。


本データベースは、岩波書店や校訂者のご了解のもとに 学術研究利用を条件として公開しているため、 アクセス可能な範囲を以下の機関としています。
大学・短大以上の高等教育機関(国内外)
公的研究機関
図書館、美術館、博物館、文書館
学術文化事業に関係する公的機関

というわけで、該当する機関のネットの「中から」は引けるが、外部から接続したい場合、それぞれの機関でVPNが設定されてない/利用出来ないなどの場合は、ダメってことね。

従来は、acドメインのメールアドレス必須で、それぞれに利用者IDを与えていたが、
 より広く利用して貰う体制
にした、ってことか。

大学等高等教育機関の雇用が流動化している現在、acドメインのメールアドレスを持っていたとしても、いつそれが失効するかは不明だ。それよりは、機関固定で提供するという方が、学術目的利用という観点からも効率的でもあるだろう。

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2016-06-04

漢訳仏典を調べる(初心者編)

元々、仏教学専攻なのだが、京大の仏教学は
 印度学の1分野
なので、中国仏教や漢訳仏典は真っ正面からは扱われなかった。だから、
 漢訳仏典を調べるやり方
のは、
 自力更生
で身につけたのだけれども、
 専門外だと、仏典を調べるのが難しい
という話を聞いた。

現代は、
 Internetに大蔵経がアップロード
されているわけで、大蔵経内から
 文字列を探し当てる
のは、簡単になっている。しかし
 その文字列が記されている仏典の正体
とか
 その文字列がどういう意味合いで使われてきたか
とかいった
 基本的な部分
は、時間を掛けて身につけないと、せっかく探し当てた文字列を解釈できない。

仏典初心者のための良い教科書が、ネット上にある。東洋文庫の會谷佳光さんが作られた
2012年2月16日(木) 平成23年度アジア情報研修資料 財団法人 東洋文庫 「仏教典籍(漢文資料)の調べ方」(PDF)
だ。
 アジア情報研修の際に使われたテクスト
のようだが、簡潔に、
 仏教興起
から
 漢訳仏典の性格
を時代順に説き及び、もっとも力が籠もっているのが
 歴代大蔵経の紹介
である。専門家でも面倒な大蔵経の展開が、カラー図版を交えて、わかりやすく説明されている。

出典が仏典だと
 げ、仏典
とか思う方は、是非ご一読を。

わたしが、漢訳仏典を調べる方法を身につけたのは、ほとんど参考にはならないとは思うのだけれども、一応紹介すれば、
 大正蔵55巻目録部の『出三藏記集』から『貞元新定釋教目錄』までと費長房『歴代三寶紀』(大正蔵49)、大正蔵54巻事彙部下の『一切經音義』『續一切經音義』

 ともかく、端から端までめくる
というやり方だった。頭の中に文字列を
 画像的に記憶
する訳である。一度に大量にやると、すぐにイヤになるので、一日にめくる量を決めて3ヶ月くらいやっていた。たまたま、その時は、健康を害していて、とてもじゃないけれども
 まともな調べ物
をする体力がなかったのだが、
 ひたすら頁をめくる
のは可能だったので、情報が入らなくなって、頭が寝てしまわないように、ともかくめくった。
重症の活字中毒向け。

あとは、必要に応じて、
 大正大藏經索引
をめくった。オンラインデータベースのある現在では、書冊体の『大正大藏經索引』の出番はほとんどないし、あの索引は
 巻によって出来の善し悪しの差が大きい
ので有名で、そうそうお勧め出来ないけれども(律部の索引は、比較的マシ)、
 単なる羅列ではない索引
なので、初心者が漢訳仏典の組織を知るには悪くなかった。

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