2017-09-02

ドイツのパンは美味しい(その5)ドイツの犬たち

今回ドイツでは
 たくさんの犬たち
を見かけた。それもジャーマン・シェパードやラブラドル・レトリーバーなどの
 大きい犬
が多かった。小型犬は、あまり見なかった。2匹で散歩している、ちょっと太り気味で、今にもお腹を地面にこすりそうにしている黒いロングコート・ダックスフントと、キール駅の大通りを飼い主と横断する
 ペキニーズ
を見たくらい。

こちらはラーボエで歩道を散歩していた2匹の犬。1匹だけでなく2匹もしくはそれ以上を連れて散歩する飼い主が多かった。中には、大きい犬2匹を1人で連れている女性も!
1
白いサモエドを激写! 毛が厚すぎて、日本の内地で飼うのはかわいそうなサモエドだけど、北ドイツの気候なら問題なし! もう1匹黒い犬もいるのだが、犬種を確認出来ず。
2
ラーボエは、フィヨルドの沿岸では珍しく砂浜がある。地元の人も、観光客も、短い夏の浜辺を楽しみにたくさんやって来ているのだったが、犬たちは騒ぎもせず、お利口に散歩していた。

これはドイツで見たどの犬たちにも言えることなのだが
 外で散歩している犬たちは、おとなしく、よく飼い主の言うことを聞いて、決して他人にじゃれついたりしない
のだった。
時には、バスに犬連れで乗ってくる人もいるのだが、乗客は気にしないし、犬たちもおとなしくしていて、迷惑を掛けることはない。
リードを付けず、放し飼いにして散歩している飼い主もいるが、犬が誰かに襲いかかったりすることはない。

どうやら
 人の言うことを聞けない馬鹿犬は散歩に出さない
もしくは
 犬はちゃんと教育する
のが徹底されているようだ。
 犬が迷惑なのではなく、きちんと躾ができない飼い主が悪い
という意識をみんなが持っているのだろう。
 犬を飼う以上、他人に迷惑を掛けず、飼い主の言うことを聞くように躾ける
のが、
 ドイツで犬を飼う時の最低条件
らしい。

帰国の日、ハンブルク国際空港で、2匹の犬を連れている家族に出遭った。1匹は茶色のラブラドル・レトリーバーで、もう1匹は黒いジャーマン・シェパード。見ると、ラブラドル・レトリーバーは
 かなりの老犬
で、白髪交じりになっていて、しんどいらしく、すぐ床に腹ばいになっている。誰かが犬を置いて出かけるのだろう。見送りに来たのだ。
犬を連れているのは、若い男性なのだが、ラブラドル・レトリーバーが待っている人はどうやら違うらしい。ちょっと悲しげな表情で、誰かを待っている。
しばらくすると、若い女性が、カウンターの手続をしているのが見えた。すると、ラブラドル・レトリーバーが、そっちに顔を向けて、ふんふん鼻を鳴らしている。
 ああ、おかあさんを待ってるんだ!
と言い合っていたら、犬を連れていた若い男性がニコニコしながら
 彼女がママなんだ! もうね、ママのことが大好きなんだよ! 大変さ!
と教えてくれた。きっと、うんと小さい子犬の頃から、その女性に飼われて、一緒に過ごしていたのだろう。ひょっとしたら、すっかり大きくなった今でも、同じベッドで寝るような犬かも知れない。
ラブラドル・レトリーバーの大好きな「ママ」はまだ手続があるらしく、私達が席を立つまでは、戻ってこなかった。心残りなのは、ママに「再会」したラブラドル・レトリーバーがどんなにうれしそうな顔をしたかを、見届けられなかったことだ。
大きな犬はあまり長生きできない。それでも短い時間に、濃密な関係を築くことが出来たあの女性もラブラドル・レトリーバーも、なんと幸せなことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-08-28

ドイツのパンは美味しい(その4)ドイツでは富は歴史と文化に奉仕する

今回、学会が開かれたのは、通称
 キール大学
と呼ばれる
 CAU(Christian-Albrechts-Universität zu Kiel)
で、
 クリスティアン・アルブレヒト大学キール
という校名が示すとおり、
 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公のクリスティアン・アルブレヒトが開いた大学
である。
創立は1665年。日本は寛文五年。四代将軍家綱の治世にあたる。アイザック・ニュートンが万有引力を発見し、フェルマーが死んだ年でもある。
戦前はナチスドイツにいち早く協力、1933年には強制的同一化政策に従い、多くの学生や教員が大学を逐われた。
戦前には5人、戦後には7人のノーベル賞受賞者を輩出している。
日本史と密接に関係のある人物では、リヒャルト・ゾルゲが卒業生である。

ノーベル賞受賞者の数だけでいえば、日本に、キール大学に匹敵する大学は存在しない。
しかも、このキールは、大都市ではなく、人口わずか24万人の港湾都市なのである。
これまで、最も人口が多くなった時期でも30万人を少し超える程度だった。

フィヨルドの南端に位置するキールは、天然の良港を擁し、バルト海の要衝である。キールと北欧を結ぶ大きな定期便のフェリーが港に姿を見せていた。
 北ドイツ
というよりも
 北欧への入口
という趣が深い。

近代において、キールは
 軍港
として発展した。第一次大戦、第二次大戦、いずれでもキール港は重要な役割を果たした。そのため、第二次世界大戦の後半には、徹底的な爆撃によって旧市街地は瓦礫と化した。
ドイツの街では、よく
 ドレスデンの復興
が知られているが、ここキールも同様に破壊され尽くした旧市街地を、戦後、瓦礫から復興したのである。知らないで通ると
 古い建物の建ち並ぶ旧市街地
が拡がっているが、これらはいずれも復元・再興された建物なのだ。

当然ながら、
 キール大学も大きな被害
を受けた。
しかし、いま、キール大学の古いキャンパス周辺には
 元々あった大学附属の博物館
が建ち並んでいる。もちろん、これらも戦後再び作り直されたものだ。今回は
 Medizin- und Pharmaziehistorische Sammlung(キール大学附属医薬史博物館 Brunswiker Str. 2, 24105 Kiel, Deutschland )
 Zoologisches Museum der CAU(キール大学附属動物学博物館 Hegewischstraße 3, 24105 Kiel, Deutschland )
 Kunsthalle zu Kiel(Düsternbrooker Weg 1, 24105 Kiel, Deutschland. 古代美術博物館を併設)
 Botanischer Garten Botanischer Garten Kiel der Christian-Albrechts-Universität zu Kiel(キール大学附属植物園 1665年の大学創立当時から計画される。現在は移転し規模を拡大)
を参観した。そこで痛切に感じたのは
 文化に対する投資の厚さ
である。

たとえば、植物園。自慢の温室はいくつかに区画され、それぞれの部屋は、温度と湿度とが厳密に管理され、植生にあった環境が再現されている。温室は維持管理に金の掛かる施設だが、それだけでなく、コレクションも充実している。
Bg3
俗に
 100年に1度だけ花が咲く
といわれてるアガベ。もちろん100年よりは短い期間で咲くのだが、花が咲くと本体は枯れてしまう。上の茶色いぽよぽよしたものが花。なんという幸運。
Bg1
キール大学附属植物園の誇る多肉植物コレクションの1部。デカいサボテン。
Bg2
これも多肉植物。多肉植物マニアが迷い込んだら、喜びの余り死ぬんじゃないかと思うような充実したコレクションが展開されている。
Bg4
オオオニバスと人の背丈より高い蓮。東大寺の大仏さんの前に金色の蓮が飾ってあるが、大きさは似たようなモノ。花が咲いた姿を是非見たかった。

温室内では、鳥や亀なども飼育されていた。

もちろん、温室外にも植物園は拡がっている。世界中から集められた植物が、大陸ごとに分けて植えられている。高山植物(北ドイツなら余裕で低地で高山植物が栽培できる。北海道でも可能)の庭もあれば、水生植物の庭、木本の庭などが展開されている。植物園全体に一体いくら掛けているんだろう!!!

植物園だけではない。
古代美術博物館は、
 かつて、古典研究のために19世紀に発掘したギリシャ・ローマの彫刻や壺
が並んでいるのだが
 一部は石膏のレプリカ
に代わっている。恐らくは
 第二次世界大戦の後半の爆撃
によってオリジナルが粉砕されたために、こうしたレプリカが元のように置かれているのだろう。たとえレプリカだったとしても、一見して
 ギリシャ・ローマの彫刻や壷絵の変遷を理解出来る展示
であり、キュレーターの腕が冴え渡る。
しかも、これらの展示物は
 キール大学の古典研究室が自前で発掘したもの
のようだ。
 ギリシア・ローマの発掘
って、それだけでも物凄く資金が必要なんだけれども、一体戦前のキール大学はどれほどこうした発掘を援助したのだろう。そして、これら考古学的成果は、単なる美術史的遺物なのではなく
 ギリシャ・ローマ研究
に用いられたのである。

後で詳しく書くけれども
 動物学博物館

 子どもを連れて行くと、たぶん動物学の虜になる展示
が犇めいていた。

歴史と文化を守るために、潤沢な予算が与えられている。
それがキール大学附属施設を見た感想である。

富は文化と歴史に奉仕する。

日本では
 文化や歴史は「富のアクセサリー扱い」
だが、ドイツでは
 文化や歴史の方が富より遥かに重要
なのだ。
そして、キール大学は、単に博物館が充実しているだけではない。先端的な研究も盛んに行われている。

人文系が消滅の危機にある日本と、歴史と文化を瓦礫から再興して維持するドイツ、かつて
 東西の経済大国
と謳われた2つの国は、21世紀になって、かくも大きな格差を見せている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-08-27

ドイツのパンは美味しい(その3)Japan Nothing

「失われた20年」の間に、国際社会における
 日本の地歩

 後退
どころか、
 消滅した
というのが
 Japan Nothing
だけれども、今回、バルト海の要衝、Kielに行って実感したのは
 北ドイツにおける日本の存在感の無さ
だった。

どこへ行っても、まず
 China!
とか
 Chinese!
とか声を掛けられる。帰国時にKieliusというハンブルク国際空港とKiel駅を結ぶ空港リムジンに乗ろうとして、荷物を荷物室にどう入れようか悩んでいた時、白人のおばさまに
 等一下!(まってなさい)
と何度も普通話で言われた。おばさまからすると
 黄色い奴は中国人
らしく、中国語と違う言語を話しているとは思ってないらしい。
日本人同士で、軍港Kielのクレーンの近所で建造されていると覚しい海軍の船の方に向かったら
 你好!
と、やはり白人の人達から声を掛けられた。

日本人がKielにあまりやってこない上に、アジア系の外国客は中国人が中心だというのは、ホテルの衛星放送のチャンネルを見ても分かる。
東アジアのチャンネルでは、日本語放送のNHKの国際放送はまったく入っていない。入っているのは中国の
 CCTV(中央電視台)
だけだ。

北ドイツだけではない。
今回KLMを利用して往復したのだが、空港でもやはり
 東アジアの人間の中心は中国人
だった。
わたしは視覚障碍があるので、飛行機に搭乗する際はいつもattendをお願いする。
今回attendが必要な人は、日本からEUの入口になるオランダ・アムステルダムのスキポール国際空港で、乗務員と同じ出入国窓口を通ったのだが、入国時にはまず
 China?
と聞かれ、日本人だと答えると、
 Oh!
とか一瞬びっくりされた。帰りも同じ陽気なおにいさんだったが、今度は
 コニチハ!
と挨拶してくる。学習能力が高いぜ、スキポール国際空港の出入国管理官のおにいさん。まあ、それだけ
 日本人が珍しい
ってことになるんだろうな。

学会会場では、英語がそれほど堪能でない年代の中国人研究者の多数の参加を見越して
 中国語通訳
として、ドイツの他大学で中国語を教えている中国人の先生がアルバイトに来ていた。学会自体は、英語縛りだったのだが、いま、エラい人達は、まだ中国で外国語教育が復興し始める段階で大学教育を受けた人達が中心だから、必ずしも英語が上手とは限らない。そのために、ネイティブの中国語の専門家が雇われているというわけだ。
というわけで、学会では、英語・日本語・北京語で話をしていた。ドイツ人もそれほど英語が得意なわけでもないから(日本人と比べたら遥かに上手だけれども)、
 中間言語として英語
が、使われていた。中間言語の英語は、
 シンプルイズベスト
というわけで、平和に学会は進んで行った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017-08-20

ドイツのパンは美味しい(その1)

8月4日から、国際学会で北ドイツのキールに滞在した。その時の話を少しずつ。
キールはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Land Schleswig-Holstein)の州都、バルト海に面する海の都市であり、古くから海運で栄えた町だ。人口は24万人(2015年統計)ほどで、似たような日本の街、北海道の小樽の2倍であり、経済上の地歩を失った小樽とは異なり、今も豊かな街である。

ドイツに旅行したヒトはみんながみんな口を揃えて
 ドイツのパンは旨い!
という。日本でドイツのパンというと
 黒パン
だったり、
 固いパン
だったり。ともかくも
 重い、黒い、酸っぱい、固い
というイメージが強い。かてて加えて
 黒パン
というと
 ハイジの黒パンのイメージ
がこびりついていて
 旨いもんじゃない
と思われている。
そんなドイツのパンが
 旨い
というのだ。

今回宿泊したのは、ドイツ鉄道キール駅前の
 InterCity Hotel Kiel
で、学会の宿泊ということを考慮して、朝食込みで申し込んだ。別に朝食を付けて貰うと14€(現在の円相場では1800円前後)だ。日本ではビジネスホテル相当のホテルである。
毎朝、Buffet形式で温かい朝食が提供される。

H1
H2
パンのコーナーは様々な種類のパンが盛られていて、薄切りになったものも供され、パンを切るボードとナイフも用意されている。
このパンが
 美味しい
のだ。
自慢のBrötchenやBrötは勿論、隣国フランスのクロワッサンにも、手を抜かない。日本のビジネスホテルで、
 クロワッサンがパリパリで中はふかふかで温かい
なんてところがあるだろうか? 中級ホテルでも、クロワッサンは冷たい場合がほとんどだろう。惜しみなくバターを使い(製パン用マーガリンとかいう紛い物でなく)、大きめに成形されて焼き上げられたクロワッサンは、それだけで美味しい。
日本のビジネスホテルだと、まずパンが出てくるとすれば食パンがあるかないか、なんて感じだけど、1コーナーまるまるパンに当ててるだけあって、ほんのり温かいパンはどれを取っても美味しい。
見ていると、宿泊者の白人のおばさまが、横に切り目の入った丸いSchnittbroetchenをあれこれ選んでいる。どうも、
 発酵と焼け具合
が気に入らないらしく、籠のパンをひっくり返して、やっと1個を選び取った。わたしもおばさまの顰みに倣い、おいしく焼け上がっているパンを選んでみた。
北ドイツのこの地では、白い小麦パン、黒いライ麦パン、それらがいろんな比率で混合しているパン、パン生地にナッツやドライフルーツなどを混ぜたり、びっしり付けたものなど、多様なパンが朝のパンコーナに並ぶ。わたしも滞在中、罌粟の実が塗されたMohnbroetchenや、松の実を焼き込んだもの、向日葵の種を振りかけたもの等や、スライスされた各種黒パンやクロワッサンを食べたけれども、いずれもほんのり温かったり、水分は多めで、日本の
 固い酸っぱい黒いパン
は1つとしてなかった。見たところ、ホテルにありがちな
 トースター
がないので、不思議に思っていたのだが、あらかじめ温かいパンが供されるので、トースターは必要ないのだ。
Buffetには、特産のチーズがやはり何種類か皿に盛られている。牛乳から作られたチーズで、白カビチーズや、胡椒やハーブを塗したり、フルーツやナッツを混ぜ込んだ甘いものなどだ。毎朝、黒パンの薄切りやSchnittbroetchenにチーズを塗って食べていた。
この辺り、酪農が盛んだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017-07-06

台鐵と近鉄が友好協定締結ですとっ!

日本には、数多鉄道会社があるけれども、
 東西の似たもの同士
といえば、
 東の京急、西の近鉄
ではないか密かに思っている。もっとも
 車両の連結・切り離しの速度

 毎日、金沢文庫や京急川崎、品川で切り離しと連結を展開する京急の圧勝
だけど。横浜の家の最寄り駅が金沢文庫なもので、毎度のように鮮やかな手腕を見ていると、
 大和西大寺の連結・切り離しの遅さ
には、毎回、イライラしてしまう。で、いつもその切り離しのせいで
 3分の遅れ
になるからな、近鉄。

それはいいとして、
 台鐵と京急が友好協定を結んだ
時は、とっても羨ましかった。一昨年の5月にはその記念に
 台鐵の駅弁を販売
したしな、京急。

さて。
台湾に行くと、時々お世話になる台鐵なんだけれども、この度なんと
 近鉄と友好協定を締結
したという驚愕のニュースが飛び込んできた。何故に近鉄? 阪急でも京阪でもないのだっ。
理由は分からないのだが
 近鉄には伊勢神宮を擁する「山田・鳥羽線」がある
からだろうか????
中央社フォーカス台湾より。


台湾鉄道、近鉄と友好協定締結 相互誘客狙う
【観光】 2017/07/06 18:23
(台北 6日 中央社)台湾鉄路管理局(台鉄)は6日、近鉄グループホールディングス(近鉄、大阪市)と事業連携・協力に関する友好協定を締結した。台北駅で行われた調印式には、台鉄の鹿潔身局長や近鉄の吉田昌功社長らが出席した。今後は互いの沿線の魅力や観光地を紹介するツアーの催行など相互誘客のための取り組みを進めるほか、鉄道事業、店舗開発に関する事業などで連携を行う。
台鉄は、両者とも100年以上の歴史を持つと言及し、互いに鉄道や観光の発展経験を共有できればと期待を示す。また、台鉄は近年、関連事業の開発に力を入れており、豊富な商品やマーケティング、企画能力を持つ近鉄の取り組みを参考にしたいと意欲を見せた。
近鉄は昨年4月に台北支社を設置し、訪日客の誘致促進や事業の海外展開に向けた情報収集、現地企業との関係構築を進めている。今回の友好協定の締結を通じて台鉄との交流を深め、双方事業のさらなる発展・成長を目指したいと意気込みを示した。
台鉄は近年、日本の鉄道との連携を積極的に推進。これまでには西武鉄道、東武鉄道、京浜急行電鉄、JR四国と連携している。

(陳葦庭/編集:楊千慧)

う〜ん、うれしいけど、近鉄には是非
 気合いの入った「友好協定締結記念イベント」
を企画して頂きたいものだ。
Facebookに転載されている上記記事の写真には
 台鐵の駅弁のマスコットの双子のクマ てる(鉄魯)、はなちゃん(漢娜醤)
20150416002062
とあべのハルカスのマスコットのクマあべのべあ
Abenobear
が写ってるんだが、まさか
 クマつながり
じゃないだろうな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-03-05

「舞妓さんコスプレ」隊 舞妓さんを無茶な要求をする外国人観光客から守れ

年中観光シーズンの京都。京都といえば
 舞妓さん芸妓(げいこ)さん
目当てに通うカメラ爺ちゃん多数がいるくらい
 花街の舞妓さん芸妓さんは被写体の華
だ。これまでは
 無茶な撮影をする一部の人々
が、舞妓さん芸妓さんを悩ましてきたのだが、
 外国人観光客の増加
と共に、
 見るだけでなく、無体な触り方をしたり、野卑な声を掛けたりする事例
も増えてきた。それだけでなく
 全身動く「美術館」の舞妓さん芸妓さんの宝飾品を強奪する事件
も起きている。古い記事だが2014年12月24日付フォーカス・アジアより。


京都の芸舞妓が護身術を習う、外国人観光客との相次ぐトラブル受け―中国紙
22日付の英メディアによると、外国人観光客に追いかけられるなどのトラブルが相次いでいることを受け、京都の芸舞妓が警察から護身術を習い始めた。24日付で渤海早報が伝えた。
芸舞妓に現金1万ドルとホテルの部屋の鍵を渡すなど、お座敷遊び以外のサービスが受けられると勘違いしている外国人観光客が多く、トラブルが絶えないことから、地元の警察官から護身術を習い始めたという。
若い芸妓が夜間の1人歩きを怖がるようになり、地元の組合が警察に講習会の開催を依頼した。着物や「おこぼ」姿でいかにして安全を確保するか、抱きつかれたり手をつかまれたりした時にどのようにして振り払うか、などを学んだ。
観光客からの付きまといだけでなく、芸舞妓が身に着けている高価な宝飾品が狙われ、夜間に1人で歩いている時に強奪される事件も起きているという。
(編集翻訳 小豆沢紀子)

このような状況、悪化こそすれ、一向に改善する兆しがない。
そこで立ち上がったのが
 舞妓コスプレ3人組
だ。うちゃかさんのtweetより。








というわけで、うちゃかさんのお友達の女性3人が
 舞妓コスプレをして、舞妓さん芸妓さんのお仕事を各国語で説明し、無茶をしないように広報宣伝する活動を始める
とのこと。
外国人観光客でも日本人観光客でも、無茶なお方はほんまに無茶なこと、しはりますからなあ。かないまへんわ。
よく聞く話は
 外国人観光客が背中が大きく開いている、舞妓さんの襟元に煙草を投げ込んだ
というもので、傷害罪だっせ。

うちゃかさんのお友達の
 舞妓さんコスプレ隊のお3人
だが、どうか御無事で。しかし
 京都市も京都府も、花街の舞妓さん芸妓さんにおんぶにだっこ
でええのか?
 歩く美術館の舞妓さんが、海外の強盗のターゲットになったら、ほんまにええもんを身につけられなくなる
んでっせ。値打ちが台無しですがな。
さすがに日本人は舞妓さん芸妓さんの宝飾品を強盗するような無茶はしないと思いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-02-01

アンチ・バリアフリー都市奈良 JR奈良駅前三綱田交差点東を南に下がった点字ブロック現況

JR奈良駅前の歩道は、最近以前より
 これでもマシ
になったとはいえ、車いすにも、杖をついて歩く人にも優しくない。
JR奈良駅前の三綱田交差点を南に行ったところにある駐車場の前の歩道、車が出入りする部分の点字ブロックがごっそり剥がれている。
Sango
一番危険な場所の点字ブロックがない。
三綱田交差点はこの辺り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-01-30

アンチ・バリアフリー都市奈良 やすらぎの道の点字ブロック現況

奈良は、道が狭く、車がどこから飛び出してくるか分からないような街並みで、身体に何かトラブルのある人には優しくない。
Yas2
これは、やすらぎの道の馬場町交差点東側の歩道を少し北に上がった辺り。ローソンの近所だ。

完全に
 点字ブロックが剥落
している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016-01-12

札幌市交通局 市営地下鉄東豊線さっぽろ駅表示の怪

ああ、恥ずかしい。
小笠原淳さんのご指摘。twitterより。



ほんとに
 はんかくさい(馬鹿らしい)間違い
してさ。(この部分は北海道弁北海道アクセントで読まれるのが望ましい)

スマホに辞書でも何でも入れられる時代に
 スペルミスを2箇所も見逃す
って、どうなっているんだか。
 goverment
でも
 govermment
でもなく、
 government
だろっ、札幌市交通局。

受験生に笑われるぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015-02-01

カルミン終了のお知らせ 1921年以来の歴史に幕

カルミンと言えば、明治のカルミン、ドーナツ型の白い、ミントの効いたお菓子だ。業界では
 錠菓
と呼ぶもののようである。
昔からあるのだが、とんでもなく昔から作られていて、明治のサイトに依れば、
 1921年以来、作られている
という伝統を誇っている。そのカルミンに悲しい知らせが。北乃カムイさんのtweetより。


あらららら。ミント味が好きな人にはちょっとした衝撃かも。

小学校の遠足のおやつには、大抵1個、カルミンが入っていた。

(追記 2/3 20:30)
毎日が取り上げた。


カルミン:3月販売終了 「長期間、売れ行き低下傾向で」
毎日新聞 2015年02月03日 18時53分(最終更新 02月03日 19時11分)

 明治のロングセラー菓子「カルミン」の販売が、今年3月末で終了する。大正生まれの変わらぬ味で人気だったが、「長期間にわたって売れ行きが低下傾向にあるため」と同社は説明している。

 「カルミン」は、カルシウム入りミント味のタブレット菓子。名前は「カルシウム」と「ミント」が由来で、1921(大正10)年に販売が開始された。当時の価格は5銭。「世界唯一のカルシウム入り栄養錠菓」として売り出したという。

 同社の創業(1916年)初期から続く長寿商品の一つで、26(大正15)年に発売された「ミルクチョコレート」より歴史がある。水色の包み紙に赤と黄でデザインされたロゴや、清涼感と甘さを同時に楽しめる味は、発売当初からほとんど変わっておらず、何世代もまたいで愛されてきた。現在は15粒入り24グラムを60円(参考小売価格、税抜き)で販売。一時期、イチゴ味も販売していた。
 1月末、ネット上に販売終了のうわさが流れると、ツイッターには「遠足の酔い止めに買ったなあ」「ぺらぺらになるまで舌の先で転がした」「寂しいよ」「じいさんがよくパチンコの余り玉で取ってきてくれた」などの書き込みが相次いだ。

 同社の担当者は「94年という長い間ご支持をいただき、深く感謝しています。想像以上の反響の大きさに正直驚いています」と話している。【平野美紀/デジタル報道センター】

ミントタブレットだけでも、たくさんの種類がある現在、カルミンの売り上げが減ることはあっても、増えることはないだろう。残念だが、カルミンは消えていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧