2008-09-23

妊産婦死亡した家族を支える募金開始@周産期医療の崩壊を食い止める会

Fukushima_red


亡くなられた産婦さんのご冥福を心からお祈りいたします。また、お子さんの健やかな成長を願っております。

福島県立大野病院事件で、刑事裁判の被告人となった加藤克彦先生を支援してきた
 周産期医療の崩壊をくい止める会
が、新たな呼びかけを始めた。


福島県立大野病院事件を無駄にしないために

——妊産婦死亡した方のご家族を支える募金活動を始めます——

                      2008年9月22日

          周産期医療の崩壊をくいとめる会 代表 佐藤章

 さる8月20日に一審福島地方裁判所で加藤克彦医師に対する無罪判決が出されてから1カ月になります。加藤医師の現場復帰も決まりました。ご支援くださった多くの方々に厚く御礼を申し上げます。

 しかしながら、これで物事がすべて片付いたと考えては、加藤医師も単に医療に従事する貴重な時期を無駄にしただけになりますし、何より亡くなった方やそのご家族が救われないと考えます。

 当会としても、様々な取り組みを今後も続けていきたいと考えております。

 出産の際に不幸にしてお亡くなりになった方を忘れず、そのご家族を支援する活動を、当会として新たに始めることといたします。

 日本の妊産婦死亡率は世界屈指の低さを誇りますが、それでも年間50人ほど、お亡くなりになる方がいらっしゃいます。残されたご家族は悲しみの中、乳児を抱え大変なご苦労をなさることになります。来年からは脳性マヒを対象とした無過失補償制度も始まりますけれど、その救済の網からも漏れてしまっているのが現状です。こうした方々の生活の少しでも支えとなるよう、広く募金を募り、それを原資に支援のお金をお贈りして参ります。

 次の口座で募金をお受けいたします。ご賛同いただける方の、ご協力をお願い申し上げます。

口座名   周産期医療の崩壊をくい止める会

口座番号  みずほ銀行  白金出張所 普通 1516150

連絡先:

周産期医療の崩壊をくい止める会 事務局

E-mail; perinate-admin@umin.net、 TEL 080-7031-3032  担当 松村

すごく画期的な運動だと思う。これまで「懸命な治療が及ばず」医療が元で亡くなった患者さんを医療側が支援する運動はほとんどなかったのではないか。
刑事裁判では、「シロかクロか」が求められる。中間はない。被告人と国との闘いである。国は決してご遺族の代理人ではないのだ。従って、裁判によって、ご遺族が置き去りにされることになってしまう。身近な人を亡くした悲しみが、裁判で癒えることはない。
医療側が心のケアにまで踏み込んで、こうした運動を起こすことは、実にすばらしい。と同時に、本来こうした仕事は宗教がになってきたことを考えると、いかに現代日本では宗教が小さなものとなってしまったかを改めて痛感するのだ。

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2008-09-17

試合中に呪文を唱えて乱闘、11人死亡@コンゴ

takechiさん経由。

今でも
 お雇い呪術師が試合中に敵に呪いを掛ける
といわれるアフリカのサッカーでのお話。
9/15付日刊スポーツより。


サッカー場で呪文唱え乱闘、11人死亡

 ロイター通信によると、コンゴ(旧ザイール)東部で14日、地元サッカーチーム同士の試合中、選手の1人が呪文(じゅもん)を唱えたところ乱闘となり、11人が死亡した。地元ラジオが15日伝えた。

 劣勢だったチームのゴールキーパーが試合の流れを変えるため、前に出てきて呪文を唱えたという。

 その後乱闘となり、警察官が駆け付けたが群衆に石を投げられた。警察は催涙ガスで応酬、死者のほか負傷者も複数出た。

 コンゴでは今も呪術信仰が残っている。

 [2008年9月15日22時11分]

むむむ、11人も死者が出るのでは、物騒ですな。
誰が聞いてもはっきりと内容がわかる呪文だったってことなんだろうか。呪文なのか罵言なのか謎。
Atharva Vedaの呪文なんかだと、明らかに罵言だったりするんだけどな。

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2008-06-30

毎日新聞の英文記事、主婦および看護師を始めとする医療従事者の怒りを買う(番外編)なぜか呪符ができていた件

なんか妙な呪符がネット上に落ちてるんですが。
「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造報道27スレッドより。


865 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 22:40:50 ID:kkGhXq8I0
オカルト板ばらまき用ビラ

陰陽道方式
http://f12.aaa.livedoor.jp/~itatisa/phpup/cgi/src/up2353.jpg
Jf1

密教方式
http://f12.aaa.livedoor.jp/~itatisa/phpup/cgi/src/up2354.jpg
Jf2


これを竹橋の毎日新聞社近くや毎日新聞営業所の近くに
忘れちゃったりしたら駄目だよ☆

投函はNG

オカルト板有志謹製の呪符らしい。

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2008-05-13

神社本庁プレゼンツ「お宮キッズ」

skyteam先生経由。
 たのしくまなべる神社のページ[お宮キッズ]

いや、なかなか凄いです。間違って大きなお友達も来そうだが。

ちゃんと神社本庁のトップページ(日本語)からリンクが貼ってある。
 神社本庁

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2008-04-18

ラサ燃える(その40)善光寺がスタート地点返上か(速報)

今も敬虔な仏教徒であるチベット人を弾圧して止まない中国共産党当局が
 国家の威信
を掛けている
 聖火リレー
なのだが、
 善光寺がスタート地点返上
とのニュースが流れている。時事通信より。


善光寺、出発地返上の方針=長野市の五輪聖火リレー
4月18日9時6分配信 時事通信

 長野市で26日に行われる北京五輪の聖火リレーで、出発式を行う予定になっていた善光寺は18日までに、聖火リレーの出発地を返上する方針を固めた。既に主催者である市側に非公式に打診した。出発地変更の可能性は市の聖火リレー計画に大きな影響を与えるもので、同市聖火リレー実行委員会は開催日まで10日を切った時点で、大幅な計画変更を迫られる異例の事態となる。
 市は善光寺に対して出発式の時間帯に一般参拝客の立ち入りを規制し、迂回(うかい)路を設けるよう要請しており、善光寺はその対応を決めるため17日午後、非公開で幹部会議を開き出発地返上の方針を固めた。18日午後の全住職が集う「全山会議」で最終決定される見通し。複数の関係者が明らかにした。
 会議に出席した住職は「われわれはチベット人と同じ仏教徒との気持ちが強かった」と理由を話している。

仏敵である中国共産党に協力する必要はない。

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2008-04-13

ラサ燃える(その37)いまチベットでどんな拷問や弾圧がなされているか

ルンタ・プロジェクトの公式サイトには、
 亡命チベット人たちが語るチベットの真実
というコーナーがあって、道俗の亡命チベット人がその体験を語っている。

少なくとも仏教もしくは中国・チベットそしてモンゴルにちょっとでも関わって飯を食っている人間は、この証言から目を背けてはいけない。
特に僧尼に対する苛烈な拷問の詳細と、それを仏教への帰依を支柱として堪え忍び、ダラムサラに亡命を果たした僧尼の次の証言は、絶対に一度は読んでおかなければならないと思う。(年齢は証言当時のもの)
 尼僧ガワン・ワンドン(22才)の証言
 僧侶バグド(31才)の証言
 尼僧ナムドル・テンジン(29才)の証言

これらの道俗の証言では、中国共産党当局が、チベット人にどんな弾圧を加え、拷問をしているのかが、自らの体験として、具体的に語られている。

なぜ、僧尼たちは、弾圧を恐れないのか。
ガワン・ワンドン尼の証言。


出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。

バグド和尚の証言。


私は、チベットのためになにかすべきだという強い衝動に駆られていました。幸いなことに、出家僧である私には、養うべき子供も妻もいなかったため、自らの命を犠牲にすることも厭いませんでした。『他の幸せのために全てを投げ出せ』と説く仏の教え通りの生き方であると確信したからです。独立運動を行う者の大半は、僧侶や尼僧なのです。

チベットの僧尼にとっては、チベット弾圧に対する抗議行動は、
 菩薩行
なのだ。そして、どんな苦難にあっても、堪え忍ぶことが出来る原動力は、ダライ・ラマ14世にある。
ナムドル・テンジン尼の証言。


 尋問に費やされる時間以外は、労働を強いられました。私に与えられた仕事は汚物を畑に肥料として散布することでした。日に三度、小さなパンとお茶しか与えられないわずかな食事のため常に空腹感は癒されず、殴られたせいで体中が痛みましたが、厳しい監視のため決して休息することは許されませんでした。両手に中国人の糞尿が入った重いバケツを提げ、監視人に追い立てられながら畑の間を行き来しても、決して悲しみに押し潰されたりはしませんでした。何故なら、心の中にはダライ・ラマ法王が居続けていてくれたからです。ダライ・ラマ法王が希望という光を与え続けてくれる限り、私はたとえどんなに状況がひどくても、心に喜びと優しさを保つことが出来たのです。一切の宗教活動は禁止されていたけれども、私はいつも胸の中で経文を唱え続け、ダライ・ラマ法王に祈り続けていました

いったん、泳がせるために釈放されたナムドル・テンジン尼が、再び収監されるとき、こんなことが起きる。


私は泣き続ける両親の前に立つと話しかけました。「一体何で泣く必要があるの。私は犯罪を犯して捕まったんじゃない。ダライ・ラマ法王のために独立の声をあげただけなのよ。亡命先で独立運動を続けるダライ・ラマ法王が早くチベットに戻ってこれるようになるため、チベットで苦しみ続ける人々が解放されるためなのよ。そのために監獄に入っても、私は少しも悲しくなんかない。いや、嬉しいわ。お父さんも、もう泣かないで喜んでちょうだい。お母さんも弟たちも喜んで見送ってちょうだい。」私はそう言って微笑み掛けました。これが私の出来る精一杯のことでした。しばらくすると、父親も母親も泣くのを止めてくれたのです。「私たちも、お前が監獄に入ることになって嬉しいよ。誇りに思うよ。もう嘆くのはよそう。家のことは心配しなくてもいい。みんな大丈夫だから。」

 私は警官に小突かれながらジープに乗せらました。連行されていく私を皆が手を振って見送ってくれました。私も笑顔で手を大きく振り返しました。道で擦れ違う村人もジープの後ろに乗せられた私の姿を見つけると手を振ってくれました。畑の中からも人々は農作業の手を休め、手を大きく振ってくれました。村人たちは 私を乗せた車が遠く見えなくなるまで手を振り、見守り続けてくれました。再び刑務所に連れ戻されるというのに、私の心は何故か喜びに満ち溢れていました。

六波羅蜜の一つ
 忍辱波羅蜜
を実践しているのが、弾圧を受けているチベットの僧尼なのだ。
わたしは涙なしではこれらの証言を読み進むことが出来ない。
仏典には、気の遠くなるような苦しみを耐え忍ぶ菩薩の姿が数多く描かれている。それを21世紀のいま、チベット人に強いているのが中国共産党である。
そして同時に
 文革当時、すべての宗教関係者にどのような弾圧が加えられたか
を、これらの証言から類推することが出来る。

宗教にちょっとでも関わって飯を食っている人間は、亡命チベット人の証言を、今一度、じっくり読まねばなるまい。

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2008-04-05

ラサ燃える(その19)チベット人がムスリム(回族)を攻撃したというのはデマとRadio Free Asiaが伝える

4/4付の"Radio Free Asia"普通話版によると、3/14のラサ騒乱で当初伝えられた
 チベット人が回族を攻撃した
という話はデマだ、という。

とりあえず、繁体字に直した記事を貼っておく。気が向いたら、一部訳す。


官方稱藏族攻撃回族 回族人斥官員造謠(当局はチベット人が回族を攻撃したと称しているが、回族の人は当局のデマだと否定)
2008.04.04


西藏騷亂事件繼續引起國際社會關註。美國27名參議員呼吁胡錦濤與達頼喇嘛對話。西方媒體對事件的報道,最近引起中國官方的強烈反撃。中國駐紐約總領事館批評英美傳媒歪曲報道。居住在甘肅甘南藏區的一名回族人[日郷]本台記者講述當地的情況。以下是自由亞洲電台特約記者喬龍的報道。

美國27名聯邦參議員聯名致函中國國家主席胡錦濤,呼吁中國尊重西藏人權,並鼓勵直接與達頼喇嘛對話。聯名信激起了中國官方的強烈反彈。據稱,官方認為是英美兩國的傳媒誤導了美國國會議員。於是,中國駐紐約總領事館副總領事曠偉霖在當地召開記者會,批評英美傳媒“歪曲報道西藏拉薩暴力事件,並希望傳媒認清真相,作客觀公正的報道。”

美國有線新聞網絡作出回應時強調,他們的報道並沒有偏頗,而英國廣播公司國際新聞編輯承認,其中一幅相片的説明有錯,但整體報道是全面的。

3月26日,在國務院新聞辨記者會上,中國藏學研究中心宗教研究所所長鄭堆説,拉薩314暴力事件中受害的有藏族人、回族人,也有漢族人。對此,甘南卓尼縣的一名與藏族同胞同住一個區域的回族人星期五表示

記者:爾是漢民[口巴]?

回族人:我是回族。

記者:爾們那裡是不是都是回族?

回族人:還有藏族。

記者:爾們對藏族人的感覺怎麼樣[口尼]?

回族人:挺好的。

對於當局大規模拘捕數以千計的僧侶和藏民,大多數百姓以“不表態”,來表達自己的立場。卓尼縣的[口力]一名回族男子在接受本台査詢時就是如此。

記者:藏民現在還在抗議[口馬]?

回族男子:就是。

記者:藏民做得對不對?

回族男子:這段時間不好説。

記者:爾怎麼看待這些藏民的這些抗議?

回族男子:那個現在説不清楚。

記者:誰對誰錯,説得清楚[口馬]?

回族男子:説不清楚。

據本台瞭解,大陸百姓對西藏騷亂避口不談主要是因為兩種情況,第一種是,當局下了“封口令”,要求民衆不要討論騷亂的具體情況,除非按照官方公布的數字談論,民衆對此不屑一顧,因此回避騷亂話題,第二種是,不認同或認為官方在[手丑]曲事件真相的民衆,他們一但開口必遭麻煩。

本台最近十多天,連續採訪了數十名生活在藏區的漢族、藏族及回族人,當記者請他們評論騷亂事件時,通常以“是”或“對”等單字來描述事件,很少人敢在電話中直接表態。

這次聯署簽名的美國參議員在信中希望中國政府解除對傳媒報道西藏真相的限制,増加西藏情勢的透明度,讓世人瞭解實際情況,包括有多少人遭到逮捕、受傷及死亡。

在拉薩,雖然當局聲稱拉薩市面恢復穩定,五月一日“全面開放拉薩旅游市場”,當本台[日郷]拉薩市民査詢時,一名漢族市民表示:“現在看似基本上平靜了”

記者:但是[口尼]?還是在抓人?

市民:是,就是。

記者:所以説,現在不能來旅游對[口馬]?

市民:就是。

以上是自由亞洲電台特約記者喬龍的報道。

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2008-03-16

ラサ燃える

ラサが燃えている。
五輪を前にした3月。少数民族の起こす民族運動は増え、中国当局が弾圧するシーズンに、よりによってチベットのラサで民族衝突が勃発した。
新華社は
 10人死亡
伝えたが、中国政府のプロパガンダ機関の新華社が10人というのなら、実際の犠牲者は軽く見積もっても10倍はいるのではないかと思う。インドのチベット亡命政府は
 30人の死亡確認
と伝えている。
朝日より。


チベット騒乱「30人死亡確認」 亡命政府発表
2008年03月16日02時08分

 中国チベット自治区ラサで起きた共産党・政府に対する僧侶や市民の抗議行動で、インドにあるチベット亡命政府は15日、30人の死亡を確認したと明らかにした。自治区の公安当局などは同日、デモに加わった僧侶らに自首を呼びかける通告を発表。現地では警備が強化され、外出が制限されており、事態は沈静化に向かっている模様だが、デモはチベット族が住む中国の他地域にも波及している。

中国甘粛省夏河で15日、寺院に続く橋の上で警備する中国当局の警官隊=AP

15日、中国チベット自治区の中心都市ラサの街路には装甲車両が配備され、厳しい警戒態勢が敷かれた=ロイター

 インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府のトゥプテン・サンペル報道官は15日、ラサから寄せられた情報を総合した結果として「ラサで30人の死亡を確認した。約100人との未確認情報もある」と述べた。

 また、ラサでのデモを「ダライ(・ラマ14世)一派の策動」とする中国政府の見方を「完全に誤りだ。中国の統治下で苦しんできたチベット人自身によるものだ」と否定した。

 一方、新華社通信は「10人の死亡が確認された」と伝えた。

 日本政府は、現地在留者、旅行者を含め自治区にいる日本人の無事は確認できたとしている。

 チベット自治区の公安当局などが出した通告は、17日中に自首すれば処罰を軽くするとしたほか、他の参加者の摘発に協力すれば処罰を免除するとして切り崩しを図っている。また、参加者をかくまったら処罰するとしたうえ、参加者を摘発した住民には褒賞を出すとして通報を促している。

 ただ、デモは他の地域で起きている。AP通信によると、甘粛省甘南チベット族自治州夏河で15日、僧侶数百人がチベット寺院の周辺などで抗議デモをした。チベット族住民も加わり、地方政府の庁舎を壊したり、警察署の窓を割ったりした。その後、警官隊が催涙ガス弾を撃ち込んだという。地元住民の話として伝えた。

チベットを分断するやり方は
 89年の天安門事件でやった手法
と一緒だ。天安門事件では、軍の発砲による犠牲者の遺体を家族が引き取りに行くこともできなかった。行けば、叛乱分子の一味と看做されて逮捕されるからだ。逮捕された後、どんな仕打ちが待っていることか。
チベットは遠い。遠いが故に、いともたやすくチベットの人たちは蹂躙される。青蔵鉄道は出来た。四川チベット高速道路もある。この高速道路は戦車が通れるというもっぱらの噂だ。
 チベットに通じるインフラ整備は、漢族支配強化のためのインフラ整備
である。遠く、実情が分かりにくいチベットでは、インターネット全盛の今でも、なかなか情報がつかみにくい。

蔵族(チベット族)は、チベット自治区だけにいるわけではない。今後、蔵族の抗議活動は各地に拡大し、そのたびに弾圧されるだろう。
中国の少数民族を集めた大学である中央民族大学がまだ中央民族学院だった頃、短期留学したことがある。これは中国の
 対少数民族工作のための教育機関
で、各地から漢族に従順な少数民族が集められ、中央の忠実な手足となるよう北京で教育を施しているのだった。ここを卒業して故郷に帰ると、その内何人かは中国共産党の少数民族幹部候補に取り立てられるというシステムだったと思う。普通の学科だけでなく、民族芸能の学科もあり、卒業生は民族歌舞団に就職するという話だった。
この大学では、蔵族に関する二つ鮮烈な思い出がある。
一つは、購買で見掛けた日常風景だった。まったく漢語(中国語)を勉強しないでやってくる外国人留学生は、なかなか漢語を使って買い物が出来ない。欲しいものを指さし
 這箇(これ)
と言えればまだマシな方だ。そうした外国人留学生と同じく、漢語を使わないで買い物をしていたのが蔵族の学生達だった。出来るだけ侵略者である漢族の言語・漢語を使わずに過ごしたいのだろう。それはそれは徹底していた。購買にやってくると、ほぼ無言で、欲しい商品を指さす。購買の服務員も慣れていて、無表情で対応していた。
 四塊五(4.5元)
などと服務員が値段を告げると、また無言で代金を出し、無言で商品とおつりを受け取るのだ。
もう一つは、出版部で経験した屈辱的な出来事である。民族学院には、各少数民族の言語による出版物がある。モンゴル語、朝鮮語、満洲語、ウイグル語そしてチベット語などだ。確か購買の向い側にだったか出版部があって、仏教チベット語の勉強をしていたわたしは、チベット語の書物をいくつか買おうとした。すると、何族か知らないが、出版部のおじさんが笑い出したのだ。
 何でこの日本人留学生はあの劣った蔵族の本などを買うのだ
という、嘲りの笑いだった。チベット仏教は、梵本が失われている仏典の研究に必須の蔵訳テクストを大量に保存している。日本の仏教研究者は、学恩のある蔵族や蔵族の文化に対して、敬意を持つことはあれ、軽蔑することはない。
この時、蔵族とチベット仏教が置かれている状況の厳しさを実感したのだった。
民族融和をうたい、少数民族に高等教育を施している先端的な機関だった筈の中央民族学院でも、蔵族の扱いはそんなものだったのである。
その頃、中央民族学院のバッジを付けて、病院なんかに行っちゃダメだ、と先輩の日本人留学生が一つの話をしてくれた。ある女子日本人留学生が病気だかケガだかして、日中友好病院に行った。中国の病院の衛生状態は、お世辞にもよいとは言えない時期で、外国人は日中友好病院に行け、というのが常識だった。ところが、日本人の彼女はいくら待っても診察して貰えないのだ。原因は
 胸に付けていた中央民族学院のバッジ
にあった。その女子留学生は、見た感じが蔵族に似ている。留学生活も長かったから、中国で買った服を着て、長い髪をお下げにし、中央民族学院のバッジを付けていた。本人にしてみれば
 わたしは留学生です
という身分を示したかったんだろうけど、それが裏目に出た。受付が
 こいつは蔵族だ
というので、受け付けていなかったのだった。やがて、日本人留学生であることが判明して診察は受けられたそうだが、この話をしてくれた先輩は
 ともかく、日本人がこのバッジを付けていて、いいことは何もない
と断定的に言っていた。いろんな少数民族に似ている日本人が中央民族学院のバッジを付けていると、間違いなく少数民族だと思われ、漢族に差別されるし、危ない目に遭うかも知れないから止めておけ、と言うのだった。
漢族が少数民族を馬鹿にしているのは、自分でも体験した。北京師範大学に後輩が留学しているので、遊びに行った。留学生楼に行くと、受付に紺色の人民服を着た見るからに漢族の門番が二人座っていて
 お前、登記しろ
という。名前を書け、と言うわけだ。別に変とも思わず、名前を書いて後輩の所へ行った。
夕食を後輩と取ることになり、一緒に玄関まで降りていくと、また門番に呼び止められた。
 あれ、登記したんですか? 日本人留学生はしなくていいはずなのに
と後輩が変な顔をしている。門番に
 中央民族学院学生証
と書かれた身分証を見せると、二人ともげらげら笑い出した。身分証には
 国籍 日本
と明記されている。どうやら
 中国人が日本人留学生を訪ねてきた
と門番は思っていたらしい。げらげら笑われたのは
 よりによって「中央民族学院の身分証」を持っている日本人
だったからだ。
そういえば、少数民族蜂起を天安門広場で取材していた外国人記者が身柄を拘束されたのも、この頃だった。当局が明らかにしたがらない、その手の情報は「口コミ」で瞬く間に広まっていた。

その時から随分経ったけれども、少数民族の地位が向上したとは感じられない。拝金主義の最近の中国では、経済から取り残され、あるいは収奪されている少数民族の地位は更に低くなっているように見える。
青蔵鉄道は、漢族には富をもたらし、蔵族からは店や職を奪った。経済力に勝る漢族が、観光客相手の商売を手広く展開して、蔵族の仕事を奪っているのである。チベットの管理を強化するための青蔵鉄道は、蔵族を不幸にするばかりだ。

北京にいる産経新聞福島香織記者は、今回の問題について、ご自分のblog「北京趣聞博客」で次のように書いておられる。


プンツォク・ワンギェル氏はかつてこういった…。 2008/03/16 01:49
(略)
■青海省にくらす日本人学者・阿部治平さんからもメールがきた。(略)その彼は、この騒乱(暴動)について、ダライ・ラマ14世とまったく関係ない、との見解だった。完全同意です。デモの最中に「ダライ・ラマ万歳」と叫んだりする僧侶がいたという話しだが、「ダライ・ラマは最高位の活仏のことであり、南無阿弥陀仏!と叫ぶのと同じ」だそうで、この僧侶が特に過激な独立派だとは思えない。
(略)
■だから、当局が発表するダライ・ラマ14世の陰謀説というのは、こちらの方が陰謀くさいと思う。中国側がダライ・ラマ14世に責任をなすりつけようとしているのではないか。いままでのダライ・ラマ14世の発言、中国側との交渉の過程をみていれば、ダライ・ラマ14世は譲歩しつづけている。しかし、中国側はいっこうに譲歩せず、むしろ活仏許可制など宗教管理を厳しくしている。
(略)
■一部報道で、お坊さんが、放火した、と書かれたものを見たが、チベットラマ僧の戒律の厳しさを考えれば、破壊行為に僧侶が積極的に荷担するとは思えない。ただ、精神力の強い人が多いのでハンストとか抗議の座り込みとかやると、なぐってもなぐっても動かないのだろうが。

■僧侶に暴力が振るわれたり、拘束されたり、宗教管理が厳しくされたりすると、信仰にいきる普通の人々はものすごく怒る。チベット族は部族にもよるが、正直いって沸点が低い。春のこの時期、僧侶からの祝福や祈りが受けられないことは、厳しい自然の中に生きる人々にとって死活問題。断定はできないが、この暴動のきっかけとなったデモの真の要求は、宗教的まつりごとの多い春前に、中国当局に政治犯として拘束された高位のお坊さんを釈放してくれ、という釈放要求の意味も多分にあったのではないか。というか、そちの方が切実な要求だったのでは?もちろん、チベット民族蜂起の日(3月10日)やダライ・ラマ亡命の日(3月17日)など、つらい記憶が蘇る記念日が続く季節なので、心がざわざわするだろうが。しかし、それを、中国側は、五輪妨害の計画的な破壊工作のようにあえて拡大解釈しようとしているのは、プロパガンダではないだろうか。

と今回の中国側報道の意図を明らかにしているが、わたしもその通りだと思う。
そして、次のように指摘する。


■犠牲者・被害者はチベット族も漢族もいるだろう。しかし、これだけの暴動に発展させたのは、中国側の公安、武装警察(人民解放軍)の初期対応の過ちのせいだとおもう。

経過を整理すると
3月10日、投獄された僧侶の釈放などをもとめるデプン寺の300人デモ計画の武力阻止と数十人の僧侶の拘束。市中心のジョカン寺近くバルコ街でビラを配っていた十数人程度の僧侶、尼僧、市民を殴打するなど暴力。バルコ街封鎖。(チベット政府当局は、拘束した僧侶は、厳重注意後釈放したと主張)

3月11日、10日に拘束された数十人の僧侶の釈放を求めるセラ寺の600人デモを、武装警察が催涙弾で制圧。発砲も。死傷者の有無不明。

3月14日までに、セラ寺の抗議のハンスト開始、手首を切るなどの抗議活動。3大寺院の軍による包囲、封鎖。市民と僧侶が怒りの抗議デモ。これを数千人規模の武装警察らが阻止。発砲で死者がでて、大暴動に。軍車両が群衆に突入?死者多数?(読売新聞より)。商店や車両の放火、暴行。死者は80人以上に?

3月15日、いったん沈静化←今ここ。当局による密告、自首の呼びかけ。

1人の仏教徒として、チベットでこれ以上無辜の市民の血が流されないことを祈る。

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2008-03-14

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十四日目@3/14 甘露寶雨

今日は雨。

今日の鹿。(画像はクリックすると拡大します)
Sk19
東大寺の南大門前で群れる鹿。

雨が激しいので、ゆっくり行ったら、五時半前に階段には上れなくなっていた。
珍しく
 舞台下の芝
に入れるというので、行ってみる。
そうか、この雨では
 高級機材を使えない
から、カメラおじさん達が来てないのか。
時に激しく降る雨に濡れながら待つ。

今日のお松明は俗に
 尻焦がし
とか
 尻つけ松明
と呼ばれる。いつもは二分半間隔で上がるお松明が、10本一度に舞台に並ぶからだ。
こんな感じだ。

一本目のお松明が舞台に上がる。
2gt73
すぐに二本目が舞台に上がって、西南に寄っていく。
2gt74
二本の松明が交差する。
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2gt77

こうやって次々松明が西南角から並ぶ。
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次の松明がまた上がってくる。
2gt80
六本上がったところで、間隔を開け始める。
2gt81
盛んに燃える松明。
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四職の道明かりの大きめの松明が上がってくる。
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新たにやってきた松明も
2gt86
前の松明と交差する。
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舞台に松明が揃い、声が掛かって一斉に前に突き出される。
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すべての松明が打ち振られ、火の粉が盛んに落ちる。
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松明が舞台を去る。
2gt94
最後の松明が舞台の西南角で大きく振られる。


今日のうどんは
 山菜うどん
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にしてみた。寒くて寒くて、丼で手を温めながら頂く。

登廊を下りると
2gt96
もう、松明の燃え残りは置かれていなかった。

また来年。
明日未明、練行衆が満行下堂されて、今年の修二会は終わる。

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東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十三日目@3/13 うどんと達陀(だったん)

ともかく今日は暖かい。
昨日はありつけなかった
 二月堂名物うどん
を求めて、4時半過ぎに二月堂へ。お参りしてから北休憩所へ。

これが名物うどん500円。
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きつねと山菜があるが、今日はきつね。出汁がえもいわれぬお味。うどんの麺はいわゆる食堂のうどんレベルだが、出汁がすごいので許せる。

「本坊台所」と書かれたアルマイトの薬缶。
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「お茶、熱いのに換えました」とおじさんが持ってきてくれた。新しい熱々のお茶がたっぷり入っていた。
器物への「墨書」は奈良時代も現代もあんまり変わらない。


今日はここから。
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お松明が上がってくるのが見え、その後目の前を通りすぎる。

やっと暗くなってきました。
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前列には写真家のグループが屯していて、自慢の写真を披露していた。一人のおじさんは、奈良の写真ばかり撮っていて、毎年修二会に通っているとか。もちろん、撮影許可を貰って、局や参籠宿所で写真を撮っている。
 まだ誰も撮ってない絵
にご執心の元気な70代。今日は京都から
 女性カメラマンの星野佑佳さん
が来ていて、舞台の上からお松明を撮影していた。結構かわいい、元気なおねえさん。

宗教行事を撮影するのは、わたしの場合は記録・資料の意味以上の物はない。それにこれだけ動画が簡単に撮れるようになると、記録としての写真からは「一瞬を切り取る」必要性がどんどん低くなる。芸術性よりも、ちゃんと過不足なくその場が記録されているかどうかの方が重要だ。とは言っても、わたしの場合は見えてないから写真に撮っておいて、あとから確認するんだが。結構、撮りこぼすことが多いのが悩みの種だ。だいたい前列で、他の人達が気合いの入ったカメラで撮ってる横で、IXY900ISで手ぶれを起こさないように両手でカメラを固定して、両足を踏ん張って撮ってるから、カメラおじさん達からは、何だあいつ、とか思われてるんだろうな。最近、自分で露出が決められないくらい視力が落ちてるから、IXY900ISで十分。

登廊を上がってくるお松明に照らされる堂童子。
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お松明の後ろには練行衆がついてきており、そのたびに堂童子は低頭合掌して挨拶。

目の前を通り過ぎていったお松明。
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風があるので、激しく燃え上がる。


風に煽られて、こんな姿に。
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天狗が翼を拡げたみたい。


こちらは、耳のある兜をかぶった人の顔に見える。
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いずれも撮ったときは気がつかなかった。

今日の鹿。
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お松明の後、二月堂参道の土手からぬっと顔を出した鹿。

今夜も
 達陀(だったん)
がある。ダメもとで、「鹿男あをによし」を半分見てから、10時半に出かけた。

結論から言うと
 西の局(ご本尊正面)に人が溢れていて、局の扉が最後まで開いたままだったので、達陀を拝見できた
のだった。行ってみてよかった。
達陀は、水天と向かい合った火天が達陀松明を内陣の床にこすりつけて引きずる行法で、大きな火の付いたままの燃えさしが、内陣の床に大量にこぼれる。そのままにしておくと火事になるが、四職が箒で掃き出すのだ。
達陀松明の火力は強く、炎が発した熱気が内陣から外に向かって流れてくるような感じを受ける。
達陀松明に大きな火が付く前に、内陣から大量の水を礼堂に撒く。その水を四食が箒で礼堂に拡げ、そこへ松明の燃えさしを掃き出すのである。
達陀は、松明が消えるまで終わらないので、かなり大きな燃えさしがあちこちに飛び散る。そのたびに、四職が掃き出して消火する。
最後に火勢が弱った達陀松明を、とんとんとんと三度床に打ち付けた後、礼堂の側にどっと倒すと、大きな火の欠片が礼堂に飛び散る。
達陀が終わると、外陣に座って行法を見守っていた山内のお坊さんたちが席を立つ。
そのあとに晨朝の行法があって、ご本尊にお粥を供えるのだが、割愛して、北出仕口の方に出ると、これから下堂だといあうので、通行止めになっている。
やがて晨朝の行法が終わり、練行衆一人に普通の小さい松明を持った童子一人がついて、下堂する。下堂の際は、天狗が二月堂に入り込んで火遊びをしないように、
 トイレ休憩だ
という意味の
 手水手水
と叫びながら、登廊を駆け下りていく。
練行衆が全員下りられると、すぐに通行止め解除。石段には、駆け下りる練行衆を照らした松明の小さい赤い燃えさしがあちこちに落ちていた。

ちなみに、
 下堂は撮影禁止
と、北出仕口で散々呼びかけてたけど、聞いてない振りをする人が結構いたし、北出仕口から遠いところでは徹底してなかった模様。
全国民に代わって、滅罪懺悔のための行法(修二会は十一面観音悔過)に身を削っている練行衆は、 
 菩薩行の体現者
だから、「撮影禁止」と言われたら、下堂する姿に、ご挨拶の合掌をすることはあっても撮影する気にはならないんだけど、これは個々人の信仰の問題だからしょうがないだろう。わたしは上堂の時も合掌している。上堂で合掌していたら、隣にいた60-70代のカメラマンのおじさんには、化け物を見るような目つきで見られた。最前列に近いところにいて、練行衆が見えられたら、挨拶を優先しているだけなんだけどな。わたしは修二会は信仰の場だと思っているから、撮影の絶好機と考えている人たちとは立場の違いがある。それに、ご出家に出会ったら、合掌してご挨拶するのが習慣になっているしな。

どんな宗教行事でも、以前は最前列は信者で、カメラマンはその後ろだったんだけど、いつの間にかカメラマンの方が、でかい顔をするようになってきた。今だとデジタル一眼レフに高そうなレンズ付けて、一般参拝者を威嚇するからな。
 カメラに当たって壊すなよ
という、「素人はすっこんでろ」モード全開で、気の弱い人はそれだけで、見るのによい場所には近づけない。実際には、直前に人がたくさん押し寄せてくるので、威嚇も効かなくなるのだが、そうなると舌打ちしまくってる。人がぶつかったら、二月堂周辺は許可された場所以外は三脚全面禁止、手ぶれしますからね。しかし、おっちゃん達も大半がアマチュアカメラマンやろが。写真が趣味のおばちゃんもいるけど、おばちゃんはおっちゃん達よりは無茶しないから、まだマシ。なんかアマチュアカメラマンの一部には
 高い機材使ってる奴が偉い
みたいな間違った機材信仰があるようで、それをカメラに興味のない一般参拝者にも押しつけようとする姿勢には辟易する。本人はその滑稽さに気がついてないんだろうけど。世の中に
 株に投資した額が多い奴が偉い
なんて思っている人はいないわけで。

東大寺は撮影には割と寛容な方だけど、これだけ皆がプロ用機材に近いものを持てるようになってくると、場所取りも熾烈だ。お松明を撮影するのには、舞台の下の芝が一番だと言われているけど、わたしは近づいたことがない。早い時間から人で溢れているのを見ると、
 高級機材の大衆化の勢い
を感じますな。どんな写真が撮れてるのかは知りませんが。

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2008-03-13

特別陳列「お水取り」@奈良博 2/2〜3/16

奈良博の紅梅。(画像はクリックすると拡大します)
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毎年、修二会の時期には、奈良博で
 特別陳列「お水取り」
が行われる。昨日は夜間開館で、ゆっくり見られるので、二月堂からの帰りに寄った。

修二会の本尊小観音の像容。


重要文化財類秘抄 1巻(るいひしょう)
紙本白描、縦29.5cm 長2062.0cm
鎌倉時代 承久2年(1220)
奈良国立博物館

『類秘抄』の小観音像

十一面観音の中でも珍しく、頭上の十面が左右正面の三面が下三段、最上段が正面一面の構成になっている。図録『特別陳列 お水取り』(1000円 平成18)によると、類似の図像は、
 インド・ムンバイ郊外のカーンヘリー石窟第41窟の浮き彫り(同図録 p.12)
にあるという。カーンヘリー石窟第41窟の浮き彫りは7-8世紀の作らしい。
なお痛ましいことに、同時に展示されている『覚禅抄』には、
 左右有其跡 二月堂有補陀落跡
と記された
 左右面を欠き、四段正面のみ四面が残った観音像
が描かれており、これは小観音だと考えられている。なんらかの事故で、小観音の左右面六面が、『覚禅抄』の成立した元亨四(1324)年までに失われていたらしい。(同図録p.29)
大観音の頭部は、同じ『覚禅抄』のすぐ手前に描かれている。(同図録p.29)
 二月堂 頂上仏面 无化仏
とあって、十一面観音像ではよく見られる頭部正面の化仏(阿弥陀如来立像)がない。

なお、図録のp.60の「食堂作法」の写真は
 後ろに達陀(だったん 本当は口偏がつく)松明が置いてある
珍しい写真。

昨日は
 ミュージアムショップが在庫セール
をやっていて、古い図録や絵はがきなどを値下げ販売していたので、めぼしいものをいくつか買いあさってきた。

続き。
「お水取り」は小さい展示なので、別に
 特集展示「涅槃」
 平常展 仏教美術の名品
も、新館で開かれている。
「涅槃」では
 寝釈迦がごろんと寝ている木像
が展示されている。足の裏も見えるので確認したんだけど、
 足下安平立相だったけど、足下二輪相は判別不能
だった。お釈迦さまの足の裏には法輪の模様がある筈なんだけどな。これは広島照源寺の所蔵で類例が多いことから
 人気のあった、本歌となった涅槃像の存在
が想定されているのだが、本歌の方は既に存在しないみたいだ。涅槃図はいくつか掛かっていたが、
 白い象が背中を地面にこすりつけて身もだえし、釈迦涅槃を悲しむ図像
で有名な
 兵庫浄土寺の涅槃図
も展示されていた。この象さんが、実に悲しそうなのよね。
「仏教美術の名品」では
 西大寺の鉄宝塔
が出陳されていた。これはいつ見てもいい物ですね。鉄鍛造の塔と聞いただけで
 いかなる技術がこの美しいバランスを保った宝塔を作り上げたのか
と驚嘆する。現代の技術では到底及ばないだろう。しばらく見惚れていた。あとは所謂天平写経(別訳雑阿含経巻十 「五月十一日経」の内)に見とれる。だいたい、特別展に行っても、文書ばかり見ているからな。奈良時代の書蹟や隋唐写経は、見るだけで時を忘れる。文字と料紙の醸し出すゆったりした気風は、後の時代には失われてしまう。

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東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十二日目@3/12-3/13未明 お水取り

3月12日は、
 籠松明とお水取りの日
である。
南大門の外側東にある
 東大寺図書館(画像はクリックすると拡大します)
Tdj1は、12-13はお休みだ。
境内も、早い時間から交通規制が敷かれる。
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午後5時を過ぎると、二月堂参道を上がれなくなる。

今夜というか明日未明に行われる修二会の付加儀礼
 お水取り
を待つ閼伽井屋。
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門柱に注連縄が新たに張られている。

3時ちょっと前に二月堂に上がったら、
 もう下りてください
という指導が入っていた。籠松明は大きいので舞台の後ろの板戸を閉めてしまうのだ。
東の局の前で作業をしていた東大寺の方に聞いたら
 北の休憩所は営業中
だそうなので、行く。
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今日はこんな看板が立っている。
お品書き。
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残念ながら
 うどんはつゆがまだなんで四時から
ということで間に合わず。
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おいなりさんにした。これはOEM。
こんな旧式のおくどさんに火が入っている。
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まだまだ現役。

お帰りはこちら。
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結構急な南側の小さい方の階段を下りる。

四月堂が開いていたので、ご本尊の千手観音樣にお経を上げ、奈良博に寄って一旦帰宅。

夜11過ぎに家を出る。
お水取りは1時半からと聞いていたので、2時間前で大丈夫かと思ったら、すでに結構な人出。
階段の下で待つ間、二月堂から五体投地の音が響く。
近くにマスコミ関係者が多数いて、
 今年の五体投地は音がぼこぼこいうな
 (五体投地をする)板を裏返しに設置したのと違うかな
 なんかかなり痛い、って話だな
などと、話しているのが聞こえた。

今夜は暖かい夜だったが、朝日新聞のカメラマンのおにいちゃんは寒がっていた。下半身の防寒が不足していたらしい。報道陣も三脚禁止なので、みんな頭をひねって、カメラの工夫をしていた。

「東香水講」の提灯が門柱に下がる閼伽井屋正面。
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この中で完全非公開の「お水取り」が行われる。


閼伽井屋の門柱に下がる提灯。
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東大寺の方がぶら提灯を明かりに、蝋燭を換えに来ていた。


雅樂の音が響く中、お水取りが始まる。
神仏習合の形をはっきり残している。

明かりは松明とぶら提灯のみ。
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若狭井から汲んだ水を二月堂に運んでいくところ。
閼伽水の桶を運ぶときに、練行衆が法螺貝を吹き、雅楽がそれに続く。

今年は少し始まるのが早かった、という話だった。

写真で見るとかなり暗い印象だが、実際には松明の明かりが相当明るいので、閼伽井屋での行事以外は、だいたい見える。
閼伽井屋には、限られた人間しか立ち入ることができない。お水取りの行法は、秘法で、真っ暗な中で行われる。閼伽井屋の戸が閉まるゴトンという音が、2度ほど聞こえた。

お水取りの行法もツアーに組み込まれていて、二月堂裏参道の駐車場に、迎えのマイクロバスが来ていた。

今日の鹿。
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♪しかせんべいをくれよ


鏡池にも。
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2008-03-12

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十一日目@3/11 法華懺法

自由に局で聴聞できるのは今夜限り。明日から三日間は、特別に許された人以外は、局に立ち入ることができない。

明日を待つ籠松明。(画像はクリックすると拡大します)
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普通のお松明が40kgほど。この籠松明は60kgもある。これを童子の方が一人で操る。


今日も、二月堂舞台の上でお松明を待つ。
たまたま隣に奈良女子大の武藤康弘准教授がいらして、学生やカメラマンの方と話をしていた。武藤先生は奈良県の宗教儀礼を積極的に調査・記録していらっしゃる。

大仏殿の鴟尾に重なる夕陽。
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今の時期にこの位置に落日がある、ということは、春分秋分の日の出・日没は、二月堂から見て、大仏殿の東西の屋根の中心線を通ると言うことか。

燃えさかるお松明。
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練行衆の道灯りとして階段を照らし、舞台に来たところなので、火勢がすばらしい。


目の前の欄干をお松明が転がる。
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火の粉が否応なしに降りかかり、鼻の中は煤だらけになった。火の粉を浴びると一年間無病息災だそうだから、結構なことだ。

今夜は北の局で、
 法華懺法
を待つ。北の局は狭いので、なかなか入れないのだが、今日はラッキーにもすんなり入れた。
北の局からも、須彌壇の壇供の餅が整然と重ねられている様子や、造花の椿などが見て取れる。
ここは、声明が一番よく聞こえる場所だと言われる。また、行法もかなりはっきりと格子越しに覗く。今夜は咒師が鈴を振りながら、四天王を勧請する様がよく見えた。
声明で、鈴以外に、小さい鈴のような音がするな、と思ったら、錫杖の音であることが判明。材質が何なのか、美しい音が響く。
法華懺法は、礼堂で行われるので、北の局からだと少し声が小さいのだが、今夜限りなので、聞き入った。

明日から、売り出されるメニュー。
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北の休憩所では、12-14日のみ
 観音すし・うどん
が販売される。すでに準備が整っていた。食券制で、普段は詰め所になっているところが、食券売り場。値段や内容は今日の段階では不明。

今日の鹿。
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夜11時半過ぎ、県庁横の緑地帯に鹿の群れがいた。交通事故に遭うなよ。

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2008-03-11

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)番外編1 3/11付朝日奈良版に疑問 今年の修二会は寒いのか

このところ奈良は暖かい。
天気予報によれば、今日は16度を超えるとか。

で、同じ3/11付朝日奈良版で全く違う話になっちゃってる「修二会の寒さ」について。

まずは小滝ちひろ編集委員。


大導師の大役 増える諷誦文 2008年03月11日
(略)
 それにしても、冷え込みが厳しかった前半、上七日に比べると、後半の下七日は暖かい日が増えてきた。15日未明の満行はもうすぐだ。(編集委員・小滝ちひろ)

奈良に住んでいる人間からすると、その通りの気候だと思う。

こっちは、なぜか違う。


【奈良を学ぶ】東大寺の芭蕉俳句
2008年03月11日


黒っぽい板石に達筆の行書が刻まれた水取りの句碑。左後ろが二月堂=奈良市の東大寺で

 ◎氷の僧?籠りの僧?
 東大寺三月堂の北側にある築山に、年代を感じさせる大型句碑が立っている。高さ2メートル、幅1メートルほどの板石で、流麗な行書が3行に分けて刻まれている。
 水取や
   籠りの僧の
      沓の音
 碑の裏面を見ると、建立は1913(大正2)年2月、揮毫(き・ごう)したのは東大寺末寺の空海寺住職と分かる。
 水取は二月堂の修二会(しゅにえ)。籠(こも)りの僧はその練行衆(れんぎょうしゅう)。沓(くつ)の音は、差懸(さしかけ)という木の履物でお堂の床板を踏む音。俳聖・松尾芭蕉が、1684(貞享元)年8月から翌年4月にかけて伊勢や伊賀、大和、近江などを巡った旅行記「野ざらし紀行」に残した名句である。
 二月堂は1667(寛文7)年の修二会中に焼失、翌々年に再建された。芭蕉が聞いたのは、この復興間もない二月堂に響いた沓の音である。真新しいお堂だと、どんな音がしたのか、少し興味をそそられる。
 ところが、この碑の句には気掛かりなことがある。
 実は、芭蕉自筆の「野ざらし紀行」には「二月堂に籠りて」という前書きに続いて「水とりや氷の僧の沓の音」とある。句碑の中七音「籠りの僧」が「氷の僧」になっているのだ。
 もう半世紀以上も前になるが、中学時代に教わったこの句の中七音は「籠りの僧」だった。だから、ずっとそう思い込んでいた。十数年前、新聞に修二会の記事を書く機会があり、念のため歳時記を開いた。それにはなんと「氷の僧」とあるではないか。仰天して別の歳時記も何冊か調べた。すべて「氷の僧」だった。現代俳壇の著名俳人にも尋ねたが、「氷の僧だから名句。籠りの僧では駄句」と一蹴(いっしゅう)された。
 新聞には「氷の僧」と書いた。翌朝、苦言電話が続々。面談で抗議に来た人もいた。この反響にも驚いたが、「籠りの僧」と習ったのは私だけでなかったという妙な安堵(あん・ど)感も覚えた。
 「野ざらし紀行」には稿本や写本がいくつか残っている。中でも由緒の確かな芭蕉直筆とされるのが、天理大学付属天理図書館にある天理本。それにははっきりと「氷の僧」と書いてあり、芭蕉が「氷の僧」としたのは疑いようがない。
 それでは、なぜ「籠りの僧」になったのか。その起源は、芭蕉から1世紀ほどおくれて登場した蝶夢(ちょうむ)という18世紀の俳人にある。
 僧だった蝶夢は、30歳代で俳諧の道へ進み、京都を中心に活躍した。芭蕉を敬愛して数々の著作を残し、芭蕉墓がある義仲寺(ぎちゅうじ)(大津市)では堂舎の修理や顕彰碑建立などに尽力した。
 その一つが1793(寛政5)年刊行の「芭蕉翁絵詞伝」。この中で蝶夢は、水取の句の中七音を「こもりの僧の」として世に出した。直接的で明解な言葉だったため、またたく間に広まり、以後「籠りの僧」が定着し、〈常識〉になってしまった。三月堂裏の句碑はそんな名句の歴史を刻みつけた文化遺産である。
 それにしても今年の修二会は寒い。参拝・聴聞者の目に映る練行衆はまさしく「氷の僧」である。(岸根一正)

え〜、好意的に解釈するなら
 「氷の僧」という文句を生かすために「修二会は寒い」というレトリックで文末を締めた
ってことなんだけど、果たして、どっちが正しいのか。

修二会は東大寺二月堂で行われていて、二月堂の中には、灯明など明かり以外には火の気はない。
奈良気象台の気温データを見てみよう。平年との気温差は0.5℃未満は割愛。

日付/平均平年値/最高平年値/最低平年値/平均(差)/最高(差)/時刻/最低(差)/時刻
3月1日 5.0/10.4/0.3/6.3(+1.3)/10.3/12:47/2.1(+1.8)/24:00
3月2日 5.1/10.6 /0.3 /5.2/11.9(+1.3)14:18/-0.5(-0.8)/06:58
3月3日 5.3/10.8 /0.4 /4.6(-0.7)/11.0/13:40/1.2(+0.8) 03:15
3月4日 5.4/11.0 /0.5 /3.8(-1.6)/9.5(-1.5)/14:58/-0.4(-0.9)/06:32
3月5日 5.6/11.2 /0.6 /2.8(-2.8)/8.6(-2.6)/12:09/-1.3(-1.9)/23:10
3月6日 5.7/11.4 /0.7 /3.8(-1.9)/10.5(-1.4)/13:31/-2.7(-3.4)/06:51
3月7日 5.9/11.6 /0.9 /6.0/12.7(+1.1)/12:32/1.3 /23:39
3月8日 6.0/11.7 /1.0 /4.7(-1.3)/11.8/15:20/-1.1 (-2.1)/04:09
3月9日 6.2/11.9 /1.1 /7.3(+1.1)/16.7(+4.8)/15:26/-1.9(-3.0)/06:45
3月10日 6.3/12.0 /1.2 /9.1(+2.8)/13.8(+1.8)/16:10/5.4(+4.2)/24:00

修二会は1日の未明から始まり、最初の下堂は午前3時。3/1は穏やかな日で、最初の上堂の間は、最低気温6.4℃だった。夜の行法では最低気温は夜中の1時で2℃。
二日目も下堂する夜中の1時が一番寒く2.4℃。
三日目も同じく夜中の1時で1.7℃。
四日目も同様で1.2℃。
五日目は下堂の時間が夜中の2時と遅く、-1.4℃。

六日目は1時下堂で5.4℃と穏やかな夜だった。
七日目は2時下堂で、-0.1℃。
八日目は零時過ぎ下堂で、気温は0℃ちょうど。

九日目も零時過ぎに下堂、気温は7.7℃と暖かい夜だった。
東大寺二月堂は奈良気象台の百葉箱よりは寒いところにあるから、もうちょっと二月堂の気温は低いと思う。
こうしてみると
 寒い夜はあるけれども、例年と比べて著しく寒い修二会といえるかどうかは微妙
だ。小滝ちひろ編集委員と岸根一正記者の
 寒さに対する印象の違い
は、
 毎日通っている小滝編集委員と取材の時だけ寄ってみた岸根記者
という取り組みの違いでもあるだろう。岸根記者が
 過去帳が読まれる五日目に来ていた
のなら、寒い、と感じたでしょうがね。確かにあの晩は寒かった。

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2008-03-10

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十日目@3/10

今日の鹿。(画像はクリックすると拡大します)
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ちょうど大仏殿帰りの人達がたくさんいて、鹿もあちこちで鹿せんべいを貰っていた。鹿の背中に夕日が差している。


今日は二月堂西南角に陣取る。
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ここは最後にお松明を振る場所なので、念入りに水を掛けていた。

大分暗くなってきました。
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二月堂正面の燈籠に火が入った。残念ながら電灯です。
昔は一々燈芯に火をつけていたのだろうから、手間を考えるとちょっと気が遠くなる。


お松明が東南角で振られる。
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御覧のように、童子の方が一人で振る。

盛んに落ちる火の粉。
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下では火の粉を浴びようと、たくさんの方が待っている。

今日もなぜか西南角にお松明が二本残ることに。
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今日は交差させていなかった。

先に来たお松明が打ち振られる。
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後のお松明も、その後で振られた。

お松明の後、二月堂正面から、上堂された練行衆が、差懸を高らかに鳴らして、戸帳をくぐり、内陣の観音様の前で礼拝する様子を、シルエットで拝見できた。


今日の閼伽井屋。
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周りの木の枝が、新しい物に換えられた。葉がまだ青々としている。

修二会の十二〜十四日目は、局に入るのに特別な許可が必要なので、わたしは入れない。
従って、十二〜十四日の深夜に行われる「だったん」の行法は残念ながら、聴聞することができない。

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2008-03-09

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り九日目@3/9 登廊を上がってくるお松明

今日は大仏殿方面の渋滞が酷いという話だったので、歩い