金環蝕にも安心のテレ東
昨夜、うっかり夜更かししちゃった人は、今日はとても眠かっただろう。
奈良でも、薄雲の中に金環蝕が浮かんだ。
心配された割には
金環蝕の時だけ雲が晴れた
等の話を聞く。多くの人が、しばらくは日本では見ることの叶わない、金環蝕を我が目で、あるいはピンホールで楽しんだのではないか。
で。
keenさん経由。

いつもながら
安心のテレ東
である。
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昨夜、うっかり夜更かししちゃった人は、今日はとても眠かっただろう。
奈良でも、薄雲の中に金環蝕が浮かんだ。
心配された割には
金環蝕の時だけ雲が晴れた
等の話を聞く。多くの人が、しばらくは日本では見ることの叶わない、金環蝕を我が目で、あるいはピンホールで楽しんだのではないか。
で。
keenさん経由。

いつもながら
安心のテレ東
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凄いぜ、北斎。
産経より。
葛飾北斎生誕250周年記念 「北斎展」あす開幕 三井記念美術館
2012.4.13 07:57ホノルル美術館所蔵
世界に誇る逸品170点が里帰り
“赤富士”を代表とする「冨嶽三十六景」など革新的な画法で世界の芸術家に大きな影響を与えた江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の生誕250年を記念する「北斎展」(三井記念美術館、産経新聞社主催)が明日14日から前、後期に分け東京都中央区の三井記念美術館で開かれる。東洋美術の収蔵で世界的に知られる米ホノルル美術館が所蔵する、北斎の逸品170点を一度に里帰りさせるのは初めてのこと。圧巻の揃物展示コーナーと、その業績を紹介するコーナーに分かれ、北斎芸術の神髄に触れられる。
◇
驚くべき北斎の画法は数々あるが、その中で今回、日本初公開となる版画、「地方(じかた)測量之図」は秀逸だ。
なんと測量役人の測量器をのぞく視線がキラ(雲母)を使って表現されている。しかも、その視線の流れを「甲」から「乙」へ=下、「丙」から「丁」へ=上、と“絵解き”までして解説しているのだ。
キラは浮世絵では美人画などの背景に度々使われる“小道具”だが、視線をまるで現代のビーム光線のようにキラで表現してしまおうと考えたのは北斎が最初で最後なのだ。
「肉眼ではなくレンズという違う物差しで見る行為そのものを絵にしている。科学そのものですよ。こんなことを当時考え、世に問える人は北斎だけですね」と、三井記念美術館の樋口一貴学芸員。
だからこそ、ゴッホ、ドガ、モネといった西洋の画家だけではなく、ドビュッシーのような音楽家にも多大な影響を与えたのだ。
しかも、この版画を完成させたのが亡くなる前年の89歳というから、その若々しく尽きない発想にも驚かされる。
「青」という色を劇的に駆使した手法も北斎ならではだ。おなじみ“赤富士”に代表される「冨嶽三十六景」は「空」の「青」を横一文字で表しているのがほとんどで、上昇感のある富士山を濃い青で抑え付け、見事にバランスを取っている。この「青」はプルシアンブルーといい、幕末の浮世絵界に革命を起こし、象徴的な色となった。
北斎はこの色を自身が興味を持つ“水の動き”にも導入。「諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの瀧」など瀧シリーズ(揃物)8点全てにも使った。
また、和漢に通じる教養の高さを物語る「詩哥写真鏡 清少納言」などの故事もの10点、「諸国名橋奇覧 三河の八ツ橋の古図」などの橋シリーズもの11点も北斎の魅力を余すところなく伝えている。
ホノルル美術館の約1万点の浮世絵の核はミュージカル「南太平洋」の原作を書いた作家、ジェームス・A・ミッチェナー氏(1907~97年)が収集し、寄贈した逸品。その中でも北斎の作品は保存状態が良好と言われている。必見だ。◇
【会期】 平成24年4月14日(土)~6月17日(日)
前期:4月14日(土)~5月13日(日)
後期:5月15日(火)~6月17日(日)
※前・後期で全作品の展示替えを行います
【会場】 三井記念美術館
(東京都中央区日本橋室町2の1の1三井本館7階)
【休館日】 月曜日(4月30日は開館)
【開館時間】 10:00~17:00(入館は16:30まで)
【入館料】 一般1200円 大学・高校生700円 中学生以下無料
70歳以上割引(要証明)、団体割引(20名以上)あり
障害者手帳をお持ちの方、その介護者1名は無料
【交通案内】 東京メトロ銀座線、半蔵門線「三越前」駅下車
A7出口徒歩1分
【問い合わせ】 (電)03・5777・8600
(以下略)
いや〜
視線を雲母で図示
って、さすがだよ、北斎。これは是非見たい。しかも
89歳で考案
したのか、北斎。ますます凄いぜ。
三井記念美術館の解説サイトはこちらで、
特別展 ホノルル美術館所藏「北斎展」葛飾北斎生誕250周年記念
こちらに
地方測量之図 展示期間 前期(4/14-5/13)
とあるので、行くなら今の内だ。さすがにインターネットの画像では
雲母摺は見えない
ので、現物を肉眼で見るしかない。
なお、
後期展示期間
で、「地方測量之図」はもう出陳されてないけど、
5月18日(金)は「国際博物館の日」を記念して、5月18日(金)当日に限り、外国人、大学・高校生の方は無料でご入館いただけます。
<パスポート(写し可)、または学生証の提示が必要です。>
とのことなので、該当する皆様は、5/18に後期展示を見に行くといいかも。
詳しい出品目録はこちら。
出品目録(PDF)
前期後期で
北斎の作品は全取っ替え
になるから、上記PDFで確認して出かけるのが吉。
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日本では
科学史や医学史
というのは、大学内でもメインストリームではなく、片隅に追いやられている印象がある。
医学史研究者は、時々プロパーの歴史研究者に
医学史研究なんて年寄の医者の道楽
などという揶揄をされたり、胡散臭い目で見られることがある。でも、それは本当なのか。
敬愛する医学史・科学史研究者のblogを二つ紹介する。
慶應の鈴木晃仁さんの
身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
東京外大PDの若い科学史研究者、坂本邦暢さんの
オシテオサレテ
少なくとも、このお二人がやっていることは
片手間の学問
ではない。欧米では科学史研究には長い伝統があり、かつ学問的地位が高く、このお二人のdisciplineもそれに基づいている。知人の科学史研究者は、ハーバード大学の出身だが、
科学史では、激しい議論が出て当たり前
だという話をこのあいだ聞いたばかりだ。日本だと
発表者の学力・人格を疑うような質問
は、学会では控えられる傾向があるが、その手の厳しい質問が国際的な科学史関連の学会では珍しくない、とのことだった。
専門家が時間を割いて出席しているのに、その貴重な時間をムダにするような「発表」は糾弾されて然るべき
ということだろう。
原発の問題一つを取り上げるにしても、
成熟した科学史の観点からの議論
というのがほとんどなかった日本では起きるべくして起きた部分がある。欧米では科学史研究者は、アカデミックな世界だけでなく
報道・出版の分野
にもたくさんいて、何か科学や技術に関した問題が起きた際には、専門家としてその問題を取り上げ、普通の人に、科学的に誤りなく、的確かつやさしく説明できるシステムができあがっている。
日本では
文系出身で、なんの科学的思考や叙述の訓練も受けてない、ズブの素人の「自社の記者」が原発記事を書いたりしている
のとは大違いだ。
最近は欧米は、新聞記者のクビを切っているから、以前よりはこうした
すぐ科学関連の専門記事が書ける人材
を、社内に置いているとは限らないが、社外には、すぐ連絡できて、確実かつ適切な記事を書くことの出来る筆者がいる。もちろん彼らは
科学史関連の博士号や修士号を持っている筆者
だ。
なお、鈴木晃仁さんが、年末に慶應日吉キャンパスで開かれる
アジア医学史学会演題募集
を呼びかけている。
発表は英語
だ。国内で英語で医学史の研究発表が出来るチャンスなので、特に若い研究者には積極的に参加して欲しい。
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中哲の先輩、馮錦榮香港大学教授の講演会が、昨日人文研で開かれた。
馮さんは、わたしが中文3回生の時の中哲のD1で、基本的に
3回生/M1/D1
という組み合わせは、研究室でよく顔を合わせ、また、D1はM1の、M1は3回生の面倒を見る習慣だったので、結果的に3回生はD1とM1の先輩には特にお世話になる。わたしは、漢代の勉強をしていたので、中文と中哲と両方の授業に出ていた。で、調べ物等で中哲研究室には時々足を運んだ。その頃の中哲研究室は倫理学と一つの研究室を半分に区切って使っていて狭かったのだが、行くと、たいてい机の一つで、馮さんが勉強していた。馮さんの修論は、規定枚数50枚なのに
本文50枚・注50枚・補論50枚
の150枚を、中国語で提出した、というので、有名だった。日本語と中国語では、圧縮率が違い、全文中国語で書くと、ほぼ1.6倍の内容になる。だから、馮さんの修論は、相当な分量なのだ。
馮さんの研究の特徴は
それまで誰も気がつかなかった文献をアーカイブから拾い上げる卓越した能力
にある。昨日の講演は2本行われ、1本目は英語、2本目は中国語だったのだが、どちらの発表でも
これまで誰も気がついてなかった文献
が大量に駆使されていた。いつもながらのことなのだが、凄い。文献を博捜するため、香港・中国・台湾はもちろんのこと、日本や欧米の各地の図書館に赴き、貴重書の中から、宝を掘り当てるのだ。最近は更に韓国も射程内だ。韓国ではいま漢字を自由に読み書きできる韓国人が激減しているので、中国・香港・台湾・日本の研究者は、漢文文献を調査するチャンスである。埋もれている文献がまだまだあるはずだ。
そして、今回は
文献を博捜する能力が文物にも向けられた
ので、北京や台湾の故宮博物院にある
天文観測機器
が、たくさん紹介された。康煕帝の天文観測機器はフランスに発注されたもので、パリの職人とその工房のサインが入っている。美しく機能的なそれらの天文観測機器を見るだけでも楽しいのだが、そうした機器の原理やガリレオとの関連が、イエズス会の活動を媒介として、見事に説明されるのを聞くと、明末清初の科学技術や科学知識の広がりが手に取るように見えてくるのだ。ラテン語で書かれた科学書が、中国のこうした天文観測機器や、漢訳された宇宙論に反映され、それらは後に韓国や日本にも及んでいるのを、馮さんが丁寧に解き明かしてくれた。
馮さんは、まだまだ論文の「ネタ」があるそうで、これから大量に明末清初の中国の科学史に関する論考を精力的に発表する予定である。とても楽しみだ。
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横浜から新幹線で帰って、人文研武田班に直行。非常に意義深い、出土資料に関する報告を聞く。
特別講演
陳松長「岳麓秦簡《占夢書》的結構略説」
小曾戸洋「古医書の形態変遷―馬王堆から近世和刻本まで」
がその題目。
まずは陳松長先生の講演から。
内容は、前半が
香港から買い戻した「岳麓書院簡」について、および、同じ業者から出た「精華簡」「北大(北京大学)簡」との比較
後半が
岳麓書院簡中の秦簡『占夢書』の文献学的位置づけ
について。
で、巷間よく言われる
北大簡の「綺麗さ」
を確認することが出来た。「北大簡」は、入手後、すぐに釈読可能なほど
綺麗な簡牘
であるのに比して、
岳麓書院簡は、全体が黒ずんでいて、しばらく蒸留水に漬けておかないと、釈読できないほど汚れていた
のが、岳麓書院での作業を撮影した画像でよくわかった。なるほどね。ちなみに、しばらくの間、水に漬けておいた岳麓書院簡は、かなり簡牘の表面から渋が抜けて、文字が判別できるようになっていた。
入手時の岳麓書院簡は
乾麺のような状態
で、非常に脆く、しかも、簡は竹を編んだと思われる箱に入っていて、その箱も腐爛していたので、そうしたものを取り除き、かつ一塊になってしまっている簡を、一枚一枚剥がすところから作業が始まっているとのこと。剥がす過程で、簡が割れたり、壊れたりするので、整理は相当にやっかいだ。なんせ、塊を水につけた段階で遊離しちゃうものがあるので、これは大変。岳麓書院簡は全部で
八塊
あったとのこと。
北大簡は、
簡を編んだ縄が一部残っている
ものがあったり、
簡を入れている竹を編んだと思われる箱も、岳麓書院簡のものより残存状態がよい
のがわかった。
ちなみに
北大秦簡は未発表
であり、今後の発表・刊行が待たれる。
岳麓秦簡『占夢書』には、驚くべき内容が含まれていた。中でも
神の名前
に
殤
があるのが注目される。『楚辞』九歌中、「國殤」は解釈が難しいものなのだが、出土文物からこうしたものが出てくる以上、更に考えねばなるまい。後で陳松長先生に『楚辞』と小南一郎先生の話をしたところ、非常に喜んでくださった。陳松長先生の発表では
殤の名が包山楚簡に含まれる
ことも指摘されており、今後の一層の研究が俟たれる。
小曾戸洋先生の発表では、かつて人文研が出版した
新発現中国科学史資料の研究・訳註篇
に掲載されいる
『五十二病方』の釈読の誤り
を指摘された。すなわち、
人文研の釈読は、その後中国で出版された『馬王堆漢墓帛書 肆』所載の『五十二病方』写真版と釈文を勘案してない憾みがあり、かつ帛書の「折りたたまれ方」を考慮に入れていない杜撰なもの
という内容である。小曾戸先生は5年ほど『五十二病方』の写真版とにらめっこして
帛書の畳み方が、やや乱雑な畳み方であったのだが、出土後、整理するのに剥がす際、普通の順序で剥がしてしまったため、現状の写真版等の順序が、本来のテクストの順序とは大きく異なっている部分がある
のを発見されたとのことだった。それを実証するために、わざわざ『五十二病方』のテクストを帛書の形態に倣って並べたコピーを作って配られたので、班員が実際に畳んでみて、小曾戸説の正しさを実見することができた。
なお、小曾戸先生のみるところでは
整理時に、「文字の書かれてない部分」を廃棄してしまっているのでは
とのこと。たしかに『五十二病方』の写真版に
空白部がほとんどない
のは、おかしい。
新年早々、大変に興味深く、知的刺激に満ちた二報告を耳にすることが出来て、実にめでたい。
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ただいま、皆既月食が進行しているのだが、奈良は全天曇り。
しょうがないので、Ustreamで月食を見ている。(12/10 22:00)
それはいいのだが、午後9時現在で外気温5.6℃の奈良なのだが、
外で蟋蟀が鳴いている
のですが。何が起きているのやら。
ようやく天頂部の雲が晴れて、皆既月食を見ることが出来た。(23:30)
それもこれも東大寺の森本師のtweetのおかげ。合掌。感謝。
https://twitter.com/kojomrmt/status/145507668818268160kojomrmt: 雲が晴れてきました!
わたしの視力だと月のようなもの、しか見えないんだけど、うす橙色の月が浮かび、その周囲にいつもより星が瞬いているらしいのはわかった。
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英語の中国関係書が6冊1200円で売られていたので、買ってみた。この中に
・Joseph Needham "Science and Civilisation in China" Vol.VII : 1
・John B. Henderson "The Development and Decline of Chinese Cosmology"(1984)
・Ole Bruun , Arne Kalland(ed.) "Asian Perceptions of Nature: A Critical Approach"(1995)
が入っていた。一冊目は言わずと知れた
ニーダム編集の『中国の科学と文明』シリーズの最終巻の一つ前の巻
で、ニーダム(1900-1995)の死後に、Christoph Harbsmeireがまとめたもの。
二冊目は、1984年の初版で、今年の4月に、新版が出た。
三冊目はアジアの自然観とでもいえばいいのか、日本の自然観については3本論文が収められている。
しかし、ニーダムの『中国の科学と文明』シリーズの原書が200円とは、いくらデフレとはいえ凄すぎる。いかに
教養が無用のものとされているか
がわかろうというもの。
どなたが手放したのか、6冊とも実に綺麗な古書である。
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昨日から
日本地球惑星科学連合2011年大会
会期:2011年5月22日(日)~27日(金) 6日間
会場:幕張メッセ国際会議場(〒261-0023 千葉市美浜区中瀬2-1)
が始まった。予稿集は予稿原稿投稿によると、
受付期間開 始: 2011年1月11日(火)
早期締切: 2011年1月31(月) 17:00
最終締切: 2011年2月4日(金) 正午12:00 締め切りました
ということで
今年の2/4までに投稿されたものが載っている
のであるが、その中に
東電の貞観地震津波に関する論文
が掲載されている模様。朝日が報じている。
東電、貞観大津波も過小評価か 4メートル未満と推定
2011年5月23日8時21分東日本大震災の大津波の前例と指摘される869年の「貞観(じょうがん)の大津波」について、東京電力が福島県内の津波は4メートル未満と推定する調査結果をまとめていた。大津波の可能性を小さく評価する内容。22日から始まった日本地球惑星科学連合大会に発表を申し込んでいた。
東電は、2009年から10年にかけて、福島県内の5地点で貞観の大津波で運ばれた砂を調べた。この結果、南相馬市で高さ3メートルの地点に砂があったが、4メートルの地点では見つからなかったとして、津波が海岸に駆け上がった高さは「最大で4メートル未満」と結論づけた。
富岡町からいわき市にかけては津波で運ばれた砂は見つからず、「標高4~5メートルを超える津波はなかった可能性が高い」とした。
そして
3/11にあの大津波が起きた
わけだ。
しかし
調査した研究者
は、
曲学阿世の徒
ですな。
一昨年の6/24に開かれた
総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録
では、東電は次のように
貞観地震で起きた津波の「過小評価」に躍起
となっている。
○岡村委員 まず、プレート間地震ですけれども、1930年代の塩屋崎沖地震を考慮されているんですが、御存じだと思いますが、ここは貞観の津波というか貞観の地震というものがあって、西暦869年でしたか、少なくとも津波に関しては、塩屋崎沖地震とは全く比べ物にならない非常にでかいものが来ているということはもうわかっていて、その調査結果も出ていると思うんですが、それに全く触れられていないところはどうしてなのかということをお聴きしたいんです。
○東京電力(西村) 貞観の地震について、まず地震動の観点から申しますと、まず、被害がそれほど見当たらないということが1点あると思います。あと、規模としては、今回、同時活動を考慮した場合の塩屋崎沖地震でマグニチュード7.9相当ということになるわけですけれども、地震動評価上は、こういったことで検討するということで問題ないかと考えてございます。
○岡村委員 被害がないというのは、どういう根拠に基づいているのでしょうか。少なくともその記述が、信頼できる記述というのは日本三大実録だけだと思うんですよ。それには城が壊れたという記述があるんですよね。だから、そんなに被害が少なかったという判断をする材料はないのではないかと思うんですが。
○東京電力(西村) 済みません、ちょっと言葉が断定的過ぎたかもしれません。御案内のよう
に、歴史地震ということもありますので、今後こういったことがどうであるかということについ
ては、研究的には課題としてとらえるべきだと思っていますが、耐震設計上考慮する地震という
ことで、福島地点の地震動を考える際には、塩屋崎沖地震で代表できると考えたということでご
ざいます。
○岡村委員 どうしてそうなるのかはよくわからないんですけれども、少なくとも津波堆積物は常磐海岸にも来ているんですよね。かなり入っているというのは、もう既に産総研の調査でも、それから、今日は来ておられませんけれども、東北大の調査でもわかっている。ですから、震源域としては、仙台の方だけではなくて、南までかなり来ているということを想定する必要はあるだろう、そういう情報はあると思うんですよね。そのことについて全く触れられていないのは、どうも私は納得できないんです。
○名倉安全審査官 事務局の方から答えさせていただきます。産総研の佐竹さんの知見等が出ておりますので、当然、津波に関しては、距離があったとしても影響が大きいと。もう少し北側だと思いますけれども。地震動評価上の影響につきましては、スペクトル評価式等によりまして、距離を現状の知見で設定したところでどこら辺かということで設定しなければいけないのですけれども、今ある知見で設定してどうかということで、敷地への影響については、事務局の方で確認させていただきたいと考えております。多分、距離的には、規模も含めた上でいくと、たしか影響はこちらの方が大きかったと私は思っていますので、そこら辺はちょっと事務局の方で確認させていただきたいと思います。
あと、津波の件については、中間報告では、今提出されておりませんので評価しておりませんけれども、当然、そういった産総研の知見とか東北大学の知見がある、津波堆積物とかそういう
ことがありますので、津波については、貞観の地震についても踏まえた検討を当然して本報告に出してくると考えております。
以上です。
(略)
○岡村委員 先ほどの繰り返しになりますけれども、海溝型地震で、塩屋崎のマグニチュード7.36程度で、これで妥当だと判断すると断言してしまうのは、やはりまだ早いのではないか。少なくとも貞観の佐竹さんのモデルはマグニチュード8.5前後だったと思うんですね。想定波源域は少し海側というか遠かったかもしれませんが、やはりそれを無視することはできないだろうと。そのことに関して何か記述は必要だろうと思います。
津波の影響を必要以上に小さく見積もろうとする東電の西村氏に食い下がっているのは
岡村行信 産総研活断層・地震研究センター所長
である。
で、最近、こんな研究も明らかになった。5/18付朝日より。
弥生時代にも今回並みの津波 仙台平野、東北学院大調査
2011年5月18日11時21分東日本大震災で津波に襲われた仙台平野は、約2千年前の弥生時代の津波でも同程度浸水していた可能性があることが、東北学院大の松本秀明教授(地形学)らの地質調査でわかった。仙台平野は869年の貞観(じょうがん)津波でも同規模の浸水が起きている。
松本教授らは、今回、津波が海岸線から約4キロ内陸まで到達した仙台市若林区で、津波の到達した距離と津波で運ばれた砂や泥の関係を調べた。海岸線から約3キロまでは砂だったが、その先は粒子が細かい泥が堆積(たいせき)していた。
この調査結果と、仙台市教育委員会と数年前に調べた約2千年前に津波に襲われた水田跡がある沓形遺跡のデータを比較。海岸線から約2.5キロ内陸まで砂が到達した約2千年前の津波は、約3.3~4.1キロ内陸まで達したと結論づけた。
貞観津波も同じ規模だったと見られることから、松本教授は「地震の起こり方がはっきりわからないので、千年周期で津波が起こるとまでは言い切れないが、同規模の津波が繰り返し起こっていたという事実は大きい」と話した。(福島慎吾)
こちらは仙台平野の津波被害だが
少なくとも1000年に一度程度は今回と同じくらいの規模、すなわち海岸線から4km内陸までに津波が襲った
ことが分かってきた。
というわけで
東電の地質調査は「出ないところを選んで掘った」結果
じゃねえだろな。あるいは
「見える物を見なかった」調査
なのか。
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先日、京都在住の東北出身の恩師と電話で話したときに
次はこっちを気をつけないとなあ
と仰っていたのだけど、1000年に一度の地殻変動があったわけで、いつ何時、うっすらと日本人が想定している
次の大地震である「東海・東南海・南海地震」が起きるか
皆目見当が付かない。
しかし、備えておくことは出来る。
このところ、
古記録の洗い出し
が次々行われているのだが、東大の都司嘉宣准教授の調査で
1361(康安元/正平16)年に関西に大津波が襲来
したことが分かった。神戸新聞より。
1361年に定説覆す大津波か 南海地震100~150年周期で発生するとされる南海地震で、これまで最大規模とされてきた1707年の「宝永地震」以前に、この時を上回る津波に近畿地方が見舞われていた可能性のあることが、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授の調査で分かった。兵庫県の津波予測は、宝永地震をモデルに最悪の被害想定をしてきたが、3月の東日本大震災と同様、南海地震でも従来の想定を超える超巨大地震が起きる恐れが出ている。(安藤文暁)
南海地震は、東海沖から四国沖の南海トラフ(海溝)沿いで周期的に起こるプレート境界型の地震。直近では1946年にマグニチュード(M)8・0の規模で起こり、淡路島などに津波が押し寄せた。今後30年間の発生確率は60%程度とされる。
宝永地震は、東海・東南海地震と同時に発生。M8・6は、M9・0の東日本大震災が起こるまでは国内最大級で、死者も2万人以上。兵庫県の瀬戸内沿岸部でも高さ2~3メートルの津波があったとされる。
それ以前の南海地震に関する詳細な記録はほとんど見つかっていなかったが、都司准教授は1361年の「正平(康安)地震」について記した法隆寺(奈良県)の記録を調査。海岸から4キロ以上、宝永地震の記録より約1キロ内陸の大阪市天王寺区の寺社まで津波が押し寄せていたことが確認されたという。都司准教授は「宝永地震と同じく、東海、東南海と同時連動した地震だった可能性が高い」と指摘する。
宝永地震については、同じ南海トラフ上にある九州・日向灘でも同時に地震が起きた「4連動地震」の説もあり、東京大や京都大などのチームは「300~500年周期で4連動地震が発生している可能性がある」とする。その場合、破壊される断層は約700キロに達し、東日本大震災の約500キロを上回る。
国は東海、東南海、南海地震の同時発生に備え、本年度から本格的な被害予測に着手。東日本大震災を受け、兵庫県も防災計画を見直す。
都司准教授は「兵庫でも宝永を上回る津波が過去にあったと考えてもおかしくない。最悪を想定した対策が必要」と話している。
(2011/05/03 08:31)
さて、法隆寺の記録にどう書いてあったかわからないけど、1361年の地震について『太平記』は次のように記す。
太平記卷第三十六
大地震 夏雪事
同年ノ六月十八日ノ巳刻ヨリ同十月ニ至ルマデ、大地ヲビタヽ敷動テ、日々夜々ニ止時ナシ。山ハ崩テ谷ヲ埋ミ、海ハ傾テ陸地ニ成シカバ、神社佛閣倒レ破レ、牛馬人民ノ死傷スル事、幾千萬ト云數ヲ不知。都テ山川・江河・林野・村落此災ニ不合云所ナシ。中ニモ阿波ノ雪ノ湊ト云浦ニハ、俄ニ太山ノ如ナル潮漲來テ、在家一千七百餘宇、悉ク引鹽ニ連テ海底ニ沈シカバ、家々ニ所有ノ僧俗・男女、牛馬・鷄犬、一モ不殘底ノ藻屑ト成ニケリ。是ヲコソ希代ノ不思議ト見ル處ニ、同六月二十二日、俄ニ天掻曇雪降テ、氷寒ノ甚キ事冬至ノ前後ノ如シ。酒ヲ飮テ身ヲ暖メ火ヲ燒爐ヲ圍ム人ハ、自寒ヲ防グ便リモアリ、山路ノ樵夫、野徑ノ旅人、牧馬、林鹿悉氷ニ被閉雪ニ臥テ、凍ヘ死ル者數ヲ不知。七月二十四日ニハ、攝津國難波浦ノ澳數百町、半時許乾アガリテ、無量ノ魚共沙ノ上ニ吻ケル程ニ、傍ノ浦ノ海人共、網ヲ卷釣ヲ捨テ、我劣ジト拾ケル處ニ、又俄ニ如大山ナル潮滿來テ、漫々タル海ニ成ニケレバ、數百人ノ海人共、獨モ生キテ歸ハ無リケリ。又阿波鳴戸俄潮去テ陸ト成ル。高ク峙タル岩ノ上ニ、筒ノマハリ二十尋許ナル大皷ノ、銀ノビヤウヲ打テ、面ニハ巴ヲカキ、臺ニハ八龍ヲ拏ハセタルガ顯出タリ。暫ハ見人是ヲ懼テ不近付。三四日ヲ經テ後、近キ傍ノ浦人共數百人集テ見ルニ、筒ハ石ニテ面ヲバ水牛ノ皮ニテゾ張タリケル。尋常ノ撥ニテ打タバ鳴ジトテ、大ナル鐘木ヲ拵テ、大鐘ヲ撞樣ニツキタリケル。此大皷天ニ響キ地ヲ動シテ、三時許ゾ鳴タリケル。山崩テ谷ニ答ヘ、潮涌テ天ニ漲リケレバ、數百人ノ浦人共、只今大地ノ底ヘ引入ラルヽ心地シテ、肝魂モ身ニ不副、倒ルヽ共ナク走共ナク四角八方ヘゾ逃散ケル。其後ヨリハ彌近付人無リケレバ、天ニヤ上リケン、又海中ヘヤ入ケン、潮ハ如元滿テ、大皷ハ不見成ニケリ。又八月廿四日ノ大地震ニ、雨荒ク降リ風烈ク吹テ、虚空暫掻クレテ見ヘケルガ、難波浦ノ澳ヨリ、大龍二浮出テ、天王寺ノ金堂ノ中ヘ入ルト見ケルガ、雲ノ中ニ鏑矢鳴響テ、戈ノ光四方ニヒラメキテ、大龍ト四天ト戰フ體ニゾ見ヘタリケル。二ノ龍去ル時、又大地震ク動テ、金堂微塵ニ碎ニケリ。サレ共四天ハ少シモ損ゼサセ給ハズ。是ハ何樣聖徳太子御安置ノ佛舍利、此堂ニ御坐バ、龍王是ヲ取奉ラントスルヲ、佛法護持ノ四天王、惜マセ給ケルカト覺ヘタリ。洛中邊土ニハ、傾ヌ塔ノ九輪モナク、熊野參詣ノ道ニハ、地ノ裂ヌ所モ無リケリ。舊記ノ載ル所、開闢以來斯ル不思議ナケレバ、此上ニ又何樣ナル世ノ亂ヤ出來ランズラント、懼恐レヌ人ハ更ニナシ。
○天王寺造營事付京都御祈祷事
南方ニハ此大地震ニ、諸國七道ノ大伽藍共ノ破タル體ヲ聞ニ、天王寺ノ金堂程崩レタル堂舍ハナク、紀州ノ山々程裂タル地モナケレバ、是外ノ表事ニハ非ジト御愼有テ、樣々ノ御祈共ヲ始ラル。
まず
正平16年6月18日はユリウス暦の1361年7月20日
で、
同10月末日の10月29日はユリウス暦の1361年11月27日
である。『太平記』の記述では
1361年7月20日〜11月27日頃までずっと地震が起きていた
ことになる。その内、大きな地震は
・日付不明(恐らくユリウス暦の7月20日) 阿波国雪湊(現徳島県海部郡美波町由岐地区)に大津波襲来、1700戸余りが流失し全滅
・正平16年6月22日(ユリウス暦 7月24日) 異常気象で、真夏に降雪。凍死者多数。
・同年7月24日(ユリウス暦 8月25日) 摂津国難波浦で1時間ほど大規模な引き潮があり、その後大津波が押し寄せ、死亡者数百人。また、阿波国鳴門(現徳島県鳴門市周辺?)では、大きく退潮、3-4日後、津波が押し寄せる。
・同年8月24日(ユリウス暦 9月23日) また大地震が起き、難波浦から大津波が押し寄せ、四天王寺(現大阪市天王寺区の四天王寺)の伽藍を破壊。
四天王寺の位置はこちら。
大きな地図で見る
・同日の地震により、京内外を問わず、堂塔は傾き、熊野への参詣道は地割れがあちこちに生じた。この日の地震・津波による被害がもっともひどかったのが、四天王寺金堂の崩壊と紀州の山々の崩落であった。
というわけで、都司准教授の研究は、
『太平記』の四天王寺崩壊の記述を補強する材料が法隆寺の記録から得られた
ということだろう。
御存知のように、四天王寺・法隆寺とも聖徳太子と縁の深い寺院であり、中世のこの時期、四天王寺被災の記録が法隆寺に残っていても不思議はない。
『太平記』の
難波浦ノ澳ヨリ、大龍二浮出テ、天王寺ノ金堂ノ中ヘ入ルト見ケル
という記述は、
黒く高い大津波が、凄まじい速度で沖合から内陸まで押し寄せた様子を描写
したものだというのが、3月11日のあの恐ろしい光景を見た後では、よく理解出来る。
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これまでに公表されている数値を用いて、個人の方が作られた
RADIATIONDOSE 全国・福島 放射線量ビジュアルマップ 空間放射線量・積算量
が凄い。
全国の空間放射線量・積算量。
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